ヴァンデスも、ミナの言葉のどこにショックを受けたのか、やや放心状態だった。
「ミナ、分かっているとは思うが、俺は忙しいんだ」
「はい……。
「ならいい。早く来い」
ミナを立ち上がらせ、こちらに歩いてくるように言うと。それと同時に、俺の背後でドラゴンのダウンウォッシュと共に着地する音が聞こえた。
振り返り音の発生源を見ると、そこには現状を理解できない顔をしたアシュリーがいた。
「何でここへ来た?」
「
アバスたちから、俺が騎馬騎士と喧嘩をしにいった、とでも聞いていたのか、美しい容姿に似合わない呆気にとられた笑顔で言った。
「一足遅かったな」
「そのようで」
聞かれて面倒臭い場面はすでに
俺のところまでやって来たミナは、今回の件を謝罪した後、失礼します、と静かに言うと
「ヴァンデス。貴方はやらなければならないことがあるんでしょ? こんなところで立ち止まらずに、それを目指して」
ミナの静かな
「これ以上、こちらに手を出すというのであれば、我々も
我々とは言うものの、ストライカー侯爵家がどう動くのか分からない今は心強い味方などいない。要は
それで
ヴァンデスたちには聞こえないように、いい演技をしてくれたヴィリアにお礼を言い、俺はミナを連れて学校へ向かって飛んだ。
□
学校へ戻ってから、ミナを寮にある部屋へ押し込め、
ここへ戻ってくる間に聞いたが、騎馬騎士の訓練場に行くようになったのは、元クラスメイトからの
奴隷として買われながら、今までとほとんど変わらない生活をさせてくれる俺に対して、何か恩返しがしたかったようだ。
それに、強くなりたい、と訓練する俺に対して、騎馬騎士の訓練ができないミナは、どんどんと弱くなっていく自分が嫌だったらしい。
酒場の帰りに起きたヴァンデスとのやり取りを見ていれば、俺とあいつとどんな関係にあるのか
ここまで聞けば、ヴァンデスが一人で盛り上がって先走ったのだと分かる。
「何があったのかは分かりませんが、弱った顔をしていると敵につけ入られる隙になりますよ」
ミナを部屋に置いてきた後、男子寮の前で待っていたアシュリーは俺を見るなりそう言った。
「弱る? 俺が? まさか?」
今回のことで、ヴァンデスが俺を
それに対応するために、ヴァンデスと会いに行く前にストライカー侯爵家──とは言っても、ストライカー侯爵家は皇都からかなり離れた場所にあるので、皇都にある別邸に
本来であれば、身を守れる程度の伝手を作ってから、ストライカー侯爵と会いたかった。
しかし、今はそんなことを言っていられない。時間がある内に対策するのだ。
何の対処法も考えていない、行き当たりばったりな考えしか頭に浮かばないのが問題だ。いや、そもそもこの入れ替わりを始めたのも思いつきだし、今までほとんど思いつきで行動していたことを思い出すと、ふと考えるのが馬鹿らしくなった。
もしもの時は、ヴィリアに乗って逃げればいい。まぁ、ヴィリアが迎えに来るまで生きていれば、の話だが。
「それなら良いんですけど。……さすがに、
「……あぁ、分かっているさ」
アシュリーはキリッカ第三訓練場に来たときに、助太刀に来た、と言っていた。しかし実際は、学校へ報告に行ったときに、俺に出頭命令が出ていることを聞いたからだそうだ。
しかし俺は、騎馬騎士の訓練場へ出かけていたので急いで呼びに来たらしい。
なぜそのような噓を吐いたのかと問うと、自分の心証を良くするためです、と
何を考えているのかよく分からないが、ある意味信用に
「頑張ってください」
アシュリーに見送られながら、俺は
本部付きの職員らしき制服を着た男性に案内されて通されたのは、二〇~三〇人くらい収容できそうな中規模の広間だった。部屋の中央には
「ロベール君。こちらへ座りたまえ」
俺をここまで先導してくれた職員は、この部屋に入る直前で別れた。どうすればいいのか迷っている俺に声をかけたのは、
「それでは、今回の報告を持ってきてくれた生徒が到着したので、話を始めるとするか」
出入り口から一番遠い席に座っていた、
座席位置を考えればあの初老の男性が一番
飛行服を着ていないし、騎馬騎士の服でもない。初めて見る服装だったので、この人がアシュリーの言っていた
「常識的な話だから分かっているとは思うが──」
隣の席に座る校長は俺に
「彼が
「なるほど、勉強になります」
あの初老の男性は
軍隊についてはこの学校に入ってから学び始めたばかりだし、最近はずっとマシューに
学校内ではアホなボンボンで通っていて良かった。お陰で、隣から
「それでは、議題について再度説明します。三日前の夜半に、そちらにいる
