
派閥については手紙を送るだけにして一時保留とした。もちろん、全員に派閥入会の旨を伝える文章を送った訳ではなく、ミシュベルに頼み、取り込めば利益となるであろう人物を選んだ。
ストライカー侯爵家と伝手ができるかもしれない、と思ってか、または、まさか手紙が返ってくると思っていなかったのかは分からないが、クラスの雰囲気が再びおかしくなってきた。
手紙を送ったクラスメイトを中心として、互いを牽制し合うような眼差しで見ているからだ。これでは口で言わずとも、目で公言してしまっているようなものである。
さすがに、ここまでは想像の範疇を超えていた。もはや、俺にはどうにもできない事態になってしまった。
クラスの空気が不穏になっても時間は流れていくもので、俺は現段階の問題点を改善すべく、ミナと一緒に竜騎士育成学校近くの運動場へ来ていた。
理由は、白兵戦になった時のための訓練をするためだ。
学校で行われる訓練の内容は、全てドラゴンに乗っていることを前提として進められている。そのため、白兵戦──つまりは、剣や槍で戦うことを想定した戦闘訓練を全く考えられていない。
なぜかというと、竜騎士はドラゴンがやられた時点で死ぬ可能性が高いからだ。もちろん、騎馬騎士も落馬して当たり所が悪ければ死ぬのだが、竜騎士の場合は主戦場が空の上なので、負けても滑落しても間違いなく死ぬ。
だから、白兵戦の訓練は必要ない、と言われている。だが、何事にも可能性というものが存在する。
例えば、先日の所属不明の斥候との戦闘だ。
実際に正面切って戦闘となったのはたった一人で、それも小手先の技というか嫌がらせのような攻撃で勝ったようなものだ。
剣術については、戦勝奴隷として俺たちを飼っていた貴族の元へやって来た、隣国の竜騎士に教えてもらっただけだ。実際に戦うことによって、自分の弱さを実感し、訓練度の低さを痛感させられた。
なので、元は騎馬騎士学校に通っていたミナに、剣術のいろはを教えてもらっているのだ。
「ロベール様、自然体は型の基本ですが、それにこだわっていては体重を移動させるときに一瞬遅くなります。やはり、力で勝てないと分かった時点で逃げた方が無難です」
「パンネシアじゃ無理か?」
俺から出た言葉に、ミナはムッとやや怒った表情になると同時に、猛攻という名の剣戟が俺を襲った。
「うおっ!? ちょっと待てよ、ミナ!」
技術も体格も俺より上のミナに、二打三打と打ち込まれるとすぐに防ぎきれなくなり、終いには木剣を吹き飛ばされてしまった。
しかも、今まで絡めとるように木剣を俺の手から落としていたのに、今回に限ってめちゃくちゃな力で吹き飛ばすという、嫌がらせに近い落とし方をしてきた。
戦勝奴隷の竜騎士から俺が教わっていたのは、隣国のユーングラント王国の貴族が使っているパンネシア流という宮廷剣術の流派のものだ。室内など、狭い空間で剣を使うことを考えた動きで、帝国にも似たようなハナリエ流という流派が存在している。
ハナリエ流の方は動きがコンパクトで室内戦に向いているそうだが、パンネシア流の方が合理的な動きで有効打をあたえることに重きを置いた剣術なのでそこも気に入っていた。
ミナと初めて木剣を使って模擬戦をやった時に、俺がパンネシア流を使って三回連続で勝ったのだが、付け焼刃の剣術ではすぐに対策を施されて、そこからは彼女の連戦連勝となっている。
貴族の子供を相手にする場合は、ときおり有効打を与えたように見せる接待戦をするのが普通らしいが、ミナはそこまで頭が回らなかったのか、それとも自分の得意分野で負けたくないという意地が出てしまったのか、そのようなことはしなかった。
俺としても、接待戦でミナに勝ったところで実力が上がるわけではないので、こうして全力で対応してくれるのは、ありがたかった。
奴隷として自分の意思を抑えて生きているミナより、こちらの方が自然体な感じがして良いので俺も特に言及しない。
ミナは俺の木剣を落とすと静かに息を吐き、こちらへ向き直った。
「ロベール様は竜騎士です。剣の扱いに関しては、撤退行動へ移るまでの間だけ使うことを考えたもので良いのではないでしょうか?」
「もちろん、そのつもりだ。でも、斥候の一人と対峙した時、何とか勝てるくらいだった。相手の経験が浅く、俺が思い描いた通りに動いてくれたからこそ勝てたようなものだ。その後も、ヴィリアが来てくれなかったら俺はここにいないだろう」
あの時のことを思い出すと、今でも背筋が震えてしまう。本当にギリギリだったと思う。
