「お嬢様」

 ウルヴァリエのタウンハウスの執事は、サラのことをかたくなにこう呼ぶ。

「ただいま戻りました。あ、明日は友だちと食事の予定なので、夕食はいりません」

「承知しました。ところで、お客様がお待ちです」

「お客様?」

 サラには薬師以外、王都に知り合いはいないはずだ。騎士隊には知り合いがいるだろうという心の声は聞こえないことにする。

「こちらへ」

 と案内されたのは、応接室ではなく、食後にみんなでお茶を飲む部屋だった。前回ネリーやライと滞在したときは、よくここに集まっていたなと懐かしく思い出す。

「どうぞ」

 開けられたドアから素直に入ると、そこに立っていたのは背の高い砂色の髪の少年だった。

 思いもかけない人の姿を見て、サラは固まってしまった。

「アレン」

「サラ」

 サラをまっすぐに見るアレンは久しぶりに見た気がする。

「俺もいるけどな」

「うむ。私もいる」

 なぜか少し離れたところにクンツとエルムが向かい合って座っている。

「え、どうして、アレン」

 サラが王都に来てからまだ一週間もっていない。なぜアレンも王都に来たのかはわからないが、深層の仕事が終わってからだと考えても、相当無理をしてやってきたことになる。

 サラは焦ってアレンに駆け寄った。

「身体強化で走ってきたんじゃないよね? 一ヶ月経ったとはいえ、まだ無理しちゃダメじゃない! あ」

 そして心配で思わず出た言葉にひるんだのは、アレンではなくサラ自身だった。

 サラはアレンに伸ばした手を慌てて引っ込めて、胸の前でぎゅっと握る。

「ごめん、私。しつこく言うつもりはなくて」

 これではまた同じことの繰り返しだ。

 思わずうつむくサラの前から、一歩、二歩と下がっていくアレンの足だけが見える。

「ごめん!」

 その声に驚いたサラの目に入ったのは、アレンの後頭部だ。

「お、お前! なにやってんの?」

 座っていたクンツが思わず立ち上がって叫ぶくらい、衝撃の光景が目の前にある。

「ほんとにごめん! サラはしつこくなんてない! 全部俺が悪いんだ」

 部屋の床に正座し、そのまま腕を伸ばして上体を地面に倒すスタイル。

 つまり。

「ジャパニーズ・ドゲザスタイル。ハルトに聞いたんだ。これがサラのいた世界の、最上級の謝罪の姿勢だって。正しくは滑り込むらしいけど、ここ、そんなに広くないし」

 顔を上げないままだから、アレンは床に向かってしゃべっていて、なんだか声がくぐもって聞こえるが、これはない。

「いや、それは」

 いったいアレンに何を吹き込んでくれているのだ、ハルトは。

 しかも、きっと漫画かなにかの影響に違いない。

「万が一サラを怒らせた場合の、最終手段だって。これで許してくれなかったら、もう」

 伸ばした手の先が床をつかむようにぎゅっと握られる。

 サラの胸の前の手と同じだ。

「言い訳になっちゃうけど、俺、自分が何もできないのに、サラとクンツばかりが先に行っちゃうみたいで焦ってて。せめて、深層探索するサラのそばにいたくて、必死に頼み込んで雑用係にさせてもらったんだ。そんな仕事なんてないのに、無理やり」

 なんで無理するんだろうと怒りさえ覚えていたが。その原因が自分にもあったなんて。

 サラは思わずアレンの前に膝をつく。

「無理してるって、自分でもわかってた。それが後ろめたくて、サラが心配してくれてうれしいはずなのに、あんなこと言ってしまったんだ」

「アレン。それで無理して、ハンターとしての力が落ちてしまったら、これまで何年も頑張ってきたことが台無しになっちゃうんだよ」

 サラはそう言って、握りしめたアレンの手にそっと触れた。

 アレンの気持ちはわかった。それでもサラは、アレンに無理をしてほしくなかったのだ。

 アレンはやっと顔を上げると、触れた手を返して、サラの手をぎゅっと握る。

「うん。でも、後悔はそれじゃない。サラにひどいことを言ったことだ。毎日毎日後悔して、ごめんって言おうと思っても、なんでか口から出てこなくて。サラを傷つけるだけの毎日だってわかっていても、地上でサラの帰りを待つより、深層でサラのそばにいたかった」

