まさか……。そんな楽しいことを計画してるなんて……! 「いまさら後悔してももう遅い!」を実生活で
でも、私は別に愛されなくても、筋肉を愛でられればいいんだけど? ざまぁとか考えてないんだけど? 衣食住に不自由せず、好きにさせてもらえてるんだもの。幸せだし。
カチャカチャと化粧道具を準備しながら、サラとマーサが何かひそひそと話をしている。
「違うわよ、サラ。後悔させて終わるんじゃないわ。アルフレッド様には努力してもらうのよ。リリアリス様に好きになってもらえるように、はっぱをかけるまでが私たちの仕事よ」
「あ、なるほど。アルフレッド様にも幸せになってもらいたいですし、リリアリス様にずっといてもらいたいし、そのための作戦その一ってことね!」
「そうそう、アルフレッド様にリリアリス様を好きになってもらうのがまず一歩」
何の話をしたのか、マーサに加えてサラも非常にいい笑顔……。
裏で何を考えているのかわからない怖い笑顔でクローゼットからドレスを持ってきた。
それから二時間。
なんて、時間がかかるんだろう……。
「まぁ、なんて素敵なんでしょう!」
「本当に! 部屋が明るいだけで、化粧もはかどりますね!」
いつの間にか、部屋には別の侍女もいた。サラとマーサのほかに二人。リリアリス様を飾り立てる隊助っ人らしい。何それ。
「そうなんですよ、屋敷の中が明るいだけで、夜勤も苦でなくなりました。リリアリス様ありがとうございます」
「夜勤が苦じゃない?」
赤毛で少しそばかすの浮いた二〇歳前後の侍女が恥ずかしそうに口を開く。
「あの、私実は暗いところが怖くて。宿舎なら相部屋なので暗くても誰か人がいるので平気なんですけれど……。夜勤だとどうしても一人で暗いところに控えていなくてはいけないことも多くて……。明るければ内職しながら控えていられますし」
ああ、そうなんだ。宿舎か……。
「サラ、光属性の使用人が他にいればLEDを教えて、宿舎も明るくしてあげて。もちろん寝るときは暗くなるようにはしてね」
私の言葉に、赤毛の侍女が息をのんだ。
「そんなっ、使用人の部屋まで明るくしていただくなんて、そんな贅沢なことっ」
フルフルと、首を横に振っている。
「贅沢でもなんでもないわ。水属性の人が水を出してくれるように、火属性の人が火をつけてくれるように……私たち光属性の人間が明るくするだけ。当たり前のことをするだけだもの。むしろ……贅沢だなんて、褒められた気分だわ。ありがとう」
明るくするだけで無駄な魔法。光魔法なんてハズレだ。使えない……。
そんな風に言われていたのに。
「あ、あの……お屋敷が明るくなって、物を探しやすくなりましたし、怪我をすることも少なくなったと……皆感謝しています!」
ああ、暗いと探し物しにくいもんねぇ。怪我は段差が見えなくて転ぶとか、釘が出ていても気が付かずに引っ掛けるとかそういうことかな?
赤毛の侍女の言葉に、サラとマーサまでもちょっと涙ぐんでる。
「リリアリス様、宿舎も明るくしていいなら、使用人通路も明るくしていいですか?」
サラが涙ぐんでいるのをごまかすように明るい声を出した。
「もちろんよ。明るいほうが便利な場所は全部明るくしちゃえばいいよ。あ、もちろん魔力が切れそうなのに無理して魔法を使い続ける必要はないからね?」
サラがポンッと自分の胸をたたいた。
「大丈夫です! LEDならまだまだ全然明るくできます! 明るさを暗めにすればさらにたくさん出せますし! そうだ、枕元だけの小さな明るいLEDも作れるよ!」
サラが赤毛の侍女に笑いかけた。
「え? 明るさを暗めに? 小さな灯り?」
赤毛の侍女がびっくりしている。
「あ、そっか。リリアリス様が教えてくれたの。月光や日光は、魔力を込める量で継続時間だけしか調整できなかったけど、LEDは大きさも明るさも調整できるんだよ。それに月光のように小さな魔力で日光のように明るくできるの。ただ……まだ魔力量の調整ができなくて、何時間ってことができないんだけどね」
サラが赤毛の侍女に自慢げに説明している。
「へぇ~すごいね。いいなぁ。水魔法って、結局水を出す量が調整できるだけだもん」
「え? そうだっけ? 攻撃に使えたり……」
私の言葉に、赤毛の侍女が首を
えっと……。ファイアーボールがあったから、ウォーターボールもあると思い込んでたけど。
「えっと、ファイアーボール……火球みたいに、水球とかないの? 水の塊をぶつけられたら痛いんじゃない?」
「ああ! 確かに水瓶の水が飛んできてぶつかったら痛そう」
サラがポンッと手を打ち、赤毛の侍女が笑った。
「水瓶ごと当たれば痛いかもしれませんが、水ですよ? 当たった瞬間広がって、形も固まってないですし痛くないんじゃないですか?」
「いやいや、そんなことないよ! 水に飛び込んで人が亡くなることだってあるんだし! 高いところから飛び込むとコンクリートみたいに硬いとか」
飛び込みをするときにちゃんと手の先から飛び込まずにハラウチすると腹が痛いし、首から落ちて命を落とす人もいるらしいし。水だって殺傷能力はある。
「コンクリート? とは何ですか?」
しまった!
