「バリア。大きめで」

「ガウ!」

「ガ、ガウー」

 さっそくやってきた高山オオカミが、サラを見てこそこそと進路をネリーのほうへ変える。

「そっちに行ったら余計にひどい目にあうのに」

「キャウン」

 そしてさっそくネリーに殴り飛ばされている気配がする。初見で相手の実力がわからないなんて、ここの高山オオカミもまだまだだなとサラに残念な評価をされているとは思ってもいないだろう。

 サラの行く先には、遠くに先行するハンターの影が見え隠れするけれど、後ろを振り返らなければ基本的には広い高原に一人だ。サラはすっとしゃがみこんだ。

「懐かしい」

 来たのは一日ぶりで懐かしいも何もないけれど、こうして一人で草むらの中にしゃがみこんでいると、魔の山で薬草採取をしながらネリーの帰りを待っていたことを思い出す。

 サラはポーチから薬草一覧を取り出した。

 見なくても特徴は頭に叩き込まれているけれども、なんとなく初心に帰りたくなったのだ。

「薬草はどこにでも生えているけれど、上薬草は岩場に多い。そして岩場には」

 視界の端をよぎった影に、思わず笑みが浮かぶ。

「炎、小さい、追尾。行け」

 サラの手のひらに浮かんだ炎は、迷いスライムに飛んでいく。

「おい!」

 後ろの驚きの声には振り向かず、迷いスライムの魔石を拾いに行くと、そこにはきらめくオパールのような魔石が落ちていた。

「これも久しぶり。あ、上薬草」

 魔の山は薬草の宝庫だ。ぱっと見ただけではわからないが、少ししゃがみこめば、そこには上薬草の茂みがあり、向こうには魔力草が生えている。

「噓でしょ」

 思わず声をあげたのは、大きな木の陰になるところに、紫色の特薬草が生えていたからだ。

「もしかして、魔の山にも特薬草が生えていたのかな。あの時は知らなかったから」

 魔の山の奥にはギンリュウセンソウも生えていたとクリスが言っていた。

「今の私が魔の山で暮らしたら、きっといろいろな発見があるんだろうな。あ、ヤブイチゴ」

 これは地図に書くべきではないのかなと思いつつ、自分のメモにヤブイチゴの場所もいそいそと書き込むサラであった。たくさん生えていたから、ついでに採れるだけ採っておく。

 薬草を探すのが面白すぎて、お昼ご飯に戻るのも面倒になり、手近な岩場に登ると、持参の弁当を取り出した。

 いつものサラなら、安全地帯に戻ったかもしれない。だが、今回の依頼は完全にサラ一人のものだ。誰に気を使うこともないし、仕事さえすれば後は自由でよいのだ。

 見渡せば、サラが選ばなかった左手には針葉樹の森が広がっており、どんな植生なのか行くのが楽しみでならない。正面を見れば小さな二人組が見えるが、髪の色からクリスとネリーに違いない。

 もちろん、後ろを見れば壁があり、安全地帯にはハンターが待機しているのが見える。

 だが、今この時、サラはたった一人で、そして自由だ。

「最近は薬師ギルドで皆とご飯を食べているし、お屋敷でも必ず誰かと一緒だし、一人でご飯を食べたのは久しぶりかもしれない」

 声に出してみて初めて、ここしばらく本当に一人になったことがないのに気がついた。

「魔の山ではあんなに一人だったのに」

 一人だったけれど、寂しくはなかった。目標があって、夜になれば共に過ごす人がいる。

「あれ。私、もしかして退化してる?」

 目標もなく、ただ毎日を親しい人と過ごす。楽しいけれど、あの頃の一生懸命さとは違う。

 なにか大切なことに気がつきそうで、でもそれがわからなくてもどかしい。

「今、正解が見つからなくてもいいや」

 結局その日は、探索組が戻ってくるまで夢中で薬草を探し続けたのだった。

「なんだ、サラか。新種の魔物かと思ったぜ。危うく攻撃しちまうところだった」

 戻ってきた探索組の知り合いのハンターにあきれ交じりにしかられて、ようやっと日が暮れようとしていることに気がついたくらいだ。

「すみません。薬草がいっぱいあって、夢中になってました」

 つい採取もしてしまったが、肝心なのは分布の地図を作ることだ。依頼を忘れてはいけないと気を引き締めつつ、ハンターたちと一緒に安全地帯へ戻る。

 ネリーの姿も見えるということは、サラたちが最後だったようで、安全地帯は結構な数のハンターでにぎわっているように見える。

 それと共に夕食の準備が始まっているが、担当はアレンとクンツらしい。

「そういえば雑用に雇われたって言ってたっけ」

 だが、出される夕食はギルド支給の弁当のようだ。サラが工夫したことがきっかけで、ハイドレンジアのギルドに納入される弁当も温かいまま運ばれる。ベテランといえど、油断すれば怪我をする緊張から解放された後の温かい食事はありがたいだろう。

 自分のお弁当もお屋敷の料理人が作ってくれたお弁当も好きだが、ギルドの弁当だって町のお店で作られているからちゃんとおいしい。

 ワクワクした気持ちで安全地帯まで戻ると、サラの想像していた和やかな雰囲気と違って、困惑した空気が流れていた。

 その空気の真ん中にいるのはネリーだ。

 そしてネリーの目の前には、丸くて白くて大きい卵がぽよんと置かれている。

「コカトリスの卵、あったんだね」

「サラ!」

 ネリーはサラの声に勢いよく振り向くと、サラにぎゅっと抱き着いた。

「どうしたの?」

 ネリーはサラのことが大好きだが、人前でいきなり抱き着いたりするのは珍しい。なにか困ったことでもあったのだろうか。

「アレンもクンツも、コカトリスの卵を調理できないっていうんだ」

「まあ、それはそうだと思うよ」

 それはアレンとクンツの言い分のほうが正しいと思うサラは、ちらっと二人のほうに目をやった。二人ともとても困った顔をしている。

「ネフェルタリよ。アレンとクンツじゃなくても、俺らハンターがコカトリスの卵を料理できるわけがないだろ」

 間に入るのはベテランハンターだ。

「っていうか、ウチのかかあでさえできねえわ、そんな高級品の料理は。食堂のおっちゃんくらいだろうよ、料理できるのは。ここはダンジョンなんだ。弁当があるだけありがたいと思え。卵料理は諦めろ」

「せっかくってきたのに……」

 ぐずぐず言うネリーの背中を、サラはポンポンと叩いた。

「今からじゃ夕ご飯に間に合わないから、明日の夜料理してあげる」

「ほんとか?」

 機嫌の直りかけたネリーに、サラはポーチをぽんと叩いてみせる。

「それに、お屋敷の人が、今日はガーゴイルのローストを持たせてくれたでしょ」

「そうだった!」

 これで完全にネリーの機嫌が直ったが、今度は期待に満ちたハンターたちの視線を一斉に受けることになる。

「もちろん、皆さんの分もありますから」

「おおー!」

 歓声に応えるために、サラは急いで手を洗うと、長机の上に預かってきたガーゴイルのローストのお皿を並べていく。

 クンツから自分の分のお弁当を受け取って、サラもローストを何枚かお弁当の上にのせると、ニコニコしているネリーの隣に座って少し早い夕食を食べ始めた。

 一頭のガーゴイルから取れる肉はそれほど多くない。ハンターたちが何回お代わりしてもなくならないだけの量と、お屋敷に残っているだろう肉の量を考えると、ネリーはいったいどのくらいのガーゴイルを狩ったのだろうとサラは気が遠くなりそうだった。

「ガーゴイルがだいぶ減っているなと思ったら、減らしたのはやっぱりネフェルタリだったか」

「魔の山でもめったに狩れなかったからな。肉はうまいが量が少なくて効率が悪いんだ、ガーゴイルは」

 嚙み合っているような噛み合っていないような、ハンターとネリーの会話である。

 ダンジョンの中なのに日が落ちて夜になるという不思議現象を眺めながら、ゆったりと夕食を取ると、食べ終わったハンターたちが空き容器を長机に置いていく。それをアレンとクンツが片付け、テントを張るハンターの手伝いをするのをなんとなく眺めながら、サラは桶と大きなお鍋を出すと、コカトリスの卵をよっこらせと桶にのせた。

 久しぶりのレーザー風魔法の登場である。

 ジジッと音をさせながら、卵の殻の上部を切り落とし、中身を鍋に移す。

 いつの間にかハンターたちがそれを眺めに来ていて、顔を上げたサラはびくっとしてしまったが、これで終わりではない。

 鍋の中に調味料を入れ、風の魔法で卵を溶きほぐす。

「ここまでしておけば、明日の夜、フライパンで焼くだけで済むからね」

 それはなんだ、なんの魔法だと騒がしい周りに解説しつつ、下ごしらえの済んだ鍋をそのまま収納ポーチにしまっておく。

 そうこうしているうちに、周りはまるでキャンプ場のようにテントが張られたり、毛布が敷かれたりしてくつろぎタイムになっている。

「私もテントを張らないと」

 サラがネリーの横にテントを張ろうとすると、目の前に手が差し出された。

「俺がやるよ。雑用係だから。テントを出してくれ」

 その声は硬くて、友だちのものとは思えず、サラは一瞬戸惑ったけれど、素直にポーチの中からテント一式を出してアレンに預ける。

「お願いします」

 本当はどんなときでも一人で何でもできるけれど、これがギルドの依頼の中の雑用係の仕事なら、それを拒むのはどうかと思ったからだ。

 それからテントに背を向けるようにして長机の前に座り込み、地図を預かって今日調べた薬草分布のメモを書き写す。

「テントは終わった」

 その一言と共に、アレンが隣に、だが少し距離を空けて座った。

「ありがとう」

 何だろうと思えば、サラと同じように地図を広げている。

 と、サラとアレンの間にクンツが椅子を持ってきて座り込んだ。どうやら今日の地図を昨日の地図にまとめる仕事をしているらしい。

「昼は俺たちすることがほとんどないからな。朝と夜の皆の手伝い、それから地図を清書して写しを作るのが仕事なんだ」

「そうなんだ」

 サラは短く返事をして、視線を地図の上に戻した。

 アレンの態度は硬いけれど、サラのことを無視しているわけではない。

 しつこくしてごめんなさいとサラが謝るべきだろうか。

 いくら昼にすることがないからといって、こんな夜まで仕事をしていて、治ったばかりの体は大丈夫だろうか。

 日常生活はいいとはいうけれど、どこまでを言うのだろうか。

 頭の中にそんなことがぐるぐるとするけれども、大丈夫の一言も、ごめんなさいの一言も、サラの口から出てきやしない。

「謎の緊張感」

「探索の後のほうが胃がいてえってなんだよ」

 後ろでぶつぶつとハンターたちが話している声がするが、気にせず明日のためにも地図を仕上げておいたほうがいい。サラはぐるぐるする頭を無理やり鎮め、カリカリと薬草分布を丁寧に書き込むことに集中するのだった。