そこから続いたのは、俺が報告した内容と同じだった。再度、という言葉が頭に付いたので、俺が来る前にも説明があったのだろう。
続いて始まった説明は初耳のものだった。こちらは、今日帰って来たアシュリーたちが報告したものだそうだが、さすが情報を持ち帰ることを最優先したからか、俺が持ってきた
説明を聞き終わり目の前のテーブルに目を落とすと、テーブルの上には簡単に描かれた砦とその周辺の地図があった。
砦を中心として、北と東には敵が
空からはゆっくりと見る暇がなかったので分からなかったが、地図を見て思うのは、なぜ敵に囲まれる前に対応できなかったのか、と思ってしまう砦の立地条件だった。
その地図の上には、敵兵の代わりにコップが、砦の代わりに深目のボウルのような皿が置かれている。
説明が終わった後にカショール総大将から、他に何か思い出したことはあるか、と聞かれたが、特に思い出す内容もなかったので首を振るだけにした。
「なるほど、分かった」
期待していなかったのか、カショール総大将は簡単に頷くだけだった。
「砦に残っている兵力と食料を
「候補生──ロベールが言ったことが正しければ、二週間は持つでしょう」
答えたのは、俺の斜め左に座っている
この
エルクースは、援軍が来るまで持ちこたえてみせると言っていた。しかし、士気はもったとしても食料がなくなれば待ち受けているのは
底が見え始めた食料を前に、どれだけの兵士が士気を
「なるほど。バースはこう言っているが、
「私が」
恰幅の良い
ギラついた目をした
「キース、言ってみろ」
「はい」
カショール総大将に、キースと呼ばれた
「砦に詰めているのは、
「士気で腹が
キースの言葉に、先に意見を言ったバースが鼻で笑いながら言った。
「そんな当たり前のことを話して何になる? 私はもっと根本的な話をしているんだ」
キースはこの
「その根本的というのは何なんだ?
「そんなことをしては、いが
俺は絶対に行かんぞ、と表情に出しながら話すバースに対して、キースは冷静に判断した。
一度、というのは俺のことだろう。アシュリーからの報告を聞いても、あの砦を囲んでいる兵種、兵力は充実している。
俺が突入できたのはヴィリアという存在と、敵が圧倒的な兵力を有していたので油断していたからだ。
「先も言ったように、砦にはエルクースが詰めている。食料さえなくならなければ、腰の重い騎馬騎士本部が動き出すまで
エルクースのことを信じているのか、キースは食料さえあればまだ
「キースよ。食料を渡すのは良いが、どう渡す? 荷物を
キースとバースの応答を静かに見ていたカショール総大将が口を開いた。
その
「荷物を空から投げ入れれば良い」
「なっ!? 空からだと!?」
冷静に言うキースとは真逆に、無茶苦茶な話だ、と言いたげな顔で、バースは叫んだ。
あぁ、そうか。
「そうだ。これなら、降りる手間などいらない」
「ふむ……。空から投げ入れるのは良いが、投げ入れられる物はパンといった
想像し
可能性の一つとして考えることができる柔らかい頭は、さすが本部を
「どこに投下するかにもよります。前にやった時は、民家に投下しました。
カショール総大将の問いに対し、キースは全く
「酒樽が六つか……。その時、その民家の住人はどうしていたんだ?」
「家主はすでに逃げていたので、特に問題はありませんでした。戦時なので、家の
「なるほどな」
魔法使いのような
「しかし、物資を投げ入れるのは砦だ。屋根のある場所は、兵士の寝床になっているだろうし、万が一傷病者のいるところに投げ入れて見ろ。とんでもないことになるぞ」
カショール総大将が物資の投げ入れに肯定的だったので、先ほどまで言い合っていたバースも無理だとは言わなくなった。その
空中投下は悪くない案だが、あの砦に潰しても大丈夫な家屋はないだろう。特に、今バースが言ったように傷病者施設に投下してしまっては、人的損害どころか
しかし、それも
「ならば、まずは人がいない所に投げ入れれば良い。前回の物資の投げ入れは、エルクースの部隊に対して行った。奴ならその意図にすぐに気づいて、投げ入れても問題ない場所をすぐに
すんげぇ行き当たりばったりな作戦だが、他に良い案が思いつかないようで、ここにいる全員は「運ぶ物資は何が良いか」「
「ロベール君。君は、この作戦をどう思った?」
完全に
「そうですね。そのまま投げ入れては危険なので、パラシュートとかつければ良いんじゃないでしょうか?」
「パラシュート?」
聞いたことが無い単語に、校長は眉を寄せて不思議そうな顔をした。
「はい。簡単に言えば、