「あ、うん、違う、その……高いところから水に飛び込むと打ち所悪いと危険だって……聞いたことがあって……」
ごにょごにょと言葉を濁す。
「確かにそうかもしれませんけど、川や湖のようにたくさんの水は出せません。でも、それくらい魔力がある人は攻撃にも使えるのかもしれませんね」
いや、待て待て。
光魔法で攻撃と言えばレーザーだけど、殺傷能力があるレーザーって電力めちゃめちゃかかる、だから魔力もめちゃめちゃ必要で攻撃には使えないのはわかる。
ウォーターカッター、ウォータージェット……って、圧力かけて小さな穴から水を出すことで物が切れるわけでしょ? 圧力って、ペットボトルロケットみたいに、密閉された容器に空気をガンガン送り込むとかでもできるわけだから、電力不要じゃない? 必要なのは、想像力?
……うん、水鉄砲しか想像できなかった。くっ。
それで思い出したわ。水兵器ってないんだって話。ウォーターカッターも、対象物にめちゃくちゃ接近して使う。距離が開けば開くほど、威力はなくなって遠距離攻撃は無理だって。
「結局、水魔法って、顔の周りに出して呼吸ができないようにしておぼれさせるくらいしか攻撃できないのかぁ……」
赤毛の侍女がハッとして口を押さえた。
ご、ごめん。役立たずだなみたいなこと言っちゃった? ち、違う、そうじゃないんだ。
「で、でもほら、水魔法は、攻撃ができなくても、人が生きていくためには本当に大切な魔法だから……。清潔な水がいつでも飲めるなんて大切なことよ? 目の前で出された水なら毒の心配しなくてもいいし。井戸に毒を放り込まれて全滅なんて心配もしなくていいし……」
赤毛の侍女がまたもや驚いたような顔をする。そして、口を覆っていた手が小刻みに震えだす。
え? どうして。井戸があれば水魔法いらないじゃんって意味にとられた?
違うよ、違う。井戸水は煮沸しないと飲み水には使えないし、井戸から水をくむのは重労働だし、水魔法があると本当に助かってるんだよ。
「リリアリス様、失礼してもよろしいでしょうか……」
震える声で言う赤毛の侍女……。
「どうしたの、キャシー? 気分が悪いの?」
赤毛の侍女の名前はキャシーというのか。マーサが心配そうにキャシーに声をかけた。
「いえ、大丈夫です。その……」
まだ震えている。私の不用意な言葉でショックを受けたんだよね。ごめんなさい。
「無理しないで。ほら、もう私の準備はしっかり整えてもらったし」
鏡の前で、柄にもなくくるくると一周回ってみせる。
実家の侯爵家でも、光属性だと分かってから一度も着たことがないドレス。
公爵家に嫁いできてから初めて着る、布がたくさん使われてフワフワのスカートのドレス。
なんで、私、今こんなドレス着せられてるんだろう……。
あ、そうだ。アルフレッド様……えーっと私を愛さない宣言してる書類上の旦那様が帰ってくるからだったっけ。
……めんどくさい。
いや、旦那様の筋肉を愛でるんだった。愛でたらさっさと仕事に行ってもらおう。で、いつものアリスの服に着替えてギルドに。
「マーサ、クローゼットにいつものシャツとズボンがなかったんだけど、洗濯中? 汚れが落ちてなくても構わないから準備してほしいのだけど」
マーサに声をかけると、マーサが私の顔から視線を外して頭を下げた。
「申し訳ありません、破棄いたしましたのでございません」
破棄?
「え? そんなに汚れがひどかったの? 知らない間にどこか破れてたとか? でも私は汚れなんて気にしないし破れたら縫えば……私、繕い物得意よ?」
なんせ、侯爵家では使用人扱い……どころか使用人以下だったからね。使用人のお仕着せのほうが綺麗だった。
よくある子供虐待の図。魔法の属性が光だっただけでよ? ありえないよね。見栄っ張りな貴族だったから余計に反動でひどい虐待状態になったのかもしれない。
サラも光属性だけど母親のマーサも兄のカイも虐待したりしてない。それどころか周りから冷たい態度をとられることに心を痛めてたもの。光属性でも役に立つんだということを知って、サラ本人だけじゃなくてカイもマーサもとても喜んでいるし。
もっともっと役に立つこと教えてあげるからね! ギルドの子たちにも、もちろん。
流刑地なんて言われるこの公爵領に観光客を呼び込んで豊かな土地にして「光魔法やるじゃん」って。
……あれ?
ぽつんと小さなとげではない、靴の中に入り込んだ小石のようなちょっとした違和感。胸がもやっとする。
私は、光属性の子が差別されずに人並みに生活できるように助けたいと思っているのだろうか。
それとも、私を虐待した親に「ざまぁ」って言ってやりたいのだろうか?
「あら、お姉様ったら、また怪我をしたんですか? 聖属性の私がいてよかったですわね」
勝ち誇った顔で口の
怪我を治す訓練に使われていたのは、前世を思い出した私には疑う余地はない。
そのために使用人たちが私に怪我を負わせるような行動をしていたのも。荷物を持った私の足を引っかけたり、勢いよく私の隣を走り抜けるときに肘をつきだしたり。とがったものを投げよこしたり、洗い物の中に割れた食器の破片を交ぜたり。わざとじゃないのごめんなさいと言われたけれど……。怪我をするとだいたい妹がその場にいてすぐに治してくれて「わざとじゃないなら仕方がないですわよね。お姉様はお許しになるでしょう? 私が怪我は治して痛くないんですから。光属性じゃ怪我は治せないですもんね。私がいてよかったわね」
と言われて。
「とんでもございません! 汚れて破れている服を着ていただくなど……。もともとアルフレッド様がお召しになった服ですのでいくらでも替えはございます」
あ。しまった。過去の記憶に吞み込まれるところだった。
「じゃあ、それを用意してもらっても?」
と、マーサにお願いしたところで、ドアの外から声が響いた。
「それはできぬ」
ん? この声?
