アレンとクンツが出発の準備をしているとき、サラはまだ王都への旅の途中だった。

 毎日出ている王都への馬車の定期便は、案外小さくて、詰めて一〇人乗れるかどうかの座席しかない。その座席も少ししか埋まっていなくて、空いた座席には収納袋が乗客のような顔でちょこんとのせられている。

「本日のお宿は、ギルドのそばのスズラン亭だよ」

 親切な御者のおじさんによると、王都への中間地点、キスタの町に到着だ。

「うーん、体が硬い」

 おしりに敷いていたクッションをしまうと、馬車を降りて思い切り伸びをするサラである。

 王都への定期便とはいえ、王都まで行く人が多いわけではなく、ハイドレンジアから途中の町へ、そして途中の町からまた別の町へと、まるで路線バスのような使い方をされている。

 したがって、乗客同士、挨拶やたわいない会話はしても、お互いにせんさくはしない。

 その日に泊まる宿も、宿込みの料金を払っているかいないかで違う。

 サラは、久しぶりに一人でいるという自由を満喫していた。

「いつぶりかなあ。魔の山からネリーがいなくなったときが一人だった最初の時でしょ。それから」

 町に出てアレンと会い、アレンと一緒だった。ネリーが戻ってきて、ネリーと一緒。それからカメリアまでクリスやテッドやアレンと旅をする。カメリアからはテッドが抜けて、途中でクンツと出会う。

 まるですごろくのように、トリルガイアを一ます一ます進めてみる。

 ハイドレンジアのライの屋敷に置いてもらう。次の年、王都へはウルヴァリエの皆と一緒。戻ってきて、次の年にはタイリクリクガメでハルトやブラッドリーに再会。その次の年には、ガーディニアで新しい招かれ人に会って、それで今年。

「あれ以来、一人だったこと、ない……」

 まず最初に浮かんできたのは感謝の気持ちだ。

 魔の森でネリーに出会わなかったら、そこで終わっていた命だった。それからほとんどずっと、サラのそばには誰かがいてくれたのだ。

 もちろん、一七歳なんて日本でだって親元にいる年ごろだし、この世界でだって一人でいる人のほうが少ない。だがサラには、一人暮らしの経験がある。

 仕事は楽しくてもストレスはあるし何よりいつも疲れていた。けれども、少しずつたまっていく疲れのおりのようなものを、誰にも気を使わない一人の時間が少しずついやしてくれていた。

「誰も私を、招かれ人だとも薬師だとも知らない。地味で目立たなくて誰の関心も引かない。なんて素敵」

「いやあ、若い女の子の一人旅、結構目立ってるからね。宿まで一緒に行こうや」

「え、ありがとうございます」

 ご親切にと頭を下げながら、今のつぶやきを聞かれていたのがとても恥ずかしいサラである。

「まあねえ、あんた、ハイドレンジアでは有名人だしなあ。いろいろ悩むこともあるかもしれないね」

「わ、知ってたんですか?」

 何も言われないから、サラのことは知らないのだと思っていた。

「たまたまハイドレンジアの町中でオオカミを捕まえたところを見たんだよ。見事だったねえ」

 そういえば、タイリクリクガメ事件の時にそんなことがあったような気がする。

「けど、オオカミを捕まえた人でしょなんて、言われたくはないだろ」

「言われたくないです、確かに」

「馬車にはいろいろな人が乗るのさ。ま、道中は安全だから、王都まで安心して乗っていったらいいよ。俺は俺であんたが乗ってたら安心だしな」

「はい。ありがとうございます」

 御者の人は、すぐそばだというのにサラを宿まで連れていってくれ、手をひらひらと振って町に出かけていった。それを見送って、自然とハイドレンジアのことを思い出す。

「ハイドレンジアの人って、あんな感じ。私のことを知ってても、何も言わない。強いとわかっているのに、自然に守ってくれるし」

 オオカミを捕まえられるほど強いから、一緒の馬車にいて安心という気持ちと、一人旅の女の子だから守らなくちゃという気持ちが、一人の人の中で矛盾せずに同居している。

「そうか、私、今だけじゃなく、ハイドレンジアでもちゃんと自由を満喫していたんだな」

 一日のうち、一週間のうち、ひと月のうち。確かに招かれ人でも薬師でもない自分がいて、ちゃんと自分の疲れを癒してこられたのだ。逃げるようにハイドレンジアを出てきてしまったけれど、そんなことは必要なかったのかもしれないと気がつく。

