「ねぇ、マーサ、アルフレッド様にはいつ会えるかしら?」

 マーサがハッとする。

「リリアリス様、アルフレッド様にお会いしたいということですか? でしたら、アルフレッド様を呼びに行かせましょうか? その間にリリアリス様は身支度を」

 マーサが化粧道具の準備を始めた。

 ……げぇ。

 今は割と動きやすいワンピースのようなドレスに、髪の毛はラフに後ろで少し結んだだけで化粧も紅くらいだけど……。

 そうか、アルフレッド様に会う場合は、がっつりドレスにぎっちり髪の毛結い上げのばっちりフルメイクになるのか。

 めんどくせぇ。

「会いたくないから、大丈夫! そう、手紙、手紙で十分だわ」

 屋敷の地下室のことは私の管轄だけど、街の広場下とギルド下の避難所は公爵夫人が勝手にしていいかわからないからお伺いを立てたいだけだし。掃除したりさ。

 マーサががっかりして化粧道具を緩慢な動きで片付けだした。

「えーっと、アルフレッド様って忙しいのよね?」

 マーサが大きく頷く。

「はい。とても忙しく働いておいでです。屋敷にお戻りになることがほとんどないのも、リリアリス様を避けているとか愛人を囲っているとかではありません。その点は間違いありませんっ」

 そうなんだ。

 っていうか、別に私を避けていても、愛人がいても構わないんだけどね。

 三年後に離婚されるとりあえずの妻なので。

 だけど、なんでマーサはそんなに必死にアルフレッド様の肩を持つんだろう?

 ……使用人に慕われている旦那様だから、少しでも悪く思われたくないってことかな?

 それとも、離婚した後、私があることないこと悪口をあちこちに言って回るとでも思われてる?

「大丈夫、私はちゃんと、アルフレッド様の筋肉も愛してるわ」

「……え? えーっと、あのお腹で筋肉? その、全然、いつもと……違う、騎士たちのように鍛えた体とは違っているように、作った……いえ、えーっと、見えたと思うのですが」

 お腹が出ていたって、私を軽々と抱き上げるだけの筋肉を持っている。お相撲さん系筋肉。私は力士の国の女。

 ぱっと見で騙されないのよ。(どやっ)とはいえ……。

「作った? あのお腹を?」

 相撲取りのように? わざとたくさん食べて寝て……?

「あ、いえ、あのー、そのー、か、貫禄、そう、貫禄を出そうと……、その……」

 ああなるほど。

「アルフレッド様は幼くして公爵としてアシュラーン領主になったんだったわね。幼いというか子供で。……大人に舐められないように、たくさん食べて大きくなろうとしたのね……」

「あ、はい……そうです……」

 マーサの視線が泳いでいる。もしかして、そんな努力を人に知られたくなかったみたいな? 気が付かないふりをしなくちゃならなかったやつ?

 冷汗。空気読めない私。こんな時は、秘儀! 話題を変えるぞ。

「マーサ、刺繡をするので、裁縫道具に刺繡糸とそれから布を……そうね、ハンカチにできる布を準備してくれる?」

 王妃様に献上する刺繡もそろそろ縫わないと……徹夜して仕上げたくはないので少しずつ進めたいよね。

「って、忘れるところだったわ!」

 あっぶなーい。

 刺繡の前にアルフレッド様に手紙、手紙。

「えーっと、お元気ですか……はいらないな。前略……も別にいいか。いきなり用件だけでいいか、忙しい人なんだもんね。無駄な言い回しはなしなし」

 えっと、屋敷の地下の避難所だけではなく、他の避難所も掃除したり整えたりする指示をしてもいいですか? 掃除の依頼をギルドに出したり。温石を準備したり。

「マーサ、この手紙をアルフレッド様に届けて」

 忙しいから返事はすぐには来ないかもね。返事が来るまでは刺繡してようか?

 チクチク。チクチク。チクチク。

 ああ! 飽きた!

 部屋にこもって刺繡ばっかりじゃ飽きるよっ!

 別に超特急で仕上げる必要もないんだ! まだユメリアから酒も届いてないしね!

「ちょっと庭を散歩してくるわね」

 るんるんるーん。

 騎士たちの訓練見に行くんだ! 筋肉補給。

「リリアリス様」

 立ち上がったところでノックの音が。

「はい」

 ……さすがに無視もできない。

 カイが入ってきた。手には輪っか。

「試作ができましたのでお持ちいたしました」

 そうだった! 忘れてた!

 刺繡するときに不便だから刺繡枠が欲しいと思って作ってもらったんだ。

 カイが持ってきたのは、直径二〇センチほどの輪っか。前世の刺繡枠に比べて高さがある。三センチくらいあるだろうか。真ん中に溝がある。

 さすがにねじでサイズを調整する二重の輪になっているものは無理ということで、太鼓の革張りみたいな、布を引っ張って紐で縛って止める感じの物をお願いした。

 溝の部分に紐がはまってずれにくくなるってことね。

 ちょっとしわになるけどそれは後でアイロンを当てるしかないかな。

 素材は竹だ。竹を丸めて作ってある。

「力を入れると割れてしまいますが、木で同じ強度を持つものはもっと重くなってしまいますし、金属では加工に手間がかかるうえ高くなるそうで……」

 なるほどなるほど。それから、直径三〇センチほどのものと一〇センチほどのものもカイが机の上に置いた。

「竹はアシュラーン領にあるのね?」

 寒冷地にはないイメージだった。

「いえ、三つ隣の領地から買っています」

「え?」

「三つ隣のサンサーキ伯爵領は森林地が少ないため、こちらから薪を運び、帰りに竹を仕入れて戻ってくるのです」

「サンサーキ伯爵領はなぜ、離れたアシュラーン領からわざわざ薪を買うの? もっと近くの領地から買えばいいんじゃない?」

 頭の中に地図を思い浮かべる。三つ先……? 王都とアシュラーン領地の真ん中くらい?

「冬の前には、サンサーキ領の周辺の領地でも薪は不足するんです」

 そっか。冬支度に大量の薪が必要になるのか。というか、冬前だけの需要増加じゃ、特産品ってほどにもならないのか。

「ちょうど、アシュラーン領では冬の間は室内に長時間籠ります。その間に竹細工をする者も多いので、竹を買って帰れば一石二鳥なんです」

 なるほどなるほど。

 切ったり削ったりは難しくても、竹で籠なんかを編むには薄暗い室内でもできるってことかな?

 普段から竹細工を作っているからか、刺繡枠もどきも綺麗な輪っかになってる。

 カイに値段を聞くと、刺繡枠は他の竹細工に比べて加工の工程が少ないのでそこまで高くはなかった。しかも、一番小さい直径一〇センチほどのサイズは、竹を切って紐がずれていかない溝を彫るだけで子供でも作れるという。ワンポイント刺繡用ならそれで充分?

「じゃあ、とりあえずこれを使ってみて、いいようならいくつか注文するわ。ありがとう」

 とりあえず使用人たちに使ってもらって改良していい感じなら、特産品?

