ヴィリアは落ち着きを取り戻した俺を見ると、不敵な笑みを浮かべて言った。

 今は◇スクウエア型の飛行形態を取り、護衛対象となる俺を中心にして飛んでいる。

 よくわからないまま始まった今回の任務は、よく分からないままうやむやに終わった。なんとも後味の悪い終わりだ。

 ──あの戦闘で、一体何人の砦の兵士が死ぬのだろうか?

 フィーノたちは何とかなると言っていたが、俺たちを砦へ入れるために飛び出してきた、あの兵士たちはほとんど全滅してしまうだろう。いや、半分以上が帰ったのを見て絶望してしまったかもしれない。

 自じ暴ぼう自じ棄きになって総特攻するかもしれない。その前に、あの砦を明け渡すかもしれない。

 明け渡さなくても近日中に陥落おとされることは確実だろう。ほぼ完成している、あの規模の砦を敵に取られてしまっては、帝国にとってかなりの痛手のはずだ。

 砦が襲われている報告をするにしても、陥落おちる可能性がある現状よりは、陥落おとされない状態にしてから戻った方が、俺に対しての評価も良いはずだ。

 見えない戦いに先を見せることで持ち直させればいい。

「なぁ、ヴィリア──」

 ヴィリアの方を向かずに、正面を向いたまま独り言のように話す。風切り音がやや煩うるさいが、ヴィリアには問題なく聞こえているだろう。

「俺一人だけでも砦に入りたいんだけど、死なずに入れるかな?」

 竜騎士ドラグーンと違い経験は浅いが、俺にはヴィリアがいる。

 できれば怪我もしたくない、と言う前に、ヴィリアはバク転の要よう領りようで反転すると、砦へ向けて一気に加速した。

「ちょっ、ヴィリア、早すぎ!」

「あの出てきた阿あ保ほぅ共が死ぬ前に何とかしたいのだろう? なら我慢しろ!」

 ヴィリアは俺の叫びに対し、楽しそうに言った。口に出さずとも、ヴィリアは俺が何をしたいのか分かっているようだ。

 ありがたい反面、俺への対応がかなり雑ざつになっている気がする。

「ストライカー様! 一体、どうされたんですか!?」

 俺の突然の反転に戸と惑まどい動けない候補生が多い中、フォポールだけはその反転に反応し、ついてきていた。

「砦の兵士と話したら、俺もすぐに皇都へ向かう! お前らは先に戻ってろ!」

「危険ですから、お止めください! ここは副隊長に任せて皇都へ行く方が先決です!」

「ヴィリアの方が早い! 問題なく追いつくことができる!」

「遅い、早いの問題では──」

「ゴアァァァァァァァァァァァァア!!!!!!!!!!」

 なおも食い下がろうとするフォポールだったが、次の句が出る前にヴィリアが吠ほえた。

「うわっ!? どうした!? なぜ急に止まるんだ!?」

 ヴィリアの咆哮に反応したのか、フォポールのドラゴンは急停止した。突然、言うことを聞かなくなったことに焦りながらも、手た綱づなを使い命令するが、それでもドラゴンは動かなかった。

 それどころか、候補生の意思で動かせなくなった他のドラゴンたちが、フォポールのドラゴンを呼ぶように高い声で鳴いていた。

「凄いな。あれがアバスたちの言っていた、ドラゴンが言うことを聞かなくなった状態か」

 どんどんと小さくなっていくフォポールたちから視線を逸そらし、砦の方へ少しだけ視線を向けた後、八頭のドラゴンとやり合っているフィーノたちを見た。

 さすが豪語していただけあり、迫せまるドラゴンをいなし、吐かれた炎ブレスを華麗に避よけている。しかし、それも長く持たないだろう。いずれは疲労から綻ほころびが発生し、そこから一気に崩壊するのだ。