くぐもった聞き取りにくい声に振り返ると、ドアをサラが開いていた。
開いたドアから、背が高く、マントで全身を覆い隠した人物が入ってきた。
男性だよね? 思わず首をかしげる。
顔には全体を覆う仮面。真っ黒な仮面に髪は金色。目元に穴は開いているものの、仮面の陰で目はよく見えない。
「だ、誰?」
不審者?
「お初にお目にかかる。我が妻、リリアリス」
はいぃ~? この真っ黒仮面男が、アルフレッド様?
なんで仮面なんてはめてるの? 愛さないどころか顔も見せたくないって?
それとも、顔にひどい傷跡があって、それゆえに愛されるはずもないから初めに愛さないと突き放したとか?
……なめるなよ。私は、人を顔で判断するような女じゃない。
男は、筋肉……違った。心だ! 心がすべてだ。男だけじゃない。女もだよ。顔は年を取れば衰えるものだ。筋肉も。それは老化なので、誰にも等しく訪れるものだ。だから、顔や筋肉で選べば衰えたとき同じように愛せなくなる人もいる。
心は違う。年を取るとより豊かになることすらあるのだ。
まぁ、だから仮面なんてかぶる必要ないし、突き放すようなことを言う必要もなかったのに。──というのは伝えるべきか? もしかしたら本当に私の顔も見たくないし見せたくないだけかもしれないし。
もしくは、仮面フェチ。いろいろなフェチがいるもんなぁ世の中には。
なんか、いろいろ驚きすぎて挨拶もしていなかったことに気が付いて、慌てて慣れないカーテシーをする。
足元がぐらりとふらつく。
ありゃ。慣れないカーテシーをしたせいか。
「堅苦しい挨拶はいい。病み上がりなんだ、無理はするな」
さっと手を出し、よろける私を支えてソファに座らせてくれた。
おや? 旦那様は優しい人? 嬉しくなって旦那様の仮面を見上げて笑いかける。
「ありがとうございます」
「うっ、いつも以上に、かわい……」
くぐもった声で旦那様が何かをつぶやくけど、もごもごした声で聞き取れない。
「何ですか?」
「いや、何でもない。……その、今日はあーっと、その、撤回しに来た」
「は? 今日は来た? 帰ってきたんじゃなくて、来たっていう言い方……? 仕事で帰れないんじゃなかったんですか? その言い方だと、まるで……愛人と別宅で暮らしていて、たまに本妻の顔を見に来たみたいな……」
君を愛さないというのは、愛人がいるからという単に定番設定だったか……。
旦那様が焦ったように言い訳を始める。
「いや、俺に女はいないからな!」
「俺?」
あれ? 公爵様ともあろうものがずいぶん似つかわしくない一人称だよね?
まるで冒険者のような……レッドみたいな言い方だ。
声はくぐもっていて違うけど。イントネーションなんかは似てるよね。こっちの方言みたいなものなのかな?
「僕に女はいない」
ぐふっ。
仮面の奥でどんな顔をしてるのか分からないけれど、僕も違うんじゃないかな? なんか、言いなれてない感じが……。と、じーっと真っ黒な仮面を見ていたら、旦那様が続けた。
「本当に女はいない。囲っている女という意味ではないぞ? 女に興味を持ったことがない」
は?
女に興味がないということは……お、男に……。カイに続いて、お前もか! そっちの人か!
まさか愛せない理由がそんな楽しい話だったとは! いや、楽しんではいけないんだけど。応援するよ。お、う、え、ん! 相手は誰?
まさか、カイとレッドと旦那様の三角関係とかじゃないよね? だとしたら……私は……。
「レッド?」
応援するとしたら誰だろうと思わずレッドの名前が口から出る。旦那様の応援はごめん。やっぱりより親しい人を応援したいんだ。
「あ、いや、俺はその、騙すつもりは、っていうか、どうしてわかった、俺がギルド長のレッド」
「え? 何? まさか、旦那様の思い人はレッドなの? え? それって両想い? 片思い? 片思いなら大変だよね。ギルドと公爵家の関係もあるし、下手に動いて関係を壊しちゃいけないって考えても仕方がないよね。ああ、でも、共闘する間に愛が芽生えるとかそういう話? バディとか、いいよね! ううううっ、ああ、分かりました。私、カイには悪いけど、旦那様とレッドの仲を応援することに」
と、声高らかに旦那様に宣言すると、はぁーと仮面越しにもわかるような大きなため息をつかれた。
「そうじゃない……まぁ、ばれたわけじゃないから良しとするべきか……。ああ、だが、誤解だ、誤解っ! 俺は今まで女に興味はなかったが、お前のことは……」
誤解? レッドじゃないの? 誰?
まさか、筋肉神の前ギルド長のガルダ様? ……可能性はゼロではない。男でも絶対ほれぼれする完璧な筋肉の持ち主。尊敬や憧れからいつか恋に……。いい、それもまた、いい!