「撤退を何よりも優先して動くつもりだが、いつでもすぐに撤退ができるわけじゃないからな。無理に戦うつもりはないが、それでも勝てる──こいつと殺り合うのはヤバい、と思わせるくらいの実力が欲しい」
学校でヴィリアを駆って模擬戦闘をやる時の勝率は一〇〇パーセント。しかし、これはヴィリアが強いからだ。
剣を使った模擬戦でも、他の生徒に今のところは勝っているが、これは俺がパンネシア流というちょっと変わった流派を使っているためで、最終的にはミナのように対抗策を講じられて負け続けになるだろう。
あの日、戦闘奴隷に勝てたのは、相手の経験不足と焦りがあったからだ。
「ミナから見て、俺はどうだ?」
鋭い風切り音を発しながら、カンフー映画のように木剣を振り回す。派手さを前面に押し出した、剣術としては無駄の多い動きだが、初めてミナに見せたときはなぜか分からないが妙に感心していた。
「そうですね……。私も未熟者なのでこうだとは一概には言えませんが、基礎的な筋力が足りていないと思います。パンネシアもハナリエも優雅に敵を切り伏せる、という点においては同じですが、ロベール様の場合はもう一歩踏み込んだ切り込みをしないと、その攻撃が浅すぎて相手から反撃を受けると思います」
強くなれそうか、と大まかに聞いたつもりだったが、真面目なミナは俺の剣術の問題点を挙げてくれた。
剣の振り方や足運びなどに気を取られすぎて、自分の筋力なんて考えていなかった。だって、貴族になったことで食糧事情は大幅に改善され、頼りなく痩せていた俺の体は徐々にではあるが、筋肉がついた同年代の平均的な体型となってきている。
タンパク質を摂って、しっかりと筋トレをすることで筋肉を増やしているつもりだったが、筋肉マンが溢れている騎馬騎士になろうとしていたミナにとっては、まだまだだったようだ。
「そうか。なら、基礎的な筋トレのメニューをもっと追加しておくか」
「それに加えて、十分な休息をとってください。ロベール様は病み上がりですし、そもそもが働きすぎです。領民を思い、他者を思いやることができるのはロベール様の美徳ではありますが、そこで無理をして倒れられてしまっては元も子もありません」
「──分かってるよ」
とはいっても、時間は有限だ。成すべきことを成し遂げるまで、今の俺は休むことはできない。ミナの心配も分かるが、考えてしまった以上は成功を収めたい。
「あの、ロベール様……」
未来に思いをはせていると、悪い笑みがこぼれていたのか、ミナは若干引き気味で聞いてきた。
「やはり、強くなるには私のような半端者に教わるのではなく、きちんとした訓練場に通うべきではないでしょうか?」
「訓練場かぁ……」
白兵戦を軽視している竜騎士育成学校にも、一応は剣術の訓練場がある。白兵戦をやらない学校のカリキュラムについて疑問を抱いている生徒たちが、本気でやっている訓練場だ。
つまり、サークルのようなごっこ遊びでやっている訳ではなく、さらなる高みを目指して鍛錬を積み、自己を高めている。
そこまでは良いのだが、ここは貴族が多く通う学校だ。俺がその訓練に参加すれば、先ほども言ったような接待試合が行われ、実力もないのにどんどんと勝っていくような不思議な状況になってしまう。
それに、爵位が低い生徒は俺なんかが入ったらギクシャクとしてしまい、やり難いことこの上ないだろう。
かといって、アバスのように騎馬騎士学校で訓練する訳にもいかない。あいつは、家が騎馬騎士の家系だし、兄弟も騎馬騎士学校と竜騎士育成学校に平等に散らばっている。
それに、フレサンジュ家は名馬を多数生産している。騎馬騎士にとっては、フレサンジュ家の馬に乗れるのは一種のステータスというか、誉れ的な存在になっている。
それなのに、フレサンジュ家の地位が低いのは、力ある貴族からの嫌がらせだ。
嫌味や悪口は当たり前で、酷いところでは外から持ってくる以外、まともに食糧を確保できないような山間部の砦にもかかわらず、わざと輜重隊を遅らせるという一歩間違えれば死者が出る可能性がある行為をやってくるらしい。
フレサンジュ家は古くから武人の家系なので、妬みなど貴族からの悪意に反応することなく、口で対抗するより行動で示せ、と言わんばかりに黙々と任務をこなしてしまうので、相手は調子に乗るし、下に見られる原因になるのだろう。
そんなフレサンジュ家のアバスに頼んで、騎馬騎士に混ざって少しだけ訓練させてもらおうとも思ったが、今の自分の立場を考えると余り良くないように思えた。
