ふおっ!

 何やら、不吉な感じがするのはなんだろう。

 心臓の奥がもやもやっとする。

 武装したコウさんは笑った。深い笑い皺が、普段から笑顔を見せる人だというのがわかる。

「どうやら騎士たちが戻るには少し時間がかかるようです。奥様たちにはしばらく避難所にいていただくことになるかもしれません」

「え? スタンピードになったの?」

 コウさんが首を横に振った。

「少し、領都の外で数が増えてるようです」

「少し……? 大丈夫なの?」

「一つずつの魔物はそれほど脅威ではないですし、騎士も冒険者も問題なく討伐可能です。が、どうにもあちこちで忙しく現れているようで、領都へ戻ってくるのは遅れそうです」

 そうなんだ。

 この胸騒ぎはなんだろう。これからスタンピードが起きるかもしれないって予感みたいなもの?

 でも、コウさんは大したことはないと笑っている。怪我で引退したとはいえ、騎士団長まで務めた人なんだから、私よりも状態を把握してるんだよね? そのコウさんが大丈夫だと言うなら大丈夫なんだろう。

「領都は我々みたいな者が残っているので安心してください。私の前の騎士団長も、まだまだ街に侵入した雑魚魔物に後れをとるようなことはありませんよ。とはいえ、街の様子も気になりますし、避難の手助けをしながら様子を確認してきますよ。奥様は屋敷にいれば大丈夫ですから。少し時間がかかるといっても、アルフレッド様も数日もすれば戻っていらっしゃいます」

 アルフレッド様の名前にぐっと心臓をつかまれる。

 そうだ。旦那様も前線に出ているということだ。

 無事に戻ってくるだろうか。もし、万が一のことがあったら……領地はどうなるの?

 新しい領主が来る?

 私はすぐに出ていくことになる?

 違う、私のことはどうでもいい。アルフレッド様のおかげで領地がずいぶんよくなったと言っていた。新しい領主がきたら、領民たちの生活はどうなっちゃうの?

 だめだよ、旦那様。絶対に無事に戻ってこなくちゃ。

 みんなに必要とされているんだから!

 愛されることはないし、離婚されることになってるし、顔も見せてくれないし、一回会っただけだし……。

 それでも、ほかの人から聞くアルフレッド様の話に、いろいろな気遣いに……。

 形ばかりの、いいえ、形ですら整っていない夫だけれど……。

 私は確かにアルフレッド様に情が湧いている。死んでほしくない。死なないで。

 ぎゅっと両手を握りしめ、足を引きずりながら立ち去るコウさんの背中を見つめていた。

 恋愛感情だけが情じゃない。友情も少し違う。

 相棒……?

 公爵と公爵夫人という立場の相棒としての情だろうか? ううん、名前なんてどうだっていい。

 無事に帰ってきたときに、笑顔で迎えられるようにしなければ。

 領都の外を守るのが旦那様の仕事なら、相棒である私の仕事は領都の留守を守ることだ。

 すぐに、調理場へと向かう。向かう途中に姿を見かけた使用人に集まるように声をかけた。

 調理場の隣、使用人が食事をとる場所に多くの人が集まってくれた。

 私がここに来てすぐのころに、悪く噂していた使用人も集まってくれている。いやいや集合した顔をしている者は一人もいない。

 受け入れてもらえたの? ううん、うぬぼれてはいけない。

 非常時だからだ。

「魔物が領都内に侵入したそうです。領民たちは避難を開始しています。屋敷の地下の避難所にも領民が集まっています。騎士団の訓練所の小屋で仕事をしていた人の話では」

「元騎士団長のコウさんのことか?」

 そうか。皆私よりもずっと長く屋敷にいるんだから知っているか。

「そう、コウさんがスタンピードではないけれど、領都の外で現れる魔物たちの数が多く討伐には数日かかりそうだと。騎士たちが領都にもどるまで少し時間がかかるかもしれないという話で」

 料理長がすぐに頷いた。

「なるほど。わかりました。屋敷の地下に避難した人は運がいい。食事の用意をしましょう。屋敷の敷地の中まで魔物が侵入することはないでしょう。地下にこもって生活する必要はありませんから、調理場が使えます」

「ほかの避難所は?」

 ギルドの地下室を思い出す。食べ物はあるのかな?

「一日二日であれば避難するときに持ち込んだそれぞれの食べ物を分け合います。避難するときにすぐに持ち出せる袋に用意していますよ」

 日本で地震が起きた時に持ち出せる緊急なんちゃら袋みたいなのが、ここでは魔物が出たとき用に準備されているのか。

「もっと長く避難所で生活しなければならないことになれば、避難所に備蓄してある非常食を食べて過ごすことになります」

 丁寧に使用人が説明してくれる。

 何も知らないと馬鹿にされないことにほっとする。

「塩辛い干し肉に、小麦粉を水で練って焼いただけのかたいパンとも言えないパン……ううう、本当屋敷の地下室に避難した人はあれを食べなくていいのは運がいい」

 非常食の種類はそれだけ? 普段から贅沢できない生活しているのだからそんなものなのかな?

 飢えはしのげても栄養面が心配になる。ビタミン不足とかで脚気とか。あとで非常食の見直しをしなければ。

「では、アルフレッド様が帰還するまで、お願いします」

 あとは何か私ができることってあるんだろうか?

 避難所はもともと避難所として使っていたというか、アルフレッド様が領主になる前には数年に一度は長期間滞在したりしてたという人も多く、勝手は私なんかよりもよく知っている。

 私とマーサは、公爵夫人部屋のクローゼットから、地下の公爵夫人部屋へ出てから、廊下を通って皆が避難している場所に出るようになっている。

 ほかの使用人は、使用人通路から地下へ下りる階段があって、そこから地下の使用人通路に出てから広間に行くらしい。

 広間は敷地の外、門番が立っているところの出入口と、もう一つ出入口があった。

 屋敷の敷地内にあるだだっ広い庭に通じている。

 ……庭というか、やはりいざというときに避難してきた人が使う場所のようだ。

 今は開放されていない。

 通常あそこが開放されるときは、騎士たちが敷地内にいるときらしい。

 安全が確保されないから今は閉鎖。

「なんだね、掃除かい? 手伝うよ」

「偉いね、小さいのにお掃除してくれたのかい?」

 掃除のために集まった人のほかにも街の人たちが避難してきていた。主に老人と子供だ。

 体力がある人は、まだ避難するまでもないと判断したのか、避難が困難な人を手助けしているのか。

「大丈夫大丈夫、うちの息子も街で魔物を倒してるからねぇ」

「父ちゃん、ホーンラビット二匹倒したんだ! 僕も探すのを手伝ったんだ。けど、魔物は物陰に隠れていて突然飛び出してきて危ないから避難しろって」

「頼りになる父ちゃんだなぁ。ワシももう少し若いころはクワで魔物を倒せたもんじゃが……」

 雑巾で床をこすりながらおじいちゃんが子供と会話を続けている。

「クワ? じいちゃん、畑を耕してんのか?」

 別の子供が会話に割り込む。

「そうじゃよ、土属性だから、ぼこぼこぼこと魔法ですぐじゃ!」

 男の子がすぐに笑った。

「うっそだぁ! だって土魔法で耕すっていっても、せいぜい畑半分って聞いたぞ。それに石や雑草は手作業じゃないと取り除けないって」

 おじいさんがふおふおふおと笑う。

 隣にいたおばあさんも笑った。

「爺さんはね、魔力が多いんだよ。それから、魔法の使い方がうまいの」

 おじいさんを自慢するように話をするおばあさん。二人は夫婦なんだろうか?

「じゃあ、なんで農夫なんだ? 大した魔法が使えないから、戦えなくて農夫になったんじゃないのか?」

 子供は、おじいさんを馬鹿にするというわけではなく、単に疑問に思ったから聞いたようだ。

「うむ、君は何属性なんだ?」

「……土……だから将来は農家の家を継げって……。本当は、騎士になりたいけど……」

 おじいさんが笑った。

「ははは、ワシらの息子も土属性じゃが、騎士になったぞ」

「そうね、毎日頑張って体を鍛えて、絶対に騎士になるんだって……。手にいっぱい豆を作っておった」

 あ、やっぱり二人は老夫婦だった。

「そうじゃ、騎士入団試験を受ける年齢のころには、長年毎日クワを持つワシの手よりも、かたくなっておった。息子はどれほど毎日鍛錬しておったんじゃろうな……」

 男の子が自分の手を見た。

「僕……」

「ふむふむ、豆はできておったが、ずいぶん柔らかくなっておるのぉ。もしかしたら、属性が土だとわかってあきらめてしまったかの?」

 ふふっとおばあさんが優しく笑った。

 そしておじいさんの手から雑巾を受け取ると、バケツの中に入れてきれいにしてからかたく絞る。

「土属性だと、憧れの騎士になっても働きは地味だものね。息子もはじめは理想と現実とのギャップにショックを受けていたわね。でもね、個人でどれだけ武勇を立てるより、騎士団の一人として役に立つことが大切だってある時気が付いたみたいなのよ」

 子供が首をかしげる。

 一緒に話を聞いていた私も首をかしげる。

「あはは、簡単なことじゃ。何頭の魔物を倒したかより、何人の命を救ったかのほうが大事じゃろ?」

 子供の目が輝いた。

「魔物の意識を逸らしたり、目つぶしに使ったり、身を隠すための穴を掘ったりと……魔物を倒す力がない土魔法じゃが、いくらでも命は救える」

 おじいさんの言葉に、おばあさんが笑った。

「ふふふ、そろそろ種明かししてあげたら?」

 種明かし?

 子供と一緒に首をかしげる。

「おじいさんはね、昔、騎士だったの。副団長にまでなったのよ?」

「え?」

 ってことは、先ほどからちょっと気になっていた、雑巾で床をふくときに盛り上がっていたあの腕の筋肉は……クワを持つ前に剣を持って鍛えられた筋肉……。実は今も鍛錬を続けていたり? いや、むしろ本当は土魔法で耕せちゃうけどあえてクワをもって鍛えているとかっていう説も出てきたよ?

 名探偵アリス爆誕!

「まぁそういうことじゃ。土属性でも騎士になれるし、活躍もできる。そうして、騎士として戦えなくなってから畑を耕せばええんじゃ」

 がははとおじいさんが笑った。

 そっか。怪我で引退するばかりじゃないよね。年齢的なことで騎士をやめることもあるよね。

「第二の人生かぁ……」

 定年退職してから第二の人生を歩むとかそういう話ではなく、スポーツ選手のように、働き盛りの年齢でも選手としては活躍できなくて第二の人生を歩み始める……そんな感じなんだね。騎士とか。

「そろそろ息子に後を任せようと思っていたんだけどね……息子も年齢的にも引退しようかと言っていたのに……急にまだまだ俺はやれると言い出して……」

「がはは、なんでも公爵夫人のリリアリス様のせいだそうじゃよ」

 えええ!

