秋も後半のある日、私たちは首都を出てバイオスという町に向かった。

バイオスは温泉地として有名な保養地である。

今年の初めから初夏にかけて、ティベリウスさんの結婚式の準備で大忙しだった。夏が終わってからもミリィのご両親と一緒にエール造りに奔走したりして、今年はずっと休む暇がなかった。

それで、この一年の疲れを癒やすために温泉地行きが決まったのである。

メンバーは私とティト、ハミルカル、それにアレクとラス、ヨハネさんだ。

私が春に南部大陸に行く時、アレクとラスは旅行をとても羨ましがっていた。ラスは祖国エルシャダイからユピテルまで旅の経験があるけれど、アレクは特にない。せいぜい実家の村と首都を行き来したくらいだ。好奇心旺盛な年頃だから、旅をしてみたいらしい。

とはいえ年齢はまだ七歳だから、長旅は大変だろう。

なので気楽に行ける距離のバイオス旅行は、手頃でちょうどいいと思ったのだ。

バイオスまでは馬車に乗って、だいたい四~五日くらい。道中はユピテル街道で、宿場町も整っている。

現地の滞在は一週間程度を予定して、のんびりしてくるつもりだった。


そんなわけで私は今、幌馬車ほろばしゃにゴトゴトと揺られている。首都を出て半日ほどが経過していた。

あいにくの小雨模様だったが、アレクとラスは大はしゃぎ。御者席のすぐ横に二人で座って、あちこち指さしたりおしゃべりをしたりしている。

少し年上のハミルカルは落ち着いていて、弟分二人を見守っている。

おかげで私もあまり気をもむこともなく、ティトやヨハネさんと話しながら時間を過ごしていた。

馬車はフェリクスで所有しているもので、御者の他に護衛の兵士が三人ほど同乗している。護衛と言っても特に危険はない場所だ。兵士たちもくつろいで談笑していた。

夕方近くになって、宿場町に到着した。

主だったユピテル街道沿いには、一日の行程に合わせてこういった宿場町が整備されている。宿場町には旅籠はたご公衆浴場テルマエ食堂タベルナ、厩舎などが並んでいる。

旅人や行商人の他、公設の伝達人もこれらの設備を使うそうだ。

なにせユピテル共和国はとても領土が広いので、各地の属州と首都ユピテルは行き来するのが一苦労。元老院の公文書を携えて、属州総督の元まで走る伝達人は重要な役割になる。

伝達人にも階級がいくつかあり、その中でも最上級の人々は馬に騎乗する。宿場町ごとに馬を乗り換え、一日に百キロ以上も進むのだそうだ。

私たちは旅籠にチェックインして食事を取った。浴場で軽くお風呂に入って体をほぐし、また明日からの旅に備える。

柔らかく降り注ぐ夜の雨の音を聞きながら、ゆっくりと眠った。


そうして順調に旅路をこなすこと三日。

雨は初日だけで、あとは晴れてくれた。

景色は少しずつ移り変わり、南の大きな山──ウェスウィウスを遠目に見ながら移動を続けた。

アレクとラスは移動だけの日々にちょっと飽きてきたようで、馬車の床に寝転がったり、オセロみたいなボードゲームをして暇を潰している。

その日も夕方になる少し前に宿場町に着いた。いつもどおり旅籠の部屋を確保して、食堂に集合する。

すると、質素な身なりの男女に話しかけられた。

「すみません、旅のお方。どうかお力を貸してもらえないでしょうか」

彼らは護衛の兵士とヨハネさんを交互に見ている。

なんだろう、荒事で兵士の力が必要なのだろうか?

私は内心でちょっと迷ったが、話くらいは聞いてみようと思った。

「どうしましたか? どこまで力になれるか分かりませんが、とりあえずお話をどうぞ」

私が答えると、男女はびっくりした顔をした。

「ああ、すみません。そちらの男性が代表の方だと思ったので」

そう言ってヨハネさんに視線を送っている。

ヨハネさんが答えた。

「この一行の代表は、ゼニス殿です。まだお小さいですが、しっかりとした方ですよ」

「そうでしたか」

まぁ勘違いされるのもやむなしか。私、肉体年齢は十歳だものね。

そんな一幕はあったが、ともかく私たちは席について話を聞き始めた。

男女は近くの村に住む夫婦だと名乗った。

「私どもはブドウ農場で小作をしている者でして。今年の収穫はほとんど終わったのですが、今になってブドウリスが出たのです」

「なんですって!」

私は思わず声を上げた。隣でティトがびくっとしている。

「ブドウリスって、あの憎たらしいリスですか。ブドウをかじって食べてしまう、害獣の!」

「ええ、そうです。そのブドウリスです。畑に出た一匹は追い払ったものの、もしも巣が出来ていたら村人では手におえません。それで、駆除のための人手を借りようとここまで来たら、強そうな兵士さんがいらしたものですから」

