サラはおやつをカートにのせて、アレンの部屋をノックした。

 貴族令嬢ならそんな使用人のような真似をしたら眉をひそめられるだろうが、サラは貴族に後見されている招かれ人だからこそ、何をしても許される。

 アレンの看病をするというサラを尊重してくれてはいるが、お屋敷の人たちは本当はそんなことはさせたくないという空気をかもし出しているので、自分に言い訳をしながらおやつを運んでいる。

「アレン、おやつだよー」

「おやつかあ。ダンジョンではおやつなんて食べないからなあ」

 おやつという言葉に浮かれないアレンにサラは驚きを隠せない。

「え、お腹すかない?」

 サラがアレンたちと行動するときは、サラが食べたいからおやつを出しているので、普段は食べていないとは知らなかった。

「お腹すいたらパンとか干し肉とか食べる」

「ハンターっぽいね」

 おやつでは成長期の腹は満たせないのだろう。

 楽しそうにサラの給仕を眺めているアレンは、だいぶ元気を取り戻しているようだが、少しゆううつそうでもある。

「まだ具合悪い?」

「もう悪くない。ただ、正直言って、昼間っから寝転がっているのは性に合わなくてさ」

 三日前にひんだった人とは思えない発言である。

 カレンに、ハンターが回復期に無理をすることについて聞かされていてよかったと思った瞬間だ。

「昨日話したことちゃんと覚えてる?」

「うん。無理をすると生命力が回復しなくて、弱いまま実力が固まる」

 シンプルに言うとそのとおりである。

「明日から私も薬師ギルドに戻るから、アレンが一人でいて無理しないか心配なんだけど」

「子どもじゃないんだから、言いつけは守る。自分のためだしな」

 とはいえ、目が覚めて二日目で退屈しているようでは、この先は大変だろうと思う。

 ただ、クリスからもカレンからも、無理はさせるなとは言われているが、寝たままでいろとは言われていない。確か日本にいたころ、親戚が手術をしたときや、友だちの出産のお祝いに行ったときも、もっと安静にしているのかと思ったらすぐに歩かされたとぶつぶつ言っていたような記憶がある。

 ただ心配して看病するだけではなく、どう回復させるのかきちんと計画を立てるべきではないのか。

 してはいけないこととは具体的には何なのか、サラはちゃんと調べてみることにした。

 といっても、聞く相手はカレンかクリスしかいない。

 おやつを食べてすぐに、サラは薬師ギルドに向かった。

 クリスとネリーはいちおうの療養中なのだから、カレンに聞くほうがいいと判断したからだ。もっとも、休みを取った日に職場に行くなど、日本では考えられなかった自由さだなとサラは楽しい気持ちで薬師ギルドのドアを開けた。

「こんにちは! サラです。カレンいますか?」

「サラ! 大丈夫なの?」

 お疲れ休みだと知っていても心配してくれる同僚たちは、サラの予想したとおりに口々に特薬草のお礼を言ってくれ、特級ポーションの話で盛り上がった。

 そのうち一人がサラの言葉を思い出し、慌ててカレンを呼びに行ってくれた。

「あら。今日はお休みだと思っていたけど、仕事する?」

「いえ」

 すぐに断ってしまうくらいにはちゃんと休暇を満喫しているサラである。

「今日は特級ポーションを使ったときの回復期について、詳しく聞かせてもらいたくて来ました」

「回復期? 無理せず日常生活を送るって話したわよね」

「はい」

 サラはうなずいて、詳しく説明を始めた。

「普通の人ならそれでいいんでしょうけど、ハンターや騎士など、体を使う仕事の人は、どこからが無理なのか具体的に知りたいんです」

「なるほど」

「私のいたところでは、休んでいるばかりじゃなくてできるだけ早く普通の生活に戻るよう、歩いたり機能を戻す訓練をしていたりしたんです。ですから、無理できない一ヶ月、ハンターとしての力をできるだけ落とさずに過ごすにはどうしたらいいかなと」

「アレンのためね」

 カレンの言葉にちょっと生温かい空気が漂ったが、サラは照れたりしない。

「それもですが、アレンやネリーみたいな深層に行くハンターが身近にいるんだから、この先も特級ポーションを使うことがあるかもしれないって思って。その時に、できれば迷いなく使いたいし、使ったらちゃんと、回復できるよう見守りたいんです」

 まずサラが取り組もうと思ったのはこれである。

 アレンも、段階的にリハビリをして力を戻せるなら、きっと無理せず過ごしてくれる。

「剣を振ったり、筋肉を鍛えたりするのはいいのか、身体強化はどこまでならいいのか」

「うーん、そこまでは私もわからないわ」

 カレンも詳しくは知らないようだ。

「経験者に聞くのが一番なんだけれど、それこそハイドレンジアにそんな経験のある人がいたかしら」

 たいていのハンターは、一つのダンジョンにとどまらず移動する。ましてや薬師ではハンターの顔や経歴などいちいち覚えていなくて当然だ。

 サラは素直に立ち上がった。

「それじゃあ、直接ハンターギルドに行って、ギルド長に聞いてみます。でも忙しそうだったら日を改めることにします」

「ハンターギルドでは、サラのほうが知り合いが多いものね。何かわかったら私にも教えてくれるかしら」

「もちろんです」

 そろそろダンジョン帰りのハンターで混み合う時間だし、そもそも深層に穴という衝撃的な事件があったから忙しくて迷惑かもしれないとも思うが、そう思うなら断ってくれるだろう。サラは今度はハンターギルドに急いだ。

 サラの予想どおり、ハンターギルドはダンジョン帰りのハンターたちでにぎわい始めていたが、サラに気づいた知り合いが、アレンやネリーの無事を確かめに声をかけてくれたりと、特にいつもと変わらない雰囲気であった。

 サラは空いている受付に向かう。

「あの、ギルド長はいらっしゃいますか」

「あら、ネリーはどんな感じ? 大丈夫かしら」

 このようにいつもどおりである。

「元気ですけど、クリスが念のためと言ってのんびりさせてます」

「あらまあ、目に見えるようだわ」

 受付の女性はくすくすと笑うと、席を立ってサラを誘ってくれた。

「ネリーとクリスが出てこないとどうしようもないから、ちょうどいま暇を持て余していると思うわ。話し相手になってあげて」

 ネリーが騎士時代に同僚だったザッカリーが現ギルド長なのだが、ハイドレンジアは、そもそも王都からの代理の人がギルド長をやっていても、ほぼ不在でごまかせるくらい仕事のないギルドだったらしい。いまだにそんなに面倒なことは起こらないので、私が副ギルド長でも大丈夫なのだとはネリーの言葉である。

 サラから言わせると、魔物は大量発生するわ、珍しい草が発見されるわ、タイリクリクガメが出てきちゃうわで面倒極まりないハンターギルドのような気がするので、その長であるザッカリーのことは素直に尊敬している。

 ちなみに、優秀ではあるが個性的なネリーとクリスを抱えても、滞りなく運営しているところもすごいと思っているのは内緒である。

「ザッカリー。サラが顔を出してくれたわよ」

「通してくれ! アレンは? ネフェルタリはどんな様子だ?」

 受付の女性がノックしてドアを開けたとき、ザッカリーはといえば椅子に寄りかかってぼんやりと天井を眺めていたが、サラが顔を出したと聞いて跳ねるように立ち上がったのは、よほどやることがなかったからに違いない。

「ネリーは全然大丈夫ですが、アレンはまだ安静にさせてます」

「そうか……」

 ネリーは明日来るとわかっているからか、真っ先にアレンのことを聞いてくれたのがなんだかうれしい。

「まあ、座れ」

 サラはまだ用事が何かも言っていないが、話を聞いてくれる時間はあるようだ。

「サラが一人で来るなんてめずらしいな。とりあえず、深層からハンターたちを連れ帰ってくれたことに感謝する」

「いいえ。一応私もハンターですから」

 サラは収納ポーチからごそごそとハンターのカードを出して見せた。サラの最初の身分証だが、こうして誰かに見せたのは久しぶりのような気がする。

「そういえばそうだったな。いつかアレンとクンツと組んでくれたら最強のパーティになるんじゃないかと思っていたのを忘れていたよ。あれはニジイロアゲハの時だったか」

 アレンもその気持ちを諦めずにいたことをサラも知っている。

「だが、薬師としてこれだけ優秀に育ってしまっては、ハンターとして引き抜くわけにはいくまい。まさか特級ポーションをその場で作って使うとはな」

 優秀な薬師と言われて嬉しくないわけがない。だがザッカリーは不愉快そうに眉根を寄せた。

「特級ポーションを飲んだ後のだるさはなんとも言えないものだ。しかも、自分は治っているつもりなのに薬師は動くなとうるさいしな。ああ、すまん」

 サラはあっけにとられ、それから前のめりになる。

「それ、それを聞きたかったんです」

「それ? 特級ポーションについてか?」

「はい」

 そこからサラは、アレンの今後のためにどうリハビリをすればいいのか悩んでいる話をした。

「生命力が戻らないってどういうことなのか、特級ポーションを飲んだ人の話を聞いてみたくて」

「それならば。よし。少し待っていてくれ」

 ザッカリーは立ち上がると、どたどたとギルド長室を出ていってしまう。

「え? もしかして他にも特級ポーションを飲んだ人がいるの?」

 戸惑っているところに戻ってきたザッカリーは、三人のハンターを連れていた。サラも顔だけは知っている、ベテランのハンターたちだ。

「よう、ガーディニア以来だな」

 中には去年の遠征で一緒だった人もいる。

「それで、特級ポーションの使用感について知りたいんだって?」

「はい。回復期に何をしたらいいんだろうって。カレンやクリスの言う、日常生活を普通に送って無理をしないっていうのがとてもわかりにくくて」

「なるほどなあ」

 三人はザッカリーと同世代で、やはり騎士隊にいて渡り竜の討伐で怪我をした人もいたし、ローザのダンジョンで怪我をしたという人もいた。ハンターにもいろいろな経歴があるものだと感心する。

 その中で、騎士隊にいたという人が手を挙げてくれた。

「俺の経験がいいかもしれないな。無理して限界値が下がり、それに耐えられなくなって騎士隊を辞めた口だからな」

 それはおそらくだいぶ前のことで、だからこそもう消化できているのだろうが、それでも苦い表情をしていた。

「特級ポーションを使っても、外側から見ると何の問題もないように見えるだろう?」

「はい。アレンも疲れている他は特に具合の悪い様子はありません」

 サラはアレンの様子を頭に思い浮かべる。

 倒れていたときは心配だったが、目を覚ましてしまえばいつものアレンと何も変わらない。

「実は本人はなんとなくのだるさを抱えているんだが、動けないほどではないし、なんならすぐに剣も振れる。そんなの、今まで努力で力をつけてきた俺たちにとっては、早く鍛錬して力をつけ直したいと思うに決まっているだろ」

 サラは深く頷いた。努力して力をつけてきた人たちだからこそ、頑張ろうとするのだ。

「まして、元気なのにさぼっていると思われる。いくら薬師に言われても、自分でさえ理解しがたいんだから、周り全員に理解してもらうことなどできない。騎士隊のように昇進がかかっていればなおさらな」