「言ってること、めちゃくちゃだよ」

 サラはくしゃりと顔を崩した。

 ごめんと言いながら、無理をしたことを後悔していないという。

 だけど、それはサラが怒ることだろうか。

 サラもずっと考えていた。

 もしアレンが無理をして、力が元のとおりに戻らなかったらどうなのかと。

 確かにアレンは苦しむだろう。苦しんで、でもそれを受け入れて努力し、後悔しない、そういう人だ。

 では、サラは何が嫌なのか。

 アレンの力がなくなることが嫌なのではない。アレンが悩み苦しむところを見るのが嫌なのだ。

「私も、勝手だったから」

「そんなことない! サラはいつだって完璧だ!」

「違う! アレンがどうしたいかも、アレンの力が弱くなるかもしれないこともどうでもよくて、ただただ、苦しむアレンを見たくなかっただけなの。自分がつらい思いをしたくなかっただけなの」

 そんなサラの背に、アレンが不器用に手を回す。

「それの何が悪いんだよ。俺が苦しまないで済むようにって考えてくれる人が、サラ以外にいるかよ。みんなみんな」

 アレンの手に力がこもる。

「自分だけを心配してくれる人が、たった一人でもいたらいいって思って生きてる。俺にはもう、そんな人がちゃんといるのに、大事にせずに傷つけて。ごめん。ほんとにごめんよ」

「うん。私もごめん」

「俺もごめん」

 あんなに言えなかったごめんの一言が、一度口にしたらいくらでも言えるのはなぜだろう。

「うえっ」

「泣くなよ」

 中身は大人なのに、涙が出てしまうのが恥ずかしくてたまらないサラである。

「それにしても、よくよくお嬢様を困らせるお客人ですね、アレン様は」

 サラが落ち着いたころに、初めて声を発した人が、壁際に控えていた執事だったのにはサラも驚いた。

「なんのことだ? あ」

 アレンの顔が赤く染まっていく。

 向こうでクンツがポンと手をたたいた。

「ああー、そういえば」

「やめろ! クンツ! 思い出すな!」

「何のことだ?」

「エルム! なんでもないんだ」

 慌てて立ち上がったアレンが、照れたようにサラに手を伸ばす。

 そうだ、前に王都に来たとき、アレンの気持ちが爆発したのもこの部屋だった。

 サラはアレンの手を取った。

「私はいなくならないって、言ったのに」

「うん。それなのに、俺、自分のせいで失うところだった」

「ほんとだよ。もう諦めちゃうとこだった」

「やばかった。俺、王都に来てよかったよ」

 にかっと笑いかけるのはもういつものアレンだ。

「あれ?」

 サラはここで初めて疑問に思った。

「というか、なんでクンツとエルムがいるの?」

 クンツは仲間だからで済むが、エルムはなぜだろう。

「やっとこっちに気がついてくれたか」

 俺の出番かとばかりにクンツが立ち上がる。

「その前に、二人とも俺に言うべきことはないか」

 クンツはまるでおいでおいでをするかのように、何かを求めて手をワキワキと動かしている。

 サラははっと気がついて、深々と頭を下げた。

「ありがとう! ずっと間に入ってくれてて」

「それ、招かれ人のお礼だな、サラ。合格だ」

 ふんとふんぞり返ったクンツに、アレンもサラをまねて不器用に頭を下げた。

「ありがとう、クンツ。ほんとに、いろいろ」

「心配かけすぎなんだよ、アレンは。けど、合格! 仲直りしてくれたんなら、それでいい」

 和やかな空気が流れたが、王都に来た理由はまだ明かされていない。

「ああ、俺、一ヶ月経ったけど、まだ身体強化を使っていないんだ」

 疑問に答えたのはアレンだったが、まったく答えになっていない。

「え? もう使ってもいいと思うのに? クリスに止められた?」

「長い話になりそうでございますね。まずお食事を先にいかがでしょうか」

 サラがやっと事情を理解できたのは、食事を終わらせてお茶を飲んでいるときだった。

「ええと、クリスはいいって言ったのに、ネリーが駄目だって言ったってこと?」

「そうだ」

「じゃあ、私がいいって言ったらそれで終わり?」

「そう。いや、違う」

 どっちだとサラは突っ込むところだった。

「俺とクンツは、これから一ヶ月、騎士隊の基礎訓練に参加することになったんだ」

「うん?」

 それで王都に来たということはなんとなくわかるが、なぜそうなったのか、身体強化を使う許可がどうなったのかはさっぱりわからない。

「騎士隊では、見習い騎士の間に、身体強化や魔法を使う前の、基礎体力の付け方や魔力の扱い方などを学ぶ。この一ヶ月、アレンを見ていて、強いは強いが、自己流が過ぎる気がしてな」

