オクタヴィー師匠の口調が怖い。これは本気である。私は慌てて言った。
「あの、ムチとかそういうのは後にしましょう。ハミルカル、裏帳簿はどこ?」
「ここだよ」
ハミルカルはシュファが寝そべっているシーツを無理やりはぎ取った。床に投げ出された彼女が憤っている。
「何よ、このクソガキ! この前もムチで打ってやったのに、懲りないわね!」
先程までの無邪気な様子はどこへやら、急にガラが悪くなった。
ハミルカルはそんな彼女をまるっきり無視して、シーツの下の羊毛の塊に手を入れている。
ユピテルのベッドマットは、羊毛を敷き詰めた上にシーツを敷いたものが一般的。でもそれはそこそこのお金持ちの話で、奴隷の寝台にしては不釣り合いに豪華といえるだろう。
「あった。これです」
やがてハミルカルは、一巻の巻物を取り出した。
「お、お前、どうしてそれがそこにあると知ってるんだ……」
管理人が呻いている。
ハミルカルは鼻で笑った。
「シュファ、羊毛干しくらい人に押し付けないで自分でやれよ。管理人様が困ってるぞ」
「はぁ!? あたしに指図しないでよ!」
事態を理解していないシュファを尻目に、オクタヴィー師匠が巻物を開いた。
「……これは、これは」
マルクスや他の使用人たちが覗き込んで、先程疑問が出ていた表の帳簿と照らし合わせている。
「ざっと見る限りで真っ黒ですね。オクタヴィー様、どうします?」
マルクスが問うと、オクタヴィー師匠は腕を組んだ。
「もちろん処罰よ。正確な横領額は後で出すとして、概算でどのくらいになりそう?」
「金貨千五百枚はくだらないかと」
ウワ──! 超大金だ!
金額を聞いた私の脳内にでかいソロバンが現れて玉を弾いた。
一般的に、庶民の年収は金貨百枚足らず。それが千五百だって! めちゃくちゃな金額だよ!
ふと横を見ると、ティトが指を折りながら一生懸命に数を数えている。うん、気持ちは分かるけど千五百は指じゃ足りないよ?
師匠は頭痛をこらえる表情になった。
「やってくれたわね……。とにかく、まずは回収できるものは回収。それからその泥棒に罰を。お前、解放奴隷で良かったわね。奴隷の身分のままなら、この場で八つ裂きにしているわよ」
オクタヴィー師匠の据わった目を見て、管理人は震え上がった。
「お、お嬢様、なにとぞお慈悲を……」
「まさか、冗談でしょ。この男を納屋に鎖で繋いでおいて。この女は奴隷部屋の一番日当たりの悪い部屋へ移しなさい」
「はい」
護衛役でついてきた奴隷の人たちが、管理人と愛人を引き立てていく。
彼らは口々に助けてと叫んでいたが、もちろん誰も耳を貸さない。
やっと声が聞こえなくなって、皆で深いため息をついたのだった。
その後は母屋の書庫で書類を見ながら、今後のことを話し合った。
ハミルカルや他の奴隷たちにも話を聞いたところ、管理人と愛人は何年か前から横領を始めて、ここ一、二年は派手になっていたらしい。
正直に言えば、オクタヴィー師匠の監督不行き届きもあると思う。面倒くさがって視察を先延ばしにしていたせいで、発覚が遅れたのだ。
彼女も分かっているようで、終始渋い顔をしていた。
「不幸中の幸いは、あの泥棒たちは横領したお金の大部分を金の像やらに換えて、手元に置いておいたことかしら」
師匠がうんざりした口調で言う。
「売り払えるものは売り払って、取り返さなきゃ。全く腹立たしい」
「あの人たちへの罰はどうなりますか?」
私は聞いてみた。
「まず、女の方はうちの奴隷だから、ムチ打ちの上で男がやるようなきつい労働に従事させるってとこね。従犯なわけだし、期間はまぁ、本人の反省度合いと相談かしら。管理人の男は解放奴隷だけど、あいつ、元はこの農場の奴隷だったのよ」