普通であれば、ドラゴンは羽ばたきながら真っすぐ着地する。走り降りの場合は、翼を大きく広げて
荷物を多く
パラシュートという存在が分からなくとも、ドラゴンの走り降りと同じといったところ、すぐに理解してくれた。
「カショール様。発言の許可を願いたい」
校長は手を上げると、周囲の煩い声に負けることない声でカショール総大将に言った。
「あぁ、言ってみてくれ」
やんややんや、と皆が話し合う外側で、カショール総大将は
「いや、発言者は私ではない。彼だ」
「んんっ!?」
完全に気を抜いていたので、間抜けな声が飛び出してしまった。気を抜いていたにもかかわらず、周囲の
「ストライカー侯爵家の──」
「ロベールです。ロベール・シュタイフ・ドゥ・ストライカーです」
家名は知っていても、名前まで覚えていなかったカショール総大将に自己紹介をした。
悪名高きロベールの名前は、この場にいる
「では、ロベール。何かいい案があるらしいが、どんな案だ?」
「あっ、あぁ、はい」
余計なことをしやがって、と校長を睨みそうになったが、すんでのところで
自分の有用性を見せつけてこそ、俺の未来は広がるのだから。
ここはむしろ、校長のナイスアシストと思うべきだろう。
「今、皆さんが話し合っているのは、物資を
「その通りだ。今のところキースが言ったように、広場に一つ落とし、そしてその意味に気付いたエルクースに指示を貰うというものだ」
答えたのは、キースと言い合っていたバースだった。校長が再び耳打ちしてくれたが、彼も共に蛮族調査へ行ったフィーノと同じ国境警備隊だそうだ。しかも、隊長。
ただ、彼はフィーノとは違い
それにしても、初めは無理があるんじゃないか、と言われていた作戦も、他に良い案が出なければ採用されてしまうんだな。そもそも、物資を広場に落としてからエルクースに気付いてもらい指示を
その間、空にいる
「それでは、指示を仰ぐまでに時間がかかります」
「そんなことは分かっている。だが、傷病者施設に物資を投げ込んでしまってはことだ。それに、硬い地面に投げ込んでは少ない物資が無駄になる。多少危険だが、そうせざるを
話を聞いていたのか、という態度を表に出さず、どうしてそのように投げ込むのか、というのをバース隊長は
「確かにそうです。そこで、私が提案するのは、パラシュートを付けた箱を投げ入れるというものです」
校長がパラシュートを知らなかったので、ここにいる全員も知らないと仮定して、校長にした説明と同じことを話した。
初めて聞く方法に、皆いぶかしげに話を聞いていたが、次第に想像できるようになったのか、俺が提案した方法について具体的な質問が出るようにまでなっていった。
「しかし、物資を入れておく箱はいいとして、布が問題となるな……」
きちんとしたパラシュートを作るのは難しいが、今回は空気を孕み落下速度を遅くすることのみを目的としたものなので、それほどしっかりとしたものは必要ない。
無事に落とせるならそれに
「それなら伝手があります。この件、私に任せてはいただけないでしょうか?」
意見を言うだけではなく、その責任者をやりたい、と言い出した俺に、一同ザワつきだした。
学生ではあるが、力ある上級貴族の子供なので表立って何か言うことはなかったが、騎士たちの顔は、学生にできるわけがないだろう、といったものだった。
「伝手……というのは、マフェスト商会のことかな?」
校長が、俺が言う伝手について
確かに、ボカされるよりもしっかりと名前を言ってもらった方が、他の皆も安心だろうけどさ。
「……そうです。ですが、そこだけではなく最近名前をよく聞くようになったイスカンダル商会とも
任せろ、と言われても俺は学生なので、本当にできるのか、という表情が多い。しかし、一部では父親の爵位から問題なくやれるのでは、という考えも読み取れる。
「よし、分かった。それでは、パラシュートとやらの件はロベールに任せよう」
「ありがとうございます」
全員が判断に迷っている中、カショール総大将が決断してくれた。
さらに、手伝いのために人を付けてくれるという。初めは喜んだのだが、もし俺ができなそうなら、すぐに
「リッツハーグと申します。よろしくお願いします」
離れたところに座っているので
初めは男性がつけられるとばかり思っていたが、リッツハーグは女性だった。しかし、ベリーショートの赤髪で、左側頭部は撫で付けており、ハリウッド映画に出てきそうな兵士然とした
「戦女神は、行動の速い兵に味方をする。ここで決まったことは、私の方から騎馬騎士本部へと伝える。他に何か意見がある者はおるか?」