「そうとなったら、町の観光もして、お土産も見て、帰ったときに見てきたことをいっぱい話さないと」

 それから一週間後、王都に着くころには、サラはすっかりと元気を取り戻していた。

 手紙が届くより先に自分が到着したので、ドキドキしながらウルヴァリエのお屋敷のドアをたたくと、顔見知りの執事の人がにこやかに待ち構えていた。

「旦那様から早馬で連絡がございました。まずサラ様からということで、いつものお部屋をご用意しております」

「ありがとうございます」

 まずサラからというのはどういうことだろうと思いながらも、渡り竜の時に滞在した部屋に案内してもらう。その後のタイリクリクガメの時も、ローザからの帰りにお世話になっていて、このタウンハウスもすっかりみとなっている。

「仕立て屋と宝石商はいつごろ呼びましょうか」

「いやいやいや」

 サラはレディらしからぬ姿で手を横に振った。ライが気を使ってくれたのに違いないが、面倒くさいのでお断りである。

「今回は仕事ですので、ドレスも宝石もいらないと思います」

「サラ様はいつでもお仕事だとおっしゃる」

 執事は残念そうだが、それでもサラの意をくんで、それ以上は推してはこなかったので、サラもすぐに今回の本題に入れた。

「さっそくですが、今日のうちに一度、薬師ギルドに顔を出したいんです」

「すぐに馬車を用意いたします」

「いえ……はい」

 前に一度、ライのために馬車に乗ってくれと言われたことを思い出し、言い直す。歩いたほうが早いのにと思いながらも、薬師のローブを羽織ると髪と身なりを整え馬車を待つ。

 用意された馬車の窓から、街並みを眺めつつ薬師ギルドに向かう。前はアレンが一緒だったと考えてももう、かすかに胸の奥がきしむだけだ。

 薬師ギルドに着くと、サラは職員が入る側ではなく、ポーションを売っている側に向かった。指名依頼ということは、今回は薬師ギルドに招かれたお客様だ。ちゃんと受付を通したほうがいいだろうという判断である。