「よし」

 サラが顔を上げると、二人はまだ地図の清書をしている。

「お先に」

 サラは地図を片付けて立ち上がると、そそくさとテントへ戻った。

「サラはこっちだ。サラのテントはクリスに貸してやれ」

 ネリーが二人用のテントの入り口でサラを手招きしている。

「私、一人で平気だよ」

「私がサラと一緒に過ごしたいんだ。クリスとは昼にずっと一緒だから問題ない」

 機嫌のいいネリーにクリスがやれやれと肩をすくめる。

「いつも一緒で構わないのだが。だが、ネフがサラといたいのならそうするといい。テントを借りるぞ。だがその前に」

 クリスはちょいちょいとサラを招いた。

「薬草分布の報告会をしようか。もちろん、希少薬草も見てきただろうな」

「ええと……。はい」

 そういうことは先に言っておいてほしいと思う。だが、基本的に薬草を重点的に見ただけで、当然サラの知っている限りでだが希少薬草だって目に入っている。

 サラはふんすと胸を張った。

「右手のほうは安全地帯からすぐのところに特薬草が生えていました」

「左手のほうもそうだ。どうやら、ハイドレンジアにいる限り特薬草には困らない感じだな」

 サラとクリスの小さな報告会だが、静かにしていても声は通ってしまう。

「ダンジョンの下層まで来られる薬師がそういるものかよ」

「ハイドレンジアがどうとかじゃねえさ。そこにクリスとサラがいるかどうかだろ」

 最初は茶々を入れながら興味深げに聞いていたハンターたちも、長々と続く薬草の話に飽きて、やがて自分たちの話に戻っていく。

「やはりギンリュウセンソウはもっと奥に行かねば見つからないか」

「あるといいんですけどね」

 あったとしても、奥まで採りに行けるのはベテランハンターかクリスかサラだけ。確かに、場所がわかっていても難易度の高い採取である。

 話が終わってテントの中に入りネリーの顔を見ると、力が抜けてほうっと大きなため息が出た。

「よしよし、頑張った」

 いろいろな意味を込めてネリーが不器用に頭をなでてくれるので、サラはふにゃっと顔を崩す。

 テントに二人きりでも、外には他のハンターがたくさんいる。それでもネリーがそばにいることが心地よい。

「サラと一緒に過ごせてとても楽しい」

「私も楽しい」

 そしてネリーが素直に心の内を話してくれるのが嬉しい。

「明日の卵も楽しみだ」

「頑張るよ」

 素直すぎるかもしれないとも思う夜である。

 卵を焼く時間を確保するために少し早く起きようと決めて、次の日は早起きしたつもりのサラだが、テントの外からはすでに人が起きだして活動している気配がする。

 野営では、夜に体を拭いたら寝る前に次の日の服に着替え、朝はそのまま出発になる。サラは顔を洗い髪をとかすと、水の入った桶を抱えてテントの外に出た。

「あっ」

 まだ休んでいる人が大半なのだろう。テントの外に出ているハンターの数は少なかったが、向こう側を見ると、ネリーにそっくりの赤毛の人が組み手をしているのが目に入る。

 ハンターが何人か、面白そうにそれを見ている。

「エルムと、アレンだ!」

 サラは走り出しそうになったものの、桶を持っていることに気がつき、一歩踏み出しただけで済んだ。

「無理しないって言ったのに。訓練するなんて」

 自分を落ち着かせるために、安全地帯ギリギリのところまで移動し、桶の水をゆっくりと捨てる。

「ガウ」

 目の前には、誰か一人くらい弱い奴が出てこないかな、そんな気持ちが漏れ出ている高山オオカミがいる。

「おはようじゃないよ。私は今、心が大変なの」

「ガウッ」

 知ったことじゃないオオカミはくわっとあくびをして去っていった。

「おかげで落ち着いた」

 桶の水切りを丁寧にやりながら、サラはエルムとアレンに背を向けたまま、自分に言い聞かせる。

「身体強化と魔法を使わないって約束したもの。今見た限りでは、たぶん普通の組み手だった」

 ネリーとアレンが身体強化を使って組み手をしたり剣の訓練をしたりしているときは、音が違う。

「それに、エルムだってアレンが無茶してはいけないことを知ってる。クリスも止めてない。大丈夫、大丈夫」

 サラは深呼吸をし、アレンのほうを見ないように体の向きを変えた。

 そもそもサラがここに来なければ、アレンが何をやっているかは知らなかった。後から来たのはサラだ。

「おせっかいはしない」

 そんなふうに始まったその日は、コカトリスの卵を焼くために、採取はせず、きちんと薬草分布をメモして早めに帰った。

「労働時間が何時間とか決められていないのが楽よね。自分の裁量でいいから」

 早い時間だったせいか、戻ってきているハンターの数も少なめだ。

「例の卵か!」

 ひと休みして手持ち無沙汰だったのだろう。ハンターが興味深げに寄ってくる。ここにいるハンターの中では割と若いので、おそらくとても優秀なのだろう。もっとも、サラに寄ってくる前にはクンツとアレンの訓練を眺めていたし、ただの暇な人なのかもしれない。

「そうです」

 サラが魔石を使う携帯コンロとフライパン、そして卵液の入った大きな鍋を取り出すと、その人は長机の前に置いている椅子を勝手に持ってきて近くに座った。

 たくさんの量を作るのなら、本来はオーブンで焼いたほうがいい。だが、野営にはオーブンはないし、たくさんの人数分いきわたらせるには、フライパンで卵焼きを作るのがいい。

 サラは油を引き、卵液を流し込み、ぱたぱたと折り返しては卵を太らせていく。

「おお……。おもしれえ」

 観客のハンターもご満悦である。

「サラが料理担当ならもちっと料理が豪華だったかもな」

 料理の苦手な雑用担当に、意図せぬ皮肉が飛んでサラのほうが胃が痛くなりそうだ。

「ハハハ。俺もそう思います。よっと。でもサラに雑用係はもったいないからな」

 クンツがさらりとかわすが、こんなとき笑ってかわす役は、いつもはアレンだ。ちょっとしたいやくらいは笑って流すアレンが、今は無表情でクンツに石を投げている。

 石?

 サラは卵を反対側にぱたんと折りながら、横目で二人を観察する。

 アレンの足元には、同じような形の石がたくさん積まれている。

 あれは魔法で作った石のつぶてだ。

 アレンは石の横にしゃがみこんで、一定のリズムでクンツに向かって石を投げつけている。

「よっ、はっ」

 だが、クンツの手前で何かに弾かれている。

 よく見ると、半透明だがかすかに色のついた盾が、雲みたいに現れては消えてを繰り返している。

 石を弾くとき一瞬見えるだけだから、サラもすぐには気がつかなかったのだ。

 サラと訓練を始めたのはほんの二日前のことなのに、もう進化している。

 どんな場合に使いたいのかよく考えて、魔力の消耗をできるだけ抑えるように工夫しているのだ。サラも駆け寄って一緒に訓練したいが、できなくてもどかしい。

「あいつら面白いことやってるよな。ほら、焦げそうだぞ」

「あ、はい」

 サラは慌てて卵をぱたんと返し、形を整えて皿にのせた。

 そして油を引き直して、卵液を入れる。

 単調だが、これを繰り返しているとたくさん卵焼きができるのだ。

 コカトリスの卵一個分、一度に使い切るために魔の山ではよく作ったものだと懐かしくなる。

「なあ、味見していいか?」

 普段ならアレンが言いそうなことだ。

 いちいちそう考える自分が嫌になる。

「いいですよ」

 サラがまたぱたんぱたんと卵焼きを太らせている間に、ハンターはさっさと卵焼きを切り分けると、皿を持ってあちこちに配って回る。ずいぶんと社交的な人だが、サラは今回の探索で初めて会ったので、最近ハイドレンジアに来た人なのかもしれない。

「うまい!」

「絶品だな」

「これ、ネフェルタリに絶対見つからないようにしないと」

「先に食べたって知られたら、何をされるか」

 何もしないけど、静かに怒るネリーが思い浮かんで、サラは思わずくすっと笑う。

「ほら、お前らも食べろ。それともケンカしてる相手の飯は食えないか?」

 突然落とされた爆弾に、思わずフライパンを取り落としそうになる。

「やめてやれよー。本人たちの問題だろー」

 やる気のない仲裁の声が飛ぶ中、サラは緊張して答えを待つ。

「もちろん食べるよ」

「……食べる」

 そしてクンツにかぶせるように答えたアレンの声にひそかに胸をなでおろした。

「男が謝れば済むことなのになあ。面倒くせえ」

 見ていたハンターから声が飛ぶが、サラは誰かに言われたから謝るとか謝られるとかは絶対に嫌だと思う。それが本心とは思えないからだ。

 関係平常化には今日も程遠い、サラとアレンである。

「サラの卵焼きを! 誰か先に食べただろう!」

 ネリーが戻ってくるまでに、山盛りの卵焼きを用意したのに、なぜばれてしまったのか謎である。

「パイロン、お前が早く戻ってくるなんて、食べ物以外ではありえないからな」

 ぴしっとくだんのハンターに指を突きつけているネリーはかっこいいが、内容が内容だけに苦笑しか出ない。そしてあのハンターの名前はパイロンというらしかった。ネリーが名前をおぼえているということは、もとからハイドレンジアにいた人なのかもしれない。

「あ、お先に。すげえおいしかった。ごちそうさま!」

「なんだと!」

 ネリーをあおるタイプのハンターなど初めて見たサラは、そういう人だから、人のケンカにも首を突っ込めるのだろうと納得する。

 ハイドレンジアにもまだまだ知らない人がいる。今回の探索に参加してよかったことが、また一つ増えたサラである。

「ネリー、たくさん焼いたから大丈夫だよ。ネリーのために心を込めて焼きました」

「そ、そうか」

 ネリーの機嫌はこれで大丈夫。

「フライパンと桶は俺が洗う」

 突然アレンに話しかけられて、サラはとっさに断ってしまった。

「魔法を使って洗うから大丈夫」

「知ってるけど。仕事だから」

 うっかり魔法を使いそうなことはすべて避けたほうがいいのに。

 そう言いそうになったサラは、ぐっとこらえて鍋と桶を手渡した。

 アレンはそれをクンツに出してもらった水で洗って返してくれた。

 目は合わなかったけれども。

「いつまで耐えればいいんだ。この雰囲気に、俺たちは」

 嘆いているハンターもいるが仕方がない。

 自分たちはもっといたたまれないのだから。

 サラはそっとため息をつくのだった。


 三日目、だんだん調査地点が遠くなってきたので、早くに出発する。そういう計画を自分で立てるのは楽しい。

「そうか、私とアレン、ケンカしてるのか」

 周りがやきもきしているのはわかっているが、その周りのためにサラやアレンが折れるのは違うと思うのだ。だが、昨日の世話焼きなハンター、パイロンのおかげで、サラは自分がもやもやして苦しいことが、ただのケンカだということを理解した。