「なんか、また違う方向に考えてるだろう? 俺……いや私は男色家ではないからな」
一人称が僕から私に変わってますけど? やっぱり普段は俺なわけだ。
「なんかがっかりしてないか? 普通は夫が女を囲ったり男に走ったりしていないと聞けば喜ぶところだろう?」
……そんな当たり前のことを喜んでどうするんだろうね? 何様のつもりだろう。いや、俺様なのか?
「どうして、俺をそんな蔑んだ目で見るんだ? 嫌わないでほしい」
どの口が言う?
「撤回しに来たとおっしゃっていましたが、何を撤回なさるおつもりですか?」
もう用事を終えてさっさと帰ってもらおう。
「その、届けさせた手紙の内容を……」
「え? 届けさせた手紙って……」
マーサに視線を送ると、マーサは気まずそうな表情をしながらも、机の引き出しに入れてあった手紙を取ってくれた。
「この手紙のこと……ですよね」
書いてある内容は、要約すると、「愛することはない、三年後に白い結婚で離婚する、予算はそれほど出せないが好きに過ごしてくれ」だったはずだ。
「ああ、そうだ……一部、撤回させてほしい」
ま、まさか……!
「愛さないと言ったことを撤回するってことですか? 顔も合わせたことがないから、それは感情的な問題ではなく、肉体的な交わりを持つということですよね?」
「あ、あ、ああのな、に、肉体的って……」
仮面をかぶっているのに、なぜかその動揺っぷりから赤面しているような気がする。
まさか、女性との付き合い方がわからない、女性の扱い方がわからないから愛することはないと言った純情青年? そのパターンもあったか!
「大丈夫です、えっと、お世継ぎとかも必要でしょうし、お任せくださいっ」
私も男性経験はない。だが、立派な耳年増だ。知識だけはたくさんある。この世界にはない方法まで知ってるかもしれない。経験はゼロだけども。
覚悟はしてたから大丈夫。公爵夫人としてできることはしようって。世継ぎが必要なことは理解している。
特に……流刑地と呼ばれたこの地には、立派な領主が必要なことは。
アルフレッド様は、使用人にも領民にも慕われている。ずいぶんこの地もよくなったと……。
この城の窓にはめ込まれた鉄格子が魔物を侵入させないようにだと私が気が付かないくらい、魔物から街が守られるように、アルフレッド様が頑張ったのだと。
また、この地を顧みないような領主に代わってしまうのは領民のためにいいことではないだろう。
私、観光地にして人を呼んで豊かな領地にして皆で幸せに暮らしたいというのを頑張ろうという気持ちもあるけど。
それだけではだめで、公爵夫人として世継ぎを生み、アルフレッド様のようなよい領主へと育てることも大切なんだと分かっている。貴族としての大切な務めだと。
でも、やっぱり……。
好きでもない相手と体を重ねて、子供を産むのかぁ……。まだ、十六歳だよ? 中身は年増でも。
初めての相手はできれば……好きな筋肉に包まれたい。
脳裏にレッドの姿が思い浮かぶ。
いやいや、いやいやいや、ない、ない、ないからっ!
そう、アルフレッド様だって、マントの下に隠された立派な筋肉があるかもしれないじゃない?
さっと立ち上がる。
「ああ、立ち眩みが……」
噓ついちゃった。でも、優しい旦那様なら……。
「リリアリス、大丈夫か!」
倒れそうになった私を旦那様が支えてくれた。
もむもむ。旦那様の腕を確認。
期待していたような三角筋も
というか、腕がぷにゅぷにゅしてる……。
この腕で、剣を振れるの? 強いの? ……あれれ?
見下ろすと、いつの間にかはだけたマントの中に、メタボリックなおなかが見える。
「すまない。病み上がりだと分かっていたのに……話の続きは日を改めよう」
「ひゃっ」
こ、こ、これは、お姫様抱っこ!
旦那様に軽々と持ち上げられてベッドに運ばれる。
うお、おなかはメタボだけど力はある。もしかしたら、お相撲取りさんのような筋肉の持ち主? うん、強そうだ。
くぐもった声なのも、ほっぺの肉のせいだったりするのかなぁ?
……盲点。盲点かもしれない。
お相撲取り系筋肉。筋肉を覆う脂肪でボディビルダーのように形よくは見えないけれど、横綱ともなれば筋肉だけで百キロはあると聞いたことがある。筋肉が百キロ……! どういうことだよ!
でも、どうやって愛でればいいんだろう? そのうち愛で方が分かる? 贅肉の内側に秘められた筋肉を想像して楽しむ? ……高等すぎてその域に行くには何年もかかりそうだ。
でも……。
気遣ってくれる優しい旦那様だ。……本当の夫婦として過ごしていくうちに……。
黒い仮面に視線を向ける。
ごくりと唾を飲み込む。きっと、この旦那様なら大丈夫……。
「あのっ、もう本当にいつでも大丈夫ですから!」
ベッドに丁寧に下ろされる。
「いつでも?」
「て、手紙の内容を撤回して、よ、世継ぎを作るというなら……」
うぐ、なんか私から誘ってるみたいな言葉になってしまって、急に恥ずかしくなって顔が赤くなる。
「そ、そ、そうじゃない、勘違いだ、君に手を出すようなことはしない。安心してくれっ!」
へ?