今回決まった話は、救出ではなく物資を投げ込むだけの話なので、騎馬騎士の力を借りることはない。
しかし、勝手にやっては後で何を言われるか分かったもんじゃない。だが、騎馬騎士本部は動かない。そんな滅茶苦茶な状態だから、総大将自ら乗り込むんだそうだ。
なかなか心強い話を聞いていると、この会議室の扉をノックする音が聞こえた。
鍵を開けずにドア越しに
初めは、難しい問題が片付いてリラックスをした表情をしていたが、耳打ちされる内容が悪かったのか、次第に険しい内容に変わっていった。
そして、校長は俺の方を見た。
□
「しかし、ストライカー様は
「世の中には知識が詰まった本という名の物が存在しています。暇を見つけては、それらばかり読んでいたので自然と知識が頭の中に入っていました」
まぁ、噓だけどね。実際は、前世で得た知識だ。
今は、リッツハーグと共にアムニットを呼びに行った帰りだ。しかし、俺の背後には呼びに行ったアムニット以外にも、大名行列のようにいつものメンツにプラスしてアシュリーもいた。
そんな増えてしまった皆を気にすることなく、リッツハーグはその見た目に似合わない、おだてるようなことを言いながら俺の隣を歩いている。
ロベールに気を使ってくれるのは嬉しいが、俺の内心は
ヴァンデスが本物のロベールの顔を知っており、俺が入れ替わった偽者だとバレている可能性がある、という内容は伏せた状態でミナとヴァンデスの一連の流れを説明した。
それと同時に、さすがに手に
俺は引き受けたパラシュートの件があるので、後のことは校長がやってくれると言っていた。
さすがに俺がいない間にストライカー侯爵家の人間に動いてもらうのは恐い。だが、先にやらなければいけないこともある。一体、どう動けば最善なのか分からず胃が痛くなってきた……。
「顔色が良くないですが、大丈夫ですか?」
心配されてしまうほど顔色が悪かったのか、アムニットが
「いや、大丈夫だ」
アムニットにはあの会議でも言った通り、マフェスト商会を紹介してもらうためについて来てもらった。
今はアムニットの父親であるマフェスト氏が皇都へ来ているらしく、丁度良かった。
ミシュベルは、物資を詰め込むための樽と
なぜそれを許しているのかというと、さすがに
ロベール様のためなら何でも差し上げる
樽に使う板は
樽の存在も
俺がいない間に、ミシュベルは完全な蒸留装置を完成させるだけではなく、その操作技術も手中に収めてからこっち、ワインはもとよりデンプン
お陰で、火が付きやすいアルコール度数の高い酒を手に入れることができた。
予想外の働きを見せてくれるミシュベルに感謝しつつ、マフェスト商会へ向かう。
□
アムニットのお陰で、馬車の
目に入れても痛くない
ただ問題というほどでもないが、マフェスト氏に疑われている感もあった。
俺が偽物だということには気づいていないと思うが、あの苦虫を何千回も嚙み潰したような
見た目はぽっちゃりとした気の良さそうなおっさんだったけど、商売人は仕事になると殺し屋のようになるのかもしれない。
しかし、今ある幌用の布だけではまだまだ
さらにいえば、これでも足りなかったので
こちらも、国に
行動を初めて三日目。布を確保し、パラシュートを作るために商会に所属している
昼夜を問わず仕事を進めるために、皇都内にあるいくつかの大きな倉庫を貸し切って、そのなかで作業をしてもらっている。
「それにしても、結構な人数と物が集まりましたね」
たくさんいる針子だけではなく、倉庫の
「まあな。どれだけ落とすかまだ分からんから、数だけは集めた」
落とす数については、まだ俺のところまで話が降りてきていない。
一度聞きに行ったのだが、平時にもかかわらず
砦の危機であるにもかかわらず騎馬騎士本部が動かないのは、アバスの話によれば
なぜそのような話になったかというと、騎馬騎士側の記録では俺たちが蛮族調査へ出発した翌日に、
それだけなら入れ違いということでなんら問題のない話だが、その伝令の内容というのが〝砦に問題はない〟というものだった。
俺が出た翌日と言えば、すでに砦は攻められている最中だ。問題がないわけがない。
さらに、その伝令が誰だったのか、という記録もなければ、伝令が乗って来たであろう馬の世話の記録もなかったそうだ。つまり、
犯人が欲の皮の突っ張った役人だったらまだここまで問題にならなかったと思うが、現在疑われている人間が、騎馬騎士本部の
そのせいで、その重鎮たちの派閥に入っている騎馬騎士たちは上へ下への大騒動となり、
そして追い打ちをかけるように、騎馬騎士の青年幹部たちはスパイの