「ケンカかあ。ケンカ。ケンカって、私一回もしたことがない」

 昨日調査を終えた場所までは身体強化で急ごうと走り出したサラは、そのことに気がついて思わず足を止めた。

「ガウッ!」

「キャウン!」

「やだ、こっそり後ろからオオカミが付いてきてた」

 突然止まったサラのバリアにぶつかった高山オオカミが、こそこそと逃げていくのが見えた。

「ええと、どうしよう」

 高山オオカミのことではない。

「この世界に来てからは生きるのに必死で、理不尽さに怒ったことはあったけど、誰かとケンカしたことなんてなかったし。あったかな」

 とりあえず仕事のためにゆっくりと足を進めながら、サラは指を折ってケンカをした数を数えようとする。

「前の世界まで振り返っても、人並みに生活するのに必死で、人ともめたことすらないよ、私」

 数えようにもそもそも一つもないのだから、始末に負えない。

「どうやったら元のように、自然な友だちに戻れるのかなあ」

「ギエー」

 ドガン。

 ぼんやりと平原を歩くサラをよい獲物と思ったのか、バリアにワイバーンがぶつかって、そのまま滑り落ちた。

 サラはそれを流れるような動作で背中の収納リュックに詰めると、とぼとぼと歩き出し、歩いている場合じゃないと走り出すのだった。

「あっ!」

「やめろ! 外に出ちまう」

 クンツはアレンが安全地帯の外に飛び出ようとするのを、腕を引いて慌てて止めた。

 止めようとしたって普段なら止めることはできない。アレンの身体強化はもともとの素質もあってとんでもなく強いからだ。だが、身体強化を封じている今だからなんとか止めることができ、ほっとする。

「くそっ!」

 普段ならしない悪態をついて、アレンは結界のぎりぎりのところでサラの後ろ姿を目で追っている。

 アレンが見てるなんて思いもしないんだろうなとサラのほうを見ると、何事もなかったようにワイバーンをしゅっとリュックに収め、歩き始めた。なんとなく元気がなく背中が丸まっているのは気のせいではないだろう。

「ワイバーンを拾う少女。絵になるな」

「成人したハンターだぜ。少女とか言うな。失礼だろ」

「いや薬師だよな。ハンターじゃなくて」

 アレンの腕を引いたままハンターたちの会話に思わず突っ込みを入れたクンツであるが、サラが注目の的であることは間違いない。

「初日には迷いスライムを狩っていただろ。見たか? 魔法が曲がるんだ」

「やっぱりハンターの間違いじゃねえか?」

 サラは意識していないが、その行動はよく見られている。今話していたパイロンというハンターもその一人だ。

 なにしろ、深層を探索するベテランハンターの中に、れんな少女一人。

 いや、可憐というか、味わい深いというか、クンツにとってサラは、友だちでもあり、おさなじみの妹でもあるというくらいの位置付けなので、そもそもそんな目で見たことがないが、一般的にはそうなんだろうと思う。

 本当のことを言えば、クンツにとって何にでも一生懸命で面白くて頑張り屋なサラは最初からめちゃくちゃ好印象だった。だが、サラと一緒にいるアレンを見ていたら、その気持ちを育ててはいけないことをすぐに悟ってしまう。サラも大事だが、パーティを組むアレンのほうがもっと大事だ。

 ノエルやリアムは婚約者だのなんだの言っているが、それも好きというよりは貴族的な思惑が透けて見えるので、そもそもサラのお眼鏡にはかなわないだろうとクンツは判断している。

 それ以外については、いつもアレンが守っているから、ハイドレンジアではサラに手を出す馬鹿者はいない。

 だが今、サラのそばにアレンはいない。

 だってケンカしちゃってるんだもんと、間に挟まれたクンツはため息が出そうになる。

「さ、俺たちは後片付けと、それから訓練だ」

 もうサラは見えないところまで行っているだろうと思い、クンツはアレンに声をかける。

 しかし、余計なおせっかいをする者もいる。

「そんなに気になるなら仲直りしちゃえよ」

 昨日からなんとか仲裁に入ろうとしているパイロンの言葉こそがここにいるハンター全員の総意ではあるが、クンツ自身はアレンには何も言わないことにしている。ケンカなんて本人たちでなんとかするしかない。間に人が入るとこじれるだけなのは経験済みである。

 そしておそらく、問題は二人ともケンカなんてしたことがないということなんだろうとクンツは思っている。

 アレンもサラも普通の子ども時代を送っていないのはなんとなくわかっている。常に大人と一緒で、近所の子どもだけで集まって騒ぐという経験はないのではないか。つまらないことでもめて、いつのまにか仲直りする。普通はそうやってちょうどいい距離感を学んでいくものだ。

 子どもの頃のことなんて全然聞いてはいないけれども、漏れ聞く話から推測するに、そんな気がしている。

 だが、だからといってアレンの意固地な態度は少々腹立たしくもある。

 つい乱暴にアレンの腕を引いてしまう。

 おとなしく引っ張られて、テントや食事の後片付けをするアレンだが、数日前に死にかけたのをもう忘れているんじゃないかと思う。

 クンツも心配したが、サラの心配具合は半端ではなかった。

 アレンが目を覚ましてからも心配するのは当然のことだ。

 あとでハンター仲間にも聞いたが、エルムが言っていたとおり、特級ポーションは使うと死ぬかもしれないから本当にめったなことでは使わないんだそうだ。そもそも持ってないしなと笑っていたが、アレンを心配をしながらもその特級ポーションをその場で作って、飲ませる判断までしたサラのことは本当にすごいと思っている。

 お前は意識を失っている間のことを覚えていないだろうが、本当に大変だったんだぞ、特にサラはな、としつこいくらいに言ってやったクンツである。

 その話にまんざらでもなさそうな顔をしていたくせに、次の日には、アレンはもう顔を曇らせていた。

 自分も悪かったかもしれないとクンツは反省はしている。

 アレンが下宿に戻っていることを単純に喜んで、その日の出来事をまくしたてるように話してしまったことをだ。

 深層の穴の第一発見者として深層に連れていってもらったこと、サラと魔法の訓練をしたこと、そしてハイドレンジアのハンターギルドが、大々的に深層の探索をすることなどを、何のためらいもなく話してしまったこと。そして、

「お前が休んでいる間に、ちょっとでも追いつけるように頑張るぜ」

 なんて言ってしまったこともだ。

 アレンがなぜそんなに早く下宿に戻ってきたのか考えようともしなかった。もう休んでいる必要はない、日常に戻ってよいとクリスに言われたけれど、どうしたらいいか不安でも、忙しいサラには相談できないと思っていたことをクンツは知らなかった。

 屋敷にいれば、ダンジョンの話をするウルヴァリエの人たちとサラの会話が聞こえて、何もできない自分にひどく焦りを覚え、逃げるように戻ってきたことも。

 それなのに、パーティを組んでいるクンツも一人で先に行こうとする。

 あんな動揺したアレンは見たことがなかったとクンツは思い出す。

 アレンを残して、クンツだけがダンジョンに行ったら、絶対に一人で無茶をする。無茶をして、サラが心配したように、ハンターとしてこれ以上成長できなくなってしまう。

 そんな未来が見えるようだった。

「アレン、落ち着け。そもそも俺がどれだけ先に行ったとしても、一ヶ月じゃお前の足元にも及ばないこと知っているだろ」

 悔しいけれども、年も二つ上だけれども、クンツはアレンより弱い。しかも、だいぶ弱い。

 これは事実である。

「そんなことはわかってる」

「わかってるのかよ」

 ちょっと、いやかなり悔しかったのは仕方がない。

 それならなんで焦っているんだと問い詰める。

「サラは」

「サラは?」

「サラはどうするんだろう」

「聞いてから屋敷を出てくればよかっただろうよ」

 クンツはあきれてしまった。

「聞いてきてくれよ」

「なんでだよ」

「だってさ」

 うなだれるアレンは、年よりずいぶん幼く見えた。

「魔の山と同じなら、サラだってダンジョンに行くのを嫌がらないかもしれないじゃないか。そしたらきっと、ネリーやクリスと一緒に、探索に参加するかもしれないだろ」

「あー、かもな。今日も深層ですごくいきいきしてたもんな。なんなら自分の庭みたいに走り回ってた」

「もしサラが深層の探索に参加するならさ」

 アレンはその先を渋々と白状した。

「一ヶ月俺がいなくても、全然平気だって気づくじゃんか」

「いや、お前それ」

 サラは招かれ人で、本人は平和な人なのだが、すぐにやっかいごとに巻き込まれる。巻き込まれるたびにアレンも付き添う。

 そうでなくても、サラに危険があると判断すればアレンはそばにいる。

 周りからは、アレンがサラを守っているように見えるし、実際そうだとクンツも思っていた。

 クンツだっていやおうなしに付き合わされているから、よくわかっている。

「アレンがいつもそばにいて守って、……あれ?」

 確かに、アレンがいたから助かったこともあるはずだ。

 だが、たいていの場合、サラは自分で工夫して一人で解決してはいなかったか?

 そもそも、深層に一人いて高山オオカミからもワイバーンからも自由でいられる人が、誰かに守られる必要があるか?

「確かに、守られる必要のない人だな、サラは」

 そのことにクンツも気がついてしまった。

 だが、それとサラが明日からどうするのかがどう関係するのか。

「サラが深層に行くとして、あるいは別のことをするとして、それをアレンが知ってどうするんだよ。体調が戻れば日常生活は送れるけど、無理はできないんだろう」

「サラが薬師ギルドにいるなら問題ない。けど、サラが深層に行く場合を考えて、俺は深層に行っておきたいんだ」

「アレン」

 クンツは眉間に手を当て、大きくため息をついた。

 深層に行った後は別にいい。安全地帯にいるだけなら問題ない。

「深層に行くまでの間、身体強化なしでダンジョンを走りきるのは無理だ」

「無理じゃない。今日やってみたが、身体強化がなくてもちゃんと走れた」

「さっそく無理してんじゃねえか」

 そんなことくらい無理ではない。

 口を引き結んだアレンの言いたいことくらいクンツにもわかる。

 とにかくアレンはネリーと同じ、言っちゃ悪いが体力馬鹿だ。

 身体強化もえんえんと使えるほど魔力量も多いが、そもそも基礎体力が半端なく高い。

「体を使って動き回るのが俺の日常生活だ」

「けどさ」

「クンツもダンジョンに行くだろ」

「まあな。けど、深層階じゃないぞ。サラにヒントをもらったことを、俺なりにアレンジしてしっかり訓練したいんだ。なんならダンジョンじゃないほうがいいくらいだから、町の外にでも行くかもしれない」

 クンツはサラに教わった魔力の盾の訓練を、体に感覚が残っているうちにやりたかった。

「魔力の盾だろ。ちゃんと訓練にも付き合うから。とにかく、サラが地上にいるならいいけど、そうでないなら同じところに行きたいんだ」

「お前な……」

 アレンは無茶なことを言っていると思う。

 下手をすると、ハンターとしてこれ以上伸びなくなってしまうかもしれない。

 そしたら、サラを守るどころじゃないってわかっているのか。

 クンツの頭の中には言いたいことがいろいろ思い浮かんだが、結局一つも口に出さなかった。

「よし、わかった」

 ただそれだけを言って、立ち上がる。

「いろいろ聞いてくるから、おとなしく待ってろ」

 それからクンツは、ハンターギルドに行って、受付でサラに依頼が出ていることを聞いた。

 受けるかどうかは本人次第だとも。

 それから薬師ギルドに行ってカレンに会い、アレンに絶対させてはいけないことを改めて確認した。

 もう一度ハンターギルドに行って、自分とアレンを深層探索の雑用係として雇ってほしいと交渉した。アレンのことについては渋い顔だったけど、サラへの思いを代弁してやったことを、クンツは後悔していない。