「私を愛することはないというのは継続ですか?」
勘違いしちゃった。恥ずかしい。
旦那様の後ろでなぜかマーサとサラが黒いオーラを出している。
「では、内容を撤回するというのは……?」
ハッと口をふさいで青ざめる。
「も、もしかして、三年後に離婚するということですか? 今すぐにでも離婚したいと……! ああ、ああ、どうしましょう。私ったら、とんでもない勘違いを! ごめんなさい、あの、どうか、その……もう少しだけお時間いただけませんか? 急に離婚と言われてもこの先どうしていいのか……! せめて三日の猶予を……!」
世継ぎを生む覚悟をなんて、勘違いも甚だしい! 旦那様は私を愛するつもりはまったくないどころか、今すぐにでも追い出したいくらいに嫌っているというのに……!
アルフレッド様がぴきりと固まってしまった。
「も、申し訳ありません、あの、三日も私を屋敷においておきたくないですよね……。あの、ではせめてあと一日……。すぐに出ていく準備を始めますから……」
立ち上がろうとした私を、アルフレッド様が肩をつかんで止めた。
「違う、そうじゃない。逆だ。ずっと屋敷にいてくれ」
「え?」
慌ててアルフレッド様が首を横に振った。
「いや、そうじゃなくて、もちろん白い結婚が成立したらリリアリスを自由にする約束はたがえない。ずっとというのは」
あれ? 愛することはなくて、三年後には離婚するって、手紙の内容を撤回してないよね?
「自由に過ごしてくれと手紙に書いたが撤回させてくれ」
「え?」
私、なんかやらかしちゃいました? 迷惑かけちゃいました?
「屋敷から出るのを禁止する」
「は?」
アルフレッド様の言葉の意味が理解できない。
「屋敷の中でならば自由に過ごしてもらってかまわない。ただ、外に出ずに屋敷にいてくれ」
「それって、ギル……」
ギルドに行くなってことですかと言おうとして、口をつぐむ。
アルフレッド様はどこまで知っているんだろう。私がギルドに行っていることは、サラやカイから話を聞いている? 口止めしてなかったし、伝わっているのかもしれない。
ギルド長とアルフレッド様は交流もあるみたいだから、もしかして、アリスという偽名を使っている私が公爵夫人のリリアリスだってレッドにばれてる? いや、そんな感じもなかったよね? 公爵夫人に対する態度とは思えない接し方をされてたと思うし。
「ギル?」
「あ、いえ、あの、街に出てはだめということですか?」
「そうだ。カイを護衛につけて街に出ているということは聞いている」
「聞いてるのはそれだけ?」
黒い仮面がびくりと揺れる。なぜか、アルフレッド様がマーサとサラの顔を見た。
マーサとサラは首を横に振っている。
このやり取りは何?
「どこに顔を出して何をしているというのは、知らない。全然知らないからな! 簡単にしか報告は受けていないから」
私に興味はないっていうことか。っていうことは、ギルドに顔を出してるのも知らない? ……ほっと息を吐く。って、ホッとしてる場合じゃなかったわ。
「どうして街に出てはだめなんですか?」
「危険だからだ」
「危険? 大丈夫です! ギルドでは危険な目にあったりしたことないですっ!」
「ギルドでは?」
しまった!
ギルドに行っていることが知られてないのに自分でばらすようなことを言ってどうするっ!
「ギ、ギルドにいる冒険者たちはとても頼りになるので、街で危険な目に合うことはありません」
「まぁ、そうだな。ギルドを信じてくれるのは嬉しい」
アルフレッド様の声が少し高くなる。ふむ。よろこんでる?
「だから、街は安全なので」
「いや、危険だ。この屋敷以上に安全な場所は他にないんだ。だから、屋敷から出るな」
……愛されないのはかまわない。
でも……。自由を奪われるのは嫌だ。
「大丈夫です。もし何かあっても、旦那様を責めるようなことはしません。実家にも私がわがままを言ったと伝えてください」
私はどうせ実家では嫌われているんだから。死んだって聞いても悲しむことはないだろうし。
ベッドから立ち上がって、ドアに向かって足を進める。
「どこへ行くっ!」
腕をつかまれた。
「放して。どうせ三年後に離婚するんですし、世継ぎを作る必要もないんですよね? だったら、私が屋敷にいる必要なんてないんじゃないですか? 外聞が悪いなら影武者でも置いておけばいい。私は屋敷に閉じ込められるくらいなら、今すぐ出ていってこの屋敷にはもう二度と足を踏み入れません」
「アルフレッド様っ! ちゃんと説明してくださいっ! そんなんじゃ本当にリリアリス様は出て行ってしまいますよ!」
ものすごく大きな声が響いた。
マーサだ。
「本当に、全く。いいですか、いきなり屋敷から出るなと理由も説明せず命じるなんて誰だって反発したくなります」
「いや、危険だと理由は説明」
「言葉が、た、り、ま、せ、ん。なぜ危険なのかまで説明してください。リリアリス様はこちらでお育ちになったわけじゃないんですよ?」
マーサが、人差し指を立ててアルフレッド様の仮面の前に突き出す。
つ、強い。雇い主の公爵をここまでしかりつけるなんて。マーサ、かっこいい!
「あー、すまん。街に魔物が侵入しそうになった。いつ、魔物が街に現れるかもしれなくて危険な状態だ」
危険って、魔物か!