「あの」

 そう忙しそうでもない受付の女性に声をかけると、彼女はサラを上から下まで眺め、ふんと馬鹿にしたように鼻息を吐いたので、サラは思わずくすっと笑ってしまった。

 王都はよくも悪くも、前回サラが滞在していたときのままだ。

「指名依頼を受けて来ました。ノエルはいますか。ノエルがいなければ、ヨゼフをお願いします」

 この手のお嬢さんは、指名依頼だというだけでは話を通してくれないことがあるのは経験済みである。

「見たことのない薬師ね。田舎から来たのかしら」

 ほら、始まったと思ったサラは、まともに受け答えすると時間がかかるのを察して、受付の後ろで調薬室に出入りしていた薬師に聞こえるように大きな声をあげた。

「すみませーん。指名依頼を受けて来たハイドレンジアの薬師ですが。責任者をお願いします!」

 大きな声を出す若い女性など見たことがなかったのか、受付の女性は口をパクパクさせているが、声をかけた薬師が慌てて近寄ってきてくれた。

「指名依頼ですか? ハイドレンジアというと、ダンジョンに新しい階層が発見されたと聞きましたが、その件かな」

 サラはまともそうなその人に、指名依頼の封筒を手渡した。

「ノエルかヨゼフをお願いします。顔見知りなので」

「承知しました。少しお待ちください」

 サラはあっけにとられている受付の人に目をやると、ちょっと胸を張ってふふんという顔をしてやった。

「まあ!」

 別に王都の薬師ギルドに敵を作ったってかまわない。前回、受付の不手際で怪我人が出るはずだったことを忘れて、同じような受付を量産しているようなギルドだ。

「サラ!」

 受付と静かな争いをしていたせいで、奥のドアから飛び出してきたノエルに、変な顔を見られてしまい、サラは衝動に身を任せてしまったことをちょっと後悔した。

「ノエル! 久しぶり! ええ?」

 ノエルとは去年ガーディニアで出会って以来だが、顔は同じでも、目の高さが違う。

「いつの間にそんなに大きくなっちゃったの」

「親戚のおば様じゃないんですから」

 苦笑するノエルは、もうアレンとそんなに身長が違わない。

「誘ってみたものの、サラがこんなに早く来るとは思っていなかったので、まだほとんど準備ができていないんですが」

「手紙を読んだ次の日に出てきたから」

 ライはタウンハウスには早馬を出してくれたが、薬師ギルドには連絡を入れなかったようだ。サラの仕事のことだから、手や口は出すまいと思ってくれたのだろう。

「このお話、薬師ギルドに通したのってノエル?」

「そうです。僕は特級ポーションは見たことはあっても、作ったことも使ったこともないんですが、僕だけでなく比較的歴の浅い薬師は、誰も経験がないんだそうです」

「ハイドレンジアの薬師もそうだったよ」

 どこでも事情は同じようだ。

「これは自分だけが知っておいていいことではないなと、ギルド長に相談させてもらったら、あっという間に話が動き始めてしまって。どうやらハイドレンジアから、特級ポーションの成果の報告だけは来ていたようで、王都でできないことを歯がゆく思っていたらしいです」