元々おかしな感じがしていた組織だったが、ここまでしっちゃかめっちゃかになるとは誰が想像していただろうか。全てを知り、理解できるとは思っていないが、俺のあずかり知らぬ所で戦争が始まっては非常に困る。
「我々は、我々に
思考が暗い方向に沈みかけ始めたとき、グレイスが
遠くで行われていることに関して、俺は手を出すことはできない。しかし、与えられた──自ら
「あと、食料だけではなく武器の搬入も行いました。確認を──」
そう言って、グレイスは納品書と書かれた羊皮紙を俺に渡してきた。
手動ポンプの専属販売を主な事業としていたイスカンダル商会だったが、そのポンプで得た金を元手に事業を拡大し、今ではポンプを優先的に
ただし、軍は軍で昔から
「ありがとう。大丈夫そうだ」
本来では箱の中を
次に行われる作業は、屋内訓練場に保管された物資の詰め込み作業だ。
しかし、この訓練場というのが何とも
外に借りた倉庫にするか迷ったが、
今一番
イスカンダル商会の人間が出張ってきている理由は、
物資の詰め替え作業を終え、フタさえ閉めてしまえば、後は破壊工作のみに注意するだけなので、それからの作業は
本当だったら、そこもイスカンダル商会の人間を使いたいのだが、余りにもサービス精神旺盛すぎると怪しまれるだろう。
「皇帝陛下が病に
今までの雰囲気と一転し、グレイスは非常に言い
「どう、とは?」
「皇帝陛下は、自国民以外にはかなり
一介の商会にすぎないイスカンダル商会にも、独自の情報網がある。そこから、ある程度の話が流れてきているようだ。
情報処理に
「敵が何を考えているかは分からないが、皇帝陛下が病気に臥せっているから、というわけではないと思う。今回はむしろ、敵にとって失敗が
というか、それ以外分からない。分かっているのは、帝国の人間と呼応して秘密裏に西の砦を襲っていたが、それを誰かが見つけるとは思っていなかったということだ。
「それで──」
「ロベールはいるか?」
グレイスが何かを言いかけたとき、訓練場の入り口から俺を呼ぶ人がいた。
そこには鎧に身を包んだ、バース隊長が立っていた。
「どうかしましたか?」
「この物資の投下について最終確認をしたいと、騎馬騎士本部の輜重隊責任者から連絡がきた」
「……それって、大丈夫なんですか?」
「相手の方から来てくれている。場所は
「なら良いのですが……」
俺もバース隊長が言う通り、
恐ろしくてしょうがないが、対応できるのが俺しかいないとのことなので、どちらにせよ出なければいけなかった。
□
「お忙しい時にお伺いして、申し訳ありません」
「いえ、作業のほぼ全ては終わらせてあるので、後は出発の号令がかかるのを待つだけです。それに、忙しいと言えばそちらの比ではないかと……」
何が忙しいとは口には出さなかった。目の前に居る輜重隊責任者も色々と仕事があるのか、目の下にクマを作っている。
本来であれば、リッツハーグも同席する予定だったが、投下作戦まで時間がなく、色々な部署と歩調を合わせなければいけないので、今はそちらへ回っている。
「確かに。しかし、さすが最速の
何か
「砦を
「あぁ、その話ですか。あの砦の
ぶっちゃけた話、目的地をヴィリアに伝えればあとは自動運転だ。ヴィリアに背負わせた荷物を背もたれにすれば、そこはもうネカフェで寝るような心地良さとなる。
いや、ネカフェは言いすぎか。背中と尻が痛くなるし、今は寒さが
「それで、今回は物資内容について最終確認とのことですが、目録をご
「はい、ありがとうございます」
輜重隊責任者に手渡したのは、グレイスが持っていた物資の目録の写しだ。
手渡された目録を上から下まで素早く目を通すと、彼は頷いた。
「この短期間に、これほどの量をそろえられるとは。さすが、最速の
そのおかしな二つ名は正直、止めて欲しかった。
「それと、今後の行動予定の再確認ですが、明後日の朝に皇都を発ち、途中のテルムット村で休憩をした後、日が
目録から目を上げた輜重隊責任者は、投下作戦を行う
「そうですね。それで間違いありません」
ポケットから、投下作戦の
「分かりました。騎馬騎士本部が大変なことになっていますが、砦の救出部隊は滞りなく出立させるように
「もちろんです。砦に詰める兵士だけではなく、国のためにも成功を収めなければいけません」
学生らしい、夢を見るように意気込みを語ると、輜重隊責任者は
「なんとも頼もしい
そう言い残し、輜重隊責任者は
彼は人が良い無害そうな雰囲気をだしていたが、それが嫌な予感がしてならなかった。
騎馬騎士本部は問題が起きている最中なので、少しくらい問題が上乗せされても問題ないだろう。