「それで騎士隊で訓練を」

 エルムの説明に、サラもようやっと理解が追いついたような気がする。

「師匠であるネフェルも多少は基礎訓練をやっているはずなのに、なぜアレンに伝わっていないのかが不思議だ」

「それを言うならエルムがやっても伝わっていないということになりますよね」

 クンツの突っ込みが鋭い。聞いてはいないけれども、おそらく巻き込まれて一緒に基礎訓練する羽目になったからだろうなとサラは気の毒そうな目で見てしまう。

 騎士隊は基本的に貴族の子弟が入るものだ。アレンもクンツも平民なので、強くなるためとはいえ、貴族の、しかも、見習いの中に交じって訓練することには気後れもあるのだろう。

 元騎士隊長の息子で本人も元騎士のエルムのつてで、アレンとクンツを見習いの基礎訓練に送り込む。そうすることで、アレンの身体強化も、クンツの魔法も、今までより使い勝手がよくなるだろうとエルムは言う。

 三人で王都に来た理由がやっと理解できたサラの目を、アレンがまっすぐに見つめた。

「サラ、やり直しだ」

「やり直し?」

 もうお互い謝って仲直りしたのだから、やり直しも何もないと思うサラは首をかしげた。

「俺はこれから一ヶ月、身体強化も魔法も使わない」

「もう一ヶ月経ったのに、さらに一ヶ月使わないってこと?」

「そうだ。一ヶ月、無理をしないで過ごすから、そうしたらサラが、身体強化を使っても大丈夫かどうか改めて判断してくれないか」

 一ヶ月前、二人がケンカをしていなかった頃に戻って、最初からやり直したいんだ、そう続けたアレンに、サラはうなずく以外に何ができただろう。

「つまり、皆さん最低でもあと一ヶ月はここに滞在されると、そういうわけでございますね」

 執事の人が張り切っている。サラもちょうど、薬師の仕事で一ヶ月ほど滞在が延長になったところだったから都合がいいとも言えた。

「うん。じゃあ、皆さんよろしくお願いします」

 つられてなんとなく頭を下げた三人とお互い顔を見合わせて噴き出したサラは、こんなに楽しい気持ちになるのはいつぶりだろうと、なぜかにじんだ涙をそっとぬぐった。


 次の日、さっそく騎士隊に向かおうとする三人に付いていこうと思ったサラは、まず薬師ギルドに顔を出し、予定の変更の連絡を入れた。

「待ってください! サラ!」

 もう生意気な態度を取らない受付の女性に、伝言だけして出ていこうとしたサラだが、ものすごい勢いで飛び出してきたノエルと、その後をゆっくりと追いかけてきたヨゼフに捕まった。

「アレンが来てるんですよね! 僕も行きます」

 ウルヴァリエの馬車に無理やり乗り込んできたノエルのその手には、聞き取り用の紙とペンがある。

「狭い狭い」

 サラの他は大柄な男性五人が、ゆったり四人乗り用のはずの馬車にぎゅうぎゅうに詰まっている。

「新鮮なうちに経験談が聞けるなんて最高ですね。しかも知り合いですから遠慮もいりませんし」

「いや、いるでしょ」

 目をキラキラさせているノエルに、それでもサラはアレンの友だちとして突っ込まざるを得ない。

「それで、アレン。一ヶ月と二週間か、まず怪我をしたときの状況を教えてくれ」

「ええと……」

 その横では、知り合いではあるがまったく親しくもないヨゼフが、本当に遠慮も何もなしでアレンに聞き取りを始めている。

「この感じ、すごくクリスっぽいんだけど」

 思わず口に出た言葉に返ってきた感想はこれである。

「光栄ですね」

「光栄だな」

「褒めてませんけど」

 騎士隊に行くまでの短い間の聞き取りではあったが、終わる頃には、ノエルとヨゼフの表情はとても微妙な感じになっていた。

「アレンも頭部の怪我による意識不明のパターンか」

「ということは、やはり自重しないタイプでしたか」

 その質問を、サラはハラハラしながら聞いていた。

「どういうことだ?」

 アレンが不思議そうに聞き返している。

「これまでの聞き取り調査でわかったのですが。頭部など、本人が怪我を意識していない場合、回復期に無茶しがちだという傾向が見られたんです。頭部をぶつけるということは大変危険ですが、本人は意識を失う前と回復した後しか自覚がないから、死ぬかもしれなかったという恐怖感が薄いのではないかと推測しています」