と、奥様。フェリクスの兵士たちはお互いに視線を交わして、肩をすくめている。

旦那さんが続けた。

「もちろん、タダとは言いません。お金を預かってきました」

彼はテーブルの上に小さな革袋を置いた。ゴトリと重そうな音がする。

「お金はともかく」

私は言う。

「ブドウリスの数はどうですか? 巣の確認などはしましたか?」

夫婦は首を横に振った。

「今は最後の収穫とワインの仕込みで、大わらわでして。あまり詳しく調べる暇がなかったのです。かといって放置もできず、人手を探しに来た次第です」

「うーん……」

どうにも話がはっきりしない。

ブドウ農家にとってブドウリスは大敵なのはよく分かる。三年前に私の実家もひどい目にあった。

もし私の実家の時みたいにけっこうな数のブドウリスがいるならば、今の兵士三人と魔法使いの私一人では戦力不足だ。

だが、目撃されたリスは一匹だけだという。

私の実家の時は、最初からリスがわらわらと出た。一匹しかうろついていないなら、総数も大したことないか……?

「姉ちゃん、姉ちゃん! 助けてあげようよ。ブドウリスなんてやっつけちゃえ!」

アレクがテーブルに身を乗り出して言った。私はうなずく。

「そうだね。同じブドウ農家として、放っておけないね」

三年前はフェリクス本家が助けてくれた。そのおかげでブドウは無事で、私も魔法使いになれた。

「一度農場まで行って、調査をしましょう。もしも私たちで駆除できない数のブドウリスがいたら、もっと人を集めないといけませんが。何とかなりそうなら、そのまま駆除を進めます。……それでよいでしょうか?」

私が言うと、夫婦はぱっと表情を明るくして頭を下げた。

「助かります! どうか、よろしくお願いします!」

そのようなわけで、三年越しのブドウリス・リベンジ作戦がスタートしたのである。


農場はこじんまりとしていたが、今はちょうど繁忙期。村人たちは総出で忙しそうにしていた。

農場の持ち主の貴族は不在だった。

宿場町で出会った夫婦は管理人役を務めていて、ある程度の采配を任されているそうな。

最近はこういう農場が多い。持ち主の貴族は首都に住んでいて、たまに視察にやってくるのだ。

うちの実家みたいに農村に住んで、自分で農作業をやる貴族はもう少なくなっている。

この農場は平民の小作農が働いているが、南部大陸のソルティアのように農場まるごと奴隷に任せているものも少なくない。

さて、宿場町で一泊後、午前中のうちに農場に到着した私たちは、さっそくブドウリスが目撃された畑に案内してもらった。

収穫がほぼ終わったブドウの木は紅葉が進んで、目に鮮やかな景色である。

とりあえずリスはいない。手分けして見回りをすることにした。

リスが襲ってきたら危ないので、アレクとラス、ハミルカルの子供組は馬車で待機である。三人ともそれぞれに不満そうな顔をしていたのが、なんだか面白かった。みんな男の子だねえ。

ティトも待機でいいよと言ったのだが、「ゼニスお嬢様についていきます! 無茶しないよう見張ってないと」だそうで。そんなに無茶するつもりもないのになー。

兵士二人とヨハネさんは単独で、私とティトと兵士一人は三人一組で畑を見回りした。

小一時間ほどしてお昼時になった頃、私の少し前の枝が不自然に動いた。黄色く紅葉した葉の隙間に紫っぽい茶色の毛が見え隠れしている。

私は兵士を振り向いた。彼はうなずいて、肩の剣帯にかけた剣に手をやった。

「はっ!」

気合の声とともに抜刀、枝を薙ぐ。

「ビャッ!?

