3章 叔母の問題
翌日早朝。
本日も爽やかな快晴で、太陽が高く昇る頃は暑くなりそう。
窓を開け新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、カーテンを揺らす涼しい風を頬に受けながら空を見上げた。
カイルと同じ
そんなささやかな朝のルーティンを終え、今日のための身支度をする。夏場はいいわ、着る枚数は少ないし
外出する用事も特にないので、髪も
賓客となるナイジェル様がいるけれど既に周りからも
「おはよう、今日も早いね。エリザベス嬢」
「おはよう、リズ。今日も綺麗だ」
どれだけ美辞麗句を並べられても、言われたものは100パーセント社交辞令と受け止めるだろう、この顔面偏差値の高さ。どう頑張ったところでこの境地に辿り着けるわけがないと、さっさと白旗を上げた私は貴族令嬢として失格な気もするけれど!
……ああ、朝から眩しいわ。
そんなことを考えながらダイニングへ向かえば、私より遅くまで起きていただろうに疲れも見せぬ爽やかなお顔で並ぶ2人から揃って挨拶を受けた。
「おはようございます。お2人こそ早くてよ。きちんと眠れていて?」
「こればかりは職業病というか、生まれつきというか」
────ああ、『職業:王族』ということかしら。
職業でまとめてもいいのかと思いながらもナイジェル様の言葉に頷き返しつつ、いつもの席へ着いて朝食をとった。うん、相変わらず実家のご飯は美味しい。
「今日の予定に変わりはない? カイル」
メインの料理を食べ終えた頃、先に食べ終えてお茶を飲みながら一息ついているカイルへ問いかける。カイルも私以上に忙しい身だから、突然用事が挟まることもあるだろうし。
「うん、大丈夫。僕もこっちも変わりない、昨夜と変わらず君に合わせて動けるよ」
こっち、っていうのはナイジェル様のことよね? もう一々突っ込むことにも疲れてきたのでスルーして話を進める。ご本人がさほど気になさってないようだから、私も気にするのはやめることにしよう。
今日は確認事項が多いだけらしいので、ナイジェル様にはカイルの侍従の確か……コンラートさんたちが同行するらしい。
私の不幸の元のような2人は、ロゼウェルや王都からもはるか彼方。
ここは私のホームとも言える、味方しかいない故郷。
叔母様一人では私やお母様に嫌味を言うくらいしかできないはずだから、大したことにはならないだろうとタカを括っていた基本的にポンコツ気味な自分を叱りたい……。
◆◇◆◇◆
いつも以上に早起きだったのは叔母との約束の時間を作るため、午前中の執務を巻きで終わらせる必要があったから。
たとえ相手が顔も知らない相手だとしても、顔を合わせるのに気もそぞろでいられたら誰だって嫌だろうし、ロゼウェルの職人たちの技術を学びたいという人は歓迎しないとだものね。
「リズ、そろそろじゃないか?」
そんなわけで一通り執務を終えた頃、ノックの音に顔を上げて扉へ視線を向ければカイルが約束の時間になると顔を出してきたので、処理を終えた書類を片付けて腰を上げた。
「ありがとう。でも、こんな侍従みたいに伝令役とかしなくてもいいのよ? あなたの部屋に今行こうとしたところなのに」
「辺境伯家にはお世話になりっぱなしだからね。君の役に立てるなら御者役だってやりたいくらいだ」
「その時はカイルが退屈しないよう、私も御者台に座ろうかしら。トーマスは危ないからって許してくれないのだもの」
馬車の御者台なら、どうにか2人横に並んで座る広さもあるし、カイルが隣にいるなら安心して座ってられるわよね。
馬車の小さな窓から眺める景色より、前面に広がる景色を眺めてみたいじゃない?
