2章 ナイジェル来訪



 お茶会の準備に関して、私の方は既に招待客の選定を済ませ順次招待状を送り始めている。お茶会の会場となる場所、庭作りや室内に飾る花、茶葉の種類、ティーフードのメニューなどもだいたい決まっていたのだけれど結果が出るまで保留になった。もしも叔母側の提案するものに軍配が上がったとしても、全ての準備を完璧にできるよう両親にも相談して2日ほど開催する日取りを延ばすことにした。時間が足りないなんて理由で準備が整わなかったなんてことになったら招待した方に申し訳が立たないもの。

 招待を予定しているのはバカンスにロゼウェルを選んでくださっている方々ばかりだけれど、他の家の開く茶会に参加が決まっていたり他の予定を組まれているかもしれないのでと、家の使いの人間を総動員してお伺いへ走ることになったのだけど。急なことだったにもかかわらず皆さん快く承諾してくださったり、別の予定が重なってしまった令嬢や夫人も時間や日付をずらすなどして協力していただけそうでよかったわ。

 もちろん、全てこちら側のワガママなので場所の手配や発生した料金などは、こちらでできる限りの便宜を図らせていただきました。

 王都に戻ったらあの夜会でめでたくご縁が結ばれた家の婚約式の他に、謝罪やお礼でスケジュールが混雑しそう。ここでも王都に戻っても変わらない忙しさに追われる私を見てマリアが怒るでしょうね……と、どうしても心配をかけてしまう彼女の姿を思い描いて少し遠い目になってしまったけれど。大丈夫、笑顔で乗り切ってみせるわ。

 気を取り直して作業を進めようとテーブルに積んだままの書類へ手を伸ばし、手にしたペンの先にインクをつけ目を通し終えた書類にサインを入れ始めたけれど、数枚サインを入れただけで手はすぐに止まり……思考は少し前の出来事へ戻っていく。


 ──カイルの提案をまとめてから叔母の元を訪ねた時のこと。よりよい茶会を開くために互いに提案を出し合い、優れた案を採用することになったと叔母にその旨を伝えた。

「短い期間で叔母様に負担をかけてしまうと思いますが、私も茶会を開く身としてはまだまだ未熟な面ばかりだと思っておりますの。よい機会なので勉強させていただけると嬉しいのです」

 勝った側の特典はお茶会のホストの座なので断らないとは思っているけれど、カイルのアドバイスを取り入れて叔母の自尊心をくすぐる物言いも忘れずに付け足した。

「よい心がけですわ、エリザベスさん。私が王都貴族として格式高いお茶会というものがどのようなものか見せて差し上げます」

 存分に勉強いたしなさいと告げながら、意気揚々と客間へと戻る叔母様の姿を見て、大丈夫かしらとため息をついた。……私も一応王都貴族なんですけど?

 今までどれだけ我が家の催しに口を出し場を整えようと、正式な夜会のホストとなるのは私の両親である辺境伯夫妻であり、叔母はただのサポート役でしかなった。だけど、次のお茶会で私のものより秀でた提案ができたなら、ホスト役も譲るとの提案を耳にした途端、叔母の目が爛々らんらんと光るのが見えた。

 ……まあ全てを取り仕切った人の功績を取り上げようとは思わないからそれはいいのだけれどね、簡単にその役目を渡すつもりもないし。

 ……まあ、ローズベル家の主催する催しなのだから、当主の弟とはいえ、分家筋の叔母が前に出ることなんてあり得なかったものね。取り巻きの夫人たちに影の辺境伯夫人とか呼ばれて虚栄心を満たすくらいしかできなかったのだもの。

 確かに結婚相手に関しては叔母から見れば運が悪かったのだろう(叔父様ごめんなさいっ)。でも、実家は地方であっても領地を持つ伯爵家であり、隠居されている前伯爵も現在当主となって伯爵家を治めている叔母の兄君も、年の離れた妹である叔母を幼い頃から変わらず可愛がられていて、今も叔母との仲は良好と聞く。