「マーサ、これを皆で使って、使い心地を教えてね!」

 試作品の使い心地はまず使用人たちに確かめてもらって……。

 私は。いざ行かん。筋肉パラダイスへレッツらゴー!

「リリアリス様」

 ノックの音が。

 今度はなにようっ!

「お手紙が届いております」

 侍女から手紙を受け取る。

「アルフレッド様からだ。忙しい身なのに、返事を書いてくれたのか」

 いい人だな。私の旦那様は。

 なになに。

「避難所は領民のためにある場所だ。領民のためなら自由にして構わない」

 ……懐深いわ!

 いや、それとも考えなし? 嫁いできたばかりの、ちょっと顔を合わせただけの娘に好きにさせちゃっていいの? ……愛せないことの罪滅ぼしなのかな。

 さて。手紙も読んだ。

 これで、心置きなく騎士様の訓練所へと行くのです!

 そして、聞こえる、ノックの音が……。

 いやぁー! 何なの! 私から筋肉を奪おうという謎の力が働いているの?

 ……な、わけはない。そうだよ。そんなわけはないんだよ……ね?

「お荷物が届いております」

 はい?

「荷物? 何それ?」

 使用人が手紙を差し出した。

「ユメリアから……ってことは」

 手紙を開く。

「お姉様へ、頼まれていた刺繡糸と布、それからお酒を送ります。ハンカチ、楽しみにしていますわ。ユメリアより」

 早いな。王都との距離を考えるとずいぶん到着が早い気がする。相当慌てて準備したのかな?

 王妃様に噓がばれないように必死?

「荷物はどこへ運び入れましょう」

 使用人の問いに、とりあえず荷物を見に行くことに。どれくらいの量が送られてきているかも分からないし。

 荷馬車が二台。

 一つは木箱が十個。

 使用人に蓋を開けさせて中を確認すると、六箱が布。二箱が大量の刺繡糸。

「どれだけ刺繡させるつもりだろう。まぁいいわ。ありがたく使わせてもらおう」

 残り二箱はユメリアの着なくなった服。……うん、分解するとレースや宝石が手に入る……。どんだけ金をかけて作ったドレスか自覚がないみたいだね。宝石つけたまま自分で詰め込んだ?

 拝んどこう。

 それからもう一つの荷馬車には酒樽が十。

「……ほろもかぶせずに運んだのに、よく奪われなかったわね?」

 酒樽なんて、酒のみの盗賊に奪われちゃいそうなのに。

 幌がない馬車で運んだのは私に酒を届ける気がはなからなかったか。「送ったのに盗賊に奪われてしまったんですね」と言い訳できるし。

 それとも、お姉様への贈り物にたくさんのお酒を送る聖女様優しい、酒を要求するなんて流刑地は酒飲みがいるやっぱり怖い土地って噂を立てたかったか。

 ……どちらも、ありそう。

「それが……その」

 荷物を運んだ者が視線をさまよわせた。

「中身は何?」

 実はただの水なんて落ちもありそうだ。できれば私が狙っていた品をユメリアが送ってくれてるといいんだけどな。

 使用人に一つの樽から中身を少し出してもらう。

「うぐっ、これは……」

 蓋を開けた使用人が顔をしかめた。どうも酒ではないみたいだ。

 小皿に移され運ばれた液体。

 ツーンと鼻につく匂い。

 私と一緒に荷物を確認しに来ていたマーサが険しい顔をする。

「酢じゃないですか……手紙では酒を送ると書いてあったのですよね?」

「うん、そうねぇ」

 思った通り。さすが双子。以心伝心ね。

 いじわるしても、言い訳ができることをすると思ったけれど。

 まずくて飲めない酒とか、とにかく本当に酒を送ったという事実が覆されないような。

 まともな酒を送ってくるとはこれっぽっちも思ってなかったんだよな。ユメリアだからさ。

 掃除に使いたいんだから、まともじゃない酒のほうがありがたいと思ってたんだよ。飲めない酒なら、心置きなく掃除に使えるものね。

 しかし、まずくて飲めない酒どころか……まさか古くて酢になってしまった酒を送ってくるとは……。ユメリアってば、性格悪。

「こんなにたくさん酢を……」

「そう、想像以上にたくさんの酢だわ!」

 でも、その意地悪が、私には宝物よ! 嬉しすぎる。

 にこにこ笑顔を見せたらマーサが不審な目で私を見る。

「だって、せいぜい二~三樽くらいかなと思っていたのに、十樽も」

 ドラム缶より大きそうな酒の大樽だから、どれくらいの量があるんだろう。日本の鏡割りをする系の酒樽じゃなくて、西洋風のでかいやつ。何百リットル入ってるんだろう、一つで。風呂の浴槽のお湯よりは多そう。浴槽って二〇〇~三〇〇リットルだったっけ?

「酢はね、すごいのよ」

 筋肉のコリをほぐすのよ。疲労物質の乳酸を分解するの! だから疲労回復にもつながるの!

 それだけじゃないのよ。打ち身や筋肉痛に、布に酢をしみこませて湿布するとちょっと楽になるらしい。あいにくやったことはない。

 後で騎士団へ行って教えてあげないと。

「一樽は騎士団の訓練所の小屋に運んでちょうだい」

 マーサが慌てた。

「リリアリス様、さすがに、酒好きでも酢になったものを飲むようなことは……いえ、何人かは酢でもいいと飲んでしまうかも……」

 え?

「勝手に飲まないように釘を刺しておいてね!」

 酒樽を運ぼうとしている人に慌てて声をかける。

 まさか酢を酒代わりに飲む人がいるとは。いや、酢も飲めるけど。ダイエットにリンゴ酢、美容と健康に黒酢、飲むけど。

「えーっと、酢は味付けの他にも、肉を柔らかくする効果があるから、硬い魔物肉に使うといいと思う。調理場へ一樽運んで。後で説明しに行くから」

「魔物肉を柔らかく……」

 マーサがつぶやいた。

「それはいいですね。あの、領民たちにも酢を分けてあげても構わないですか?」

「……そうね、ギルドで売ってもらう? 入れ物持ってきてもらって量り売りがいいかしらね? 使い方の基本を広めてからのほうがいいかな? じゃあ、二樽はギルドへ運んでもらうとして。カイかサラに簡単に説明してもらえるように後で話をするわ」

「それから、残りの六樽は地下の避難所へ運んでもらえる? 三か所ある避難所に二樽ずつ」

「え? 保管するのであれば避難所に分けて置く必要はないのではないですか?」

 マーサが首を傾げた。

「使うのよ」

 酢は掃除に使える。殺菌できる。カビ退治。

 それだけじゃないよ。酢を入れた水に足をつけると水虫対策になるとか。となれば手をつければ、ばい菌さよならってことでしょ?

 あと、トイレの匂い軽減。

 部屋の匂いも酢を入れた水を加熱して蒸気を部屋にいきわたらせると、酢の匂いが充満するけれどその匂いが消えると部屋の悪臭も消えているという。

 洗濯に使えば布は柔らかくなるし、色落ち防止になるし、黄ばみにも染みにも……いいことづくめだ。

「何に、使うのですか?」

「一つずつ、実践しながら説明するわ」

 まずは、掃除か!