「ワーウルフがまだいるんですか?」
「いや。それはもう大丈夫だが、森ではスタンピードの兆候が散見されるんだ。いつ起きるかわからない」
スタンピード……って。
「魔物の群れの暴走……?」
「ああ。本来は共生することのない魔物が一緒にいるところが目撃されている。それにワーウルフがあれほどの数集まるのも、いくらワーウルフロードがいたとしても普段では考えにくい。いくつかの群れに分かれて過ごしているはずなんだ。……ほかにも、森の場所によっては全く魔物の姿が見られない。どこかへ集まるために移動したと考えられる」
そうなんだ。危険って……婦女子が襲われる類の対人間じゃなく魔物。
「だったら、私も戦うわ! アルフレッド様は知らないかもしれないけれど、光魔法も役に立つのよ? 信じられないなら、レッドに聞いてみたらいいわ! 火光なんて夜間の魔物除けになるかもしれないし」
「レッドに聞けだと……?」
あっ。ギルドに足を運んでいることも隠してるのにギルド長の名前出してどうするの、私。
「あー、ほら、サラ、サラから聞いたのよ。なんかギルドの人に光魔法を教えてほしいって。それって、ギルド長が光魔法の有用性を認めているということで……。ね、サラ」
サラの顔を見る。
「ソウデス」
サラが片言で答える。
「だから、私も領地のために戦うわ!」
「リリアリス、行かせない。お前は屋敷にいるんだ! 熱を出して倒れたのを忘れたのか!」
あっ。私、足手まといってこと?
泣きそうになる。確かに、魔物を前にぶっ倒れてしまったら足手まといになってしまう。カイは私を守ろうとするだろうし。レッドやガルダ様だって、女子供を守ろうと動くだろう。
「す、すまん、あ、そうじゃないんだ、俺はお前のことが心配で……」
自分の考えなしに泣きそうな顔をする私に、アルフレッド様が焦っている。そして、マーサが何やらアルフレッド様の耳元でささやいた。
「俺は屋敷にはなかなか帰れないから、リリアリスには、その……公爵夫人として屋敷を守ってもらえないか?」
「公爵夫人として?」
まさか、そんな言葉が出てくるとは。マーサの入れ知恵だろうけど。屋敷を守ってくれなんて、屋敷でおとなしくしててくれって話だよね。
「魔物が街に入ったら、領民は城の地下室に避難してくる。避難した者たちを受け入れる準備を頼めるか?」
「ごめんなさい、そんな大切なことを頼もうとしてたのに……!」
頭をかち割られたかと思った。自分の浅はかさに。
スタンピードの危険が迫っているというのに、魔物と戦うには足手まといになると言われてショックを受けていたなんて。馬鹿すぎる。
戦うだけが仕事じゃないのに。
きっと今だって、部屋の外ではスタンピードが起きたときへの備えを続けているのだろうし、ワーウルフとの戦闘の後処理なんかもしているのだろう。
サラが光魔法を冒険者たちに教えているのだって、準備の一つに違いないし……。
私、いくら仮でも公爵夫人だというのに……。何が領民の生活を向上させたいだ。屋敷を飛び出して、本来公爵夫人としてすべき「屋敷の切り盛り」を放棄していいわけがない。
きっと、アルフレッド様の「自由にしていい」は「屋敷を自由に切り盛りしてくれていい」っていう意味だったんだろう。まさか、屋敷から毎日のように街に出ていくなんて思ってなかったんだろうな。
「屋敷のことは任せてください」
アルフレッド様がホッと息を吐き出した。
「いや、無理はしないでくれ。ゆっくり休んでくれ」
うん? そんな悠長に休んでちゃだめなんじゃない? スタンピードはいつ起きるかわからないんだよね? 避難所として準備することはたくさんあるのでは?
すくっと立ち上がったら、アルフレッド様が私を再びお姫様抱っこする。
ちょっ。
「頼むから、休んでくれ。君に何かあったら……侯爵に申し訳が立たない」
はい? こうしゃく? 誰だよ。まさか、私の親のことか?
「すまない。まさか、君がいる間にスタンピードの危機が迫るとは……安全な王都で過ごしてもらえればよかったんだが、すでに街道は危険なんだ。この屋敷が一番安全だ……すまない……」
呆然として何も言い返せないでいる間に、再度謝り、アルフレッド様は部屋を出ていった。
何、言ってんだ?
家族は私を流刑地と呼ばれるこの場所にやってせいせいしてるよ? 私はあんな使用人以下の扱いで虐待されるような家になんて帰りたくなんてない。今が幸せ。王都は嫌だっ!