□
「よぉ、ロベール。騎馬騎士本部の
樽への物資の移し替え作業を急がせるために、
相変わらずギラついたというか、ギョロッとした目なので、爬虫類系の生き物を思わせる顔つきだ。話してみるととてもいい人なんだけど、その顔つきと普段からの語気の強さのせいで周りから距離を置かれているらしい。
「緊急会議が必要になりました。私はバース隊長たちを呼んできます。キース隊長は、他の投下部隊の隊長を呼んできてもらえませんか?」
「中止になったのか?」
眉間にシワを寄せて言うキース隊長。本人は難しい顔をしているらしいが、やられる側にしてみれば半ギレで睨まれているようにしか見えない。
「いえ、その逆です。作戦開始は明後日でしたが、明日の早朝に早まりました」
「おいおい、さすがにそれは……」
少し急きすぎでは、と静かにつぶやいた。彼もまた投下作戦のために
だからこそ、他の皆の進捗状況も分かっている。そんな状態にもかかわらず、明後日から明日に早まっては驚くのも無理はない。
「間者が侵入していることを考慮しての予定繰り上げでしょう。それに伴い、休憩する村も変更となり、投下時間も夜間から早朝へ変更になりました」
「間者か……」
苦虫をかみつぶしたような顔をしながら、キース隊長は口の中でつぶやいた。
他の
「ならば、急がなければいけないな。俺は、同列の奴らを呼びに行くから、バースや反対側に座っていた奴らを頼めるか?」
「問題ありません。一〇分以内に集めて見せますよ」
「頼もしい限りだ。ではよろしく頼むぞ」
キースと別れ、俺はバース隊長をはじめ、その周りに座っていた人たちを呼びまわった。
小一時間もすると会議室には、以前も物資投下の話し合いで集まった時のメンツがそろっていた。突然の呼び出しにもかかわらず、一番遠くにある自宅に居たはずのカショール総大将ですら、すでに席へついていた。
「お忙しい中、突然の呼び出しをしてしまい申し訳ありません」
頭を下げると、
「それでは、騎馬騎士本部から通達された新しい投下予定を説明します」
騎馬騎士本部に──いや、スパイに予定と違うことを
□
日程が変わったために、物資の樽詰めやパラシュートの取り付けは夜通し行われた。
その間、外部との連絡を遮断するために、訓練場からの出入りは制限された。同じく、物資投下に
お陰で日が昇る前には荷物の積み込みが終わり、合計一〇〇頭ものドラゴンが砦へ向けて飛び立つことができた。
飛び立った直後、眼下に広がる騎馬騎士本部周辺には、大量のドラゴンに目を丸くする騎馬騎士や歩兵がたくさんいた。
クーデターが起こってから数日
予定を一日繰り上げて出発したのが
本来行くはずだったテルムット村に比べれば小さな村だが、その分
前夜に行われた軍議では、まずは日が落ちるまでにカムテー村へ飛ぶ。そして、翌朝に朝食をとった後に砦へ向けて飛ぶということになっている。
ここからは無休憩で飛ぶことになり、夜が明ける前に砦へ到着し、同時に物資の投下を開始する。敵がこちらに気付いて対応を始める前に逃げる、といった作戦だ。
口で言うには簡単だが、荷物を限界まで積んだ状態での長距離飛行は、前線にいる
今作戦に参加する
物資を失うのは
それに、ドラゴン一頭につき二〇〇キロ近くの物資が載せられており、一番体格の良いヴィリアに
「話には聞いていたが、ロベールのドラゴンは
カムテー村で乗せている荷物を下ろしたあと、ヴィリアにブラッシングをしていると、感心した声でキース隊長が言ってきた。
「何度も命を救われています。愛すべきドラゴンです」
そう言いながらヴィリアの顎下を
「そうか。仲が良いんだな。だが、体格は良いのは分かるが他のドラゴンの倍以上積んでいるんだろう? 大丈夫なのか?」
「この程度の荷物であれば、ヴィリアは問題なく飛ぶことができます」
この積載重量は、ヴィリアが自分で申告してきたものだ。自己申告なので、他のドラゴンに比べれば、無理をしていないと言えるだろう。
「なら、いいのだが……」
そうはいっても、この村を飛び立てば、砦へ物資を投下してから敵がいない安全圏まで一度も降りることがない行程なので、俺を心配するキース隊長の表情は微妙だ。
他の
「明日からはかなりキツイ行程となる。大丈夫か?」
「この村に到着するのは、もう少し時間がかかると思っていました。それに、今からであれば
「馬鹿を言うな。この中で一番体力が少ないのはロベール、お前だ。途中で滑落してもらっては困るから、無理をするなと言っているんだ」