 マーサにだけ説明しても仕方がないよね。

 どうせなら説明を受けた人に私が行けない他の二つの避難所の掃除や準備をしてほしいし。

 皆に教える、一度に。……誰に?

 屋敷の使用人に教えても、他の避難所の掃除のために派遣するわけにもいかないから……。

 と、なると、やっぱりあれよね。

「サラはいる? いなきゃカイを呼んで、ギルドへ行ってほしい」

 さてと、荷物を運ぶ指示を出して。

 ……もう、誰も、私を呼ぶ声は聞こえない。

 ふんっ! 私から筋肉を遠ざける謎の力に打ち勝ったわ!

 さぁ、訓練所へレッツゴー!


「あれ? いない……?」

 騎士の訓練所ののぞき見……こほん、見学に来たところ、誰もいなかった。

「なんでぇ、どうしてぇ」

 がっくりとうなだれると、訓練所の脇の小屋のドアが開いた。

 お、今から訓練が始まる!

 と思ったら、中から出てきたのは、樽を運んだ使用人と退役騎士らしき年よりだった。

「あ、奥様」

 見つかった。

 年より……というのは失礼かな。六十歳前後の白髪の男が出てきた。騎士の服に似てはいるもののもう少し飾り気がなくてラフだ。見習いのような服装に近いけれど、さすがにこの年で見習いではないだろう。

 ひょこひょことおぼつかない足取りだ。膝でも痛いのかな?

「樽の中身の酢の使い方を説明してくださると聞きましたが」

 あ、そうそう。それよ、それ。別に筋肉をのぞき見しにきたわけじゃないのよ?

 でも、筋肉がいるときにまた改めたい……。

「あいにくと、今は立て込んでおりますので、日を改めていただいてもよろしいでしょうか?」

 よろこんで! 騎士がいっぱいいるときにするよ!

「騎士たちが訓練をしていないようだけれど、何かあったの?」

 いつ戻ってくるんだろう。

「領都の外にある街道に魔物が現れたということで、安全確保のために確認に行っております」

 このあたりのことは何も分からないけれど……。

「街道に魔物が出るのは珍しいことなの? いつもはそれほど出ないの?」

 なら、比較的安全なのでは?

 魔物が出るから流通が困難っていうのは思い込み?

 いや、でも騎士が出払うほどっていうのはかなりの数の魔物が出たってこと?

「いつもでしたら、冒険者に任せているのですが、冒険者は森の魔物の巣をつぶしに出払っていますので……」

 そういえば、共生しないはずのオークとゴブリンが共生していてスタンピードの前兆だとか、ワーウルフが出る前に聞いたけれど……。

「スタンピードの危険があるということ?」

 すっと背筋が寒くなる。

 刺繡してる場合じゃないのでは?

「起きないように、巣をつぶして回っているのですよ。巣が大きくなる前に、魔物の数が増える前につぶしていけばスタンピードを防げますから」

 老人が笑うと、しわが一層深くなる。

 あ、しわに交じって傷跡も見える。

 スタンピードも何度か経験しているのかもしれない。先頭に立ち戦い生き残り街を守ってきたのかもしれない。

 胸熱だよ。

「それで、冒険者が手一杯なので騎士が動いています。何分冒険者に比べて人数が少ないため街道の見回りと領都の警備で、今は出払っています」

「えっと、出払っちゃって、大丈夫なの? その、冒険者も騎士もいないときに、街に魔物が出てきたら……」

 またも、老人が笑う。

「奥様、安心してください。ワシらがおります」

 えっと……ご老人……もしや、水戸黄門様のように、ふおふおふおと言いながら杖の隠し刀を抜いてバッタバッタと敵を倒す実力の持ち主?

「前線で戦うことができなくなったワシらでも、門を守ることはできますので」

 そう言って、老人は、ズボンのすそを上げて、木でできた義足を見せてくれた。

 それから、腕をまくって腕の筋肉を。

「え、えっと、えっと」

 じじマッチョォォォォ!

 年を取ると筋肉が衰えるというけれど、きちんと鍛えれば美しい筋肉が残る。

「魔物に足をやられて、騎士として戦えなくなったワシらを、かつての領主は使い物にならないとすぐに捨てていたんですが、アルフレッド様は領地のために戦ってくれた者として手を差し伸べてくれました」

 そっか。

「事務仕事に馬の世話係、屋敷での仕事や、街で生活するための支度金をくださいました。その恩に報いるために、ワシらはいざという時はアルフレッド様のために戦うために鍛えております」

「ワシら?」

「屋敷で働く男衆の半数は元騎士で、今も訓練を続けております。街で生活する仲間たちも、鍛冶屋になろうが木こりになろうが鍛えていますよ」

 なんとまぁ。

 街のあちこちに、しっかり戦える人がいるのか。

 いや、しっかり戦えるというのとも、また違う。義足で動き回れず、門の前に立ち剣を振るのって……。

「門を守るというのは……」

 私のつぶやきに老人はさらに優しく微笑む。

「弁慶の立ち往生」という言葉が浮かんだ。源義経を守るために、橋に立ち全身に矢を受けた弁慶。盾となり、主のために命をかけて……。

 死ぬ覚悟をしているの?

「奥様、そんな顔をなさらないでください。若者を守るのは年寄りの仕事です。それに、アルフレッド様が手を差し伸べてくださらなければとうに死んでいたでしょう。ろくに働けず食うに困って野垂れ死んでいった者をたくさん見てきました」

 私はどんな顔をしているのだろう。

 老人の言葉に何を返せばいいのか。

 誰にも死んでほしくないなんて綺麗ごとだと分かっている。そんなに甘い世界じゃない。

 きっと、トリアージが時として必要なのだろう。命の選択……。きれいごとじゃなくて……。

 私は、選択する側の人間だ。

 怖い。

 指先が震えだす。

「アルフレッド様のおかげで、ワシらの出番がないまま寿命を迎えられそうですよ。せっかく鍛えていても、無駄になりそうです」

 あははと、私の気持ちを軽くするように老人が笑った。

 ぐっとこぶしを握る。

「また落ち着いたら、酢の使い方を説明しに来るわね。……えーっと、あなたは……」

 老人がポンッと手を打った。

「まだ名乗っておりませんでした。申し訳ありません奥様。二十年ほど前まで騎士団長をしていたコウです」

 元騎士団長だった! 名前、コウっていうのか! 今の騎士団長がソウなので、何らかのつながりが?