「さっきのやつで、あそこにいるドラゴンも何とかならないのか?」

「言うことを聞くのは、相手が私のことを仲間だと理解している時だけだ。あれは、ただの命令だ。敵が命令してきたとしても、ロベールは聞かんだろう?」

 何と。あの咆哮は相手を威い圧あつしているだけかと思いきや、結構細かな命令がされているようだ。初めて知ったわ。

「なるほど、確かに聞く耳は持たんな」

 俺の素直な感想が気に入らないのか、ヴィリアは鼻を鳴らした。

「このままの速度で飛び込むからな。ロベール、気を付けろよ」

「おうっ、何とか飛び込むまでに準備をしないとな」

 準備といっても大がかりな何かをするわけではなく、頭と背中を守るようにカバンを背負い直し、その上から毛布を被るだけだ。

 鎧は荷物を少しでも減らすために元から持ってきていない。それに、竜騎士ドラグーンの鎧は前面しか守っていないので、今着ていたとしても意味はないだろう。

 敵味方の両方がほぼ同時に俺を見つけ、敵の竜騎士ドラグーンの内二騎が俺を追ってきた。

 フィーノも俺を守るためか、一度はこちらにドラゴンの頭を向けたが、多勢に無勢、敵竜騎士ドラグーンに進行方向を押さえられてその場に釘くぎ付づけにされている。

「横合いから来てるぞ!」

「分かっている! お前は矢に当たらんように、伏ふせていろ!」

 準備を終えた俺は、ヴィリアに言われた通り背中に伏せ、彼女と一体化した。

 伏せているので周囲の状況を見ることができず、耳に届くのはヴィリアの羽ばたき音と風を切る音だけだ。ヴィリアのことだから上手くやってくれると思うが、周りの状況が確認できないのは辛つらく恐ろしい。

「北から侵入する!」

「追い風になるだろ!? 速度が落ちるんじゃ!」

 北から侵入すれば敵兵にとって向かい風になる。飛んでくる矢の速度は多少なりとも弱まり、狙ねらいもブレるからという判断だろう。

 しかしその分、空を飛ぶヴィリアにも不利となる。追い風は空を飛ぶものにとって良くない風だ。

「上から入れば速度など落ちん!」

 砦はそれほど広くない。垂直に落ちた後に、速度を殺すような距離はなかったはずだ。ヴィリアが言った通りのことをすれば、上に乗っている俺は飛び降り自殺をするのと同じだ。

「しっかりと捕まっていろ! 下手をすれば怪我ではすまんぞ!」

「クソッ! 死んだら化けて出てやる!」

 毛布をしっかりと被り直し、その中で手綱を腕に巻き付け鞍にしっかりと摑まった。

「それは良かった。そうなれば、これからずっと話すことができるな!」

 砦へ近づくとそこら中から甲高い笛の音が聞こえた。敵オレの接近を仲間にしらせるためか、それともフィーノたちと戦っている竜騎士ドラグーンを呼び寄せるためか。

 毛布の隙間から、何とか外を見る。届かないと分かっているのに、地上にいる敵兵が俺たちに向かって矢を射ってくる。

 中にはバリスタから飛ばしたと思おぼしき短槍が飛んでくるが、それでも距離が足りない。

 下から聞こえる怒号を嘲あざ笑わらうように高度を上げたヴィリアは、反転すると少しだけ羽ばたいた後、一気に滑かつ空くうした。

 ヴィリアと一体化している俺は、自由落下では味わえないほどの重力を体に受ける。飛んでいる時には聞こえていた風切り音が聞こえなくなり、ノイズのような音が周囲を支配している。

 周囲の状況が全く分からないので、後どれくらいで地面に到達するのか分からず、それが非常にストレスとなった。

 それでも──。

 不思議と恐怖心はなかった。

 そんな気持ちが全く起きないのはヴィリアがそばに居るからか、それとも感情が高ぶり過ぎて自分では分からなくなっているからか。

「あと五つで着地する!」

「ッ!?」

 いつ衝撃が来るのか戦々恐々としている俺を気遣ってか、ヴィリアは着陸までの時間を教えてくれた。

 そうはいっても、侵入方法の問題から減速することはない。

 心の中で数を数えると、六になった瞬間、真下へ向かって飛んでいたヴィリアが体を起こした。

「グォッ!?」

 それと同時に少しだけ浮いていた顔が鞍へ叩きつけられ、体が後ろへ引かれた──と思う間もなく激しい衝撃と共に急制動がかかった。

 その衝撃になす術すべもなく、俺は跳ねるように鞍から滑落するが、安全帯が地面まで落下するのを止めてくれた。しかし、その代わりにヴィリアの首元から尾の方まで、キーホルダーみたいに何度も往復するように振り回された。