ストライカー侯爵家は古くから続く竜騎士の家系だ。そんな家柄の子供が騎馬騎士に混ざって訓練をしたら、ストライカー侯爵家から何を言われるかわかったもんじゃない。それに、俺が入ることで、騎馬騎士の方に俺を取り込もうとする輩が出てきても困る。
今後の行動方針を固め、どのように自分という駒を進めていくか決めてから訓練所の選定を行わないといけない。それまでは、このように身内で固めた青空道場で行くことにする。
「いや、今のところ訓練所に行く予定はない。当分は今のままで訓練したいと思う」
「分かりました」
本気で剣術を学ぼうと思っているならば訓練所に行くべきだ、と食い下がってくると思ったが、ミナはすぐに引いた。
「当分の間は、ミナに教えてもらおうと思っていたんだけど、負担がかかるようなら考えなおすが?」
「いえ、ご心配には及びません。見ていただいて分かるように、体の頑丈さには自信があります。それに、机に座って仕事をしているよりも、このように動いている方が疲れはあまりありません」
俺という人間に慣れてくれた他に、皇都へ来てからは事務仕事よりも俺のリハビリや剣術指南をやっているためか、ミナの顔色が良い。
まぁ、分からんでもない。前世でやっていた仕事の話になるが、俺もパソコンで図面と睨めっこしているよりも、体を動かす作業の方が性に合っているし、楽でもあった。
営業の真似事をさせられてやった大きな仕事が終わり、久しぶりに現場に復帰した時の俺と、今のミナの心境は近いものがあるだろう。
「それに、私のような使用人に手の内を明かしてくれた──ロベール様に信頼していただいている分、私も役に立ちたいと思っています」
「あぁ、ありがとう」
ところで、手の内を明かした、っていうのはいったい何の話なんだろうか?
よく分からなかったけど、なぜかミナが充足したような雰囲気を出していたので、とりあえず頷いておいた。
訓練を終えた後は、久しぶりに町へ繰り出した。
竜騎士育成学校の飛行服を着ている時のように、貴族御用達の綺麗なお店を回るのではなく、雑多な雰囲気が味わえる平民街に来た。
初めは入れ替わりがバレないかという不安から抜け出し、心を落ち着けるためにごちゃごちゃした平民街に来ていた。
学校に慣れると共に自分の立ち位置が理解できるようになってからは、面倒臭いことを考えず、ただ楽しむために訪れるようになった。
今回はミナもおり、むしろ彼女が今回の主役なので、歓迎の意を込めて町へ繰り出している。
ミナは元々皇都にある騎馬騎士学校へ通っていたので、この平民街にもよく来ていたそうだ。しかし、当時の話を聞いていると表に並ぶ普通の店にしか行っていなかったようなので、今回は真面目な学生には行きにくい場所に連れて行ってあげようと思う。
「皇都自体久しぶりですが、平民街は全く変わりませんね」
「さすがに、『変わった』と思えるくらいの変貌っていったら、この辺りにある建築物を建て替える勢いじゃないとな。それに、変わらないほうが良いものもある」
俺の言葉に、ミナは少しだけ考えるような間を空け「そうですね」と静かに答えた。
「学校に行っていた時は、どこで飯を食ってたんだ?」
大通りから少し入り組んだ道に入ると、小さな飲食店がチラホラと目に入るようになってきた。今はまだ明るいので客の入りもまばらだが、もう少し日が傾けば仕事を終えた人間がやって来て、どんどんと騒がしくなっていくだろう。
「そうですね……。竜騎士の学校と違い、騎馬騎士学校では食事を自由にとっても良い、ということはありませんでした。決まった時間に食堂へと集まり、皆一斉に食事をしていました。なので、竜騎士学校での食事事情を知り、大変驚きました」
「へぇ? やっぱり、学校によってルールが違ってくるんだな」
「私は、家が騎馬騎士なので一般兵のルールで動いていましたが、貴族の場合はまた違っているのかもしれません」
騎馬騎士の下につく騎馬兵や歩兵のほぼ全ては平民の出だ。竜騎士学校とは違い生徒も多くいるので、一人一人が学食で食べるかどうか聞いていたら手間が半端ないのだろう。
本物のロベールが竜騎士候補生で良かった。もし騎馬騎士だったら、ロベールのことを知っている人間も居ただろうし、こうして気軽に外で飲み食いすることもできなかっただろう。
「あの……それで、これからどのようなお店へ行くのでしょうか?」
お腹がすいた、我慢ならん!
