外伝 薔薇の咲く場所
これは私──エリザベス・ティア・ロッテバルトがこの世に生を受けるよりもずっと昔の出来事。
辺境の地方都市ロゼウェルから遠く離れたかの地、王都リリエンタールで結ばれた父と母、2人の物語。
◆◇◆◇◆
「ダニエル! ダニエル・ドニ・ローズベル! こっちだ、こっち」
王宮そばの宿に泊まるため、宿からほど近い大通り沿いにある広場の脇に作られた馬車止めへ到着した馬車。中から旅装カバンを片手に下げながら降りた私に、手を大きく振りながら声を掛ける忙しない友人へ顔を向けた。
人混みの向こうに、くすんだサンディブロンドの長身がすぐ目に入る。意図しなくても人目を惹く外見を持つ友人は相変わらず探しやすくて便利だと思いながら、手を振り続ける友人の元へと近づいた。
「エドワーズ、相変わらず騒がしいな。全く王族の君がこんなところに護衛もなしでやってくるなんて自覚が足りないんじゃないか?」
「何を言う。事業だなんだとそればかりで、こうして王命での招集がなければ王都に足を向けない貴族らしからぬ君に言われたくないぞ」
荷物を持つ私の前に立つのは、学院時代の一つ先輩だったエドワーズ。
正式な名はエドワーズ・ソリス・ド・リリエンタール。
この王国の名を背負う正真正銘の第一王子だが、こうして護衛も連れずにふらりと友人へ会いに来る程度には自由人だ。庶民たちからも、この気さくな性格が愛され人気が高い。
学年違いの私とこうして親交を持つようになったのは、経済的な理由で学院を去らないとならなくなった学友を助けるために学生たちだけで小さな事業を起こしたことがあり、学院側と交渉する際、下級生の私たちの手助けをしてくれたことがきっかけだったか。
身軽にあちこち動き回るフットワークの軽さに、類まれなる頭の回転の早さと豊かな知識。それを自慢すらしない謙虚な姿勢と親しい人間だけが知る腹黒さ。
そういう人間らしさを好ましいと感じながら親交を続けていたら、気付けば互いに悪友という立ち位置で卒業後も付き合いが続いていた。
まあ、学院を卒業したあとは辺境を治める父の元へ戻り、言葉通り好き勝手に事業を拡げ辺境の地にある我が領地へ引きこもった私とエドワーズの付き合いは手紙のやり取りが主になった。だが、互いの事業や情勢に対しての意見をやり取りし、海に面した辺境の田舎町をこの国初の貿易港に発展させるという生涯をかけた夢を話せるただ一人の友人であることは今も変わらない。
「王命程度なら私でなく父を寄こしたさ。ローズベル辺境伯はまだ父の名なのだから。名代として私が王都に来た理由はそんなことじゃない。友人の将来を祝うためなら命じられずとも来るに決まっている」
流石に人通りの多い広場でこの人一倍目立つ男を立たせておくわけにいかず、予約していた宿へ直行する。
宿の下男に荷物を預けてから、宿の1階に作られたレストランの個室席へエドワーズを誘って話の続きを始めることにした。
「なんだ、まだ継いでないのか? 今やローズベル辺境伯家は王国貴族の中でも頭角を現し、莫大な財を築いた資産家となった。それもほとんどがダニエル、君の功績だろう?」
没落間際だった辺境伯というには、みすぼらしささえあった名ばかりの貧乏貴族。
戦渦の中でならともかく、こうして平和な時代となると、広大な海岸線に敷く防衛線のために使う莫大な軍備費に対して疑問を投げる者も増えた。実際に国の予算も軍事に割く比率は少なくなったり、世論も諸国の政情も軍縮の方向へ舵を取った時代。平和であることに文句を言う者などいるわけもなく、長く続いた戦渦から国を発展させるために金の使いどころが変わるのもまた当たり前の話であるが、国の防衛線と位置付けられる辺境では話が変わる。