「ハンターもそうだ。力は稼ぎに直結する。飢えたくないなら狩りをするしかない」

 サラはローザで、稼げずにすさむ若手のハンターを実際に見たことがあるから、ハンター側の話も理解できる。

「騎士隊の場合は組織への周知、ハンターの場合は生活の保証ってことですよね……。これは課題ということで、あとでまとめてみます」

「話がずれたが、そういう焦った気持ちで、薬師に言われていた時期より早くに訓練を再開してしまったんだよ。もちろん、基礎的な訓練からだ。そしてそれは問題なかったと思うんだ」

 当時を思い出すように、ゆっくりと語ってくれる。

「アレンも意識を失ったんだろ。ただ、そんなふうに何日か休んだ分の体力の遅れは、すぐに取り戻せた。だが、俺たちは騎士だ。基礎訓練だけではなく、身体強化も使う。そこからだ、なんだかおかしいと思ったのは」

 アレンも身体強化型のハンターだ。この話は真剣に聞かなければならない。サラは少し身を乗り出した。

「騎士の身体強化には、細かい調整が必要だ。自分の体に加えて剣を扱うから、剣を持った状況で最適な力が発揮できるようにならなければならない。もちろん、ネフェルタリのように力ですべてを解決できれば別だが」

 思わず苦笑する元騎士の人である。

「その身体強化だが、力が抜ける感じがしたんだ」

 当時のことを思い出しているのか、手のひらを上に向けて握ったり開いたりしている。

「身体強化をして力を上げるとして、八割、いや七割五分くらいか」

 よほど違和感があったのだろう。

おけに穴が開いているような、嫌な感じだ。焦って訓練すれば抜ける感じはなくなっていくが、結果としてそのまま、七割五分程度の力でとどまってしまった。その後、やさぐれてハンターちしたんだ」

 ハンター堕ちというのはよくない言葉なのだろう。隣に座っているハンターに謝るようなしぐさをしながら語ってくれた。ネリーのことを頭に思い浮かべてみると、今の七割五分の力であっても、強いのには変わりない。だが、前と同じ力で同じ魔物が倒せないというのは、そもそも危険なのではないか。

「俺は前と同じ力を取り戻せた口だな」

 サラが考え込んでいると、もう一人のハンターが体験を話してくれた。

「俺はそもそも堅実な性質で」

 この三人は仲がよいのか、からかう声が飛び交ったが、どうやら堅実なのは本当らしい。

「中堅のハンターで結構実力もあったが、金もめていたし、そもそも無茶はしなかった。ダンジョンの同じ階で無茶しやがった奴に魔物を押しつけられて死にそうになっていたところを、たまたま近くにいたザッカリーに助けられてな」

「あの怪我でよく生き残ったよな、お前」

「その俺に特級ポーションを使ったのがお前だろうが」

 そういえば、ハイドレンジアのダンジョンにはザッカリーを慕うハンターがたくさんいるんだったと、サラは最初の頃のうわさを思い出す。面倒見がよいから、ギルド長を引き受けたということなのだろう。

「ザッカリーに一ヶ月休めと言われて、金もあることだしってこれ幸いと一ヶ月休んだ。休んだから体はなまっていたが、慣れてきたら元に戻ってたぞ」

「ちゃんと休めば戻るんですね」

 サラは元の力を取り戻した人の話も貴重だと感じた。

 最後の人はどうなのだろうか。サラが視線を向けると、その人は意外な話を聞かせてくれた。

「俺も焦って仕事を再開して、力が落ちた。最初は特級ポーションを使われたことに恨みもしたが、もともと高みを目指してたわけじゃない。こうしてハンターを続けられているから、今は感謝してるぜ」

 そう思うまでに時間がかかったことが伝わる言い方だった。

「なんでかっていうと、ハンターを続けられなかった奴を知ってるからなんだ」

 ザッカリーも含め、ここにいる四人の他にも特級ポーションを使った人がいる。

「魔法師だった。俺たちほど身体能力に頼らない分、体はすぐに戻る。魔法なら無茶はしたくてもできないだろって言って、早くに仕事に戻り、そして強い魔法を出せなくなって、引退した」

「魔法を出せなくなった……」

「正確には、前ほど強い魔法は使えなくなったってことさ」

 魔法は便利なもので、サラが作った壁のように、日常生活に役立つものが作れる職人ならいくらでも需要はある。だが、魔物を倒すほどの魔法を使える魔法師はあまり多くない。ハンターは身体強化中心の者が多いのだ。

「つまり、体は戻っても、無茶をすると身体強化や魔法は使えなくなるってこと、は」

 サラは、頭の中で聞いた話を整理してみる。

「要は、魔力を使ったらだめっていうことなんでしょうか」

 サラがポツリとつぶやくと、部屋には沈黙が落ちた。

 サラがいぶかしげに顔を上げると、皆驚いたような表情だ。

「えっと」

「ああ……。身体強化は、魔力を使うんだったな」

「魔力か。久しぶりに聞いたな」

 驚くのはサラのほうだ。

「身体強化を使える奴は自然に使い始めるからな。訓練の時は意識するが、それも魔力じゃなくてつまり、体の中の力だから。いや、それが魔力なんだが」

 ザッカリーがなんとか説明しようとしてくれる。

「魔法師でもなければ、いちいち体の中の力を魔力だなんて意識しないってことだな」

「そうなんですね」

 魔力のある世界では、魔力は当たり前すぎて意識されにくい。特に身体強化型は、単に身体能力の高さと認識されるだけということだ。

「じゃあ、体は普通に動かしてもいいから、一ヶ月は魔力を使う訓練はしない。つまり、身体強化と魔法は使わない。これだけでいいんじゃないでしょうか」

「そんな簡単な……」

 元騎士という人が笑い飛ばそうとして、笑みを止めた。もしかしてそんな簡単なことだったのなら、自分の苦労は何だったんだろうかということになる。それは笑えない。

「生命力って、魔力のことなんでしょうか」

 サラのつぶやきに応えはなかった。それが正解かどうかなんて、その場の誰にもわからなかったからだ。

 サラはぼんやりと考え込みそうになって、慌てて顔を上げる。

「あの、ありがとうございます。この話、持ち帰ってカレンやクリスと相談してみていいでしょうか」

「もちろんだ」

 四人とも快く承諾してくれたが、サラが挨拶して帰ろうとすると、ザッカリーに引き留められた。

「サラ。俺からも話があるんだ」

「じゃあ、俺たちはこれで」

 逆に残りの三人が先に帰ることになった。

 サラは改めてザッカリーと向かい合って座った。

「サラは今回も含めて、ハイドレンジアどころかトリルガイア全体を何度も救ってくれたな」

「いやいやいや、そんなたいそうなことはしてませんよ」

 いきなり褒められてサラは焦ってしまう。

「だけど普通に薬師としての生活を送りたい、そうだよな?」

「はい」

 サラは素直に頷いた。

「だからこそ、サラを招かれ人として扱わない、無理は言わない、基本的には依頼も出さない。それが暗黙の了解、というか奴らの圧力というか」

 ザッカリーが苦笑しながらハンターギルドの基本方針を示してくれる。

 奴らとは言わずもがなであろう。

 というか、取扱説明書みたいだなとサラは微妙な気持ちである。

「だから今回もサラには何も依頼していないが、本音ではちょっと手伝ってほしいんだ。せっかくギルドに来て直接話すことができたしな」

 確かに、今まではハンターギルドに来てもザッカリーと直接話す機会はほとんどなかった。今回、よくお願いに来られたものだと自分でもその勇気に感心するくらいである。

「とりあえず、どんなお手伝いでしょう」

「開いた穴のところまで、先遣隊を連れていってほしいんだ。もちろん、行ける実力を持った者が行くんだが、なにしろガーゴイルが多すぎる」

「なるほど」

 なんとなく予想していたとおりだった。サラのバリアの力を考えれば、その方法が一番効率がいい。

「最深層でガーゴイルを倒す組と、穴の奥を探索する組と、二つに分けて進めたいんだ」

「探索組のほうが希望者が多そうですよね」

「そんなことはない。ハンターは意外と慎重派が多い。サラの周りに好戦的な奴が多いだけだ」

 サラ自身は、穴の先に何があるのかは正直まったく興味がない。

 ただ、自分の力を生かした仕事であることは好ましいと思う。

 虫型の魔物のことはいいのかというと、よくはないが見なければいいというスタンスで気持ちは固まっている。

 薬師の仕事はといえば、融通は利くし、ハンターギルドからの依頼なら、そっちに行っていいと言われるはずだ。

 アレンの様子が見られないのが気にはかかるが、お屋敷には人はたくさんいる。

「帰りにカレンに聞いてみますが、許可が出たら、明日ネリーと一緒にここに来ます」

「そうか、助かる」

 まだ確実ではないからほっとされても困るなあと思うサラだが、そんなサラをザッカリーは親戚のさんのような顔で見ている気がする。

「少し前なら、カレンだけでなく、ネリーが許してくれたら行くって答えていたんじゃないか。保護者の許可をもらわなくても、自分で仕事を決められるようになったんだな、サラも」

 そう言われて初めて、サラもそのことに気がついた。

「あ、ほんとだ」

「ハハハ、いい返事を待っている」

 笑顔のザッカリーに見送られたサラは、薬師ギルドに寄った。だいぶ遅い時間になっていたので、残っていたカレンも帰ろうとしているところだったが、聞いた話を共有し、明日からの許可を簡単に得ることができた。

「サラは薬師ギルドの遊撃隊みたいな存在ね」

 自分は薬師としてあまり価値がないから自由にさせられているのではないかと思っていた時期もあったが、今は違う。カレンのそんなからかいも素直に受け止めることができる。

「以前、出張薬師ギルドをしてますしね」

 ギルドから出てきたサラの顔には笑みが浮かんでいた。

「三日前まではショックで泣いていたのに、いつの間にか元気になってた」

 アレンが回復するまでは気が抜けないが、明日からも頑張ろうとサラはライのお屋敷まで足を急がせた。

 だいぶ遅い時間になっていたからか、アレンの夕食と食後のポーションはクリスが担当してくれていたので、サラは挨拶だけになってしまったが、

「クリスに、明日から起きていいって言われた。狩りは一ヶ月駄目だけど、日常生活は問題ないって」

 と大喜びだったのでよしとする。

 サラも急いで食事を済ませると、先に食事を済ませてくつろいでいるウルヴァリエの家族と合流した。クリスとネリーが自室に引っ込んでいることも覚悟していたが、ライとエルムと共にくつろいでいて、ほっとすると同時にそれでいいのかとも思ってしまう。ところが、クリスはサラを見た途端少し困った顔をする。

「サラ、すまなかったな」

 いきなりクリスに謝られて、サラは驚きを隠せない。無茶振りをしてもサラが困っても当然という顔をして謝罪一つしたことのないクリスが謝るなんて、なにか大きな問題でも起きたのだろうか。

「アレンの経過については、すべてサラにやらせるつもりだったが、アレンがあまりにもじっとしているのが退屈だと言うのでな。調子も問題ないようだし、私が動く許可を出してしまったのだよ」