「それで特薬草を納めるようにという指名依頼が来たんだね」

 サラの言葉に、ノエルははっとしたようだ。

「のんきに旧交を温めている場合ではありませんでした。サラが来たということは、つまり」

「特薬草、採ってきたよ!」

 今度のふふんは心からのものである。

「こんな短期間でですか? 本当にサラは優秀ですね」

「採取も薬師の評価に入るならそうだけどね」

 だが、確かにそんな話をしている場合ではない。受付のカウンターの奥に招かれて、薬師ギルドに入っていくことになった。

 前回モナやヘザーと入れられていた狭い部屋ではなく、ちゃんとした調薬室に案内される。その奥にギルド長室がある。

「サラ!」

 小さい声で呼びかけて手を振るのは、モナとヘザーだ。

 かわいらしさは変わらないのに、すっかり大人びていてまぶしいほどだ。浮かべた笑顔と落ち着いた様子を見ると、薬師としてしっかり働いているのがわかる。

 本当は走り寄りたかったが、笑顔で小さく手を振り返すのみにする。

 他の薬師たちも手を止めて、ざわざわとささやき合っている。

「あれが」

「招かれ人」

「渡り竜の」

 などと聞こえるが、サラについての情報がかなり古い気がする。特級ポーションの話は聞こえてこないところを見ると、一般の薬師には話は回っていないのかもしれない。

 ノエルがギルド長室をノックすると、すぐに入室の許可が出た。

 ノエルの後に続いてサラが入ると、正面の椅子からギルド長のチェスターがガタリと音を立てて勢いよく立ち上がった。

「よく来てくれた! それで、特薬草は!」

 チェスターは落ち着いていてお堅い印象だったので、その勢いに驚きつつも、サラはまず挨拶をする。

「お久しぶりです。特薬草はここに」

 横にヨゼフが不機嫌そうな顔で控えているなと思いつつ、サラは新しい収納ポーチから、かごを二つ、ぽんぽんと机の上に出した。

「おお……。確かに」

 紫色の葉を、押し頂くように籠から取り出したチェスターの手は、少し震えていた。

「ちょうどタイミングが良くて、ダンジョンの薬草調査のついでに採取してきました。急いだほうがいいかと思ったので、数は二〇〇本です」

「二〇〇! これで主だった薬師には調薬を経験させられるな」

 主だった薬師ということは、二〇〇本でも足りなかったということである。サラはもう少し採ってくればよかったかと少し後悔した。

「皆に調薬させる必要がありますか? 特級ポーションはめったに使わないものとはいえ貴重なものです。未熟な者に扱わせて失敗でもしたら、大きな損失ですよ」

 特薬草は売るときの値段が高く、すなわち買い取りの値段も高い。ヨゼフの言うことももっともである。

「それでもだ。薬師である以上、一度だけでも作ったことがあるという経験は必要だからな」

 どうやら王都の薬師ギルドは資金には不自由していないようだ。

「それだけでなく、特級ポーションは安易に使わせてはならないものです。作れる薬なら、使ってもいいと思うものですから。そちらの新人薬師のようにね」

「薬師になって三年、まだ若くても素晴らしい成果を出しているサラに、新人とあなどるような言い方はいかがかと思いますよ」

 サラ本人ではなく、ノエルが静かに反論してくれたものだから、湧き上がったサラの怒りはしゅんとおさまってしまった。

 新人と言われることにはなんとも思わない。だが、使った状況を知りもせずに、安易に使う判断をしたと言われるのは正直なところやるせない気持ちにはなる。だから、言うべきことだけを言う。

「納めた特薬草をどう使うかは、ここのギルド内で判断すればいいことで、私と関係のないところで話し合っていただければと思います」

「生意気な」

 ヨゼフはチェスターの息子で、おそらく次期か、その次くらいには王都の薬師ギルド長になる人だろう。だが、なぜかサラにはいやばかり言うので、やりにくいなあと思う。

 やりにくいのでさらりと無視して話を進めるくらいには、サラも大人になった。

「それで、特薬草を納めたら、私の研究に協力していただけると書いてあったのですが」

「うむ。それについてはヨゼフに一任してある。私は特薬草をどう配分し、どう作らせるか改めて考えねば」

 チェスターはサラにとって最悪の説明をしておいて、よほど待ちわびていたのか自分は籠を抱えるとそわそわとギルド長室から出ていってしまった。

 そしてギルド長室には気まずい沈黙が落ちている。

「まず座りましょうか」

 一任されたはずのヨゼフがそっぽを向いて動かないので、ノエルが仕切り始めた。ギルド長室には客人用に、ソファセットが置いてあるのだ。

 ヨゼフが役に立つ気がないのを見て取ると、サラはため息をついてノエルと話し始めた。そもそもはノエルにだけ頼もうと思っていたことなので、薬師ギルドの協力がなくても問題ない。

「要は、特級ポーションの回復期の過ごし方をちゃんと説明できるようになっておきたいっていう話なんです」

「本当に要点ですね」

 ノエルがくすっと笑ってくれた。

「アレンに」

 サラはそこで思わず言葉に詰まってしまう。

「アレンに特級ポーションを使って、やっと目が覚めた後、クリスやカレンに、日常生活は送っていいけど、一ヶ月は無理はいけないって説明されたの。だけど、ハンターや騎士にとって、日常生活ってどこまでで、無理って何を指すのかが難しくて」

 サラは無理に顔を上げると、収納ポーチから、ハンターギルドに集まってくれた経験者の体験談をまとめたレポートを取り出した。

 いつの間にか、そっぽを向いていたはずのヨゼフがサラのレポートを手に取って、立ったまま読み始めている。

「レポートをもとに、身体強化と魔法を使わないようにってアレンには言ったんだけど」

 そこでなぜか、サラの声は震えてしまう。アレンのことはもう大丈夫だと思っていたのに、なぜか改めて口にすると胸が痛む。

「俺にはこれが日常だからって言って、ダンジョンの深層部の探索に、雑用係として参加してしまって」

 突然ヨゼフがソファに座り、ごそごそとポーチから紙に包まれた何かを取り出すと、ぼそぼそと言葉を紡ぐサラの前にポンと置いた。

「これは?」

「ヒツジあめだ」

「ヒツジ飴?」

 初めて聞いた名前だが、警戒よりも好奇心が勝り、サラはそれを手に取ると紙包みを開いてみる。

「わあ、雲みたい」

 真っ白なマカロン、いやむしろ小さいカルメ焼きのようなお菓子が出てきた。

「ワタヒツジに似ているから、ヒツジ飴。一口でいけ」

「なるほど」

 飴よりは大きなそれを、サラは勧められるまま大きな口でぱくりと食べる。

「んー、おいひい」

 あまり甘くはないけれど、口の中でかしゃりとほどける食感は、雲をお菓子にしたらこうだろうかと思わせる楽しいものだった。

「お前が特級ポーションを使ったのは、アレンだったんだな。あの秋、君のおりをしていて、次の年にはタイリクリクガメにただ一人刃を通して英雄になったハンター」

 サラはもごもごとしていて返事ができなかったが、アレンがヨゼフにも知られるようなハンターになっていたことに驚きが隠せない。確かにタイリクリクガメの件で有名になったと知ってはいたが、ハイドレンジアでは身内でからかうくらいで、王都でまで評判になっているとは思わなかった。