「死ぬかもしれなかった……。俺が?」

「そうですよ。話を聞きましたが、サラが特級ポーションを作るのがあと少し遅かったら、あるいはアレンが薬を飲み込めなかったら、そして」

 ノエルは真剣な顔でアレンに言い聞かせている。

「そもそもサラに結界の力がなければ、全員死んでしまっていたかもしれません。そのくらい危機的な状況の中、特薬草を採取しその場で作れ、しかも与えられる薬師がいたことは、幸運以外の何物でもありません。しかも、その上で助かる確率は五分五分でした」

「俺は……」

 アレンは一言一言、かみしめるようにつぶやいた。

「助かったことと、その先のことばかり見ていて、どういう状況だったかちゃんと理解していなかったんだな」

「なるほど。患者に怪我をしたときの状況をきちんと理解させることが回復期の過ごし方につながる、と」

 ヨゼフが聞き取り票の横にメモしている。

「いやあんた、今とてもいい話をしてたところだったでしょうが」

 サラの代わりにクンツが突っ込んでくれたが、そうでなければまたごめんね合戦になっているところだったので、サラはむしろありがたいくらいだった。

「正直なところ、怪我をしたのはアレンの不注意でもあったし、あまり怪我をした状況のことを話すと、自分を責めて回復を遅らせるのではないかと、あえて触れないでいたんです」

 もう言ってもアレンも大丈夫だろうと思ったので、サラはその時の自分の判断を告白した。

「なるほど。その時の状況にもよるか。例えば同じ状況で自分だけが助かったときなども心理的に厳しそうだな」

「サラ、言っておいてくれよー」

「いちおう言ったよ? 聞き流してたでしょ」

 ヨゼフはメモを取り、アレンはぼやく。

 そんなことを繰り返しているうちに、騎士隊の建物に着いた。

 わらわらと馬車から降りると、リアムの他二人の騎士が入り口で待ち構えていた。

 リアムはサラに目を留めると、からかうように微笑ほほえんだ。

「連日のお勤めご苦労様。それともアレンの付き添いかな」

 サラはその皮肉っぽい言い回しにあいまいに微笑んでごまかしたが、リアムはサラの返事など求めていなかったらしく、エルム、そしてアレン、クンツへと順番に視線を移動させた。

「元近衛所属、エルム・ウルヴァリエだ。父から書簡が届いたと思うが」

「ええ。元騎士隊長、ライオット・ウルヴァリエ殿からの私的な依頼ですね」

 私的なというところを強調したような気がするが、ピリピリした雰囲気がそれ以上高まることがなくてサラはほっとする。

「元騎士隊長の依頼とはいえ、個人を騎士隊の訓練に参加させるなどということをいちいち聞き入れていては、騎士隊の仕事は成り立たない。また、退役した以上、元騎士とはいえ融通を利かせる理由は本来ありません。ですが、参加するのがアレンとクンツ、すなわちタイリクリクガメ作戦の英雄ということで、許可が出ました」

うそだろ。なんで俺の名前も入っているんだよ。アレンにその他一名でいいじゃないか。目立っていいことなんて何もないのに」

 クンツが顔をそむけてぶつぶつと文句を言っているが、サラにはその気持ちはとてもよくわかる。

「サラ。あの時、私たちはアレンにだけ責任を取らせようとした。だが、そこから少しずつでも変わってきていると自負している。何より、若い世代、特に見習いの騎士たちは、タイリクリクガメの英雄の参加を楽しみにしている。さあ、アレン、クンツ。こちらへ」