「ああ。大丈夫です。アレンがよくなるのならば誰が見ても問題ないと思うし、というかクリスに見てもらってありがたがらない人のほうが珍しいですよね」

 そう返したものの、サラの驚きは、クリスがサラの気持ちを推し量ろうとしたことそのものにある。

「だが、薬師ならきちんと責任を持ちたいものだし、成果も出したいだろうからな」

「ええと」

 サラはようやっと気がついた。気を使う、使わないの問題ではない。クリスが変わったということでもなく、サラがクリスに認められる薬師に変わったということなのだ。

「卒業試験って、本当だったんだ」

 本当にそれなのかわからないけれど、特級ポーションをめぐるあれやこれやで、サラは成長したと認められたのだろう。

 じわじわと嬉しさがこみあげてくるが、サラは気を引き締めた。

「大丈夫です。それより、この先のアレンについて、どうしたらいいか相談があるんです」

「ほう」

 サラからの相談は珍しいので、クリスは興味深そうに身を乗り出した。

 そこでサラは、今日ハンターギルドに行って、特級ポーションを飲んだ人の経験談を聞いてきたことと、その内容を話し始めた。

「一番印象に残ったのは、何もしなかった人が一番ちゃんと回復したということでした」

 自分のことを堅実で慎重だと言っていたハンターの話だ。

「でも、思ったより話を聞けたけれど、それでも四人だし、その中で元に戻った人はといえばたった一人です。もっとたくさんの人に聞いてみないとわからないけれど、でも、一ヶ月の療養期間に、身体強化と魔法を使わないようにすることが大事だと思うんです」

「なるほどな」

「だからといって、普通に訓練を再開していいよって、アレンに言ってもいいものかどうか。もしこれが間違っていて、そもそも剣を振ったり筋力を鍛えたりすることで力が落ちてしまったらどうしようかと悩んでいるんです」

「ふむ」

 クリスはサラの話を聞くには聞いてくれたが、共感はしていないようだ。むしろ何を悩んでいるのかという顔をしている。

「アレンに決めさせればよい」

「ええ……」

 そんなことをしたら、絶対鍛錬すると言うに決まっている。

「それで力が落ちたとして、サラのせいにする奴か?」

「そんなことはないと思います」

 アレンは素直で前向きな少年だ。

「アレンも子どもではない。瀕死になってしまったのも自分のせいだし、特級ポーションからどう回復するかも自分の責任だ。方針を決めるのは大事だが、母鳥のように世話をするのは薬師の役割ではないぞ」

「それは、そうかもしれません」

 クリスの言葉は思ったよりしんらつで、心配しすぎかもしれないと自分でも気になっていた痛いところを突かれたというのが正直な気持ちだ。

 ただ、サラにも反発心はある。

 アレンはサラにとって単なる患者ではない。ローザでクリスは何もしてくれなかったが、アレンはサラを支えてくれた。

 あの時助けてくれなかった人に、アレンのことをとやかく言われたくないという謎の気持ちが湧き上がり、サラをいらたせた。そんな過去は、薬師の在り方についても、アレンの治療方針についても何の関係もないとわかってはいても。

 だがサラはそんな苛立ちをぐっと抑える。

「アレンに話してみます」

 それが大事なことだ。

「ところで、明日のことなんだけど」

 サラはネリーのほうに向きなおった。

「どうした?」

 静かにクリスとのやり取りを聞いていたネリーが、げんそうにサラのほうを見る。

「ザッカリーに、深層での探索に参加するよう頼まれたの。といっても危険なものじゃなくて」

 なぜ言い訳しているのか自分でもわからないが、サラは危険のないことを強調する。

「ガーゴイルがいっぱいいる最深層で、バリアを使って安全にハンターを移動させるお仕事なんだけど」

「ほう。それで、やるのか?」

 やるのかと聞き返したネリーの目が輝いていたので、サラがダンジョンに入るのが嬉しいんだということが丸わかりである。

「やろうと思うの。カレンに許可はもらってきたし」

「では、明日は一緒に出勤だな」

 あれこれ言わずに、サラのやることを尊重してくれるネリーにほっとする。

「明日は二手に分かれるということは聞いたか?」

 こちらもニコニコと話を聞いていたライである。

「はい。ガーゴイルの数を減らす組と、穴の先を確かめる組と」

 サラの答えに、ライは満足そうである。

「私とエルム、そしてクリスとサラとで探索組だな」

 自分の収める領地のダンジョンに新しい階層ができるかもと聞いて、ライは我慢できなかったらしい。代わりにセディを地上に残すそうだ。

「兄様は総ギルド長なのに、父様のわがままのせいで地上組だ」

 ネリーがライをからかっているが、それならばエルムはどうなのだろう。

「俺は第一発見者なのに、探索をせずに怪我人を運んだんだぞ。真っ先に参加する権利があるはずだ」

 サラの視線に気づいたのか、エルムが言い訳がましく口にした。兄に譲る気はないらしい。

「まあ、ウルヴァリエを全滅させるわけにもいなないから、誰かが残らないとな」

 これは武家のジョークだろうか。ライの冗談に笑えなかったのはサラだけである。

「あれ、ネリーはどうするの?」

 ライの言う探索組にはネリーがいなかったことに気づく。

「私はガーゴイル組だ。先がどうなっているのかも気になるが、このあいだ確保できなかったガーゴイルの肉を確保するほうが大事だ。サラ、たくさん狩ってくるからな」

 そう語るネリーの顔は肉への期待でキラキラと輝いている。

「まあ、ネフならガーゴイル程度は大丈夫だろう。私も先のほうが気になるから探索組だ」

 聞いてもいないのにクリスまで主張する。

「あれ、私は別に探索組とかじゃなくて、皆さんを穴のところまで安全に運ぶだけのお仕事ですよ」

 探索組に交ぜないでほしいと思うサラには、にこやかな顔が向けられるだけだった。

 団らんから自分の部屋に戻ってきたサラは、すぐに休む気にはなれず、机に向かって紙とペンを取り出す。

「お休みのはずなのに、なんだかいろいろやった日だった」

 アレンが回復したのが嬉しかったけれど、安心したら、心にふたをして隠していた不安や反省が飛び出てしまって、衝動的に行動を起こしてしまった。

「やるべきことが多すぎるから、流されないように、ちゃんと整理しておこう」

 サラはメモ用紙に向き合った。

「まず一番は、アレンのリハビリ計画。これは今日中にまとめたい」

 一つずつリストに上げていく。

「それから今日聞いた話のレポート。カレンやクリスには話したけれど、忘れないうちにちゃんと文字にしておきたいでしょ」

 特級ポーションを飲んだ人の経験談を聞けたのは大きかったけれど、四人分だけでは足りないとも思う。

「これは今回の件が落ち着いてから、もっと経験談を集めたいな。ほかにも飲んだ人がいないか、ハンターギルドで聞いてみるとして、ハイドレンジアだけでは少ないと思うから」

 声に出しながら、頭の中を整理していく。

「危険なダンジョンがあるのは、ローザと王都。王都は渡り竜の関係で、経験者が多い可能性があるから要チェック」

 誰かに聞ければいいのだがと考えて、サラははっと気がついた。

「ノエル! ノエルに相談してみよう!」

 ノエルは年下だがサラよりよほど優秀だ。特薬草をお土産にして、特級ポーションの使用後について一緒に研究しようと言えば、興味を持ってくれるのではないか。

「王都についてはノエルに手紙、と。あとローザだとテッド……。うーん、これはちょっと後回しにしよう」

 テッドとは和解したといっても、まだ手紙を書くほど仲良くはない。

「でも、特級ポーションを作って、クリスに卒業試験には合格だって言われたって自慢したら、きっと悔しがると思うな。よし、これも落ち着いたらやろう」

 嫌がらせになるかもしれないが、それもまた楽しいと思いニヤニヤしてしまうサラである。

「それから、ええと」

 まだ考えなくてはいけないことがあったような気がするが、だんだんとまぶたが重くなってきた。

「ダンジョンから一気に戻ってくるのも大変だったけど、自分で考えて行動するのも疲れちゃう」

 ネリーが一緒の部屋にいてくれたら、明日のためにもう寝たらいいと言ってくれるのにな、とほんの少し寂しい気持ちになる。

「体調管理も自分の仕事だ。明日のために、もう寝よう」

 なんにもなくて、でもとても長い一日がやっと終わる。ごそごそとベッドに潜りこんだ途端、サラは夢の世界に旅立つのだった。


「オオカミはいらない! はっ! 夢か……」

 昨日ローザに思いをせたせいなのか、久しぶりに魔の山の夢を見た気がする。

 窓を開けると、まだ肌寒い春の風が吹き込んできて気持ちいい。

「急いで準備して、アレンにご飯を運ばなきゃ」

 ぱたぱたとちゅうぼうに急ぐと、隅のテーブルにアレンが座ってパンをかじっていた。厨房の人が休んだり食事を食べたりするところだ。

「おはよう、サラ。早起きしちゃってさ」

 厨房の人に、少し早い朝ご飯をねだっていたのだという。

「あとさ、きっと俺のとこにご飯を運んでこようとするだろ? もう今日からは大丈夫だって言おうと思ってさ」

「そっか。特に大変ではなかったけどね」

 サラはアレンの向かいにすとんと座ると、厨房の人に断ってパンを一つもらった。

「あとでちゃんと紙に書こうと思うけど、とりあえず一つだけ注意しとくね。普通の生活をしてもいいけど、身体強化と魔法は絶対に使わないでね」

「昨日もそんな感じのこと言ってたけど、詳しくはどういうことなんだ?」

「ええとね」

 話そうとしてふと時計を見ると、思ったより時間がなかった。昨日夜更かしした分、起きた時間が意外と遅かったらしい。

「ごめん、今日はギルドでお手伝いがあるから、帰ってから話すね。身体強化は使わないでねー」

 念を押してからパンをもう一つ手に取ると、サラは慌てて席を立ち、食堂に急いだ。もう皆は食べ終わっている時間だ。焦っていたサラは、アレンがつまらなそうな顔で見送っていたのには気がつきもしなかった。


 メンバーにライがいるため、いつもと違って馬車に乗り込んで出発である。とはいえ、領主だからというだけで、元騎士隊長のライは身体能力でも若い人に負けたりはしない。

 馬車の中では、渡り竜の討伐で騎士に特級ポーションを使ったのが、ライが騎士隊長をしていたときだと教えてもらい、サラは驚いた。

「もちろん、今の騎士隊長になってからもそういうことはあっただろう。だが、サラが経験したように、竜がいつもより王都寄りに飛来してしまうと、追い払うだけでは済まないこともあってな。その元騎士のハンターも、あの時の者かと思って話を聞いていたよ」

 ライが特級ポーションを使わせたのだそうだ。

「使っても死ぬかもしれないが、使わなければ確実に死ぬ。その責任は、薬師ではなく上が取るしかないんだ。もっとも、その後の、騎士の心の中までおもんぱかることまではせなんだが」

 目には後悔の色がある。

 ライのような上司がいれば罪悪感は減るかもしれないが、判断を下せるのが薬師の自分しかいないときもある。そのためにも、やはり情報は集めなければならないと決意する。

 ハンターギルドに着くと、すでにベテランどころのハンターたちが、ザッカリーの周りに集まっていた。思ったよりも人数は多くない。

 探索組にはクンツも入っていて、サラは少し驚いた。

「俺もエルムと同じ、第一発見者の扱いだから、見に行く権利がある。安全地帯から先に行けるかどうかはわからないけどな」

「でも……」

 大丈夫なのかという言葉をサラは飲み込んだ。いつもアレンと二人で行動しているので、一人ではどうかと思ったのだが、よく考えたら最強のメンバーと一緒だったし、途中まではサラが守ればいい。