 分からないことだらけだ。

「コウ、騎士たちが戻ってきたら、酒と間違えて飲まないように見張ってもらえる? 鍛えた腕で不埒な者を排除してね」

 努めて明るい声を出す。

「わはは、そうですね。まだまだひよっこ騎士には負けません。樽に近づくやからをこの鍛えた腕でなぎ倒してやります」

 コウは、力こぶを作り、ぽんっと逆の手で軽くたたいてみせた。

 服の上からでも、分かる、立派な爺筋肉。

 ……と、見ても心は浮き立たない。命の選択……それが重く心にのしかかる。

 部屋に戻っても、心が晴れない。

 よほど暗い顔をしていたのだろう。

 マーサは刺繡の道具を片付けて、お茶を入れてくれた。いつもは控えめな高価なはちみつを、たっぷり入れた甘いお茶。

「どうなさったのですか?」

 うんと頷く。

「騎士の訓練所を見に行ったら、騎士は誰もいなくて……」

 マーサが何かを察したようだ。

「大丈夫ですよ。領都を守るために出ているのですから、領都まで魔物が来たりしません」

 どうやら、私の顔色が悪いのは、魔物のせいだと思っている。

「コウに会ったの」

 マーサがうんと頷く。

「年を取っていますが、頼りになりますよ。コウさんも、コウさん率いる老騎士隊も」

「老騎士隊? 何それ」

 知らない言葉がまた出てきた。

「正式な騎士ではないんです。元騎士の年寄りたちが自称しているんです。結成五年目と、隊員の年齢は年寄りなのに新しい団体なんですよ」

 マーサが楽しそうに教えてくれる。

「それで、コウさんに会ってなぜそんな顔をしているのでしょうか? 教えていただいても?」

 顔が曇る。

 心臓がぎちぎちする。

「……若者を守るために命を……捨てる覚悟を見せられて……」

 ボロボロと涙が落ちる。

「未来のある若者と先の短い老人と……何も言えなかった。死なないでと。皆同じように大切な命なのだと……」

 マーサはにこにこだ。

「言っても良かったと思いますよ」

「え?」

 マーサが、とっておきの柔らかいハンカチで私の涙をぬぐってくれた。

 ユメリアから贈られた布を見て「これはリリアリス様用にいいですね」と抜き出した布だ。

「で、でも、私は公爵夫人として、より多くの領民を守るために、命の……選択を……」

 マーサがふっと笑い出す。

「そうですねぇ、コウさんたち老騎士隊は、『生意気だ! ひよっこは引っ込んでろ』って、言うでしょうね」

「え?」

 マーサが、もう一度私の涙をハンカチで拭いたあとに、乱れた前髪をそっと直してくれた。

「リリアリス様が何を選択しても、その選択を受け入れるか受け入れないかを、自分自身で〝選択〟しますよ。だから、気に病むことはありません」

「あ……」

 そうか。医療のトリアージは「医療を施す側」の選別だ。患者側が選べない。魔物と戦うのは「戦う側が自分で戦うも逃げるも選べるということか……。

「私だって」

 マーサが言葉を続ける。

「魔物が屋敷に侵入した時には『アシュラーン領に来たばかりで何がわかるの!』とリリアリス様の指示に背くかもしれません」

 軽く言うけど「逃げて、マーサ!」って言ったときに逃げてくれないとかそういうこと?

 困る。やっぱりできるだけ誰にも死んでほしくない。

 となると、全員基本的な戦闘力があると生存率が上がるのか。

 日本だと学校では避難訓練が年に何度かある。市町村単位でも行われているところもある。

 定期的に行うかな? 戦闘訓練、身を護る訓練。避難所で子供たちに剣の基本的な扱い方を教えたほうがいいかなと思っていたけれど、それ以外の訓練もしたほうがいいのかもしれない。剣は重たい。女性や子供が振り回すのは難しいだろう。

 そうすると、弓とか? ……魔法で何か身を護る方法とか?

 火光は魔物除けに効果があるらしい。他にも何かあるかもしれない。攻撃魔法ほど強い魔法が使えない他の属性でも。

「あ、そっか……そういうことか……」

 たくさんの人の命を助けたいなら、一人でも多くの人が助かる方法を考えるしかない。備えるしかない。

 守ってもらうなんて受け身で構えれば「私を守るために命をかけるなんて」って言葉も出てきてしまう。

 私も私の方法で守るよ! 守る側になるの! 剣を持つばかりが守ることじゃないはずだ。

「ありがとうマーサ、元気が出た。で、カイは戻ってきてる?」

「はい、依頼してきたそうです。明日の昼食前に地下室に集まってくれるみたいです」

 そっか。何人くらい集まるかな?

「早速料理長に昼食の準備を頼まないと……」


 調理場で腕を組んで考え込む。

「ワーウルフソーセージでしたら大量にご用意できます。茹で卵は……ここのところ大量に使うことも多く、百個ほどなら……」

 ワーウルフソーセージは保存食にするために、いぶしたり干したりしてる途中のがあるよね。ドライソーセージではなくセミドライな状態かな。スモークソーセージもおいしいよね。

 って、もうさすがに飽きたよぉ! ソーセージ生活には……。

 来てくれた人も「またか」ってなるよ。

「パンは大丈夫?」

「はい。リリアリス様考案のパンでしたら、一度に今まで以上の量が焼けますから」

 私が考案したわけじゃないけども!

 食パンを作ってもらえるようになったのだ!

 型に入れて焼く、それだけで一度にたくさん焼ける。隣とくっつく心配もいらないし、上へのふくらみを誘導できるし……一つずつ形をつくる必要もない。必要な分だけ切ればいいんだもんね。

「打ち粉の量も減らせますし」

 と、食料難気味の切実な言葉も加えられた。

 そうそう、一つずつパンの形を作るには引っ付かないように打ち粉しないといけないもんね。

「ワーウルフの肉は?」

「はい、すでにすべて加工を終えております。ソーセージも肉も干す工程中ですからここにはありませんが十分な量があります」

 目の端にちらりと映る白いもの。

「あれは?」

「ああ、ワーウルフから取った脂です」

 近づいて見る。

 ラードみたいなやつだ。ラードは豚の脂から取ったもの。牛から取った脂は牛脂……ヘットだ。ワーウルフから取った脂は狼脂……ローシとか? って、名付けてどうする!

「何に使うんですか?」

「料理の油代わりに使いますが、こんなに大量にあっても腐らせてしまいそうです。冬場なら雪に埋めておけばいいんですが……」

 うん。水瓶かっていう大きなサイズの瓶に三つのラードもどき。

 揚げ物に使うか? 他に……ラードってお好み焼きとか焼きそば焼くときに使うとおいしいんだよね。

 あ、あと……確か「石鹼」も作れるんだ! 臭みがあるけど汚れは落ちるとか何かで読んだ。

 ……読んだけど、作り方は分からない! 異世界転生した皆は、よく作り方知ってるよね? びっくりする。

 石鹼が作れるなら、大量にあっても消費できたんだけどなぁ。腐らせちゃうのかぁ。

 ラードは正直、脂だからなぁ。脂肪。筋肉づくりにはあまりたくさんは必要ない。

 でも……エネルギー源としては優秀。高カロリーだから、食に乏しいアシュラーン公爵領では必要だろう。

 それにビタミンも何種類か含まれてる。たしかラードはビタミンKも入ってたはず。止血のビタミンと言われるもので、血液凝固を助ける働きがあるとか。……つまり……。

 魔物と戦ったりして怪我を負う可能性が高い人には役立つ。

 エネルギーも、冬の寒さを乗り切るには脂肪を体につけたほうがいいんだろうし。

「食べましょう!」

 こぶしを握り締めて主張すると、料理長がハッとした表情を見せる。

「そうですね、贅沢になっていたようです。食べるものがなくて冬を越せない人も見てきたはずなのに……。味が悪かろうと腐ろうと、口にできるものがあるなら」

「ちょっと、待って待って、違う違う、さすがに、腐ったら捨てよう? そうじゃなくて、捨てることがないように、腐る前に食べきりましょう!」

 料理長がうんと頷いた。

「今日から食事にこの脂を一匙ずつ」

「違う、そうじゃなくて、料理に使って消費しましょうね?」

 なぜ、アイスクリームみたいにラードをスプーンですくって食べる発想になるのか! いや、アイスクリームの容器に入っていたら、おいしそうと思っちゃうかもだけど。

 無理でしょう、無理無理。あ、ラードもどきだから、名前ないからラードって呼んでるけど……。

「少し油で熱してもらえる?」

「犯罪者に飲ませる煮え湯に……?」

 煮え湯じゃなくて、煮え油……って、怖いわ!

