足に力が入らないふりをして立ち上がろうとすると、娼婦のお姉さんが
酒臭さには若干の嫌な顔をしたのに、俺が胸に顔を
「ボク、ちょっと飲みすぎじゃない? ちゃんとお
「うぃーっす。大丈夫でーす」
酒臭くても意識はまだある。ここから学校の寮まで問題なく帰ることだってできる。
娼婦のお姉さんは、人さらいも
「フンッ。ガキが一丁前に酒など
俺を槍の石突きで突いてきた歩兵が、苦虫を
「はい。ガキのくせに酒など嗜んでいる酔っぱらいです。
胸に顔を半分埋め、残る目で歩兵を見ながら言うと、先頭に居る騎馬騎士の表情が少しだけ変わった。
「商会の
「毎日毎日、真面目にコツコツと働いて
「多少知恵をつけた子供が言いそうな言葉だ。確かに、真面目に働いて得た金のようだがな、国のためになる、と言っていいのはそれ相応の
騎馬騎士の言葉に、心の中で舌打ちをした。
この辺りに居る人間は、一度に使う金は少ないだろう。しかしその分、人数も店を利用する回数も多い。消費者がいなければ売る者は必要なく、それを作る者も必要なくなる。
大口の客の方が楽だし実入りが良いのは当たり前だが、そんな状態では発展性は
何より腹が立つのは、平民だからという理由で、国に全く貢献していないと断じているところだ。騎馬騎士も貴族も、国民が居なければただの肩書となるだけなのに。
「なるほど、なるほど。ならお聞きしますが、
もちろん俺は
周囲は水を打った様な静けさになり、ときおり
自分たちのことをどう評価するのか、と見ている平民たちに対して、騎馬騎士は腕を組み、
「ほぼ全てだな。こんな所をフラついている
その騎士の物言いに、周囲の人間の雰囲気は少なからず悪くなった。現に俺を抱きかかえている娼婦の腕の力も、少しだけ強くなっている。
「おっとぉ!? お貴族様にしては
「ナニィ?」
それを攻撃の意図があると見たのか、騎馬騎士の周囲を固めている歩兵に少しばかり殺気が入った。
「ここにいる人間だけではなく、全ての平民や
俺と一緒に立ち上がった娼婦の腰に手を回し、騎士や兵士たちを挑発するように言う。
「彼女たちだってそうだ。下に見られることの多い職種だが、帝国にとっては貴方たち並みにいなくてはならない存在だ」
娼婦を、国を守る兵士と同一に語られたのが気に入らないのか、騎馬騎士だけではなく歩兵の四人も同じく
「金で男に
「
「その売女に、周りにいる奴らに、国を、国民を守れるのか!? 国を守る兵士と商売女を同一に語ることこそ、愚かしいことだ! 笑わせるなッ!」
俺を介抱していたせいでとばっちりを受けてしまった娼婦は、小さな悲鳴を上げて数歩後ずさった。
「汚らわしいのはッ!!」
騎馬騎士だけではなく、俺たちを
「汚らわしいのは、必死に働いている人間を
つい今しがた口にした言葉を、俺に汚らわしいと
どうやら、そこまで直情型ではないらしい。
「必死で働いている人を馬鹿にするのであれば、貴方たちを育ててくれた両親も、隣に居る仲間も、ひいては日々国民の幸せと
心にもないことを、全力で
知っているのは学校の授業で習った、政治は苦手だが戦上手で、皇帝になると同時にユスベル帝国に攻め込む機会を
だが、この啖呵切りは良い流れを生み出した。
皇帝陛下を引き合いに出し、騎馬騎士の放った言葉を大きな範囲でくくり、愚弄とした。周りの人たちも、話の流れが分からなくとも『皇帝陛下』と『愚弄』という言葉の意味は分かる。
先ほどまでの、雰囲気が少し悪くなった、程度の言葉では表せないくらい、周囲の人間は殺気だった視線で騎馬騎士たちを睨みだした。
戦上手の皇帝陛下は
そんな皇帝陛下を愚弄されては、相手が騎馬騎士であっても黙っていられないのだろう。
「私がいつ皇帝陛下を愚弄したっ! 言葉尻だけを
突然変わってしまった流れに焦り、騎馬騎士は叫ぶように言い放った。
「ならば、人を見下し馬鹿にしないことです。それらは、