「無茶はしないけど、少し背伸びしないと、アレンに付いていけないからな。もらった機会は生かしたいんだ」

 サラと同じように、あの事件で思うところがあったのだろう。

 クンツも強い目をしていた。

 探索組はワクワクを隠せていないし、ガーゴイル組はネリーの参戦で盛り上がっているしで、ギルドで待機のセディが頭が痛いというようにため息をついている。

「このメンバーの誰に理性を求めたらいい? サラか?」

「ええ? とんでもないです。このメンバーを御せる気がしません」

「ではクンツ」

「俺も無理ですって」

 若い二人に責任を押しつけないでほしい。

「仕方がない。ザッカリー、ギルド長として、誰も暴走しないようによろしく頼む」

 最初からザッカリーに頼めばよいのである。ウルヴァリエの誰にも頼めないという不都合な真実を指摘する人は誰もいなかった。

 目的は最深層なので、特薬草を採りに行ったときのように最低限の休憩だけで駆け足で進む。そのほかの階はいつもどおりで、ハンターたちが自分の実力に合った階層で狩りをしているのを横目で眺めながら足早に急ぐ。

「特に他の階は変わらないな。階層間で魔物が移動しているということもないから、タイリクリクガメの時とはやはり違う」

 さすがギルド長、ザッカリーはそういうところも観察しているようだ。

 そして一四階から一五階へと抜け、安全地帯で立ち止まると、意外なことにそこはいつもと変わらないように見えた。

 しかし、ザッカリーをはじめハンターたちは緊張を維持している。

 そんな中で、クリスの目線が下を向いているのに気がついたサラは、しゃがみこんで地面を眺めてみる。

「わかるか」

 その一言がすでに試験みたいですと、サラは心の中でつぶやく。

「下草がつぶれています。ここら辺には特薬草はないみたいだけど。ああ! クリス!」

 サラは思わず嘆きの声をあげてしまった。

「そうだな。ギンリュウセンソウがつぶれてしまっている。在庫はある程度確保しているが、秋までに再生するかどうか」

 ギンリュウセンソウから作る竜の忌避薬は、今や秋から冬にかけての王都の渡り竜対策には欠かせないものになっている。体の重いガーゴイルがうろつきまわった結果が、薬師の仕事にかかわってくるとは思いもしなかった。

「穴の先どころか、一五階の植生調査をし直さなければならないな。気が重いことだ」

 植生の調査そのものは楽しいものだ。ただ、それが壊滅状態の調査となるとまた別なのである。

「ガーゴイルの数が減るまではどうしようもない。ハンター諸君に期待しよう」

 クリスの言葉にサラは立ち上がった。ここから壁に開いた穴までの移動がサラの仕事になる。

 薬師の仕事は後回しだ。

「でも、あんなにいたガーゴイル、見えませんね。やっぱり広いからかな」

 ぐるっと見渡したサラの言葉に同意する人は誰もいない。

「サラ。いるよ。ほら」

 クンツの言葉と同時に、覚えのある揺らぎを感じ、サラは思わず頭を左右に振った。

「壁なんてないのに。ええっ!」

 地面だと思っていた土色の何かが、ゆっくりと立ち上がる。

「ガー」

「グー」

「が、ガーゴイル!」

 壁に張り付いているものだと思っていたが、壁から落ちてきたらこうやって地面に擬態しているとは思いもしなかった。

「興味深いな。ガーゴイルが大量にいるところも珍しいが、たいていは転がり落ちてすぐに壁に戻り擬態するものだ。地面にいるガーゴイルとは……。色も変化しているな」

 エルムが感嘆しているが、確かに数日前に見たときより濃い色に変化している。だからサラもわからなかったのだ。

「地面にいてくれるとは。狩りやすくてありがたい。さあ、行くか」

「待って待って」

 腕が鳴ると言わんばかりのネリーをサラは慌てて止めた。ハンターが狩りをしている中を進むのは正直怖い。

「私たちが穴まで進んだ後にしてほしい」

「よし。エルムを先頭にして、隊列を組もう。サラはバリアを張るのに、エルムの後でいいか、前がいいか」

「後ろがいいです。念のため大きめにバリアを張ります」

 探索組は行儀よく一列に並ぶ。

 何かのクエストみたいだなと思いながら、ほんの少し急ぎ足で進む。

「ガー」

「グー」

 バリアに押しのけられ、ガーゴイルが迷惑そうな顔をしている気がする。

「これだけたくさんいると、ガーゴイルがワタヒツジに見えてくるよね、アレン。あ」

 今日はアレンはいないのだ。ワタヒツジの群れに割り込み、ハンターたちを救った経験を共有できるのはアレンだけなので、少し寂しい気持ちになる。

「ワタヒツジには見えないかな」

 りちにクンツが返事をしてくれて申し訳ない気持ちになる。

「サラのバリアに助けられるのは二回目だが、これは素晴らしいものだな」

 エルムが感嘆の声をあげる。

「私もサラとダンジョンに潜るのは初めてだが、バリアがあるとわかっていても周りを魔物に囲まれているというのは恐ろしいものだ。恐ろしいものだが、生きているガーゴイルをじっくりと見るという経験に、私は今感動している」

 ライがあちこちを見渡しながら、やはり感嘆の声をあげる。

 野生動物の間を、車で行くツアーがあったはずだとサラは思い出した。

「もしかして、王都で貴族相手にダンジョンツアーとかやったら稼げるかもしれませんね。『招かれ人と行こう! げきあつ! ダンジョン深層ツアー』とか」

「うたい文句に、護衛はウルヴァリエにお任せあれ、と付けるといい」

 ライが楽しそうにサラに追随する。

「それは豪華すぎて私がお給料を払えませんよ」

「ううむ。いくらならいい?」

 サラも冗談で返したが、ライが真剣に考え始めたので、ちょっと焦ってしまう。よく考えたら虫型の魔物がいるからダンジョンはそれほど好きではなかった。

 調子に乗ってごめんなさいとサラが謝る前に、正面に例の壁が見えてきた。

「おお、確かに大きな穴が開いているな」

 ライの関心がそっちにずれてくれてほっとするサラである。

 あの時はガーゴイルがたくさんいて詳細は不明だったが、今ならわかる。穴の先は緩やかな下り道だ。

「見た目は完全に次の層への下り口だな」

「前からあったと言われてもわからないくらいに自然だ」

 ザッカリーとエルムが近づきながら観察を始めている。

 自然と急ぎ足になる一行に、サラは張り切ってバリアを張り続けた。

 崩落の時、ちょうどクンツがいたあたりでいったん止まると、壁に開いた穴を中心に魔物のいない半円状の空白地帯が見える。

「安全地帯が存在するようだな。安心といえば安心なのだが、これで下層のある可能性がぐんと高まった」

 一列に並んでいた一行は、今度はひとまとまりになって安全地帯と思われる場所に入った。

「サラ、バリアを外してみてくれ」

「はい」

 サラはバリアを縮めていつものように自分だけを覆うように小さくする。

「ガー」

「ゴー」

 サラのバリアにはじかれるのと同じように、ガーゴイルが近寄ってきては跳ね返されている。

「安全地帯の広さは他の階層とほぼ同じ。複数パーティが滞在する余裕は十分にある。ここを拠点にすれば、探索が楽になるな」

 ほっとしたようにつぶやくザッカリーに、ライが声をかける。

「では、行くか」

「ええ」

 二人は同時に振り返った。

 サラもつられて振り返ると、一五階では、ガーゴイルに果敢に立ち向かうハンターたちの姿が見える。きっとその中にネリーもいる。サラの仕事は終わった。ここでハンターの皆を眺めながら、ガーゴイルの被害を免れた薬草でも探そう。

 そう決意して、とりあえず一休みしようとした。

「ここは任せて、先に進もう。さあ、サラ」

「え?」

 ザッカリーに呼ばれたサラは、慌てて振り向いた。

「通路は大丈夫だとは思うがなにぶん初めて行くところだ。念のため、バリアを頼む」

「ええと。はい」

 崩落した壁の穴までバリアで皆を連れていくのが依頼だったように思うのだが、この状況で行きませんとも言いづらい。ザッカリーの言うことももっともだし、知り合いを危険にさらしたくもない。

「サラ、ワクワクするな」

 クンツの言葉に、心の中でだけ、そうでもないよとそっと答えるサラである。

 通路は狭くはない。一列で行かなければならないこともないので、なんとなくひとかたまりで移動する。サラのバリアに信頼があるのか、割と気の抜けている一行だが、すぐに目の前に明るい出口が見えた。

