◆◇◆◇◆
「……というわけで、ローズベル辺境伯から夜会の招待状が届いたので父の名代で参上したんだよ。私自身もロゼウェルの視察をしたかったしね」
ナイジェル様とカイルを広間へと案内し、ソファに腰を落ち着けていただいた。喉越しのいいフルーツゼリーを茶うけに添えて冷たく爽やかな果実水をお出しすれば、喉を潤しながらナイジェル様がここへ来た経緯を教えてくださった。
……なんだ、カイルが無理やり引っ張ってきたわけじゃなかったのね。
「……リズ、なんだかすごく失礼なこと考えているだろう?」
ホッと心の中で胸を
「そう考えてしまうのも、いつも無茶を言うカイルが悪いんじゃなくて?」
そう返すと、相変わらずの笑い上戸なナイジェル様は私たちのやり取りをそれは楽しそうに肩を震わせながら聞いていらっしゃるが、次に耳へ届いたのはまたとんでもない言葉で……。
「だいたいロゼウェルに着くのは夜会の前日という話だったのに、急に別邸に顔を出したんだぞ、こいつ」
こいつって言っちゃった!? 従兄弟というより兄弟に近いようにすら感じる親しさからなのか、カイルの言葉を特に気にすることもなくナイジェル様は笑い続ける。
「流石に供を伴ってでは6日が限界だったな。単騎ならお前よりも早くここへ着いたかもしれないのに」
「……ナイジェル様???」
国の重鎮が何やらかしてるんですの!? 新しき太陽が昇る前に沈み込んだら困りますわ? 従者や護衛騎士を置いて行かないだけカイルよりマシなのかもしれませんが……んん? マシなのかしら?
常識が強制的に改変されていくような奇妙な感覚にめまいを感じて、こめかみを指で押さえる。思わず声を上げて名を呼んでしまった私へ向かって楽しげな顔を向けるナイジェル様が悪戯に成功した時のカイルの顔と被る。その表情を見て、同じ遺伝子を持っている者の特性を知らされた気がした。
気高き血を持つ若き獅子のような2人は、内実はどうであれ国の貴族令息たちの目標であり、憧れの対象だ。その2人が王都からロゼウェルまで馬を駆け競い合ったとなぜか都合よく脚色された噂が社交界で流れ始め、気付けば自慢の馬と騎乗の技、そして家や街の威信をかけて名誉を競う国を挙げた大きな催しとまでなることを、まだ私たちは知らない。
「まあ、そんなわけで荷を積んだ馬車が追いつくまで、こちらに滞在させてほしいと思ってローズベル辺境伯へ挨拶に伺ったのだけど、ご夫妻とも不在なのかな?」
「申し訳ありません、両親とも今現在は所用で出かけておりまして……夕刻には戻るはずですので、滞在の旨は私の方から両親へ伝えておきますね。喜んでお部屋のご用意させていただきますわ。騎士の方々も殿下の護衛に支障のないように近いお部屋を用意いたしますね」
「ありがたい、助かるよ」
ナイジェル様の礼の声に続いて護衛の騎士の方も、謝意を示すように揃って頭を下げてくださった。うーん……なんだか先ほどのナイジェル様の言葉、つい数日前にも同じ言葉を聞いた気がするわ……。
「あと、ついでに言うと、面白いことを企んでいるんだって? 公平な審査を必要とするならぜひ私が立候補しようじゃないか」
柔らかな笑みを浮かべているだけなのに『もちろん混ぜてくれるよね?』という圧がすごい。王族怖い。
なんだかんだ言っても結局はカイルの思うままに物事は進むのね……と、陛下ではなかったもののナイジェル様が今回のお茶会のプレゼンの審査役を担ってくれることになった。
……まあ、内々に行われる非公式なものだから大丈夫よね?
