「おお、この大きさだと可愛いですね」
「これが可愛いかは知らないけど、最初からこの大きさで侵入してたら、結界の歪みももっと小規模で済んだでしょうね」
大きさが小さくなろうが師匠の圧は変わらなかった。そのせいで私の言葉に一瞬自慢気だったドラゴンも
「結局この子は何しにこの森に来たんですかね、師匠?」
翼をたたんで鼻先を私の掌に擦り付けてくるドラゴンの喉をくすぐりつつ、後ろの師匠を見上げてそう問えば、
「あたしがこいつの巣を吹き飛ばしたからかもね。ドラゴンの棲みかは大抵人間が辿り着くには相当危険な場所にあるのよ。そこの風通しを良くしちゃったわけだから、ギルドの依頼を受けた連中が増えたのかもね。その相手を毎日するのが面倒で棲みかを引っ越すことにしたんじゃない?」
「……えっ」
「猶且つ人間にとっては危険で魔物にとって安全な立地を探してたら、偶然この間鱗を剥いだ人間の魔力を感じたからここに降りてきた。そんなところでしょう?」
窓枠に座るドラゴンは、師匠の言葉に「グウゥ」とご機嫌に鳴いた。尻尾をビュンビュンと振っている。これは犬と同じ反応だと思って良いのだろうか。というか、それよりも問題なのは──。
「あの~師匠……それってつまり、この子の家が失くなったのって、私達のせいってことじゃないですか?」
恐る恐る尋ねた私の言葉に、けれど師匠は笑って「こいつが弱いのがいけないのよ。でもま、一ヶ月に一枚鱗を支払うなら棲まわせてやっても良いわ」とドラゴンにすべての責任を転嫁したうえに、対価まで求めたので。今日からこの森にドラゴンが仲間入りすることになった。
初めて飼うペットがレッドドラゴンというのは驚きの体験ではあるものの、身体の大きさまで自由自在となるとそこまで寝床に頭を悩ませる必要がなかったから、通常の仕事の合間にベッドにする籠を編んであげようと思っていたのに、ちゃっかり私のベッドの一角にクッションを持ち込んでそこを使うことにしたようだ。
こっちが歩くとおっかなびっくり後ろをついてくる健気さや、掃除中にゴミを集める手伝いをしてくれたりする姿に、幼い頃に師匠のあとを追いかけてばかりいた自分が重なって意気投合。結局その日のうちにこの森にドラゴンがすっかり馴染み、翌日にはまるでずっと一緒にいたかのような仲良しになれた。
──が、それは同時に師匠の超理不尽、
短期間で従順な下僕になったレッドドラゴンを前に、師匠は『せっかくドラゴンが手に入ったんだから、使わない手はないわね』と。一ヶ月に一枚鱗を支払うという約束をさせた舌の根も乾かぬうちにそう言った。
いわく『引っ越してきたんだから、引っ越しの挨拶分がまだよ』という滅茶苦茶な内容だったけれど、それが師匠だから仕方がない。師匠がそうだと言えば道理は引っ込むのだ。何なら忠実な弟子の私ですら当たり屋の言い分だと思ったけど、口には出さなかった。
『大したことは言わないわ。あたしの留守中にこの森に残ってるのが、戦闘力皆無のあんただけだと心許ないってずっと考えてたのよ。ちょうど良いし、こいつをガーゴイル代わりにしようかと思って』
その一言で神秘の生物は汚城の番犬と魔力皆無な掃除婦の護衛という、どこまでも残念な居場所を与えられてしまったのだ。
「あ、ちょっと待ってクオーツ。その籠はこっちに下ろしてくれる?」
「ギャウッ」
「良いお返事だ~。これが終わったら師匠が朝食の支度をしてくれてる間に、一回目の洗濯物を干す紐を張るの手伝ってね」
「ギューッ!」
でもまぁ本ドラゴンに不満はないようで、こちらの言葉をほぼ完璧に理解してフヨフヨと飛び回る赤い姿に、自然と頬が緩む。忙しい朝は猫でなくドラゴンの手を借りることで大幅に作業効率が上がった。小さくなっても流石は上位種。見た目の大きさとは裏腹に力が強いので、床を覆っている荷物を持ち上げてもらうのに大助かりである。
生き物の名付け親になったのは初めてだったけれど、師匠が『あたしは七年前にあんたの名前をつけたから、それの名付けはあんたがしなさい』と言ったので、丸二日悩んでつけた。私は勿論、彼も気に入ってくれているようだ。
ちなみに初日の実験では小さいままでも私の服を咥えて飛べた。師匠に聞いたらドラゴンは翼に魔力を通して飛ぶらしく、それ自体を羽ばたかせて浮力を得るのではないそうだ。いつか大きな時に背中に乗ってみたい。
