4章 2人だけの時間
ただ叔母様に私が任されたお茶会の口出しをさせない、という目的で始まったはずなのに、以降十数年は口出しされない環境が整ってしまった。
『里帰りで戻ってきた時はリズちゃんに甘えましょうね~』
とか、お母様が言っていたので、これはこまめに戻ってこいということなのかしら。
もちろん街道沿いの整備の視察も兼ねて、行き来する機会を増やそうと思っている。季節ごとの違いも知りたいし、それに街づくりは街道の工事を終えてからが本番だもの。
さて、遠い未来の話に意識を飛ばしてる暇はないのよね。今は目の前に迫るお茶会の準備に集中しないと。
お茶会の衣装は、嫁ぐ前に作ったドレスの中でお気に入りのものを手直しすることになった。
ある意味、嫁ぎ先に持ってくる必要なしと言ってくれたあのバカのおかげでこちらのワードローブは無駄に充実しているのよね。
デザインの古さが出てしまうものもあるから、全てがそのまま使えるってわけにはいかないのだけれど。
仕立てる時間の余裕がないと言っていた馴染みの職人が、アドバイスするくらいの時間は取れるということで、レナードとあれこれ話し合い、アレンジするデザインも決まり、今は作業を進めているそうなので、ぎりぎり間に合うとの話。
こればかりはレナードたちを信じるしかないので作業を邪魔しないよう見守ることに専念するとして、残る問題はまだ少し悩んでいるお茶の選定……。
基本的なものは先日のプレゼンに出したもので確定しているのだけれど、なんというか私の好きなものを出している『だけ』な気がしてたまらない。お茶会が終わったあと、思い出として語られたり、令嬢たちの話題になって、それがロゼウェルの発展に繋がるなら尚いい。
女性の間で必ず話題に上がるような何かがあるといい。お母様がよく言う『娯楽として楽しめるうえ商売としても成り立つ』ようなそんなもの。街の紹介だけじゃなくて発展に繋がるような……ワガママな願いかしら。
そんな雲をもつかむような漠然とした悩みに頭を抱えているうちにお茶会の期日はすっかり目の前、いいアイデアも出ないのでもう諦めようと思った朝の出来事。
「リズ、今日も忙しいかな?」
朝食を終え、本日もお忙しいナイジェル様を屋敷から送り出したタイミングでカイルが話しかけてきた。
「いいえ。もう準備も済んでいるし、明日の本番に向けて最後のチェックをするくらいかしら」
「なら、僕に君の時間を少し分けてもらえるかな?」
なんだろう?
もちろん、今までたくさんの手助けをしてくれた彼の申し出を断るわけもない。
彼も忙しい身であれこれ気を配ってくれるのだから、時間があるのならゆっくり美味しいお茶でも、と誘いたいと思っていたところ。
「ええ、あとはドレスの最終チェックと料理長たちと進行の確認を取るだけだから、遅くならなければ大丈夫。それで何をするの?」
「それは着いてからの楽しみにしておいて。リズは外へ出かける支度だけすればいいから」
帽子も忘れずにと言ったから、買い物やサロンへの誘いではないのかしら。
せっかく故郷に戻ってきたというのに仕事と社交ばかりで、最近は庭園を散歩する時間も取ってなかったわね……。
ここまで来たらもう悪あがきをする時間も確かにないし、明日は笑顔でゲストをお迎えしないといけないからカイルの誘いをありがたく受け取って気分転換をすることに決めて、出かける支度にとりかかった。
どこに行くのかは教えてくれなかったけど、馬車でほんの少し遠出をする距離に景色のいいのんびりできる場所はかなりあったりするし、カイルは子供の頃からこの街に自分の領地から行き来して、そういう名所は私より詳しかったりするから、どこに連れて行ってくれるのだろうとワクワクしながら支度を済ませた。
動きやすいワンピースに歩きやすい低いヒールのお気に入りの靴。そして彼が言っていたつばの広い日よけの帽子も忘れずに被る。
そして侍女が、馬車の用意ができたから玄関ホールへ移動してほしいというカイルの伝言を伝えに来た。
「……あら、カイルはまだなの?」
ホールに着いてまず誘った側の彼がいないことの珍しさに少し首を傾げたけど、そのうち来るかしらとぼんやり考えていると、馬車が着いたと知らせが入った。なので、とりあえずホールを出て馬車へ向かうと、いつもとは違う御者の姿に再び首を傾げた。
新しく入った人かしら……とか、それなのになぜか見覚えのある横顔のシルエットも相まって不思議そうに見上げていれば、それまで目深にボーラーハットを被り、まっすぐ前を見ていた御者が急に笑い出し、深く被っていた帽子を外して私の方へ顔を向ける。
──帽子の中に詰め込んでいたらしい太陽の光のような金の髪がこぼれ落ち、帽子の影に隠されて見えなかった空色の瞳と間違えようのない端正な顔に浮かぶ、悪戯めいた笑顔──。
「お待たせ、リズ。さあ出かけようか」
カイルが御者台から降りると、馬車の扉を開けて私に手を差し伸べる。
服装も御者の衣装。見慣れない彼の姿に目を白黒させながら、差し出された手を取り馬車へと乗り込んだ。
いつの間に馬車の操作方法を覚えたのか、帽子の中に髪を収め直したカイルはすっかり御者になりきって2頭立ての馬車を自在に操り、私はそんな彼を小窓から眺めながら揺られていく。
大きな通りに出れば、歩道にあふれる人の姿。木陰に陣取り楽器を奏でる陽気な楽師の歌声に、飲み物やお菓子に民芸品、さまざまなものを売る手作りの屋台と客を呼び込む子供たちの明るい声。それらを楽しみながら、街の中を散策する観光客の人たち。
道を歩く貴婦人たちはこの馬車を操っている御者が、かの大公閣下だなんて知ったらどんな顔をするのかしら。
あれ……? 普段なら屋敷の中では彼といても常に傍に侍女がいたし、馬車だって小窓の向こうに御者がいるし、出先では使用人としても傍に控えてくれたりするから2人で出かけているとしても2人きりではないって思ってたけれど、今の御者はカイルで……カイルが御者だから……。
──もしかしなくても今ってカイルと完全な2人きりなのではなくて?
