二つの仕事

故郷で年末年始を過ごし、私たちは首都に戻ってきた。今回はアレクも一緒だ。

アレクは初めての旅に大興奮で、ずっとはしゃいでいた。

元気なのはいいことだけど、あまりにはしゃぐので不安の裏返しかなと思ったりもした。この子はまだ六歳。気を配ってあげないと。

フェリクスのお屋敷に到着したら、執務室に呼ばれる。アレクをティベリウスさんとオクタヴィー師匠に紹介した。

「はじめまして。アレク・フェリクス・エラルです。これからよろしくお願いします」

アレクは事前に練習した挨拶を、ちゃんと言えたよ。

ティベリウスさんが微笑む。

「ようこそ、アレク。歓迎するよ。慣れるまで大変かもしれないが、何か困り事があったら、俺にでもゼニスでも、遠慮なく言うといい」

「はい!」

アレクはにっこり笑って、元気よく返事をした。物怖ものおじしない子だ。

なお師匠は「はいどうも」みたいな極めてテキトーな態度であった。まだ子供苦手なのかい。仕方のない人である。

一通り終わって、執務室を退出しようとしたらリウスさんに呼び止められた。

「ゼニス、それからティトも。少し話があるから残ってくれ」

「はい、何でしょう」

アレクはフェリクスの使用人に任せて、私たちは再び部屋の主に向き直る。

「結婚することになった。式は六月の後半に予定している」

「へ?」

前置きなしに告げられて、私は目を丸くした。

「結婚? 誰がするんですか」

「俺だよ」

ティベリウスさんは苦笑した。オクタヴィー師匠は隣ですごい変な顔してる。あれは噴き出すのをこらえている顔だ。

いやだって、急すぎる! 年末まで特に何もなかったじゃないか。

リウスさんは今年で二十七歳だったか。ユピテル人としてはかなり晩婚だ。

ユピテル人の結婚適齢期は、成人の十七歳から二十代前半くらい。女性はもう少し早くて、十五歳くらいで結婚する人もいる。

「ティベリウス様、おめでとうございます」

ティトがそつなく言ったので、慌てて私も真似をした。リウスさんは鷹揚おうようにうなずく。

「お相手はどちらの方ですか?」

「新進気鋭の騎士階級エクイタスの家のお嬢さんだよ。名はリウィア、年は二十一歳だ」

「騎士階級!」

騎士階級は平民と貴族の間に位置する身分である。大貴族フェリクスの次期当主のお相手としては、かなり身分的に下になるだろう。

ちなみに、騎士といっても中世ヨーロッパみたいな騎馬の鎧の戦士ではない。どちらかというと経済界の大物って感じだ。

なんで騎士と呼ぶのかというと、ユピテルの昔の軍隊制度に由来する。

ユピテルは今でこそ志願軍人制度になっているが、国の黎明れいめい期においては全て市民兵だった。職業軍人は存在せず、有事にその都度市民から徴兵する形だ。

市民兵は武装もその他の必要物資も全部自腹。中でも馬は高価な上に乗馬は高度なスキルなので、相応以上に裕福な家でなければ騎馬兵は出せなかった。

それで騎兵、つまり騎士を出せる家はかなり裕福な家となり、その名残で成功した商人などが騎士階級と呼ばれる。

平民と騎士階級は身分としてかなり流動的。たとえ今は平民であっても、商売で成功して一定以上の資産を獲得すれば騎士階級になれる。反対に財産を失って平民落ちもよくある話だ。

騎士階級の中でも政治的な野心のある人は、元老院入りを狙って行動するケースもある。

ただの平民だった人が商売で成功して大金持ちになり、騎士階級になり、元老院議員となることで貴族社会の一員となる。そんな成り上がりの物語が、ユピテルではしばしば聞かれる。

ユピテルは周辺諸国を併合するのと同時に身分制度を流動化して、常に新しい血を取り込みながら発展してきた。この柔軟さこそが、ユピテル共和国の繁栄を支えていると言われている。

では今回、大貴族フェリクスと婚姻関係を結ぼうとする家は、どんな商家なのか。

「運送ギルドに強い影響力を持つ家なのよ」

師匠が言い、リウスさんが続ける。

「冷蔵と冷凍の力は去年、しっかり見せてもらったからね。それらを使った運輸に手を付けようと考えた次第だ」

それは……以前、私が氷の商売をプレゼンした時に伝えた輸送革命のことか。

大貴族と騎士階級の身分差婚も、それだけこの事業に賭ける意気込みが垣間見える。

けど、こんなに早い時期に実現に向かって動くなんて。予想外だった。

「俺は氷の可能性を信じて疑っていないが、他の元老院議員たちはまだ納得しないだろう。そこでリウィアの──婚約者の家と組んで、試験的に生鮮食品の運輸を開始するつもりだ」