◆◇◆◇◆
夜になって戻ってきた両親にナイジェル様が予定より早く来訪された旨を伝え、顔合わせもかねてささやかな
叔母様はナイジェル様のお話の相手をしたがっていたけれど、爵位では下位となる叔母の席次はナイジェル様たちと離れるので、おかしなことは起きそうになくてひと安心。晩餐会のあともできる限りお独りでおられないようにカイルにお相手を頼んでみる。
カイルも客人ではあるのけれど、当家や王家どちらとも家族ぐるみのお付き合いではあるし、叔母を牽制するためにも上目遣いでお願いしてみたら少し
「……分かった。リズがホスト役を譲るわけがないと信じているけど、僕があの時こうしていたら……という後悔の元になるのは嫌だし」
「邪魔をしている自覚はあるのだな、驚きだ」
「違う。邪魔をしそうな者たちの盾となるためだ。……ああ、そうだ、憂いを払う報告が一つあるよ。あの娘の両親から聞いた話だが、ロゼウェルへの滞在は両親とも知っていた。あのホテルの部屋の手配も父親の名だったし、それも当人が認めていたから誘拐ではない。少し面白い繋がりが出てきたので、しばらくは僕が注意を払っておくよ」
面白い繋がりという言葉に少し首を傾げてみたが、はっきりとしたことが分かったら教えてくれるとのこと。彼がそう言うならあとは任せて私はその間お茶会の用意を一分の隙もないほど完璧なものへ磨き上げようと心に決めた。
それにしてもカイルは、ナイジェル様を兄のように慕っているのね。
最初のうちはひやひやした心置きのなさすぎるやり取りも、男兄弟のやり取りだと当たり前の風景なのかもしれないわ。私はひとりっ子だから兄や弟の存在は想像でしか理解できないけれど、ナイジェル様もカイルとのやり取りをとても楽しそうにされていらっしゃるから、少し
そんな2人のやり取りをほのぼのとした気持ちで眺めていただけなのに、私の侍女たちがなぜか複雑そうな顔をしてるのはどうしてかしら。おかしいわね……ナイジェル様やお付きの騎士たちと『眺めるだけで幸せになれる端正な顔立ち』の持ち主が増えたのだから、嬉しいはずよね……?
そして翌日。午前中は厨房で茶会に出す予定のティーフードや飲み物を作り茶会のテーブルのサンプルを
流石に室内の装飾や庭の方は同時にいじれないので、具体的な案は書面にして説明することになっている。手間ではあるけれど、こうして一度文章に落とすことでより
それをなんとなしに母へ告げてみれば、こう返事が戻ってきた。
『物事は簡単なものほど勘や経験で処理しがちだけれど、そうして客観的に見る視点を作ることは今回の件だけでなく、さまざまな事業にも役に立つことよ。勉強になったようでよかったわ』
そして経緯はどうであれ、それを悟るきっかけになったことに関しては叔母に感謝しなさいね、と笑っていた。
同日午後、本番のお茶会の時間より少し早めに中庭のよく見えるサロンへ集合する。事前にくじ引きをして説明する順番は叔母、私の順。
まずは叔母が前に出た。
「テレーズ・ワルドと申します。では説明をさせていただきますわ」
叔母の提案は伝統的なお茶会、と言えばいいのかしら。
奇抜さや物珍しさより、特に王都の貴族たちからは慣れ親しまれている格式の高いお茶会を、辺境伯領に住まう地方貴族たちに憧れの王都の茶会を存分に堪能していただく……という内容。
茶葉からしても、この銘柄のものは高位貴族でも毎日飲める家はどれだけあるか……と感じてしまうほどに希少で価値のある逸品で、これを招待客の人数分揃えると予算をはるかにオーバーするのでは……なんて思ったけれど叔母の提案で示された招待客のリストを見れば下位の貴族はごっそり削り取られずいぶんとコンパクトなサイズのお茶会になっていた。
王都の高位貴族と領内に住まうローズベル家門の伯爵家までの招待と制限を設けることで、予算内に収められると説明された。まあ理屈的には合っているのだけれど……賛成はできない。
叔母が言うには、高級なものに慣れ親しんでいないと楽しめないから、という配慮なのだそうだ。
一方、私の提案は、都市間を繋ぐ街道の整備が始まり以前よりもロゼウェルへの旅にかかるコストがかなり削減され、気軽に行き先を決めてくださる方が増えたので上位下位の隔たりなくロゼウェルのよさを前面に押し出して歓待したいという、叔母とは真逆のコンセプトのお茶会。
ロゼウェルへの旅が手軽なものとなり、高位貴族から下位貴族、そして裕福な平民たちもこのバカンスシーズンにロゼウェルをバカンス先に選び訪れてくれた。感謝を込めて当家でもてなしたい、ロゼウェルを知ってそのよさを広めてほしい。
そしてこの地や当家を支えてくれている我が家門の方々への感謝と、王都の貴族の方とよい繋がりが生まれるきっかけになることを願いながら、招待客を選ばせていただいた。