 私、私が何かしちゃった?

 立派な筋肉ね! まだまだ見ていたいから、引退しないで! お願い! なんて誰にもすがったりしてないよ?

 目で訴えたりもしてないよ?

 あ、それとも……「リリアリス様ファンクラブを作った!」とか、そっち系? やだぁ! もてちゃってる? 息子さん独身かしら? 私、三年後に公爵夫人を引退予定なんだけど……。

「俺の嫁だ」

 脳裏にレッドの顔が思い浮かぶ。

 ……レッドの嫁になった記憶はないけど、あれって……まさか……。レッドは私を嫁にしたいっていうこと?

 バクバクと急に心臓が激しく波打つ。

 いや、まさか……ね?

 筋肉は愛でるもので……。だから、あの、筋肉に愛される必要はなくて……。推しは恋愛とは違って……。

 推し?

 あれ? 「俺の嫁」って推しに対する有名なセリフじゃないのよ。むしろ、現実に俺の嫁なんて単語聞いたことないよねぇ。

 っていうか、結婚してない相手を「俺の嫁」なんて推し活以外で言おうものなら、警察か病院にご相談案件だわ。

 もしかしたら、新人冒険者として期待してアリスを推してくれてるのかもしれない!

 なぁんだ、そっか。レッドってば私に期待してるのか!

 期待を裏切るようなことはできないわね。頑張るわよっ! ……って、何を?

「石鏃といったかの。新しい土魔法を使えるようになって、まだまだ戦えると。……まだ、たくさんの人を守れると張り切っておる」

「そうなのよ、引退なんて考えてたのがうそのようで。孫の顔もまだ見られそうにないわ。困ったものね」

 って、石鏃? それ、リリアリス関係ないのでは? よく知らない単語なんですけど……。

「ワシも、十年前に知っていれば」

「十年前にはもう引退していたでしょう?」

「はは、そうじゃった、そうじゃった」

 なんだか知らない間に、公爵夫人リリアリスの噂が変な感じで広がってない? 大丈夫?

 心配になってきた。

「じいちゃん、石鏃ってどういうんだ?」

 おじいさんがうーんと首をひねった。

「やじりじゃよ。息子の話だと石でできたやじり、それを石鏃というんじゃが、それを飛ばすとか言ったかの」

「あ、それ、見たことある! 兄ちゃんが練習してた。土属性すげーよな」

「なぁあぁ、どんなだ?」

「えっと」

「うーん、こうか?」

 ドゴンと、鈍い音が響く。

「ばかもんっ! 避難所で魔法を使うやつがあるか! 使っていい魔法は、必要な魔法だけじゃっ!」

 子供が頭を押さえている。

 そりゃそうだよねぇ。水を出す魔法は使ってもいいけど、水球飛ばされたらあちこちびしょびしょになって困るし。

 でも、子供たちは今聞いた魔法が使ってみたくてそわそわしている。

「騎士の訓練所が使えればええんじゃが……。相談してみるかの?」

「あ、それなら私が聞いてきます! 今はえーっと、公爵様もいらっしゃいませんので、確認は公爵夫人ですよね? 女同士のほうが早いので!」

 私が駆け出すと、マーサが後を追ってきた。

 マーサが一応リリアリス側との取次というていで、屋敷とつながる通路の扉を開けたりしてくれる。

 茶番だ。でも大事。

「ねぇマーサ、訓練所使わせてもいいと思う?」

「……アルフレッド様は好きに過ごせばいいと言っておりましたので、何をしてもとがめられることはないとは思います」

 そうよね。

「問題は、外に出た者たちの見張り役がいないということでしょう」

「あ、それなら問題ないわ!」

 ポンッと手を打つと、マーサがはてなを飛ばした。

「許可が取れたわ。騎士団の訓練所使っていいって」

 おじいさんが疑いのまなざしを向ける。

「ずいぶん早く許可が取れたんじゃな? ちゃんと説明はしたんじゃろうな?」

 早く帰ってきすぎたかな? だって、相談しましょそうしましょ、脳内で一分かからないんだもん。リリアリスとアリスはツーカー通り越してるから。って、同一人物ですし。

「利用許可には条件があって、えーっと、おじいさん元副団長なんですよね? だったら、いろいろ訓練所のことも知っているだろうから、監視役やってくれるなら、魔法訓練のために騎士団の訓練所を使っていいと……リリアリス様が……」

 おじいさんがふっと笑った。

「ああ、ワシのこともリリアリス様に伝えてくれたのか。なら……そうじゃな。引き受けよう」

 おじいさんが立ち上がり、広場の中を見回し、すぐにハリのある声を出した。

「マーク、ジョーイ、フレール、ドルー、将来の騎士を目指す子供たちに魔法訓練だ! 訓練所に集合!」

 名前を呼ばれた老人たちが立ち上がり、現役の騎士のように、片腕を背に、もう片腕を胸に当てて返事をした。

 くっ。かっこよすぎる。年をとっても、昔取った杵柄なやつ、みんなおなかが出たりしてないよ。きっと魔物の襲来したときに少しでも戦力になればと鍛え続けてるんだ。萌える!

 本当かっこよすぎて、筋肉は裏切らないっていうか、鍛えた筋肉を維持している人は裏切らない!

「魔法訓練を希望する者は、ついてこい」

 子供たちがわーっと沸き立つ。すぐにでもおじいさんのもとに駆け出そうとする子供たちを強い声で制した。

「ただし、一緒に避難してきた大人の許可を取ってからだ」

 ぴたりと子供たちの動きが止まる。

「遊びではない。ここにいるよりも、外に出れば危険度が増す。また、騎士になるということは一番危険な場所に向かうということだ。覚悟がないものは足手まといになるだけだと心得よ」

 うっ。簡単に許可を出してしまったけれど、そうだよ。いくら屋敷の敷地内なら大丈夫だと言われたって、避難所の中よりは少しは危険なんだよね。

 それに、魔法の訓練をして、浮かれて魔物をやっつけられるなんて思った子供が一番危ない。

 調子にのって俺は強いんだと剣をもって死にかけたところを、チートな普段は目立たない主人公が助けるなんて物語の定番だよね。

 静かななか、十代半ばの女の子が手を挙げた。

「私も、参加してもいいですか?」

 おじいさんが首をかしげる。

「私は騎士にはなりません。水属性です。水属性でも戦い方があると聞きました。いざというときに身を守れるようになりたいです」

 その言葉に、屋敷の侍女が手を上げる。

「指導は私がしましょう」

 おじいさんが目を丸くした。

「もしかしたら、お前さんが副団長と勝負して勝ったという侍女か?」

 侍女がにこりと笑った。

「私が勝てたのはリリアリス様のおかげです」

 待って、待って、私は何もしていない!

 今の副団長ってどの人だかもわからないよ? 私が倒したことがあるのは、光魔法を馬鹿にしていた下っ端みたいなやつらだけだよ? 不意をついて膝カックンしただけだよ? まだ「控えおろう、私をどなたと心得る! 膝をつけ~!」っていう最終手段は使ってないよっ。

「私は光属性魔法の練習がしたいの……月光でも日光でもない魔法があると耳にしたけれど……」

 あ、それなら私の出番だ!

「私が教えます! リリアリス様直伝の魔法を! この子たちと一緒に!」

 サラが手を挙げた。

 え? 私の、出番……。

 マルティナちゃんが手を挙げた。

「火光が使えるようになれば、火を怖がる魔物の魔物除けになります。それから、日光のように明るくて月光のように長持ちするLEDの練習をするということでよろしいでしょうか」

「光魔法は危険がないから、中で練習できるよな」

「むしろ、外は明るくて光が見にくいから中のほうが練習しやすいよな」

 あれ? 子供たちと練習したいという人たちが移動を始める。

 子供のひとりが、振り返って胸をたたいた。

「任せてよ、アリス姉ちゃん!」

「大丈夫、虹の危険なやつはやらないから!」

 ばいばいと手を振られてしまった。

 え? あれ?

 残ったのはまだ属性がわからない小さな子供たちと、魔法の訓練には興味がない人たち。いや、興味がないのではなくて、今の話に出てこなかった風属性とか? 火属性とか?

 で、私は何をすれば……?

 掃除は続けてくれている人もいる。小さな子の面倒を見てくれている人もいる。

 それから、家から持ち込んだであろう内職をしている人もいる。

 皆、それぞれ何かをしていて、私があれしましょうこれしましょうという雰囲気でもない。

 と、なれば……。

 することは一つでしょう。

 爺マッチョを堪能しに……じゃない、違う違う!

 騎士団の訓練所が適正に使われているのか、公爵夫人として確認する必要が、ですね……。ですね……。

 と、いうわけで。おじいさんたちが出て行った通路に向かうと、私の後ろにおばあさんがぴたりとついた。

 ああ、おじいさんの勇姿を見たいのね。仲の良いご夫婦だわ……なんて思っていたら。

 私の耳元でささやきを始める。

「私はかつてマーサの教育も行った公爵家の侍女長だったんですよ」

 そうなんだぁ。

 ってことは、元騎士団の副団長と出会ったのは公爵家のこのお屋敷で、職場結婚っていうやつ?

 なんて、ロマンスを想像してほっこりしてたら……。

「リリアリス様、事情はすべてマーサから聞いております。マーサが冒険者であるアリスとともに行動するのは不自然でしょうから、私が侍女代理としてお供させてもらいます」

 ひぃっ!

