閑話 お嫁さんはどんな人?

六月に嫁いできた花嫁さんは、リウィアさんという。二十一歳で、オレンジブラウンの髪と琥珀色の目をした美人さんである。

いつもおっとりニコニコと笑顔を浮かべており、私にもアレクとラスにも優しくしてくれる。

彼女の生まれは騎士階級エクイタス。貴族と平民の間にある身分だ。

騎士階級は一定以上の資産を持つ平民がなる身分。リウィアさんの実家は、運送ギルドに強い影響力を持つ大商人だった。

フェリクス本家が冷蔵事業をスタートさせるにあたって、強力な運輸網を持つリウィアさんの家と提携をした。

大事業を共同で手掛けるのだ。ビジネス上の関係とはいえ、両者の絆は強くないと困る。でも大貴族と大商人では、お互いに価値観が違うし信用できない面がある。

それでティベリウスさんとリウィアさんの結婚で、婚姻関係を結んだのだった。

ぶっちゃけ政略結婚ってやつだね。


ある秋の日のこと。

私がミリィの家のエール造りに奔走していた頃だ。

ミリィ一家は山あいの別荘地に行って、エール造りをしている最中。エールは熟成期間も必要だから、完成まで手持ち無沙汰だった。

ここしばらく、白魔粘土をかなり無理して作り続けていたので、疲れが溜まっていた。

少し昼寝でもしようと思い、フェリクスのお屋敷の廊下を歩いていく。

すると、リウィアさんが使われていない小部屋に入っていくのが見えた。手には籠を持っていたような気がする。

どうしたのかな?

嫁いできてもう三ヶ月ほど経っているから、家の中で迷うことはないと思う。でもまだ不慣れだろうし、探しものでもしてるのかも?

心配したというほどでもなく、私は軽い気持ちで彼女の後を追った。

ほんの少し開いたままのドアの前まで来ると、中からなにやら物音がする。布をがさがさする音、あとなんかモッチャモッチャみたいな音。

「ふひぇ~、あ~、もう、しんど~」

ちょっとくぐもった声もした。いつもと調子が違うけど、リウィアさんの声だ。

なんだ……? でも、しんどいって言った? 具合が悪いのか?

心配になってきた。慣れない新居で心を許せる人もおらず、具合が悪いのを無理に我慢してるとか!?

「リウィアさん!? 大丈夫ですか!」

思い切ってドアを開け、小部屋に飛び込んでみると。

部屋の中でリウィアさんが、お行儀悪くあぐらで座り込んでいた。干しイチジクを入れた籠を足の間に置いて、モッチャモッチャと食べていた。

私と目が合って、彼女は凍りついたように固まる。

その口の端から、イチジクのかけらがぽろりと落ちた。


「ゼニスさん、絶対誰にも言わないで! あぐらかいてたなんて、絶対に秘密よ!」

無言で見つめ合うこと十秒ほど、リウィアさんは飛び上がるようにして立ち上がって、私の肩を掴んできた。

「そうだ、これ。これあげるから! 口止め料!」

籠の干しイチジクを無理やり手に押し付けられる。私は何がなんだかさっぱり分からない。

「えっと、あの……」

「今、あなたは幻覚を見たの。あぐらをかいて地べたに座っていた女はいなかった。いいわね!?

「あ、はい」

彼女はそう言って、そそくさと出ていこうとする。

「ちょっと待って下さい、リウィアさん」

「何!? まだなんかあるの?」

「しんどい、って聞こえたんですけど。大丈夫ですか?」

無理に元気を装っているなら、やめた方がいいと思う。どこかで無理は祟るもの。前世の私みたいに……。

そう思って言ったのだが、彼女は戸惑ったように視線を泳がせて。

やがてため息をついた。

「はぁ……。やっぱ、隠し続けるのは無理だったかなあ。上手くやってたつもりだったのに……」

下唇を突き出してふうっと息を吐いて、前髪を揺らしている。

そんな仕草をしていると、大貴族の奥様というよりお転婆なお嬢さんという感じだ。

リウィアさんは今度はドアをきちんと閉めて、部屋の中に戻ってきた。

「ゼニスさん。悪いけど、聞いてくれる? 私の悩み」

「私でよければ」

「ありがと。他の誰に言うわけにもいかないし、あなたが適任かもね」

壁際まで行って、床に腰を下ろす。私も少し間をあけて、隣に座ってみた。

「私ね、嫁いできてからずっとしんどいの」

干しイチジクの籠を引き寄せながら、彼女が言う。

何があったのだろう。やっぱり愛のない政略結婚が嫌だったんだろうか。それとも本当は好きな人がいたのに、引き裂かれたとか……?

