師匠に言わせれば間違っても実力が屈指なわけではなく、所属している人達の癖が強い厄介さんなのだそうだ。とはいえ時々お小遣い稼ぎをするためにそこに登録している師匠だって、同じ厄介系なのは否定できない。そもそも三年前に初めてここにやって来た時も、元から腐れ縁であると言っていた。

「悪い悪い。ただルーカスの本職の方の依頼じゃないからよ。店に持ち込むわけにもいかなくてな」

「ジーク。あんた本職じゃない方ならあたしが受けないとは思わないわけ?」

「そりゃ思わないこともなかったが、直接聞いた方が早いだろ。それにその分の報酬は弾むぞ」

悪びれずにお金の話を持ち出そうとするジークさんと師匠の間に割り込み、雪かき用のスコップを前に翳して接近禁止の意思表示をする。私がこのド厄介な灰色熊から師匠をオジサン臭……じゃなくて、危険な仕事から守らなければ。

「もう! いつも言ってますけど、危険手当ては報酬の一部になりませんってば。怪我したらそのまま治療費になるんですから。うちの師匠に危ない仕事を持ち込むの止めてくださいよ。あとそのオジサン臭も。あ、ヤバ、言っちゃった」

教会に祀られている七精霊の像よりも綺麗な師匠に傷がつく。そう考えただけで胸が恐怖と不安で痛んだ。勝てる見込みなんてまるでなくても、目の前の灰色熊を相手に雪かきスコップで挑みかかりそうになるほどには。

「おいおいアリア、もうちょっと本音を隠しなさいよ。オジサンの繊細な心が傷ついちまうだろ。それにこの苦みが利いた大人の香りが分からねぇかね」

「苦みは煙草ですね。ジークさん自体は何かこう、煙草とお酒とおつまみの怠惰な生活臭が染み付いた毛布を、洗わないで埃っぽい場所にひと月放置したみたいな臭いがします。第一繊細な人は自分で自分のことを繊細だなんて言わないんですよ。ジークさんのそれは図々しいとか図太いって言うんです」

「ルーカス、お前さんは弟子に悪態のつき方まで教えてるのか? オジサン相手に辛辣しんらつすぎるぞ」

「あら、事実を突きつけるのは悪態に入らないわよ。それになかなか的確に言い当ててるじゃない。どうせまた家に帰らないでギルドのソファーで寝てるんでしょ。女の園に来るなら臭いには気をつけなさいよ」

目の前には眉を顰める灰色熊オジサン、背後には麗しの我が師匠。このまま目的を語らせずにサックリここでお引き取り願えたらおんだと思ったのに──。

「ルーカスが怪我をする心配してんのはアリアくらいだぞ」

「そうね。あたしは怪我するようなヘマしないわ」

せっかくの弟子からの心配を鼻で笑う師匠を振り返れば、傷のない右頬をつねられて「おブスな顔しないの」と言われ、手からスコップを抜き取られてしまった。そんな私をからかうように「愛されてるなー。美形は羨ましいぜ」とのたまう熊。

けれど勢いよく振り返って睨み付ける私の顔を、それとなく師匠がたっぷりとした袖で隠してくれた。たまのこういう保護者っぽさがズルいと思う。

「弟子が師匠を敬愛するなんて普通でしょ。むしろ当然ね。崇めなさい。それより仕事の依頼なんでしょう? 聞くだけ聞いてあげるからさっさと言いなさいよ」

視界を袖に遮られたまま腕を組んで師匠の言葉に賛同して頷くと、顔は見えないもののジークさんは笑ったようだった。

「この間臨時でパーティーを組んでもらったことがあっただろ? そこに所属してた女魔法使いが、またお前さんと組んで仕事がしたいって言い出してな」

ジークさんのその発言に、師匠だけでなく私の眉間にも皺が寄った。これは……間違いなくあれだ。まれにある、見目だけは麗しい師匠にうっかり一目惚れしてしまうやつ。うちの師匠は自分の美しさを誇るし鼻にもかけるけど、かといって見た目の良さに群がってこられるのは嫌いという我儘わがままな人なのだ。

本人は『綺麗に咲いている花が、綺麗に咲いたのなら摘まれて飾られるべきって考えは人の傲慢よ』と言っていたことがある。凡人には分からないけれど、たぶん見目の良さを保つのは誰のためでもなく自分のためだと言いたいのだろう。