 サラはそう言われても不安になって思わず一歩前に出た。

「あの」

「サラ、大丈夫だ」

 そしてすかさずアレンに止められた。

「約束は絶対に守る。騎士隊から学べるものは全部学んでくるから」

「うん」

 サラは心配性なので不安は消えることはないだろうが、アレンの人生はアレンが決める。サラは口出ししない。ただしアレンはサラの心配をきちんと受け止める。

 昨日二人で決めたことだ。

「今日は特級ポーションの経験者は集めていないので、薬師諸君は来る必要はないよ」

 せっかくここまで付いてきたサラたち三人は門前払いである。

「アレンに聞き取りができたから問題ない」

「昨日の推論がさっそく証明できましたね」

 本当にアレンに話を聞きたかっただけらしく、ノエルもヨゼフもまったく気にせずにウルヴァリエの馬車で薬師ギルドに戻ってきた。

「今日は書類仕事か。調薬がいいのにな」

「サラがいる間に、ダンジョンに連れていってもらいましょうか。採取もいいですよね」

 サラが苦手だったヨゼフとも、ノエルは普通に仲がいい。年は離れていても立場が似ているからか、あるいは研究者気質が似ているからか。

「ダンジョンなんていやですよ。ハイドレンジアは慣れているけれど、王都のダンジョンは行ったことがないですからね」

 そしてそんな話は速攻で断るに限る。

「一度行けば連れていってもらえるんでしょうか」

「駄目ですー」

 昨日と同じような会話のはずなのに、なぜか心が軽い。ヨゼフと並んで前を歩くノエルが、ふと足を止めて振り返った。ノエルは内緒話をするように顔を寄せた。

「それで、アレンとは仲直りできましたか?」

「なっ! なんでケンカしてたって知ってるの?」

 そんな話は一度もしていないはずなのに。

「わかりますよ。アレンの話をしているときは、明らかに元気がなかったですからね。それに、サラが王都に来るのにアレンが付いてこないのもおかしいですから」

 どうやらノエルにはお見通しだったようだ。

「特級ポーションは、近い関係であればあるほど使うのが難しい薬だと思います。僕も、例えば兄がそうなったとして、使えるかどうか。兄が騎士だからこそ、ちゃんと考えておかねばならないと感じました」

「そうだね。私もネリーをはじめとして近しい人は皆危険な仕事だから、今度は最初からどう使うか考えないと」

 サラはそう言うと、ずいっと一歩前に出て、ノエルの横に立った。

「さ、行こう。今日もお仕事だよ」

「そうですね。僕らは薬師ですから」

 サラもノエルも、もう新人だからと言って甘えられる時期は過ぎたのだから。

 その日の夜は、最初からの約束でモナとヘザーと夕食を取った。

 前なら一緒に昼を食べられたが、サラは聞き取りに忙しく動き回っているので、やっとゆっくりと話すことができた。

「アレンが来たって聞いたけど、今日はよかったの?」

「いいの。向こうが突然来たんだし、こっちの約束が先だもの」

 同じ薬師と結婚したモナの話やヘザーの近況を聞かせてもらい、逆にサラの今回の騒動を聞いてもらうと、あんなに悩んだあれこれが、たいしたことではなかったような気がしてくるから不思議だ。

「本人にとってはたいしたことかもしれないけど、ケンカやすれ違いなんてよくあることだもの。こうやって友だちと話したら消えちゃうくらいのことよ。たくさん話したらいいのよ」

「うん。ありがと」

 楽しい時間を過ごして戻ってみると、そこには疲れ果てた様子のクンツと、いつもと変わらないアレンが待っていた。

「騎士隊の訓練、どうだった?」

 サラの質問には、二通りの答えが返ってくる。

「そうだな。面白かった」

「面白くなかった」

 前者がアレン、後者がクンツである。

 サラはワクワクしながら話の先を促した。

「午前中は基礎体力づくりに、学科」

「がっか?」

 思わずサラは聞き返した。

「そう、勉強。文学、算数、歴史に地理なんかがあるらしい。今日は算数だった」

「身体強化を使う前の基礎訓練に学科があるんだ。なんかすごいね」

「騎士としての基礎教養らしい。俺たちは中途参加だから、さっきまで宿題やってた」

「うう……」

 一日しごかれた上に宿題は確かにつらいものである。

「お昼は食堂。午後からは基礎訓練」

「また?」

「それからちょっとだけ魔力循環。もちろん、俺はやってない」

 サラとの約束をしっかりと守っているようだ。

「俺にはそれだけが唯一の救いだった」

「休憩、そして対人戦」

 どうやら身体強化を学ぶ前には徹底的に基礎訓練をするということらしい。

「なんで魔法師の俺が剣を振らなきゃならないんだ……」

「騎士隊の魔法師も皆やってるって言われてただろ」

 嘆きはクンツである。

「アレンは大変じゃないの?」

「別に。ダンジョンに一日潜っているほうが大変だから。でも、騎士や騎士見習いの体の使い方って、すごくきれいで無駄がないんだ。魔物に対してはあまり役に立たなそうだけど」