 安全帯に吊り下げられ逆さまになった格好で、靄もやがかかったような目で辺りを見渡す。

「クアッ、クアッ──」

 安全帯を外そうと手を伸ばすが、被っていた毛布と絡からまっており外すことができない。さらに、自分の体重もかかっているのでそれも外せない原因となっていた。

 動きにくくなっている体を必死で動かし、何とか安全帯を外そうと頑張っていると、金属をぶつけ合いながら走ってくる音が聞こえた。

 砦に詰つめている兵士が、俺の元へ駆けてくる足音だ。

「おいっ! 大丈夫か!」

 兵士は逆さまになっている俺の体を抱き上げると、仲間に命令して引っかかっている毛布を引きちぎった。続いて安全帯の金具を弄るが、外し方が分からなかったのか、金具を滅茶苦茶に引っ張り始めた。それでも取れないと分かったら、今度はベルトを切ろうとしているのかナイフを取り出した。

「まっ、待て待て。そんなことをしなくても外せるから、一度俺を鞍に戻してくれ」

「あぁ、分かった」

 返事をすると、兵士は俺を軽々と持ち上げて鞍へ戻してくれた。

 安全帯を鞍から外すと、ヴィリアの手足を踏み台にして地面に降り立った。着陸の衝撃が凄すぎて頭がまだフワフワしている。

「あんた、大丈夫か?」

「大丈夫だ。ちょっと足に力が入らんだけだ」

 斥候と一緒に落っこちた時よりもダメージが酷ひどいかもしれない。あの時は必死だったのもあるが、今みたいに意識が朦もう朧ろうとしていなかったからな。

「おっ、とっと……」

 自分で思っている以上に、先ほどの強制着陸は体に負ふ担たんをかけていたようで、歩こうとすると足がもつれてしまい、近くに立っている兵士にぶつかってしまった。

「おいおい、本当に大丈夫か? ってか、伝令に子供を使うなんて……」

 伝令と言う言葉に、やはりか、と口の中でつぶやいた。彼らは、俺たちを伝令だと間違えていたのだ。

「帰っちまった時はどうなるかと冷や冷やしたが、仲間を逃がすために数人の竜騎士ドラグーンが残り、残りは逃げる──と見せかけて単騎突入! 騎士物語に出てくる英雄のような姿に、我々も元気を取り戻すことができました!」

 よほど疲ひ弊へいしていたのか、俺の突入方法をその場に居た全員で囃はやし立たてた。

「外へ出ていた人たちは?」

「それなら、全員──とまではいかないが戻ってる。何人かやられちまったがな」

「そうか」

 周りが敵だらけの中で、打って出るなんて自殺行為だ。しかし、それを行うほど待ち望んでいた伝令なのだ。

「ここの責任者と話がしたい」

「分かった。こっちへ来てくれ」

「あっ、ちょっと待ってくれ」

 歩き始める兵士を一いつ旦たん止め、何とか地に足を着いている感覚が戻りつつある体を必死に動かし、俺をここまで届けてくれたヴィリアの元へ急いだ。

「ヴィリア、大丈夫か?」

「問題ない。私よりも、柔らかいロベールの方が心配だ。酷くフラフラしているが、大丈夫なのか?」

「体が頑丈なのが取とり柄えだ。無茶をさせて悪かった」

「この程度でか? 見くびりすぎだぞ」

 そういって、ヴィリアは静かに笑った。

 俺はヴィリアに抱きかかえられるようにして、小さな声で話しているので周りには聞こえていない。はたから見れば、ドラゴンが竜騎士ドラグーンに甘えているように見えるだろう。

 頑張って突入したドラゴンを労いたわっている、と思っているようで、兵士たちは静かに俺たちを見守っている。

「なるべく早く戻ってくる」

「クワッ」

 ヴィリアは可愛らしく鳴くと、抱き寄せていた手をどけた。

「すまない。では、案内してくれ」

「こちらへどうぞ」

 突入のせいで乱れた着衣を軽く直して、俺は兵士の後ろをついて歩いた。


「第三隊のブレノスです! 先ほどの竜騎士ドラグーン殿をお連つれしました」

「入れ」

「ハッ!」

 バルシュピットのインベート準男爵は、自宅のことを掘ほっ立たて小屋に毛が生えた程度と称しようしていたが、それでもそれなりに良い建物だった。

 本当の掘っ立て小屋に毛が生えたというのは、目の前にある指揮所のことだろう。

 急ごしらえという言葉がしっくりとくる建物を見たのは、最近──竜騎士ドラグーンとして入れ替わってから初めてかもしれない。

 骨組みは大小ばらつきのある丸太で組んでおり、壁に使われている板は厚みも長さもバラバラだ。そこらにある物を寄せ集めて作ったというのが、誰が見ても分かる作りだ。

 地面には丸太をさしていた穴を埋うめた跡あとがあるので、指揮所の壁も柱も砦の補修に使ってしまい、余あまり物や使い物にならなくなった木材を再利用して今の形があるのかもしれない。