「手始めにメスティアの港町から首都へ魚介類を運ぼうと考えているわ。首都は一大消費地ですもの。裕福な貴族や市民は、新鮮な魚介類食べたさに海辺に別荘を持っている人もいるくらいだし」

ユピテルは半島の国だが、首都は海に接していない。一番近いメスティアの港町は、徒歩で一日程度の距離だ。すぐに傷んでしまうお魚や貝類は、たった一日でも鮮度が問題になる。

ユピテル人は魚介類が大好き。市場に行けば、隣の港町から樽に水を入れて生きたまま運ばれてきたお魚が、石造りの水槽を泳いでいたりする。

とはいえ、そのやり方では量が運べない。遠方から運んでくるのも無理だ。

「このために、ゼニスに白魔粘土の増産を頼んでいた」

リウスさんは言う。

「手始めこそ隣の港町だが、既にユピテル全土の名産品を集める目算は立てている。六月の俺の結婚式に合わせて、試験的に各地の運輸網を動かす予定だ」

「そうでしたか……!」

去年の秋、氷の商売の課題として魔法使いの育成強化・白魔粘土の増産を示されていた。

今年、この早い段階での試験稼働を見越してのことだったんだ。ティベリウスさんは相変わらず手際のいい人だ。

「夏の試験運輸稼働までに、さらに多くの白魔粘土を用意してほしい。あれは魔力量が必要だから、短期間に大量に用意するのは難しいのだろう?」

「はい。今は私ともう数人で製作しています。あまりはかどっていませんね……」

私は思い切り頑張れば、一日に樽四つ分くらいの量を作れる。他の魔法使いは、一つ分がやっとというところ。

複数人で魔力を注ぐのもやってみたが、違う人の魔力が混じるとうまく出来なかった。

魔力回路のおかげで魔力が底上げされた学生は多いが、それでもまだ力不足だ。当面は私も頑張るしかないだろう。

「白魔粘土は、去年から何とかして増産を目指してきたけど、まだまだね。魔法使いの雇用を増やしたくても、そもそも人材がいないもの。倒れない程度に頑張ってもらうしかないわね」

と、師匠。師匠も魔力量をクリアしてるんだから、ちょっとは手伝ってほしいものだ!?

「もう一つ」

ティベリウスさんが人差し指を立てた。

私はぎくりとして彼を見る。

そうだ。秋のあの時は教えてもらえなかったけど、課題はもう一つあったんだ。

私の視線を受けて、リウスさんは笑った。実に不敵で、楽しそうな表情だった。

「俺の結婚式で、氷の魔法をアピールしたい」

そう言って、立てた指を私に突きつける。

「ほかでもないきみの──ゼニスの魔法を、だ。内容は任せるが、少なくとも一品、氷を使った料理を用意してくれ」

「それは……」

彼の意図を察して、私は内心で唸った。

──なるほど。運送ギルドに影響力を持つ騎士階級の家と婚姻関係を結んだ上で、結婚式でも氷を売り込むのか。

フェリクス次期当主の結婚式ともなれば、元老院やその他各界の重鎮が招かれるだろう。しかも結婚相手は騎士階級の娘。身分差婚として話題になるに違いない。

そこでしっかりと、氷の可能性を見せつける。

とても効果的な、一石二鳥の作戦だ!

リウスさんは私の様子を見て、満足そうにうなずいた。

「予算に糸目はつけない。他の料理との兼ね合いはあるが、料理人や設備も好きに使ってくれ。ゼニスの斬新な発想に期待しているよ」

「は、はい」

なんか、いきなり責任重大になってしまった!

軽く胃の痛みを覚えながら師匠を見たら、力強くうなずかれた。

ううむ、こうなったらやるしかない。前世の知識も引き出して、あっと驚くようなものを作る。……作る……。大丈夫かな……。

決意したのも束の間、すぐに迷いと不安に襲われてしまった。血圧が急に上下しすぎだ。

「ゼニス、百面相しないで。面白くて笑っちゃうから」

師匠ひどい! さっきのうなずきは何だったのさ。

それともあれか、緊張をほぐそうとして冗談を言ってくれたのか。……いや、師匠のことだから素で言っただけに違いない。ばかやろー。


こうして新年の訪れとともに、二つの仕事をやることになった。

一つは白魔粘土の増産。今夏という明確な期限が切られたからには、今まで以上に取り組む必要がある。場合によっては魔法学院の授業のペースを落として、学生たちに協力を頼まないといけないかもしれない。

二つ目は氷の料理。あまりにもざっくりとした指示だったけど、それだけ私の力を信じてくれているのだと思っておこう。迷いは大きいが、引き受けた以上は全力でやり遂げなければ。

胃が痛いのはどうにもならん。胃薬になるというニガヨモギの粉末を買ってみようかな?