茶葉はよく冷えた冷水に浸しゆっくり抽出したものへ、この地方特産のさまざまな新鮮な果実をブレンドした、この街でしか味わえないフルーツティーをメインに添える。フレーバーの種類を手軽に増やせ甘さも調節できるので、万人に好まれるお茶であるうえ、実のところコストもさほどかからなかったりする。
ティーフードは定番のものに加えて暑い盛りの午後に開催するため、この街に住まうものなら貴族から労働階級の平民たちまで日常的に好んで食べている綺麗な海水を精製して作った海塩を使った甘じょっぱい焼き菓子や、喉越しのいいゼリーなどの冷菓。
この街でしか味わえないものを海沿いならではの明るい解放的な雰囲気の中で、味わい楽しんでいただきたい。
説明を終えるとそれぞれの提案したお茶とティーフードを、侍女たちがナイジェル様をはじめとした私たちのテーブルの前に並べ始める。
そして私の提案するフードを載せた皿に叔母も目にしたことがあるのだろう、どちらかといえば庶民の間でよく食べられている塩入りの焼き菓子を見て、小さくはあったけれど憎々しげにこう吐き捨てた。
「……殿下に庶民の食べ物をお出しするだなんて、なんという不敬な」
私やカイルも、もちろんこの街に長く暮らしている父だって幼い頃から食べている馴染み深い菓子なのですけど? 庶民も食べているという理由だけで何が不敬なのだろうか。なら、この菓子以外だって果実や魚介、あらゆるものが不敬なものになってしまうわ。豊かなこの街は物価が安いということもあり、庶民の口には到底入らない的な食材はあまりないのだもの。
小さな声だったので隣にいた私の耳だけに向けたのでしょうけど……たぶんカイルとナイジェル様の2人にも届いているはず。
ものを作り税を納める領民がいてこそ、国は成り立っている。貴族だからといって軽んじてよい存在ではないのよ。
その証拠というように優雅な笑みを張り付けたままなのに、2人とも瞳は笑ってないのだもの……。
なんて心臓に悪い笑みなのかしら。
季節は夏の盛り。
強い日差しを室内に取り込まないよう深い庇が窓から入る陽光を遮り、常に海へと吹く風を取り入れ、空気を動かしている。室内は湿度を調整する漆喰の白壁に彩られ、熱をはじく白い石造りの邸内は暑い最中でも過ごしやすくはあるが、それはあくまでも陽光降り注ぐ外よりはマシ、という程度のもの。
夏らしい暑さを感じる邸内なのに、カイルとナイジェル様の冷ややかな微笑みだけで冷気すら感じるほど室内の温度が下がったのは気のせいではないはず。だって傍にいる使用人たちも似たタイミングで身震いしたから、これは私の思い込みじゃない……。
……くわばらくわばら、と願いたいところだけれど、叔母様は当家で一番近しい家門と言えるから、他人事として見ているわけにもいかないのよね。王族に不敬を働いて
──なんで私が叔母様とカイルの板挟みになって悩まないといけないのよ! もう!!
叔母には、カイルやナイジェル様がただにこやかに微笑んでいるだけに見えているようだけど、場の空気が変わったことにも気付いていないのは、豪胆というか鈍いだけなのか、とにかく羨ましい
「……ワルド子爵夫人、この場は王族をもてなすために開かれた場ではない。あくまで辺境伯家で催される茶会に向けて開かれた場であることを忘れてないだろうな?」
カイルがまず口を開いた。この場は庶民の食べ物ももてなしのメニューに含むことが、茶会に相応しいかどうかの判断をするためであり、今現在ナイジェル様を招待している夜会に関することではないと、釘刺すように告げる。……まあ、それを置いても王族は年中無休でおもてなし対象だと思うけど。
「いや、この招待客なら夫人の望む場になるのでは? ……ほら、私の名がある」
カイルに言葉を返しつつナイジェル様がおかしげに笑いながら、手元の書類の文面を指差した。ナイジェル様の手元にあるのは叔母提案の招待客のリスト。指先にはっきりとナイジェル様のフルネームが書かれているのが嫌でも目に入ってしまい、私も慌てて叔母の書類へ目を落とす。
許しもなく王族の名を書き連ねるなどあり得ないこと。それに昨日確認を取った時はなかったはず……見落としてしまったの?
それでも直前に再度の確認を怠った自分の不甲斐なさに眩暈を感じつつ少し青ざめた顔で叔母の方へと視線を向けると、ナイジェル様の一連の仕草と言葉を叔母への同意と受け止めたのか、叔母の顔にパァッと喜色が溢れた。
「王太子殿下、流石でございますわ。たとえ辺境伯とはいえ、この地域の領主であり最高の爵位を持つ貴族なのですから、招待客は厳選し、格式のある最高のものでおもてなしをするべきなのです」
いやもう、何が流石なのか問い詰めたい。
サラリと笑顔で
ずっと以前から疑問だったのだけど、叔母様、もしかして辺境伯って田舎の伯爵家だと思ってらっしゃるのかしら?
