ゼニスのお悩み相談室

猿はけっこうな珍味らしくて、すぐには入手できないとお屋敷の料理人さんが言っていた。

市場に入荷があったら知らせてもらうことにして、自室に帰る。なんか、どっと疲れた。

「おかえりなさい、ゼニスお嬢様」

ティトが迎えてくれた。あぁ、ほっとする。

「今日の初授業はどうでした?」

「授業は良かったけど、そのあと変な人に絡まれた」

シリウスの話をすると、ティトは肩をすくめた。

「まるで小さい頃のお嬢様のような方ですね」

「ええ! 私、あそこまでひどくなかったはずだけど」

「似たようなものですよ。あたしも意味なくたくさん叩かれましたし、カエルの解剖もやっていました」

「えぇ……」

カエルの解剖??

うーん、そう言われればやった気もする。薄く割れる石でナイフのようなものを作って。

それに田舎の山は、野生動物の骨やら蛇の抜け殻やら、フンとか色んなものがその辺に落ちていた。当時は慣れきって気にしていなかったよ。

イカレポンチだった頃は、グロ耐性が高かったんだなぁ。今じゃとてもできない。

「でも、でも、私は六歳までだから。まだ可愛げがあるでしょ。シリウスは十五歳とかだよ」

「そうですね、大人に近い体格で暴れられたら手がつけられません。今後もつきまとわれるようであれば、オクタヴィー様に相談を」

「うん、そうする」

相談できる相手がいるって、いいことだね!


と、そんな話をした翌日。

私が魔法学院の研究室で授業の準備をしていると、ドアがノックされた。出てみればシリウスである。

「猿の入手はまだなの。もうちょっと待ってね」

「そのことだが」

彼は気まずそうに言った。

「僕が間違っていた。お前の人体図が正しい」

「お?」

なんか急だな。……まさか本当に死体を解剖してみたのか? 不安になる。

「どうしてまた、急に?」

「昨日あれから、伯父の家に行って我が家の人体図について聞いてみた。そうしたら、あれは宗教的なシンボル図で、実際の肉体を反映しているわけではないと言われた」

「ほほう」

「僕はそれでも納得できなかったが、貧民街で……」

「ストップ!! それ以上は私、聞けない!」

私は慌てて彼の口を塞いだ。

いや、もしかしたら、貧民街で猿を扱っている闇市があったので行ってみた、とかかもしれないが、万が一怖い話だったら嫌すぎる。こういうのは首を突っ込まないのが一番!

「そ、それより、伯父さんがいたんだね。親御さんじゃなくて、伯父さんに聞いたの?」

無理やり話を変えてみる。

「両親は遠方に住んでいるからな。僕は伯父の家に預けられて育った。去年、独立しろと言われて追い出されて、今は一人暮らしだ」

うん、きっと伯父さんもシリウスのイカレっぷりに手を焼いたんだろうね。

「ところで……」

シリウスは眉を寄せて、言いにくそうに続けた。

「今回の件で、僕はお前に迷惑をかけただろうか? 伯父にきちんと謝罪するよう言われたんだが」

迷惑かけまくりだよ!

いきなり叩かれて、チビとか悪口言われて、汚研究室に連れ込まれて怖い思いしたもの!