「え?」
意外なあまり、私は声を上げた。
「だってあの人、この農場の奴隷たちに辛く当たってましたよ。元は仲間だったの?」
部屋の隅に控えていたハミルカルに聞いてみると、彼は首を横に振った。
「俺がここに来た時は、もうあいつは管理人でした。だから直接は知らないけど、アビおばさんやセムじいちゃんがそんな話をしていたのは聞いたことがあります」
ハミルカルは私と同じ九歳だ。何歳で奴隷になって農場に来たのか分からないが、時期的にそうなるか。
「あの管理人は父様のお気に入りの奴隷だったのよ」
オクタヴィー師匠が言う。
「若い頃は目端がきいて、働き者だったみたい。他の奴隷たちの取りまとめをしながらよく働いたから、ご褒美に奴隷から解放して、管理人にしてやった。恩を仇で返されたわ」
「そうだったんですか……」
あの管理人をかばうわけではないが、ちょっとだけ気持ちは分かるかもしれない。
若い頃に頑張って認められて、奴隷から解放された。きっと当初は、真面目に仕事に取り組むつもりだっただろう。
でも誰の目も届かない状態で、だんだん堕落した。
前世でも一人経理の横領や不正は多かった。外部のチェックが入るのはとても大事だと思う。
その点は理解できるけど、奴隷たちを虐げていたのはどうしてだろう。元々自分だって奴隷だったのに。
そんな疑問を残しながらも、話し合いは進められていく。
「解放奴隷が元の主人の財産に損害を与えたのだから、通常の自由市民がするような裁判をする必要はないわ。金額が金額だけに、死刑でもいいくらい」
「死刑はちょっと待って下さい」
師匠の言葉に、思わず私は口を出した。あの管理人は嫌いだが、裁判もなしにいきなり死刑はどうなんだ。
「死刑以外だとどんな方法がありますか?」
「そうねえ。泥棒だから指を切り落とす、損害分を罰金にして払えない場合は奴隷に落とす。さらに奴隷に落とした上で国外追放。こんなところかしら」
どれも相応に過酷である。でも、ユピテルの常識に照らし合わせれば妥当なのだろう。
「横領をした奴隷を買いたがる人は、まずいないでしょうね。だから二束三文で国外に売るのがいいところだと思うわ」
オクタヴィー師匠が結論を出した。
「南方の南部大陸の原住民に売るとしましょう。ソルティアの町まで連れて行って、奴隷商人と渡りをつけなきゃ」
「…………」
あっさりと決まってしまった処遇に、私は何も言えない。
奴隷たちを虐げていたのは許せないし、農場の財産を横領したのは明確な犯罪だ。
だけど監督不行き届きもあったのに、人生が取り返しのつかないレベルで罰を受けることになる。
こういう時、前世の人権に基づく考え方がどれほど尊いものだったのか分かる。
オクタヴィー師匠は悪人じゃない。むしろいい人だ。でも、自分の財産に損害を与えた奴隷や解放奴隷に容赦はしない。独断で罰を決めてしまった。
独断と言ったが、ユピテル法に照らしても同じような結果になると思う。窃盗や横領は厳罰で、しかも解放奴隷の身分だと弁護してくれる人も少ないだろう。
今後は、数日をかけて裏帳簿を確認。元管理人を尋問して手元にある財産は回収。一通り終わったらソルティアの町の奴隷商人に彼を売り払う。それで決まった。
私はモヤモヤとした気持ちを抱えながら、それらの仕事の手伝いをすることになった。
それから一週間ほどが経過した。
裏帳簿の確認はしっかり取れて、横領金額の算定も出来た。
愛人の女性は農作業の中でも最も過酷な仕事に駆り出されて、すっかりやつれてしまっている。
全ての作業はおおむね完了し、あとは元管理人を奴隷商人に売り払うだけとなった。