 ちょっとそこの料理人、わくわくした顔しない!

「熱したときの匂いが知りたいだけよ!」

 熱して溶けたラードもどきのワーウルフ脂の匂いを嗅ぐ。

「いやなにおいはしないわね?」

 それから少しスプーンに取り味を確かめる。

「あ、溶かしたやつなら、スープの代わりにパンにつけて食べたらいいんじゃないですか?」

 料理人の一人が手を上げた。

「そういえば、バターみたいにラードをパンに塗って食べる国もあったわね……」

 やってみようと料理人がパンをもってきた。一人が溶かしたラードにパンの先をつけて口に運ぶ。

「パンだけで食べるより満足感がありますね、肉はなくても、ちょっと何か料理を食べたような感じだ」

「おいしいですね、少し塩を足してみましょうか」

 塩を少し入れた溶かしラードもどきをパンにつけて私も食べてみる。

「あ、おいしい。これいいよね!」

 パンとラード……。そういえば……。

「料理長、パンの生地にラードを溶かしたものを混ぜて焼いてみてくれる?」

 確かラード入りのパンはふくらみがよく外側がパリッと焼けると聞いたことがある。バターを入れてパンを焼いたりするんだから、パンを焼くときに入れたって問題ないわよね。

「はい、早速。分量を変えていくつか試作してみます! おい、早速焼いてみるぞ」

 と、料理長が張り切る。

 ……って、パンの話をしに来たんじゃないよ、明日皆に出す料理の話を……。

 どうしよう。パンだけでいいかな? ラードつけるとおいしいよって……さすがに……。

 茹で卵さえつかないなんて、なんとかコーヒー屋さんのモーニングサービスよりも悲しい昼食になっちゃう。

 やはり「またか」になってもワーウルフのソーセージを出すべきか。

 とすると、ホットドッグならぬホットウルフ再び? いや、人数が多いし、食パンを焼いてくれるようだし、となるとサンドイッチ……。干し肉サンドとか?

 卵サンド……?

 卵百個あれば、茹で卵はいきわたらなくても卵サンドなら……。

 そういえば、テレビで見たことあるあれが作れる!

 ユメリアからちょうど酢も貰ったし。

「料理長! 作ってもらいたいものがあるの!」

 ラードや牛脂でも、飽和脂肪なんたらの密度だかなんだかよくわからないけどそれを水で薄めるなりなんなり調整すれば作れると何かで言っていた。試してだめなら諦めるけれど、できたらラッキー。試してみる価値はある。

 カイに、明日の昼前に地下室の掃除をしてもらう依頼を、ギルドに出しに行ってもらった。ユメリアから届いた酢でカビ掃除をしてもらうのだ!

 今までは光魔法の実験で光属性の子供たちに集まってもらっていた。今回は掃除なので属性は関係なく集まってもらうことになっている。つまり属性がまだ分からない、魔法が使えない子でも掃除ができれば連れてきていいと伝えてもらっている。とはいえ、今回の依頼料は銅貨一~五枚と昼食。一〇〇円~五〇〇円程度なので普通にギルドで依頼を受けたほうがお金になる。一〇〇円でも二〇〇円でも手にできたら助かるという立場の人が来てくれたらいいと思っている。


 そして、次の日になった。

 ……たくさん集まるか少ししか集まらないかどっちかな? と思っていたら。

「えーっと……こんなに? でも、依頼料は少ないのに……」

 予定の時間より少し前に地下避難所へ行くと、子供がわんさといた。

 大人の姿もある。

 二~三百人も集まっている。

「依頼料なんていらないよ、自分たちが避難する場所の掃除だろ?」

「そうそう、ここは私たちの生活する場所……家になるかもしれないんだ。家の掃除をお金をもらってする人間なんていないさ」

 と、女性が胸を張った。

「ありがとうございます。人手があると助かります。子供たちに掃除の仕方も教えてもらえると助かります」

 素直に頭を下げる。

「なんであんたが頭を下げるんだい? ……リリアリス様からの依頼だろう?」

 へ?

 あ……! 今日は冒険者見習いの子供たちに依頼をしたから、私はアリスだった。混乱する。

「あはは、リリアリス様から、私が責任持つように言われたので……えーっと、リリアリス様に代わってお礼を……?」

「なるほど、そうかい。ってことは今日はリリアリス様は来ないんだね、アルフレッド様のこととか話がしたかったんだけどねぇ」

 何、何? と思わず尋ねそうになりぐっとこらえる。

「アリスお姉ちゃんっ! これ見て!」

 後ろから声が聞こえ、振り返るとミルト君やマルティナちゃんたち光魔法組の子供たちがいた。

 見て見てと振り回している紙をミルト君が手渡してくれた。

 紙には、ずらりと単語が書いてある。

「え? これって……、モンスターの名前?」

 うんとミルト君が頷いた。

「文字、読めるの?」

 ミルト君が首を横に振った。

「ギルドの受付のお姉さんに書いてもらったんです」

 マルティナちゃんが答えた。

「えーっと?」

 理解が追い付かない。文字が読めないのに、書いてもらったってどうするんだろう?

 これで文字を覚えるとか? 確かに興味のあるものなら覚えるのも早いだろうけど。

「見て見て!」

 ミルト君がそう言うと、ブラックライトを出した。

「あっ」

 すぐにブラックライトをミルト君が消す。

 驚く私の顔を見て、ミルト君がいたずらが成功した子どものように笑った。いや、まんまいたずらが成功した子どもなのか?