「そういうことだったら却下。あの子は風魔法の使い手だったはずよ。同属性のあたしが組んだって無駄じゃないの」

「まぁそう言うだろうとは思ってたが、お前はほぼ全属性使いだろ。回復系の水属性使いが欲しいんだとよ」

「なら水属性の奴をあてがえば? 確かに回復役は人気で人手不足だけど、何も光属性をあてがえって言ってるわけじゃないんだし。火力重視のあんたのギルドにも水属性の魔法使いくらい何人かいるでしょう」

鬱陶しそうに手を振る師匠の言葉に、昔教わった授業の内容を思い出す。魔力持ちはそれだけでも稀少価値があるけれど、その能力値によってさらに細分化されているのだ。最初の授業では子供の私にも分かりやすいように、一週間の精霊王達のお伽話を題材に使ってくれたっけ。

懐かしいな。


波線

かつて人間の住む世界を戯れに創った七人の精霊王がいた。

命の創造に不可欠な光のアルマを筆頭に、

発明を司る火のルミル、

再生を司る水のポーラ、

実りを司る木のザキア、

発展を司る金のシスル、

芽吹を司る土のイクタ、

清浄を司る風のテクス。

彼等彼女等はそれぞれ数多の眷族を従え、自らが統治する精霊界という閉じた世界を持っていたが、時の流れの止まった精霊界は精霊の王達には退屈すぎた。

ある時誰かが〝戯れに創った外界、我等の箱庭たる人間界を覗いてみてはどうだろう。かの世界に介入し、庭の手入れをしてみては〟と言い出した。

七人の王達はそれに頷き世界の狭間に人間界を覗き見られる湖を造った。

思いつきで始まったこの集まりはそののち精霊王達の娯楽となり、こうして人間界には災害と戦乱と平和が生まれたとされている。

波線


──だったかな、うん。精霊王達がかなり傍迷惑な存在なんだなと思った記憶よ。

確か……魔法使いは火水土金風のいずれかの魔力を法に則って行使できる。市井しせいの者から貴族の者まで魔力の片鱗があればこう呼ばれて、平民なら大体そのまま我流で魔法を使うけど、貴族は大抵王都やそれに準ずる大都市に出て魔法学園に入学するか、魔術師ないし魔導師に師事する──だったはず。

次に師匠の肩書きである魔術師は、先の五属性の中で二種から三種の魔力を自分なりの解釈に則った術式に置き換えて行使できる。研究者肌が多い魔法使いの上位互換で、魔導師まであと一歩の人達だ。けれど自由に研究できる時間が減るのでここで留まる人も多い。

最後に頂点に立つのが魔導師。魔術師の上位互換で五属性に加え、光ないし闇の魔力を術式に置き換えて行使できる。

ここまで上り詰めてしまうと、国の資源として登録する義務が出てくる。戦争が起こったりすると徴兵までされてしまう代わりに、それなりに権力も持たせてもらえるのだとか。

うんうん。教えてもらったことを全部憶えていて偉いぞ私と、自分を褒めつつ意識を二人の会話に戻せば──……。

「そう言って一度は断ったんだがなー、どうにも諦めが悪くて。身辺調査をしてみたら案の定、身分証は偽物。腕試しがしたかったお貴族様の娘だったらしい。睨まれたら面倒なんだよ」

「素直に言えば良いってもんじゃないのよ。今は特にお金に困ってもないし、お断り。適当に顔の良い魔法使いか魔術師でもあてがってやれば、そのうち熱も冷めるわ。話がそれだけならもう帰って。あたし達は今から夕飯の支度があるのよ」

──残念なことに二人はまだ揉めている真っ最中だった。しかも何だか会話内容も、離婚した夫が突然娘と暮らしてる妻の家に来たみたいなことになってる。でも私は師匠の味方しかするつもりもないので、早々にお引き取り願おうと口を開きかけたその時。

「あー、じゃあ分かった。この件はもう諦めてオレの方から先方に伝えておく。それで次の依頼話なんだがな、アリア、お前さんうちのギルドの掃除婦として雇われてみる気はないか? 確かお前さんも今年で十八だろ。いつまでも引き籠もってると、ここを出ることになった時に世間とのズレに苦労するぞ」