国庫で賄われていた辺境軍備予算やさまざまな補助や補填で、それなりに潤っていたように見えていた我が家も他の辺境伯同様その費用が削られた現在、身銭を切る以外選ぶ道はなく、あっという間に家の財が消えていった。
平和になろうとも軍備予算が削られようとも、海岸線が狭くなるわけでもない。物量だけの問題ならまだいいが、兵士たちには十分な練度が必要不可欠であり、訓練どころか食わせるだけでも金がかかる。しかし手を抜けば海賊が横行しはじめ、割を食うのは領民たちなのだ。
そんなわけで減ったとはいえ、それなりの額が国庫から支給される軍の運用費用があっても目新しい産業や特産物が突然湧き出すわけなどなく常にカツカツだった我が家は、一つ間違えばいつ破産の憂き目にあってもおかしくはない……そんな状況からようやく脱したというのが今現在の状況で。
「事業で動き回るのに、当主の肩書は割と邪魔なんだ。父が元気なうちは看板役をどうか頑張ってもらいたいな」
父は商人気質の私と違い、辺境軍をまとめ上げたバリバリの貴族将校。鍛え上げた体はまだしばらく天に召されることなく頑張ってくれるに違いない。
「それで婚約者も決めずに飛び回っているというわけか」
「結婚も妻も金がかかる」
特に貴族令嬢として働くことより、着飾ることをよしとする存在はいつか必要になる時が来るかもしれないが、それは今ではないと感じる。
しかし当主となれば後継者問題ともなり、そうは言ってはられないだろうから、できる限り引き延ばしたいのが本心だ。だから素直に言葉を返した。
「私のことはいいとして……君は違うだろう。エドワーズ、当日はこうして言葉を交わせるか分からないから今言わせてもらうよ。爵位授与と婚約成立おめでとう。相手は隣国の公女様だって?」
今現在は第一王子として目の前にいる男は明日、国王の名の下で開かれる式典の場で大公爵として新たな姓と伴侶を得る。
彼の母親が側室で第二王子の母親が正妃だったこともあるが、一番は彼自身が、腹違いの弟になるランディールの方が国王に相応しい気質の王太子だとして、その背を推したから。
そして継承者争いを自ら降りるという意を表すため王家から離脱し、領地を得て大公家を作り政務につく。
そんな友人の人生の中で大きな節目となる式典にさえ顔を出さないような不義理者では流石にないので、こうして父の名代を自ら買って出て王都に来たわけだ。
商才はあっても貴族らしからぬ凡庸な容姿の私は数に入れられたこともないが、容姿才能血統と全てを備えた目の前の男は年頃の娘を持つ高位貴族の間で、長年婿候補第一位だった。……そんな男が身を固めてしまうのだから、しばらくは騒がしいことになりそうだ。
「ありがとう。爵位といえば大公領として
「それはまたずいぶんと遠い場所を賜るんだな。……まあ領地経営は当主本人が離れていても成り立つか」
エドワーズは王籍から抜け爵位を賜ったあと、引退間際と噂されている宰相の補佐役に納まることも決まったことは知っていたので、居住するメインの場は今と変わらずに王都なのだろう。それでも辺境地の隣の領へ足を運ぶことが増えるのなら、こうして親交を温める機会もまた増えるだろうと、学生時代の頃のまま好きなことを勝手に言い合える時間ができるのは自分にとっても喜ばしい出来事だ。
「分かった。君との話は実りあるものばかりだから、こちらも大歓迎だ。私はまた領地にこもっているだろうからぜひ領地に戻るときは知らせてくれよ」
◆◇◆◇◆
「…………なーんて言っていたのは君だったのにね、ダニエル」
「うるさい」
『僕の大公位叙爵の式典から、王都で顔を合わせるのは数えてもう何度目だい?』とダンスホールの片隅に並び合い、揶揄い口調を向けながらワイングラスを傾けるエドワーズを横目で睨む。