おまけに何故かこの子は初日から私に懐いてくれて何をするにもついてくる。普通は魔力の強い人間に懐くものなのに不思議だけれど、嬉しいから問題ないかな。
この城には七年間ずっと師匠と私の二人きりだったから、新しい住人(?)の存在は新鮮でなかなか楽しい。そんなこんなでテキパキと一人と一匹で仕事をこなし、起き出してきた師匠が生み出す良い匂いのもとを確かめるべく食堂に向かう。
戻って来た私達に早速手を洗って配膳を手伝えという師匠の言葉に従い、最後に焼きたてのパンを並べたところで、二人と一匹の朝食が始まった。
「そのドラゴンがあんたに懐く理由?」
「はい。私には魔力がないのに不思議だなーって」
「ああ、成程。そうね……考えられるとしたら、あたしがあんたの傷に流してる魔力が蓄積されてるんだと思うわ」
「でも私は魔法が使えませんよ?」
「蓄積されるとはいっても微々たるものなのかもしれないわね。実際に回復を専門にしている医療魔術師の患者が魔法を使えるようになった話は聞かないもの」
「成程。でもじゃあどうして魔力の直接の持ち主である師匠には、あんまり懐いているように見えないんですかね?」
「それこそ考えてもみなさいな。出合い頭で氷塊を口に突っ込んでくる奴に懐く特殊性癖持ちなんて、ドラゴンでも人間でもそうそういないでしょうよ」
パンをちぎってクオーツの口に運んでやりながら、そういえば師匠に直接聞いてみれば良かったんだと思い立ち、この二日間疑問だったドラゴンの生態について質問してみたものの、まぁ案の定そこまで驚きの回答は得られなかった。性癖の辺りが特に。
話題にされていることが分かっているらしいクオーツも、小さく首を横に振っている。誠に遺憾と言わんばかりの表情だ。謝罪の代わりにソーセージを切り分けて口許に運んであげると、喜んで食らいつく。油でテカテカと光る口の周りの鱗を拭おうとしたら、勿体ないとでもいうふうに素早く長い舌で舐め取られた。
「そっか~……ちょっと残念ですね」
「何よ、あんたも魔法が使いたいの?」
「そりゃあ、私だって師匠という魔術師の弟子ですから。それにほんの少しでも魔法が使えたら、師匠の手伝いだってもっとたくさんできますし」
せっかく魔力を分けてもらっていても、元が魔力皆無だと注ぐだけ無駄だと言われたに等しい状況。やや不貞腐れた気分で豆のスープに匙をつけていると、不意に師匠が少しだけ何かを考え込む素振りを見せた。
こういう時は声をかけられるまでそっとしておくのが、ここでの暗黙の了解。その間にクオーツと一緒にアンズのジャムを塗ったパン、ソーセージと半熟の炒り卵、リンゴのジュースを分け合いながら胃袋に納めていく。
そうして考えが纏まった師匠が「アリア、以前に魔術は魔法とは原理が若干異なるって話はしたわよね」と切り出したのに合わせ、視線をそちらへと向けた。
「はい。確か〝魔術は魔力を自分なりの解釈に則った術式に置き換えて行使する〟でしたよね」
「あら、割としっかり憶えてるじゃない。もう少し正確さを加えるなら〝魔術師は世界に
話の着地点が分からず首を傾げる私を見て師匠が察しの悪さに苦笑した。この人が時々見せる柔らかい微苦笑は心臓に悪い。外でもそんな表情を迂闊にしているから変な女性に好意を持たれるのではないだろうか……なんて考えていたら、今度は含みのない笑みを浮かべて薄い唇を開いた。
「あんたがやってみたいなら、魔力を感じられるようになる特訓でもしてみる? もしも仮定通り魔力が蓄積しているようであれば、あたしが固定した簡単な座標を教えて、着火や汲水くらいの生活魔法程度なら使えるようになるかもしれないわ」
師匠の紅茶の香りがする溜息交じりの提案に対し、思わず「やります!!」と食い気味に被せたら、綺麗な顔を思いっきり顰めた師匠に「食事は静かにとりなさいよ」と怒られてしまった。
***
魔力操作の基本のキ。自分の持ってる魔力で糸を
──ということで、
汚城での通常業務と、ギルドのお仕事の隙間時間(師匠の気分で決まる)にやって参りました森の中。ここでなら練習していても観衆になりそうなのは魔物か鳥か、好奇心旺盛なレッドドラゴンくらいだし、もしものことがあっても師匠が平らにできるので何の心配もない。