 むしろアレンが後で恥ずかしい思いをすればいいとさえ思う。

「なんで俺がここまでやらなくちゃいけないんだ」

 真っ暗な帰り道、クンツの口からこぼれ出たのは本音である。

 それでも動いたのはなぜか。

「あいつが俺にわがままを言ったの、これが初めてなんだよ」

 サラはものすごくいい子だ。

 だが、アレンだっていい子なのだ。

「いい子だって言ったら絶対怒る。けど、一四歳からこっち、ずっと見てる俺が苦しくなるくらい、いい子なんだ」

 遊び歩くことも、道を外れることもない。もくもくと体を鍛え、ダンジョンに潜って狩りをする。理不尽なことがあっても怒らず、ただ流すだけ。

「もしそれが弟だったら、俺は胸元をつかんでるし上げてるな。おこうすぎるだろ! もっとわがままになれよ! ってな」

 真面目なことは悪くない。だけど、欲しいものがあってあがくことも、手を伸ばしてもがくことも必要だろう。それがわがままに見えたとしてもだ。

「けど、絶対に身体強化も魔法も使わせない。あいつの未来はつぶさせない。そんで、ついでに俺の盾も完成させる。頭を使うんだ、頭を」

 明日には深層に行く探索隊が出発する。

 雑用係はいれば助かるが、いなくても構わない。そこに身体強化が使えないアレンを無理やりねじ込むのだから、しっかり働かなければならない。そのうえで、自分の訓練もし、アレンに無理をさせずに鍛錬させるにはどうするか。

「ハンターになってから一番頭を使ってるかも、俺」

 そうして、どういう立ち回りをするかさんざん説明し、身体強化と魔法を絶対に使わないことを改めて約束させ、疲れの残る体をおしてハンターギルドへと行った朝の、アレンとサラとのあれである。

「しつこいよ」

 アレンが本当はそんなことが言いたかったんじゃないとクンツはわかっている。サラとあの場で顔を合わせるとは思っていなかっただろうから、焦りもあっただろう。

 もっとも、あの時アレンの言った言葉は、別にひどい言葉でも何でもないとクンツは思う。あのくらい、自分だってしょっちゅう口にしてるし、誰かにも言われている。

 けれど、あの陽だまりのように仲のいい二人の間では、雑な奴らにとっては普通の言葉でさえ、心を切り裂くナイフになってしまう。

 アレンのしまったという顔、サラのガラスのような瞳、今思い出してもいたたまれずに大声で叫びだしてしまいたくなる。自分のことでもないのに。

 サラが大事だから、無理してでも深層に行きたかったんじゃないのか。

 それなのにサラを傷つけてどうするんだ。

 思い出して、思わず引いているアレンの腕を強く握ってしまった。

「なんだよ」

「別に。さあ、まだ片付けが残ってるぞ」

 残りのハンターも、すぐに探索に向かう。みんなを見送っての留守番もアレンとクンツの仕事だ。

 といっても、留守番なので自由時間でもある。

「体調はどうだ」

「うん。問題ない」

「うっかり身体強化を使っていないか」

「大丈夫だ」

 毎朝の訓練の前の確認である。

 そうしてクンツは、収納ポーチに入れておいたつぶてをざらざらと地面に積み上げた。

「昨日、けっこういい感じに盾ができてたと思わないか」

「思う。とっさに発動する盾なんて、身体強化やバリアに比べるとゴミだと思ってたけど、そんなことないな」

 こうやって話していると、アレンは汚い言葉も案外平気で使う。だからこそ、サラにはすごく優しい言葉遣いなんだとわかる。

「じゃあ、どんどん投げてくれ。ただし」

「身体強化は使わないこと」

 クンツがどんなに繰り返させても、しつこいと言わず、たんたんと体を動かし、クンツの訓練にも付き合ってくれる。

 そんな素直な奴が、どうしてこんなにこじらせてしまったのだろう。

 サラが見ていないときに、アレンはサラを見ているけれど、サラは気がついていない。

 最近いつも元気のない顔をしていて、そんな顔をさせているのが自分だとアレンはわかっているのだろうかとクンツは思うのだ。

「どうせなら、自分のことで悩みたい」

 ハンター生活を応援してくれる朗らかで元気な女の子がいてくれたら、アレンのように悩ませたりしないぞと誓うクンツである。



 悩んでいようがいまいが、薬草はどこにでも生えている。

 魔の山と同じで、ときおり岩場が顔をのぞかせる高山地帯なので、魔力草も多い。

「希少薬草は特薬草しか見つけられなかったけど、クリスがあちこちで見つけているから、それはまあいいか」

 三日目の調査もいい感じである。

 朝はケンカもしたことのない自分に気がついて衝撃を受けたけれど、自然の中で薬草を眺めていると、そんなこともどうでもよくなる。

「いや、どうでもよくはないけれど」

 ケンカをしたのなら仲直りをすればいい。

 だが、ケンカをしたことがないのだから仲直りの方法さえわからない。

 自分が謝れば済むのだろうか。

 確かにサラはおせっかいだったと思う。だけど、どう考えても、しつこくしてごめんなさいと言う気にはなれないのだ。

「だんだん面倒になってきた」

 確かにアレンは心配だが、今のところ無理をしているようでもない。

 サラじゃなくても、クンツがそばにいる。

「もういいや。仕事を頑張りさえすればいい」

 幸いなことに、やるべきことはたくさんある。

 悩むことに疲れたサラは、諦めのほうにかじを切ろうとしていた。

 今日は料理する卵はないから、早く帰る必要もない。

 熱心に地図を書き込んでいたら、途中で日が陰り始め、急いで戻ってきた。

「今日は何もないのか?」

 なんとなく仲良し認定されてしまった感のあるパイロンが、期待を込めた目でサラに話しかけてきた。

 ガーゴイルのローストはまだ少し残っているが、全員にいきわたるほどではないし、コカトリスの卵も昨日で使い切った。

 それに、遅くまで仕事をして疲れてもいたので、サラは素直にないと言おうとした。

「そういうの、やめてくれ」

 アレンがパイロンの視線を遮るように前に出てくる。

「サラの仕事は、薬草の調査だ。余分な仕事に手当てが出るわけじゃない。ガーゴイルだって卵だって、ウルヴァリエの持ち出しだろうし。ほら」

 アレンはパイロンに弁当を手渡し、くるりと振り返ってサラにも手渡した。

「ありがとう」

「仕事だから」

 戻ってくるハンターたちに、次々と弁当を渡している。

「ちぇ。いいところだけ持っていきやがって」

 パイロンはぼやくが、それ以上サラに何か言ったりはしなかったので、ちょっとほっとする。

 確かに、サラは割と余分な仕事をさせられやすいだ。余裕のあるときは問題ないが、疲れている今はごめんこうむりたい。

 お弁当を持ってすぐにネリーとクリスと合流して、夕食のスタートだ。

「確かに、サラは優しいからな。例えばコカトリスの卵は私にだけ調理すればいいと思うが、他の奴も食べたいだろうと思ってたくさん作ってしまうしな。私にだけでいいんだがな」

「そこは私も入れてくれ」

 クリスが苦笑いだが、ネリーの「私」には、私とクリスという意味がちゃんとあると思うサラである。

「卵もお肉もないけど、一昨日おととい採ったヤブイチゴはあるよ」

「食後にいただこう」

 デザート系に目がないのはどちらかというとクリスのほうである。

「冬越しのかんきつ系の果物みたいなのもあったけど、今日は採ってきませんでした」

「ふむ。場所はどのあたりだ。私が探索したときに確認してみよう」

 サラの家族はここにいる。

 仕事をして家族を大事にしていれば、それでいいのかもしれないとサラは思うのだった。


 泊まり込みで探索とはいえ、一ヶ月泊まりっぱなしのハンターはほとんどいない。

 特に家族持ちの人たちは、五日から六日探索しては、二日ほど戻るというサイクルを繰り返している。

 サラの薬草分布調査はおおざっでよいので、ハンターたちと同じかそれより早いくらいで探索が進む。

「私、一度地上に戻りたい」

 サラも六日ほど過ごした夕食後、ネリーにそう訴えた。

 ちなみにネリーとクリスは二サイクルくらいはここで過ごすそうで、戻る予定は今のところない。

「それなら父様に元気でやっていると伝えてくれ。だが、必要か?」

 外に出たい大きな理由の一つはしっかりとお風呂に入れることなのだが、ネリーにはそれはどうでもいいことのようだ。だが、サラにはもう一つ理由があった。

「うん。リュックがいっぱいになっちゃって」

 サラのリュック型収納袋にはワイバーン三頭分が入るのだが、ちょうど今日、三頭目がサラのバリアにぶつかってきたというわけなのだ。

「もしもう一頭ぶつかってくるようなことがあったら、もったいないもの」

 ネリーの収納に入れてもらうのも一つの手なのだが、基本的には自分の獲物は自分で管理するものである。サラはハンターではないので、今までワイバーン一〇頭分の収納ポーチは必要ないと思っていたが、あったほうがいいのかもしれない。

 お高いのは確かだが、今のサラなら問題なく買えるだろう。

「ああ、それなら」

 ネリーがアレンのほうに向いた。

「ハンターギルドの出張買取所があるぞ。正確には、出張預かり所か」

 サラがそちらを向くと、話を聞いていたのかアレンが収納袋を手に待っている。目的が探索でも、狩りをすればその分収入が上がる。ギルドもそれを止めはしないどころか、推奨しているというわけだ。

「ええと」

 収納袋を構えているということは、ワイバーンを出せということだろうか。

「俺がやる。ここじゃあ狭いだろ」

 クンツが袋をさっと取り上げ、不満そうなアレンをしっしっと追いやった。

「クンツ、大丈夫。どうせ一度上に行くから、その時に売ってくる」

「そうか? 遠慮するなよ」

 誰が狩ったかわかるようにして、あとでまとめて精算するのだそうだ。

「そうだ。サラが一度上に戻るなら、俺も行き帰り一緒にしたいんだけど、お願いできるか?」

「それは構わないけど」

 急に言い出したサラもサラだが、クンツもどうしたのだろうか。

「意外と皆狩りをするから、ギルドから預かった収納袋がいっぱいになりそうなんだよ。だから、交換してこようと思うんだ。サラとか他のハンターに預けてもいいんだけど、いちおう責任があるしな」

「うん。じゃあ明日の朝クンツの仕事が終わったら出発で、一泊して戻ってくる感じでいい?」

「それでいい。じゃあ、明日の朝よろしくな」

 次の日、アレンはどうするのだろうと思ったら、留守番だった。

「一人だと無理しないかなと思ってるんだろ」

 二人で並んで走り始めてすぐに、クンツにそう指摘された。

「うん」

「なんて顔してるんだよ。今まで見てきてどうだった? アレン、無理しそうだと思うか?」

 この六日間、アレンはたんたんと雑用をこなし、合間にハンターたちと鍛錬を重ね、クンツの盾の訓練も手伝っていた。それらすべてに身体強化を使っていなかったし、魔法を使う仕事は全部クンツにやってもらっていた。