分家とはいえ我が家門に嫁いでずいぶん経つでしょうし、旦那様はお父様の弟ですもの、流石に間違えているわけが……いえ、アリスとアバンという事例を垣間見ていたので、決してないとは断言できないのよね……。
まあ、とりあえずそれは置いておくとして。叔母の招待客のリストは予想通り、高位貴族のみを招いたもの。私の方で招待する予定になっている下位貴族の方々のことは念頭にない、叔母様だけが楽しいお茶会だ。
しかも夜会にのみ出席される予定のナイジェル様の名前まで、ちゃっかり書き加えてある。
……叔母とは夕食時に食堂で顔を合わせる程度でナイジェル様と叔母だけで過ごした時間はなかったはずなので、伺いすら立ててないはず。
そちらの方がよっぽど不敬なのではないのかしら……と痛み始めたこめかみをさすりつつ、テーブルに全員の皿や茶器が置かれたのを確認してから口を開いた。
「さあ、私と叔母様のお茶会のコンセプトは理解していただけましたか? では次に移らせていただきますわね。皆様もそろそろ喉がお渇きになった頃合いでしょうし」
叔母様の案が素晴らしいものなら、もちろん取り入れる気持ちも譲る気持ちはあったが、蓋を開ければ予想通りというところで、お父様とお母様が早速飽き始めているわ……。
判断を下すのはナイジェル様だけど、お茶をしている姿を皆で眺めているのもどうかと思ったので、それぞれの席にもお茶とお菓子を2セットずつ並べてもらう。時間的にもお茶会を催す時間帯なので、お茶の時間にもちょうどいいでしょうから。
「準備は済みまして? 向かって左側が叔母……ワルド子爵夫人の提案したメニュー、右が私の提案したメニューですわ。準備と場所の都合上、最初に出す予定のお茶とティーフードのみであることをご了承くださいまし。判定を下す役目はナイジェル様にお願いしてありますが、お母様たちも何か思うことがあれば、ぜひ
ティーフードが配膳され、それぞれのカップとグラスに紅茶が満たされたのを確認し、お茶の時間を楽しみつつの判断を皆にお願いしてから、カイルの隣に用意された席へと着いた。カイルの隣はナイジェル様、そして両親を挟んで叔母様が席へ着き、それぞれ好みの菓子から手を付けていく。
「……ふむ、なるほどね」
急なお願いを快諾してくださったナイジェル様は真剣に挑んでくださるらしく、手を付ける前に茶器の色合い、茶葉やフード類の香りや色を確かめながら叔母の提案したメニューと私のメニューがお茶会で出されたと想定して順番に少量ずつ味わってくださっている。カイルも一応それに
口の中でホロホロと解れた焼き菓子から溢れるバターと蜂蜜の罪深い味わい、そして甘みが引いたあとにそっと感じる
あの頃、私の乳母だったマリアに摘まみ食いが見つかると『素敵な淑女になれませんよ!』って怒られたなぁ……なんて思い出してしまい、思わず口元が緩んでしまう。そんな私を見ていたカイルが自分の皿にあった焼き菓子をそっと私の皿に移し替えた。
「リズの好物だったよね、これ。あげる」
耳元で小さくささやいたカイルの声は幼い頃の記憶よりも低くて大人っぽい響きを持っていたけど、言葉や気持ちも思い出深い幼い頃のままだと教えてくれるようで、嬉しくて思わず口元が緩んでしまう。
◆◇◆◇◆
お茶の時間は思っていた以上に静かに過ぎていった。普段のお茶の時間より若干量が多めになってしまったけど、準備に忙しくてお昼は本当に軽く食べただけだったので気が付けばカイルに分けてもらった分も残さず食べ終えていた。……別に食いしん坊だからじゃないのよ?
心の中で言い訳をしながら周りを見る。ナイジェル様は既に食べ終えているカイルと話されている最中のよう……うん、両親たちも終えたみたいね。
叔母の言う『庶民の食べ物』だけしっかり残されているのが目に入ってしまい、あまりにもあからさま過ぎて笑いそうになってしまったけど口元を引き締めつつどうにか
「では、ナイジェル様。食べ終えたばかりのところ恐縮ですがお言葉をいただけますか?」
ナイジェル様に話を振れば綺麗に食べていただけた皿をテーブルの隅に寄せると椅子から腰を上げ、周囲のテーブルへと視線を動かすがナイジェル様もまた叔母のテーブルに残されたままの菓子に気付いて視線を止めた。
「ワルド子爵夫人がまだ途中のようだ。もうしばらく時間をおいても構わないかな?」
お茶の時間に淑女を
ナイジェル様は柔らかな空気をまとうような言葉で叔母に問いかけた。きっとこれがラストチャンスだっただろうに、叔母はそんな配慮にすら気付きもせず、上品を装うように口元に手を当てながら笑いを漏らした。
「いえいえ、わたくしももう食べ終えておりますわ。お気遣いありがたく存じます」
「しかし……」
ナイジェル様は、手つかずのまま焼き菓子が盛り付けられた叔母の皿に視線を落とす。
「わたくし、庶民の食べ物は口に合わなくて……自ら品格を落とすような真似したくないのですわ」
ナイジェル様の言葉を遮り、『ホホホ』と笑い声を上げる叔母。貴族の
「なるほど、庶民と同じ食物を口にすることは品格を下げることだ……と」
「もちろんでございますとも。貴族たるもの、選び抜かれた貴重な食材を使い一流の者たちの手で作られたものだけを口にするべきでございます」
「ワルド夫人、それは食材以外も同じなのかな?」
「ええ! 食事はもちろん衣服、装飾、屋敷や部屋……わたくしたちの生活全てにおいて気を配るべきですわ。庶民たちとは違うのだと」
ああっ、言い切っちゃった! ハラハラとしながらナイジェル様と叔母のやり取りを見つめていれば、隣に座るカイルからも声が上がる。
「つまり、庶民が手に触れるようなものなど論外というわけか」
言葉尻だけ捉えれば2人の言葉に叔母を責めるようなものは何一つ含まれてはいないのだけれど、このまま進むと叔母の破滅の未来が見えてきそう。助け舟を出してほしくて両親へ視線を向けてみたけど、この会を始めたのは私なので収拾は私がつけるべきと言わんばかりに微笑み返されてしまった……。
どうか穏便に済ませられますように!