年頃の令嬢というか、既婚の夫人としてはしたないって言われるだろうけど、小さな頃からあの席に憧れていたのだと告げれば、カイルは『君らしい』と笑ってくれた。
途中でマリアと家令のローウェンと合流して応接室の前で立ち止まり、手のひらで頬を数回叩いて来客用の顔を作るために気を引き締めた。
そして一呼吸ついてから皆で客と叔母の待つ応接室へと入れば、ソファに座る叔母とその隣に控えるように立っている青年が一人。
この方が紹介したい職人の息子さんなのかしら。
陽光の下でなら金髪に見えそうな明るめの栗毛を後ろに束ね、品のある礼装を着こなす姿は貴族のように見えるから、叔母からの話がなかったら職人とはまず思わなかったに違いない。叔母が面倒を見るくらいだからどこかの家門の出なのかも、子供の多い家ならない話でもないし。
でもなんだろう、どこか見覚えのあるような……? 支店の立ち上げの時、王都中の仕立て屋を視察して回っていたからどこかで会ったことでもあるのかしら、と首を少し傾げながら叔母と向かい合うように腰を下ろした。
「叔母様、その方がお話しされていた方ですか?」
「ええ、私もよくドレスの仕立てを依頼したお店の息子さんで、もちろんセンスもいいのよ」
お店を立て直すために郷里を離れて勉強しようだなんて立派だと、そう彼を誉める叔母はどうやら本当に気に入っているらしい。
そして後ろに控えるように立っている青年へ叔母が顔を向ければ、話す許可を得たと察した彼は私たちに対して
「はじめてお目にかかります、ワルド子爵夫人から今や王国の貴重なる華であらせられるロッテバルト侯爵夫人の尊顔を拝する機会を与えてくださったこと、誠に感謝がつきません」
「まだあなたに何もしていないし、何ができるかも分からないのだから、そこまで
下の者からは畏まれるだけ畏まれたい、みたいな貴族はかなりいるので目の前にいる青年の姿勢は対侯爵夫人としては妥当なのだろうけど、私はそれを面倒と感じる性質なので先にそれを言い、本題へと話を移らせた。
「はい、王都では仕立ての仕事に幼い頃から携わり、針仕事からデザインまで父や兄弟子たちから叩き込まれました。この機会にぜひともロゼウェルから吹く新しき風を吸収したいのです」
先ほどの言葉だけで私の意図を理解したようで、言葉自体は
あとは、どの程度の技術があるか、よね。
叔母がドレスを頼んでいたという話ではあるけれど……。
「こちらに着いてからさまざまな店を見学いたしまして、私なりに作ってみたドレスをどうかご覧になっていただけませんか」
あら、切り出さなくても済みそう。
「用意がいいのね。分かったわ、見せてちょうだい」
そう告げれば、青年は背後から大きな衣装ケースらしい箱を取り出した。ロゼウェルで流行っているデザインを参考にしているのは、箱のサイズ感でも分かるのよね。ドレスを膨らませる枠やバニエを使わないものを独自の手法でどう作るのか。楽しみだわ。
「こちらでございます。侯爵夫人のために拵えました」
取り出した衣装をトルソーへ着せて、私たちに披露した。私がつい先日ダメにしてしまったあのドレスにとてもよく似ていた。
「えっと……近くで見てもよろしくて?」
そう告げてから、ドレスへ近づいてみる。
近くで見ればあのドレスにはあった銀糸の刺繡や小さな宝石のビーズを縫い付けてはいないから、別物で間違いはないのだけれど……、それにしてもよく似ているわ。
「縫製はしっかりしていて裏地も丁寧に付けられているのね。……ああ、そうなの、ここは肌に密着するから汗染みが気になるのよ……」
夏場のトラブルが起きがちな部分への対応もしっかり取られているのは、この青年の経験の多さを物語っているのだろう。ドレスを真剣に眺めている間にそっと扉の開く音が耳へ届いたけれど、お茶のおかわりでも運ばれてきたかしら、と思っただけで視線はドレスへ向いたまま。
「まだ名前を伺っていなかったわね」
形が多少似るのは流行を追うのなら仕方のない話だと最初に浮かんだ疑問は押しやり、青年の名前を聞いた。
「私の名は────」
「レナード!」
カイルより少し低い声で傍に控えていた青年が私の促しで名乗りを上げようとしていたはずなのに、耳に届いたのは甲高い声。
ドレスから視線を外し、声のする方へ顔を向けると、そこにはユーリカがポットを抱えた手をわなわなと震わせながら青年を見つめていた。
◆◇◆◇◆
ユーリカと彼──レナードの一声で私を含めその場にいたものは、状況を一瞬で飲み込んだ。
「ユっ、ユーリカ!? なんで君がここにいるんだ?」
「あの宿屋で奥様に出会って助けてもらったのよ、恩返しに働かせてもらってるの」
悪い? とユーリカが凄むとタジタジな様子でレナードが
「あんた、まさかあたしだけじゃなく奥様まで騙そうとしてたの!?」
「騙すだなんて、そんなこと僕がするわけないだろう?」
「あんなところで置き去りにしておいて、どの口が言ってるのよ!」
うん。修羅場だわ……。
カイルどころかマリアも引き気味で誰も止めようとしてないというか、どう止めたらいいのかしら、これ。
「あ、あの村だったら一人でも帰れる場所だと思ったんだよ……。それに無一文だったから宿屋の亭主にも巻き込まれたと思われたんだろう? なら重い罪にも問われなかったはずだ」
「勝手なこと言わないでよ!」
ユーリカが叫ぶ。
女なら軽く済むに違いない、という軽い気持ちだったと言いたいのかしら?