などと弱気になったけれども、いつまでもクヨクヨはしていられない。

新年、気持ちを新たに頑張りたいね!

今は一月。六月のティベリウスさんの結婚式まで、あと五ヶ月ほど。

執務室を出てきた私は、中庭に続く回廊を歩きながら早速考え始めた。

白魔粘土の製作は人手を増やさないことには、どうにもならない。人材確保やマネジメントに関しては、オクタヴィー師匠の仕事だ。私は製作を地道に頑張ることにする。

氷の料理はどうしたものか。

実はぱっと思いついたものがある。アイスクリームだ。

氷と塩の寒剤の実験を昔、前世で小学生だった頃にやった。夏休みの自由研究でアイスを作ったのだ。その後もお菓子作りは趣味だったので、レシピは覚えている。

ただ、ユピテル人は派手で華美なものが好きなんだよね。

普段の宴席の料理も凝っているというか、なんかすごいのが多い。

私が見かけた中で一番印象に残ってるのは、伊勢海老みたいなでっかいエビにキャビアを詰めたもの。これだけでも贅沢だが、それをいくつも大きなガラスの器に盛り付けて、貝殻つきの蒸し牡蠣を周りにぐるっと並べていた。そしてさらにその外側を、ウツボの姿焼きみたいのが取り囲んでいた。ウツボにはきれいな色のソースがかかっていた。

なんかもう、海の幸てんこ盛りって感じ。浦島太郎が海底宮殿で食べていそうなごちそうだ。

ユピテル人は鳥や獣の肉も食べるが、魚介類も大好きなのである。

こんな料理が並ぶ中、シンプルなアイス一つではインパクトに欠けるだろう。

うーむ。何かしらの工夫が必要だ。

ティトと二人で考えても埒が明かなかったので、他の人の意見も参考にすることにした。

とりあえず、マルクスに聞いてみる。彼を探すとお屋敷の廊下で見つけたので、話をした。

「氷を使った料理? かき氷以外で? うーん、思いつかねえなー」

マルクスは腕組みして考えてくれたが、すぐにアイディアは出てこないようだ。まあ、当たり前か。

まだ時間に余裕はある。今すぐ何かを始めなくてもいいだろう。

ついでなので、最近の氷の商売について教えてもらう。

去年の秋の後半から、いくつかの公衆浴場テルマエ内に出店を始めた。季節にかかわらず熱気あふれる公衆浴場ならば、通年で冷たいものが売れるのではないかと考えたからだ。

「冬で寒いから、店の売上はさすがに落ちてるよ。けど、公衆浴場の方は好調だぜ。魔法使いの兄さん姉さんもだいぶ慣れて余裕が出たんで、ちょっと前からかき氷も出してる。粉雪の魔法じゃなくて、でかい氷を出して削ってるぞ」

「そっか、その方が白魔粘土の樽で保存しやすいよね」

「そうそう。氷は余裕のある時に魔法で出してもらって、注文が入ったら削ってるよ」

白魔粘土の高い保冷性能のおかげで、そんなことも可能になったのか。

マルクスは言われた通りの仕事だけじゃなく、自分で考えて工夫しているみたい。すごいな。

「でも、困ったことがあってさー」

彼は首を振った。

「最近、俺らのパクリが出るんだよ」

「ぱくり?」

「魔法使いを雇って氷を出して、飲み物を冷やしてるのがいる。もちろんうちの方がキンキンに冷えてるし、あいつらはかき氷なんて作れない。けど、お客はあんまり区別がつかないみたいで。他の店のを持ってきて『このワイン冷えてないじゃないか!』って文句言ってくる奴とかいる」