 その指揮所という名の掘っ立て小屋の中は、見た目に反はんして広かった。

「このような無様な姿で申し訳ありません」

 指揮所内で俺を出迎えてくれたのは、二〇代半ばの青年兵士だった。ところどころに包帯が巻かれており、まだ傷口が乾かわいていないのか、それとも替えがないのか分からないがところどころ血で汚れていた。

 松まつ葉ば杖づえをついて立ち上がろうとしたが、俺はすぐに止めて座りなおさせた。

「敵に囲まれ、矢が降りしきるなかにもかかわらず来てくださり、ありがとうございます。凄まじい飛び方でこの砦へ来てくれたことは、部下の報告だけでなく自らの耳でもしっかりと聞き取ることができました」

 感謝の言葉と共に椅子を進めてきたのは、この砦で実質的な最高責任者である百人隊長だったエルクース・フランツェという名の兵士だった。

 彼は少し前に昇進したばかりの新星で、一兵卒にしておくには惜おしい腕を持っていたので、今回の砦建設の防衛任務を受けて派兵されたらしい。

 しかし、砦が攻められ始めて少し経った時、流れ矢を受けて死んだ大将の代わりに部隊の指揮をしているそうだ。

「この戦闘はおかしなことが続いています。今この砦を攻めているのは、ハイヘルネン王国のラジュオール子爵です。ラジュオール子爵に初めて攻められた時は、砦内で腹痛者が大量に出ていた時でした。増援が補充されたときも、来る時間までがしっかりと分かっていたかのように、一旦兵を砦の西側へ集め、慌てて駆けてきた増援の側面から攻撃を仕掛け、数を減らすとともに怪我人を大量に砦へ押し込んできました」

 スパイがユスベル帝国に入って情報をリークしているのか、それとも金に釣つられた帝国のお偉いさんが情報を流しているのか。答えを出すには情報が足りなすぎるので何とも言えないが、早々に全面戦争が始まりそうで気が気じゃない。

 キナ臭い国だと思っていたけど、なかなか悪どいシナリオを書いている奴もいたもんだ。

 できれば、俺が準備を終えるまで爆発しないでいてほしい。

「決死隊を募つのり、伝令を七組出したのですが何とか届いたようで良かった」

 絶望的な状況だったのか、エルクースは目尻に涙を浮かべて安あん堵どの息を吐いた。

 程度の差はあれ、言い出し難にくいことは今までの人生で多々あったが、今この時ほどの言い難い話はなかったな。

「皇都からの増援は、いつ頃来るのでしょうか? すぐそこまで来ているのでしょうか? この砦を守るためであれば、増援部隊と呼こ応おうし決死の戦いをして見せますよ」

 半分、空元気だろうが、俺をここへ連れて来てくれた兵士を含め、指揮所内に活気が満ちた。

「それでは、まずは人払いをお願いできますか?」

 俺の言葉に、今まで笑顔だった人間の半分くらいの顔が曇くもった。

 なぜですか、とエルクースは聞いてくることはなかった。エルクースも軍に属する者なので、必要なのだからそうするのだ、といった様子で俺をここへ連れてきた兵士以外全員を退出させた。

「彼は私の右腕です。信用できます」

「そうですか」

 チラリとその兵士を見ると、兵士は特に不快に感じた様子もなく、信じてくれと言わんばかりに胸を張った。

「間者スパイの存在を考慮すれば、この処置は当たり前なのですが、どうやらそうではなさそうですね。周囲はそれほど酷ひどいんですか?」

「見たまま囲まれています──というのは、言わなくても分かると思いますが……。酷いというのは我々の存在です」

「竜騎士ドラグーンが……?」

 意を決して、俺は説明を始めた。

 自分たちが、エルクースたちが放った伝令からの報を聞き結成された救援ではなく、蛮族を探して西へ西へとやって来た先で、この砦の状況をたまたま見つけたこと。俺がここへ来たのは、決死隊のような部隊が出てきたため、俺たちを伝令と間違えた可能性があると思い、その訂正にやって来た、ということを話した。