「そして君の親友か。そうか」

 ノエルがさりげなく水を出してくれて、サラはやっと口の中のお菓子をすっきりさせることができた。おいしいけれども、口に張り付いてなかなか厄介なお菓子である。

「事情を知らず、特級ポーションを安易に使ったなどと言ってすまなかったな」

「はい、いえ」

 あまり性格のよろしくないヨゼフにお菓子をもらったうえに謝られて、サラはドギマギしてしまった。

 ヨゼフはふうっと大きな息を吐くと、手に持ったレポートを指先でトントンと叩いた。

「私もまだ薬師になりたてだったころに、特級ポーションを使ったことがある」

 それはもしかすると、カレンと同じときだろうか。

「渡り竜討伐の時のことですか」

「なぜそれを知っている。そうか、カレンか」

 サラの予想は当たっていたようだ。

おさなじみだった。あいつは騎士で、私は薬師。道は別でも、同じ王都でしかもかかわりのある仕事。あの時も、新人の私と見習い騎士のあいつは南の丘で、下働きで走り回っていたんだ」

 サラにもわかる。飛んでくる竜のほうこうを見定め、時には追い払い、無理なら落として討伐する、緊張に満ちた冬の匂いを思い出す。

「落とした竜を仕留めきれなかった。暴れる竜は、後方に控えていた見習い騎士のほうに倒れ込み、そして」

 ヨゼフの友だちは、致命的なを負ったのだろう。

「結局、友はかえらなかった」

「お気の毒に」

 他に言葉も出ない。

「あの時、特級ポーションで回復した騎士もいれば、そうでない騎士もいた。なにがその差を分けたのか、薬師のせいではなく、与えられる患者自身の怪我の程度と生命力次第だとわかってはいても、割り切れない思いが残ってね」

 貴族のおぼっちゃまとしか思っていなかったヨゼフに、そんな過去があったとは思ってもいなかったサラだが、悲しい気持ちには共感しかない。

「そんなつらい判断を薬師にさせたくせに、薬師の責任だと言って騒ぐ無能な騎士が何人もいてな。その愚かさほど馬鹿らしいものはなかった」

 毒を吐く元気があるのなら、元気になったのだろう。

「君のレポートは助かった後のことだから、私の割り切れない思いを解消するのには何の役にも立たないが」

 とても元気そうである。サラは思わずこめかみがひきつった。

「薬を与えるか与えないかの苦しい決断をした君に敬意をこめて、レポートの作成には全面的に協力しよう。それにしても君のアレンは愚かしいな。せっかく命をつないだというのに、それを投げ捨てるような真似をするとは」

 君のアレンではないとか、命を投げ捨てたわけではないとか、いろいろ言いたいことはあったが、協力を得られるなら文句は言うまいと決意するサラである。

「ではまず、効率的に聞き取るために、質問表を作りませんか。基本的に答えてほしいことは決まっていますから、そのひな形を作れば統計も取りやすいでしょうし」

 静かに話を聞いていたノエルの提案である。

「それももちろんだが、まず聞き取り用の依頼票をどう作るかだ。サラ、ハイドレンジアでは、依頼票と報酬はどのようにした?」

「依頼票はこんな感じで、報酬はポーション一式のセットです」

「ふむ。一時間ほどの聞き取りに対して高額すぎる気もするが、ハンターが狩り以外の面倒なことに時間を割くには、そのくらいはあってもいいかもしれん。原価はそれほど高くないしな」