「思わない」

「だろ」

 行き帰りをサラと一緒に行きたがったのは、バリアがあるからかと思っていたが、クンツに頼まれたのは、バリアは非常時まで使わないでくれということだった。

「普段無意識に近いレベルで身体強化を使っているから、毎日かなり大変だって言ってた。特に対人の鍛錬はそうらしい」

「そうなんだ」

 ケンカしているからそういう話がアレンから聞けないのかなと一瞬寂しい気持ちになったが、そういうことは普段でも話してくれないことに気がついてもっと寂しい気持ちになる。

 サラはアレンの何を知っていたというのだろう。

「落ち込むなよ。俺が言いたいのは、アレンは怒っているわけでもないし、サラの言ったことをちゃんと守って自分を大事にしてるってことだけなんだ」

 クンツの言っていることは、サラもわかっている。ただ、お互いに壁があって、普通に話せないことがどうにもつらくて落ち込んでしまう。

「どこまで話していいんだろう。ただ言えるのは、アレンも落ち込んでるってこと。それを、サラに知っててほしかった」

「うん。ありがとう」

 サラが一方的に気まずいのではないと知って、なんとなく気が楽になる。でも、もうこの話をしたくなかったサラは、話を変えることにした。

「ところで、クンツ。バリアに入らなくて大丈夫なの?」

「わからない。何かあったら特級ポーションを使ってくれ」

「いやいやいや」

 それは笑えない冗談である。

「上は警戒してる。ワイバーンはさすがに無理だし、高山オオカミもガーゴイルもきつい。だけど、ヘルハウンドやツノウサギくらいなら、ちょっと試してみたいことがあるんだ。俺がバリアって叫んだら、サラのバリアに入れてくれ」

「とりあえず、了解」

 数日前までは深層も、一人では来られないと言っていたクンツが、頑張ろうとしている。

 それからは緊張感が漂い、会話も途切れがちになった。

「よっ」

「ひえっ」

 クンツが何か動いたと思ったら、クンツの右手にポワンと盾が浮かび、同時に大きな灰色の物体が弾き飛ばされる。

 クンツはそのまま立ち止まると、その灰色の物体につぶてを撃ち込む。

「ツノウサギだ」

「もちろん、拾っていく。堅実にいくぜ」

 サラの目には、つぶてを撃ち込む前に、ツノウサギの命はすでになくなっているように見えた。

「それって」

「うん。サラと考えて、その後アレンとずっと訓練していた盾の魔法だ。深層じゃ怖くて実戦では使えなかったけど、ここなら通じるみたいだ」

 サラに見えるよう出してくれた魔法の盾は目に見えるよう薄茶色で、サラと考えたときよりずっと小ぶりだった。

「アレンと訓練してみて、サラのようにバリアに使うんじゃなくて、身体強化したときのこぶしのように使うのが一番使い勝手がいいってわかったんだ」

「それなら身体強化のほうがいいんじゃないの?」

 なにやらかえって面倒なような気がする。

「俺は魔法師だぞ。魔物が直接体に当たるのは怖い」

「怖いって。わかるけれども」

 クンツの左側はサラが守っている。だから、クンツは前と後ろと右側だけに気をつければいい。

「うおっと。フレイムバット」

 それから上もだ。

 ひよわな二人だけだからくみしやすしと見たのか、意外とたくさんの魔物が寄ってくる。

「安い魔物だけど、数で稼げる。俺レベルならこれで十分どころか、おつりがくる」

 とどめにつぶてを使ったり、盾をかわされた魔物を風の魔法でほんろうしたりと、クンツの戦い方は多彩で思わず見とれるくらいだ。

「思っていたとおりに動ける。アレンが飽きずに石を投げ続けてくれたおかげだ」

 途中の安全地帯で休憩しながら、クンツは満足そうだ。

「魔力切れはないの? クリスやヴィンスはすごく魔力を使うって言ってたけど」

「盾を作るのはほんの一瞬なんだ。大きさを変えるとか、手の先じゃないところに作るとなったらどうなるかはまだやってみてないからわからないけど、今の使い方ならそんなに魔力の消費はないみたいだ」

 クンツは右手を握ったり開いたりしている。盾を作る感覚を思い出しているのだろう。

「身体強化をしても、殴るのには力がいる。でも、サラの盾は、作るだけで相手の力をそのまま跳ね返してくれる。それが思ったより魔力を使わない原因かもしれない」

 サラは怖いから全方位のバリアを作るけれども、そのバリアをクンツのような使い方をしようとは思いもしなかった。

 もしかして、バリアの工夫として、サラが逆に取り入れることができるのではないかと思う。

 いつもいつもバリアを風船か大きい盾のように使うだけという発想が貧弱なのではないか。

「うーん」

 サラも、自分を覆っているバリアとは別に、クンツのような盾を作ってみる。

「サラ、それ、バリアを二つ作ってるんだろ?」

「そう」

「気がついてないかもしれないけど、すごいことなんだぜ。俺もやってみて初めてわかったけど、盾は一個で精一杯だ。サラは全部でいくつなら作れる?」

「三つまではやったことはあるけど」

 いくつ作れるだろうか。

 サラは目の前の盾を増やしてみることにした。

「二つ、三つ」

 ここまでは大丈夫。

「四つ、五つ、六つ、七つ。あ」

 本体を覆っている以外のバリアはパリンと割れるように消えてしまった。

「すげえ。もともとのバリアと合わせたら八つか」

「どうやら、目にとらえられる以外のバリアは消えちゃうみたい。後ろには出せないんじゃないかな」

「全方位のバリアがあれば問題ないだろ。盾のバリアは防御よりも攻撃寄りだからな。俺も二つから始めてみるかなあ、な、アレン。あ」

 いつもならこの場にいるはずのアレンはいない。

 同時にため息をついた二人は、どちらからともなく立ち上がって、地上へ急ぐのだった。


 仕事に集中しようと決めたサラは、六日働いて上に戻って一泊休むというサイクルでしっかり働き、一ヶ月より前に薬草分布の調査が終わりそうな感じになってきた。

 仕事は面白いし、アレンともクンツを介してだいぶ自然に話せるようになってきたのは、三回目のお休みの前である。

 クンツと訓練することはあれ以来なかったが、一度実戦を経験したからか、アレンとの訓練を見ていてもだいぶ使える感じになってきている。慎重なクンツのことだから、この仕事が終わったら、弱い魔物から順番にステップアップしていくのだろうと思う。

 あと六日、深層を歩き回ったらまたいつもの日常が戻ってくるかと思うとやはりほっとする。まるで魔の山にいるようだと感じても、安全地帯でテントを張っているとなんとなくへいそく感があるし、疲れもたまる。

 地上に戻ってくると、サラはさっそく薬師ギルドに向かう。

「薬草のお届けです」

「サラ! お疲れさま」

 薬草分布の調査に集中しようと決めていても、魔力草など需要の高い薬草があればつい手に取ってしまう。途中からはもういいやと割り切って、調査も採取も両方やると決め、もりもりと働いてきた。

 そして採取した薬草類を薬師ギルドに納めて喜ばれているというわけである。

 サラはわらわらと寄ってこようとする同僚を止めるように両手を前に伸ばした。

「ダンジョン帰りなので! できれば距離を取っていただけるとありがたいです!」

「気にならないわよ。サラは不潔なハンターとは違うじゃない」

 ダンジョンの中でもきちんと体を拭いて着替えているサラなので、確かに不潔ではないが、お風呂に入るまでは近くに来てほしくないという乙女心である。

「サラが来てるの?」

 ギルド長室からカレンが珍しくパタパタと急いでやってきた。

「無理してない?」

「大丈夫です。今回も魔力草がどっさりですよ」

 サラはどん、と薬草かごを出す。

 大喜びの同僚たちにサラも満足である。

「ところでサラ、ちょっと話があるの。ここでもいいんだけど、ちょっと部屋まで来てちょうだい」

「はい」

 深刻そうでもないし、深層の何かの薬草を採ってきてほしいという話なんだろうなとサラは素直にギルド長室に向かった。

「はいこれ」

 部屋に入るとすぐに、カレンはテーブルの上に置いてあった手紙をサラに渡す。

「ノエルからよ。もう一通あるけど、まずそれを読んだらいいと思う」

 屋敷でなく、薬師ギルドに来ているのが不思議な感じがしたが、婚約の申し出とは違い、実用的な封筒を開けると、さすがノエル、美しい字で手紙が書かれている。

「ええと、なになに」

 内容はサラが出した手紙への返事だった。

「要するに、特薬草と特級ポーションは王都でも貴重なのでとても興味がある。特級ポーション使用者への聞き取りについても協力したいが、ぜひ私にも参加してもらって、共同研究としたい。ですって。つまり」

「王都に来てほしいってことね」

 ノエルが興味を持ってやってくれて、結果だけ共有できたらというのは、よく考えたら虫のいい願いだったかもしれない。

「それから、こっち」

 今度渡されたのは重厚な封筒である。

「王都の薬師ギルドから。なんだろ」

 こちらも手紙を開けてみると、ノエルのよりだいぶ短いそれは、依頼書だった。

 カレンが手紙を指でとんとんと叩く。

「正式なものよ。クリスが渡り竜討伐の時に依頼されたのと同じ形式ね。ハンターギルドの指名依頼のようなものよ」

「はあ、指名依頼」

 なんだか面倒くさそうだが、中身を見てみることにする。

「特薬草の納付依頼。最低一〇〇本、上限はなし。できれば安定供給に響かない程度に大量に採取してきてほしい。通常の報酬の他に、王都往復の交通費と、特級ポーションを使用した人への聞き取りの、全面的な協力を確約する。ええ……」

 サラは思わず途方に暮れた顔をしてカレンを見てしまった。

「クリスが特薬草を発見して、うちの薬師が特級ポーションを作ったという話は報告済みなのよ。薬師ギルドとしては、特薬草も特級ポーションもいざというときのために常備しておきたいものだし、薬草関係についてはどこで採取できるか共有しておいたほうがいいからね」

「それはそうですよね」

「でも、私もこんなに動きが早いとは思わなかったわ。それに、サラに依頼が来たのは、明らかにノエルに出した手紙のせいね」

「うう、確かに」

 ノエルだっていくら興味があっても、薬師ギルドを通さず自分だけで調査することなどできないだろう。サラだってここハイドレンジアで薬師ギルドにもハンターギルドにも頼ったのだ。

 王都は行き帰りだけでも時間がかかるし、今現在ハンターギルドからの依頼の真っ最中だしと、悩みは尽きない。それに、アレンもまだ、特級ポーションを使ってから一ヶ月はっていない。

 うつむくと、カレンがサラの心を読んだかのような質問をしてきた。

「アレンは無理してるの?」

「してないと思います。見ている限りでは」

「そう」

 それ以上聞いてこないのはありがたいが、よく考えたら、聞いてこないのはサラたちがケンカしていると知っているからだ。そうでもなければ、いつもならガンガン追及してくる人が、そう、の一言で済ませるわけがない。