最後の夜、納屋に鎖で繋がれたままの彼の様子を、私はこっそり見に行った。
彼はうなだれて、鎖でつながれた納屋の柱の根元にうずくまっていた。
血色の良かった顔はすっかり青ざめて、ここしばらくはろくに食事を与えられなかったために肉付きも落ちている。
納屋の入口で入るべきかしばらく悩んでいると、彼が顔を上げた。人の気配に気づいたようだ。一瞬恐怖に引きつってから、私だと気づいてほっとした様子になる。尋問は手荒く行われたので、怖かったのだろう。
「どうしました、フェリクスの小さいお嬢さん」
元管理人はかすれた声で言った。
私は納屋に入って、彼から少し距離を取った所に立った。
「あなたに一つ、聞きたいことがあって」
「もう洗いざらいしゃべりましたよ。何も出やしません」
力ない答えが返ってくる。
「そうじゃなくて。あなたはこの農場の奴隷だったって聞いたの」
「えぇ、そうですよ。オクタヴィーお嬢様のお父上に引き立ててもらって、解放奴隷になったのです。もっとも、もうすぐ奴隷に逆戻りですが」
「元は仲間だった奴隷の人たちを、どうしてあんなにムチで打ったの?」
怪我をしたアビやハミルカルばかりではない。元管理人は暴力的なやり方で農場を支配していた。
彼は意外そうに私を見た。それから、皮肉に笑った。
「そんなことですか。当たり前でしょう。奴隷というのは怠け者で、目を離すとすぐにサボる。私も昔は、よくムチで打たれたものです。だから私はしっかり働いて、打たれる側から打つ側へ上りつめた」
「ムチで打たれた時、嫌だったのでしょう?」
「そりゃあもう。痛いし、みじめだし、いいことなど一つもない。打たれることがなくなって、どれほど嬉しかったことか」
「じゃあどうして、昔の仲間に同じ思いをさせたの」
「…………」
元管理人は押し黙った。
私は続ける。
「元々は同じ奴隷で彼らをよく知っているなら、他の方法を取れば良かったのに。ムチで打たなくても働くように工夫して──」
「無理ですよ!!」
彼は叫んだ。喉が弱っているせいで、血を吐くような声だった。
「あの怠け者どもが、ムチ以外で働くものか! 昔の管理人は、必死に働いた私の手柄を全部横取りした。怠け者ばかりの中で唯一の働き者だった私に、あいつは、笑いながらムチを振るった! あいつみたいに、痛みと恐怖で追い立てるしかないんだ! 私がそうされてきたように、あいつらもみじめに痛めつけられればいい!」
元管理人は目をギラギラさせながらまくし立てる。
「それこそが、怠け者にふさわしい! なのに反抗ばかりしやがって。何が怪我だ、病気だ! 私だって怪我をした時、誰も顧みてくれなかった。病気の時だって容赦なく働かされた。子供の時から、どんなに苦しくてもだ! 貴族のお嬢さん、あんたには分かるまい」
胸が痛くなるような叫びだった。私は拳を握り締める。
「そうだね。私はずっと恵まれてきたから。あなたの気持ちは、全部は分からない。……でも」
私は納屋の入り口を見た。青い月光が差し込む中、何人かの人影がこちらをうかがっている。
「……ハンノや」
元管理人の名前を呼んだのはアビだった。足の怪我はだいぶ良くなって、歩く姿も違和感が少ない。彼女の他にも年配の奴隷が何人か、納屋に入ってきた。
「何だ、お前ら。また奴隷に戻る私を馬鹿にしに来たのか」
元管理人が身構える。アビと他の人々は首を振った。
「違うよ。お別れを言いに来たんだよ。新しい土地に行っても、どうか元気でやっておくれ」
そう言ってアビが差し出したのは干しイチジクだった。今回の件で農場がゴタゴタしてしまったので、奴隷たちに景気づけとして配られたものだった。
「せめてこれを食べて、体力をつけて……」
「…………」