 悪徳業者のような話ではあるが、ポーションを作るのはやはり特殊技能なので、言っていることはもっともである。

 わいわいと三人で話し合い、すぐに聞き取りの形式を整え、明日にはハンターギルドに依頼票を出すことに決まった。

「騎士隊はどうしましょう」

 カレンの経験もヨゼフの経験も、渡り竜がらみのものだし、ハイドレンジアでも騎士からハンターになった人の経験は貴重なものだった。

「薬師ギルドからの正式な依頼を出してもらえれば、僕が持っていきますが」

「いや、私が持っていこう。副隊長の弟なら話は早いだろうが、身内ではなく、薬師ギルドという組織からの依頼という形を取ったほうが言うことを聞かせやすい」

 ノエルの提案を、ヨゼフがより良い形にしたはずが、なんとなく悪人臭がしてしまうのはサラの偏見だろうか。

「ヨゼフ、ノエル! 特級ポーションの作成は明日から順次行うことになった。楽しみだな」

 ドアをバーンと開けて、チェスターが入ってきた。

「私は経験があるからやりませんよ」

「ヨゼフ」

 チェスターが真顔になる。

「腕は衰える。過去に経験があっても、薬師ならやるべきだ」

「その分を新人に分けてください」

「特薬草はこれからも手に入る。サラ、あてにしていいか」

「依頼があれば採取してきます。でも、私も使用には慎重派ですから」

 サラはしっかりとくぎを刺した。

「ヨゼフの言葉ではありませんが、ハンターはともかく、騎士隊は安易に使いそうな気がして、たくさん作れると思われるのはどうかとは思っています」

 これから騎士隊に聞き取りをしようとしているサラが言うことではないかもしれないが、一応自分の意見は言っておく。

「それでいい。使用をためらうような薬師の意見はあてにならないが、サラ、君はすでに特級ポーションを使ったうえでの意見だからな」

 チェスターは、渡り竜討伐の時にサラの意見をちゃんと聞いてくれたが、特段サラをひきたてるということもなく、それからも普通のいち薬師として扱われてきた。

 だから今の、サラを認めるような言葉は意外でもあったが、それだけ特級ポーションを扱うということが、薬師として大事なことなのだということを実感する。

 つまり、特級ポーションを作り使用したことで、若くても薬師として一人前だと認められたのだ。

 それでアレンと微妙な関係になっているサラにしてみれば、喜んでいいのか複雑な気持ちだが、そういう葛藤も乗り越えての薬師だと言われているような気もする。

「依頼票をどう出すかは決めたのだな」

 チェスターはまずそれをしっかりと確認した。

「人が集まるまで時間がかかるだろう。サラは明日からは薬師ギルドに来て、特級ポーションの調薬に立ち会ってくれ。そのほかの時間は調薬でも採取でも好きに過ごしてくれてかまわない」

「はい。ありがとうございます」

 仕事をしろと言われてお礼を言うのも違うような気もするが、薬師として滞在するなら、どこにいても薬師として働くということなんだろうと、素直に受け止めるサラである。

「ん? 採取?」

 王都でも、薬師は時間があれば採取も仕事としてみられるようになったと聞いたが、それのことだろうか。

「サラはハイドレンジアではダンジョンに入って採取するのだろう。王都のダンジョンにも行ってみたいのではないか?」

「いえ、別に」

 思わず即答してしまう。ダンジョンでの採取がサラの趣味だと思われては困る。

「そうなのか。久しぶりに薬師から薬草ハンターが現れたかと思ったが」

「ひえっ。本当にあったんですね、そんな仕事」

 ネリーからだいぶ前に提案された記憶はあるが、クリスからは聞いたことがなかったから、実際に存在するとは思えなかった仕事である。

「正しくは仕事ではない。薬師のうちでも、難しい採取を引き受ける者がそう呼ばれるというだけのことだ。クリスがギルド長の仕事に就くまでは、そんな感じだったぞ」

「そういえば、クリスの今がまさにそれですね」

「責任から解き放たれて生き生きと仕事をしているさまが目に浮かぶようだ。ましてやネフェルタリのそばにいられるとあってはな」

 チェスターが苦笑するのも無理はない。実際にそうなのだから。

 次の日からサラは、薬師ギルドで監督官のような立ち位置で過ごすようになった。

 見かけは一七歳の新人だが、特薬草をもたらし特級ポーションを作り、しかもそれを実際に使った薬師として一目置かれる存在になったようで、なんともおもゆい感じである。

 そして依頼票を出してすぐに、まず騎士隊から、そしてハンターギルドから使用経験者が現れ始め、サラとノエル、そしてヨゼフはその聞き取りに奔走することになった。

 ヨゼフは指示だけ出して終わりだろうと思ったがそんなことはなく、サラとノエルの上司的な存在として聞き取りにも付いてきてくれる。以前だったら絶対に嫌だと思っていただろうが、いったん身内に入るとその腹黒さはサラに向けられることはなくなった。