 サラとアレンのことは二人の問題のはずなのに、深層にいるハンターだけでなく、薬師ギルドの人まで知っているというのが息苦しい。

「ハンターギルドからの依頼は、どのくらいで終わりそう?」

「ええと、次戻ってくるときには終わっていると思います。クリスたちはもう少しかかるって言ってました」

「なるほど。サラにとっては忙しいことだけれど、私としては、指名依頼は受けてほしいかなって思ってるの」

 魔の山にいた時のネリーのように、指名依頼は断ることもできる。

「サラの提案は素晴らしいことよ。私が若かったころ、特級ポーションの使い方の手引きみたいなものがあったらよかったのにって、本当に思うから」

「はい」

 これほどおおごとになるとは思っていなかったが、ノエルとの共同研究のついでだと思えば、そんなに大変ではないのかもしれない。

「それにほら。王都といえば、薬師のあの子たちがいるじゃない」

「そうだ。モナとヘザーに会える!」

 モナのほうは去年結婚したが、薬師は続けている。

 二人ともハイドレンジアに研修に来ていたので、カレンもよく知っているのだ。

「急いで、とは書いていないし、少なくとも一〇〇本以上の特薬草という依頼も達成までは時間がかかるかもしれないじゃない?」

 かかるかもしれないが、かからないかもしれないという含みが感じられるカレンの言葉である。

「今の依頼が終わってゆっくり休んでからでもいいから、考えてみて」

「いえ」

 優しいカレンの言葉をありがたく思いつつ、サラは顔を上げた。

「最深層では特薬草はあちこちに群生していて、一〇〇本集めるのは大変な仕事ではないんです。次戻ってくるまでに集めて、そのまま王都に行こうかと思います」

「サラ、あなた」

 カレンはなにか言いたそうだったが、ぐっとみ込んでくれた。もともと誰かに押しつけられた依頼ではない。サラが自分から積極的に動いたからこそ、ノエルも王都の薬師ギルドも動いてくれたことだ。

 聞き取り調査をし、まとめるところまできちんと仕事をしよう。

 サラは決意すると、屋敷に戻ってすぐにライに相談した。

「なるほどなあ」

 ライはあごに手を当ててひげをしごきつつ、残念そうな顔をして話し始めた。

「サラと一緒に、腕を組んで王都観光。そろそろ宝石の一つや二つ、身につけてもいい年ごろだしなあ。合間に菓子店などをめぐるのもまたよい」

「いやいやいや、仕事ですよ仕事」

 なぜ王都観光に話がずれているのかと、サラはちょっとあきれてしまう。

「仕事の合間にだよ、合間に。だが、今のハイドレンジアの状況だと、私がここを離れるわけにはいかないから、サラ一人を行かせることになってしまうが、許しておくれ」

「大丈夫です」

 仕事をしに行くということに関しても、今の仕事が終わってすぐに行くということについても、何も反対しないでいてくれるのがありがたい。

「馬車はウルヴァリエのものを使うといい。屋敷から何人かつけようか。ドレスは新しく作り直す暇はあるか?」

「いやいやいや」

 本日二度目の突っ込みを入れるサラである。

「今回は急なことですし、普通に定期便の馬車に乗ろうかと思うんです。いつも急ぎの仕事が多くて、普通の一人旅ってしたことがないから」

「しかしな。女性の一人旅はなあ。ネフェルが戻ってくるまで待つわけにはいかぬか? あるいはアレンでもいいのだが」

 街道は整備されているので、盗賊が出るとかそういうことはあまりない。

 魔物も、草原に出なければ心配はない。

 それでも若い女性の一人旅は珍しいので、心配なのだろう。

「王都ではもちろん、ウルヴァリエのタウンハウスにお世話になりますから。ちょっと気分を変えたくて」

「まあ、それも経験か。なにしろワイバーンをも防ぐ少女だからなあ」

 この間ワイバーンを防いだのを直接見たのがよほど嬉しかったらしく、ことあるごとに口にするのがサラはちょっと照れくさい。

 ネリーにしろエルムにしろ、ウルヴァリエの人間は自由だ。それは本人の気質にもよるだろうが、ライが自由を許しているからでもある。

 結局はサラの言うとおりにしてくれた。

 次にダンジョンから戻ったら、一日だけ休んで、すぐに王都に行こうと決める。

 今回の旅のお供は、ワイバーンが一〇頭入る新しい収納ポーチである。

 ノエルへ手紙を書き、ポーチの荷物を入れ直し、六日ぶりのベッドに沈み込む。

 仕事への期待で膨らんでいるはずの胸が痛いのは、自分が逃げようとしているのだということがわかっているからだ。

「もう悩むのも、気を使うのも嫌なんだもの」

 なぜだろうか。時間が過ぎて、何もかもなかったような顔でアレンと向き合うのは、しつこいと拒否されたときよりも心をむしばんでいく。

「今はなあなあになって、一緒に暮らしているけれど、ネリーもクリスもいずれは二人の家庭を作っていくんだから。私も、この世界でちゃんと一人で立てるようにならないと。今まで、甘えすぎていたんだ」

 ネリーにも、アレンにも。ローザから一緒だった二人に。

「誰も私とアレンのことを知らないところに行きたい」

 誰もがなんとか仲直りさせようと遠回しに気を使ってこないところに行きたい。

 間違った方向に走り出そうとしているサラを、止める人は誰もいなかった。


 六日間で薬草分布の調査を終わらせたサラは、指名依頼があることを、どうしてもネリーとクリスに言えずにいた。安全地帯には十数人のハンターがひしめいている。テントの中で話していることも、外に聞こえる可能性もある。

 特薬草はたくさん生えていたので、依頼の二倍、二〇〇本を採取してもまったく減った様子は見られないから、採ったことをクリスに気づかれもしない。

 依頼の本数が多いのは、ハイドレンジアの薬師ギルドと同様、たくさんの薬師に経験を積ませようということだと思うのだが、納入しすぎたら、必要ないのに使ってしまいそうだという怖さが、王都の薬師ギルドにはある。

 考えすぎだとは思いつつも、サラなりに考えた結果が二〇〇本である。

 急いだため、短期間でそれが精一杯だったという言い訳もたつ。

 そうこうしているうちに、サラが地上へ戻る日がやってきた。

「私たちもあと六日ほどでここの探索が終わる。ギンリュウセンソウの群生地も見つけることができたし、なかなかの成果だった。サラもよくやった。ゆっくり休むといい」

 仕事をやり遂げたサラに、クリスも満足のようだ。

「あの、あのですね」

 言うチャンスはここしかない。しかし、言い出す前にネリーに抱き着かれた。

「サラ! 寂しいが、ゆっくり休んでくれ。それからコカトリスの卵を忘れずに料理長に届けてほしい」

「うん、わかった」

 最近食欲に支配されつつあるネリーである。

「サラ」

 珍しく、アレンからサラに話しかけてきた。

「あの、気をつけて帰れよ」

「うん。アレンも頑張って」

 久しぶりに目が合ったが、サラはさっと目をそらした。

 特級ポーションを飲んでから、もうすぐ一ヶ月が経つ。

 サラが何も言わなくても、アレンはここまで一切魔力も身体強化も使っていない。

 それは素晴らしいことだし、きっと後遺症も残らないだろう。

 だったら心配なんてする必要はなかった。

 そうしたらしつこいなんて言われることも、気まずい雰囲気になることもなかっただろうから。

 こんなに苦しい気持ちになるなら、親しい人なんて作らなくていい。

 王都では仕事だけをしてさっさと帰ろうと思うサラは、見送る人たちを振り返りもせずに急ぎ足で地上に向かった。

 クンツはその様子をなんとなく納得できない気持ちで見送った。

 納得できないどころか、なんとなく焦燥感さえある。

 クンツと同じなのか、ネリーも腕を組んでサラが消えた階層の穴を見つめている。

「卵にこだわりすぎて、怒らせてしまっただろうか」

「サラはそんなことでは怒らないでしょうが」

 クンツは別にサラとはもめていない。したがってネリーとも別に気まずくはない。いつもどおりポンコツなネリーには遠慮なく突っ込ませてもらう。

「だがな。なんだかいつものサラと違うような気がしてな」

「うーん。俺もそうです」

「あれのせいか」

 ネリーがちらりとアレンのほうに目をやった。

 クンツから見てもネリーはさっぱりとしたいい人だが、サラとアレンが気まずくなってからは、明らかにサラのほうに立っていて、アレンとは微妙に距離を置いている。

 もっとも、師匠と弟子とはいえ、もともとべたべたした間柄ではない。

 そのアレンはといえば、上機嫌で片付けをしている。久しぶりにサラとちゃんと話せたとか思ってるんだろうなとクンツはあきれ顔である。

「アレンのせいといえばアレンのせいかもしれないけど、それはここのところずっとそうだから。そうじゃなくて、何と言ったらいいか」

 ネリーと二人で、違和感をうまく言葉にできずにいると、すっとクリスが話に入ってくる。

「かくしごとをしているな」

「かくしごと? サラが私にか」

「いや。ネフにだけではなく、私にも後ろめたそうにしていた」

「そういえばずっと元気がなかったかもしれない。アレンのせいかと思っていたが」

 ネリーがついにはっきりとアレンのせいと言った。だが、今度はアレンが話に入ってきた。

「俺のせいだったかもしれないけど。それももうすぐ終わるから」

「終わるとはどういうことだ」

 ネリーが腕を組んだままアレンのほうに向きなおった。

「俺が特級ポーションを飲んでからもうすぐ一ヶ月なんだ」

 そう言われて数えてみると、確かに一ヶ月になる。

「サラに言われたとおりに、一ヶ月、魔力も身体強化も使わなかった。毎日、体の調子がどんなふうだったか記録もつけてる。魔力は使わないけど、体の中の魔力の量やそれがどう動くのか、ちゃんとちゃんと観察して、サラに役立つようにって」

 アレンがぐっと手を握った。

「それでやっと、ごめんって言える。もうすぐ元に戻れるんだ」

 無理を言って深層に来た割に、たんたんと過ごしていると思っていたが、そうではなくきちんと毎日サラのことを考えていたらしいと知って、クンツは安心する。

「あー、甘いな。甘い甘い。ヤブイチゴのタルトより甘いぜ」

 突然後ろから声がする。

 パイロンだ。

「なんだよ」

 今は雑用係だが、ハンターとしてはアレンのほうが力は上だ。

 年上といえど、なめられたままではいられないアレンは、強気に言い返した。

「いまさらごめんって言ったからって、許してもらえると思ってるのが甘いって言ってるんだよ」

「あんたには関係ないだろ」

 確かにパイロンには何も関係がない。

「俺らのサラちゃんが、一ヶ月ずーっと暗い顔でいたんだぞ。誰のせいだと思ってるんだ」

「俺らのサラちゃん」

 ネリーが食いついた。

「わかっているではないか。お前らのものではひとかけらたりともないが、サラは賛美すべき少女、いや女性だ」

「だろ? それなのにこの一ヶ月、お前らの間に挟まって俺たちがどれだけ気まずかったと思うよ」

 サラがもう戻ってこないからこその本音だろう。

「だいたい、一度仲たがいしておいて、お前がサラちゃんから選ばれるどんな理由があるよ」

「俺はサラの親友だ」

「親友があんなに冷たい態度を取るか?」

 アレンがぐっと詰まった。

 だいたい、サラが地上へと戻った後、誰も探索に出かけていないとはどういうことだ。

 クンツは周りをぐるっと見渡した。

 ハンターほぼ全員が、アレンとパイロンを囲んで言い合いを眺めているではないか。

 それだけ全員がサラとアレンの動向を気にしていたということなんだろう。

「そんなにみんなが気になってたのなら、サラがいる間に気遣ってやればよかったじゃないか」

 クンツは思わずつぶやいてしまい、全員から非難の目を向けられた。

「サラは私には構わないでくださいって態度だったじゃないかよ。どうすればよかったんだ。俺の娘があんな悲しい顔をしてそれでも一生懸命仕事していたら、俺は相手の男を殴りに行っていたぜ」