ブドウリスが驚きの声を上げて枝から枝に飛び移り、逃げていった。兵士がホイッスルを吹いて仲間に知らせ、私たちはリスを追う。

最初の一撃でリスを仕留めるつもりはなかった。もしも巣があるのなら、やみくもに探すよりもこいつを追って行ったほうがいい。打ち合わせの上での行動である。

ブドウリスはガサガサと枝を鳴らしながら逃げて、畑の端までやって来ると地面に飛び降りた。さらに走る。森の中に入っていったので、私たちも追った。途中で他の兵士とヨハネさんも合流してくる。

リスの速度は思ったよりも速くなかった。左の後足を時々気にするような動作をしていて、怪我でもしているのかもしれない。

私たちも少し速度を落として、つかず離れずの距離を保った。

しばらく走ると森が開けた。川になっている。

リスはだんだん後足を引きずるようになっていた。やはり具合が悪いようだ。

川岸まで来て、リスはとうとう座り込んでしまった。

「これは、巣はなさそうですね」

兵士の一人が言う。

「ブドウリスは追われれば、巣に逃げ帰る習性があります。こんな川に巣があるとも思えませんし」

「そうですね……」

私の実家に出たリスも、森の木のうろに巣を作っていた。

「じゃああれは、はぐれリスでしょうか」

「おそらくは」

などと会話しながらリスに近づく。たとえ一匹でも害獣は始末じゃ!

ところが、川に近づくと妙なことに気づいた。

川から湯気が上がっているのだ。

前世日本の冬、うんと寒い時に川の水温と気温が逆転して湯気が上がることはあった。でも今は秋でちょっと肌寒い程度。

なんか、軽く硫黄臭もする。

川の水に手を入れてみると、はっきり温かかった。

「これ、温泉?」

見上げた先には、ウェスウィウス山の稜線りょうせんが見える。この山の近くは温泉が多い。旅の目的地であるバイオスもそうだ。

と。

ちゃぷん、と水音がして、リスが対岸に走って行った。向こう側の森に飛び込んで見えなくなる。

「しまった、逃したか」

兵士が悔しそうに言ったが、私は首を振った。

「巣はなさそうだと分かったし、一度村に報告に戻ろう」

「はい」


村に帰って単独のはぐれリスである見込みを伝えると、村人たちはほっとした様子になった。

ついでに川の温泉について聞いてみたところ、知らなかったという。

「ウェスウィウスの近くでは、時々新しい温泉が湧きますから。川の温泉もごく新しいものでしょう」

と、管理人の旦那さんが言っていた。

「姉ちゃん、俺、川の温泉見てみたい!」

「僕も見たいです。本当に川の水が温かいんですか?」

アレクとラスも興味しんしんだ。

もう危険はないだろうということで、皆で一緒に川まで行った。

「ホントだ! あったかいです!」

「これが温泉……。ソルティアには、こんなのなかった」

温泉に初めて触れたラスとハミルカルの外国人組がびっくりしている。

「せっかく温泉あるんだから、風呂入っていこうぜ!」

アレクはそんなことを言う。私はうなずいた。

「いいね。私たちだけの秘境温泉って感じで。……あ、そうだ。せっかくだから石で湯船を作ろうか」

「作る!」

「楽しそうです!」

そこで私たちは、手頃な大きさの石を川に積んで即席の湯船を作った。大きい石を運ぶ時は、兵士とヨハネさんが手伝ってくれたよ。

「一番風呂!」

ぱぱっとチュニカを脱ぎ捨てて、アレクがざぶんと飛び込んだ。

「あー、気持ちい~」

ラスとハミルカルは遠慮しているようで、私とティトを見ている。

「気にしなくていいから入っちゃって。あ、脱ぐ時は私たち、向こう向いてるね」

「すみません……」

普段は真面目な彼らも、大自然の露天風呂の魅力に抗えなかったようだ。ささっと脱いで腰巻姿になり、アレクと一緒にお湯を掛け合っている。

「私も入りたいなぁ」

思わず言うと、皆が一斉にこちらを見た。

「駄目ですよ、お嬢様。さすがにはしたないでしょう」

と、ティト。

「身内しかいないんだし、別によくない? 素っ裸じゃなくて下着だし。まだ十歳だし?」

「ゼニス姉さま、やめて下さい!」

ラスが悲鳴のような声を上げて、お湯に潜った。やめなよ、茹だっちゃうよ?