といった様子だったら可愛げがあったのだが、ミナの表情は少し強張っていた。それは、俺がミナを奴隷商から買ってきてから打ち解けるまでにしていた、仮面のように張り付いていたあの顔だった。
「雑に炙った肉が美味い店だ」
「雑に……ですか?」
「そうだ。お前が何を考えているのか分からないが、少しは俺を信じろ」
「めっ、滅相もございません!」
俺から不興を買ったと思ったミナは、焦り、困り顔をしながら謝ってきた。
不審に思うのも仕方がない。雑多でやや不衛生な平民街で、雑に炙った肉を食おうなんて考える上級貴族がどこにいるというのか。俺は偽者だしな。
「あのっ、私は、こういった所へ食事に来る機会が少なく、慣れていないので……」
話題を変えようと、取り繕うように話し始めるミナだったが、すぐに尻すぼみになっていった。
「こういった所って……?」
どういう所なのか分からずに周囲を見渡すが、目に見える範囲に特別変わった物は何も無かった。
何が言いたいのか分からずミナの方を見返すと、なぜか顔を少しだけ赤くした。
「この辺りは、男性と女性がつながる店も多く、その……」
「つながる場所……」と口の中でつぶやいた瞬間、察した。
今の時間帯は少ないが、俺が飯を食い終わって帰る頃には、この辺りは娼婦が多く立っている。
声をかけられたことは今までなく、こういった世界なら普通かな、程度で気にしたことがなかった。だが、ミナが言うには、俺が飯を食っている区画はとりわけそういった仕事をしている女性が多いそうだ。真面目な学生が来ないのには、それなりの理由があるってことか。
そんな所へ女奴隷を連れて歩いているのだから、疑われても仕方がないだろう。
これによって、料理の味付けが濃い理由も分かった気がする。肉体労働が終わった後に、夜遊びをするんだから体力つけたいよな。
「ミナが何を期待しているのか分からないが、そういうことは全くないから安心してくれ」
「いっ、いえ……。それは……分かっています……」
俺から突っ込まれたことを恥ずかしがっているのか、そんなことをされるかもしれない、と妄想した自分を恥ずかしがっているのか分からないが、それからミナは俺の後ろを静かについてきた。
「ふぃ~。食った、食った」
雑に炙られた肉は、今日も例外なく雑に炙られていた。今日食った料理は野菜の『や』の字もない肉ばかりのメニューだった。
それに、酒も美味かった。この国には飲酒に関して年齢制限は設けられていない。店主が飲んでも問題ない、と判断すれば酒を出してくれる。普段は知らないおっさんに頼んでいたが、今日はミナが頼むことで面倒くさい頼み方をせずとも酒を注文することができた。
おかげで、いつも以上に酔ってしまった。
「どうよ?」
店を出てから俺の横を静かに歩いているミナに、今の店の感想を聞いてみた。
女の子に対して、男丸出しのガッツリ系の店だったにもかかわらず、ミナは思いのほか気に入ってくれたようで良い食いっぷりを見せてくれた。
「お酒によく合って、とても美味しかったです」
それに、今日初めて知ったのだが、ミナは酒がイケるクチだった。マシューでも食事中に酒を飲むことはあったが、ミナはそんなそぶりを見せたことはなかった。
アムニットと食事を共にするときは量が出てこないし、ミシュベルが酒を持ってきたときは、ミナはメイドに徹していた。知る機会がなかったのだから仕方がないのだが、平民街で飲み食いできる飲み仲間が増えたのは俺にとっては嬉しいことだった。
「ここは結構濃い味でなぁ、いつもはパンとかをはさみながら食べているんだけど、今日は酒が美味くってさぁ」
料理ばかり食べていると舌が痺れてくるので、普段はパンを食べて痺れを取り除いているのだが、今日はミナがいて酒をよく飲んでいたのでパンを食べる必要はなかった。
「ロベール様は、結構お酒を嗜まれるのでしょうか?」