「ティベリウス様が…………かっこよすぎて、しんどい!!

…………。

………………はい?

「最初にお見合いした時からドチャクソ好みだったのよ! 見た目はもちろん、中身も仕草も何もかも!」

「ドチャクソって、あんた」

思わず素で突っ込んでしまったが、リウィアさんは聞いていなかった。

「大貴族の御曹司らしい上品なルックスなのに、ちょっとS入ってるんじゃないかってくらいリアリストな性格。それなのに仕草はあくまで優雅! ああもう、好き! 私の旦那様、世界一!!

「ちょっと落ち着いて」

どうどう、と実家の犬や馬を落ち着かせる口調で言ってみた。

「あんな素敵な人と結婚できる幸せ者は誰だ、私だ! ってなってしんどい、ほんとしんどい」

そしてモッチャモッチャとイチジクを噛みちぎる。

「イチジクでも食べなきゃ、とても耐えられないわ。ねえゼニス、この気持ちわかる?」

「分からんて」

いつの間にか呼び捨てにされていたので、私もタメ口で返してみた。

「ふふーん、そうよね、分かんないよね。だってティベリウス様は他の誰でもない、この私の旦那様だもんね!」

「もう帰っていい?」

「やだ、ゼニスつめたい。さすが氷の魔女」

「そんなこと言ったら、リウィアさんのこと『あぐらかいてイチジク食べる魔女』って呼ぶよ」

「あっはは、あんた面白いわねぇ」

リウィアさんはひとしきり笑うと、はあっと息を吐いた。どうやら落ち着いたようだ。

「……ごめん、見苦しいとこ見せたわ。ゼニスはまだ子供なのに、頼っちゃった。……ありがと」

「別にいいよ。ティベリウスさんが大好きなのは、よく分かったから」

「うん……」

すると彼女は、本当に落ち込んだような表情を見せた。

私は干しイチジクを一つもらってモッチャと噛み、先を促す。

「うん、大好き。けど、私、本当はこんなふうにガサツな女だから。本性を知られたら嫌われるんじゃないかと思って、ずっと猫をかぶってた。うちの実家のプルケル商会は、運送業でしょ。力自慢の荒くれ男がいっぱいいるのよ。そいつらに囲まれて育ったものだから、私もこんなでさ。女の仕事の糸紡ぎや機織りより、男どもと取っ組み合って喧嘩したり、武芸の腕を磨くほうが好きなんだ。父さんは私をなるべくいい政略結婚の駒に使おうとして、結局、ハタチ過ぎても嫁入りの当てがない娘になっちゃって、がっかりしてたわ」

ユピテルの結婚適齢期は十七歳の成人から二十代前半くらいとされている。特に女性は成人前に婚約が決まるケースも少なくない。二十一歳のリウィアさんは適齢期も後半だった。

「でも、おかげでティベリウス様っていう超大当たりを引き当てたんだけど! だから私はもう後がない。それ以上にティベリウス様に嫌われたくない。それで、なるべくお淑やかなレディを演じてた。いずれ離婚になるとしても、良い妻の思い出として残ってほしくて」

「離婚? まだ新婚なのに何言ってるの?」

「ん? ゼニス、貴族なのに知らないの? ティベリウス様みたいな大貴族が、騎士階級の娘と添い遂げるわけないじゃない。もっといい条件の結婚があったら、そっちに乗り換えるに決まってる。実際、ティベリウス様は再婚だしね。前の奥さんとは、実家同士の縁が上手く働かなくなったとかで、別れたみたいよ」