 ブラックライトで一瞬見えた光は、いろいろな色だった。

 蛍光ペンをたくさん集めて色を塗ったような……。

 赤、ピンク、オレンジ、黄色、黄緑、緑、青、赤紫、青紫、紫、茶色に白……。

 魔物の名前の周りがブラックライトに照らされ色とりどりに光った。

 ……ブラックライトを消せば、あまりきれいとも言えない紙に、魔物の名前が黒で書いてあるだけ。文字はにじんだり染みがついていたりきれいとは言えない。

 まさか、その理由が……。

「へっへー、すごいでしょ」

 ミルト君が鼻のしたを指でこすった。

「すごいよ!」

 素直にほめる。

「魔物によっていろいろな色になるってわかったから、ミルトがギルドの解体場所で集めたんです」

 マルティナちゃんが説明してくれた。

「いろいろな魔物が一番集まる場所なので」

 うんうんと頷く。

「これ、役に立つよ、私も欲しい! これだけの色があれば、いろんな絵も描けるね!」

「虹はもう描いたんだ」

 ミルト君がどや顔をする横でマルティナちゃんが怒った。

「危険だからここ以外では使わないようにってアリスお姉さんが言ったのに、隠れてこそこそ使ってたんです」

 あ、そうだった。万が一間違って強い紫外線を出しちゃったら危険だからそう言ったんだった。

「ほんの一瞬出してすぐ消してたし!」

 ははは。

「一瞬でも危険があるからね……。ミルト君が約束を守れない子だと、これからミルト君にはいろいろ教えられないよ、それは悲しい」

 そう言うと、ミルト君がしゅんと肩を落として謝った。

「ごめんなさい……」

「ふふ、でも、これはとてもいいものね。よく考えたわね。私も欲しいわ」

 肩を落とし反省したはずのミルト君がすぐに笑顔を見せた。

「それはアリスお姉ちゃんにあげる、俺のはこれなんだ!」

 そう言って、ミルト君はポケットの中からもう一枚紙を取り出す。

 染みだらけだけど、それは魔物の体液なのだろう。文字は書いてない。

「【ブラックライト】」

 ライトをつけると、影絵みたいな絵が光って見える。

 すぐにライトは消した。

「これは、強い魔物順に並んでるんだ、その魔物の絵を描いてある」

「強い順?」

 魔物の絵だったのか。ウサギのように耳が長いとか、鼻を長くすれば象とか、豚の鼻とかそういうへたくそでも特徴をとらえて描けば見分けがつくってことかな? 私は魔物に詳しくないけれど、この地域の人には常識的な何かがあるのかもしれない。

「そう、文字が読めなくてもこれならわかるだろ? まだAランクの魔物は出てないからここらへんは空欄。この一番したのFランクのスライムは自分で捕まえたやつ」

 と、ブラックライトを消しているので一見何もない状態の紙の上でミルト君が指を動かす。

「わかんねぇよ、だって、ワーウルフとキングオークのどっちが強いかなんてミルトの独断と偏見だろ」

「それに、スライムだって四つも種類いなかったぞ?」

「ミルトにしかそれわかんないよな、絵もへたくそだし」

 子どもたちが言い合っているのを聞いて思った、これはチャンスなのでは?

「私にくれたこれはこんなに分かりやすいのに……もったいないね。ミルト君のそれ。せっかく集めてるのに。ほかの人が分からないの」

 静かな声でゆっくりと伝える。

 いつもと声の調子が違うだけで、子どもたちは私の話に耳を傾けてくれた。

「リリアリス様が、冬の間……避難所で生活する子たちに読み書き計算を教える計画があるっていうんだけど、勉強したい? 強制じゃないから勉強したい子だけ」

 すぐに返事があった。

「本当ですか? 勉強できるんですか?」

 マルティナちゃんだ。

「そう。文字が読めるようになれば書く練習。書けるようになれば本を読むのもいい。物語を書くのもいい。こうしてモンスターのことをメモすることもできるし、好きな子にラブレターも出せるようになる」

「ギルドに貼ってある依頼表も、自分で読めるようになるんだよな!」

「計算ができればお店の手伝いの仕事もできるようになる!」

「隣の領地に働きに行ってる父ちゃんに手紙が出せるんだよな」

 おおむね前向きだ。勉強なんてしたくない! っていうのは贅沢な言葉なんだなって改めて思う。

「あたし、知ってる。学校っていうんだよね? 学校はお金持ちしか通えないって聞いたことある」

「大丈夫だよ、リリアリス様はお金を取ったりしないよ。冬場、雪が降って外にも出られないその時間を有意義に使いましょうっていう話だから」

 子どもたちの顔が輝いてるけれど、そうじゃない子もいる。

「僕は……お金になることがしたい。勉強なんかしたって一円にもならない」

 確かにそうだ。

「……遠回りだけどね、勉強をしておけばたくさんお金が稼げるようになるんだよ? 知識は力なんだよ?」

「文字が読めたって、強い魔物を倒せるのかよ! 俺のおやじは、文字が読めれば、死なずに済んだっていうのか?」

 男の子の怒鳴り声に、周りの子たちの視線も集まった。

 すぐに言葉が出てこない。

「ご飯ができましたよ~順に取りに来てください」

 話題がそれたことにほっと息を吐きだす。

 何人くらい来るのかわからなかったので、料理を一人どれだけずつというのはあきらめた。

 並んで渡す形式。

「食べ終わったらおかわりもありますよ、まずは一人サンドイッチ二つです」

 すぐに興味はご飯に移ったようだ。みな並んで順番にサンドイッチを受け取っている。

「サンドイッチ? なんか変わったパン」

 ふふふぅ。そうでしょうそうでしょう。

 初お披露目です!

「うわっ、いつものパンよりふわふわしてる!」

「すげぇうめぇっ」

 食べた子供たちが歓声を上げる。

 まだ並んで受け取っていない人たちはその様子をうらやましそうに見ながら尋ねる。

「なあ、どんな味だ? 焼きたてのパンよりうまいのか?」

「パンに挟まっているそれはなんだ?」

「卵のつぶしたやつか?」

 尋ねられた子供たちが自慢げに答える。どうせみんな食べられるのに、早いか遅いかの違いで、うらやましがったり自慢げになったりと忙しいなぁ。

「うんめぇ、なんだこれ……パンじゃなくて、これって、もしかしたらケーキってやつじゃないのか?」

「ケーキって王様が食べる柔らかいお菓子だよな!」

 ケーキか。柔らかいお菓子……ねぇ。皇太子殿下の婚約者だったユメリアでさえケーキをいただいたのよと自慢することがなかったから、この国にはないのかもしれない。ケーキは絵本にとてもおいしいお菓子として出てくるから知ってる子も多い。なんていうのかヘンゼルとグレーテルの「お菓子の家」みたいなありそうでなさそうな憧れの食べ物の立ち位置? 綿菓子でできた雲とか砂糖菓子の虹とかゼリーの月みたいなファンタジーかな? まぁどこかの国にあるから単語が伝わっているのだろうけど。

 何はともあれ、そんな王様が食べるような伝説のお菓子のようだというのは極上の誉め言葉だよね。知っている単語の中ですばらしさを伝えようと目いっぱいの言葉を使ってほめてくれている。

「パンとパンにはさんであるのは卵のつぶしたやつになんか混ぜてある、とろっとしたやつだ」

「それ、ケーキにたっぷりとかかったクリームっていうやつじゃないのか?」

 サンドイッチはケーキじゃないし、マヨネーズはクリームじゃないよ。

「なぁ、アリス姉ちゃん、これ前に食べた卵サンドにも使ってあったあれだよな」

「その時のよりもうまいなぁ」

 そうだった。光属性のギルドで依頼を受けてくれた子たちは一度卵サンドを食べていたんだ。

 でも、その時とはパンも違うけれどマヨネーズも違うんだよね!