「飲むようになったのは最近だなぁ……。やっぱり、色々と心配事もあって」
「心配事……ですか?」
「あっ? あぁ、まぁ、色々とあるんだよ」
心配事というのが何を指しているのか分からなかったのか、ミナはそれ以上聞いてくることはなかった。
存在自体が問題な俺は、常に余計なことを言わないように注意していたが、さすがに今回は酔っぱらいすぎて口が軽くなってしまっている。
「目下の心配事といえば、この酒瓶を安全に持って帰れるか、ってことだな──」
酒場を出る時に、寮で飲みなおすことも考えて酒と料理を持ち帰ることにした。酒は俺が、料理はミナが持って帰ることになった。
しかし、酒場を出る時には持っていたはずの酒瓶が、今の俺の手にはなかったのだ。
「──あれっ!? 俺って、酒どこにやったっけ?」
「えっ? 先ほどまで持っていたはず……」
隣を歩いていたミナも、俺がいつの間にか酒瓶をなくしていたことに気づいていなかったのか、俺と同じような反応をした。
「すぐに探してきますので、ロベール様はこちらで少々お待ちください」
「あっ、おい、ミナ!」
酒瓶は陶器製で、落とせば大きな音が鳴る。どこかで落とした訳ではない。それに、酒場の店員から酒瓶を受け取った記憶はあるので、多分酒場から出てくるまでにどこかへ置いて忘れてきてしまったのだろう。
今まで酒や料理を持って帰ることなんてなかったから、自分が酒瓶を持っていないことに気付くのが遅れてしまった。
急いで走っていったミナには申し訳ないが、酒を売っている店は他にもたくさんある。取りに行ってなかった場合は、どこか別の店で買いなおせばいいと思っていたので、急いで取りに行く必要はないのだ。
追いかけようかとも思ったのだが、スポーツ系メイドのミナとは基本スペックに差がある。それに、今は酔っぱらっているので追いかける気もすぐに失せた。
ここは、ミナを大人しく待つとしよう。
酒場へ走っていったミナを待つために、建物の壁にもたれかかっていると、遠くない場所から騒々しい何かが近づいてきた。
何だ何だ、と野次馬がそちらへ群がっていくが、何か良くない物を見てしまったのか、その野次馬は騒々しさの発生源を見ると、すぐに散っていった。
野次馬根性というのはなかなか抑えられるものではないらしく、止せばよかったのに他の人たちと同じように、俺もゆっくりとそちらへ歩いて行った。
道の真ん中に立たないように、人の波に埋もれてその様子を眺めていると、騒々しさの中心人物が次第に見えてきた。
先頭を歩いているのは一般歩兵とは違う、格好良い模様が入った鎧に身を包む若い兵士だった。その騎士は後ろに、ユスベル帝国の鎧に身を包んだ歩兵四名を侍らせていた。
平民街は荒くれ者の労働者が多く、何かと事件が起きている。なので、こういった治安維持活動を目的とした兵士がよく警邏している。
普段は一般歩兵が数人固まって練り歩いているのだが、今日はなぜか貴族クラスの兵士──騎馬騎士が先頭に立っていた。
珍しいものが見れた、とその光景を眺めていると、先頭を歩く騎馬騎士と目が合った。
「どけ」
「グハッ!?」
先頭を歩く騎士が言うと、その後ろに侍っていた歩兵の一人が、槍の石突きで俺の鳩尾を突いてきた。
「な──んでだよ……」
食ったばかりだったせいもあり、突かれた衝撃で盛大にひっくり返ってしまった。悪態をつきながら立ち上がろうとするも、腹に力を入れると痛みと吐き気が一気に襲いかかってきたので、なかなか立ち上がることができない。
「ちょっとボク、大丈──酒クサッ!?」
ひっくり返ってしまったカメのように地面でワタワタしていると、娼婦に助け起こされた。
変な客にも嫌な顔をしない娼婦だが、子供だと思っていた俺が酒臭すぎたもんだから素の反応をしてしまったのだろうか?
そんなに酒臭くはないはずなのに……。
「あぁ、これはこれは。美しいご婦人に抱きかかえられて、男冥利に尽きますな!」