大衆を味方に取り、流れをものにした俺は、騎馬騎士と歩兵に満面の笑みを向けた。
言い返そうとするも、言った言葉がどのように捉えられて返されるか分かったものではないので、皆なかなか言い返せずにいた。
いや、皆ではない。四人居る歩兵の一人が、一歩前へ出てきた。
「貴様、平民のくせに何たる言いぐさ! そこに
俺が跪くかどうかよりも早く、兵士は槍で俺の足を払おうとした。
「──ツッ!?」
瞬間、大木を
兵士の槍は、俺の横から伸びた足に
「ご無事ですか、ロベール様!?」
そこには、料理と酒瓶を持ったミナが立っていた。
「あぁ、ありがとう。マジで助かったよ」
「ハッ」
両手がふさがっていなければ敬礼しそうな勢いで胸を張り、油断なくゆっくりとした動作で兵士が持つ槍から足を外した。
「女、何のつもり──」
「ミレニウス!?」
商売道具である槍を踏みつけられた兵士は、ミナを睨みつけながら
「ヴァンデス……?」
素っ頓狂な声を出した騎馬騎士を見たミナは、驚きの表情で目を見開いた。
この予想していなかった事態に、俺も歩兵も動けなくなってしまった。
「ミレニウス! 今まで一体どこに行っていたんだ! ご実家から連絡があって、帰省してから連絡が全く取れなくなったと聞いていたが」
母親に奴隷として売られた、とは言えないだろう。ミナがすごく困った顔になっている。
「そっちの子供となにか関係が?」
「子供? ヴァンデス、こちらの方は──」
騎馬騎士──ヴァンデスに俺の紹介を始めようとするミナの足を軽く
「私は、ストライカー侯爵家の者です。うちのミナの心配をしていただき、ありがとうございます。連絡できなかったのは全て家庭の事情ですので、お
ミナが来たことで頭が冷えた。俺はすでに奴隷ではない。奴隷だから、平民だからと蔑まれたことに対して
「ミナ、使いご苦労だった。さぁ、戻るぞ」
「えっ、あのっ、待っ──」
ミナから酒瓶を奪うように取り上げると、きびすを返し娼婦のお姉さんと向き直った。
「
「えっ? えぇ……」
突然、人が変わったような俺の対応に、娼婦のお姉さんは
学校の寮とは逆方向だったが、ヴァンデスにこちらの行く先を知られても面倒だったので、平民街を大きく回って寮へ戻ることにした。
「待て」
しかし、ヴァンデスは俺を呼び止めた。やはり、そうは上手くいかないようだ。
「ストライカー侯爵家のロベールと言えば、
その通りだ。俺と本物のロベールとは背格好が少し似ているだけで、他は全く似ていない。
相手を
このヴァンデスという男は、本物のロベールを知っている。
「意味が分かりませんね。ロベールは私です。
再びミナに声をかけ移動することを告げると、ミナは俺とヴァンデスの間で視線を動かし、すぐに俺の後をついてきた。
「待て、貴様ッ!」
歩兵は
俺をストライカー侯爵家のロベールと認めた訳ではなく、俺が何を考えているのか不明であり、ここでことを起こすのは危険だと判断したのだろう。
ヴァンデスたちが追ってくる様子はなかったが、大事をとって予定通り平民街を大きく
□
今俺の
周りにはいつものメンツ。アムニットとアバスがいて、珍しいことにミナもメイドとしてではなく客として招かれている。
それは、ミナの知り合いのヴァンデスとお話合いをした日に、寮へ戻る時にミシュベルと会ったことが
あまり酒を飲むことがなかった俺が、外へ飲みに出かけていると知ると、ベルツノズ家の別邸に飲みに来ないか、と誘ってきたのだ。
これからも仲良くやっていきたいと思っていたので誘いに乗ったのだが、アムニットやアバスだけではなく、ミナも巻き込んでの宴会となった。
「この良き日に、
「カンパーイ!」
「乾杯」
「かっ、乾杯です……」
「きゃんぱーい」
普段見ることがないくらいワクワクした調子で言うアムニットに続き、アバス・ミナ・俺の順で言う。
そしてワインを飲むのだが、約一名ありえない速度で飲む奴がいた。それがミシュベルだ。