「基本的には人相手のお仕事だもんね」

 サラはふんふんとうなずいた。

「わざわざ王都にまで来るほどのものか? とも思う。けど、エルムがわざわざ連れてきたのには意味があると思うんだ。まず一ヶ月、やりきってみてから考える」

「俺、乗り切れる自信ない。みんな年下なのに体力ありすぎ」

 騎士見習いは基本一五歳以下なので、一七歳のアレンと一九歳のクンツはちょっと浮いているのだという。

「俺、もう少し勉強してから寝るよ」

「無理しないでね」

 お互いがお互いのやるべきことを別々にやって、それでも問題なく仲良くいられる。

 昨日まで無理だったことが当たり前にできていることが、とても嬉しい。

「私も特級ポーションのレポート、頑張ろう」

 だが無理をせずに早く休む。サラにはそれも大切なことである。


 特級ポーションの経験者はその後もぽつぽつと現れたが、数は少なく、レポートをまとめるのはそれほど大変ではなかった。結果として、サラが感じていたとおり、回復期の無理というのは、身体強化か魔法か、つまりいずれにせよ魔力を使うかどうかということであることがはっきり見えてきたのが成果だった。

「特級ポーションの販売時に、飲むことで死を早める可能性があるということだけでなく、回復期の過ごし方の説明を受けない限り売らない、という条件を付けたらどうでしょうか。売るのは薬師ギルドかハンターギルドの売店なんだし、統一できると思います」

「サラのおかげで、王都の薬師ギルドにも在庫ができたことだしな。騎士隊はもちろん、ハンターからもすでに引き合いが来ているんだ。売るのは少しためらっていたのだが、ハイドレンジアだけでなく、深層に潜るハンターからの、持っておきたいという声は前々から多かったんだ」

 ギルド長のチェスターも乗り気である。

「売るほうには面倒くさい手順が一つ増えるが、それを徹底すれば、元どおりの力で仕事に復帰できる騎士やハンターがいくらかは増える。これは大きい」

 もともと使う人が少ないのだから、大きい影響があるわけではない。だが、後遺症に苦しむ人が一人でも減るならやってみる価値はあると思うのだ。

「明日、アレンが一ヶ月の回復期を終えるそうだな」

「なぜそれを。あと、一ヶ月ではなくて実質二ヶ月ちょっとです」

 突然その話になり、サラは焦るが、つい正確な情報を伝えてしまう。

「ヨゼフを向かわせる。アレンが身体強化を使う場に立ち会い、完全回復を確認して、このレポートのまとめとしよう。そしてサラの提案どおり、販売するときに使用後の注意を徹底させることとする」