 そんなロマンス的なこととかでなく、侍女代理! いや、たぶん監視役……もしくは教育係……。

 マ、マーサ……。

「王都からアシュラーン王国に嫁いできて日も浅く、わからないことも多いでしょう。なんでもお尋ねください」

 にこりと微笑むおばあさんの目元にも深い笑い皺が刻まれている。

「あの、幸せですか?」

 思わず口に出た言葉に、ハッとする。

 なんでもお尋ねくださいって、そういうことじゃないってわかってるのに……。きれいな笑い皺があって、眉根に皺はない顔を見て思わず……。

 侯爵家の使用人は笑い皺よりも眉根や額の皺が目立っていた。顔をしかめることが多いのだろう。

「ふふっ、そうね。王都に比べて、生きていくだけでも厳しい土地だから不思議でしょうね。でも幸せなのよ」

 おばあさんと避難所に続く通路から出ると、青空が広がっていた。

「こうして、青空を見られるだけで幸せを感じるの」

 おばあさんが私を見た。

「それをね、愛する人と一緒に見られたら、もうほかに何もいらない……」

 愛する人。

「──と、思っていたけれどねぇ、人っていうのは欲張りなもので、今は、早く孫の顔が見たくてねぇ」

 あ……。確かリリアリス様のせいで引退して結婚するつもりだった息子さんが引退する気がなくなった……って。それって、私のせいで孫の顔を見るのが遠のいたと……。

 うひぃー! ごめんなさいっ。

「それから、領地の子供たちが皆おなか一杯食べて満足気な顔も見てみたい、マーサたち使用人が目を輝かせて張り切る顔も見たい、あとは、もう一度主人がかっこよく剣を振る姿を見てみたい」

 話をしながら騎士の訓練所に進むと、魔法の訓練に交じって剣の訓練も始まっていた。

「ふふ、全部、リリアリス様が叶えてくれましたよ」

 嬉しそうにおばあさんが笑う。

「あとは、アルフレッド様が幸せになる姿が見たいのよ」

 おばあさんはそこまで話すと、パッと声色を変えた。

「さぁ、アリスさん、訓練で男たちが馬鹿なことをしないか、見に行きましょうか」

 年の割にかくしゃくと歩き始めたおばあさんの後を追う。

 はーい! 爺マッチョ見にいきまあぁーす!

「それもリリアリス様が叶えてくれると嬉しいわ」

 と、つぶやいていたのは浮かれる私の耳には届かなかった。


 爺マッチョ戦隊元騎士団のおじいちゃんたち五人は魔法訓練にと来たはずなのに、嬉々として剣を手に取り、子供たちに握り方から振り方までを丁寧に指導していた。もしかして老騎士隊のメンバーなのかな?

 水魔法の訓練をしている人は、的を前に水を飛ばしている。

「あら? 水が赤いのね?」

 おばあさん……名前をアンナさんというらしい……が、水魔法の指導をしている侍女のもとへと近づいた。

 マーサよりも若い侍女はアンナさんと面識はないのかな?

「はい。目で見て成功したかどうかわかりやすいので」

「成功? 水が出れば成功ではないの?」

「リリアリス様に教えていただいたんです。この赤いのはマヒ毒の代わりです。指先にこうしてマヒ毒をつけてから、その指先から水球を魔物の口元へ向けて放ちます」

 侍女が【水球】と呪文を唱え、赤い色素を含んだ水球が的に向かって飛んで行った。

 的の少し下に赤い水がはじける。

「あら、まぁ……これなら剣を振る力がなくても、魔物の動きを止めることができるのね……」

 と、すぐに練習用の赤い色素を指につけて、アンナさんが魔法を発動する。

 けれど、バシャリと水は足元に落ちた。

 何度か試すも、アンナさんが水球を前に飛ばすことはできないでいた。

「ばあさんも無理だったか、ワシもじゃ。土属性の新しい魔法だという石鏃を使おうと思ったんじゃが……年寄りは頭が固くてだめじゃの、新しい魔法が覚えられん」

 服の裾で額の汗をふきながらおじいさんが来た。

 腹筋っ! ちょっとしわしわの皮膚におおわれた立派な腹筋っ、これが爺マッチョっ!

 え、何? 完璧なシックスパック……でも皺が……なにこの、不思議なって、もう服で隠れちゃったわ。

「それに引き替え子供たちはもう使えるようになったみたいじゃ。使えるようになったら今度は剣を教えてくれじゃと」

 なるほど。そういう経緯で剣の訓練もしてたのか。

「【石鏃】っ」

 スパーンと小石が飛んで行って的に当たる。小石じゃないのか、石の矢じりって言ってたから、三角の形ってことだよね。

 ふええ、魔法で形まで作るのは大変……なのでは? いや、イメージだっけ。イメージ力があれば何とかなる? 実際に石の矢じりを見てイメージすれば大丈夫なのかな?

 などと、ごちゃごちゃ考えていると使用人の一人が大慌てで、スカートを翻してかけてきた。

「大変です、魔物が、ま、魔物がっ!」

 はぁはぁと息を切らして片手に縫いかけの布、もう片方の手には糸のついた針を持ったまま走ってきたようだ。

「魔物が? 落ち着きなさい、魔物が、どうしたのです?」

 ま、魔物? と内心パニックになりかけていたけれど、アンナさんが少し低めの声で通常よりゆっくりと尋ねたことで使用人の気持ちも少し落ち着いたようだ。

 こちら側も慌てた声を出すと余計にパニックになっていたかもしれない。さすが元侍女長といったところだろうか。対応が完璧なのでは。

 頼りになりすぎる。

「裏門の外に姿が見え始めているということです。城壁に阻まれて屋敷の敷地内への侵入はされていないものの、念のため避難するようにと……」

 使用人の言葉を聞いて、アンナさんは落ち着いた口調のまま頷いた。

「そう。伝えてくれてありがとう。ほかの使用人たちにも伝えて避難して頂戴。大丈夫。城壁の外に現れただけなら、よほどのことがない限り問題ないから。すぐにどうこうすることもないの。若い子は知らないかしら? ふふふ」

 アンナさんが笑うものだから、本当に大丈夫なんだとホッと息を吐きだして使用人が立ち去った。

「あの、よほどのことというのは?」

 アンナさんの表情が柔和なものから厳しいものに変わった。

「スタンピードよ。城壁の高さを乗り越えられる魔物は、空を飛ぶもの以外はいないけれど、スタンピードになると乗り越えてくるのよ」

 え? まさか、能力がアップする?

「魔物が魔物を踏み台として、乗り越えるの」

 話をしていると、そこに爺マッチョ戦隊のメンバーがやってきた。

「魔物を倒すときは城壁から離れた場所でってのは鉄則なんだがな、なかなかそうも言ってられなくなる、それがスタンピードだ。数の暴力だ、ありゃ。だから、増える前に数を減らさにゃならん」

「森でうち漏らした魔物がやってきたか?」

「様子を見にいくかの」

 爺マッチョ戦隊が裏門に向かって歩き出した。

「え? 避難は?」

 驚いて声をかけると、アンナさんの旦那さんが、訓練用の剣をちょいと回してニッと笑った。

「はは、城壁の上から様子を見るだけじゃよ。危険はない」

「じゃなぁ、肌感覚でいえば、それほど魔物もいないようじゃ。スタンピードともなると、魔物が発する気で空気がピリピリするんじゃよ」

 そうなの?

「そうじゃ、お前たちも来るか?」

 子供たちに声をかける爺マッチョ。

「将来、魔物を倒したいなら魔物を実際に見ておいたほうがいい。ここ最近アルフレッド様のおかげで街で魔物を目にする機会がぐっと減っているからなぁ」

「そうじゃな、いきなり実戦で魔物と戦うのは厳しいじゃろう。ちょうどいい機会じゃ。城壁の上から魔物を見るだけなら危険はさほどなかろう」

 そう言う爺マッチョ戦隊の後に、子供たちがついていく。

 ちょこちょこちょこ。

 私ももちろんついて……。

 腕をつかまれた。

 振り返ると、アンナさんが笑顔で……無言の圧をかけてくる。

「私も行こうかしら……。いくら毒入り水球の魔法が使えるようになっても、魔物を前におびえてしまっては意味がないものね……」

「そうね、確かに屋敷の裏側の城壁の高さなら、安全よね」

 水魔法の訓練に来ていた女性たちも後に続いた。

 私も行きたいなぁという目をアンナさんに送る。

「……そうですね、この地に骨をうずめるなら、魔物を知らないままでは問題でしょう」

 アンナさんが何かをつぶやき小さくため息をついた。

「行きましょうか。もしかすると果敢にも壁をよじ登ってきた魔物を倒す主人の勇姿が見られるかもしれませんし」

 にこりとアンナさんが笑う。

「え? 壁をよじ登る魔物が……?」

 びくりと肩を揺らすと、それを聞いていた子供が振り向いた。

「上ってきたら、おいらが石鏃でうち落としてやるっ! おいらが守ってやるんだ!」

 ふんすと鼻息を出す男の子。

「ははは、頼もしいな。頼んだぞ未来の騎士様」

 爺マッチョが頭をなでている。

「任せてくれよ! だから、もっと剣を教えてくれよ」

「もちろんじゃ!」


 実は、屋敷の裏側、城壁まで足を運ぶのは初めてのことだ。

 なぜって?

 屋敷を出るでしょ? 歩いていくでしょ? 騎士団の訓練所があるでしょ? 見学するでしょ? 戻る時間になる……。

 そうだよ! ついつい餌に食いついて城壁までたどり着かなかったんだよ! 時々城壁の裏で訓練してくれればそこまで行ったのに!

 表は街側。裏は森側。魔物の森に近い。

 うーん、ワーウルフが出た場所から離れているけれど、こっち側も森があるんだね。

 城壁に上ると、城壁の外の様子が一望できる。

 ワーウルフが出たところと同じように、まずは草原というか、隠れる場所がないように木が切り倒されて何もない場所が広がっている。かなり広い。五〇〇メートルはあるだろうか?

 これなら、魔物が近づいてくればすぐに発見できる。

 そして、魔物の姿は、森の近くにちらほら見えていた。

 なるほど、この距離ならまだ安全そうだし、魔物といっても、前のワーウルフのようにたくさんじゃなくて、はぐれてきた熊みたいな……。

 いや熊も怖いけどさ。

「あいつは……ホーンベアだな。ずいぶん落ち着きがない動きをしているがどういうことだ?」

 ホーンベア?

 両手で双眼鏡みたいにわっかを作ってもう一度視線を向ける。

 いや、こうして丸の中からのぞくと、多少良く見えるようになるんだよ、本当だよ、五円玉の穴から見ると見えなかった看板の文字とか見えるんだよ、本当だよ……。

「あ、角が生えてる」

 熊みたいな姿をしてるけど、熊にはありえない角が生えている。ユニコーンの角というよりは牛の角という感じだ。牛といっても、闘牛の強そうな角ね。

「うわー、あそこ、スライムだまりができてる」

 子供が指さす方向に水たまりみたいなのが見える。いや、ずいぶん離れた場所であの大きさなら池?