故に当然私の可愛い薬草園とはかなり離れている。まぁ、できれば危ない失敗をしたくはないし、森の生態系を変えるのも駄目なんだけど。魔力の放出量を一定に保つための準備である瞑想を終えたところで、師匠がその美女と見紛う綺麗な顔をこちらに向けた。
「さ、それじゃあ昨日のおさらいから始めるわよ」
「了解です師匠! よろしくお願いします!」
やる気だけは人一倍の返事と挙手の後、指先からそっと引き伸ばした真珠色に輝く魔力の糸を、糸車にかけるようにクルクルと、途切れないように一定の速度を保って巻き取る。
そんな想像をしながら必死で魔力を引き伸ばすものの、こちらの苦労も虚しくそれまで同じ細さだった光の糸は、いきなりドワンとたわんで太くなった。こうなってしまうと集中力が切れたのを誤魔化せない。
「アリア、一旦止めて。また魔力が極太毛糸みたいになってるわよ。絹のレース糸とは言わないから、せめて三本取りの刺繍糸くらいに絞って。あんたの魔力があたしの魔力を蓄積したものなら、そんなに気前良く放出したらあっという間に枯渇するわ」
「はいぃ……!」
すぐに飛んできた師匠の教えに内心無茶なと思いつつ情けない返事をひとつ。目の前にあるたわんだ光の毛糸を引き絞る努力をする。でもこれも駄目だ。上手く魔力糸を撚る感覚が掴めずに乱暴な座標の解釈で引っ張ったそれは、安定するどころか無慈悲に千切れた。直後に小さな破裂音と火花が散る。
パラパラと地面に降り注ぐ光の粒をクオーツが楽しそうに追いかけるけど、不甲斐ない弟子の様子を見ていた師匠は眉間に指先をあてて、悩ましげな溜息をついた。うーん……この顔は卵料理を作ろうとして、卵を爆発させた時と同じだな。物凄く呆れてるね。
「全然駄目。こんなフワッフワな座標見たことないわよ。もう一回分かりやすいように、撚ってある座標を解きながら手本を見せるから、しっかり構築し直すところを観察しなさい」
「は、はひいぃ……!」
二日前に意気揚々と魔法を教わりたいと言った自分を殴りたい。元から全然魔力を持たない、見えない、使えないの三無いなくせに、夢だけ大きく持つなど馬鹿だった。でも疲れで目の焦点が合わない私の頬を、師匠が優しくつねった。
「あんたは座学は問題ないんだから、足りないのは実地訓練。今まで実技に興味なさそうだったから見せてなかったけど、簡単なものでも座標を操るならちょっとの油断が命取りになったりするの。意味が分かって簡略化するのでなく、理解できない部分をすっ飛ばして簡略化したら、座標同士の相性が悪くなって暴発することもあるんだから」
敬愛する師匠にそんなふうに言われて奮い立たない弟子がいようか。否、いない。両目を一度ギュッと閉じてぼやけた視界を仕切り直し、師匠の「ほら、よく見て」という声に目蓋を開き、それまでより強く師匠が紡ぐ魔力の糸に意識を集中させる。
綻びも毛羽立ちも一切ない、術者の持つ魔力によって様々な、この世のどこにも二つとない神秘の糸。元よりクモの糸よりもか細いそれらがさらに解け、光の粒子になり、息を殺して見つめる目の前でそれらは揺蕩って、揺蕩って、するりとまた撚り合わされて一本の糸になる。ああ、でも。
その様子を視るだけで目の奥が痛くなってきた。
駄目だ呼吸をしてたら見えなくなっちゃう。
あそっか呼吸に割く集中力も全部使えば良いのかそれならできそうかも「そこまで」えなんでですかできますよこれくらいししょう。
「そこまでよアリア。今日はもう終わり」
「──……か、ぁ、ふっ、」
「あんたの集中力が高いのはよーく分かったわ。でも今日はここまで」
「や、みえてた、のに、な、んで、とめるん、です、やだやだやだぁ」
「だってあんた今自分が凄い脂汗と鼻血出してるの気付いてないでしょう? あと暴れないの。幼児がえりとか勘弁して頂戴。今更あんたを育て直すのは嫌よ」
「やだったらやだ、じゃましないでぇ」
「邪魔じゃない。師匠としての忠告だ。お前の今の魔力量では無理だと言っている。死にたくなかったら聞き分けろ馬鹿弟子」
まだ見えるのに。まだできるのに。そう訴えようとしたけど、師匠が少し怒ってるのだけ分かって、それ以上の言い訳をしないで口を閉じたら、いきなり鼻を
黙って涙で滲んで
ついでにすぐ傍で「キュー……」と、心配そうなクオーツの声がしたかと思ったら、ベロンと鼻を舐められた。おぉう……これってまさか血の味に飢えてるわけじゃないよね?