元管理人は、信じられないものを見る目で人々とイチジクを見つめている。
「……なんで」
やっと開いた口は、それだけ言ってまた閉じられた。
「なんでって。長い付き合いだもの。
元管理人は、それからしばらく彼らを見やって、やがて言った。
「そんなもの、……いらん。お前らが自分で食え。俺が飯を減らしたせいで、お前らは痩せたからな。食って、せいぜい残りの収穫の仕事をしっかりとやれ」
「なんとまあ、意地っ張りだこと!」
アビは呆れたように言う。無理にでもイチジクを押し付けようとしたが、元管理人は頑として受け取らなかった。
結局、アビたちは餞別を渡すのを諦めて、納屋を出ていった。私も彼らに続く。
最後に振り返ると、元管理人は両手で顔を覆うようにして、座り込んでいた。
あくる日、元管理人はソルティアの町へ連れられて行った。
昨晩のやり取りが、彼の心にどんな変化をもたらしたかまでは分からない。
それでも連れて行かれる彼は胸を張って歩いていた。その姿は横暴な管理人というよりも、野心にあふれる有能な男性のそれに見えた。
「ゼニスお嬢様は優しい人ですね」
農場の入り口で遠ざかっていく元管理人の背中を見ながら、ハミルカルが言った。
「え、なに? 急に」
私が素で返せば、彼は言う。
「昨日の夜、奴隷のみんながあいつにお別れを言うのを、許して下さったでしょう。本当はあいつと話すなんて、駄目なのに。アビおばさんから話を聞いて、付き添いまでやってくれた」
彼は昨日、納屋の入り口で一部始終を見ていた。
「付き添いというか、見張りというかだけど」
「あはは、それもそうか」
私の答えに笑った後、真面目な顔になって続けた。
「俺、あの管理人は大嫌いでしたよ。いつも俺や他の人にムチを振るって、自分はふんぞり返っていたから。昔、奴隷だった話は聞いてたけど、よく分かってなかったです。でも……昨日の、アビおばさんたちの様子を見て。なんだろ……、あいつも本当に同じ奴隷だったんだなって思ったというか」
「うん」
私が相槌を打つと、ハミルカルは考えながら言った。
「うまく言えないけど……あいつが『自分も苦しかった』って言ったから、アビおばさんたちもお別れを言う気になったんです。それまでは迷ってたから。そして、そのきっかけをつくってくれたのが、ゼニスお嬢様ですよね。あいつの話を聞いて、言葉を引き出した」
何と返せばいいか分からず、私は黙ってしまった。少し考えた後に言ってみる。
「別に私のせいじゃないよ。アビも他の人も、本当はあの管理人を仲間だと思っていたんじゃないかな。立場が変わって、上手くいかなくなってしまったけど」
「ふふっ。ゼニスお嬢様は、本当に優しいや」
ハミルカルは朗らかに笑った。
この子は奴隷と思えないほど賢くて、しっかりとしている。他人を思いやる心を持っていて、表情も明るくひねくれたところがない。
この子が学問を身につけて成長すれば、良い管理人になるのではないか。ふとそんなことを思った。
◇
農場に到着するなり事件に巻き込まれてしまったが、その後は落ち着いて物事を進めている。
帳簿の改めての確認と、何が無駄で何が必要な投資かといった話は、フェリクスの使用人とマルクスが中心になって行っていた。たまに私やハミルカルも話を聞かせてもらっている。
「ここの農場は、フェリクスがソルティアに持っている中で一番小さいのよ。町の南の方、もっと離れた場所にある農場はここの何倍もあるわ」
ある日の午後、母屋の前でオクタヴィー師匠からそう聞かされて、私はぽかんとした。
この農場だって、実家の畑と小作人たちの畑を合わせた分よりもずっと広い。それなのにさらに何倍も? それ、東京ドーム何個分?