後追いが出てきたか。

別に特許制度があるわけじゃなし、魔法使いがいれば真似自体はできるだろう。魔法使いは人材不足だが、全くいないわけじゃないから。

とはいえ、質の悪い仕事でこちらの評判まで下げられるのは困る。今年は冷蔵冷凍運輸の試験稼働があるから、大事な時期なのに。

「そいつら皆、追い出せないわけ?」

と、ティト。案外過激なことをおっしゃる。

「無理だよ。公衆浴場の店は、許可制だ。ちゃんと許可取ってる奴らを追い出せるわけがない」

マルクスが首を振っている。

新しいことを始めたら、後追いと劣化コピーが出回るのはどこでも一緒なんだねぇ。

となると、必要なのはブランド化か。他の同業者と差別化して、それがひと目でわかるような取り組み。

「シンボルマークを作ってみよう」

私は言った。マルクスとティトがこちらを見る。

「フェリクスの後押しのあるお店だと一発で分かるように、お店の看板や食器にそのマークをつけるの」

私は前世の某コーヒーショップを思い浮かべた。緑色の線で描かれた、星と人魚のマークの珈琲店だ。あのマークを見れば誰もがそのお店を連想する。呪文みたいに長くて複雑な商品名の、あそこね。

ああいうのを作りたい。白魔粘土と魔法使いたちの教育のおかげで、私たちの氷の商売は他よりずっと品質がいい。商品の価値は既に確立されている。あとは明確な差別化と知名度があれば、成功すると思う。

そういった趣旨を説明したら、二人とも目を輝かせた。

「いいな、それ! マークをつけたのだけがうちの商品だから、偽物はすぐ分かる」

「最近のお嬢様はえていますね。さっそく取り掛かりましょう」

マルクスは絵を描くのが得意だ。中庭まで行って、土の部分に棒で案を描いてみようとなった。パピルス紙は多少のお値段がするから、試し書きに使うにはもったいないのだ。

「マーク、マークねえ。どんなのがいいかねー」

棒を持ったマルクスが、地面に丸や四角を描いていく。

「氷を使った商売だから、氷をアピールするのがいいんじゃない?」

と、ティト。マルクスはうなずいて、丸の中に『氷』と書いた。ユピテル文字なので、アルファベットみたいなやつだ。

そのままでは味気ないからと、氷の文字を装飾してみる。カリグラフィーのようになった。

「なかなかいいわね。あんた、こういうのホント上手よね」

「わお、毒舌ティトに褒められた! 明日は槍が降るぞ!」

余計なことを言ったマルクスは、ティトにしばかれた。

私は装飾文字を見ながら考える。マークに盛り込むべきポイントは、氷の他にはフェリクスのお墨付きという点か。

フェリクス家門は、伝説上は幸運の女神の末裔まつえいということになっている。

「フェリクスの幸運のシンボルも入れよう」

私が言うと、マルクスとティトはじゃれ合いをやめてこちらを見た。息がぴったりでなんだか可笑しい。

「幸運のシンボル。いくつかありますね」

「有名なのだと、車輪とか?」

くるくると目まぐるしく回る車輪は、幸運の他に運命も象徴している。

マルクスは丸と四角の中にそれぞれ、車輪の絵を描いた。

それから少し考え、ぽんと手を打つ。

「おっ、そうだ! 幸運のシンボルといえば、これが外せないだろ!」

そう言って車輪の隣に描いたのは……なにこれ?

「ちんこ! ペニス! 幸運と子孫繁栄、ついでに邪気払いのシンボル!!

おい。

「ああ、悪くないですね。形も分かりやすくて」

え、ちょっと、ティト?

真面目なティトまで普通に肯定したので、私は焦った。

いや待てよ、そうだった、ユピテルじゃコレはごく一般的な幸運と魔除けのお守りだった!

なんならその辺の小さい神殿とかで、木彫りのコレがお守りとして売ってるレベル。首から下げたり根付にしたりする。

「あっ、姉ちゃん! ティベリウスさんと話、終わったのか?」

私が一人でわたわたしていると、アレクとラスが中庭にやって来た。

私はさりげなさを装って動き、二人から地面の絵を隠す。

「うん、終わったよ。アレクは自分の部屋、見せてもらった? 荷物置いてきた?」

「姉ちゃんの部屋の隣だった。ラスの部屋の隣が良かったのに」

アレクは口では不満を言うが、どこかほっとした様子である。

「その子がゼニスお嬢様の弟かぁ? 俺はマルクス、よろしくな!」

手に持った棒をくるくる回して、マルクスが挨拶している。

「屋台の兄ちゃんだ! よろしくね!」

「俺のこと知ってんの?」

「うん、姉ちゃんの手紙に書いてあった」

言いながら、アレクはトコトコとマルクスの方に歩み寄る。あっ、やばい。

「うわ、なにこの絵。ちんこだ! ちんちん!!