 誰も何も言わないが、期待に胸が膨らんでいるのか、足取りが軽い。

「バリア、しっかりと」

 サラだけは期待より怖さが強いので、念のためにバリアをみんなにしっかりとかけ直した。

 最初にザッカリーとライが、そしてエルム、クリス、クンツが。そして最後に他のハンターとサラが。

 踏み出したそこには、青い空に白い雲がぽかりと浮かぶ、懐かしい景色があった。

「ああ!」

 叫んだサラに皆の目が集まる。

 なだらかな坂に、丈の短い草がびっしりと生い茂る。ぽつりぽつりと大きな木が立ち並び、その下にはいつも大きなオオカミがくつろいでいる。

「魔の山だ……」

「ガウー」

「ガウー」

 その声さえ懐かしい。

「まずい! なんでこんなところに高山オオカミがいる! ハイドレンジアのダンジョンは、ヘルハウンドだろ!」

 ザッカリーが大きな声で警戒を促す。

 だが、サラはふらふらと前に進み出た。

「あそこに管理小屋が立っていたら。ねえ、本当に魔の山みたいだ」

 遠くにはオオツノジカの群れが見える。

 空にはワイバーンが舞う。

 サラが最初に落とされた場所。

 初めて思い切り走れた場所だ。

「わあ! 懐かしい!」

 思わず走り出そうとしたサラの腰を、クリスががっちりとつかんだ。

「サラ! どうした!」

「え?」

 サラは腰に巻きついたクリスの腕をけげんそうに眺め、そして正面に目をやった。

「ガウッ」

「ガウー」

 安全地帯を取り囲むように、高山オオカミの群れがいた。

 食ってやる。

 さっさと出てこい、弱きものよ。

 声に込められたメッセージは、魔の山のオオカミとは別物だった。

「魔の山じゃない」

「もちろんだ。驚いたことによく似てはいるが、まったく違う」

「私のオオカミたちじゃないんだ」

 サラが余りものの骨付き肉を投げてやったオオカミではない。

 ここにいるのは、もしかしたらおいしいかもしれないという顔で、すきあらばサラを味見しようとしていた愉快な高山オオカミではないのだ。

「落ち着け、サラ。ハイドレンジアのダンジョンも、地下のはずなのに森や草原、いろいろな地形があるだろう。ここもたまたま高山型の地形だというだけだ」

 たくさんのダンジョンを見てきたエルムがそう説明してくれる。

「確かに、魔の山の管理小屋のあたりにそっくりだ」

 あたりを見回すクリスからも、感心したような言葉がこぼれるが、その手はまだしっかりとサラの腰に回って離れる気配もない。

「サラにとっては、一〇の年から二年間過ごした場所だ。こんなにそっくりな場所では、思わず混乱してしまうのも無理はないが」

 そこでいったん言葉を切ると、クリスが頭の上からサラを見下ろす気配がする。

「そんな無謀な性格ではなかったはずだろう。いったいどうした?」

 そう言われるまでもなく、サラは自分が慎重な性格であるとわかっている。

 では、なぜいきなり駆け出すなどという無茶をしてしまったのか。

「だって、ここなら安全だってわかってるから」

 答えはそれしかない。

「ネリーを捜しにローザに出てからは、知らない人、知らない町、知らない常識、そんなことすべてに緊張して暮らしてきたけれど」

 サラは腰に回ったクリスの手をぽんぽんとたたいた。

 もう離してくれて大丈夫だという意味である。

「魔の山では、最初こそ慣れなかったけれど、最後はのびのびと暮らしていたの。高山オオカミとワイバーンさえ防げれば、何も怖いところのない場所なんだよ」

 ゆるんだクリスの手から離れ、一歩二歩と前に歩き出す。

「サラ! 危ない!」

「大丈夫」

 バリアがあったとしても心配で止めようとしたライを、サラは前を向いたまま右手で制すと、ゆっくりと進み、それからくるりと皆のほうに振り返った。

「ここが魔の山と同じなら、本当に大丈夫。見ててください」

 サラはバリアを大きめに張って、安全地帯からすっと抜け出した。

「ガウッ」

「ガウッ」

 バリアに沿って、高山オオカミが弾かれては悔しそうにまた戻ってくる。しつこいのが彼らの特徴でもある。

「さあ」

 サラはバリアを体を覆う程度まで小さくすると、高山オオカミに左腕を差し出した。

「やめろ!」

 叫ぶライを、クリスが止めているのが目の端に見える。

 一瞬警戒を強めた高山オオカミだが、自分を阻むバリアがないと気づくと勢いよくサラの腕に飛びかかり、みちぎろうとした。

「キャン!」

 ガチリという音と共に牙が折れ、オオカミは尻尾をまいて群れの後ろに移動し、顔を抱えてうずくまった。

 だが、サラはかわいそうだとは思わない。

 だって、次の日になれば牙は生えてきて、かじったことなんてないですという顔をしてまた姿を見せると知っているからだ。

 賢い高山オオカミの群れは警戒して少し後ずさり始めた。

「こんな小さい私をかじれもしないの?」

 だが、サラがからかうように声をかけると、苛立ったように歯をむき出し、一頭、二頭とサラに飛びかかってくる。だが、飛びかかったものはすべてサラのバリアに跳ね飛ばされ、やがて飛びかかってくる気力のあるものはいなくなった。

「ガアウ」

 やがて一頭がサラから少し離れたところで、ふわあとあくびをして座り込んだ。

 すると高山オオカミたちは、サラなんてもともといませんでしたという雰囲気で、思い思いに休み始める。

「サラッ!」

「サラは大丈夫です」

 相変わらずのライとクリスのやり取りの後、高山オオカミたちがさっと起き上がってどこかに走り出した。

 すぐにドウンという大きな衝撃音が響き、その後にドサリと倒れていたのはワイバーンである。

「魔の山のワイバーンなら、私を狙ったりしないのに」

 倒れたワイバーンを狙って、また高山オオカミがうろうろし始める。

 サラは背負っていたリュック型の収納ポーチに、ワイバーンをシュッとしまい込むと、すたすたと安全地帯に戻ってきた。

「見知らぬハイドレンジアのダンジョンより、魔の山のほうがずっと楽に感じます。何よりここは虫が少ないから」

 カラッと乾いているせいか、あまり虫型の魔物を見かけないのだ。

「気持ちいい場所ですよね」

「サラッ!」

 ライが駆け寄ってきて、サラの体を上から下までバンバンと叩いてはバリアに弾かれている。

 サラは身近な人とくつろげるところまでバリアを弱め、ライにぎゅっと抱き着いた。

「心配した。バリアがあるとわかっていても肝を冷やす。無茶なことはやめてくれ」

「最初にオオカミに手をかじらせてみろって言ったのは、ネリーなんですよ」

 くすくすと笑うサラの背をぎゅっと抱きしめると、ライはやっと安心したように目じりを下げた。

「それでもだ。サラにはもう一度常識から教え直さなければならないかもしれん。ローザでサラの面倒を見た人たちの苦労がしのばれるわ」

 嘆くライの後ろを見ると、ザッカリーもエルムも、そしてクンツもあっけにとられたような顔をしている。

「確かにサラのバリアはすごいと知っていたし、だからこそこの仕事も依頼したのだが、それでもこれはない」

 ないと言われても、一二の年にはこうだったのだ。

「あまりにも振る舞いが普通の少女すぎて、ときおり忘れるが、確かにサラは招かれ人なんだな」

 ザッカリーの感想がすべてなのだろう。それでも悲しい気持ちにならないのは、それが単なる驚きや感想に過ぎず、サラを恐れたり忌避したりするものではないとわかっているからだ。

「びっくりした。高山オオカミって、人にれるものなんだな。そういえばサラのこと、ローザでは魔物使いって言ってる人がいたような気がする」

 クンツの関心はそこらしい。

「魔物使いじゃないよ。それに高山オオカミは馴れてはいないよ。いつだって隙あらばかじろうとしてくるから、いわば休戦状態ってとこかな」

 魔物は魔物。油断してはならないということも魔の山で学んでいる。

「それにしてもワイバーンを一撃とは。いや、ワイバーンが一撃なのか?」

 エルムが苦笑しているが、隣でようやっと落ち着いたライも、うんうんと頷いている。

「ワイバーンをも弾く絶対防御。これでサラの説明にまた説得力が増すというものだ」

 ハハハと和やかな笑い声が弾けるが、忘れてはならない。

 ここはダンジョンの最深部、しかも未探索なのだ。

「頭上のワイバーンにさえ気をつければ、それからオオツノジカの群れに巻き込まれなければ、いや高山オオカミに囲まれなければまあ問題はないか」

「問題大ありじゃないですか」

 サラの代わりにクンツがエルムに突っ込んでくれた。

「それにしても、ここが魔の山と同レベルであればハイドレンジアのダンジョンのランクが一気にローザのレベルにまで引き上がる。そうすると、ハンターも増えるし、それに関連して宿泊施設などの整備も必要か」

 その横では、ライが領主として取り組まなければならないことに頭を悩ませている。

「魔の山と同じなら、俺たちなら油断しなければ問題ない。高山オオカミはサラがやったように、数頭殴り飛ばせば寄ってこないはずだから、このまま探索を進めよう」

 魔の山は入ったところから魔物が強く、油断すれば騎士隊でも怪我をする場所だが、ザッカリーやエルムくらいの探索者なら問題ないらしい。

「すみません。俺は足手まといだと思うので、ここで待機しています。アレンと組むなら行けるかもしれないけど、一人では自信がありません」

 クンツはそう申請して、とどまることを選んだ。

「じゃあ、私も残ってもいいですか?」

 サラも残ることを選ぶ。魔の山と同じなら、知らない魔物もいなくて気が楽だが、バリア以外に役に立てるとも思えない。ザッカリーはそれでいいと言ってくれた。

「いずれここにハンターが来るとすればサラなしでやってもらわねばならないからな。それを見極めるためにも、サラはむしろいないほうがいいか。クリスはどうする」

 クリスはそもそもが薬師でハンターではない。

「私は行かせてもらう。魔の山の環境であれば、この中ではサラの次に詳しいからな」

 魔の山に似ているだけで、魔の山そのものではない。クリスの言っていることはもっともである。

「私も行くぞ」

 ライも行くらしい。

「ネフェルが一〇年以上一人で過ごしたという魔の山の環境が、現地に行かずとも見られるとは思わなんだ」

 お年がどうとか言えないほど強い人なので、サラも心配していないし、息子のエルムも特に反対していない。

「行ってらっしゃい」

 サラに手を振られて、ハンターたちは探索へと向かっていった。強者の気配を感じて遠巻きにしていた高山オオカミも、ちらほら戻ってきている。

「あいつらはあれだな。俺を狙ってるな」

「たぶんね」

 サラは強いから狙わないけれど、その隣の弱い奴ならいけるかもしれない。高山オオカミはそういう生き物である。

「第一発見者の権利でここまで連れてきてもらったけど、この先は自信がなくて行けなかったな」

「仕方ないよ。このあたりは魔の山の上のほうと同じだから。騎士隊の人たちでも油断するとそこまで来られないんだもの」

 サラとクンツは安全地帯の地面に直接座り込んで、のんびりと休んでいる。

「サラはこの依頼の後は薬師に戻るのか?」

「うーん、悩み中なんだ」

 サラがもう少し頑張ろうと決意したのは、やっと昨日である。具体的にどうすべきかはまだしっかりとは考えていない。

「アレンのことがあって、今のままの薬師でいいのかって考えているところ」

「俺と同じだな」

 クンツは足元に落ちていた石を拾って、左手のほうに投げた。風魔法が乗っているのか、ずいぶん遠くに落ちた。

 寝転がった高山オオカミが視線だけでそれを追うが、サラも石の落ちた先を眺めて思わずびくっとする。

「あれ」

「そう。ガーゴイル。俺、ガーゴイルは今回初めて見たけど、地面にじっとしてるの怖いよな」

 崖の上から転がり落ちてくるのも怖いが、岩だと思っていたらガーゴイルだったというのも怖すぎる。

 だが、それに気がついていたクンツもすごいと思う。おそらく最初からずっといたはずだが、エルムもザッカリーも気がついた様子はなかった。

「新しい階層もすぐに解放されるだろうし、アレンが戻るまでは、どこかのパーティに入れてもらおうかとは思ってるんだ。でも、もしサラが少しでも時間があるなら、頼みたいことがある」

「なんだろ。聞いてみないとなんとも言えないけど」

 クンツがサラに頼み事とは珍しい。

「バリアを教えてほしい」

「バリアを?」

 そういえば、クリスやヴィンスなど、魔法が得意な大人たちは苦労しながらではあるがバリアを身につけていたが、同じ魔法師でもクンツはバリアには興味がなさそうで、試しているのを見たことがなかった。

「魔力量が多い大人や招かれ人のハルトがやっているのは見てたけど、魔力量がそれほどでもない俺は無理だって、はなから諦めてたんだ。けど、この間サラ言ってただろ」

「何を?」

「魔力は自分の思い描いたとおりの力になる」

「ああ。私の言葉じゃなくて、魔法の教本の最初に書いてある言葉だよ」

「うん。でも、そんな最初の言葉なんて、ポエムだろ。誰もまともに覚えてやしないよ」

 それは教本を書いた人にはちょっとつらい話である。

「でも、サラはそれを唱えてた。魔力は自分の思い描いたとおりの力になる。その言葉から生まれたのがバリアなんだろ?」

「それはそう」

「じゃあ、その言葉は、ポエムなんかじゃなくて、招かれ人だけじゃなく、俺たち普通の人にだって真実のはずなんだ」

 魔法がありふれたこの世界では当たり前のことが、サラにとっての当たり前ではなかった。だからこそ最初の言葉は、サラにとってはポエムではなく、大切な宝物のような言葉だった。

「だったら、魔力量がどうとかじゃなくて、俺にもできるはずじゃないかと思ってさ」

「うーん。バリアの考え方は教えられるから、まずは試してみたらいいと思う。バリアはダンジョンの中じゃなくても挑戦できるし、人を傷つけるものでもないからね」

 サラはさっそく、クリスとヴィンスにバリアを教えたときのことを思い出してみた。だが、あの時は、バリアを出たり入ったりして、勝手に二人が会得したので、サラがなにか教えたわけではなかった。