顔や態度には表してはいないが、教育の行き届いている辺境伯家の使用人たちですら、叔母の偏見に満ちた言葉へ不快感を漂わせている。
近隣の諸国との領地争いの続いた混乱の世も今ではすっかり昔の話となり、国は豊かになり王国の民たちの生活水準もかなり上がった。それでもまだ貧富の差は如実にあり、末端までは豊かさの恩恵を受けられずにいる。民の貧困問題に心を砕き、問題解決の旗頭をなされているのがナイジェル様本人だというのに……。
社交界でも度々上がる話題だろうに、そういう自分の都合の悪いことには耳を塞ぎっぱなしなのかしら。
そんなわけで叔母のこれからの挙動にハラハラしながら、カイルとナイジェル様の言葉を待った。
「そうでございます。下層のものと同じものを口にするだなんて、恐ろしくて……」
私は子供の頃から、マリアに叱られても懲りることなく頬張っていましたけど?
こんなやさしい味の焼き菓子をそこまで毛嫌いする叔母の方がある意味怖い。
「庶民の手が加わったものを一切受け入れないというのであれば、ワルド夫人は何も身に付けず、野の草を食み、屋根の下ではない空の下でこれからを過ごすのか。聖人ですら為し得ない境地に辿り着きそうだ」
立派なことだとカイルが緩く手を叩きながら言葉を投げた。
「な……ッ。大公閣下とあろうお方が何をおかしなことをおっしゃるのですか。わたくしがそのような暮らしをするわけなどありません」
いやいや、このまま突き進んで家を取りつぶしとかになったら、迷うことなくその生活が送れてしまうかもしれない。そうするだけの権力をお2人はお持ちだものね……まあ、振りかざすような真似されない方と信じてますけど。
「実際、リューベルハルク大公の言葉通りではある。ここに存在する全てのものは、名もなき者たちの手が介在してここにあるものだしね……ワルド夫人が選んだこの希少な茶葉一つであれ、畑を世話し葉を摘みさまざまな工程に関わるのはあなたの言う庶民たちだ」
「で、ですが……庶民だけの手でこのようなものができるわけではありませんし、取り換えの利く道具に心を配る必要などないかと」
ああ、言葉に詰まったならそのまま黙っていたらよかったのに……追いつめられると本音って出るものなのよね。
「そうか……ならば王太子殿下。この場で上申させていただこう。王宮文官であるワルド子爵をこの場で解任してもらいたい」
「な、何をおっしゃっておりますの!? 夫にはなんの非もありませんわ!」
それまでは必死に貴族っぽく振る舞っていた叔母が、慌てて立ち上がった。
「夫人が言ったのだろう? 『取り換えの利く道具に心を配る必要はない』と。先に聞いていれば、このような場を時間を割いてまで作る必要もなかった」
「……わたくし、そのようなつもりで申したわけでは……」
実家が伯爵家、嫁ぎ先の本家が辺境伯家。子爵夫人であっても、そう社交界で雑に扱われたことはなかったに違いない叔母にとって初めての
「カイル、流石にお仕事に熱心な叔父様を巻き込むのはお気の毒よ。叔母様も言い過ぎたと思うけれど……」
「分かってるよ。ワルド子爵の働きは僕らの耳にも届く。才能と学識のある方だとも聞いている。安易に取り換えられるような人材じゃないこともね」
先ほどの言葉は例え話だと理解した叔母は、あからさまにホッと胸を撫で下ろした。
「でも叔母様が言う庶民と言われる者たちがいないと、私たちの生活は一日たりとも持たないのです。生まれた家が貴族だったかそうでないかだけで全てを決めてしまうのは愚かなことだと思います。……それにこの菓子は昔から立場関係なく皆に好まれ、この街だからこそ生まれた伝統的なお菓子なのです。訪れてくださった方々が美しいロゼウェルの街を愛してくださるよう、この菓子もまた愛されてほしいのです」
もちろん招待するお客様のために材料は厳選しているし、当家のシェフが自慢の腕を振るって
広い屋敷の中をくまなく掃除してくれる人、毎日多彩な料理を作ってくれる人、さまざまな仕事に従事してくれる存在がどれだけありがたいことか。
前の生の記憶があるから余計にありがたさが染みて、屋敷の者たちが無理なく楽しく働ける環境を整えてあげたくなっちゃうのよ。
「そ、そうね……エリザベスさんの言う通りだわ。王太子殿下、大公閣下、先ほどの失言詫びさせていただきたく思います」
うっかりすると自分の言葉が夫君の将来を潰しかねないと悟ったらしい叔母が2人に謝罪してくれたので、どうにか丸く収まりそう。