おのれ、この小学生男子め。連呼やめろや!

「マルクスが描いたの? すげー、上手!」

「おうよ、絵は得意だぜ」

「俺のちんちんの絵も描いて!」

そう言ってアレクが上着をめくろうとしたので、私は必死に阻止した。

「バカアレク、やめなさい! こんなところで丸出ししたら、風邪ひくでしょ!」

叱る方向性がそれでいいのかと思ったが、ユピテル人の常識としてコレに忌避感がない以上、他に言いようもない。

アレクを押さえつけながらラスを見ると、彼は顔を赤らめて頬に両手を当てていた。エルシャダイの常識の方が真っ当だった。よかった。ラスまで丸出しすると言い出したら、私はもうどうしていいか分からないところだった!

その後おちんちんフェスティバルと化した中庭を鎮めるのに、かなりの労力を使ってしまった。

疲れた……。

ユピテル人のアレな常識のおかげでえらい目にあってしまった。

ただでさえ故郷から数日かけて旅をしてきた疲れがあるというのに、なんでこうなった。

今日はもう気力が尽きたので、続きはまた明日にする。

初めてフェリクスのお屋敷に入ったアレクのために一通りの案内をして、その後は早めに休むことにした。


夜、寝台で眠っていると物音で目が覚めた。

廊下を歩く足音、次いでドアの開く音。

「……姉ちゃん、起きてる?」

見ればアレクが、実家から持ってきたお気に入りのタオルを握りしめて、ドアのところに立っている。

「どうしたの? 眠れない?」

「…………」

起き上がって、彼を部屋に入れてやった。アレクはうつむいたまま、何も言わない。

暗い中、アレクの子供らしいふっくらした頬に涙のあとを見つけた。

「今日は私と一緒に寝ようか。初めての場所で、落ち着かないでしょ」

「うん」

この何日かの旅の間、この子はずっと元気すぎるくらい元気だった。たぶん、お父さんやお母さんと離れた不安をごまかすために、そんな態度になっていたのだと思う。

この子はまだ六歳だ。今日だけと言わず、しばらくは一緒に寝た方がいいかもしれない。

寄り添って横になる。子供二人なら、この寝台もそんなに狭く感じない。

冬の冷えた夜気に弟の体温がとても暖かかった。


翌朝、目が覚めたアレクは照れくさそうに「ラスには内緒にして」と言ってきた。

うん、いいよ、内緒ねって言ったら、にこーっと笑って自分の部屋に戻って行ったよ。うむ、かわいいな。

朝ごはんを食べて身支度を終えたら、昨日の続きに取り掛かる。

マルクスは最近、公衆浴場の出店の担当をしているそうで、仕事は浴場が混み始める午後からになる。それまで付き合ってもらうことにした。

「車輪のモチーフはいいと思うんだよね。氷を使った運送が始まるから、馬車、車輪でぴったりでしょ?」

私が言うと、マルクスとティトはうなずいている。

同じフェリクスの事業としてやる以上、冷たい飲み物と冷蔵運輸で統一感を持たせるのはいい手だ。運送の方でもマークを使うよう、ティベリウスさんに提案してみよう。

「幸運のシンボルは、何があったでしょうか。男根はだめとして、あとは麦の穂、ふくろう」

「幸運の女神の持ち物は、羽の生えた靴に底が抜けた水瓶だったか?」

ティトとマルクスが口々に言った。マルクスの言う靴と水瓶は、幸運が逃げやすいのを表すものだ。

せっかくのシンボルマークだから、縁起のいいものにしたい。底抜けの水瓶はちょっと使えないな。靴も微妙。

もう一つの要素、氷。前世であれば雪の結晶の六角形がよく使われていたけど、ユピテルでは馴染みがない。

雪の結晶はきれいだから、私も好きだ。でもマークは、ユピテルの人たちがひと目で見て分かるものでなければならない。残念だけど却下。

「二人は氷というと、どんなイメージを持ってる?」

ティトとマルクスに聞いてみる。

「冷たい、透明、溶けたら水になる」

と、ティト。相変わらず散文的である。

「透明で、きらきらしてる。砕くと水晶みたいに尖ってる」

こちらはマルクスだ。

「水晶みたいに?」

「おう。かき氷を作るのに、大きい氷を削るだろ。中途半端な大きさのが余っちまったら、ハンマーで砕いて樽に入れるんだ。その時のかけらが、鉱物商の店先に並んでる水晶みたいで、すげえきれいなんだよ」