 そうなると、薬師ギルドでも地位の高いヨゼフの存在は、若くてなめられがちなサラとノエルにとってはとてもありがたいものである。特に騎士隊に行くことになったときは、本当にいてくれてよかったと思う。

「サラ、久しぶりだね。すっかり薬師らしくなった」

 経験のある騎士を集めるのに数日、わざわざ副隊長のお出ましである。しかし、歯の浮くようなお世辞はなくなったので、リアムもサラにとってはだいぶましになったと言える。

「お久しぶりです。今回はご協力ありがとうございます」

 返事はすぐだったが、特級ポーションの使用経験がある騎士を集めるのに数日かかり、しかも集められた騎士の数はそう多くはない。若くてもヨゼフと同じ二〇代後半くらいであり、あとは三〇代から四〇代の落ち着いた騎士だった。

「数はもっといるのだが、その多くは騎士を辞めて別の仕事についていて連絡が取れない。あるいは、ハンターになっている者もいるが、そちらはハンターギルド経由で話を聞いてほしい」

 リアムが事情を説明してくれる。

「騎士隊にも特級ポーションは備蓄されているけれども、数は少ない。最近の渡り竜討伐は命にかかわるような怪我をすることはないが、だからといって、他に危険な仕事がないわけではない。現にタイリクリクガメの件では死者も出た」

 それはサラは知らなかった。

「それでも、使用後の回復期をどう過ごすかがわかれば、今よりも気軽に使えるようになる。そうすれば命が助かる者も、騎士を続けられる者も増えるかもしれない。聞き取り調査はこちらからお願いしたいくらいだ」

「一つ、誤解しないでほしいんだが」

 ヨゼフが目を細くすがめてリアムのほうを見た。金髪、青い目の二人は、濃いと薄いの区別はあれどイケメン対決だなとサラはぼうっと眺めるのみである。リアムとの直接の交渉をしなくていいのがとても気が楽だ。

「回復期を過ごせるのは、助かった者だけだ。特級ポーションは、使いどころによっては命を失う危険な薬であり、要望があったからといって騎士隊に納めるとは限らないからな」

「使わなければどのみち死ぬ場合、特級ポーションが手元にあるのとないのとは大きく違う。騎士隊に覚悟のない者はいない」

 顔だけじゃなくて、会話でも対決していてハラハラする。けれども、サラやノエルではそこまで言い切れなかったと思うので、やっぱりヨゼフがいてくれて助かったと感じる。

「さて、それでは順番にお話をうかがいたいと思います。サラ、お願いします」

 ぴりりとした空気もなんのその、ノエルがさっそく聞き取りを振ってくれたので、サラは質問表を取り出して質問を始めた。

「まずは怪我の状況と、その時の記憶から聞きたいです。次に、目を覚ますまでの日にちと」

 てきぱきと進めていくと、一人あたり十数分で済む。その中でも一番時間がかかるのが、回復期の間に身体強化や魔法を使ったかという質問で、アレンと同じように、普段から身体強化を無意識に使っている人ほど、使ったかどうかあいまいであった。

 サラが気になったのは、怪我をした状況によって、回復期の過ごし方が違うということだ。

 騎士団を出た後、薬師ギルドに戻ってきてから、サラは質問表を広げて見比べてみる。

「頭部だけに負傷して、意識を失って回復した人は比較的早く日常に戻り、以前と同じように身体強化や魔法を使って力が落ちている。体にひどい怪我を負った場合は、怪我が治っても訓練再開に慎重であり、仕事に戻るまでにも時間がかかって、結果として身体能力も変わらない、そんな気がします」