「確かあの時、盾の魔法を全方位に張ったものか、とかなんとか言ってた気がする」

「盾の魔法?」

「そう。私自身は、コカトリスの卵が弾むのを見て、こんなふうに丸くて、ものを跳ね返せるものが自分の周りにあったらいいなっていうのが一つのイメージなんだけど」

「コカトリスの卵なんて見たことないぞ」

 確かに見たことのある人はあまりいないかもしれない。

「私は弱いし警戒する力もないから、全方位を守りたいっていうのがバリアの目的なんだ。でも、クンツは違うでしょ」

 魔力を食うとか食わないとかではなく、バリアを使えるクリスでも、身体強化も使えるからバリアを使う必要がない。

「クンツは私と違って、気配の薄いガーゴイルに気づくこともできるし、ワイバーンが上空を飛んでいるのに気がつかないなんてこともないでしょ。だったら、どんなときに使いたい?」

「そうだな」

 クンツが思い描くバリアとは何だろうか。

「一瞬でいいから、目の前に飛んでくるガーゴイルを弾けるような、そんな盾のようなバリアがいい。アレンの負担にならないように、自分の身を守り、逃げる時間を稼げるだけの力が欲しい」

「それなら全方位じゃなくていいから、盾をイメージしてやってみない?」

 実際に、魔法師に盾の魔法を見せてもらったほうが早いのかもしれないが、今いるのはサラだけだ。

「盾か。俺は身体強化がそれほど得意ではないから、自分の身から離れたところで攻撃を弾きたいタイプだ。盾は自分に合ってるかもしれない」

 クンツは左手を前に出した。

「右手は攻撃用の魔法に使うから、左手でイメージしておく。大きさは」

「大きさは?」

 サラも盾を持っている人をしげしげと見たことはないので、イメージしにくい。

「とりあえず上半身を守りたい。盾」

 つぶやきと共に、何かがふわんとクンツの前に出たような気もするが、それは形にならずに消えていった。

「できなくはない気がする。だけど、目に見えない盾って難しいな」

「目に見えない盾、か。いや、待って」

 サラは勢いよくクンツのほうを見た。

「目に見えてもいいんじゃないの? ほら、私のバリアには色をつけられるでしょ」

「そういえば、担架にも白い色をつけてたよな」

 つい何日か前のことなのでクンツの印象にも残っていたのだろう。

「私はバリアがガラスのように透明だから、そのまま曇りガラスをイメージしたけど、クンツは盾といったらどんな色をイメージする?」

「俺は木と革の茶色だな」

「それなら、魔力に茶色をまとわせたらどうかな」

 サラは自分の目の前に、サラのイメージする盾の形のバリアを出してみせた。

「こんなふうに半分透けて見えるくらいがよくない?」

「すげえな」

「感心してないで、微調整するよ。盾の大きさや形は?」

「もう少し大きくて、縦長な感じがいい」

 サラはバリアの形を希望どおりに変えてみせた。

「そんな感じ。よし、やってみよう」

「それはちょっと待って」

 サラはクンツを止めた。

「色や形もだけど、どういう盾にしたいかも考えて」

「どういう盾?」

「私のバリアは、基本的に当たったものをそのままの力で跳ね返すの。攻撃なら攻撃を、魔法なら魔法をそのまま。普通の盾なら、そこまで跳ね返さないでしょ?」

「確かに」

 クンツはサラの盾をじっと見ながら、そこに剣を打ち込む想像をしているらしい。

「せっかくだから、サラと同じように相手の攻撃も魔法も跳ね返したい」

「うん、それなら」

 こんなふうにサラとバリアについて向き合ってくれたのはクンツが初めてだから、サラもだんだんと楽しくなってきた。

「私がこの盾で魔法を受け止めてみるから、クンツは何かをぶつけてみて。つぶてとか」

「え?」

「つぶてとか、風とか」

「無理だよ。知り合いの女の子に攻撃するなんて」

 知り合いの女の子という響きはとてもいいなとサラはちょっとニヤニヤした。

「でも、ハンターには女子もいるじゃない。訓練するとき、ためらったりしないでしょ」

「魔法をぶつけたりはしないよ……」

 魔法攻撃をしてくる魔物はあまりいないので、そういう訓練はしないのだそうだ。

「でも、どう跳ね返るのかは見ておこうよ。ほら」

「じゃあ、小さい石つぶてを」

 構えるサラのバリアに、こん、と小さな音がした。

「クンツ……」

 サラはバリアをちょっとよけた。

「ワイバーンの攻撃だって弾くんだよ。せっかくクンツのためにやってるんだから、どんなふうに魔法が跳ね返るのかちゃんと見てて」

「わかった。いくよ」

 構えたサラのバリアに、今度はびしっと衝撃が走る。

「うわっ!」

 バリアをよけると、クンツが驚いて変な体勢になっている。

「ほぼ自分のところまでつぶてが戻ってきた……」

「それがそのまま跳ね返るってことだよ。次は剣で」

 剣といっても、クンツが持っているのは短剣である。

「いくよ。やあっ」

 多分普段は声を出したりしないのだろう。すごく恥ずかしそうに、でもサラにわかるように声をあげ、剣をバリアに叩きつけた。

「うっ!」

 サラがまたバリアをよけてみると、クンツは短剣を取り落とし、震える手首を反対の手で握っている。

「すっげー衝撃。叩きつけた衝撃が戻ってくるって、こういうことなのか。そりゃ、高山オオカミの牙が折れるわけだ。俺の手首も折れるところだった」

 クンツは震える手を握ったり開いたりしながら、何かぶつぶつと考えている。

「俺は石もブロックも作ることができるんだから、硬いものを作ることはできるはずなんだ」

 それからまっすぐ立つと、サラがよくやるように両手を前に掲げ、目をすがめた。

「サラの盾。なんでもそのまま跳ね返す、硬いけどつるつるで、そう、鏡のような」

 ふおん、と茶色い盾がクンツの前に形作られる。

「サラ、俺の短剣で叩いてみてくれ」

「う、うん」

 衝撃が跳ね返ってくるのは嫌なので、剣先で軽く叩いてみる。

 パリン。

「ああー。割れた。鏡をイメージしたら駄目だ」

「で、でも」

 サラのほうがあわあわしてしまう。

「半分成功じゃない?」

「うん。うん」

 クンツはそのまま座り込むと、膝を抱えてうつむいた。

 サラはクンツがどうしてしまったのかわからなくて、クンツの周りをうろうろと歩き回ることしかできない。やがてクンツは袖で目をごしごしとこすった。

 上げた顔を見ると、目の周りが赤い。

「作れるんだな。思ったとおりのものが」

「うん」

「盾まではまだ無理だけど」

「うん」

 アレンと組んでいなくても、クンツは若手では優秀な魔法師だ。それでもタイリクリクガメに刃を通し英雄視されるほどのアレンと組んでいると、どうしても足りない面ばかり見てしまうのだろう。

「バリアもそうだけど、大きくしたり小さくしたり、近くに出したり遠くに出したりとか、イメージを大事にするとできることが増えるよ。例えば、ほら」

 サラはバリア以外の魔法はほとんど使わないけれど、土の魔法は、タイリクリクガメの時に鍛えたから割と得意だ。

 サラはしゃがみこんでダンジョンの地面に手を当てた。

「アヒルさん、どうぞ」

 イメージどおりなら、お風呂に浮かべるあれができるはずだ。

 ぴよ、とは言わなかったけれど、土からもこもこと茶色のアヒルのおもちゃが現れた。

「バリアは動かせるから、これも動かせるよ」

 残念ながら足はないので、土の上をすべるように動かす。

「なんだよそれ」

 クンツは腹を抱えて笑い出した。

「かわいくない?」

「かわいいけど」

 よく考えたら、いつもアレンと三人だったから、こうしてクンツと二人だけで長く話すことはなかったなあと思う。

「私は魔法なら水と土くらいしか使わないからあれだけど、魔物が来たら怖いから、落とし穴とか作っちゃうな」

「魔物の足元にか。どれ」

 ブロックを作ったときは、さっきのように土に手を当てるとイメージしやすかった。

 クンツも両手を土に当てると、寝転がっている高山オオカミに向かって、

「落とし穴」

 と小さくつぶやいた。

「ガウ?」

 高山オオカミが不思議そうに立ち上がったところを見てみると、桶くらいの小さな穴が開いているだけだ。

「あれで精一杯だ。けど」

 クンツは元気に立ち上がった。

「これだけ使っていても、魔力がまだなくならない。イメージがどれだけ魔力を消費するのかはわからないけど、サラが言うようにダンジョンの外でできる練習もある。俺はまだ……」

 両手をぐっと握りしめた。

「俺はまだ、成長できる」

 サラは隣でぱちぱちと拍手をした。

 サラ自身も、アヒルが作れるとは思わなかったし、サラの潤沢な魔力と想像力を使って、まだできることがあるかもしれない。

 それがクンツやアレンに役立つなら、それもいいなあと思うのだった。


 やがて探索に出ていた面々が戻ってくると、その日は上まで戻って解散だ。

 毎日行き来するのは手間なので、今日の成果をもとに、今度は人数を増やし、安全地帯に泊まりながら丁寧に地図を作ったりするのだそうだ。

 また、引き続きガーゴイル狩りも行われる。

 来たときと同じ顔ぶれで屋敷に戻ると、サラはさっそくアレンを捜した。

「アレン様は今日から普通の生活に戻ると言って、帰られましたよ。丁寧にお礼を言って」

 明るいアレンとクンツは、お屋敷の使用人たちにも好意的に受け入れられている。

 ライもいつまでいてくれてもいいと言っているのだが、人に頼りたがらないのもアレンのいいところである。ただ、無理をしないか心配だったし、ほんの少し寂しくもあった。

「リハビリ計画を立てようと思ってまだできていないけど、どうしたらいいかな。もう日常生活は普通に送れるのに、ポーションを飲むよう言うのはおせっかいかな。あと、新しい階層が魔の山みたいだってこと、ちょっと聞いてもらいたかった」

 アレンも魔の山に行ったことがあるし、高山オオカミとだって戦ったことがある。きっとサラの気持ちもわかってもらえると思うのだ。

「明日出かけるときに、アレンの下宿に寄ってみよう。それから薬師ギルドに行って、ハンターギルドにも寄って……」

 もう一階分ダンジョンが深くなったということは、領主のライや、ハンターギルドにとっては大きなことで、これからの対応が大変になりそうなのは、食後にもかかわらず皆が深刻に話し合っていることからも察せられる。