友人の言葉通り、あの式典から数えて6カ月。かれこれ6度目になる王都訪問だ。
時間の節約のため事業の仕事をこちらでもできるように、官僚となるため王都に在住している実弟も巻き込み管理を任せる形でタウンハウスを借り上げ、使用人も数人雇い入れた。そのおかげで訪問の度に両手に大荷物を抱えることもなくなり、身軽になったぶん足を運ぶペースも増えた……というのは言い訳にもならないか。
こうなったことにはもちろん理由があった。
軽い食事を済ませてからエドワーズが王宮に帰るのを見送ったあと、まだ日も明るい時間だったので腹ごなしもかねて王都の街を散策することにした。
通っていた学園は王都にあり、寮で生活をしていた時からたった数年で面変わりした大通りの店構えを眺めながら歩き、気になる店を見つけては内部を見学したり商談のきっかけになるかと買い物をして時間をつぶしているうちに、一つ気になる店を見つけた。
それは大通りの端、小さな一角に看板を掲げた女性向けの雑貨類を扱う店で、普段の私なら気にはなっても入ることなく通り過ぎたかもしれない。
その時は母に対してたまには孝行するかなんて気まぐれを起こし、王都での土産に何か
小さな店のようだったから、売り上げを上げるため雑貨店にありがちな並べられるだけ商品を詰め込むような雑多な内装を想像していたが、扉の奥に広がる店内は貴族相手に相応しい贅沢な空間の使い方で、選び抜かれたであろう品が並ぶ洗練された場だったことに、いい意味で騙されて驚いた。
別に売られている商品自体が少ないわけではないらしい。
店員から聞いた展示の仕方にまず感心した。色やサイズ違いなどのものは店員に言えばすぐ裏からカウンターに用意をしてくれるし、初めての客でも迷わぬよう店の在庫品を綺麗な装飾と絵で見せるカタログという冊子にまとめ、それらを持ち帰り、自宅でゆっくり検討してからでも発注できるシステムを作っていた。
広いスペースがあれば客対応の接客スペースで茶でも飲ませながら商品を選ばせることができるが、狭い店舗では流石にそうはできないからゆえの戦略なのだろう。
店頭に並ぶ品、カタログに展開している品、値段の付け方も商人なら唸り声を上げる巧みなもので、この店というより経営している人物に強い興味を抱いたのだった。
店の名はロゼ。
看板には、大きく描かれた大輪の赤い薔薇。
貴族がメインの客となる大通り以外にも店を出していると売り子に聞いたので、そちらにも足を延ばしてみると、庶民たちのにぎわう界隈に作られた店の看板は白い薔薇。
たとえ文字が読めなくても薔薇の色でどこの店の話をしているのか分かるだろう。文字を読めない者たちにとってクチコミが唯一の宣伝手段になる、そんなことも考えて店を出しているに違いない。
商品のセレクトもメインの客層の求めるものが中心となっている。
貴族の間で流行ったものが、そのまま庶民たちの間で流行るわけではない。それを分からぬまま場所も考えず出店した結果、閑古鳥に巣を作られるような店をいくつも見てきたから、この階層の人に寄り添う
式典のあとの夜会で挨拶周りを終えたエドワーズと合流したのは、夜会も終わりかけた頃。
そこで、偶然立ち寄ったロゼという店と、その店主の見事な采配を興奮気味に捲し立てたのだった。
「ダニエル、君がそんなに他の商人を気に入るなんて珍しいな。昨日の今日の話なら当人に会ったこともないのだろう?」
「ああ、大通りに店を構えているのだから、少なくとも貴族か大商会に関わる者ではないかと踏んではいるが」
王都の商人たちとあまり伝手を作っていなかったことが今さらながら悔やまれる、と漏らしたところで、エドワーズが笑い出す。
「推察は大当たりだ。ほら、あそこにいる彼女がその店の経営者だよ」
エドワーズの指先を辿り、視線を動かす。