小さな子供時代以来訪れたことのなかった、彼と2人きりという状況にようやく気が付いた私は、狭い馬車の中、一人で慌てふためいていたのだけど、こんなことでも動揺してしまう自分がとても恥ずかしい。
だから彼が御者台にいてくれて本当によかったと赤くなりすぎた頬を両手で押さえながら、跳ね続ける心臓が早く落ち着くようにと祈り続けた。
心が落ち着いた頃、今はどの辺りだろうと扉の窓から外を眺めると、石造りの建物の並ぶ街の景色ではなく遠くに海が見える。どうやら街道まで進んだらしい。行き交う馬車も少なくなった辺りで馬車が一度止まると、カイルが小窓のふちをノックして御者台から声をかけてくる。
「リズもこっちに来るかい? 海からの風が気持ちいいよ」
「いいの?」
「大丈夫、ここにいるのは口の堅い僕だけだ」
マリアさんに叱られたりしないよと楽しげに告げてくれる彼の抗えない遊びへの誘いを断る術なんてあるわけもなく、身軽な服装だというのをいいことに扉を開けると一人でキャビンから飛び降りて前へ回る。腰を浮かしかけていたカイルが、そこにいて、と言わんばかりの笑顔で手を差し出した。
「ほら、僕の手をつかんで」
流石に御者台は馬車の昇降口より高いところにあるから彼の力を借りないと登れなさそうだったので、手を繋ぐことに動揺して顔を赤くしないよう必死に自分に言い聞かせながら、彼の隣に腰を下ろす。
抱き上げられたりしたら、ようやく落ち着いたばかりの心臓が破裂して死んでしまうのじゃないかしら、とか既に生命の危機を感じていたおかげか、馬車が揺れるだけで触れ合いそうなほどの距離に腰を下ろしていても、結構落ち着いていられたと思う。
それに目の前に広がるのは、小さな頃、見たいと願ったどこまでも広がる美しい景色。ほんの少し視界が高くなるだけで別世界のように
もうこんな機会二度と訪れることなんてないかもしれないから、私は彼が見せてくれた景色を心に焼き付けることへ集中する。
私はしばらくの間、飽きることなくゆっくりと流れていく景色を眺め続けた。
◆◇◆◇◆
「それでこの馬車はどこへ向かっているの?」
ロゼウェルの街を出てから、だいたい1時間くらい過ぎた気がする。
景色を堪能しながらのんびりしたペースで進む馬車の行き先をそろそろ教えてほしいと彼に問う。
「……んー、どこというか名前がついているような場所じゃないと思う。先日大公領からこちらに来る者たちが教えてくれたんだ。ああ、あの大きな古木の立つ小さな丘の先と聞いていたから、もうすぐかな」
あそこだと彼が指差すのは、今登っている坂道の一番高いところ。高いとはいっても緩い坂道の途中にできたほんの少しだけ小高い丘になっている場所。指示された場所に確かに大きな木が数本並び立ち、こんもりと葉を豊かに茂らせて海風に揺れながら葉音を奏でていた。
小さな丘の上に着くと、古木の影の下に馬車を止める。
先に降りた彼の助けを受けながら御者台から降り、手を引かれて海の方へ足を向ける。そして海側に面した斜面が見える場所へ辿り着くと、そこから広がる見事な景色に言葉も出せぬまま息を飲んだ。
「まあ……ッ」
砂浜へと続くなだらかな斜面一面に、薔薇が咲き誇っている。
王都の庭園で見かけるような改良された品種ではなく、自然のままに根を生やし
この辺境の大地が『ローズベルク(薔薇咲く丘)』と名付けられた理由を教えてくれるかのような景色が広がっていた。
「どう? 気に入ってくれた?」
「ええ、もう花も終わりの時期なのに、こんなにたくさん! すごいわ、なんて素敵なの」
「君の家の庭園の薔薇も素敵だけれど、たまにはこういうのも気分転換にいいかと思って」
街道沿いで街からもさほど離れていない場所なのに、薔薇の咲く斜面を見るために少し登らないとならないので街道からは見ることはできないうえ、近くに民家もない。だからなのか、この薔薇の斜面はずっと誰の目にも留まらぬままひっそりと咲いていたらしい。