この話し合いが終わったあとでナイジェル様が「ワルド子爵は市井の民の代表たちとの折衝が多くて会合やら何やらで夫人の言う庶民料理を口にする機会が多いから、うちの主人にこんなモノ食べさせて! って怒鳴りこまれたら困るなとは少し思った」と冗談めかしつつ漏らした。
あの場で夫人が謝罪して皆の
何はともあれ、ナイジェル様たちにお
叔母様には、王都に戻ったら開くことになるだろう侯爵家の夜会やお茶会で王都風の伝統をご教示していただきたいと私の方から申し出たので、ずいぶんと機嫌も直ったみたいでひと安心。
もともと叔母の排除を考えていたカイルからしたら私の対応は甘いと言われるかと思ったけれど、不思議と涼しい顔をして静観したままでいてくれた。まあ……瑣末な出来事だったしねと納得することにしておいた。
侯爵家との橋渡しをした叔母の真意も今は分からないし、聞き出したところで私の婚姻がなくなるわけでもない。
余計なことを……という感情は残っているけど、前の生で叔母との関わりがほとんどなかったからアバンら侯爵家の人たちに覚えるような強い感情も作りきれない。時間が経てば叔母への感情はずいぶんと薄いものへ変わっていた……と、たった今気が付く程度には関心を向けることがなくなっていたのね。
だって、他に心を向けたいことが目の前にたくさんあるんだもの。
お茶会が終わると、両親は早々に仕事があるからと部屋を出ていった。
カイルとナイジェル様たちも、このあとは街道事業の会合や港の視察があると言うので玄関まで見送ってから私も本番のお茶会に向け、完璧な準備を整えねばと意気込んだ。
「エリザベスさん、ちょっといいかしら」
彼らのあとを追って退室しようと扉へ向かう私に、叔母から声がかかる。流石に同じ室内では聞こえなかった振りもできず足を止めて振り返った。
流石にこの状況でダメ出しやお小言は言われない……はず。
「叔母様、他に何か?」
「そういえばあなた、お茶会はともかく夜会の衣装は決まっているのかしら? こちらに来てから何度か夜会に参加しているようだけれど、同じものではお客様を迎えるのに失礼だわ」
確かに。
思いがけないまともな問いかけに頷いてしまった。
お呼ばれされた時でも、同じ衣装で何度も参加するのは眉をしかめられてしまうことがあるわ……。
今は皆さんも旅行中の方が多いから、衣装は着回しても事情を分かってくれると思うけれど、流石に招待する側では言い訳にならないわね。
こんなに社交活動するつもりはなかったから王都から持ってきた衣装の数も連日着せ替えできるほど多くないし、手持ちのものやお母様から借りたアクセサリーや小物を合わせてアレンジを変えるのも限界がある。
屋敷にある昔のドレスはデザインも今の流行のものではないし、それに少し……きついのよ。
その、お腹周りじゃないけど、胸とかお尻とか……いろいろと。
それは成長した
「今から仕立てるのは……街の仕立て屋は今、王都からのお客様たちの仕事でいっぱいなので空きがあるかしら……」
いつものお店にダメ元でお願いしてみてから考えましょう。
たぶんオーダーメイドは無理でもリメイクならそこまで時間もかからないだろうから、頼むだけ頼んでみよう……と、叔母の問いかけに返事をしながら対策を考えていると、再び叔母が口を開く。
「あのね、エリザベスさん。よい機会だと思うので聞いてちょうだいな。私が王都で懇意にしている仕立て屋の息子さんが勉強のためこちらに店を構えて商売を広げたいと言うのよ。王都の方でも今は海の向こうにある帝国風の衣装が
伝統を貴ぶ格式高い王都、革新的な風が舞い込む港街。
どちらがいい、悪いの話ではないのは叔母の言う通りだ。
王妃様が着ていらした伝統的なスタイルのドレスも素敵だったもの。そうなると職人同士の交流や若手を集めての勉強会なんて開いてみるのも面白そうね。
「確かにそうですね。若い職人同士、勉強会や会合などの交流を通して技術を伝え合うのもいい刺激が生まれそうですわ。……新しい流行が生まれるきっかけにもなるかもしれませんし」
でもそれは今話さないとならないことなのだろうかと首を傾げると、叔母が言葉を続ける。
「今ね、その息子さんもロゼウェルに来ているのよ。だからぜひね、会ってあげてほしいの」
地元の有力な貴族と顔を繋ぐだけでも商売上有利になりやすいので、懇意にしている付き合いの長い店にいい顔がしたいのだろう。