「視察はそっちも行くんですか?」
「もちろん。まあ、収支が一番おかしかったのはここの農場だから、向こうはここまでの問題は起きていないと思うけど。ゼニスはどうする? ついてくる? それとも、ここに残って様子を見ておく? 新しい管理人候補を早急に、南の農場から連れてこないといけないわ。誰かはここに残っていないと。使用人の誰かか、ゼニスに残ってもらうつもりでいたの」
「それなら、私が残ります。この農場のこと、気になりますから」
「分かったわ。じゃあ、マルクスも残すから。ティトともう一人と、四人で留守番をよろしくね」
「はい!」
話がまとまった翌日、師匠たちは南へ旅立っていった。
留守番は私、ティト、マルクス、それに大人の使用人の人が一人、護衛役の奴隷の人が一人。
なんと、この場では私が一番偉くなってしまった。偉いの定義がよく分からんが、そういう扱いをされてしまった。責任重大である。
師匠たちを見送った後、私はこの農場で何をすべきか考えた。
暴力で支配されていた奴隷たち。『言葉をしゃべる家畜』と言われる彼ら。
横暴な管理人はいなくなったけど、根本的な問題はそこじゃない。
母屋に戻ると、マルクスと使用人が書類チェックをしている。私は聞いてみた。
「ねえ、マルクス。この農場は小麦をメインに作っているんだよね?」
「そうだぜ。小麦がほとんどで、あとは果樹──ザクロやイチジク、オリーブが少しだな」
「ブドウはないの?」
「ない。ここにはワイン醸造の設備がないから、ブドウは作ってねえよ」
「うーん……」
私は腕組みした。
ソルティアはユピテルの一大穀倉地帯である。どこの農場も小麦を主な作物としている。
ザクロやイチジクは元々ソルティアなどの南部大陸の名産品だったが、ソルティアを征服した後にユピテル本土に果樹そのものが輸入されるようになった。最初は栽培の苦労があったらしいが、今では気候に適応して増えている。
「ゼニスお嬢様、何を考えているんです?」
ティトに聞かれて、私は答えた。
「あのね。ここの奴隷の人たちは、本土の奴隷よりずっと待遇が悪いでしょ。やせ細るまでこき使われて、怪我や病気でもろくに休めない。だから何とかして改善できないかと思って」
「それは、あの管理人が奴隷たちを虐げていたからでは?」
「それもあるけど、それだけじゃないんだ。ね、マルクス?」
「ああ、そうだな。ソルティアの広い農場を耕すには、すげえ労力がいる。だからあの管理人じゃなくても、奴隷たちをこき使わないと経営が回らないのさ」
ほら、とマルクスは帳簿を見せてくれた。
「横領の損失を抜いても、収益がすごく高いわけじゃあない。限られた奴隷の人手を使って儲けを出して行くには、どうしたって無理がかかるんだろうな」
「…………」
小麦はユピテル人の主食で、常に大きな需要がある。ただし最近はソルティアやテュフォン島で大規模に栽培されているために、供給も安定している。ユピテル元老院が価格を高騰しすぎないようコントロールしているのもあって、商品としてそこまで収益性は高くない。
果樹は収益性が高いが手入れも大変だ。それに今から植えたところで、収穫できるまでに何年も時間がかかる。
「何かいい作物を作って収益を上げて、奴隷たちに還元できるといいんだけど……」
「ゼニスお嬢様が、そこまで気にしても仕方ないのでは?」
と、ティトが言う。
それは、そうかもしれない。でも私は、普段食べているパンの小麦が、奴隷たちの犠牲の上に成り立っていると知らなかった。正直恥ずかしい。
無知だった、それ自体が悪いとは思わない。けれど知った以上は、手をこまねいているなんて出来なかった。
私はうんうんうなりながら母屋の外へ出た。
今日もいいお天気で、だんだんと夏の気配と暑気が近づいてくるのを感じる。風は熱く吹き抜けるようで、わずかに湿り気を帯びている。
少し歩いて畑の方まで行った。
南部大陸は本当に広大で、ソルティア近辺は
ぐるりと見渡せばほとんど三百六十度、地平線が見えた。
首都ユピテルも故郷の村も、半島にあって地平線は見えない。前世の日本も島国で、こんなに広々とした光景と縁はなかった。
だからこれほど広い大地の上で、ちっぽけな人間が生きていく大変さを思った。
奴隷たちは力を合わせて土地を耕しても、奪われるばかり。私のような貴族が奪ってばかり。
ユピテルという古代文明の国に、奴隷の人手は必要だと理解はしている。
……でも、だからって、このままに出来るか!
この小さい農場一つだけでも、何とかして少しでもマシな環境にしたい。
たくさんある農場のたった一つを変えて何になる、とも思う。
けれど、やらない善よりやる偽善。手の届く範囲から始めよう。
そう、今の私に出来るところから。