いきなりこっちに向いた話題の内容に驚いて、迂闊に〝はい?〟と返事をする前に師匠に口を塞がれてしまった。

***

まだ街の借家に繋げる前の朝の工房。

その工房の隅、お客の目につかない棚の陰に描かれた複雑な魔法陣を前にして、師匠が眉間の皺を深くする。今朝もやっぱり靴下を生き別れにさせていた人物の苦悩の表情に、こちらも溜飲が下がる思いだ。

「もう一回聞くけど、本当に行く気なのね?」

「はい。私だって前々から生活費を少しくらいは入れたいと思っていたので。それよりも師匠を早起きさせてしまってすみません。でも朝食なんて昨日の残り物で充分だから、わざわざ作ってくれなくても大丈夫ですよ?」

「あたしは別に早起きは苦にならないし、料理は趣味だから良いわよ。作ってる最中に新しい術式を思い付いたりすることもあるもの。でもあたしが起きないと、あんたじゃこの魔法陣を動かせないでしょう」

「へへ、まぁそうなんですけど」

明らかに気乗りがしていない師匠の声に苦笑しつつ頷く。かぶっているフードを弄っていたら「しっかりかぶりなさい」と怒られた。口調ほど怒っていないのが分かる分こそばゆい。

普通に考えて職場まで直通の空間転移魔法を弟子のために使う魔術師は、恐らくそうそういるものではないと思う。

ギルドが開く前の早朝の仕事だから街の人も少ないし、顔の傷を気にする私でも工房からギルドまでの道程くらいは大丈夫なのに。意外と師匠は過保護だ。嬉しいから敢えて指摘はしないけど。

「あんたに生活費をせびるほどあたしの稼ぎは少なくないのよ? それに改めて言うことでもないけど、あたしは今まであんたに賃金を払ったことなんてないでしょう? 実質タダ働き。だからあんたも生活費を入れるとか考える必要はないの」

「それはこの五日間、何度も聞きましたってば。第一タダ働きとか言ったって、衣食住はお世話になりっぱなしですし。今更ですけどその分の補填をしようっていう弟子心です。勿論ギルドでの朝の清掃が終わればすぐに城に戻って仕事しますよ」

外に仕事に出るからといって、普段の城での仕事を疎かにするつもりはない。実際今朝はいつもより二時間早く起きて働いた。帰ってきてからでも充分残りの仕事を終わらせることは可能だ。たぶん。

籠にぶちこむ分別収納に不可能はない。また時間を見つけて乾燥させてあるナキタの蔓で新しく編もう。

でもまだ納得できないのか、師匠は眉間に皺を刻んだままこの間完成した春の新色、フェニアピンクの口紅で淡く色付く唇をなぞる。因みにフェニアは肉食バリバリの食魔植物だけど色可愛い。

「……食と住はともかく、あんたの衣にはほとんどお金を使ってないわ。だってあんた全然お洒落に興味ないんだもの。ジークの言ってた引きこもり云々うんぬんよりも、あたしの弟子でありながら女子力が皆無なことの方が心配だわ」

「そこはほら、適材適所ってやつですよ師匠~」

なんて笑って誤魔化したところで、師匠は気付いているに違いない。全身に火膨れのようなものができていた七年前の私には、たとえ綺麗に治ったところで、未だに普通の女の子達みたいに着飾る勇気なんてないのだ。

それに今回だけは毎回厄介事しか持ち込まないジークさんの話も悪くなかった。賃金は日払い制。働いて得た初報酬を師匠に手渡すことを考えるだけで、今からにやけてしまう。

「それよりも師匠、そろそろ魔法陣を起動して転移させてください。でないと初日から遅刻しちゃいますよ」

お願いしますと駄目押しの言葉をかけると、師匠は不承不承ふしょうぶしょうといった様子で頷いて、短く詠唱のようなものを唱えた。魔術師の詠唱は魔法使いの詠唱と違って聞き取れない。それは各々の構築した言葉の形であるからだ。

師匠の詠唱はランプの灯りを隙間風で少し揺らすくらいにささやかで、眠りに落ちる間際に聞く本の読み聞かせに似ている。大好きな声。大好きな詠唱。聞き惚れている間にも、私の足許で雪の結晶を幾つも重ねたような魔法陣が淡く輝いて。

──次の瞬間にはもう、初めて見る建物の中だった。

まだ魔法陣が光っているうちに慌てて持ってきた手提げ籠からランプを取り出し、真っ暗になる前に芯へとマッチの火を点す。魔法陣の淡い輝きが失われると、ランプの灯りで照らし出された埃っぽい室内が浮かび上がった。