 だが、タイリクリクガメの時のような非常事態ではないことも、今日の探索で確かめられた。

 ということは、サラはサラが成長するためにすべきことに集中したほうがいい。

「でも、今日は忘れずに、ノエルに手紙を書かなくちゃ」

 明日の計画を立て、今日すべきことを終えると、サラはぐっすりと眠るのだった。


 次の日サラは、早くに屋敷を出た。

 もちろん、アレンの下宿に顔を出すためだ。

 クンツも、昨日の今日ではあるが、これからどんなふうに魔法の訓練をしていくのか気になる。

「でも、アレンとクンツの下宿に行くなんて初めてだな、よく考えたら」

 ハイドレンジアで何年も過ごしているが、用があればアレンがお屋敷にやってくるので、サラが訪ねたことはない。

「ええと、大通りから一本奥に入った、食堂もある宿、と。ここだ」

 二人とも料理をするのが好きというわけではないので、比較的安い宿を長期で借りているのだと言っていた。

「入り口はこれ。わあ」

 入ってすぐが食堂で、食堂から二階に上がる階段があり、上が宿になっているようだ。朝早いのに、食堂はにぎわっていたから、きっと食事もおいしいに違いない。

 左側のカウンターは、宿の受付と会計を兼ねているらしく、朝の今は誰もいない。

「あんた、食事かい?」

 給仕のお姉さんから声が飛ぶ。

「いえ、あの、アレンとクンツに会いに来ました」

「おやおや」

 からかうような声に、サラは今の言い方は誤解を招いたかと焦る。

「あの子たちは、朝ご飯を食べてもう出かけたよ?」

「ええ、病み上がりなのに」

 お姉さんはすいすいとテーブルの間を移動して近くにやってくると、にこりと笑いかけた。

「なんだか、ダンジョンでひどい怪我をしたんだってね。けど、戻ってきたときは大丈夫そうだったし、今日も元気に出かけていったよ」

「そうですか。ポーションはちゃんと飲んだかな」

 サラの心配が思わず声になってこぼれ出ると、お姉さんが眉を大きく上げた。

「あれれ、お子さま扱いかい」

 そういうわけではないと言おうとして、サラは食堂の客たちがちらちらとサラのほうを見ているのに気がついた。

 よく見ると見知った顔もある。この食堂はおもにハンターが利用しているようだ。

「あたしもあの子たちって言ったけど、それはあたしに比べたら若いってだけで、ハンターとしては十分一人前だよ」

 それ以上は言われなかったけれど、その言葉に納得したかのようにハンターたちの視線が食事に戻ったので、お姉さんの意見がこの場の総意なんだとサラも悟らざるを得なかった。

 要は、心配しすぎだということだ。わかっていても、人に指摘されるとへこんでしまう。

「ありがとうございます」

 礼を言ってとぼとぼと去ろうとすると、

「今度は食事に来なよ! おいしいからさ!」

 とお姉さんの声が追いかけてくる。サラはぺこりと頭を下げて店を出た。

「クリスにも言われたし、アレンを信じて自分のやるべきことをやるしかないか」

 そう気合を入れ直すと、ノエルに手紙を出すことなどを薬師ギルドでカレンに報告してから、ハンターギルドに向かう。何も言われていないけれど、今は薬師ギルドよりハンターギルドでサラの力が求められているような気がするからだ。

 ハンターギルドに向かうと、やはりいつもよりにぎわっている。

「すみません」

「あら。昨日はお疲れさま」

 受付のお姉さんはサラを見てにっこりと挨拶してくれた。

「今日も探索組なの?」

「探索は昨日でおしまいで、今日はなにかお手伝いすることがあればと思ってきました。それと、一つ依頼を出したいんです」

 サラは昨日用意してきた紙をぴらりと出す。

「どれどれ。あら、薬師ギルドからの依頼ね。特級ポーション使用経験者。使用時の経験談求む。時間は一時間程度。謝礼はポーション詰め合わせ。一時間でポーション詰め合わせはとてもいい条件ね」

 受付の人は満足そうだ。

「特に問題はないし、受け付けたわ。すぐにボードに貼っておくわね。それから依頼だけど」

 受付の人は、ちらりと端のほうにいる集団に目をやった。

 おそらく深層に行くハンターだろう。

 サラもつられて目をやって、それから信じられない気持ちでもう一度そちらを見た。

「アレン!」

「見つかっちゃったわね」

 おそらく受付の人が視線を動かしたのはわざとだろうが、サラはそのことに気がつかずアレンのほうに走った。隣にクンツもいる。

「アレン! クンツも!」

「サラ。おはよう」

 アレンはしまったなという顔だし、クンツもちょっと気まずい顔をしている。

「おはようじゃなくて!」

 サラの声は大きくはないけれどハンターギルドに響いて注目を集めてしまった。それに気がついたアレンの表情が硬くなるのがわかる。

「日常生活に戻ってはいいと言われたけど、ハンターに戻っていいとは言われてないでしょ」

「サラ」

 アレンの表情は、いつも見ている優しいものではなく、それがサラを不安にさせた。

「俺にとっては、ハンターでいることが日常なんだ」

「でも、ダンジョンに入ったら、必ず身体強化を使ってしまうでしょ」

「使わない」

 アレンは力強くそう言った。

「使えないことは、一緒に行く仲間にもちゃんと言ってある。俺は荷物持ちと、拠点の維持の手伝いのためだけに行くんだ」

「でも」

「サラ。行かせてくれ。俺、役に立たないままではいられないんだ」

 それでも言いつのろうとしたサラを、クンツが止めた。

「俺たち、どうするかちゃんと話し合ったから。そのうえで二人で荷物持ちをするって、昨日決めたんだ」

「クンツ」

「それに、サラとやったこと、拠点でちゃんと訓練してくるから」

 わかったとは言いたくないが、サラは体の横でこぶしをぐっと握りしめ、口を引き結んだ。最後にこれだけは確認しておきたい。

「身体強化と魔法は……」

「しつこいよ」

 それはアレンからの手ひどい拒絶だった。

「俺が何のために深層に行くと思ってるんだ。このままでは、サラを、いや、誰も守れないからだろ。俺を弱いままにしておきたいのかよ」

 そう言い放ったアレンは、もうサラと目を合わせようとはしなかった。

 サラは叩かれたかのように身をすくめるしかない。

「サラ! 依頼のことで確認したいことがあるの」

 受付の人の声で、緊張が破られた。

「はい」

 サラはくるりと振り返ると、受付の人のところまでまっすぐに戻る。

「ちょっとこっちで一緒に確認しましょ」

 受付の人は、ギルド長室に続く裏手の休憩室にサラを連れ出してくれた。

「さあ、泣いちゃってもいいわよ」

「いいえ」

 サラは受付の人に感謝の笑みを浮かべながら、力なく椅子にぽすりと座り込んだ。

「ありがとうございます。私、びっくりして。言い合いなんてしたことがなかったから」

 日本では生きるのに精一杯で、人とケンカしたことなどなかったサラである。親しいアレンとの言い合いは、衝撃が大きすぎて悲しむところまで消化できていなかった。

「まあ、あのくらいの言い合いはハンターなら軽いほうだし、友だちだってもっときつい言い方するわよ。普通よ普通。ただね」

 受付の人は優しく微笑ほほえみかけてくれる。

「アレンもサラも、誰も欠点を探せないほどいい子でやってきたからね。皆も驚いたし、本人たちだって驚いてどうしようもなさそうだったから、おせっかいやいちゃった」

「本当にありがとう」

 サラもあの空気はいたたまれなかった。

「サラを守れないから、か。男の子よねえ」

 受付の人はなんだか嬉しそうだ。

「私、守ってもらう必要なんてないのに」

 サラは自分から守ってほしいと言ったこともないし、ほのめかしたことすらない。

「そうよねえ。昨日深層まで皆を守るよう依頼を受けたのは、誰だと思ってるんだって話よね。荷物持ち風情が何をご大層なことを言ってるのよって」

 さらっと話された内容があまりにも毒が強すぎて、サラは思わずぽかんと口を開けた。

「サラより強くなければ守れないなら、アレンは一生サラのことなんて守れないわね」

「それは」

 アレンはサラより強い。サラには攻撃もできないし、魔物も狩れない。

 でもそれはやりたくないだけで、サラは魔物を狩ろうと思えばいくらでも狩れるし、そもそもどんな攻撃からも身を守ることはできるのだ。

 けれども、渡り竜の咆哮の時、気絶したサラを背負って運んでくれたのはアレンだ。

 つらいときに、味方でいてくれたのもアレンだ。

 それは、強いとか強くないとか、守れるとか守れないとかではないはずなのに。

「怒っていいのよ、サラ」

 受付の人の優しい声で、サラははっと自分の思考から戻ってくる。

 毒を吐いたのはサラのため。どうしても人を悪く言えないのを知っていて、サラの代わりにはっきりと言ってくれたのだ。

「強くなるのを待っていたら、おばあちゃんになっちゃうじゃない。そういうことじゃないのよ! 男って奴は!」

「は、はい」

 だんだんとえんが混じってきたような気がして、サラは戸惑いつつ素直に返事をしておく。

「ゴホン。とにかくね」

 受付の人はせきばらいすると、サラに言い聞かせるように人差し指を立てた。

「サラが招かれ人で強いことも、優しくて元気な普通の女の子だってことも、このギルドの人は誰でも知ってる。サラは女子職員にも人気なのよ。ネリーもそうだけど、同じハンターとして誇らしいわ」

 思いもよらないところから褒め言葉が来て、サラは今度こそ泣きそうである。

「勘違い野郎なんて、こっぴどくはねつければいいのよ」

「勘違い野郎って」

 とてもアレンのこととは思えない呼び方に思わず笑いだしそうになる。でも、アレンにだってサラの知らない面がたくさんあるのかもしれないと、切ない気持ちになる。

「そして優しくて強いサラも、おせっかいで過保護だから、はねつけられちゃったのかもね」

 おせっかいで過保護。一昨日のクリスから始まって、それを突きつけられてばかりだ。

「でも、それでよくない? 一七歳は成人だけれど、まだまだ成長中なのよ」

 サラの前回の一七歳は、生きるのと勉強で精一杯だった。普通の一七歳が、元気で自由に動ける一七歳が、こんな面倒な気持ちになるとは思いもしなかった。

「ぶつかって、納得できなくて。無理に閉じ込めなくていいから、ゆっくりと気持ちを整理したらいいわ」


 ハンターギルドを出ても、サラの行くところといえば薬師ギルドしかない。暗い顔のサラを気遣って、同僚は何も聞かないでいてくれたが、その気遣いさえなんだかいたたまれなくて、サラは残業もせず早々に屋敷に戻ることにした。とぼとぼと足元を見ながら歩いていると、たったっという足音が聞こえたかと思ったら、肩をポンと叩かれた。

「サラ、偶然だな。たまたま帰りが一緒になるとはな」

 春とはいえ、夕方はまだ風が冷たい。体力自慢のはずのネリーが、額に汗を浮かべ、少し肩で息をしながら立っている。

「ネリー」

 たまたま一緒になったのではない。おそらくギルドで今日の話を聞いて、超特急で走ってきたのだろう。

「ネリーも今日から泊まりがけの探索組に入るんだと思ってた」

 朝はネリーと顔を合わせる前に出てきたから、今日の予定を聞いていなかった。だから今日の夕食はきっとライと二人きりだろうと思っていたのだ。

「魔の山と同じと聞いて、懐かしさはあったが、それなら無理に行かなくてもいいかと思ってな。魔の山には飽きるくらいいたからな」

 ハハッと笑うネリーに、確かにサラよりも長くいたネリーはそうかもしれないと思う。

「それに、昨日狩ってきたガーゴイルのローストが、今日の夕食に出るはずなんだ」

 そわそわと屋敷のほうを見るネリーがとてもかわいらしい。そして、早く帰ってきたのがサラを心配してだけじゃないと知って、なんだかほっとしたのだった。

「だから、母鳥のようになるなと言っただろう」

「はい?」

 後ろから聞こえた声にサラが振り返ると、そこにははあはあと息を切らしたクリスがいた。

「本気のネフに追いつくのは大変だ」

 どうやらクリスも、今日は探索組には入らなかったらしい。クリスでさえ追いつくのに時間がかかったということは、やっぱりネリーは急いで走ってきてくれたんだなと思えた。

 ネリーがやれやれというように肩をすくめる。

「クリス。お前はコミュニケーションというものをもっと勉強する必要があるな」

「は? コミュニケーション? ネフが私に、コミュニケーションについて説教だと?」

 サラからしたら、コミュニケーションにおいてはどっちもどっちだと思う。だが、ネリー熱愛のクリスでも、ネリーからはコミュニケーションのことだけは言われたくないという気持ちがにじみ出ていて、サラは思わずプッと噴き出した。