「すごい数のスライムが集まったな……」

 爺マッチョたちが深刻な顔つきになっている。

「スライムだまりは、スタンピードの前兆ともいわれている」

「スタンピードっ」

 ひぃっとついてきた侍女が息をのんだ。

「うむ、あのサイズのスライムだまりなら大丈夫じゃろうが……」

「そうだな。スタンピード前は、発生した大量の魔物におびえてスライムは集まる習性がある。それがスライムだまり」

「スタンピード前ならあの何倍も大きな塊ができる。あれくらいであれば……発生する魔物を順調に減らしていけばスタンピードを防げるじゃろう」

 防げるという爺マッチョの声には緊張感がある。

「順調に魔物を減らせれば……な」

 鋭い眼光で、爺マッチョたちは森に視線を向けたまま警戒をしている。

「いやな空気だな……」

 アンナさんの旦那さん、爺マッチョのリーダードリューさんが舌打ちをする。

「うわぁっ!」

 子供の一人が叫び声をあげた。

 そこで、私の目にも魔物たちの姿が目に入った。

 先ほど動きが怪しいといわれていたホーンベアの周りからワーウルフが十数匹飛び出してきた。

「や、やっつけてやる! 【石鏃!】くらえっ」

 男の子の手から、弾丸のように石の矢じりが飛び出した。

 しかし、豆粒くらい小さく見える距離にいるワーウルフに届くはずもなく。石鏃は途中で見えなくなった。

「無駄撃ちをして魔力を消費するな」

 厳しい声が飛ぶ。

「足止め用に、土属性なら穴を掘るぞ、あまり遠くを掘ろうとすると魔力の消費量が多くなる。かといって近すぎてもだめじゃ。見ておれ、あの辺じゃ!」

 ドリューさんが城壁の二〇メートルほど先に穴をあけた。深さは二メートル程だろうか。横に一〇メートル幅が三メートルといったところか。

「いいか、あれだけ掘るのに魔力の消費は畑を耕すのの何倍も消費する。魔力切れにならないように気を付けて掘ってくれ。お前は、弓兵を呼びに……」

 ドリューさんの言葉にハッとする。

「騎士も冒険者も兵も領都にはほとんど残っていないはずです。コウさんが人手が足りないからと街の人たちの避難の手伝いに出て行ったくらいで……」

「くっ。そうだったな。戻ってくるまで、ワシらで食い止めるしか……」

 爺マッチョたちが視線を合わせて頷きあう。

 水属性の女性が叫んだ。

「毒の水球も戦力として考えてください」

「俺たちだって」

 子供たちも叫ぶ。

「……わかった。防衛ラインをここから十メートルとし、それを超えてくる魔物が出たら、避難所にちゃんと避難すること。それが約束だ」

 この場にいた皆が素直に頷いた。

「進行方向に穴を掘って足止めするといっても……さすがに広すぎないですか?」

「私、避難所にいる土属性の人に協力してもらえないか頼んでみるっ!」

 女の子が一人駆け出した。

「水球のためのマヒ毒ももってきてもらえるようにお願い」

「防衛線が崩れるまでここにいる者たちのための携帯食も準備してもらって」

「門番をはじめ屋敷の者にも裏庭の現状を連絡、常に連絡係ができる者も欲しい」

「小さな子たちは好奇心で思わぬ行動に出ることも。一か所に固めて常に全員いるか確認を」

「武器庫から武器を運ぶように頼む。弓も矢も、それから剣もだ」

 年の功とでもいうのだろうか。何度もスタンピードを経験している者は心強い。すぐに必要なことを指示していく。

 子供たちはそれぞれに振られた役割に頷き走っていく。

 足止め……か。

 何かほかに足止めできる方法はないだろうか。

 ものすごい速さでかけてくるワーウルフ。

「【火光】」

 そうだ、思い出した。火が苦手だったんだ。と、火光を打ち出すも、さっとよけてしまう。

 だめだ、足が速い。

 穴は五〇メートルほど横に広がっただろうか。でも、そんな穴などすいすいとよけてしまえばなんの足止めにもならない。そればかりか、進行方向が変われば、警戒しなければならない場所が広がる。

「くっこれはまずいな。穴掘り中止じゃっ!」

 森から出てきているワーウルフの数は一〇〇を超えてきた。

 ワーウルフロードの姿はなさそう。ホーンベアが一〇体ほどだろうか。

 それから、ゴブリンと呼びたくなる緑の魔物がホーンベアの足元にちょろちょろと何十体もいる。

 その数はどんどん増えていく。

 さらに、ワーウルフの背に乗る、一回り体の大きなゴブリンが出てきた。

 騎乗……できるの?

「まずいな、共闘か……」

「弓来ました! 動かない的への命中率なら行けます」

 調理服を着た男が二名と避難していたおじいさんが三名。

「ああ、壁をよじ登るやつが現れたら頼む」

 なるほど、動かない的というのはそういうことか。確かに壁を登ってくるのだからよけるによけられないだろう。

 足止め……か。

 動けなくなる……。

 ゴキブリをほいほいするような……。そうか、足がくっつけば動けない。

 例えば凍らせるとか。って、そんな魔法はないんだ。

 走るのが遅くなるとかなら、水の中か。穴に水をためれば……って、そもそも穴をそんなに掘れないんだっけ。

 いや……待って……。

 畑じゃなくて……。

「田んぼだっ!」

 突然叫んだ私に、ドリューさんが不審な目を向ける。

「ドリューさん、穴を掘るのに比べて、畑を耕すのはどれくらいの魔力が必要ですか?」

 ドリューさんがちょっと考える。

「どう説明したらいいか、嬢ちゃんは光属性だったか? じゃあ、あれだ。月光と日光みたいなもんか」

「え? そんなに差があるんですか? じゃあ、あの穴を掘るのに使った面積の一〇倍以上耕せるってことですか?」

 ドリューさんがふっと笑った。

「穴を掘るのは、どういう仕組みかわからんがそこにあった土をなくさないとならないからな。それに比べて耕すのはそこにある土はそこにあるまま固まっているのをほぐすだけだからじゃないか?」

 なるほど。

 確かに穴を掘ったあとの土はどこへ行くんだって話だよね。周りの土に混ぜこまれて圧縮してるのか、それともどこかに転送されてるのか、もしくは消滅……うーん。水魔法は空気中の水素と酸素から作っているかも? という想像はつくけど……。

 って、今は考え込んでる暇はない。

「じゃあ、耕してくださいっ! それで足止めしましょう! 穴よりも広い範囲で足止めができます!」

「何を言って……」

「ほら、柔らかいところって、歩きにくいでしょう? だからふかふかのふっかふかに耕してください」

 ドリューさんはうーんと首をひねる。

「確かに、多少魔物の走る速度は落ちるかもしれないが……足止めになるほどではなかろう……それに踏み固められてしまえば……」

 というドリューさんを無視して、今度はアンナさんに声をかける。

「アンナさんっ、ドリューさんが耕したふかふかの土をびちゃびちゃの水浸しにしてくださいっ!」

 アンナさんが、首を傾げた。

「田んぼです、田んぼにするんです! 泥沼です! 泥深い田んぼ、うっかり長靴で入ると長靴が抜けなくなるあれです!」

 ドリューさんがアンナさんの手を取った。

「あれだ、あははは」

「あれですね、うふふふ」

 なぜか二人が手を取り合って笑いだす。なんで笑うの?

「農業を始めたばかりのころじゃったの」

「そうですね、私たち、加減を知らずに……」

「ワシは力いっぱい耕しすぎて」

「私は必要以上に水を出して」

 二人が顔を見合わせた。

「ドロドロになった畑から抜け出すことができなくなったんでしたわね」

「そうじゃ。ロープを投げてもらって、畑から脱出したことがあったのぉ」

 懐かしそうに笑いあうと、すぐにドリューさんは表情を引きしめた。

「確かに、それなら足止めできそうじゃ。【土耕】」

「【水】」

 穴の向こう側に田んぼができた。

 その広さは一〇メートル四方ほどの広さだろうか。その場にいたホーンラビットかなにか小さな魔物がはまり込んで暴れるうちに姿が見えなくなってしまった。

 田んぼというより底なし沼みたい……。怖っ。

「それなら、おいらもできるっ! 家の手伝いしてるから得意だ。【土耕】」

 石鏃よりもよほど慣れた様子で子供の一人が呪文を唱えた。

「たくさん水が出せる使用人をすぐに呼んでくるっ。洗い場、洗濯場……」

 料理人の一人が駆け出した。

「【水】」

「【土耕】」

 穴をよけるように走るワーウルフの前方を次々と田んぼ……泥沼に変えていく。

 後から走ってくる魔物たちは突然前を走る魔物が足を取られて止まっても急には止まることもできず、後ろから勢いよくぶつかっていく。

 ぶつかられた魔物は、足だけではなく体も泥沼にはまりより抜け出せなくなるし、ぶつかった魔物も飛んでいき頭や背中から泥沼にはまりじたばたとしている。

 思った以上にホイホイされてるなぁ……。


 それから四時間ほど。

 城壁の上から田んぼ改め泥沼にはまってもがく魔物を見守る面々。

「……ワシ、騎士を引退して農夫になってよかったと思える日が来るとは思わなんだ」

「私は、いつもあなたとの共同作業ができて農業は苦ではありませんでしたけど、農業以外の共同作業もいいもんですねぇ」

 アンナとドリュー夫婦は魔力がかなり多いらしく、嬉々として泥沼を作り出していく。

 とはいえ、いざというときに備え魔力は半分残した状態で休憩を取り、魔力が回復したら再び泥沼作業だ。

 応援に駆け付けた人たちは、はじめこそ魔力の多い者……つまりはたくさん水が出せる人とたくさん耕せる人だったけれど、今ではあまり魔力が多くないものも、少しでも魔物の足止めに役立ちたいということで協力してくれている。

「あはは、あれ見てみろよ、魔物も一網打尽だな!」

 手伝いにきた使用人の一人が大笑いしている。

 が、それを制したのは爺マッチョメンバーの一人。

「ただの足止めだ。とどめを刺さない限り、油断はできん」

 別の爺マッチョが大きく頷いた。

「あそこを見るんじゃ。泥沼にはまった魔物を足場に、前に進んでくる魔物がおるしゃろ」

 言われた方向に視線を向けると確かにそうだ。

 因幡の白兎っていう話を思い出した。海にサメだかワニだかをだまして並ばせて、その背中をぴょんぴょんと飛んで渡ったという話。

 まさに、泥沼にはまって動けなくなった魔物の背の上をぴょんぴょんとホーンラビットが移動している。

「魔物が増えれば足止めにもならなくなるじゃろう。息の根を止めぬ限り」

 笑っていた人たちの顔が引き締まった。

「大丈夫よ、そんな顔しなくても。すぐに騎士や冒険者……若かったころのおじいさんのように強い男たちが帰ってきてやっつけてくれるわ!」

 おばあさんが怖がる子供たちを励ますように口を開く。

「そうだよ、アルフレッド様が魔物を焼き尽くしてくれるんだ!」

「違うよ、アルフレッド様は炎の剣で倒すんだよ!」

 アンナおばあさんが、私の隣に来て背中をポンポンと叩く。

「強い男の妻は幸せだけれど、それは皆を守っている者を妻として支えることで、間接的に皆を守れるからってのがあってね」

 そうだった。アンナさんはマーサから全部聞いて……って、違う、聞いたのは私が公爵夫人のリリアリスってことだけかな? もしかして、「愛することはない」とか「三年後に離婚」とかは聞いてない?