これ以上は彼女のためにもならないと思ったので、口を挟むことにした。
「無事に帰れる保証なんてあるわけないでしょう。街道沿いの治安が多少よくなったといっても護衛も連れず、うら若い女性が一人で行動することは今だって危険なことに変わりないわ」
「あの村は街道の警備隊の詰め所もあったから他よりは安全だと思ったし、ユーリカは被害者なんだから宿屋から詰め所に連れていかれればそのまま警備隊が王都まで送ってくれると思ったんだ」
勝手すぎる言い草だけれど、一応ユーリカに危険が及ばないように多少は配慮していたのね。
確かに彼の思惑を何も知らなければ、共犯者とは思われなかっただろう。実際あの地で宿屋の主人も彼女を巻き込まれたかわいそうな女性、と見ていたものね。
「王都に戻ってもどうにもならないわよ。あなたと一緒にこの街へ移り住むつもりで家も処分したし、仕事だってやめたのよ。まとまったお金だってあなたに預けたきりで王都に戻ったとしても、どうしたらいいのよ」
「き、君は僕と違って友達も多いし……しばらくは困らないと思ったんだよ。この街でひと稼ぎしてから迎えに行くつもりだった……。僕はチャンスを
「置き去りにされてもそう思えるほど私とあなたに信頼関係があったと思ってるの? お金のために、あと腐れのない孤児に近づいてきたとしか思えないわ」
「そんな……ユーリカ」
……あら、最初から騙すために近づいたわけじゃなかったのかしら? でも当事者である彼女がそう理解してないならユーリカの体験したこと全てがユーリカの真実なのだし、互いに譲れない真実があったとしても、ひどい目にあった彼女の方の真実の方が重いと思う。
言葉に出さなければ伝わらないことなんて山ほどあるのに……と思ったけれど、私だって人のことが言えないくらい言葉にできず心の中に抱えたままだなと、小さくため息をついた。
「君には街道警備隊から通達を受け街中の商会や店に君が訪れたら、憲兵に通報するよう話が回っている。職を探しにこの街へ訪れたという話が真実であるなら、もっと早く捕縛されていたはずなのに、どこの商会からも君を目撃した話は出てこなかったのはどうしてだい?」
私がため息をついたタイミングでそれまで動きを見せなかったカイルが席を離れ、私の傍に立ち、レナードと叔母を視界に収める。カイルの説明を聞いた彼が、この街の憲兵に追われている身なのだと初めて知ったような顔をしたのが不思議だった。
「それは……なんの伝手もないままでは大した店に入れない。ワルド子爵夫人が口利きをしてくれると言うので……この街に来るようにと」
「叔母様が?」
「だからどんな手を使っても来るしかなかった。貴族ににらまれたら服飾の店を持つことも職人として大成することだってできないだろう……」
「だったら、ちゃんと話してくれたらよかったのに」
見栄っ張りなんだからとユーリカが
「旅費を
『バカンス用途の衣装やアクセサリーに特注の旅行鞄などさまざまな小物類。それらを突然キャンセルされた』
………………あ。
ものすごく思い当たる
「僕は仕事場にこもりきりで店主……いや、親父から金がないと言われたのも本当に旅立つ直前だったんだ。君へはあとでいくらでも謝れるし、大金を稼いでくれば許してくれるだろうなんて思ってた」
ユーリカ本人と周りからの言葉で思い込みの壁が壊れたか、レナードがユーリカの前に膝をつくように床に崩れ落ちた。
そんな彼らの様子を眺めていたカイルが、仕方ないなという顔で口を開いた。
「困ったな。本人の口から告げてもらうのが一番だと思ったのだけど、彼が今までこの街で目撃されなかった理由は、ワルド夫人の指示でとあるホテルの一室に潜んでいたから……だよね?」
「はい、とある令嬢から受け取ったドレスを元にして一着