 今だけは、だから言っただろうとは言われたくない。クリスへの怒りは筋違いだとわかっていても湧き上がった怒りは、そのおかしさに紛れて小さく消えてしまった。

 すると、やはり後悔だけが残る。

 どうすればよかったんだろうと、視線は足元に落ちてしまう。

「ああ、その。サラ。余計なことを言ってすまなかった」

 サラは驚いて顔を上げた。クリスがまたサラに謝ったことに驚きを隠せない。

「そうだ。ほら、ネフ、あれだ」

 クリスも恥ずかしいのか、焦ったようにネリーに話を振った。

 ネリーもつられたのか、なんとなく焦った様子でサラに話しかけてくる。

「あ? ああ、そうだな。サラ、今日、受付嬢の話を聞かずに帰っただろう」

「うん」

 受付の人に慰められて、そのまま体が自動的に薬師ギルドに向かったのだが、そういえばアレンに気づく前に、受付の人がなにか言いかけていた気がする。

「サラに、依頼のことを言い忘れたと伝言をもらってな。薬師として、最深層の薬草分布を調べてほしいんだとさ」

「薬草分布」

 それはとても興味深いのだが、しかし、それにはサラよりも適任者がいるはずだ。

「そういう仕事はクリスがやるんだと思ってました」

「ああ、もちろん引き受けてはいるが、私はどちらかというと、希少薬草を中心にして調査しようと思っているんだ」

 サラもクリスから教わっているので、ほかの薬師よりは薬草には詳しいが、クリスほどではないので納得だ。

「じゃあ私がすべきなのは何ですか」

「薬草図鑑に載っている薬草類の調査だな」

 それならできるが、なにも今やらなくてもという気もする。

 そもそも、薬草図鑑に載っている薬草類は、ダンジョンの外でも採取できるのだから。ちょっと卑屈な気持ちになっているサラは、依頼に作為的なものを疑ってしまう。

 だがそんなサラの気持ちをクリスはわかっていたようだ。

「言っておくが、私たちがサラのために作った仕事でもないし、アレンのことがあったから配慮したとかでもない。そもそも頼まれそうになったのは、アレンのことがあった前だろう。あ」

 クリスはうかがうようにネリーのほうを見た。

「今のは、コミュニケーション的にどうだと思う?」

「ぎりぎり合格といったところか」

 ネリーが偉そうに評価しているが、そこはネリーに頼らずに、サラの表情を見て判断すべきではないかと思う。

「ゴホン。どうやら、昨日の依頼の様子を見て、ダンジョンには行きたくないというサラの気持ちが弱くなったようだと、ハンターギルドは判断したようだな。サラさえやる気なら、本当は新しく見つかった層を含めダンジョン全部の分布を調べてほしいそうだが、とりあえずは一六階を、とのことだ。どうだろう」

 サラは、自分のやるべきことを自分で考えようと意気込んでいたが、この二日空回りばかりのような気がして落ち込んでいた。だが、サラのバリアの力と薬師としての力、両方を見込んでのちゃんとした依頼があるのなら、それを受けるのも自分から動いたことになるのではないだろうか。

 サラが悩んでいると、ネリーがコホンと咳払いをした。

「私はクリスの護衛として付き添おうと思っている。クリスは確かに強いが、採取では隙もできる。それに、魔の山と同じならきっとコカトリスもたくさんいるに違いないしな。卵だって見つかるかもしれない」

 さっきから食欲が爆発しているネリーである。

「クリスの護衛なの?」

「そうだ。依頼はサラ一人のものだし、サラは一人で探索することになると思う」

 ネリーはサラに付いてきてくれるような気がしていたが、クリスに付いていくという。

 それが不安なわけではないが、意外ではある。

「魔の山を思い出してみるといい。私が狩りに出かけている間、サラは一人でちゃんと行動できていただろう。何の問題もない。しかも、五年以上前でそれだ」

 二人きりで魔の山にいたとき、まだ弱かったときでさえ一人で過ごしていたことを思い出した。

「いまさら深層で鍛え直そうとする奴など、サラの足元にも及びはしない。サラは強いんだと見せつけてやれ。私は弟子のアレンより、サラの味方だ」

 ネリーはこぶしをぐっと胸の前に出した。

「もちろん、弟子のことだって大切でないわけではないぞ。無理をしないかと心配はしている。が、サラもアレンももう自分のことは自分でやれるしな」

 ネリーとは違い、サラはアレンのこともサラ自身のこともそこまで信頼しきれていなかったということかもしれないと、ふと思う。

「何日も泊まりながらの探索となる。厳しいぞ。それに、ええと」

 サラの力を見せつけてやれと言いながら、ちょっと弱気に目を左右にさまよわせている。

 そんなネリーの代わりのようにクリスがズバリと言い切った。

「アレンもいて気まずい。それは確かだな」

「クリス、それはちょっと……」

「ここははっきり言うのが思いやりではないのか?」

 サラを置き去りにして、思いやりとは何かを語り合う大人二人と並んで帰るサラの目は、足元ではなく、ちゃんと前を向いていた。


「確かに私も領主として忙しい。だが、だからこそサラと取る夕食だけが楽しみだったのに」

 よよよという声が聞こえてきそうな表情のライだが、サラを和ませようという冗談だということはわかっている。

「だが、優秀な薬師を私だけが独占しているというわけにはいくまい。サラがもし、深層の仕事を受けるというのなら、それもまた領主としてありがたい。無理をせずにな」

 エルムは探索組として今日からすでにダンジョンに泊まり込んでいる。家族だからか、ろうのハンターという割にウルヴァリエの団らんにしっくりと溶け込んでいたエルムがいないと少し物足りなさもあったが、これがいつもの家族だという気もしてほっとする。

 それに、クリスもネリーもアレンのことについてはあれ以上何も口にしなかったし、ライは知るよしもない。

「私、依頼を受けることにします」

 落ち込む気持ちはネリーとクリスが引き上げてくれた。

 どうしたらいいかわからないけれど、少なくとも行動したほうがずっといい。


 泊まり込みの準備は、テントを含めいつでもできている。お屋敷の厨房の人にローストガーゴイルをたくさん持たされたりしたが、魔物を狩ってくるわけでもないサラは余裕でポーチに入れることができる。

「行ってきます」

「気をつけるんだぞ」

 温かいライの見送りに手を振って、ネリーとクリスと一緒にやってきたギルドは、案外いつもどおりだった。

「深層に行けるハンターばかりじゃないからね。たいていのハンターは自分の実力に見合った階層でいつもどおり狩りをしてくれている。それもとても大切なことなの。ところで」

 昨日と同じ受付の人が丁寧に説明してくれる。

「昨日は依頼を言い忘れちゃってごめんなさいね。大事なことだったけれど、急ぐわけでもなかったから。でも受けてくれる気になって嬉しいわ。とりあえず一六階からで大丈夫?」

「大丈夫です」

「いいわー」

 うふふと嬉しそうな受付の人である。

「一六階なんて、このギルドでも行けるハンターは限られているのに、平然と行けるって言えるなんて、かっこいいわ。さて」

 サラを褒めるだけ褒めると、受付の人は切り替えて仕事を説明してくれた。

「昨日からすでに地図づくりが始まっているの。それを受け取って、まず描き写すところからやってほしいのよ」

 先行している探索組が描いた地図に沿って、ざっくりと薬草の群生がないか調べていくのがサラの仕事だ。

「クリスが発見したギンリュウセンソウも、結局は薬師ギルドの管轄にはなってしまうんだけど、そういうものが採取できる特別なダンジョンであるという評判は、ハンターを引き寄せる効果があるのよ。タイリクリクガメが出たということもハイドレンジアの名前を大きく上げて、魔物の種類が変わったわけでもないのにハンターは増えているしね」

 受付の人は片目をパチンとつぶって見せた。

「そうするとお給料だって色がつくわけ。頑張ってね」

 私のお給料のために、という心の声が聞こえてきたような気がして、サラはなんだか気が楽になる。

 その後すぐに、サラは深層部へと向かった。もともと口数の少ないネリーとクリスと、落ち込み気味なサラの三人組の行程はとても静かだ。

 ここ数日で深層に通うのは三回目のサラも、だんだんと慣れて、最初よりもだいぶ疲れを感じなくなったなと実感するころ、深層に到着した。

「ネフェルタリじゃねえか! ガーゴイルを狩りつくすまで来ない気かと思ったぜ!」

 待機組らしいベテランのハンターがネリーの肩を叩いて歓迎する。

「旦那も一緒かよ。っと、サラだったか」

 なぜサラを見て気まずそうな顔をするのかというと、向こうにアレンがいるからに違いない。

 いつもなら駆け寄ってくるはずのアレンは、サラのほうを見たはずなのに、視線を合わせようともしない。クンツがどうしようかというようにサラとアレンを交互に見ているのも腹立たしい。

 そのことにサラは思ったよりも衝撃を受けたが、それを顔に出すことだけはしたくない。

 アレンのために来たのだと誤解されるのもしゃくにさわる。実際違うのだし。

「薬草分布の調査に来ました。よろしくお願いします」

「おう、仕事か。まあネフェルタリとクリスがいれば大丈夫か」

 招かれ人とわかっていても、サラのバリアを直接見た人は多いわけではない。こういう感想になることは理解できるから、サラは訂正もしなかった。

 安全地帯を見回して、サラは端のほうへ移動すると、まずポーチから長机と椅子を出した。

「おう、手際がいいな」

 仕事に来ているのだから当たり前である。

「昨日の地図があれば見たいのですが」

「あー、現場の奴が持っていっちまった」

 クリスがいつ来るのかわからないので、そのまま持ち歩いているという。

 サラは目の前に広がる、魔の山に似た景色を観察してみる。

 遠くではあるが、まだ目の届く距離に探索隊が見える。

「正面と、左右。三つに分かれて探索しているんですね」

「正確には四部隊。一部隊は待機だな。あとは雑用係だ。そして今日から薬師組か」

 雑用係はアレンとクンツらしい。

「じゃあ、戻ってくるのを待つより、どれかの部隊の後を追うように調べたほうがいいかもですね。今日を無駄にしないように」

 さて、どちらへ向かおうか。

「うん。右手にします。高低差が少なくて、初日の肩慣らしにはよさそうだから」

 サラが右手を選ぶと、ネリーは腕を組んで左右を眺める。

「では、私は正面を行こう。魔の山では、ここより高いほうにコカトリスが多かったからな。それを目指す」

「では私もそれでいい」

 クリスの依頼にネリーが護衛で付くのではなかったかと思わず突っ込みそうになったが、サラと同様に、クリスもどこから調査を始めてもいいのだろう。休憩もそこそこに、サラとネリーは別々の方向に歩き出した。

「おい! 嬢ちゃんが一人かい!」

 待機組のハンターが叫んでいるが、サラの耳にはもう雑音は入らなかった。