 ……アルフレッド様と私は、仮初の夫婦ですよ。アンナさんとドリューさんのようにおしどり夫婦じゃないです。

「でも、こうして、直接守ることを助けられるのもいいもんだね」

 アンナさんが出した水で作った泥沼にはたくさんの魔物が沈んでいる。

「あっちから泥沼を回避した魔物が来るぞ!」

 大回りして屋敷へ向かっているゴブリン数匹。

 射程距離に入ると、すぐに弓隊が弓を射る。

 外れても、ゴブリンは警戒して足を止める。そこに狙いを定めて魔法が放たれる。

「【水球】痺れろ!」

 侍女のマヒ毒が次々とゴブリンの顔面に命中。

 動けなくなり倒れたゴブリンに、子供が今度は魔法を放つ。

「【石鏃】」

 なんとも頼りがいのあるコントロールで額を貫いた。

「やった!」

 侍女も子供も大喜びだ。

「頼りがいのある戦士だ!」

 爺マッチョが子供の頭をなでた。

 しかし、釘を刺すことも忘れない。

「だが、調子に乗るな。調子に乗った時が一番危ない」

「欲をかくな。近づいて命中率を上げようとするな」

「魔力は必ずいざというときに備えて半分残せ」

「外したときにむきになって連射するな」

 ほめるだけでは終わらない。次々に飛び出す苦言に子供たちの顔から喜びが消える。

「お前たちは、まだ守られる立場の子供だと忘れるな」

 子供が反論を口にする。

「でも、おいらだって魔物を倒せるんだ、だからっ」

 爺マッチョがわちゃわちゃと乱暴に頭をかき回した。

「だから、その力は、ワシたちがいないときに使うんじゃよ」

「お前たちが大人になってから、ワシらのように子供らを守る、そのための力じゃ」

 くぅーっ!

 爺マッチョぉぉぉぉっ! かっこよすぎるよ。

「もちろん、レディたちも。援護はありがたいが、前線は男たちに任せて、逃げるんじゃよ?」

 うおおおおっ! ドリューさんが、ぽんっと腰に差した剣を叩いた。

 爺マッチョぉぉぉぉぉっ! イケメンすぎるぅ。

 っていうか、騎士道! 引退しても騎士は騎士ぃっ!

 これは、アンナさんもときめきポイントで悶えているのでは?

 と、思ったら、アンナさんは覚悟を決めた顔をしている。

「ええ、もちろん。逃げた先で子供たちを守り抜くのは私たちに任せてちょうだい」

 あわわわっ。ちょっと両手両膝をついて反省していいですか。

 前線に愛しい人だけ残して逃げるのにも覚悟がいる。

 そして逃げた先で自分より弱き者を守るという覚悟もいる。

 アンナさんも何度も今まで経験してきたのだろう。

「わかった。オイラは大人になるまでにもっと強くなって、大人になったらもっともっとたくさん魔物を倒せるようになる」

 そうして命をつないでいく……わかるけど。

 誰かが死ぬ覚悟なんてしたくないなんていうのはわがままだろうか。


「増えてきたか?」

 魔物が森から出る数は減ってきたように見えるけど?

「ああ、増えてきているな……まずいな」

 いやいや、もうワーウルフも出てこなくなったし、ホーンベアも泥沼の中だよ。

 相変わらずゴブリンは出てきてるけど……って、よく見たら、オークなのかな? イノシシのような体毛と牙と鼻の魔物が森の中に見える?

 両手で双眼鏡のように丸を作って遠くを見る。

 二足歩行とはいえ、やはり人というより動物に近い。緑のゴブリンは猿のような動きだし。オークは立ち上がったミーアキャットみたいだ。でも二足歩行には慣れているようで、そのどこかアンバランスな状態でも手には棒など武器になりそうなものを持っている。イノシシっぽい姿だからゆるキャラっぽくもある。いや、ゆるくはないけど!

「そろそろ日が落ちる……。夜行性の魔物が出てくるか……」

 増えてるって、そういうことか! 確かにイノシシは夜行性だ。もしかすると、他にも夜行性の魔物がいるってこと?

 森の中の陰になっているところから、日が落ちたら一斉に出てくるってこと?

「今日は新月だったな……」

 厳しい目つきになるドリューさん。

「くそ、まだ騎士や冒険者は戻ってこないのか……」

「ワシらだけでも下に降りるか」

 ちょっと何か急に緊迫してきた。

 何がそんなに大変になるのかわからない。

「新月ということは暗くて魔物が見えないから困るということですか? なら、光魔法で月光を出します!」

 任せてくださいと胸をたたくと、ドリューさんが首を横に振った。

「これだけの広さがあるんじゃ。どれだけの月光が必要になるかわからん……。朝まで魔力が持つまい」

 広い……か。確かに森から城壁まで五〇〇メートルはあるだろうし、幅もその何倍もある。城壁といっても街を守る壁も兼ねているから広いんだよ。

 サラが魔力が多いほうでも月光をいくつかで何時間って言ってたかなぁ。光属性魔法の人間が集まってもむつかしい?

 私一人でどれくらいできるかな。月光なんてむしろ使ったことがないもんねぇ……。

 あ! 使ったことのある光なら……!

「じゃあ、とっても明るい光を高い位置に打ち上げれば、全体が見えますよ? 照明弾っていう名前の……」

「明るすぎては夜行性以外の魔物も動いちまうよ……昼間に動く魔物は夜は寝るが、こんな時には寝やしない」

 まぁそうでしょうね。私たちだって普段は夜は寝るし。こんなときは起きてるけど。

「暗くて見えないから動かないが、明るくしてしまえばわれらも見えるようになるが、昼行性の魔物も同様だ。夜行性の魔物と両方動かれるとまずい……。できれば日が暮れるまでに騎士たちがもどって昼行性魔物たちにとどめを刺してもらえればよかったんじゃが……そうもいかないとなれば……やはりワシらが……少しでも……」

 ドリューさんが爺マッチョ戦隊に視線を向ける。

 何も言わずとも分かり合っているおとこの目だ。

「いいか、足止めしている泥沼の手前から先には行かぬこと、危なくなればすぐに退避できる者はついてこい。退避する時間は、ワシらが請け負う」

 シャンッと剣を抜く爺マッチョ戦隊。

 弓を持った者が立ち上がる。

 そして、少年少女の何人かも立ち上がった。

「ちゃんと守られるよ。いざとなったら逃げる」

「そうよ。退避する時間を作ってくれるって大人を信じるから行くの。守ってくれるんでしょう?」

 子供の言葉にドリューがあっけにとられた。

 まさに返す言葉もない完璧な説得だ。

「私も行くわ!」

 と声を上げると、ドリューが口角を上げた。

「光属性に何ができる? 嬢ちゃんは留守番しとるんじゃ」

 うっ。

 ぐっと言葉の槍が刺さる。

 手を挙げた子供は石鏃が使えるようになった土属性の子たちだ。

 他についていくのは弓を持った人たち。どうやら風属性の人たちは矢を風に乗せて勢いをつけたり軌道を修正したりできるらしい。

 泥沼越しの距離のある魔物を倒さなければならない。

 剣を持った者は、沼に沈んだ魔物にとどめを刺したり、沼を越えてきた魔物を倒したりするんだろう。

 火属性の者は火球を飛ばして攻撃するが今回は泥沼という水がある場所なので、城壁を登ってきた魔物をうち落とす役割で留守番だ。

 水属性も同じ役割だ。マヒ毒入りの水球で城壁を登ってきた魔物を打ち落とすために残された。

 私は……。

 光属性の私は……。

「まったく、口が悪いったらないわねぇドリューは。素直に死なせたくないって言えないのかしらねぇ……」

 アンナさんが私の肩を優しく抱いた。

「戦闘の役に立たないのは、人として役に立たないわけじゃないのよ。避難している人たちは不安だわ。暗闇はさらに不安を搔き立てるの。明るくしてちょうだい。それからこちら側は魔物が迫ってきているけれど、城壁の内側はそうじゃないわ。目印に明かりを灯して。まだ街に残っている人たちが避難所に、暗くなっても迷わずに向かえるように照らしてちょうだい」

 慰めの言葉に、自分は自分のするべきことをしなければと顔を上げる。

 でも、脳裏にはユメリアの顔が浮かんで。

 聖属性なら、もっと役に……。

「夫も息子も土属性なのよ。私は水属性」

 突然のアンナさんの言葉に首をかしげる。

「火属性のように攻撃力が高い魔法じゃないと、夫も息子もほかの属性にあこがれたことはあったと思うわ。私は水属性で魔力が高いのでたくさんの水が出せる。男なら騎士として重宝されただろうとか、ほかの属性なら魔物が倒せたのに水属性かとがっかりされたりしたわよ」

 アンナさんの目を見る。

 アンナさんが優しく笑いかけてくれた。

「多かれ少なかれ、人は誰かと比較して人がうらやましくなったり、嫉妬したり、卑下したりするものよ……。でもね、自分がするべきことをしていれば、それは誇りになるの」

 アンナさんが私の手を取る。

「私は男ではなかったし、火属性でもなかった……水属性の女だったけど、それだけじゃないのよ。勉強が好きで、細かいことに気が付くことができた。だから勉強したしよく働いた。それで侍女長になれた。私の誇りよ」

 アンナさんの言葉が身にしみこんでいく。

「アリス……いいえ、リリアリス様、あなたはどうすれば誇れるの? 勇敢に戦って死ねば誇れる?」

 ううんと首を振る。

「私は知っているのよ。あなたにしかできないこと。それはアルフレッド様と同じ」

「アルフレッド様と同じ? アルフレッド様は……強くて魔物を倒せて……」

 同じになんてなれるはずがない。

「希望よ。アルフレッド様は。何度も領主が替わり、見捨てられた流刑地と呼ばれる領地に現れた希望……。領民のことを考えてくれる希望なのよ」

 そんなの……。

「リリアリス様は王都から嫁いできて、王都に逃げ出さずにこの土地で暮らしてくれる。それだけで、何事にも代えがたい希望なのよ」

 私……いるだけで希望なんて……。

「希望の光? ふふふ、光属性として最高の魔法だわ」

「私こそ、みんなに受け入れてもらえて、よくしてもらえて……ど、どれだけうれしいことか……」

 嫁入り道具一つ持たされず、護衛もなく追い出されるように侯爵家から出された身だ。王都に帰りたいなんて思うこともないのに。

 でも、それが希望を与えていたなんて……。

 私……ずっとここにいたい。

 まだまだ、私は領民たちに恩返しできていない。

 私はアシュラーン領をみんなが自慢できる土地にしたい。

 三年で離縁するなんて言われたけど、いやだと言ってみよう。

 しがみついてでも、アシュラーン領で生きていきたい。

 私の価値が、王都から来た貴族令嬢が公爵夫人としてここに住むことだというのならば、アルフレッド様が何と言おうと知るもんか。

 侯爵家にいたときは、自分の境遇待遇に逆らおうとも抗おうともしなかった。

 だけど、抗おう。アルフレッド様に認めてもらって、離婚されないように……全力で頑張ってみせよう。

「……全力ってなんだろうなぁ」

 根回しか?