「私の愛竜はとても賢く、体力もあります。これだけの荷物を積んだ状態で、ここから砦へ行って帰ってくるくらい、全く問題はありません。また、私は安全帯を付けているので、最悪滑落することはありません」
そう言い、腰に付いている安全帯をキース隊長に見せると、あからさまに眉を寄せた。
やはり、熟練の
「将来的には、そのような小物に頼らずともドラゴンに乗れるようにしなければいけないぞ」
「はい、
善処どころか改めるつもりはなく、さらに安全帯を広めようとしているので、これは口ばかりになってしまう。
だが、俺の迷うことない返事が良かったからか、キース隊長は満足そうに頷いた。
「今日は早く寝たほうが良い。小さいが、村長に頼んで部屋を貸してもらえることになったから、ロベールはそちらで寝ろ」
「分かりました。ありがとうございます」
外でもヴィリアが居れば暖かいので問題ないが、屋根がある部屋で寝かせてくれるというのであれば、その好意をありがたく受け取ろう。
明日は早い出発ではないとはいえ、準備をしていれば時間などすぐになくなる。寝坊しないように気を付けなければいけない。
□
「──い、お────ル」
マフラーで顔を覆い、裏起毛の帽子を被っていても
「おい。起きろ、ロベール」
「ふぐっ?」
今まで暖かいベッドで寝ていたはずなのに、目を開けると真っ暗な空を飛んでいる映像が飛び込んできたので、驚いてしまった。どうやら夢を見ていたようだ。
「もうすぐ砦だ。周りの奴らも慌ただしくなり始めたぞ」
「そうか。ありがとう」
後ろに積んだ荷物を背もたれにして寝ていたので、肩と尻が
「寝ていた俺が言うのもなんだけど、ヴィリアは大丈夫か?」
周りの
「ふん。私は人間と違って三週間くらい寝ずにすごせるし、一週間と少しは何も食わなくても大丈夫だ。荷物が増えた状態で長距離を飛ぶなど、私にとって
ヴィリアってそんなに高性能だったのか。腹が
「それより、お仲間が九人ほどはぐれたぞ」
「マジか……」
「大マジだ」
辺りを見渡すが、月明かりがあると言っても夜明け前の一番暗い時間帯だ。人間の視力では遠くまで見ることはできないし、たとえ見れたとしても人数を数えることはかなり大変だろう。
「やっぱり無理があったかな……」
敵に見つからないように高度は高く──余裕をもって二〇〇〇メートルくらいを飛んでいる。気温は
俺の場合はヴィリアの体温が高いので暖かいが、他のドラゴンはヴィリアのように体温は高くない。そんな状態で脱落者が九人ということは、数としてはかなり優秀なのかもしれない。
これで、残りは九一頭だ。
「その半分以上が降下ではなくおかしな方向へ飛んで行っただけだから、上に乗っている奴が寝たか仲間を見失って迷子になったかだろうな」
体力の
俺も寝ていたのだから人のことは言えないが、ヴィリアがいてくれて本当に助かる。
寝ていた頭を回転させるためにヴィリアと話していると、遠く前方から明るい光の点滅が見えた。
「降下の合図だ。作戦が始まるぞ」
「あぁ、分かった」
緊張する俺と対照的に、ヴィリアは軽く返事をした。
「再度確認するが、敵
「安心しろ。お前のやりやすいように動いてやるよ」
「頼んだ」
自分の降下するタイミングを待っていると、目の前を飛んでいた
地面に近づいてくると目標の砦が見えてきた。物資不足のためか、二〇〇〇メートル上空からでは分からないほど小さな、心許ない
そんな砦へ、希望が詰まった物資の投下が開始される。
ゆっくりと降下していたヴィリアだが、砦へ一定の距離まで迫ると体を少し傾け、一気に加速した。
ほんの少しの浮遊感を受け、腹の中がゾワリとする感覚に襲われる。
体から出る水分で
「先頭が投下を始めた! ロープを切り離す準備をしろ!」
「おうよ!」
眼下には、先頭が切り離した物資のパラシュートが開いていた。夜明け前の深い
そして、風切り音が煩いにもかかわらず、物資が地面に着地する
大きめに作ったはずのパラシュートだったが、投下の加速と物資の重さを殺すには大きさが足りなかったようだ。
砦──というより、空の異常に気付いた敵陣から、甲高い笛の音が聞こえ始めた。
「敵が気付いて動き始めたな。物資を投下した先頭集団はすでに
遠くを見渡せない俺の代わりに、周囲の状況をヴィリアが教えてくれる。
ユスベル帝国の
「敵が上がってくる様子は!?」
「ない! 今は何人かでドラゴンを起こして回っているような状況だ。ドラゴンの近くに
油断するつもりはないが、このままいけば敵
これが、不意を突いたというのであれば良いが、俺たちが明日の夜中に来るのを見越して、
「ロープを切れ!」
「おぉ!!」
固く