そんな叔母の打算を感じながらも叔母が苦手だという理由で若い芽を摘む意味もないかと思うし、珍しくも叔母が私に頼みごとをしているのだから貸しを作るのも悪くないものね。
「分かりましたわ、私でよければ喜んで。叔母様、申し訳ないのですけど殿下たちをお待たせしてしまうので、よろしいでしょうか?」
失礼いたしますと頭を下げて扉へと向かう。廊下へ出ればカイルとナイジェル様が2人揃って待っていてくれた。
「ごめんなさい、待ってくれていたのね」
「いや、何事もなかったようで何よりだ」
謝罪すれば私を心配して待っていてくれたと分かる言葉に、気負うことなく笑みを返した。玄関へ向かいながら叔母との会話の内容を2人へ告げる。
「あまり仕事を増やすとマリアさんが気の毒だから、無理はしないようにね。僕も協力するからなんでも言って」
叔母からすれば紹介した店の息子の支援のみの話だっただろうに、この街の商会ギルドと王都の商会ギルドを巻き込む事業に発展しそうだと私のことを理解してくれるカイルが面白そうに告げれば、そういうことなら私も噛ませてもらいたいなとナイジェル様も話に加わってきた。
「形になったらぜひ声を掛けてほしい。この国の商業の発展は、私も願ってやまないことだからね」
縦軸にしか繋がらない子弟制度も王都や街単位での狭い地域の発展なら問題にならなかったことが、都市間、国家間となるとそうも言えず、閉塞気味ではあった王都の商会を発展させる鍵になるかもしれないと告げてくださったナイジェル様にも歓迎いたしますと返した。
3人であれこれ話しているうちに玄関へ着き、やってきた馬車に乗り込む2人を見送り私も2人が帰ってくるだろう夕食の時間までに先ほど叔母と話した件で確認しないとならないことがいくつかあるので、マリアに声を掛けて街へ出かけることにしたのだった。
────そして時間がたち夕刻。
海へ沈む太陽の光が黄金色に海を染めゆっくりと赤みを濃くしながら色を変えていく夕焼けの空を眺めながら、深いため息をついた。
「……まさかこれほどだなんて」
いつも世話になっている仕立て屋から新しくできた店まで、くまなく回って確認した結果。
お弟子さんに至るまで誰も手が空いておらず、どこの店も猫の手すら借りたいほどの盛況だそう。
『これも領主様や王都へ嫁いでくださったお嬢様のおかげです』
と、バカンスシーズンに予想をはるかに上回る旅行客の数に嬉しい悲鳴を上げている、目の下に濃いクマを飼っていらっしゃる商会の長たちから頭を下げられてしまったので、わがままを押し付ける空気すら生まれなかったわ……。なんか死んじゃいそうで、うん。
「……では、屋敷で働いている者の中から針仕事が得意なものを数名選んで話をしてみましょうか」
「そうね、それが最善かも」
マリアの声にゆっくり頷く。
使用人たちの制服や家具などに使われている布類の補修は、針仕事の得意な娘たちが担っている。
だからと言ってドレスに関する針仕事がそれと同じとは思えないので、こればかりはできるかどうかは本人に聞かないとならないわね。
「そういえば、ユーリカは王都で服の仕立ての大店で働いていた……のよね。そこで何をして働いていたのかまでは聞いてなかったけれど、ドレスの扱いは慣れてるかもしれないわ」
街道の宿屋でトラブルに巻き込まれていた王都の町娘のユーリカの存在を思い出して、マリアに話し掛ける。休みの日に街の仕立て屋を見て回っていると聞いていたけど、平日はまだ屋敷で働いていたはず。
「そうでございましたね。では戻ったら声を掛けてみましょうか」
「お願いするわ」
色彩が時刻を知らせるようにオレンジに染まった空へ、濃い青が降りてくる。
この辺が潮時かと海から吹く風を受けながら、私たちを乗せた馬車は屋敷へと戻っていった。
屋敷へ馬車が着くと、マリアは針仕事の得意な使用人たちに聞いてみますと告げ、先に屋敷へと戻っていく。
カイルたちの帰宅する時刻が近いことを馬車止めで出迎えてくれた家令のローウェンが教えてくれたので、私は自室に向かわず玄関ホールで彼らの帰宅を待つことにした。
「エリザベスお嬢様、外は暑かったでしょうから、何かお飲みになりますか?」
「いえ、カイルたちもそろそろ戻ってくるらしいから、今は大丈夫よ。揃ったら応接間の方に用意してもらえて?」
「かしこまりました」
すぐ出せるように準備をしてまいります、と玄関ホールをあとにした侍女と入れ違いに叔母が現れる。
午後に顔を合わせた時よりおめかししていらっしゃるし、手には小さなバックをお持ちなのでこれからお出かけなのかしら?