とある令嬢って……。
「そうか。……じゃあ、リズはあのドレスを見て一番に何を感じたのかな? 一瞬言葉を詰まらせたよね」
「ええと……、あのドレスにそっくりだなって」
突然振られた問いかけに、私は素直に感じたことをカイルに伝える。
「男爵家の令嬢なのは確かだったから、部屋へ踏み込まず外からの監視だけで収めた遠慮が仇になったね。ドレスを取り戻しにさっさと押し入るべきだった」
「まさか、ミリア男爵令嬢と同じ部屋にいたの? 仮にも結婚前のお嬢さんになんてことを」
「レナード! あなた私と一緒になるとか言っておいて、他のお嬢さんと暮らしていたの?」
あまりの
「ち、違う。誤解だ、僕は使用人の控えの部屋を借りてこの服を作っていただけで、あのお嬢様とはろくに顔だって合わせちゃいないよ」
「でも同じ部屋にいたんでしょう? この街へ来てからずっと!」
騙されて置いて行かれたことよりはるかに分かりやすいくらいに怒っているユーリカへ近づき、宥めるようにその背をポンポンと軽く叩いてあげる。
でもどうして叔母様が紹介したいと連れてきた職人が、ミリア嬢と一緒に行動していたのかしら。
「カイル……もしかして」
確かプレゼン会を開く少し前に、ミリア嬢のことを調べてくれていたカイルが告げた言葉を思い出す。
『少し面白い繋がりが出てきたので、しばらくは僕が注意を払っておくよ』
「もしかして、シーラ男爵家は叔母様と繋がりのある家門なの?」
「ご明察。正確に言えばワルド夫人の実家の分家筋らしいよ。まあ血筋から言えば、ほぼ他人くらい遠い筋みたいだけどね。でもロゼウェルを治めている辺境伯家と縁続きになっている領主の妹君の誘いだ、保護者付きならミリア嬢の一人旅でもそう深くは考えずに送り出したのではないかな」
連れ出しても騒ぎにならず、身内とは分かりづらい令嬢を連れ出し、私と接触させてドレスを持ち出したということ? それでも職人の職探しの手助けをするにしても繋がりの浅い貴族令嬢を巻き込むような真似をする意味が理解できないのだけど……。
「叔母様、一体どういうことなのです。説明をしていただけますか?」
この騒ぎの中黙ったままでいる叔母へ話を向けた。一度私の顔を見るように視線を向けたけど、すぐにそらして扇を広げて口元を隠す。
「なんのことかしら……わたくしは頼まれたからこうして場を作っただけ、それだけよ」
「ワルド夫人。何も持たない人間にとって『正直』は最後の美徳だということを知っておくといい」
都合が悪くなると自分は関係ないと感情的に怒鳴り散らしてうやむやにしてしまう叔母の先手を打つようにカイルが言葉を紡ぎ、懐から数枚の紙……これは書類かしら? を取り出して私へそれを手渡した。
「面白い繋がりがもう一つ出てきたんだ」
と告げるカイルの声になんだろうと書類に視線を落とした。
「これは……請求書に…………借用書?」
「ああ! あなた! 何を勝手なことを!! エリザベスさんには関係ないものよっ。渡しなさい!」
まだ書面を読み始めもしないうちに叔母が椅子から立ち上がり、私へ向かいながら腕を伸ばす。その手が届く前にカイルが私の前に立って叔母の動きを押さえてくれたので、再び書面へ視線を落とした。
どれもドレスや装飾品の購入に使われたらしい、未払いのものばかり。
全て叔母の名で作られたものだった。
「叔母様、これはどういうことなのです? 叔父様の王宮官吏としての俸給では到底賄いきれると思えない額の買い物をされておいでなのですね」
新しい事業を起こしたり、社交界へ参加するために借金をして、無理をしてでも体裁を取り繕う家はそう珍しいものでないし、踏み倒したりするわけではないきちんと返す当てのある借金であれば、経済を回すために必要なこともあるから悪いことだとは思わないけれど。