なにー!? 知らなかった。

確かにリウスさんは、ユピテル人としてはけっこうな晩婚だと思ってたけど。

そういや披露宴で、フェリクスのご当主が「今度こそ」みたいなこと言ってたっけ。再婚を指した言い方だったんだ、あれ。

なお、ユピテル人は離婚率も再婚率も高い。騎士階級や貴族なら政略結婚が当たり前で、それゆえに利益が噛み合わなくなったらあっさり離婚する。

再婚であれば多少年齢が上がっていてもOKで、特に女性は子供がいると、子を産んだ実績があるということでプラスに働く。

女性の再婚時、子供は元夫が引き取ったり、女性の実家で育てたりする。連れ子として再婚先に連れて行くケースもある。要は何でもありだ。

子持ち女性の再婚で、子供の存在がマイナスどころかプラスになるなんて、元日本人としては少し不思議な感覚である。

極端な例になると、妊娠中の人妻に惚れ込んだある男性が、人妻の夫に正面切って「奥さんに惚れました。結婚させて下さい」と直談判して、円満離婚の後に再婚した話もある。再婚後に生まれた子は新しい夫が育てたそうだよ。

「ま、そんなわけでね。いつまで続くか知れない結婚生活だから、できれば愛されたいじゃない。子供だって授かりたい。ただちょっとばかり、猫をかぶるのに疲れちゃう時もあるだけ」

リウィアさんは茶化して言ったが、その瞳は切なそうに揺れていた。

私は言ってみる。

「ティベリウスさんの好みがお淑やかな人だって、誰に聞いたの?」

「んー? 別に? きっとガサツは嫌いだろうから、反対にしてみただけ」

「じゃあもっと素を出してみたら? ティベリウスさんはオクタヴィー師匠と仲がいいけど、師匠はちっともお淑やかじゃないよ」

「妹と女の好みは違うでしょ。それにオクタヴィー様は、淑やかでないにしても気品があるもの」

むう、それはそうだが。

私が次の言葉を探していると、リウィアさんは立ち上がった。イチジクの籠を渡してくる。

「ありがとね、ゼニス。ずいぶん気が楽になったわ。また今度、話し相手になってくれる?」

「うん、それは全く構わないよ。でも……」

「あはは、それ以上はいいっこなし。じゃあね!」

そうして部屋を出ていってしまった。

いつもの女らしい歩き方ではなく、颯爽とした足取りが印象的だった。


私はこの件で、どこまで口を出していいのか悩んでいた。利害も絡む大人同士の話で、まがりなりにも夫婦間のことだから。

だが、転機は意外な形で訪れたのだ。


ミリィのお母さんのエールがお披露目されて、しばらく後。

仮のエール醸造所となっている山あいの別荘に、ティベリウスさんが視察に行くことになった。一度醸造の様子を見たいのと、本格的な醸造の場所を検討するためということだった。

同行者は私とリウィアさん、ティト、それに冷蔵運送事業に携わっている使用人が何人か。あとは荷物持ちの奴隷の人など。

別荘はユピテルから数日の距離にある。別荘では二泊することとなった。

往路も到着後の視察も問題なく終わり、夕食を取りながら意見交換をする。その後ミリィ一家は下がって、食休みの時間となった。

リビングに居るのは私とティト、ティベリウスさんとリウィアさん。明日の予定などを軽く話していた時のことである。

壁際の椅子に座っていた私の背後で、ふと妙な音がした。フシューとかそんな感じの、空気が漏れるような音。

「ゼニスお嬢様! すぐこっちに来て下さい!」

ティトが壁を指さして、青い顔で叫んでいる。

恐る恐る後ろの壁を振り返ったら、天井のはりから垂れ下がるようにしてしま模様の蛇がこちらを見ていた。その毒々しい色合いに気づいて、私はすぐに察した。

──やばい、これ、毒蛇だ。

イカレポンチ時代に故郷の山で何度か見た覚えがある。ユピテル半島の山に広く生息している毒蛇。危ないから見かけたら逃げろと、お父さんからきつく言われていた。

この別荘は山の中にある。どこからか紛れ込んできたらしい。

「ど、どうしよう」

声が震えた。蛇を刺激しないようゆっくり立って、その場を離れなければと思うのだが、足が強張ってうまく動けない。

蛇は舌をチロチロしながら、さらに近づいてきた。その縦長の瞳孔に無機質な殺気が見える。

私のことを噛む気だ。冷や汗が出る。この蛇の毒はそれなりに強い、子供の体の私なら死ぬかもしれない。

やっと足が動いた。時間にすればほんの数秒とか、そのくらいのごく短い間だったと思う。でも遅かった。

蛇がカッと口を開いて飛びかかってくる──。避けられないと感じて、私は思わず目をつぶった。

──カツンッ!!

乾いた音が響いた。