マルクスは絵心があるだけあって、感性も鋭いみたい。

「じゃあ、水晶みたいな氷をこの車輪に組み込んで絵にできないかな」

「やってみる」

マルクスは棒を持って、一生懸命に地面に絵を描き始めた。何個も車輪を描き、水晶柱を思わせる結晶の形を描いては消して、だんだんと洗練させていく。

やがて車輪の輻スポーク──車輪の中央と外周部とを繋ぐ、放射状の軸棒──を水晶の形にしたデザイン画が出来上がった。

絵の中になじませるように、『フェリクスの氷』と文字も入れてある。

「いいね、これ! 氷っぽいし、車輪のデザインも生きてる」

「……見事です」

私とティトで褒めたら、マルクスは得意げに鼻をこすった。

私はもう一度地面の絵を眺めて言った。

「紙に清書して、ティベリウスさんに見せよう。飲み物販売の方は許可出ると思うよ! 運送事業の方でもこれを使うか、全く同じでなくても似た感じのマークを使えないか、提案してみる」

「へへっ、俺の絵が世に広まるなんてなあ。一年前は想像もしてなかったぜ。ゼニスお嬢様とティベリウス様、フェリクス家門には返しきれないほどの恩がある……」

マルクスは嬉しそうに紙を手に取って、ペンで描き始めた。そう時間もかからず清書したものが出来た。

「おっと、そろそろ昼か。俺、行かなきゃ。ゼニスお嬢様、よろしく頼むよ」

「うん、任せて」

足取りも軽く走っていくマルクスを見送る。

さて、このマーク、しっかりティベリウスさんから許可をもらって来ないとね。


午後になって、ティベリウスさんに時間を取ってもらった。

フェリクスの実質上の当主である彼は、午前中は忙しい。毎日、被保護民クリエンテスたちの訪問を受けて困りごとの解決策を示したり、手助けをしたりしている。

なお、クリエンテスに対して保護を与える者はパトローネスと呼ぶ。パトローネスとクリエンテスは、ユピテルの伝統的な相互扶助関係である。

毎朝、クリエンテスたちは玄関近くのアクアリウム──貯水槽のある空間──に並んで、順に執務室に入っていくのだ。特に問題を抱えていなくても、挨拶を欠かさない人は多い。

大貴族であるフェリクスのクリエンテスは、比較的上層民が多い。下級の貴族や騎士階級、平民でもそれなりに裕福な人など。

これが下級貴族や騎士階級が抱えるクリエンテスになると貧しい平民が増えて、困りごとも日々の食べ物のことだったり、暮らしていくためのお金の無心だったりするそうな。

さて、そんなわけで午後である。

昼食後に時間の余裕が出来たティベリウスさんに、私はマルクス作のシンボルマークを見せた。

「マルクスにこんな才能があったとは。意外な拾い物だったか」

と、そんなことを言う。

「飲み物の販売は、ぜひこれを使ってくれ。職人を手配して、看板の作成と食器へ焼印をさせよう」

「ありがとうございます!」

やったね! マルクスの絵が採用されたのも嬉しいし、これで偽物問題はだいぶ解決すると思う。

偽物がマークも真似てくる可能性はあるが、その時は真正面から抗議なりして戦ってやればいい。正当性はこちらにあるもの。

「ただ、運送事業にこれを使うかは保留にさせてくれ。もう少し事業内容を詰めてから、より効果的な案があればそちらを使いたいからね」

「はい、分かりました」

冷蔵運輸なんてまったく初めての試みだし、まだ始まってすらいない。当然と言えば当然だ。

「飲み物の方だけでも採用されて、マルクスが喜びます。彼、氷の商売でフェリクスに拾ってもらって感謝してました」

「はは、そうかい」

「去年の屋台買上げとマルクスの雇入れの契約も、大貴族と平民の間のものとしては、かなりマルクスに有利でしたよね」

ふと思い出したので言ってみた。リウスさんは温和な見た目に反してシビアな人だと思っていたのだが、案外優しいのかな? と。

すると彼はいつもの笑みを浮かべて言った。

「ああ、あれはね。氷を使った画期的な商売、しかもその先に運輸革命などという大事業が控えていただろう。下手にマルクスを野放しにして、機密が漏れては困る。だから裏切らないよう、恩を売って抱き込んだんだよ」

リウスさんは「裏切らないよう」のところに微妙な含みを持たせた。

えええ……。もしかして、マルクスをフェリクスのお屋敷の使用人部屋に住まわせたり、お母さんの同居を許可したりもそういう意図があったの……?