「みんなよく聞いて!」

 子どもたち皆に一回はサンドイッチが回ったことを確認して声を上げる。

 大人たちも耳をそばだてているようだ。

「このパンはね、みんながいつも食べているパンを作るときに、ワーウルフから取った脂を加えたものなの。ワーウルフの脂入りのパンは、王様でも食べられないわよ! アシュラーン領ならではよ!」

 その言葉を聞いて、子どもたちがわっと声を上げた。

「すげー、ワーウルフの脂でこんなうめぇパンができるなんて!」

「俺たち王様でも食べられないパンたべてるのか」

「王様は魔物を食べないっていうからな」

「こんなうめぇのに食べられないなんて損だな」

 そうでしょう、そうでしょう。

 食わず嫌いは損だと思うよ。食べたらおいしいなんて世の中にはごまんとある。

「魔物はおいしくないから食べたくないなぁって思ってたけど……これはおいしい」

「これはじゃないだろ、ソーセージもうまかったよな!」

 子どもたちのニコニコ顔を見ながら癒される。

「もう一つ、この卵に混ぜてあるのはマヨネーズで、これにもワーウルフの脂が使ってあるんだよ!」

 マヨネーズ。

 ユメリアが送ってくれた酢と、アシュラーン領では入手容易な卵。そしてマヨネーズに必要な油は、通常は植物油を使って作る。

 だけど、実は動物性の脂でも作れるのだ。ただ、飽和なんたら状態が高い? 強い? で乳化しないとか乳化してもすぐに戻ってしまうとかってことらしい……水を加えるなど、その濃度だかなんだかを下げるとマヨネーズが作れるというのをうろ覚えで覚えていた。

 料理人たちにはこんなうろ覚えでごめんなさいと謝り、試作してもらったら、できたんだよね。前にマヨネーズを作ってもらったから、植物油じゃなくてワーウルフの脂から作れるならたくさん食べられるなと喜んで協力してくれた。

 その結果出来上がったのが……。

「前のもうまかったけど、おいらはこっちのワーウルフの脂でつくったやつのが好きだな」

「そうね、肉料理じゃないのに、お肉を食べたみたいな……」

 そうなんだよ。植物油じゃなくて動物の脂でつくると、コクが深くなるというか、肉っぽさが出るというか……。

 マヨネーズなんだけど、ラードも使ってあるみたいな? 深い味わいになるんだよね。

 これも前読んだやつで、豚の脂が一番マヨネーズにしておいしくて、鶏は鶏っぽい味になってしまうし、牛は作りにくい、羊に至っては臭くて食べられないという結果だったらしい。ワーウルフの脂は豚……ラードに近いのか、おいしく使えてよかったよ。

 こうなってくると、ほかの魔物の肉の味も気になるところ……ではあるんだけど。

 非常事態以外で魔物食は禁止。

 食べるために命の危険を冒して森に入るのは本末転倒だからね。我慢我慢。

「これも、王様は食べられないんだよな! マヨネーズ!」

 男の子が声を上げた。

「私、これが食べられないならお姫様にならないっ!」

「お前はもともとお姫様にはなれないだろ」

 子どもたちの会話を聞きながら、アイスクリームの歌の歌詞を思いだしていた。

 冷凍する技術がない場所では、いくらお金持ちでもアイスクリームは食べられないって歌だったはずだ。

 水属性魔法はあくまでも水。水温は多少変化させられるものの、氷は出せないらしい。……というか、出してどうするのかと首をひねられた。

 欲しければ冬になればいくらでも手に入りますとも言われた。

 よし。冬になったら、アイスクリームを作ろう! って、生クリームも牛乳もない。牛乳……の代わりにアイスクリームに使えるもの? 豆乳とか? 豆は栽培してたんだっけ? 大豆以外の豆でも豆乳はできる。アーモンドミルクとかいう名前のものもあるし。ひよこ豆でもなんでもおいしいかおいしくないかは別として豆乳は作れる。

 となると、いろんな豆を豆乳にして冬はアイスに挑戦しようか。

 料理人たちにいろいろ試作をしてもらって……まずかった豆乳はスープにして味を調えて飲めば無駄にはならないだろうし。

 と、考えていると、子どもたちが何度かおかわりもしながらサンドイッチを食べ終わったようだ。

 大人たちもすでに食べ終わり、自分たちでもワーウルフの脂で何か作れないかと話をしている。

「水魔法が使える人は、お水を出してあげてね。コップはこっちにあるから、風魔法が使える人は空気の入れ替えを手伝って。じゃあ、早速掃除をしましょう。グループに分かれて、お屋敷の使用人が掃除の手順を説明します。掃除に慣れた大人は手順を覚えてグループに分かれた子供たちに教えてあげてください」

 水を飲みながら話を聞いてくれている。

「掃除には、これを使います!」

 運び込んだ酢の入った樽をたたく。

「中身は酢です。酢を使って掃除をすると、体に悪い菌……カビ……えーっと毒みたいなのが消えます。ちょっと見てくださいね。【ブラックライト】」

 壁際に移動してブラックライトで照らす。一部だけマーサと協力して磨き上げたのだ。

「この光っていないところが、毒が消えた壁です。その周りの青っぽく光っているところが毒がついているところです」

 うわーと子どもたちが声をあげ、大人が口をふさいだ。

「ここは地下なので日が当たらず、長年の間に少しずつ毒がたまっているんです。それを掃除してもらいます。薄めた酢で毒を中和して、水で酢をふき取ります」

 酢で殺菌。残った酢をそのままにしておくと、それを栄養にしてまたカビが発生しちゃうのでちゃんと水でふき取る。

 私の説明に合わせてマーサが青く光っているところを、酢水を浸した雑巾でこすり、それから水をたくさん含ませた雑巾で二、三度ふいた。

 すぐに覚えた大人たちが必要なものを持った。

「グループに分かれるときは水魔法が使える人を入れてください、水は頻繁に換えるように、使った水は排水場で流すこと、水を入れた桶を運ぶのは重たいので大人に頼むか少し大きな子がして、それから……」

 と私が言うと、あははと女性が笑い声をあげた。

「大丈夫ですよ、あとはあたしらに任せてくださいな」

「そうそう、くそがきどもが生まれた時から知ってるんですから。ハント、ガナリ、バース、お前たちが五人くらいずつのグループに分けてリーダーを決めてくれ」

「北地区から来てる子はこっちに集まって」

 女性たちが率先して子供たちに声をかけててきぱきと動き出した。

「ありがとうございます! 助かります!」

「あははは、だから言ってるだろう、自分たちが使う場所を掃除するのは当たり前だって」

「それに、あんなおいしいものごちそうになったら、働くしかないさ。ねぇお前たち、しっかり働いたらまたおいしいもの食べさせてもらえるかもしれないよ?」

「さぼった子は次は呼ばれないよ」

 女性たちが笑顔で子どもに伝えると、子どもたちが一斉に気を引き締めた。

 すごいな。

「おいら、力があるから水運び頑張る!」

「私、おうちでもお掃除してるから雑巾でふけるよ!」

「俺は、俺は、えーっと雑巾絞りなら任せてくれ!」

 次々にグループに分かれていく中、私の周りに光属性のギルドで依頼を受けてくれていた子供たちが集まっていた。

「アリス姉ちゃん、僕たち、ブラックライト出そうか?」

 そっか。目に見えていたほうが掃除しやすいかな? 最後に照らして残っているところをもう一度ふき取るよりはかどる?