って思ってるの、知らないの? いや、知らないか。
……言ったほうがいい? 侯爵家の恥をさらすべきじゃない? ……そんないらない娘を押し付けられたと知ったら、アルフレッド様も、アルフレッド様を慕う使用人や領民も、悲しむよね。怒るよね。
だめだ。言えない。……ううん、言えないどころか、バレちゃだめだ。
私が追い出されるようにして嫁いできたなんて。まるでゴミを捨てるように流刑地に送られたなんて。ここは、ゴミ箱じゃない。流刑地なんかでもない。
心優しい人たちが住む楽園だ。心が腐った人たちが
「守るから」
すくっと立ち上がる。
さっきはアルフレッド様にお姫様抱っこされてベッドに戻されたんだ。急に、あのたくましい腕を思い出して頰が熱くなる。
……鍛え抜かれ余分な脂肪のない筋肉が好きだったけれど……。相撲取りのような贅肉に覆われた見えない筋肉も素敵かもしれない。あれよ、意外性? メタボで怠惰な生活送ってると思ったら、鍛えてて力強いなんて。いいかも。
むひゅひゅ。
■アルフレッド視点■
「アルフレッド様! って、どうしたんですか、その姿……?」
仮面を外し騎士の訓練所へと向かう。足を踏み入れたところで団長に声をかけられた。
「いや、ちょっと事情があってな……。うん、いや、これには助かった。マントで覆っているだけではバレるところだった」
柔らかな布を何重にも巻いたおなかをぽんぽんとたたく。
「で、あの侍女は何をしているんだ?」
一人の侍女が、副団長と話をしていた。いや、詰め寄っているようだ。
「いや、それが……。水魔法でも戦えるので弟を騎士に入れてほしいと言いに来ていて……」
「は? 剣の腕が立てば魔法の属性関係なく騎士団に所属できるだろう?」
ポリポリと団長がほほをかいた。
「いやー、それが剣の腕はいまいちで」
「なぜ知ってるんだ?」
「……三年連続で試験を受けに来ています。入団資格が得られる十四歳から」
なるほど。
「熱心だが……鍛えてもどうにもならないのか?」
「魔法攻撃と併用できれば十分な腕はあるのですが、剣だけとなると微妙といったところで……」
そうか。水属性の者はすでに騎士団には十分な人数がいる。欠員がいれば、飲み水を出してもらうために入団も許可できるのだろうが……。
「話をしてみよう」
「アルフレッド様が?」
侍女と副団長のもとへと近づく。
「とにかく、見てくださいっ! 水魔法で攻撃できるんですっ」
「確かに、全く攻撃できないわけではないだろう。魔物の気を引くために水をぶつけるとか、視界を一瞬奪うために目にぶつけるとかはできるのは知っているが……」
それならば、今いる水属性の者たちで十分事足りる。
攻撃力があるものを一人でも増やそうとすれば、やはり攻撃に特化した火属性魔法か、魔法以外の腕が立つ者でないと無理だ。特に今はスタンピードが起きる危険が高まっている。
「話は聞いたよ」
「アルフレッド様!」
声をかけると、侍女が振り返った。
「残念だが、副団長の言う通りだ……」
がっかりした顔を見せるだろうと思ったが、侍女は強い光を目に宿してまっすぐ俺の顔を見る。
弟思いの姉の姿に複雑な気持ちが芽生える。家族のために、人はここまで一生懸命になれるんだな。
リリアリスにも心配する家族がいるのだろうな。どんなにここにいてほしいと思っていても……。
真っ白な顔で意識を失っていたリリアリス……いや、アリスを思い出す。
死んでしまうかと思った。
「リリアリス様に教えていただきました」
「は? リリアリスがなんと?」
まさか、無責任に頑張れば大丈夫だとか、頼めばいいとか言ったりしてないよな? 私も戦うと言い出したくらいだ。魔物の脅威を軽く考えているのかもしれない。
「副団長と戦わせてください」
侍女が意外なことを口にする。
副団長が俺の顔を困ったように見た。
「負けたら、諦めると誓ってくれるか?」
はいと侍女が頷く。それを見て副団長に模擬試合の許可を出した。
「では弟を呼んできなさい」
副団長の言葉に侍女が首を横に振る。
「水魔法で戦えるとの証明は私がします。一戦お願いします」
は?
「えーっと、剣の腕は?」
「いえ、水魔法で戦えると証明できれば、弟は私と違って剣も使えますし、より役に立つと理解してもらえますよね?」
再び副団長が困った顔を見せる。
そりゃそうだろう。剣を握ったこともない侍女。しかも攻撃魔法も使えない水属性の侍女と戦えなど……。
「対人戦ではなく魔物を想定した戦いであるなら、距離は剣が届かない位置から開始しましょう。魔物が我々に気が付くまでの時間を一秒とり、開始の合図から一秒は副団長は動かずそのまま。それでどうですか?」
団長が試合の形式を提案した。
まぁ、それならばと、頷いて許可をする。
距離は五メートル空けて立たせる。Dランクの魔物に気配を消して近づける距離がこれくらいだ。
騎士たちは皆単独でDランクの魔物を倒す能力はある。
周りには次々と訓練の手を止めた騎士が集まっている。
「しかし、お前が許可を出すとは思わなかったな……」
騎士団長のソウは慎重な男だ。万が一副団長が侍女に怪我をさせるようなことがあってはいけないと、弟との対戦をさせるように侍女を説得すると思っていたが……。
「アルフレッド様、侍女はなんて言ったか覚えてますか?」
「ん?」
ソウが何かを期待するように侍女に視線を向ける。
どこにでもいるような体つきの侍女だ。女冒険者のように体を鍛えているようには見えない。剣も握ったことすらなさそうだ。
「光魔法は役に立たないという常識を覆してしまったリリアリス様が侍女に何を教えたのか、気になるでしょう?」
団長の言葉にハッとする。
確かに、あの侍女は「リリアリス様に教えてもらった」と言っていた。
団長が始めと声を上げると、侍女はすぐに頭の大きさほどの水球を出し、副団長の顔にめがけて放った。水球は副団長の顔にあたり、そのままの形を維持している。
なんだ? 水球の形を維持?
「あれは、まさか呼吸をさせないつもりか?」
だが、呼吸が止まるまであの形を維持するのは魔力が相当かかるはずだ。火魔法でいえば、火球を相手に当てるのではなく火球を維持して相手を火球に包み込むわけだろう?