 息を呑のみ、今聞いた悪い知らせを何とか嚙かみ砕くだき、理解する程度時間をかけたあと、エルクースは静かに「そうか」とだけ言った。

「では、我々が放った救援の報を持った伝令は──」

「我々は二日前に皇都を出てここへ来ましたが、その時はそういった話は聞いていませんでした。もちろん、我々と入れ違いになったのかもしれませんが……」

 一番近くにある、この砦の増援も寄っていたバルシュピット領に来ていない時点で、伝令は全滅した可能性が高い。彼らは待っていても絶対に来ない救援を待ち、今まで必死に戦っていたのだ。

 エルクースは黙考しているのか、それとも先がない自分たちに絶望して考えるのを止めてしまったのか。この静かな空間に来てどれくらい時間が経ったのか分からなかったが、外で薪の爆ぜる音が聞こえたことで夜がやって来たことを理解した。

「先ほど分かれた仲間が、皇都へこの砦の現状を知らせに飛んでいます。私も、空が完全に暗くなったら砦の外へ出ていきます。その後は、仲間の後を追って皇都へ向かうつもりです」

「……皇都まで、ドラゴンでどのくらいかかるでしょうか?」

「私の駆るドラゴンは、普通のドラゴンよりも速く飛ぶことができます。さらに、一時の休みもなく飛び続ける予定なので、一日──遅くとも翌々日の昼には皇都へ戻り報告できるはずです」

 ここはユスベル帝国の端はしも端はし。来るのに時間がかかったのだから、いくら空を飛ぶドラゴンであっても皇都まで時間がかかる。

 さらに部隊編成をして戻ってくれば、さらに時間がかかるのは当たり前だった。

「この砦に詰める兵士は、食うものも底を尽つきはじめ希望を失っています。中から崩壊する前に来ていただけるでしょうか?」

「私からは『善処します』としか言いようがありません」

 絶対という言葉は存在しない。それを今一番理解しているのは、この砦に詰める兵士やエルクースだ。

「──が、先ほども言った通り全力で飛び、伝えます。敵の攻撃を掻かい潜くぐり、ここに来た私を信じてください。私は必ず戻ってきます。無責任な言い方になってしまいますが、どうか諦あきらめずに砦を守っていてください」

 俺の言を信じてくれたのか、エルクースは、何とか持ちこたえて見せる、と返した。

 話し合いが終わり外へ出てみると空は暗くなっていた。

 指揮所から少し離れたところには、俺とエルクースの会話が終わったのが聞こえていたのか、ヴィリアが静かに待っていた。その周囲には、救援がいつ来るのか、と期待に満ちた様子の兵士たちが立っている。

 先ほどの話の内容は、一部変更して、俺が発たった後に話すそうだ。

 俺は兵士からの視線を気にすることなくヴィリアにまたがると、空へ飛びあがった。

 砦の外へ飛び出すと、敵発見の笛が一斉に響いたが、周囲の暗さと、俺が明け方に出ていくと敵は踏ふんでいたのか、矢はほとんど飛んでこなかった。

 安全地帯へ来たところで、ヴィリアに皇都へ全力で飛ぶように言った。これから、ヴィリアも辛つらいが上に乗る俺にとっても過か酷こくな、無休憩の飛行が始まる。


     □


 ロベールが西方へ蛮族の調査に旅立ってから、ミナの仕事量は一気に減へった。元々、怪我で体が動かし難にくかったロベールの身の回りの世話をするために皇都まで来たので、その仕事内容の大部分を占めるロベールがいなくなれば仕事がなくなるのは必然だった。

 いない間は普段の掃除以外に何をしておけばいいのか、とミナはロベールに聞いたのだが、ロベールも特に思いつくことはなかったのか、好きにすればいい、とひどく投げやりなことを言うだけだった。

 突然決まった調査任務なので仕方がないのだが、奴隷である自分が奴隷どころかメイドでもない、一般人のような日々のすごし方をしても良いのか不安になっていた。

 だが、掃除以外に本当にすることがなかったので、ミナは短時間ではあるが学校近くにある訓練場へ通うようになった。

 竜騎士ドラグーン育成学校で知り合ったメイドたちは、ミナの現在の境遇を羨うらやましがった。最低限の仕事をすれば、後は自分の好きなことをしてもいい。しかも、それでいて支払われる給料は変わらない。

 そもそも、支払われないことが当たり前の世界で、だ。


「ミレニウス?」

 今日も初任給で買った木剣を手に持ち、いつも通り訓練場へ向かっていると、懐なつかしい声に呼び止められた。

 そちらを見ると、ミナが奴隷として売られる前に通っていた、騎士学校時代の友人たちが立っていたのだ。当時と違い、着ている服がユスベル帝国の騎馬騎士の制服になっていた。