例えば、他の大貴族とか力のある商敵、政敵がマルクスを脅したり買収して秘密を聞き出そうとしても、お母さんがこのお屋敷にいれば彼はそうそう裏切れない。人質だ。

そういうこと? 私の考えすぎ?

ああでも、運輸革命のプレゼンの時、マルクスも同席していた。うわぁ……。

ビビリながらティベリウスさんを見たら、苦笑された。あたらずといえども遠からずっぽい。

うん。この件は深く追及しないでおこう。

マルクスは純粋にフェリクスに恩を感じているし、病気だったお母さんを引き取って暮らして、実際助かってる。それでいいじゃないか。

「と、とにかく、シンボルマークの許可をありがとうございました。引き続き、白魔粘土の製作と結婚式の料理をがんばります!」

「ああ、そうしてくれ」

相変わらず穏やかなリウスさんの声を背に感じながら、私はそそくさと執務室を出たのであった。

シンボルマークの決定から数日が経過した。

看板はまだ出来上がってこないけど、大小の焼き印が来たので見せてもらった。なかなかいい具合である。

木製の食器や樽にはこれを使って、陶器や銅の食器はマークを入れて作り直すんだって。

早速、マークをつけた木製のカップを手に取って、マルクスが喜んでいたよ。今回の功労者だもんね。


アレクは夜、寝る前になるとこっそり私の部屋にやって来る。

ラスにもティトにも内緒だ。もっとも、ティトにはバレてる感じだけど。

一緒に寝台に入って、寝る前におしゃべりするのが日課になっている。

おじいちゃん先生の授業が始まって、ラスと一緒に勉強していると話してくれた。

「ラスは頭がいいんだ。俺が読めない難しい文も、すらすら読んじゃう」

アレクはちょっと悔しそうだった。

「ラスは前から勉強を始めているからね。アレクは始めるのが遅かったから、これから追いつくといいよ」

「ほんとに追いつける? 俺、勉強苦手だよ。じっと椅子に座ってるの、つまんない」

今まで田舎で駆け回っていた生活から、急に勉強の時間が増えたものね。

「気持ちは分かるよ。私も故郷の村で、走り回ってるの好きだったもん。でも、ちょっとずつ勉強にも慣れていこう。色んなことを学ぶのも、楽しいよ」

「そうかなぁ」

アレクが口を尖らせるので、つまんでやった。アヒルみたいな顔になってる。

「そうそう。で、勉強の時間が終わったら、ラスと私とティトで遊ぼう。なにしようか?」

「じゃあ、追いかけっこ! クルミ投げもやりたい。マルクスも来てくれる?」

「仕事の時間以外なら、来てくれると思うよ。誘ってみよう」

「うん!」

寝る前にこうやって話す時間を取るのも、なかなかいいと思う。

やがてアレクが規則的な寝息を立て始めたのを聞きながら、私もぐっすりと眠った。


その翌日のことである。

約束通り、おじいちゃん先生の授業を終えたアレクたちと一緒に、中庭でクルミ投げをした。お昼前だったので、マルクスもいる。

クルミ投げはユピテルの子供たちの定番の遊び。ピラミッド形に積んだクルミめがけて手持ちのクルミを投げつけ、山を崩して点数を競うのである。

私がクルミを投げようとしたところで、フェリクスの使用人に声をかけられた。

「ゼニス様、お客様がいらしています」

「え、私に? 誰だろう」

「ゼニス様の同僚で、シリウス様と名乗る少年ですが。金髪で青い目のお方です。こちらにお通ししてよろしいですか?」

シリウス? なんでわざわざここまで来たんだろ。

「はい、確かにそいつ、じゃなかったその人は魔法学院の同僚なので、通して下さい」

「かしこまりました」

やって来たシリウスは、とても不機嫌な顔をしていた。

「ゼニス、里帰りから戻ったのに、どうして学院に来ないんだ」

いきなりの詰問口調である。子供たちがいるんだから、やめてほしい。

「魔力回路の授業は、まだ先だもん。別に用事がないから行かなかっただけ」

「用事ならあるだろう。僕の研究室を片付けたのに、なんで見に来てくれない」

おっと、そういやそうだった。正直忘れてた。

首都に戻ってきたその日に結婚式の話を聞いて、すぐシンボルマークを作ったりして忙しかったから。

そう言おうと口を開きかけたら。

「帰ってきたら、すぐ来てくれる約束だったのに! 僕はずっと待ってたんだぞ!」

怒ってる、というか拗ねてる?