 ……既成事実ってのが一番手っ取り早いか? 色仕掛け……。

 ぐぐぐっ、無理だ。これは……やっぱり……。

「領地をよくするためにはリリアリスがいてくれないと困る!」と言ってもらうしかない。三年間で役立つ実績を残す! って、なんだ、結局やること一緒じゃん。

 あ、違った。離婚したくないというのははっきり伝えよう。それ、大事。


 で、ひとまず私ができること。避難所を明るくした。

 もちろん物理的に光魔法で明かりを灯すこともそうなんだけど……。

 おいしいものを用意してもらっておなか一杯みんなで食べる。魔物の脅威が迫っているなんてことを感じさせない明るい話をする。

 それから……。

「みんな、いい? 順番ね?」

 光属性の子供たちとパフォーマンスをする。

「【赤光】」

「【橙光】」

 ……と、七人で順番に光を出す。

「うわぁ、虹だ!」

「すごい、光魔法ってすごいねぇ」

 まだ魔法が使えない小さな子供たちは大はしゃぎ。

「すごいね、私、光属性だったらいいなぁ」

 ぴかぴかな笑顔で四歳くらいの女の子が漏らした言葉に、しんっと場が静まった。

 ハズレ属性だと呼ばれている属性だとまだ知らない小さな子供の言葉だ。

 聞いた親も複雑だろう。

「そりゃいい! いつも部屋の中が明るくなるなんて最高だ!」

「あれだよね、火を怖がる魔物除けになる魔法もあるって聞いたわ。それで今冒険者から引っ張りだこだって」

「あれでしょ、空に上がってるあの光のあれも、意味があるのよね」

「それに、虹まで作れるなんてなぁ」

「魔法の中で一番きれいな魔法だなぁ、光魔法は……」

 虹を作った子供たちが一番びっくりしていた。

「アリスお姉ちゃんっ」

 皆がわっと私に抱きついてきた。

「アリスお姉ちゃんのおかげだ。オイラ、いっぱい頑張って騎士になるよ。ジョーイ爺ちゃんにも剣の素質があるって言ってもらえたし」

「私はもっと勉強をするわ。光魔法も使えるギルド職員を目指すの。アリスお姉さんのように光属性の子たちに光魔法を教える」

「えっと、僕は、僕は」

 私が少しは役に立てている……。

「すまない、遅くなった!」

 ざわざわと突然避難所の空気が変わったと思ったら、街へとつながる扉が開いてレッドが入ってきた。

 その後ろから、ぞろぞろ騎士が続く。

 ソウ騎士団長や光属性筋肉ジョンさんの姿もある。

「アルフレッド様!」

 という声が聞こえた。

 え? どこ? どこに?

 レッドを先頭に騎士たちは何十人も続いている。鎧を身にまとっている者、マントを身に着けている者……。

 え? どれが旦那様? あの大きなおなかならいくら鎧をつけていてもわかりそうなものだけど。

 速足で歩く騎士団。

「騒がせてすまない、外を回るよりもこちらのほうが早いのでな」

 ソウ団長が領民に声をかけている。

 そうだ!

「みんな、あれを!」

 こんな時のために準備をしたんだ。

 声を上げると、温石を入れるために作ったきんちゃく袋を騎士たちに手渡していく。

「なんだこれは?」

 ソウ団長が首をかしげた。

「時間があるときに食べてください、中身はソーセージパンです。移動しながらでも食べられます」

 総菜パンだ。ソーセージにパン生地を巻き付けて焼いたあれ。ホットドッグやサンドイッチよりも片手で食べやすい。具が飛び出す心配がいらない。

 さすがにむき出しのまま手渡すのは気が引けたところ、マーサが「温石はまだ使わないので縫った袋を使いましょう!」と提案してくれた。パンだけではもったいないので、栄養があるという干した果物……ただし酸っぱい……も入れてある、携帯食セットが出来上がった。

「助かる、朝食べたきりだったんだ。速足やめ、並足で歩きながら食べよ」

 出口……というか屋敷とつながるドアの前には、机の上に水を入れたコップを並べてある。

「コップや袋はあとで回収しますので、手に取って飲みながら進んで、適当な場所で捨ててください」

 イメージはマラソン選手の給水所だ。

 私など、走りながら飲んだり食べたりしたらおなかが痛くなりそうだと思うけれど、マラソン選手が大丈夫なら鍛えている騎士なら大丈夫かな?

「はっ、立ち止まらなくていいのは急いでいるときにありがたいな。礼を言う」

 騎士団長のソウ様にお礼を言われちゃった! こちらこそ、いつも素敵な筋肉を見せてくれてありがとうございまぁす!

「お前、お礼に筋肉見せてくれとか思ってるだろ」

 急に後ろから声を掛けられびくっとなる。

「思ってないっ、そうか、その手があったか……いやいや、レッド、私は恩返しに筋肉を強要したことは一度もないわよっ! っていうか、みんなのために働いてくれている人たちのために食事を用意することくらい普通だからっ!」

 レッドが私の頭をクシャッとなでる。

 いやぁやめてって、頭ぽんぽんもクシャもっ。

 文句を言おうと顔を上げて正面からレッドの顔を見ると、頰に血がついている。

「怪我?」

 手を伸ばすと、その手をつかまれた。

「いや、大丈夫だ。返り血……だ。すまない、汚い格好で近づけば、お前を汚しちまうな」

「は?」

「本当は、嫁の無事を喜んで抱きしめたいところだが、この格好じゃな」

 と、おどけた様子でレッドが両手を広げた。

 頰だけでなく、服のあちこちが魔物の血で汚れている。人の血と違い、昆虫のような青い血も交じっている。

「格好なんて気にしないけど、綺麗な格好してたとしても嫁じゃないから抱きしめないでくれる?」

 抱きしめていいなら目いっぱい抱きしめて筋肉を堪能したいところだけど! アルフレッド様を裏切るつもりはない。

 私は希望だと言われた。領地にとどまるだけで領民たちの希望になるのであれば……。

 愛するつもりはないと言われたけれど、愛さなくてもいいからずっと妻でいさせてくれと頼むんだ。

 無事に、避難所から出てアルフレッド様に会えたら……。

 ぎゃー、噓噓、今の噓! 死亡フラグみたいなこと考えちゃった。ダメダメ、違う、そうじゃないっ。

「あはは、いつも通りのアリスで安心した。なんか避難所に入ってきたときに、ずいぶんおかしな顔してたからなぁ」

 ん? 入ってきたときって、光属性でよかったなんていう子たちがいて……お父様やお母様がこれを聞いたら少しは私のこと……なんて考えちゃったんだよね。一六歳のリリアリスの気持ち。前世の私は、毒親から解き放たれるにはどうしたらいいんだったかななんて考えて。

 そっか、私、おかしな顔を……。

「は? 入口あっちだよね、私ここにいて他にも人がいっぱいいて、よく表情まで見えたね?」

 なんだかんだ言っても体育館よりも広いよ? 一番後ろの席から舞台上の人の表情見える? いや、舞台の上じゃないんだから人の隙間から……。入ってすぐ私を見つけたよね?

 なんか、それって……。

「ち、違うからなっ、別にアリスのことを四六時中考えていて無事だろうかとか気になって真っ先に避難所に入って探したとか、ほかの人よりも輝いて見えたからすぐに見つけたとか、そ、そんなんじゃ……」

 レッドが妙に焦った様子で違うと否定する。

「ああ、そういうこと、確かに光ってるわ。光魔法でみんなで虹作ったりしてこのあたりぴかぴかだもんね。そりゃ目立つわ……だからすぐに見つけられたのね。びっくりした……。もしかしたら、探索魔法とか気配察知スキルとか特殊能力があるのかと思った」

 もし、レベルを上げて新しい魔法やスキルを覚えられる世界なら、ちょっと生き方を考え直さないといけないところだった。

「気配察知? まぁ、それは殺気を感じるってやつか? それなら……騎士なら多かれ少なかれできるんじゃないか?」

 そういえば、スタンピードだと空気が違うと聞いたけど、殺気を感じるってことなのかな?