「はい! ありがとうございます!」

 ケンカの原因になったことで、特薬草も特級ポーションも嫌いになりそうだったが、きちんと向き合った結果として、サラのように悩む薬師が少しは減ることになるだろう。

「だが、今のところ特薬草の群生地は、ハイドレンジアにしか見つかっておらず、さらに採取に行ける者が限られる。できればだが、定期的に採取してくれると助かるのだが」

「ええと」

 今までのサラだったら、ダンジョンに行くことは頭から断っただろう。だが、自分が最初からかかわった案件で、しかも自分が王都の薬師ギルドまで話を広げたのだ。

 これは、サラができることで、やりたいことで、やるべきことだと思う。

「はい。私にできる範囲でですが」

「それは」

 そばで一緒に話を聞いていてくれたノエルが、思わずというように口を挟んだ。

「ほぼ何でも大丈夫ということと同義ですよ。無理のない範囲で、ということにしておきませんか」

「そうする」

 サラはありがたくアドバイスを受け取り、チェスターが、余計なことを言うなという目でノエルをにらんでいたのには気がつかなかったふりをすることにした。

 次の日、サラは薬師ギルドには向かわず、アレンたちと一緒に、騎士隊に向かった。

 二ヶ月ぶりに身体強化を使うというのに、アレンは興奮した様子もなく、馬車の座席に静かに座って窓から外を眺めている。

「俺のほうがそわそわするぜ。不安じゃないのかよ。もしかしたら、もしかしたら力が戻ってないって可能性もあるんだぞ」

 クンツのほうが落ち着きなく膝を上下させている。

「うん。そうだな」

 あまりに静かなので、サラも不安になってくる。

「でもな、俺」

 アレンは窓から視線を馬車の中に戻した。

「力が戻っていなくても、仕方がないと思うんだ」

「どうして!」

 サラは思わず立ち上がりそうになって、慌てて座り直した。

「あんなに頑張ったのに。そりゃ、仕方ないっていえば仕方ないのかもしれないけど」

「うん。サラを守るために、サラに並ぶためにと思って必死に強さを求めてきたけど、どんなに強くなってもそれはかなわないってわかったから」

 かなわないというのは諦めの言葉だけれど、サラを見るアレンの目には諦めの色はない。

「逆にどんな俺でも、弱くても強くても、俺が俺であれば、サラはそばにいてくれる。そうだろ?」

「うん。だって、人は誰だって、怪我をしたり病気になったりして、弱ることは必ずあるもの。強さだけが価値のあることなら、弱い自分も弱い他人も許せなくなっちゃう」

 サラがどんなに体が弱くても、家族の愛は何も変わらなかった。アレンの力が戻らなくても、サラはそばにいる。

「クンツもだろ」

「無理に仲間に入れなくても平気だって。二人のことは二人で決めればいい。俺は友だちとしてちゃんとそばにいるよ」

「ハハ。うん。でも、たぶん大丈夫だ」

 アレンは右手でこぶしを作ってみせた。

「俺、なんか強くなってる気がするんだ」

 そんな二人に付いてきたサラは、前回来たときのように、薬師は戻れと言われたらどうしようとドキドキしていたが、ヨゼフとノエルが先に来て、きちんと交渉してくれていた。

「アレンは一番最近の特級ポーションの使用者で、回復期の禁止事項を意識して守った最初の患者なんです。使った薬師には結果を見届ける義務がありますし、我々は共同研究者です」

 要は聞き取り依頼の延長のようなものだと押し通し、すでに鍛錬場で待ち構えていた。

「って、鍛錬場? 今日は訓練はしないの?」

「する。いちおう、身体強化を使って問題なければ、模擬戦をすることになっているんだ」

 ぴしっと並んで待っているのは、アレンより年の若い少年たちで、真面目な表情を取り繕っているけれども、その目はキラキラとしていて、これから起こることをとても楽しみにしていることが伝わってくる。

「じゃあ、行ってくる」

 アレンはゆったりと鍛錬場の真ん中に歩いていく。右手を軽く握ったり開いたりしているのは、身体強化の確認だろう。その後ろを、まるで守るようにクンツが歩いていき、待っていたリアムの横に立った。アレンの鍛錬に最後まで立ち会うという覚悟が見える。

「準備運動や素振りはどうする」

 リアムに聞かれ、アレンは首を横に振った。

「いらない」

「そうか。では」

「俺がやろう」

 保護者としてずっと付いてきてくれていたエルムが、静かにアレンに歩み寄った。

「弟子になれるかどうか、アレンの身体強化を試したのは、ネフェルの一太刀だと聞いた。では、再起の一太刀は、ネフェルの兄である私が振ろう」

「勝手なことをするな! アレンの相手は、同じ見習いと決めてある!」

 すかさずリアムが止めているから、エルムの登場は最初から決まっていたことではないのだろう。

「大丈夫です。リアム」

 アレンはそのリアムに笑って見せると、エルムに向きなおった。

「今のあんたが、五年前のネリーより強いかどうか、俺が確かめてやるよ」

 挑発するようにこぶしを構えたアレンに、エルムは剣を抜いた。

 確かにあの時、アレンはネリーの剣をはじくことができた。だが、エルムはそんなネリーよりも強いはずだ。

 思わずやめてと言いそうになる自分をサラは必死に抑えた。

 アレンができると言うなら、それを信じよう。

 一瞬ののち、ドゴンと。

 あまりの速さに、サラの目には何も動きは映らず、ただワイバーンがサラのバリアにぶつかるような重い音が聞こえたと思ったら、アレンの交差した腕が、エルムの剣を支えているのが見えた。