副団長はすぐに、腕で水球を振り払った。
俺の声にソウは苦笑する。
「まぁ、よほど魔力の高い者なら今のように口と鼻をふさいで魔物をやっつけられるかもしれませんね……実戦ではとても使い物にはなりそうにありませんが……」
リリアリスの教えたことに期待しすぎてがっかりしたのか。
そうしている間に侍女は再び右手を前に出して水球を放った。
副団長は水球が顔に当たるのも気にせず、一秒経ったところで剣を持ち五メートルの距離をあっという間に詰めた。
ここまでだな。
副団長が剣を振り上げ、侍女に向けて振り下ろす。もちろん寸止めすることは分かっているが、騎士たるもの侍女に剣を下ろす姿というのは見ていて気持ちの良いものではない。
副団長もそう思ったのか、振り下ろす剣を途中で落とした。
そして、そのまま、前に倒れた。
侍女はすかさず副団長の持っていた剣を拾い上げ、副団長の首のすぐ横に剣を突き立てた。
啞然として、誰も声を出すことができなかった。
いったい、何が起きたのだ?
ソウの顔を見るが、ソウも何が起きたのかわからないと首を横に振った。
いち早く動いたのは副団長の補佐役の騎士だ。
「副団長っ、大丈夫ですかっ!」
「あ、試合は終わりだ! 勝負はついた」
侍女がにこりと笑ってこちらを向く。
「私の勝ちでいいですよね? 約束通り弟の騎士団入りを考えてください」
騎士団長が倒れている副団長の様子をちらりと見てから侍女に尋ねた。
「その前に説明をしてくれないか? 副団長は大丈夫なのか?」
侍女はポケットの中から小瓶を出した。確かあれは、いざという時に身を護るためにリリアリスの世話をする侍女が持ち歩いている……。
「即効性のしびれ薬です。指先に付けて、水球を指先を通して放ちました」
侍女の言葉にソウが頭を押さえる。
「なるほど……。一度目の水球は油断させるためか。痛くもなければ二度目は水球を避けもせず攻撃を仕掛けてくるだろうと、それを狙ってか」
はいと侍女が頷いた。
「リリアリス様が、水を出すだけではなく水球にして顔を覆うこと、毒と組みあわせることを教えてくれました」
ソウがにやりと笑う。
「水を出すだけではなく、出した水に毒を含ませて飛ばすか。口を覆ってしまえば呼吸のため水球を避けたあとでも少量は吸い込むだろう……魔物相手にどれほど有効かわからないが……」
「試してみる価値はあるだろうな。ソウ、頼んだ。水属性の騎士を集め、訓練ののち魔物で実験を」
ソウが嬉しそうに笑って、俺の肩をぽんっとたたく。
「本当に、素晴らしい女性をお迎えになりましたね。奥様は最高です」
最高は同意する。
だが、リリアリスは……。
「あの、弟は……」
侍女がこの場を移動しようと背を向けたソウに不安そうに尋ねた。
「実験し、魔物にも有効だと分かれば、よろこんで入団を許可しよう」
「ほ、本当ですか?」
「ただし、剣の腕をさらに磨くこと、それと毒をのせた水球の使い方も訓練することだ。入団試験を近々行おう」
侍女が嬉しそうな顔をして頭を下げた。
「ありがとうございます!」
……光魔法に続いて、水魔法か……。
魔物からの防衛手段や、攻撃手段が増えれば、より領民を守れる。魔物に怯え、危険と隣り合わせで貧しく苦しい生活をしている領民たちが少しは楽に暮らせるようになるだろうか。
いや、そういう領地へと変えていく。
家族に疎まれ、この地に追放された俺に優しくしてくれた領地の者たちに報いたい。
「アルフレッド様もありがとうございます!」
「いや、俺は何も……感謝ならリリアリスに」
侍女はまぶしい笑顔を見せた。
「はい。奥様にも感謝いたします。水属性の弟の夢が叶うかもしれない……。それに、屋敷が明るくなってとても仕事がはかどるようになりました。皆の気持ちまで明るくなったようです」
侍女は最後まで笑顔で仕事に戻っていった。
「……リリアリスが屋敷の皆に、そして俺に……領民たちに希望を与えてくれる。だが、リリアリスの明るい未来はここにいてはないだろう……」
王都のような華やかな社交界はない。家族と遠く離れている。冬の厳しい生活。
寒く、雪に閉ざされ暗い屋敷の中に閉じこもる日々。粗末な食事。
今はまだ文句ひとつ言わないけれど、いくらリリアリスでも冬はとても耐えられないだろう。冬が来る前に王都に帰すべきだ……街道の安全が確保されたら。
突然、リリアリスの恥ずかしそうに頰を赤らめた顔が思い浮かんだ。
「お世継ぎを……」
世継ぎ……。リリアリスは、こんなところに嫁がされて、俺のような男と世継ぎを設けようというのか?
何の得もないだろうに……。いや、腐っても俺には王家の血が入っている。
家族に言われたか?
いや。まさかな。リリアリスのことだ。屋敷の者たちに「お世継ぎはまだですか」とキラキラした目で問われ、皆のためにとでも思ったのだろう。
優しい女性だ。きっと、自分の幸せよりも、皆の幸せを優先してしまう。
だからこそ……。手を取るわけにはいかない。誰よりも幸せになってほしい。