「で、なんで騎士の前を歩いてたのか知らないけど、ついていかなくていいの?」

 すでに騎士たちは行ってしまった。ほかの人も、なんだなんだとレッドに視線を向けている。

 中にはギルド長と知っている人もいるだろう。

 あ、子供たちも知ってたよね。

「これ、助かった。まだあればもってきてもらっていいか? 冒険者たちも飲まず食わずで森の中で討伐に当たっている。来たら渡してやりたい」

 うんと大きく頷くと、レッドは頼んだと軽く手をあげて騎士たちの後を追った。

「もちろん。騎士たちのお代わりも用意するわ! じゃあ、みんなまずは騎士様たちが飲み食いに使ったコップと袋を回収しましょう」

 子供たちが手を挙げて騎士様たちが進んでいった後を追う。

 料理は避難したときに使う避難所の四隅でも女性たちが集まって作り始めている。

「騎士様たちが来てくれたんなら、もうすぐここから出られるぞ」

「アルフレッド様がいればきっと魔物たちはいちころだ」

 安堵の声が聞こえる。

 ……いや、しまった! アルフレッド様を結局探せなかった。

 公爵様なのだから、最前列付近か、みんなに守られる真ん中らへんか、最後尾あたり……なのかと思ったけど。


「みんな喜ぶかな?」

「きっと喜ぶよ! おいしいもんっ!」

 追加の携帯食の第一弾が焼きあがったところで、子供たちと運んでいくことにした。

 三十人の大行列だ。大人たちは料理中だったのと、子供たちだけで運べそうな量しかまだできていなかったので。

 とはいえ、三十人。給食当番で考えれば、五クラス分ほどの人数だ。ソーセージパンだけなので、数百個余裕で運べる。

 先頭に立ち、屋敷側の出入口のドアを開く。

「うわっ、もう真っ暗だ……」

 LEDで照らした通路から外にでると、すっかり日が落ちていた。

 次々に子供たちもパンを入れた背負いかごをしょって出てくる。

「新月って言ってたもんね……月明かりがないとこんなに暗いのかぁ……」

 すぐに光属性の子に月光魔法を頼む。

「【月光】」

 ぽわんと子供たちの顔が見える。

「明るいね……」

 と思わず声が出る。

 確かに文字が読めるか読めないかという頼りない明かりだ。けれど、真っ暗な中ではとても明るく感じる。

 ぼんやりとだけれど、ちゃんとみんなの表情も見える。

 ただ、本当の月明かりとちがって、照らす範囲はとても狭い。

「ふふ、明るくないよ~LEDのほうがいいかな~」

 子供が笑った。

「んーと、明るくしすぎると昼の魔物が動いちゃうから月の明かりがいいって言ってたけど……これじゃあ暗くて移動できないね」

 困ったなと思って首をかしげると、子供の一人が声を上げた。

「アリスお姉ちゃんあっち、あそこだよきっと」

 あそこと言われた方向に目を向けると、うすぼんやりと明かりが見える。松明が燃えているような明かりがいくつもある。

 城壁の上で明かりを灯しているのだろうか。明かりが見える高さ的にもそんな感じだ。

「そうみたいだね、じゃあ、足元に気を付けてご飯を届けに行こう!」

 進行方向に月光を出してもらいながら進んでいく。振り返ると、街灯みたいにぽつぽつと月光の柔らかい光がともっている。

 騎士の訓練所の横を通り過ぎ、ずっと奥へと進んでいき、城壁までもうすぐというところまで来ると喧騒が聞こえ始めた。

「あっちに出た、頼む!」

「そこ、油断するな。三匹上がってきている」

「応援頼みます、こっちからも現れました!」

 昼間、泥沼を作っていた時とはずいぶん印象が違う。

「何しに来たっ!」

 階段はどのあたりにあったかなと思って見上げていたら、叱るような声が降ってきた。

「どうした?」

「子供たちがっ」

「避難所に何かあったのか!」

 そうか。暗くなってからわざわざ来たから、びっくりさせちゃったんだ。

 でもレッドが持ってきてくれって言ったんだけど……。城壁にってことじゃなかったのかな? それとも、騎士たちには伝わってなかったのかな?

「食事を届けに来ました~」

 と伝えると、すぐに団長どうしましょうという声が聞こえてきた。

「避難所から出るなと連絡しなかった私のミスだ。すぐに避難所にはこれ以上外に出ないように伝令を」

 え?

 危険? 何が起きているの?

「魔物が三体城壁を越えましたっ!」

「お前たちは降りて子供たちの安全確保、階段まで誘導しろ。護衛に何人かつけ。すでに魔物は城壁を越えて侵入している。子供たちだけで避難所まで戻らせるわけにはいかない」

 魔物が城壁を越えて侵入している?

 騎士が三名降りてきて、周りを警戒しながら階段まで誘導される。

 階段を上り切って城壁の上に立つと、すぐにただならぬ状況に気が付いた。

 火の光が、城壁にへばりつき乗り越えようとする魔物の姿を浮かび上がらせる。

 騎士たちは散らばり、城壁に上がってきた魔物を倒している。あちらから登って来たといえばそちらに走り、別の場所から越えてきたのを見ては走っていく。

 倒しても倒しても、どんどん登ってくるようだ。

 主に対応しているのは剣を持つ者だ。

「一か所に固まるんじゃ。ワシらがおる。走り回れはしないが、剣は振れる。安心せい」

 怖がり身を寄せる子供たちに、爺マッチョ戦隊が周りを取り囲んで安心しろと声をかけてくれた。

 ああ、爺マッチョ戦隊のみんなも無事でよかった。──って、全然状況的にはよくないのか。

 何かできないかなんて考えるまでもない。

 ただ、おとなしく守られ、足手まといにならないのが一番なのだろう。

「あの、明かりは足りていますか? 火球は出せないけれど、火光なら出せます」

 城壁を照らす明かりは三〇メートルほどだろうか。離れた場所には灯されていない。

「夜行性の魔物は光に集まってくるんじゃよ」

「飛んで火にいる夏の虫! ってことですか! あえて火の光を見せてそこに集めて狙い撃ちする!」

 ドリューさんが笑った。

「はは、確かに虫にもそういうのがおるの。じゃが、そんな魔物ばかりならええんじゃがなぁ」

 ピィーッと笛の音が響いた。

「恐れていたことが起きたようじゃな……」

 子供がガタガタと震えた。

「恐れていたことってなに? 僕たち、死んじゃうの?」

「大丈夫じゃ。ここは変わりない。……光に集まらない魔物が、暗闇を好む闇スパイダーが出たみたいじゃ。まったく見えない場所から、どれくらい城壁を越えていくかわからぬ……」

「見えないなら、もう全部火光で照らしちゃダメなの?」

 登ってくる場所が増えたら始末できないのか。でも闇スパイダーという魔物だけを取り逃がすのとほかのいろいろな魔物も取り逃すのとじゃ全然話が違う?

「新月じゃなければ……」

「光に集まる魔物って、月光なら集まってこない?」

「坊主、お前たちが通ってきた道を見てみればわかるさ」

 立ち上がって、城壁の内側を見る。

 私たちが通ってきた道筋がはっきり見える。

 月光の光は弱いけれど、その中心となっている月光の光の玉は街灯のようにぽつぽつと明るく見える。

 ああ、あれでは火光と変わらないかも。街灯だって虫は寄っていく。いっそ、虫が寄ってきたらぱちぱちってやっつけちゃうやつならいいのに。

 でもあのぱちぱちって電気だよね。光属性じゃ無理だ。

 ドリューさんが剣を二度振る。

「増えておるなぁ。城壁の下はどうなっとるんじゃ」

 隣に立つ、ジョーイさんだったかな……も、軽々と剣を振って、現れた魔物を倒した。

「アリス嬢ちゃんのおかげで太陽が出ている間は魔物を足止めして少しは数を減らせたんじゃが……騎士も到着してホッとしておったのにの」

「想像以上の夜行性の魔物の数じゃ」

「もう少し動きが見えれば、火魔法や弓でも攻撃の手段があるんじゃが火の光が届く範囲ではこれが精いっぱいじゃな」

 光が届けば見えるんだよね。でもあまり強い光じゃ今度はおとなしくなっている昼行性の魔物まで活動しちゃうんだね。

 きっと、今の戦い方以上のことはできないんだ。

「うわっ、こっち応援頼む」

 左前の騎士が声を上げる。ゆらゆらと揺れる火の光に、オークが照らし出された。上半身を出したところで、騎士が剣を振り下ろしたけれど、その後ろに隠れるようにして巨大な蜘蛛のような魔物が四体姿を現した。

「火属性いないか? 焼いてくれっ」

「ここにはいない」

 子供の一人が立ち上がる。

「わ、私、火属性です……あの、す、少しは魔法が……」

 立ち上がったのは十歳くらいの女の子だ。

 すぐにドリューさんが女の子の横にしゃがみ剣を構えた。

「近づかなくていい。もし、ここからできるのであれば闇スパイダー……あの蜘蛛の魔物に火魔法をぶつけられるか? あれは体が水をはじくように油が覆っていて、燃やせばすぐに倒せる」

 少女はうんと頷く。

 距離にして五メートルほど先だろうか。的となる蜘蛛の魔物は一メートルほどの大きさ。

「【火球】」

 少女の声が上がった瞬間、放たれた小さな火球が蜘蛛の魔物に命中。火に包まれてあっけなく姿を消した。

 本当にぼうっと一瞬で燃え上がって、落下していった。

「あんなに簡単に……」

 ドリューさんが重々しく口にする。

「そうじゃ。姿さえ見えていれば、闇スパイダーが来るとわかっていれば……。火属性魔法使いを配置するなり、火矢を放つなりできるんじゃ。他にもスネータという蛇みたいな魔物は冷えると動きが鈍くなる」

 ああ、蛇は変温動物だしそんな感じ?

「水をぶっかけてやると、一瞬動きが止まるんじゃ。その間に切りつければ楽に倒せるんじゃ」

 魔物毎に攻略法があるのか。

「どこにどの魔物がいるか分かればここまで混乱はせんからの」

「大丈夫じゃ。日が昇れば夜行性の魔物などアッという間に倒せるんじゃ」

 でも日が昇れば昼行性の魔物も活性化するんだよね。それって……暗いうちに夜行性の魔物を倒せなかったら、日が昇りかけた時には両方の魔物が動き出して大変なことになるのでは……?

 ぞっと背筋が寒くなる。

 体操座りしていた足をぐっと引き寄せ両腕でがっつり抱え込む。

 かさりとポケットに入れていた紙が音を立てた。

 ん? なんだっけ?

 ポケットから取り出し、火光を当てて見る。文字までははっきりと読めないけど、思い出した。

「これ……」

 紙をくれた男の子に見せた。

 照明弾や日光なんかで全体を見渡せるくらい明るくすれば、昼行性の魔物が動き出すからダメ。

 火光や月光は魔物をおびき寄せる役割があるから、やたらとあちこちに設置しては魔物が広がるからダメ。

 でも、光がないと魔物の姿が見えずに苦戦する。

 ならば……。

「光は光でも、目に見えない光ならっ!」

 立ち上がって、魔力をたくさん込める。照明弾のように広い範囲を明るく……はならないけど照らせるように。

「【ブラックライト】」

 子供の言い方をすれば、紫色の光はぶるぶる震える光。波の周波数を教えなくても子供たちが導いた。

 目に見えなくても、虹の紫の内側はぶるぶる震えるのを増やすイメージをすればいい。増やしすぎてはだめだ。ほんの少し。

 紫色に光らない目に見えない紫外線。人体に影響がひどく及ばないブラックライト……色のない光。

 ぶわーっと、一面に光が広がる。

 いや、魔法のほうの光じゃない。ブラックライトで照らされて浮かび上がった蛍光色だ。

「なんだこれは?」

「どういうことだ?」

 驚きの声が上がっている。

 そりゃそうだろう、急に何かが光りだしたら、私だって驚く。イルミネーションの点灯式くらいだろう。急にたくさんの光が見えるようになるなんて。

 何万球のLEDのイルミネーションだろうっていうくらい、たくさん光っている。

 それはつまり、魔物の数だ。

 すっと背筋が寒くなる。いや……おびえている場合じゃない。

「光魔法です、危険はありませんっ。緑に光っているのは」

 ちらりと私にモンスターの一覧表をくれた子供を見る。

「オーク」

 子供が答えた。

「ピンクの光は」

 別の子が答える。

「闇スパイダー」

 ピンクが闇スパイダー……か。

「薄い黄色は」

 と、目につく色を口にすれば、子供たちがそれがなんの魔物なのかと教えてくれる。

「あっちだ、ピンクの光が固まっている、火属性の者ついてこい!」

「見えてれば遠距離からでも攻撃できるぞ。【石鏃】」

 騎士たちの動きがよくなったような気がする。次々と城壁を越えようとする魔物の光が見えなくなっていく。

「アリスっ!」

 レッドの姿が見える。

 鎧がいろいろな色でピカピカ光っている。

 魔物の返り血……。うーん、魔物と間違えられたりしないかな。

 大丈夫かな。魔物は、その形に光ってるもんね。

 ピンクに光る巨大な蜘蛛とか……。遠くでは点にしか見えないけど。緑に光るオークは近くにいると宇宙人みたいだよ。

「あれはアリスだろ? 光魔法でこんなこともできるんだな」

 レッドが周りに視線を向ける。

 何しに来たんだろう? お礼でも言いに来たのかな?