 これはネリーやクリスと同年代のハンターの言葉である。

 クンツの口からは乾いた笑いが漏れそうだった。

 せめて自分だけはアレンの味方でいよう。アレンだってサラと同じ年なんだからなとひそかに決意する。

「だいたい、サラに釣り合う男なんているのか? 高山オオカミなんてペットみたいな扱いだし、ワイバーンだってサラを避けてるように見える。この最深層でたった一人、平気で仕事をしているサラより強いハンターなんてどこにもいないだろ」

 サラに釣り合うとか釣り合わないとかいう話ではなかったはずだ。

「ハンターがどんなに強くなっても、招かれ人のサラにはかなわないんだ。最初からちゃんと謝っておけ」

「それは違うだろ」

 いつの間にかアレンもネリーも置き去りにして、ハンター同士でサラの強さ談議になってしまっている。

「やってらんねえ」

 アレンはぼそりと口にすると、さっさと朝食の弁当の片付けを始めてしまった。

「絶対謝る。許してくれるまで謝る」

 その気持ちをケンカした次の日にでも発揮してくれたら、誰も気をもまなかったのにとも思うが、謝るのにきっかけが必要なのが男というものだ。

 結局はハンターはみんな、なんだかんだいって若いハンターを応援したくてたまらないのである。そこから六日間のサラのいない探索の間に、ネリーとクリス以外、ハンターは全員アレンを応援する側に回っていて、クンツの心配はだいぶ減った。

 その合間、サラが戻ってから三日後のことだった。

 ハンターの皆に応援されて、だいぶ表情も明るくなったアレンが、神妙な顔をして夕食後のネリーとクリスのところに歩み寄り、声をかけた。

「クリス」

 クンツも何気ないふりをして付いていくが、ネリーではなくクリスに声をかけたことにちょっと驚いた。

「今日で一ヶ月つんだ。俺はもう、身体強化を使ってもいいだろうか」

「ふむ」

 返事をしたクリスの目は、薬師の目だったが、珍しくそれだけではない何かの色が見え隠れしているような気がする。

「本来なら、最初から面倒を見ていたサラが判断を下すべきだと思う」

「はい」

「それが薬師としてのサラの成長にもつながったはずだ。患者にそれを言うのは違うのかもしれないが、友であるはずのお前が意地を張って、その機会を失わせたことは心に留めておけ」

 クリスが丁寧にアレンの体をた後、ついに結論を口に乗せようとしたその時だった。

「待て、クリス」

 二人の様子を近くで見つめていたネリーから待ったがかかった。

「どうした、ネフ」

 クリスも不思議そうだ。

「私もアレンの様子を毎日見ていたから、クリスが出す結論は想像がつく。だが、先ほどクリスが言ったとおり、その判断はサラに出させたほうがいい」

「なるほど」

 クリスは少し考えて、納得したのかかすかにうなずいた。

「サラに会うのは三日後なのに、それまで待てってことなのか?」

「そうだ」

 即答するネリーに、食ってかかりそうなアレンをクンツは慌てて止めた。

「反抗できる立場だと思っているのか」

 ネリーにしては厳しい言葉が飛ぶ。

「お前が身体強化を使わずに、しっかりと鍛錬していたのは知っているし、エルム兄様からも報告は受けている。今の時点で、の前よりも身体能力は上がっているな?」

 ネリーが距離を取ったようでいて自分のことをよく見ていてくれたことに気がついたのだろう。アレンは素直に頷いた。

「上がっていると思う。エルムには、身体強化に頼りすぎて、体をうまく使えていないと教わった。体の可動域が広がっているような気がするし、こぶしの切れもいい」

「その体で身体強化を使ってみたい。そして前より強くなった自分をサラに見てほしい、そんなところだろう」

「そうだ。それが悪いか」

 きつい表情でネリーをにらむように見るアレンは、サラに意地を張っていたときと同じ顔をしている。

「はっきり言わせてもらう。どんなに体と技を鍛えようが、お前がサラより強くなることはない。怪我の前のお前も、鍛錬して強くなったお前も、サラにとっては同じだ。サラのために強くなることには何の意味もない」

 ネリーがアレンにそこまで言うのは珍しくて、クンツは驚いてしまった。

「お前は私に弟子入りするときに、サラを守ると誓ったな」

「誓った。その気持ちは今だって変わってない」

 クンツはアレンの弟子入り事情にサラがかかわっていたことを初めて知った。

「あの時から私はずっと思っている。サラより弱い奴が、どうやってサラを守るのかと」

 その言葉をそのまま受け取ると、ネリーは、アレンは当時も今も、サラのことを守れる力はないと判断しているということになる。

「アレン、お前はいったいサラを何から守りたいんだ。五年前ですらワイバーンをはじいていた少女だぞ」

「俺は!」

 アレンは両手をネリーの前に差し出すと、ぐっと握りしめた。

「サラは強いけど、中身はそうでもない。サラは普通の女の子なんだ。それなのに、サラのことを招かれ人としてしか見ずに、利用しようとする奴らがいる。サラの優しさに付け込んでどこまでもむさぼろうとする奴らがいる。俺は」

 アレンはその手を開いて、力なく体の横に落とす。

「俺は、そんな奴らが、サラを傷つけないように、そばにいて守りたかった。どんな力があっても、サラが普通の女の子でいられるようにしてあげたかった」

「今のお前に、それができているか」

「くっ」

「答えられないだろうな。今、誰よりもサラを傷つけているのは、お前なんだから」

 真実を突きつけていくネリーに、アレンはついに何も言えなくなった。

「ちゃんとやり直し、終わらせろということか、ネフ」

「そのとおりだ」

 やり直すことが今の話とどう関係があるのか、クンツは唐突な話題の変換に首をひねってしまう。

「アレン」

「うっ。はい」

 アレンは悔しさのあまり、今にも泣きだしそうに見える。本人は認めないだろうが。

「私はサラが大事だが、アレンのことも大事だ」

 自分だったら、今の一言で確実に泣いてしまうなと、クンツのほうが胸を打たれてしまっている。

「もしやり直せるなら、どこからやり直したい」

「サラに、ひどいこと言ったところから」

「じゃあ、やるべきことはなんだ」

「サラに謝って、サラと一緒に最初から一ヶ月、ちゃんと経過観察する」

 ここにきて初めて、クンツも自分の胸に残る焦燥感のわけを悟った。

 鍛錬して強くなったことは、サラの心を何も動かさない。

 あのままでアレンが謝りに行っても、きっとサラの心がほどけることはなかったに違いない。

「さすがです。ネリー」

「そうか?」

 クンツの賞賛に、ネリーの顔が素直にほころんだ。

「さすが私のネフ」

「お前のではない」

 途端に仏頂面になったネリーに苦笑がもれる。


 すぐにも身体強化を使い、できれば皆と一緒に深層の探索をしたかったに違いないアレンだが、残り三日を耐え、勇んで地上に戻ったとき、ハンターギルドの受付で聞かされたのはこれだった。

「サラ? 指名依頼で王都に行っちゃったわよ?」

「なんでだ……」

 床に崩れ落ちる人間を初めて見たと、遠い目になるクンツである。

 ギルドの受付の人が詳細を知るわけがないので、サラの動向を知るために、アレンとクンツはネリーとクリスと共にライの屋敷へ向かった。

 最深層の探索が一通り終わったことと、魔物と薬草分布についての報告を受けると、ライは満足そうに頷いた。

「一ヶ月間、よくやってくれた。この事態が落ち着いたら私も完全に引退して、セディアスの補助に回れるな。いいきっかけとなったよ」

 ニコニコととんでもないことを口にしているが、南部の総ギルド長という忙しい役職について飛び回っているセディが聞いたらどう思うかと考えると、身震いがしそうなクンツであった。

「父様はまだまだ現役でいけると思いますが、なぜそんなに引退を急ぐんですか」

 不思議そうなネリーに、ライはなんとなくそわそわとした雰囲気で答えた。

「それはほら、孫娘と自由に出かけたいだろう」

「孫娘? ああ、サラですか」

 アレンの耳がぴんと立ったような気配がする。

「指名依頼があったと言って、すぐに出かけてしまったが、私も領主でなければ一緒に王都に行って観光ができたのにと思うとな。セディのところの孫たちもいずれ独立するだろうし、あちこち行ってみたいではないか」

「そう。それですよ。いつもなら私に一言くらい相談してくれるはずなのに、今回はサラは何も言わなかったものだから、ギルドで初めて聞いて驚いてしまって」

「お、おう。そうなのか。ネフェルを待たずに一人で行くことは聞いてはいたが、話もしていないとは知らなんだわ。結婚したばかりだから気を使ったか。だがアレンはどうだ? 聞いていないのか?」

 ライも驚き、そしてうつむくアレンを見て、からかうように言った。

「アレンもか。ハハハ。ケンカでもしたか」

 落ちた沈黙にライは何かを悟ったようだ。

 ゴホンとせきばらいをする。

「サラも暗い顔をしていたのはそのせいか。まあ、心配することもあるまい。サラも成人しているのだし、王都ではウルヴァリエのタウンハウスに滞在することになっているからな」

「ウルヴァリエのタウンハウス」

 アレンはそれだけを聞き取ると、即座に立ち上がった。

「待て待て。待つんだアレン。ちゃんと話を聞こう。まだサラがどんな指名依頼で王都に行ったのかも聞いていないだろう。それにすれ違ってしまったらどうするんだ」

 アレンがすぐに謝りたいと思っている以上、サラのいる王都に向かおうとするのは目に見えていたので、クンツは慌てて止めた。

 そんなアレンをライが不思議そうに見た。

「すれ違う? アレン、いったいどうした。今までだって仕事で少しくらい離れたこともあっただろう。ハンターに、薬師にと、それぞれ仕事も違う。少女だったころのサラならともかく、今のサラにアレンの助けが必要とは思えないが」