「……流石師匠、ちょうど見えにくいところに描いてくれてる」

ギルド奥の通路に通じているらしき廊下の衝立と掃除用具入れの間。普通なら誰も用事のない、わざわざ入って来ないと見えないような場所だ。そしてわざわざ誰も入ってきていないのだろうなと思わせる、掃除道具類の埃の積もりっぷり。

早速ランプを手にギルドのエントランスとホールを見て回る。何かを零した跡や、破り捨てられた依頼の紙、食べかけの色んな物、壊れた武器や破れたり血で汚れた服の切れ端などなど。確かに掃除は必要そうだ。でも──。

「ここを掃除してお金がもらえるって、そこそこ割の良いお仕事かも」

何せ、床が見えている。毎日の掃除量を考えればこの程度の汚部屋は敵ではない。俄然やる気が湧いてきた。ランプを掲げて柱時計を見たら現在時刻は六時ちょうど。ギルドが開くのは九時だ。

二時間の掃除時間を設けてもらっているので、八時にはキリの良いところまで片付けておかないといけない。報酬はその時間に出勤して来るジークさんから直接もらえることになっていて、帰りの魔法陣は終了時間通りに師匠が開いておいてくれる寸法だ。

「よっし、取り敢えずやりますか!」

興奮をし殺してやる気を出すために両頬を叩いてエプロンの裾を翻す。穂先の痩せたホウキとデッキブラシを駆使してホールを走り回り、適当な空き箱を発掘してゴミを分別する。

時々は時計を気にしつつも、掃除をしている傍から新たな腐海を生み出す人がいないので、作業はサクサクと進んでいった。それこそちょっと物足りない気分になるくらいには順調。あの環境に訓練され過ぎたのかもしれない。

最後に雑巾で床を磨き上げたところで裏口の鍵がカチリと音を立てて。そこからまだ眠そうなジークさんが現れた。

「おはようございます、ジークさん! 今日の分のお給金ください!」

「おう、おはようさんアリア。そんでもって金の請求が早いな。オジサンはそういう子、嫌いじゃないぞー」

「別にジークさんに好かれたい気は微塵もないので、お金ください!」

「本当に清々しいなー……この磨き尽くされた部屋もお前も。ほら、これが今日の手当てだ。中の金額をしっかり確認してくれよー」

小さな革袋を取り出したジークさんの手からそれを受け取り、震える手で中身を確認する。小銀貨が三枚と大銅貨が一枚。この程度の働きでこんなにもらえるとは思っていなかったので、嬉しくて頬が緩んだ。

けれどそんな私の横で朝の光が入り込むホールを見回していたジークさんが、不意に唸るのが聞こえた。働きに見合わず支払いが多すぎたことに気付かれたのだろうかと思い、慌ててお給金の入った革袋をふところにしまいこんで振り返る。

「えっと……どこかまだ磨き足りませんでしたか? でも、気合いはちゃんと入れたんです! ただその、足りなかったら明日はもっと念入りに掃除するので、今日のところはご勘弁を──」

願えませんかと続けようとしたら、顎鬚を撫でていたジークさんがこちらを振り返って驚いたように目を見開いた。

「あん? いや、違う違う、その逆だ逆」

「逆?」

「そう逆だ。お前な、一日で磨き上げすぎなんだよ。初日の二時間でこんなにピッカピカにされちまったら、給金の額に働きが見合わんだろ」

「これくらいで大袈裟ですよ」

「大袈裟なわけあるか。あーもー、これだから引きこもりはよー。優しいオジサンの心配が早速大当たりじゃねぇか」

「心配しなくてもジークさんは言うほど優しくないですよ」

「おっとー……そこか、今そこに食いつくのか。本当に師弟揃って容赦がない口の悪さだなお前らは」

まだ続きそうな不満の言葉を「説明は簡潔にお願いします」とぶった切ると、彼は溜息交じりに眉間を揉みながら「初仕事の時の能力ってのは、小出しにするもんなんだよ。でないと次から面倒な仕事を任されるし、仕事も一回きりで稼ぎに見合わん。憶えとけ」と言われた。

咄嗟に〝貴男あなたがそれを言う?〟と口にしそうになったけど、何とか心に留め置いて。いただいたお給金にさらに小銀貨を三枚追加してもらった。でもその苦言通りに組まれた次の勤務日は覆らず。せっかくの割の良いお仕事は四日後になってしまったのだった。