 でもね……。

「あのね、この子が魔物毎に色が違うのを研究してくれたんだよ」

 使っちゃダメって言ったのにこっそりブラックライトを使っていたことはもう叱った。

 魔物によって色が違うからそれを一覧表にしようという、その発想と実行力はつぶしてはいけない良い点だ。

「そうなのか、ありがとう」

 レッドからのお礼の言葉に子供が嬉しそうに鼻の下をこすった。

「でも、今度からちゃんと約束は守ってよ? 何か思いついたら相談するのよ?」

 調子に乗りそうなので念のため釘を刺す。

 本当に、紫外線は危険なんだから。ぶるぶるしすぎたら……波を小さくしすぎたら……。

「アリス、お前もだ、相談してくれ」

 え? 私?

 レッドは何を怒ってるの? 点灯式みたいにカウントダウンしたほうがよかったのかな? そりゃ突然光ったら驚くし、驚いて動きが止まって危険だったかもしれないし……。

「ご、ごめんなさい」

 素直に謝る。子供たちも見てるしね。ちゃんと謝る姿勢も見せないと。

「大丈夫なのか? こんなに大量に光魔法を使って」

 え? 大量に?

「無理して、また倒れないでくれ……」

 あれ? もしかして、レッドはお礼を言いに来たのではなく、私の身を心配して駆け付けてくれたってこと?

「大丈夫だよ?」

 レッドが首を横に振った。

「大丈夫じゃないだろう、こんなにたくさんの光……」

 レッドが何万個のLEDイルミネーションみたいな光景を指す。

「あー、本当に大丈夫だよ。私が出した光は一つだけ、見えないけど、あの辺に……紫外線……ブラックライトっていう黒い光に照らされて魔物の体が光っているだけで……」

 レッドがほっと息を吐き出す。

「本当なんだな? 無理はしてないんだな? 魔力はちゃんと残ってるんだな?」

 うんうん、大丈夫。とこくこくと頷いてみせる。

「もし、また魔力切れで倒れるようなことがあったら、出て行ってもらうからな?」

 え? 出ていく?

 それって、ギルドへの立ち入り禁止ってこと? 冒険者登録抹消の追放ってこと?

 まぁでも、今はアルフレッド様に屋敷から出るなと言われてるから、ギルドにいけないんだけどなぁ。

 逆ならいいのになぁ。

「アルフレッド様に出ていけって言われたら嬉しいのになぁ……」

 そうしたらギルドで生活する。押しかける。筋肉に囲まれて生活する。

 レッドがショックを受けた顔をしている。あれ? 押しかけてやるって声に出てた?

 いや、声には出てなかったよね?

「そうか……やはり辛かったのか……」

「まぁ、うん、そうだねぇ……」

 屋敷で公爵夫人としての仕事が大切というのはわかってるけど。それでも、やっぱりギルドにも顔を出したいし……。領民たちとの交流もしたいし。

 避難所に来てもらって会うことはできるけど……。

 冒険者の姿を見ることはできないのよっ!

 筋肉神であるガルダ様のお姿を見ることができない! 推し活が制限されるのは、オタクには何よりの罰なのよぉ!

 心の栄養補給が足りないっ!

「落ち着いたら、話し合おう」

 ん? 何?

「もしかして、レッドがアルフレッド様に伝えてくれるの?」

「ねーねー、なんの話? ギルド長とアルフレッド様の名前をどうして出してるの?」

 子供がわけがわからないという顔をして私を見上げていた。

 はっ。

 思わず途中から屋敷に閉じ込められているリリアリスの立場で考えちゃったけど、私は冒険者のアリスだ。

「あ、違う、そうじゃない。アリスはね、お屋敷の地下室を使わせてもらえて感謝してるの、出ていけなんて言われたくないからね? そうじゃなくて、えっと、そう、あー、うんと、ほ、ほら、アルフレッド様とほとんど顔を合わせることがな、ないから、出ていけでもなんでも、その、会ってお話ができたらうれしいなぁ……みたい、な?」

 苦し紛れの言い訳に、レッドがポカーンとしている。

「あ、ああ、あー、そうか、アルフレッドとアリスは、そうか、ほとんど会ったことが、ない、そうか、そうか……」

 と、納得してもらえたのかな? でもまてよ、ここで会わせると言われたらどうなる?

 さすがに、リリアリスと会ったことがあるアルフレッド様がアリスと会った場合「同一人物」だと気が付いてしまうのでは?

 ギルドに行っていたことがバレちゃまずいよね?

 私はアルフレッド様に追い出されないように色仕掛けでもなんでも離婚されないようにしようと決意したのに、貴族令嬢が冒険者などそんな常識外れの嫁はいらんっとかすぐに追い出されてしまう可能性も……。冷や汗をだらだら流していると、大きな声が上がった。

「オレンジはなんの魔物だーっ?」

 遠く離れた箇所にオレンジ色に光る魔物が城壁を登っているのが見える。

 光に吸い寄せられる魔物ではないのだろうか。まるで天の川のように、大量のオレンジの光がずらずらと城壁に張り付いて登っている。

 男の子が即答した。

「ゴブリン、それから薄い青い光はホーンベア」

 男の子の声に、レッドが走り出した。

「昼行性の魔物も動いている。オレンジ、薄い青、ゴブリンとホーンベアだ。新月で暗く方向もわからないのに同じ方向に進んでいる。ほかの箇所も注意して見張ってくれ」

 ドリューさんが頷いた。

 どうやら爺マッチョ戦隊は動き回れない分、私たちの護衛をしつつあちこちに注意を払い見張り役を兼ねるようだ。

「僕たちだって、見張るくらいはできるっ」

 子供たちが立ち上がった。

「近づく闇スパイダーは私が火球でやっつけるよ」

「僕もコントロールはいまいちだけど、あれだけ大きな的なら外さないよ」

「おいらは石鏃でオークの額を狙えるよ、よじ登ろうとしてるやつは頭の位置がほとんど動かないんだもん」

「私は目がいいから遠くも見張れる!」

「水球で脅かしてやるわっ! それだけでも倒しやすくなるんだよね?」

 子供たちの声に、ドリューさんが驚いている。

「大丈夫です。守られます。守られながら、できることをするだけです」

 ドリューさんが小さく言葉を漏らした。

「正直、助かる……」

 そして、声をはりあげ、近くの騎士に声をかけた。

「ここ一帯は任せてくれ。大丈夫だ、ワシら五人と小さな騎士たちで死守する。やばくなればすぐに呼ぶ。ほかの場所の応援に行ってくれ!」

 騎士たちは少し躊躇したものの、子供たちが爺マッチョ戦隊に守られながら戦力になっているのを見て動いた。

「さすがに、子供たちと爺マッチョ戦隊合わせて三〇人以上が一か所に固まっているのだ。近くの魔物を見逃すこともない。

 会話する余裕さえある。

「それにしても……昼行性の魔物たちの動きは妙じゃな」

「スタンピードならば、昼夜関係なく魔物という魔物が雪崩のように押し寄せてくるが、それとも動きが違うようじゃ」

 青い光の川のように見えるゴブリンたち。

 同じ方向に向かって進む理由……。

 戦闘音に交じって、バキバキと木が折れる音が聞こえてきた。

「逃げてる……」

 ふとでたつぶやきにドリューさんが反応した。

「そうじゃ、それじゃ、強い魔物からゴブリンたちは逃げているんじゃ。夜だからと寝ていられない、暗くて何も見えないからじっとしている……そんな状況ではないってことじゃ」

 一体何から逃げてるの?

「【ブラックライト】」

 逃げている魔物たちの向こう側にブラックライトを出す。

 白く光が浮かび上がった。

「あれは……!」

 森の木々をなぎ倒しながら進んでくる白い光が見える。

 森の中を進んでくるというのに、その姿ははっきりと見える。

「でかい……」

 誰かがつぶやいた。

 そうだ。森の木々よりも大きな体の魔物だ。だから見える。

 騎士たちも気が付いたのだろう。

 一瞬斬撃の音がやんだ。

「こりゃ……城壁が崩されるのも時間の問題か……」

 ドリューさんが唾を飲み込む音が聞こえた。

 それからすぐに騎士たちの声も聞こえてきた。

「地竜だ!」

 地竜?

「空は飛べないがその分力が強いドラゴンじゃ」

 有名な映画の怪獣のようなシルエットで木々をなぎ倒しながら近づいてくる白い光。動きはそこまで速くはない。ゆっくりゆっくりと、地面に広がる光を踏みつぶしていく。

 魔物の総数は減っているのに、喜ぶことができない。

「城壁だけではない……奴が進んだところは建物一つのこらぬ……」

「せっかくここまで街が復興したというのに……」

 爺マッチョたちの落胆した声にかぶせるように悲痛な声が飛ぶ。

「アルフレッド様、お逃げください! 避難を。地竜が出たのではどうにもなりません、避難所で過ぎ去るまで皆で息をひそめるしか」

 騎士団長ソウさんの声だ。

 アルフレッド様もここにきていたのか。

「わかった。逃げてくれ。皆は早急に避難所へと向かえ! ソウ、悪いが皆が退避するまで付き合ってもらう」

 なぜかレッドの声が聞こえてきた。

 領主であるアルフレッド様を逃がすためにギルド長として協力するつもりなんだろうか?

「ワシらも階段を死守しよう」

 爺マッチョ戦隊は残る意志を示した。

「危険だ、お前たちも逃げてくれ」

 レッドの声が近くなる。火の光でレッドにかかった影が揺れた。

「なぁに、これこそおいぼれの役目よ」

 ドリューさんが笑う。

「すまん」

 何を言ってんの、何を……!

 まるで命を懸けるかのように、死んじゃうみたいな言い方……。

「し、死なないよね?」

 レッドの腕をつかむ。

 すでに騎士たちは退避を始めていた。子供たちは守られながら階段を下りていっている。

 死なないよという言葉をレッドは口にしない。

「アリスも早く逃げろ」

「レッド、死なないでしょう?」

 レッドが笑っている。

「なぁ、アリス……キスしていいか?」

 何を言ってるの? こんな時に。