 それがアレンにとって問題なんですよとクンツは叫びそうになる。

「俺はサラの患者だから」

 急にアレンがそう言いだした。

「サラからの許可が出ないと、身体強化が使えない。身体強化が使えないと、ハンターとして働くことができない。働けないと、生活できなくなる。だから会いに行く」

 ネリーが下を向いてぐふっとおかしな声を出すと、肩を震わせた。

「それは確かに、サラが許可を出すまで身体強化を使うなと言ったのは私だが」

 声が震えているのは、笑いをこらえているからじゃないと思いたい。アレンはそっぽを向いているから気がついていなくてよかったと、クンツは胸をなでおろす。

 黙っていたクリスが、あきれたように口を開いた。

「アレン、そのポーチはワイバーン何頭分のものだ」

「……一〇頭分です」

「借金して買ったものか」

「……いいえ」

 クリスはかすかにため息をつき、長い足を優雅に組む。

「私とネフに、さっさと家を買ったらどうですかと言ったのはどこの誰だったか」

「……俺です」

 そんなことを言っていたとは知らなかったクンツはきょうがくした。大きなお世話である。

「まだ一〇代の俺でも家くらい買えるのにと言ったのは?」

「……俺です」

 生活のために、すぐに働く必要はないだろうというクリスの皮肉であろう。

 正直に言うと、アレンと組んでいるクンツも、立派な家を買えるくらいの財産は稼いでいるから、アレンはもっとだろうというのは知っている。まして、二人とも武器にそれほど金のかからないタイプのハンターで、生活ぶりも質素である。

 だが、親しいとはいえ、目上の貴族に対してその物言いはない。

 アレンはハイドレンジアの若手では一番強い。技術では劣るかもしれないが、ベテランでさえアレンに勝てる者はほとんどいないだろう。狩りの成果は出ていて、失敗もほとんどない。

 それなのに、威張りもせず、友ながらえらい奴だなと感心していたクンツである。

 だからこそ、階層間の壁の崩落があったあの時、なぜアレンはサラのそばを離れたのだろうと、クンツはひそかに疑問に思っていた。普段のアレンなら、エルムのことが気になったとしても、サラを守るために、クンツの位置、すなわちネリーとサラの間にいたはずなのだ。

 気がつかなかった。

 クンツは大きくゆっくりと息を吐いた。そうでもしないと、アレンの胸ぐらをつかんでどうしてだと問い詰めそうだったからだ。

 おごっていたのだ、アレンは。

 だからクリスにも生意気なことを言えた。

 そしてあの時も驕っていた。

 自分ならサラを守れると。

 怪我をしてもなお、それに気がつきも反省もせず、今も驕っている。

 そして会いさえすればサラに許してもらえると信じているから、愚かなことが言えるのだ。

 クンツの一度おさまった焦燥感が、また胸の中でくすぶり始める。

 だが、ネリーもクリスも、別に腹を立てているとかではなく、少しばかりあきれ、微笑ほほえましく思っていただけで、会いに行くことを許そうとしている。

「どうしても会いに行きたいという気持ちは理解した。が、私もクリスも、そしてクンツもこちらでの仕事がある。一人でなんとかするんだな」

 このくらいゆるく突き放せば、あとはアレンが行動し、サラが許すだけだ。

 まるで問題が解決したかのような和やかな雰囲気に、クンツは焦りを覚える。

 このままアレンが王都に行っても、二人は元どおりにはならないという、嫌な予感がした。

「なあ、アレン」

 ゆるんだ雰囲気に一石を投じることに、クンツはほんの少しだけ罪悪感を覚える。

「王都に行って、謝ってもサラが許してくれなかったらどうするんだ?」

「え?」

 ほら、許してくれないとはかけらも思っていないんだと、クンツは指摘したくなる。

「サラのことだから、もういいんだよ、自分もしつこくしてごめんって、きっと言ってくれるだろう」

 そんなサラが目に浮かぶようだ。

「けど、口でそう言ったからって、心が納得するかは別だろ。アレンのことを見るたびに、冷たくされて傷ついたことを思い出してしまうかもしれない。それなら、いっそのことアレンのことが目に入らないように、距離をとろうと思うかもしれないじゃないか」

「なんでそんなことを言うんだよ」

 アレンは悔しそうだ。

「だったら、どうしたらいい? 王都まで行かずに、ハイドレンジアで待っていたら、それこそ俺のことはどうでもよくなってしまう気がするんだ」

「それはそうだろうな」

「なら!」

 アレンは当事者だから面倒だろうが、クンツだって、こんな面倒くさいことを自分が考えなきゃいけないことが嫌になる。

「俺はね、こう思うんだ」

 クンツは、自分が気になっていたことを最初から話すことにした。

「命にかかわる怪我をしたから、アレンのことを被害者だとみんな思ってた。だから誰も気にしていなかったかもしれないけど、最初から問題があったと思う」

「なんのことだ?」

 アレンがぽかんとするが、クンツは話を続ける。

「お前、エルムに興味がありすぎて、サラを守ることを忘れてたろ」

 アレンの口が違うという形に動いたが、声は出なかった。

「アレンがサラのそばにいないから、俺がアレンとサラの間に立ってた。なにかあったときに、すぐにサラのところに駆けつけられるようにって。あの時、サラとアレンの位置が逆だったらどうだった?」

 どうだったと聞いた後で、そういえばサラはバリアを張っているからまったく問題がなかったかもしれないと思うクンツである。

「アレンが見ていなかったせいで、サラがガーゴイルの下敷きになったこともありえたんだぞ。下敷きになったとしてもサラには問題なかっただろうがな」

 そしてそのことを素直に口に出した。

「結局、アレンがいようといまいとサラには何の問題もないのに、一人で守るとか守らないとか騒いだ挙句、意固地になってサラを傷つけて、それなのにまた勝手にサラに付きまとおうとしてる、やばい奴なんじゃないのか、お前」

 言いすぎた。言いすぎだとわかってはいても、もうクンツは止まれなかった。

「今のままの甘えたお前が王都に行っても、サラに迷惑をかけるだけだと思う。俺が言えるのは、なんでサラに許してもらいたいかちゃんと考えてから行けよってことだけ」

 落ちた沈黙が痛い。

「じゃあ、俺は先に下宿に帰ります」

 クンツは誰の返事も聞かずに、ライの屋敷から大急ぎで退出し、建物から出た途端、頭を抱えてしゃがみこんだ。

「俺だけはアレンの味方でいようって決めてたのに。最大の刺客になってどうするよ。とどめを刺しちゃってないか、俺。特級ポーションみたいだな。ハハハ」

 せっかく一ヶ月アレンに付き合って支えようとしていたのに、自分でぶち壊しにしてしまった。

「あああ、俺のせいで二人が永遠に仲たがいしてしまったらどうする?」

「それは絶対にないよ」

 背後から響いた声に、クンツは飛び上がった。

「アレン」

「ごめん」

 アレンが素直に頭を下げている。

「なんだよ。謝るのは俺にじゃないだろ」

「いいや。まずクンツにだ。本当にごめん。それに」

 アレンは顔を上げてちょっと泣きそうな顔をした。

「ありがとう。いつも、いや、はじめからだ」

「なんだよ」

 鼻の奥がつんとするから、クンツは上を向くしかない。

 アレンはクンツの隣にすとんと腰を下ろした。

「俺、気がついていなかった。いつからこんなにごうまんで嫌な奴になっていたんだろう」

「ハンターなんて、俺様なくらいがちょうどいいんだ。お前が嫌な奴だなんてこれっぽっちも思ってないよ、俺は。クリスだってネリーだってそうだろ。でもさ」

「うん」

 その先をどう説明したらいいだろうかとクンツは言いよどんだ。

「サラにとっては、違うよな」

「うん」

 なんだか大切なことは言い切った気がして、クンツも、アレンの隣に腰を下ろす。

 アレンが空を見上げているので、クンツもなんとなく空を見上げる。

「俺はもっと強くなっていい。でも、それは自分のためであって、サラのためだっていうのはおかしいんだ」

「ああ」

「俺はただ、サラを大事にしたいっていう気持ちだけ、忘れなければいい」

「たぶんな」

 なんで急に素直になったのかとかはもうどうでもいいとクンツは思えた。

 驕っていた自分にちゃんと向き合えたなら、それでいい。

「俺、王都に行く。行ってサラに謝ってくる」

「当然だ。今回は全部お前が悪いんだからな」

「うん」

 まるでこの一ヶ月間の、意固地なアレンがどこかに消えてしまったような素直な返事だった。

 ウルヴァリエの馬車を出すというライの申し出を断って、次の日には王都に行く定期便に乗ると決めたアレンは、その日のうちに動き回って、いろいろなことをさっさと決めてしまった。

「なんでエルムも一緒なんですか」

「深層は魔の山と同じだった。飽きた」

 なぜかエルムも王都へ向かうという。ライの屋敷でアレンの話に参加していなかったから、まったく興味がないのかと思っていた。

「それに、弟子の面倒を見終わっていない」

「いつの間に弟子に!」

 深層で毎日アレンの組み手の相手をしていたと思ったら、クンツの知らない間に弟子認定されていたらしい。アレンは意外とちゃっかりしているのだ。

「王都のつてを頼ろうと思っている。父もアレンに剣を学ばせようとしたようだが、その前の体を動かす段階から学び直させたい。紹介状ももらってきた。ネフェルにしろ私にしろ、アレンのにしろ、アレンの師は誰も教えるのは得意ではないようだからな」

 ハンターになるのに、ハンターの先輩を頼ったりすることはあっても、ハンターを育てる人がいるというのは聞いたことがないとクンツは思う。だからこそ、クンツの魔法も、先輩の魔法を見せてもらったりしての試行錯誤でやっているし、アレンが叔父に学んだのだとしたら、それはそれで正しいやり方だ。

「身体強化前の基礎を教えるところなんてあるんですね。俺、王都にいたけど、知りませんでした」

「ある。教わっている生徒は一二歳から一六歳くらいだが、それより上だからといって断られることもないだろう。同世代と学ぶことも必要だろうと思う」

「なるほど。ということは、行き帰りだけでも結構時間がかかるし、アレンはしばらく王都に行ったきりになるんだなあ」

 その間、クンツはどんなふうに狩りをしようかと頭を巡らせた。

 せっかくだから、サラと考えた盾の魔法を実戦で使ってみたい。

 ダンジョンの一階から慎重に潜っていくか、臨時でパーティを組むかなどと考えていたら、エルムがクンツのことをじっと見ていてドギマギする。

「なんですか?」

「紹介状は二人分だぞ」

「はあ?」

「準備はいいのか?」

「はああ? 俺、行くって言ってないんですけど? というか、誘われてもいないんですけど?」

 そういえば、アレンにはさんざん振り回されてきたような気がすると、クンツは遠い目をせざるを得なかった。

「意固地が消えてわがままが出てきたと。そういうことかな。ハハハ」

 アレンのことは心配ではあったものの、今回の件は一人で行ったほうがいいだろうと思い、少し寂しいが快く送り出してやろうと思っていたのだ。

「クンツ! 準備できたか? 見習い騎士と一緒に訓練するなんて、前の俺たちなら考えられなかったよな」

 アレンが、当然クンツも一緒だと考えていたとは想像もしていなかった。

 ましてや、身体強化前の基礎を教わるのが、騎士見習いたちだとは思いもしなかった。

「何もかも聞いてないぞ! 俺、初めてサラの気持ちがわかったかも」

 巻き込まれるというのはなかなか大変なことである。