「あら、エリザベスさん。戻ってたのね」
「はい、先ほど」
「そうそう、お茶の時間の時に話したことなのだけど、できれば早めに紹介したいの。顔合わせだけならそんな時間とらないでしょうし、明日とか都合つくかしら?」
ああ、そういえばそんなことを言ってたわね。私の都合を聞いているようで、たぶんこれは、『明日、絶対』ってところね。お相手に急かされてたりするのかしら? ……まあ商売絡みでは仕方ないかも。
「明日ですか? そうですね、時間は取れると思いますが、詳しい時刻は夕食のあとにお話ししても間に合いますか? 叔母様もこれからお出かけのようですし」
「王都でもお世話になっている伯爵夫人のサロンに招かれているのよ。では戻ってきたらお話ししましょうね」
我が家の馬車が正門を抜けて近づいてきたのか、馬の
──よかった。たとえ紹介でも見知らぬ人と一人で会うのは少し避けたいので、お父様かカイルに同席してもらえる時間があるか聞く時間ができたわ。
そして叔母を乗せた馬車が門を出てからしばらくして、カイルたちを乗せた馬車が戻ってきたので出迎えた。人のことは言えないけれどナイジェル様も王都とは気候も全く違う不慣れな地でも変わらずお忙しそうなので、体調を崩されないように精いっぱい気を配って差し上げないとね。
「おかえりなさい、お2人ともお疲れ様」
笑顔で出迎え、応接室へと2人を通し、席へと着いたタイミングで冷たいお茶と冷菓が配膳される。あの時にお願いしておいてよかったわ。
「そういえば、こちらへ戻る時に君の家の馬車とすれ違ったよ。ワルド夫人が乗っていたように見えたけど」
お茶を飲んで一息ついたタイミングで思い出したようにカイルが告げたので、その通りだと頷き返す。
「王都にいらっしゃる知り合いのご夫人のサロンに呼ばれたそうよ」
「……浮かない顔をしているから夫人にまた意地悪でもされたのかと思った」
行き先のやり取りをしているくらいなら平和的にすれ違ったのだろうと笑みを浮かべるカイルを見て、過保護すぎるわとこぼしてから、その時の叔母とのやり取りを思い出す。
「ああ、意地悪とかではないけれど……あのね」
王都の職人との顔合わせならお茶会や夜会が終わったあとでも十分かと思ったのに、自分の用事を優先したいらしい叔母から明日中にと頼まれたことを伝えた。
もちろん、前々からの約束で、とかそうでなくともこちらに十分な余裕がある時なら会うこと自体は構わないのだけど、余裕どころか正直夜会のドレスどうしようって心の中は大慌てなのよ。
「そういうわけで申し訳ないのだけど、明日空いてる時間はあるかしら? 私はお茶会の準備で一日中屋敷にいる予定だから合わせられるわ」
「……明日は……うぐっ」
カイルより先に口を開いたナイジェル様が途中で言いよどむ。……というか
そして間髪入れずにカイルが答えた。
「君のエスコート以上に大事な用事なんてないよ」
「明日は別行動で構わないだろう? 人手がいるならうちの侍従なり騎士なりいくらでも貸し出す」
私へ言葉を返したあとにナイジェル様にも言葉を投げるカイルの様子を見て、ナイジェル様にそっと視線を向けると少しばかり苦みの混じる笑みを向けて頷いてくださった。
「分かった。エリザベス嬢の身の安全の方が大事なのは私も同じだ。仕方ない、貸し一つだな」
────うちの子が本当にすいません、ってイタズラ坊やのお母様の気持ちってこういうものなのかしら。
子供を持つ前から、こんな気持ちを追体験できるなんて思いもしなかったわ。
心の中で頭を下げつつ話題は明日の時間調整へと進み、面倒ごとはさっさと終わらせようということになり、明日はお昼前に時間を空けられると、夜になってサロンから戻ってきた叔母にも伝えた。
私の返答を聞いた叔母がそれを知らせるための使いを送った頃、カイルはマリアを捕まえて何か指示をしていた。
たぶん明日のことだろうし、重要なことならまず私に話を振るだろうからお茶菓子のリクエストとかかしら。
……なんてのんきに考えていたのだけど。