九歳女児に拗ねて文句を言う十五歳男子の図。いやまあ、九歳の中身は四十代だからいいっちゃいいんだけどさ。

シリウスを知っているティトはともかく、アレクやラス、マルクスもいるのによくやるなあ。周囲がまるで見えていない。こいつのプライドは高いのか低いのか分からんな。

とはいえ、けろっと忘れていた私も悪かった。

「ごめん、そうだったね。明日にでも行くから──」

「明日じゃだめだ! 今すぐ来い」

ぐいっと腕を掴まれた。視界の端でマルクスとティトが動くのが見えたので、何でもないと首を振って見せる。

だが、意外な人物が割って入ってきた。

「やめなさい! ゼニス姉さまを困らせる人は、僕が許しません!」

ラスだった。

「なんだお前は。チビに用はない、ひっこんでろ」

シリウスのセリフがチンピラみたいである。

「ひっこみません! 手を離しなさいっ!」

「うるさいぞ、邪魔するな!」

「姉さまは僕が守るんです!」

ラス……! いつの間にか強くなっちゃって!

病弱だった頃の彼を思うと、しみじみと感慨深かった。小さくて弱々しいと思っていたのに、いつの間にか成長していたんだなあ。

ヨハネさんにも見せてあげたかった。あの人、今日はたまたま不在なんだ。後で教えなきゃ。

「アレク、手伝って下さい!」

「うん、そいつ、悪いやつだな! リスみたいに退治してやる!」

アレクが走ってきて、シリウスに後ろから体当たりをした。体格差はあれど、運動神経ゼロのシリウスは思いっきりよろめいて私の手を離す。

その手をラスが取って引っ張り、ティトの所まで来て離した。

「アレク、助太刀します!」

「よし、二人で悪いリス退治だ! ブドウのマルクスの、リス退治!」

いつぞやの桃太郎ご当地アレンジバージョンを持ち出して、二人でシリウスに体当りしたり、キックしたりしている。

シリウスはトロくさいせいで、翻弄されっぱなしだ。

助太刀とか妙な言葉を使うなぁと思ったら、桃太郎の影響だったか。

隣ではマルクスが、「え、俺のリス退治?」と首をかしげている。いやいや、マルクス違いね。

「というか、ゼニスお嬢様。止めなくていいんですか?」

ティトが呆れたように言った。

「なんか、割と平和な感じだからほっといてもよくない?」

「駄目でしょう。シリウスが転んでケガでもしたら、またうるさいですよ」

「あぁ、それもそうだね。──はいみんな、そこまで! 休憩して、おやつにしよう」

ちょうどシリウスが、正面からアレクの頭突きを受けて尻もちをついたところだった。

「ぜ、ゼニス。助けてくれ!」

「はいはい。さあラスとアレク、この悪いリスは反省したみたいだから、許してあげてね」

私が言うと、シリウスはホッとした顔をして。

「ちぇ、仕方ない。もう姉ちゃんをいじめるんじゃないぞ!」

と、アレクが言い、

「ゼニス姉さまは優しすぎます! もっとしっかり、こらしめないと駄目です!」

ラスは息巻いた。

うんうん、ラスが逞しくなって私は感慨ひとしおだよ。

興奮しているラスをなだめているうちに、ティトがシリウスに手を貸して起き上がらせていた。

「ゼニスお嬢様よぉ、モテモテじゃん」

マルクスがニヤニヤしてる。

これはあれかな? 私のために争わないで、という乙女憧れのシチュエーション。

でも一人は実の弟で、もう一人は弟同然の子で、そして最後の一人はクソコミュ障だよ。トドメに私自身が四十代おばさま。モテてる実感ないわ。

「お茶とおやつの準備してきますね」

ティトが厨房の方へ行き、マルクスは「やべ、そろそろ時間だ。じゃあな」と走っていった。

「……なんで僕がこんな目にあわないといけないんだ……」

シリウスがしょげまくっている。髪はぼさぼさ、服も乱れてとても残念な雰囲気だ。

彼としては、約束を破った私に文句を言いに来たという感覚なのだろうが。

「人の手を強引に引っ張ったり、または痛くなくても叩いたりすると、悪いリス認定されてこうなるよ。以後気をつけてね」

「ハイ……」

素直でよろしい。

しばらく後、ティトがお茶セットを持ってきてくれたので、みんなでおやつタイムにする。

お互い自己紹介をした。ラスがにらむ度にシリウスがびくっとするのが、なんか笑えた。

シリウスの片付けの成果を確かめるのは、明日ということで話がついた。