掃除機で吸い込まれたのか、と思ってしまうぐらいの勢いで、グラスに入ったワインがミシュベルの口の中へ吸い込まれていく。
俺もミシュベルと同じワインを飲んでいるのだが、このワインはかなり度数が高い。あんな風に吸い込むように飲める
この中で酒をそれほど飲まないアムニットは、度数の高い酒が苦手らしく、
「それにしても、ロベール様が平民街へまでお酒を求めて出歩く酒好きだったとは、思いもよりませんでしたわ」
グラスに
「別に、酒を求めて出歩いている訳じゃないけどな。知的探求心ってやつだよ」
「そうでしたわね。でも、その探求心のお
メイドが持ってきた料理は、俺が前日に食べた雑に焼かれた肉──によく似せた美味しそうな料理だった。言うなれば、俺が食っていたのは一つ二〇〇円くらいのハンバーガーで、ミシュベルが出してきたのは高級レストランで作ってもらった、金額の
それに続いて部屋に入って来た別のメイドが持ってきたのは、赤ん坊サイズくらいの小さな樽だった。
「ウチで作ったエールですわ。この料理にはエールが合う、とロベール様が
こちらは、グラスではなく陶器製のコップに注がれた。香りを最大限に引き出した、というだけあって、このエールの香りは、昨日のような酒場で飲む物とは全く違っていた。
口に含んだ瞬間、
「さっ、ミナさんもどうぞ」
「私も良いのですか?」
貴族が主催する酒の席に、自分が呼ばれるとは思っていなかったミナは、今まで小さくなって酒を飲んでいた。その主催者であるミシュベルからかけられた言葉に、ミナは驚きを
同じ貴族であっても、下級であれば見下すミシュベルが、なぜか奴隷メイドのミナには優しかった。その
高飛車で
ならば前日に俺だけではなく、ミナに対しても、酒は飲めるのか、どれだけ飲めるのか、と熱心に聞いてきて、飲み仲間を求めているような気がしたのは気のせいだったんだろう。
楽しくお酒を飲んでいれば、次第に
ミナは普通だが、少しだけ顔が赤くなっている。俺はギリギリ。多分、
「美味しいお酒、楽しいお酒。最高ですわ~……」
いくつ目の樽なのか、そもそも何の酒を飲んでいるのか分からないが、ミシュベルはグラスを持ち、
「ミシュベルがこれほどお酒好きだとは、正直思わなかったよ。楽しい宴会をしてくれて、ありがとう」
「お礼を言いたいのは、こちらですわ。このような楽しいお酒は久しぶりですの。それに、私が作ったエールの評価も、私が思い描いていた通りの
そんな評価をいつしただろうか……、と思ったが、ミシュベルが
そうか。前世で俺は格安発泡酒ばかり飲んでいたから、気の
しかし、ミシュベルの意外な一面が見られたのは良かった。最初の印象こそ最悪だったものの、彼女は俺が貴族のサロンでどんなふうに言われているのか、
そんな
「──なぁ、ミシュベル。
この世界で、蒸留酒はまだ作られていない。それは、イスカンダル商会を通して確認
「ななな、何ですの、その素晴らしい名前のお酒は!?」
蒸留酒についての説明は口頭でも十分だったが、それを作る設備は紙に書いた方が分かり
「酒の原料は何でも良い。色々
「こっ、この技術を私に
作り方がほぼ確立したワインやエールとは違い、蒸留酒はまだ誰も作ったことがないので、何を使えばどう変わる、というデータがない。
しかしミシュベルは、蒸留酒を作るのが楽しみで仕方がない、といった様子ではしゃいでいる。
「いや、違うって」
「えぇっ!? そんなぁ……」
先ほどまでのはしゃぎっぷりが
「だがら、貸与じゃなくてあげるよ。まだこのやり方はどこもやっていないハズだから。ミシュベルの独占技術にすれば良い」
その言葉に、ミシュベルは一瞬で笑顔になったかと思ったら、すぐに破顔してでれえとした
「分かりましたわ。ロベール様から教わった、この新技術を
ミシュベルの背後に、荒波が立つ映像が見えた気がした。その迫力に押されながらも、まだ動くことができる俺とミナは