「おお……」

「防いだ……」

「防いだぞ!」

 歓声を背後に、アレンとエルムはそのまま模擬戦に入り、舞うようにこぶしと剣を交える。

 剣を受けても、まるで体が鉄でできているかのようにすべての攻撃を防いでいくアレンは、どう見ても前よりも強くなっているように見えた。

「よかった」

「これで、回復期の過ごし方にまた一人分、データが集まりましたね」

「うん」

 ノエルの言うように、薬師としてはそれが大事だが、サラにとっては、アレンが生き生きと動いていることが一番嬉しい。

 最後にガツンと交差すると、二人は自然に距離を取り、礼をした。

「わあ!」

 歓声があがって、見習い騎士たちがアレンに駆け寄っていくのを見ると、どうやら一ヶ月楽しく過ごしたらしいということがわかる。

「待ってくれ」

 アレンは両手を上げるとサラのほうにすたすたと歩いてきた。

「サラ」

「うん」

 アレンの目はキラキラと輝いており、何も聞かずとも、完全に復調したことが伝わってきた。

「俺、サラに許可を取るのを忘れてた。身体強化、使ってもいいか?」

「もう使ってるじゃない。もちろん、いいよ」

「ありがとう。俺の命を助けてくれて、本当にありがとう」

「うん」

 特級ポーションを使って本当によかった。

 うるさく思われても、身体強化を使うなと言い続けて本当によかった。

 アレンの心からの笑顔を、もう一度見ることができてよかった。

「じゃあ、俺、もう一つやらなきゃいけないことがある」

「うん?」

 アレンはつかつかと鍛錬場の中央に戻っていった。

「こいよ」

「はあ? 俺?」

 アレンが声をかけたのは、クンツだった。

「自分ばっかり進化しやがって、身体強化を使えるようになったら、絶対一発入れてやろうってずっと思ってたんだ」

「なんのこと? ねえ、俺なんかした?」

 戸惑うクンツに、こぶしを構えたアレンが踏み込んだのが見えた。

「おらっ!」

「うわっ!」

 なぜこういう状況になったのかはわからないが、この場にいた全員が、魔法師であるクンツが殴り飛ばされたと思ったことだろう。

 ドウッと、重い音がして、アレンとクンツが同時に飛び退すさった。

「ほらな? 俺のこんしんの一撃を跳ね返しやがって。エルムの剣を防いだ俺のこぶしだぞ?」

「ちょっ、待て。待てって。いきなりすぎるだろ」

 アレンのこぶしを、クンツが前に伸ばした手が弾く、弾く、弾く。

 身体強化が苦手なはずのクンツがなぜ、と、周りの人は思ったに違いない。

「ああ、バリアの盾だ。ずっと練習してたもんね」

 よく見ると、茶色の薄い盾がクンツの手の先に現れてはこぶしを弾き、そして割れるように消え去っている。

「アレンのこぶしを弾けるなら、ワイバーンも弾けるかも」

 いつの間にかクンツも、自分なりの武器を身につけていた。

「俺の陰に隠れて、目立たないつもりでいたんだろうけど、そんなずるいこと許さないからな。お前もいちれんたくしょうだ!」

「嫌だ! 俺は目立たなくていいんだ!」

 クンツのその叫びは、リアムのらんらんと輝いた目を見れば無駄だとわかる。

「アレンはタイリクリクガメの件で、なんとか騎士隊に取り込めないかと目をつけられていましたが、クンツも同じです。パーティを解消するつもりがないなら、クンツも何かしらの覚悟を決めるべきでしょうね」

 ノエルの指摘は、サラには意外なものだった。タイリクリクガメの件では、いわば手柄を取られた形となった騎士隊は、アレンのことはむしろ敵視しているかと思っていたのだ。たとえリアムがそうではないと言ったとしてもだ。

「サラ、昨年のガーディニアの活躍もちゃんと王都には伝わっていました。あなたも目立たないつもりでいるのでしょうが、無駄ですよ。毎年毎年、何かしらの成果を上げているんですから。今回の特級ポーションの件も、それを後押ししました。ただし、今回の件、アレンが王都に来たことで、サラにとっては面倒ごとが少し減ったかもしれません」

「面倒ごとが減った?」

 あまりに面倒ごとが多すぎて、ノエルが何について言いたいのかサラにはよくわからなかったが、ノエルの言葉に思わずほおが赤くなる。

「僕と兄さんには残念なことですが、サラがヒルズ家と縁付くのは諦めざるを得ないようですからね。これからサラへの婚約の申し込みは激減するでしょう」

「ええと」

 答えなくていいというように、ノエルはサラから視線を外し、前を向く。サラよりもよほど大人な対応で、ありがたいような悔しいようなもどかしい気持ちになる。だが、次の一言でサラの気持ちも引き締まった。

「アレンとクンツとは別に、サラも薬師として覚悟を決めるべきでしょうね」

 覚悟を決めたほうがいいなんて、人に言われたい言葉ではない。

 けれども、サラは夕陽の差すハイドレンジアの湖のほとりで、決めたではないか。

 皆と肩を並べて歩きたければ、もっと力をつけなくてはいけないと。

 どんな薬師になりたいか、そのために何をしなければならないか、ちゃんと考えようと。

「できることなら、受けて立ちます」

 自信を持って、一歩進んでいけるはずだ。

 目の前ではしゃいでいる、子どもっぽくて、でも信頼できる仲間が一緒だから。