どんどんと物資は投下され、眼下に白いパラシュートの花が咲いていく。俺たちが落とした物資のパラシュートは綺麗に開いたが、中にはパラシュートが開き切らずに、減速することなく地面へ衝突して爆砕している物がいくつも見られた。
パラシュートについては、まだまだ検討の
「全部落としたな? では、
「なるべく体を揺らさないように頼む!」
「多少は我慢しろ!」
物資の投下ポイントとなっていた、砦の南北をつなぐ大通りは
しかし、俺たちが落とす物資の数々は、砦に詰めているギリギリの状態の兵士たちを勇気づけるには十分なようだ。兵士たちは俺たちに向かって、飛び上がらん勢いで手を振っていた。
一人ひとりが乱雑に叫んでいたが、それが次第に
だが、俺は雄たけびの唱和を気にすることなく、背もたれにしているバッグから取り出した物に集中した。
バッグから取り出したのは、灰がこぼれないように通気性のよい布で
壺の中にはカムテー村で火を
全ての花瓶の口に詰められた布を少しだけ引っ張り出して、
「よしヴィリア。準備ができたから、敵陣の真上へ行ってくれ」
「
「当たり前だ!」
他の
ヴィリアの体が水平に戻ると、壺から灰に
「
風に布が揺らされないようフタを
花瓶の中身は、蒸留酒を共沸して取り出した高濃度のアルコールだ。出所は言わずもがな。この世界で唯一蒸留酒を作っている小さな個人酒蔵からだ。
長いこと寒い空を飛んでいたので、布に含まれたアルコールが冷えており、火が付きにくくなっていた。それでも、布を火に触れさせていると、水分の蒸発音が数回なり、火が点いた。
この花瓶の正体は、
「おいっ! 何をやっているんだ!」
火を点けた火炎瓶を落とす準備を整えたところで、近づいてきた
皆の疲労はピークに達しており、自分の仕事で一杯いっぱいのはずなのに、他人に目配りができるなんてどれだけ体力があるのか、と思った。だが、怒鳴ってきた
俺が砦に居続けていると思い、バルシュピット領に
「荷物を投げ込んだら、撤退する手はずじゃないのか!? 何をしているんだ!」
この作戦以外に割ける
たまたまなのか、それとも毎日監視をしていたのか、フィーノは俺たちが突入をするのを見て、危険なこの場まで飛んできたのだろう。そして、他の
物資を投下した後は
手に持った火炎瓶にはすでに火が点いており、さらには敵陣の真上に来てしまっているのだ。ここで引き返すことなどできない。
「特務として、命令を受けました!」
「何だと!? 何をする気だ!」
これ以上、フィーノと話している暇はない。旋回してもう一度仕切り直したかったが、敵の
この世界の騎士の気質を
「これは、特務である!」
フィーノにも聞こえるように、自分に言い聞かせるフリをしながら大声で叫んだ。
一つ目の火を点けた火炎瓶を投下すると、次々と同じように火を点けては投げていく行為を繰り返した。なるべく、天幕や物資を積んでいるだろう荷車へ向けて。
初めは選びながら投げていたが、敵陣の切れ目が見え始めると、残りは無差別に投げていった。
敵陣で割れた火炎瓶は、俺の予想通り火柱を挙げて辺りを赤く包んだ。その
全て投げ終えると、そのことをヴィリアに告げ、空高く
三〇本入りのケースをヴィリアの左右に取り付けているので、計六〇本もの火炎瓶を敵陣へ投げ込んだことになる。
フィーノも俺の後ろ──燃え盛る敵陣に気を取られているが、問題なくついてきいていた。
あれほど暗かった地面が、一部ではあるが明けの空に照らされるよりも早く明るくなっている。
「ロベール! テメェ、なにしとんじゃ!!」
下の
ずいぶん切れているようで、言葉に普段は聞かないような
「これは、特務です! それ以上の何物でもありません!」
「何が特務じゃ、クソボケ! これが
俺がやったことがよほど気に入らないのか、
「
後ろには、自陣の惨状にブチ切れた四人の敵
ヴィリアはまだ体力があり、フィーノのドラゴンはこの作戦に参加していないので体力的に問題ない。しかし、俺たちが飛ぶ先には、体力の限界が来ている
敵の
「先に行け!」
ヴィリアの左右に付けている、火炎瓶を入れていた箱を
「ッ!?」
敵の
「────!!!!」
声は聞こえないが、何を叫んでいるかは
敵
敵のドラゴンは
その落下した仲間を救出しようと、三番目についていた
「あと二頭か!?」
俺の目で見えるのは、背後に迫ってきている二頭だけだった。周囲は明るくなり始めているとはいえ、まだまだ暗いので自分の目を信じることはできなかった。
「手近にいるのはあれだけだ!」
「なら、とっとと落として帰ろうぜ!」
「分かっている! お
頼もしいヴィリアの言葉に、顔がにやけるのがわかった。
こうして、