ハミルカルは何か言おうとして口をぱくぱくしている。真っ赤になって、言葉にならないって感じだ。

「ゼニス殿。いかに子供の年齢とは言え、むやみに異性に肌を晒すのはいかがなものかと」

これはヨハネさんだ。まずい、お説教モードが始まりそうだ。私は慌てて首を振った。

「えっと、そうだ、服を着たままならどうですか! 湯船はもう一個作って、ちょっと離れたところで入るなら?」

「まあ……それならばいくらかマシですが……」

「よっし、そうしましょう! 善は急げ!」

超特急でもう一個湯船を作った。ついでに兵士が一人、村まで戻って着替えやら荷物やらを持ってきてくれた。ありがとう!

板切れで衝立を作ってくれたので、着替える。寝間着に着るシンプルなチュニカに、下着として胸と腰を布で巻いて。

そうしてティトと一緒に入った露天風呂は、まさに天国、極楽であった。

ちょっぴり肌寒い秋の空気がちょうどいい。紅葉した森の鮮やかさと青い空。遠くに見える山の稜線。もう最高!

兵士はちゃんと飲み物も持ってきてくれたので、皆で飲んだ。

そうして皆で大自然のお湯を堪能していると、ふと気づいた。

すぐ近くになんか茶色っぽい毛玉がいる。

……ブドウリスだ!

そうと気づいて身構えるも、リスは特に敵意も見せず近寄ってきた。私の湯船に近い場所で、ちゃぷんと温泉に足を浸す。

「ブドウリスも温泉が好きなんですか?」

ラスが不思議そうに言った。

「足を怪我してるみたいだから、湯治に来ていた……?」

ティトが呟いている。

ブドウリスは人間たちを気にせずに、実に気持ちよさそうにお湯に入っている。

その顔は、前世で人気の温泉長風呂動物・カピバラにそっくりだった。

私はカピバラが好きで、冬になるとよく長風呂対決の動画を見ていたものだ。

憎たらしいブドウリスではあるが、その顔を見ていると敵意が解けて消えてしまうのを感じた。

「まあいいか、たった一匹なら大したことはないし」

思わず言うと、兵士たちが苦笑していたよ。


その後私たちはその村に留まって、何日も露天風呂を楽しんだ。

繁忙期の村人たちの邪魔はできないので、川の近くまで馬車を持ってきて寝泊まりする。

肌寒い季節ではあるが、馬車に毛布やコートなども積んであったのが幸いした。誰も風邪をひかなかったよ。

思わぬキャンプに子供組は大喜び。川岸で焚き火をして料理をしたり、森で木の実や山菜を採ってきて食べたりした。

兵士たちは山鳥やウサギを仕留めてお肉を提供してくれた。

さらに石を積んで新しい湯船を作る。ハート型にしてみたり、泳げるくらい大きめのを作ったり。

キャンプが楽しくて露天風呂が極楽で、私たちはすっかりここが気に入ってしまった。

だから当初の目的地であるバイオスの町には行かず、残りの日程はここで過ごすのを全員が賛成したのだった。


「温泉とキャンプ、楽しかったね!」

数日後、私たちは帰路についた。即席のキャンプだったけど、大人向けに整えられた温泉保養地よりずっと楽しめた気がする。

そうそう、ブドウリスはいつの間にか姿を見せなくなっていた。怪我が治って、森の奥に帰ったのかもしれない。

私の宿敵ではあるが、温泉とカピバラに免じて許してやることにした。

馬車の中では、毎日遊び回って疲れ切ったアレクとラスが、すやすやと眠っている。ハミルカルはその横で毛布をかけてあげている。

温泉効果でみんなお肌がつるつるだ。

石を積んで作った湯船は、村人たちに譲ってきた。喜んでもらえたよ。

「こんなふうに知られていない温泉が他にもあるなら、見つけてきてリゾート化するのも楽しそうだね」

私が言うと、ティトはおかしそうに笑った。

「ゼニスお嬢様はよくアイディアが出てきますね。今回だって、石の湯船はびっくりしましたよ」

「そう? でも気持ちよかったでしょう。また入りたいよね」

「ええ、本当に」

馬車はゴトゴト揺れながら走っていく。さあ、首都はもうすぐだ。

首都に帰ったら、また日常が始まるね。また改めて頑張ろうと思った温泉旅行だった。