「ほら、痩せ我慢してないで休みなさい。特別にこのあたしの膝を貸してあげるから。みっともない鼻血を止めてあげるわ」
黙ってクオーツにベロベロと顔面を舐められていたらそう言われて。気付けば頭の下はしっとりした青草の茂る地面じゃなく、ちゃんと血の通ったものが支えてくれている。普通に考えればご褒美と言える破格の扱いだ。とはいえ──。
「へへ……師匠って綺麗だけど、ちゃんと男の人なんですねぇ。膝かった。寝心地悪ぅい」
「ふぅん、だったら地面にめり込ませてやろうかしら?」
「嘘ですよ、冗談。良い匂いがして安らげます」
「ったく、調子のいい子ねぇ」
呆れた声音で溜息をつきながら、それでも優しく頭を撫でてくれる師匠の掌に擦り寄れば、その指先が私の顔の左側に残る傷痕に触れる。かさぶたよりもやや柔らかい皮膚ではあるけれど、それでも普通の状態の皮膚に触れられるよりも若干感覚が鈍いそこを数回撫でた指先は、
ジン、と目の奥が温かくなったと思った次の瞬間には、喉に落ちてくる不快な鼻血が止まっていた。この程度のことに治癒魔法を使わないでもとは思うものの、普段はない特別扱いにときめくくらいありだろう。
膝に頭を預けたままフーッと深呼吸をすると、師匠が「こうしてるとあんたがチビだった時を思い出すわ」と笑った。はて、どのチビの記憶だろう。
一人で寝るのが怖くて師匠のベッドに潜り込んだ際に、おねしょで大陸地図を描いてしまったことか。もしくは食事のお手伝いをしようとして、台所を前衛芸術みたいにしてしまったことか。畑の雑草を抜くはずが器用に薬草だけ抜いたことか。他にも色々あるけど、どれもかなりやらかした記憶しかない。ここは適当に誤魔化そう。
「んー成程、もうチビじゃないけどまだまだ可愛いってことですか」
「うふふ、このお馬鹿はどれだけ自己肯定力が高いのかしら。限界まで無茶をして倒れる単細胞なところが成長しないって言ってるのよ」
ということは師匠が思い出していた記憶というのは、私が予想してたやらかしではないらしい。まぁ助かったと思うべきかはちょっと微妙だけど。当時からろくなことをしていなかったことだけは確かだな!
「ほほう。私ってば頑張り屋さんですね。もっと褒めてくれても良いですよ」
「会話が通じてない感じがしてがっかりだわ」
「あ、その感覚って毎朝私が師匠に洗濯物の仕分けについて語ってる時に感じるやつです」
鼻血を警戒して横に向けていた顔を真上に向けたら、顔面に無言でクオーツを置かれた。レッドドラゴンのひんやりしたお腹の鱗が火照った肌に気持ち良いけど、多少息苦しくもある。唇を尖らせ一気に息を噴いてブーッと音を鳴らすと、クオーツが「グルルーウゥ」とご機嫌に鳴いてどいてくれた。ふふふ、勝った。
今度こそ視界に師匠の顔をおさめたが、普通下から見上げた顔ってどんな美人でも不細工になるものでは? 何でこんなに隙がないんだろ。本当に人類か?
「こら、いつまで起きてるつもりなの。拝観料取るわよ」
「ひぇ、ご
「残念ながらつかないわね。こちとら一分一秒美が溢れるのを止められないのよ。でもあんたが寝てる間に浴びる分は無料にしといてあげるわ。森林浴でお金は取れないものね」
「わー、さすが師匠。慈悲深い。大自然とタメを張れる
「そうでしょう? 分かったならとっとと寝ろ」
軽口を叩きあう間もサラサラと肌の上を滑る師匠の指の心地良さに、だんだん目蓋を持ち上げているのが難しくなってきた。こんなに硬い膝で眠気を感じるなんてよっぽど疲れたんだなぁ……と、他人事みたいに感じていた耳に柔らかく「おやすみ馬鹿弟子」だなんて。
おお師匠、あなたのことが大好きな弟子を永遠の眠りにつかせるような行為は、ほんと、お止めいただきたく──。
「次に目を覚ましたらダロイオを釣りに行くわよぉ」
前言撤回。夕方まで寝てやり過ごそう。