 子は男子が2人、どちらも健康で将来性だってとても有望だと学園でも言われるほどらしい。

 そして義理の兄はローズベル辺境伯当主、その弟である叔母の夫は子爵とはいえ王宮官僚として着々と栄達を重ねているというし、このまま何事も起きなければ叔父様の時代で伯爵位に陞爵しょうしゃくも叶うかもしれない。

 子爵夫人としての叔母の人生は決して悪いものでないだろうに、どうして上ばかり見上げているのかしら。

 私は叔母とは逆で悲しみに明け暮れ、足元ばかり見ていた瞳には暗い絶望しか映せずにいたけれど、ほんの少し顔を上げて周りへ視線を向け手を伸ばすだけで、自分がどれほどの幸せに囲まれていたのか何度も知ることができた。だから叔母も少しでいいから周りを見渡して叔母を愛してくれている人たちへ気持ちを向ければ、今よりもっと穏やかな気持ちで過ごせるのではないのかしら……?


「リズ、考え事?」

 全く動いていない私の手元を覗き込んで、彼が小さく笑う。考え事をしていたせいか彼が部屋に入ってきたことに全然気付けなくて驚いて顔を上げてしまった。

 私が執務に使っている小さめの応接室で、一人掛けのソファに腰を下ろしている私。その向かいにある長ソファへ腰を下ろし、楽しいのか分からないけど私の顔を眺めている彼と視線が触れ合ったものだから、思わず照れ隠しに少し唇をとがらせてそっぽを向いた。

「考え事くらいしたくもなるわよ。どれだけこなしても先が見えてこないのよ。問題ばかり湧いてくるんだもの」

「……それは、うん、ごめんね」

 トラブルになりかねない種をいた自覚があるのか、カイルは笑みに苦さを混ぜながら謝ってくれた。

 そんな彼の手の中は街道事業関係の書類だろうか、文字がびっしりと書き込まれた書類が数十枚の束になっているものに目を通してはサインをし続けている。

「リズお嬢様は十二分に頑張っていらっしゃいますもの、必ず報われますわ。さあ、お2人とも甘いものでも食べてリフレッシュしてくださいませ」

 この家にずっと務めている馴染みの深い侍女がぬるくなってしまったお茶を淹れ直してくれながら、励ましの言葉を掛けてくれた。一口大に切り揃えられた焼き立ての菓子の甘い香りが鼻先をくすぐると、自然に笑みがこぼれてしまう。

 ……巻き戻った世界で与えられるささやかなやさしい出来事を幸せと感じられる私でいられますよう、そっと心の片隅で祈りを込めた。


◆◇◆◇◆


 明日のお茶会のプレゼンに向け、叔母があちこち忙しそうに出歩いていらっしゃるおかげで私は自室以外でも落ち着いて過ごすことができている。

『ちょっとエリザベスさん、いいかしら』

 と、両親やカイルが傍にいない時を見計らってかけられる叔母の声にずいぶんとストレスを感じていたのねと、穏やかな気持ちの割に処理されたばかりのサイン済みの書類の束を見て笑みをこぼした。

「エリザベス様、そろそろ大公閣下がお戻りになるお時間です」

 少しして、侍女が時間を知らせてくれた。

 どうしてマリアが決めたように私を奥様と呼ばないのかって? 初めはマリアをはじめとした侯爵家側の使用人は私を、辺境伯家の使用人は母を奥様と呼び、もう片方は名前で呼ぶようにしていたのだけれど……。侯爵家側の使用人ももともと我が家で働いていた者ばかり。やはり母を奥様と呼び慣れている手前、次第に混乱しだして一時すごいことになったのよね。

 ……そういうわけで呼び名を昔に戻した。それ以降は何の混乱も起きなかったので、マリアも折れた。王都に戻ったら呼び名を元に戻します、とマリアが少々照れた顔で告げていたっけ。