「一体、今までどこへ? それに、その姿は……?」

 ミナがあの日からどこへ行ってしまっていたのか心配した、とその姿──服装を見て驚いていた。

 今のミナが着ているのは、普段から着用しているメイド服だった。訓練場では、運動着に使っているボロを着るのだが、竜騎士ドラグーン育成学校の寮にあるロベールの部屋からその運動着のまま外へ出たら、寮長がとても嫌な顔をしたので運動着には訓練場で着替えるようにしたのだ。

「色々とあって、今はストライカー侯爵様のご子息である、ロベール様の下もとで働いているわ」

 その答えに、一同は複雑そうな返事をした。卒業を待たずに、学友が説明もなくいなくなり、その次に見たときは上級貴族の息子のメイドになっていたのだ。

 何かあった、と勘かん繰ぐらないほうがおかしいくらいだ。

「そっ、そうだ。ミレニウスは、今からどこかへ行くのか?」

 友人たちの一人が場の空気を変えようと、ミナの今後の予定を聞いてきた。ミナとしてはそれほど悪い空気にしたつもりはなかったので、何とも申し訳ない気持ちになりながら、これから訓練場へ行くことを説明した。

「メイドなのに訓練をするのか? それもメイドの仕事?」

「いや、上級貴族の息子のそば仕えになったんだから、身の回りの世話だけじゃなく、護衛もできないといけないんだろう」

「でも、昼間から出歩けるなんて、仕事は良いのか?」

 やはり、メイドが昼間から仕事もせずにほっつき歩いているのはおかしいのだろうか、とミナは思った。なので、主あるじであるロベールが就ついている任務とそれにより暇ひまになり、自分の時間を多くもらえていることを、ミナは友人たちに説明した。

 さすが、上級貴族の息子ともなると責任のある任務に就かされるんだな、と友人たちは感心していたが、ロベールの内心や行く前の悪あく態たいを見聞きしていると、それが余よ計けいな仕事でしかないのは十分に理解できた。

「そうだ、ミレニウス。今から訓練に行くんだったら、騎馬騎士の運動場を借りて訓練をしないか? その様子だと、馬にもずいぶんと乗っていないだろ? 昔の好よしみだ。ちょっと口利きして、馬に乗れるようにするから一緒に訓練しよう」

 軍属でない人間が軍の馬を使うことはできない。騎馬騎士になった友人たちが一緒であっても、見つかれば色々と言われるだろう。

 しかし、最近は馬と言えば農耕用の馬にしか触ふれていなかったので、軍馬に乗って槍術の訓練をしたいと思っていたミナにとっては、喉のどから手が出るほどの提案だった。

「この中じゃ、ミレニウスが一番強かったからな。でも、今なら勝てるかもしれん」

 友人たちにとってはただの軽かる口くちだったので一斉に笑った。しかし、ミナは笑う気にならなかった。

 座学であればほぼ横並びだったが、戦闘訓練となればミナが頭一つ抜けていた。だが、今は長いこと馬に乗っての訓練をしていなかったので、この友人の言い分は正しかったからだ。

「よし。じゃあ、早速行こう」

 竜騎士ドラグーンと騎馬騎士は、戦争ともなれば協力するが、それ以外はあまり仲が良いとはいえなかった。それは、学生だったミナも理解している。

 自分が騎馬騎士の訓練場を使って訓練をしていれば、竜騎士ドラグーン候補生であるロベールは良い顔をしないだろう。

 しかし、訓練を積んでおかなければ、いざというときに対応できない。直近の出来事といえば、マシューで敵の斥候とロベールが戦った時のことだ。

 敵と対たい峙じすれば戦う覚悟はあったが、長らく馬に乗っていなかったうえに、それが農耕馬、さらに言えば剣や槍の訓練もしていなかったので、負ける可能性が高かった。

 あの時のミナは、すでに戦闘が終わっていたことにホッとしていた。それと同時に、ホッとしてしまった自分が情けなく酷く矮わい小しような人間に思えて自己嫌悪に陥おちいっていた。

 だから、騎馬騎士の友人を相手に訓練をするのは、自分のためでありロべールを守るために必要なことだ、とミナは考えた。

 手に持った木剣を強く握にぎりしめ、久しぶりに会った元クラスメイトとの会話に花を咲かせながら、ミナは訓練場へと向かった。