「まさか。見せてみろ」

 聞き取りの時からサラが感じていたことは、質問表を改めて見てみるとはっきりしてくる。

「なるほど。本人が怪我を自覚しているかどうかで変わってくる可能性があるのか。だが」

「ええ。母数が少なくて、確実ではありませんが」

 ヨゼフがパラパラと見ている質問表を見ずに、ノエルが返事をする。おそらく見なくてもすべて頭に入っているのだ、この優秀な後輩は。

「私もそう思います。けど、これから質問する人には、この点に注目する必要はあると思います。それからやっぱり、身体強化や魔法を使った人のほうが後遺症が残っているという傾向ははっきり見えてきた気がします」

 大切なのは、回復期をどう過ごすか。怪我の自覚がないと無茶をしやすいということがはっきりすれば、アドバイスもしやすいということになる。

「うーん。面白いね。薬を作って供給するのが本来の薬師の仕事なんだが、使用感や使用後について調べるのも、こうしてみると薬師の仕事だという感じがする」

 ヨゼフが口の端を片方上げた。

 愉快な気持ちでいるのだろうが、やはり腹黒さが外にも出ているなあとサラは思う。

「今は特級ポーションについて調べているが、魔力薬など、けんたいかんが出やすい薬についても調査してみても面白いかもしれないな。使い方だけでなく、改善点も見えてくるかもしれない」

「確かにそうですね」

 ヨゼフとノエルが盛り上がっているのをサラは感心して眺めた。サラは、今は特級ポーションについて調査するだけで精一杯で、他の薬のことまで考えられる気がしない。

「サラ、この調査の後、そういう活動を王都の薬師ギルドがやるとしたらどう思う」

 だから、ヨゼフに突然そう振られても、特に考えは浮かばなかった。

「え、いいんじゃないですか?」

「これですよ」

 ノエルにあきれたように首を横に振られても、戸惑うばかりである。

「いいですか、サラ。今回のこの調査、なんだかすんなり通って協力もしてもらえてうれしいな、くらいに思っていませんか?」

 そのとおりだったので、逆になぜそんなことを聞かれるのかわからない。

「僕がサラのお願いを僕個人にとどめず、薬師ギルドまで持っていったのは、この調査の考え方そのものが薬師や薬師ギルドの役割を大きく変える可能性があるからです。つまり、今までなかった改善案だということです」

「はあ」

 まだ言われたことがぼんやりとしかわかっていないサラに、ヨゼフがにやりと笑った。

「もし特級ポーションの回復期の過ごし方が明確になったとして、つまり今回の成果が出たとして」

 ドキドキするので、そこで言葉を切らないでほしいと思うサラである。

「もしサラが王都に来るなら、私と同じ、副ギルド長に取り立てられる可能性もある」

「はい?」

 サラはあっけにとられて聞き返した。そもそもヨゼフは新人薬師としてサラを馬鹿にしていたではないか。

「私の好き嫌いは別として、それだけの影響力がある話を持ってきたと認められているということだ。私の好き嫌いは別としてな」

 二回も言うことはないだろうとも思うが、要はサラの提案したことが、思った以上に薬師ギルドの役に立ったということだろう。

「そうですか。まあ、王都に来るつもりはないので、今までどおりでいいです」

 上昇志向のないサラにとって、責任のある立場に就くのは面倒以外の何物でもない。

「欲のないことだ。だが、若くして高い地位に就くことはあつれきを生むことが多い。招かれ人という立場があっても、もう少し地道に経験を積むのがいいだろうな」

「そのつもりです」

 そもそも、自立するために薬師になったのであって、自活できていればそれでいいのだ。

「ともあれ、特にハンターギルドに出した依頼は、少し時間がかかるだろう。無理でなければ一ヶ月ほどは王都に滞在して結果を出してほしいが、どうだろうか」

「そして今度僕と一緒に食事にでも行きましょう」

 ヨゼフの提案にノエルが誘いを乗せてくるので、サラは思わず笑ってしまった。

「一ヶ月くらいは大丈夫です。モナとヘザーとも約束しているので、その後でよかったら」

「もちろんです。彼女たちと一緒でもかまいませんが」

 ノエルやモナ、ヘザーとは楽しく過ごせそうだと思っていたが、ヨゼフとも悪くない関係が作れそうだ。思っていたよりもずっと気楽な王都暮らしが始まりそうだとほっとするサラに待っていたのは、ハイドレンジアに置いてきた気がかりだった。