「じゃあ、お願いしようかな。絶対に、虹の一番内側の紫色の端っこを意識してね。ぶるぶる震えすぎちゃだめだよ、見えない光が出てきたらすぐに消してね」

 強い紫外線にならないように念押しすると素直に子どもたちが頷いて地下室に散っていき、ブラックライトを出し始めた。

 青くカビが光っている。

 カビじゃなければきれいなんだけどな。

「あ、なんか違う色してる」

「それも汚れだからふき取ってね」

 なんの魔物の血だか体液だかわからない。食べこぼした食べ物かもしれない。なにかはわからないけれど、地下室の石に光る鉱石は含まれていないので汚れであることは間違いないだろう。

 トラブルもなく非常に順調に掃除が進み始めた。

 ……私のやることがなくなった。

 一緒に掃除しよう。と、雑巾に手を伸ばしたら、マーサに奪い取られた。

 リリアリス様に掃除をさせるわけにはまいりませんと、小声で言われた。

 今はアリスだからと小声で返すと、マーサは無言で微笑んだ。

 怖いっ。ごめんなさい。ほかの仕事します……。雑巾は諦めます。

 何をしたらいい?

 と思っていたら、街に通じる扉がどんどんと叩かれた。

 なんだろうと皆の注目が集まる。

 扉は内側に鉄格子の扉、その外に鉄の扉。小さなのぞき窓がついている。そのさらに外側に通路が続いて、街の外に出る前にまた鉄格子と鉄の扉がある。

 どんどんという音がした後、鉄の扉についているのぞき窓が開いた。

 顔をのぞかせたのは、街の外に出る扉の前に立つ門番だ。顔色がちょっと悪い。

「このまま、外に出ずにいてください」

 え? どういうこと?

 ざわざわと子どもたちが顔を見合わせるけれど、状況がわからないので大声を出す人はいない。

 代表して扉に近づき話を聞く。

「どういうことですか?」

「魔物が街に侵入しました。安全が確認できるまで、街を出歩かないようにということです」

 ひゅっと息をのむ音が響く。女性が口を開いた。

「街に魔物が侵入って、どれくらいの数……皆は、避難は終わってるんですか?」

 門番がわかる範囲で情報を教えてくれる。

「数は、それほど多くはない。大群で押し寄せてこなかったため、逆に発見が遅れて侵入されてしまったようだ」

「数が少ないということはスタンピードではないんですか?」

 門番が扉の向こうで頷いた。

「街に侵入した魔物を倒す間、しばらくここで過ごしてもらうだけだよ」

 不安そうにしている子どもに声をかけて門番が立ち去った。

「大丈夫かな……父ちゃんと母ちゃん……」

 女性の一人が笑った。

「大丈夫さ、聞いただろう? スタンピードじゃないってさ。魔物の数匹が侵入しただけなら、ちゃんと避難できるよ。おばちゃんたちは小さいころから何度だって避難所へ避難を繰り返してたんだ。経験が違うよ!」

「そうそう、心配してここを飛び出したりしたら、逆に迷惑をかけちまうからね。うちの子も近所の小さい子の手を引いて、言われた通り避難するさ」

「うちの父ちゃんも、母ちゃんの尻に敷かれて情けないって言われてるけどね、いざというときは頼りになるんだよ! まぁそこが良くて結婚したんだけどね! あははは」

 子どもと一緒に不安になっていたけれど、女性たちが子供たちを安心させるように口を開いた。

「アルフレッド様がきっとすぐに魔物を倒してくれるよっ!」

「おいらの父ちゃんだって、強いんだぞ! 騎士団長なんだ!」

 ほうほう、騎士団長の息子君がまさか、交じっていたとは。うむ、うむ、なるほど。バランスよく鍛えられ始めているみたいだね。立った時の体の軸がきちんとしている。将来が楽しみじゃ。

「ギルド長も強いんだろう?」

「お前、知らないのか、ギルド長はアルフレッ」

 ん? 何、何? レッドの話? レッドがアルフレッド様となんだって?

「さぁ、掃除を始めましょう! 掃除が終わる頃にはすべて解決していますよ!」

 マーサの一声で、会話を終えて、皆が掃除を再開する。

 え、ちょっと、レッドとアルフレッドとの話、仲がとてもいいとか、怪しいくらい仲がいいとか、なんか聞けると思ったのに!

 知らないのか? って前置きがあったから、なんかとっても秘密めいた香りがするのよ!

 と、こんなことをしている場合ではない。

「マーサ、お願いしてもいい?」

 はいとマーサが頷くのを確認してリリアリスの服に着替えて、もう一度訓練所へと足を運ぶ。

 訓練所の建物から、退役騎士が武装して出てきた。元騎士団長のコウさんだ。

「街に魔物が侵入したと聞いたけれど、どうなっているかわかる?」

 怪我をして退役したとは思えない鋭い顔つきをし、コウさんが空を見上げた。

 昼間なので、あまりはっきりとは見えないけれど、光を並べた紙が浮かんでいる。

 ところどころ消えている光の紙。

 それが、見えるだけで、五つ浮かんでいた。

「え? なんで、今、空に光の紙を浮かべているの? 光魔法の練習を誰かしているとか?」


■アルフレッド視点■


「アルフレッド様、また上がりました」

 街道に現れた魔物討伐に騎士たちを連れて出てから数時間。

 領都から遠く、隣接する領の近くへ馬でかけていった者から暗号の光が上がったのは二時間前だ。

 想像よりも魔物の数が多く、見回りに向かった一小隊……五名では対応しきれないということですぐに増援を向かわせた。

 各小隊には、騎士ではない光の暗号を使えるようになった者がついている。その中には、アリスの実験に付き合っていた子供も含まれている。

 こうして連絡を取り合うには非常に有用だ。光魔法を使える騎士が少ないのと、小隊であれば魔物が一匹二匹出ても問題がなく危険はないとの判断で子供の同行を許可したけれど。

 判断ミスだ、子供の身に何かあれば、俺は一生アリスに許してはもらえないだろう。

 増援の中に、自分も交じった。

 馬をかけさせる。スピードを上げるために、風属性の者に、風に乗せてもらい馬をあやつる。

 すぐに、背中合わせで円陣を組み、その円の中に子供をかばうようにして戦う騎士の姿が見えてきた。

「よくやった! 【火球】」

 騎士たちに襲い掛かろうとするホーンベア……角の生えた巨大な熊のような魔物の目に火球を当てる。

 怒り狂ったホーンベアが大きく口を開けて吼えたところへ、囲まれていた水属性の騎士の一人が魔法を放った。