 そんなことを思い返して口元に笑みを乗せながらペンを置き、サインを入れた確認済みの書類を綺麗にまとめてテーブルの端に置いておく。

 数日おきに大公領から家令や領内を取りまとめている役人たちが、大公領や大公の住まうリューベルハルク城で発生するさまざまな案件からカイル個人で手掛けている事業関係の報告や書類さまざまなものを手にしてカイルの元を訪れる。人の出入りもかなり増えるので、辺境伯家の屋敷の客間では手狭だろうと街の中にある辺境伯家の別邸をカイルは父から借り受けた。

 そう言えばカイルに置いていかれた従者さんたちが2日後、荷物を積んだ馬車はあれから4日後、ローズベル邸に到着していたわね。従者さんたちはそのまま別邸に向かったのに馬車が着くまでと言っていたカイルは相変わらず本邸の客人として過ごしながら仕事の時だけ別邸に通っている。

 朝食を済ませてから別邸へ向かい、大公領の問題やカイル自身が営んでいる王都やロゼウェルで展開する事業の話も取りまとめてから、夕方辺境伯邸に戻ってくるのがだいたいのパターン。大変なら私の方の用事は気にしないで大公領に戻ってもいいのよ、と告げたこともあるのだけど……。

『ある程度は城にいる母や家令たちが処理してくれているので、どうしても私が目を通さないとならないもの、に限定されるからそんな量でもないよ』

 と言って笑っていた。幼い頃から私の家へ遊びに訪れていたカイルも、私のことを言えない程度にはビジネスフリークの両親の影響を受けている気がするのよね……。無理をして体を壊さないといいのだけど。

 そんなわけで私以上に忙しいカイルの戻りをねぎらうのは何もおかしい話じゃないものね、うん。

 なんとなく自分に言い訳を繰り返しながら玄関ホールへ向かい、彼の乗る馬車が到着するのを待つことにした。

 先触れで予告した通りの時間に彼を乗せた馬車が正門前に着いたと報告を受け、玄関ホールから正門へと向かう。今日も空は爽やかな青が空を覆い尽くす雲一つない快晴。日差しがまぶしいと感じるが、すぐさまマリアが日傘を広げて影を作ってくれた。

「おかえりなさい、カイル。お疲れ様」

 扉が開けばいつものように爽やかな笑みを浮かべながら馬車から降りてくるだろうと思えば、予想とは真逆の表情で馬車の扉から顔を覗かせた彼に私も少し驚いてしまう。

 あら? 珍しいくらい渋い顔になってるわ……。めったに見ない彼の表情を物珍しげに眺めていると、彼の肩越しに見覚えのある赤い髪が覗いた。

「……ナイジェル様?」

 小さな呟きではあったけど私の呼んだ名がこの国の最も高貴なる存在、王太子のものだと悟った使用人たちは、表情を引き締めると一気に後ろに下がり、正門から玄関へ続く石畳の道の上を邪魔しないよう左右に分かれ頭を深く下げた。

 もちろんカイルもナイジェル様に準ずる高貴な存在ではあるのだけど、幼い頃からこの屋敷に出入りしているので家族同様の対応となっていて、格式張りすぎる対応は彼も望まないため割とほのぼのしているのだけど……。

 馬車の前に立つのは私と日傘を持つマリア、そして筆頭家令のローウェン。表情は窺えないけれど2人とも緊張しているのか、空気がピリッと引き締まる。カイルは渋い顔のまま馬車から降りると扉から少し体をずらし、ナイジェル様が降りてくるのを待った。

「やあ、久しぶり。エリザベス嬢」

 明るいほがらかな声が響く中、突然の訪問に頭の中は真っ白で、カイルの渋顔の理由を察することもできぬまま。

 ──もうっ! 殿下もダメに決まってるじゃない!

 と、心の中で淑女としては似つかわしくない叫び声を上げたのだった。