……あ、最後のはちょっと語弊があるかな。どっちにしても大迷惑だった。

しかもこれだけやっといて、他人に言われるまで悪いことをした自覚すらないのか。やっかいな。

ううむ。ここで「迷惑でした!」と言えば素直に謝ってくれそうではあるが、それじゃコイツの心に響かないのではないか。

そしてきちんと反省せず、また似たようなことをやらかしてくるのではないか。心配だ。

仕方ない、中身四十歳オーバーの私が年の功で、ちゃんと反省できるよう促してやろう。

「迷惑だったよ」

考え考え、私は言った。

「そうか……。それは、すまなかった」

「その謝罪を受け入れる前に、いくつか質問があるんだ」

「質問?」

シリウスは不可解と言いたげな顔をしている。

「シリウスは、今回の一件、どこが迷惑だったと思う?」

「……確認を取る前に、人体図がデタラメと決めつけた点か?」

少し考えて、彼はそう言った。

そこなのか。やっぱり何が悪かったか分かってない。

「それもあるけど、それ以上にいきなり叩かれて嫌だった」

「だが、痛くなかったはずだ。紙で叩いたから」

「痛くなくても、知らない人からいきなり叩かれたらびっくりして嫌だもの。叩くのは駄目だよ。なんで叩いたの?」

「あの時は、お前がデタラメを学生に教えていると思って、頭にきていた」

「怒ったら、他人を叩いていいと思う?」

「怒りの程度と内容による」

駄目に決まっているだろ、このやろう。と言いたいのをぐっとこらえる。

「たとえものすごく怒っても、叩くのはよくないよ」

「じゃあ、どうしろというんだ」

「だいたいね、シリウスは私のことを叩きたかったの?」

「どういう意味だ?」

彼は不審そうに目をそばめた。イライラし始めたのか、剣呑けんのんな雰囲気である。

私は内心でため息をつきながら、続ける。

「違うよね。人体図が間違っていると伝えたかったんでしょ」

「…………! そう言われれば、そうだ……」

「だったら叩かないで、言葉で言えばいいんだよ。『あなたの人体図は間違っていると思います。一緒に確認しましょう』と」

シリウスが目を丸くして絶句している。

ううむ、なんか、幼稚園児に諭しているような気持ちになってきた。こりゃあ前世の私を上回るコミュ障かもしれない。ある意味すごい。

「そんなふうに考えたこと、なかった……」

呆然としている。いやそこまで?

「だったら、いや、でも……」

彼はしばらくぶつぶつと独り言を言って考え込み、やがて顔を上げた。

その青い瞳は、納得したように落ち着いている。

「叩いてすまなかった……。どうやら僕は、目的と手段を履き違えていたようだ」

「うん。その謝罪を受け入れるよ」

やれやれ。これで今後は、いきなり叩かれることもなくなるかな。まあ、一度のお説教で全部改善するのも難しいだろうけど。

コミュ障っぷりと意味不明な行動様式が、前世の私とイカレポンチ時代の私に似ていたせいで、ついおせっかいをしてしまった。

「あの……チビ、じゃない、ゼニス?」

「はい?」

恐る恐る、という感じでシリウスが言う。

「また困ったことがあったら、相談していいだろうか。僕、こんなふうに思考を整理できたの、初めてだったから。それに、僕の話を嫌がらずに聞いてくれた人も、お前が初めてだ」

ええぇ。正直、勘弁してほしい。昨日のことは水に流すけど、あまり積極的に関わりたい相手ではないぞ。

……でも。ここまでコミュ障だと、生きるのが大変だろうなと思う。

実はさっきのお悩み相談もどきだって、前世のコミュ障対策の本で学んだ内容だ。自分が本当にやりたかったことと、何が問題なのかを解きほぐして、自分自身で気づいて修正するってやつ。

もちろん当時は、自分の改善のために買った本だった。

こいつ放って置いたらどんどん孤立して、そのうち前世の私みたいに死んじゃうんじゃないか。

一応同僚であるわけだし、多少の面倒くらいは見てもいいかもしれない。まだ十五歳やそこらだから、改善の余地はあるだろう。いやはや、仕方ない。

「分かった、いいよ。ただし私にも私の都合があるから、いつでも聞けるわけじゃない。後回しにしても怒らないこと。たとえ怒っても、叩かないこと」

「ああ、了解した」

ほんとかなー?

まあいいや、あんまり手がつけられなかったらオクタヴィー師匠に相談して物理的になんとかしてもらおう。追い出すとかで。そうでない限りは、なるべく気にかけておくかね。

そんなわけで、私の魔法学院生活に『コミュ障の相談に乗る』という新たなミッションが追加された。


コミュ障ことシリウスは、あれから時々話をしに来る。

「人と話すのが苦手だ。特に雑談ができない」

今日の彼は、そんなことを言った。

私の研究室でティトが淹れてくれたお茶を飲みながら、話を聞くことにする。

「魔法についての議論ならできる。だが、無意味な雑談は付き合うのが苦痛なんだ。雑談する意味が分からないし、何を話せばいいかも分からない」

私は相槌あいづちを打ちながら、先を促す。

「以前、伯父や伯母と住んでいた頃、自分勝手に一人だけで喋るなと言われた。だから黙っているようにしたら、黙ってばかりいるなと言われた。矛盾している、わけがわからない」

「その時、どんなことを話したの?」

「魔法文字についての疑問点と分類法についてだ。伯父は魔法使いだからそれなりに聞いてくれたが、伯母は途中でもうやめてと言いだした」

あれかな、興味のあることだけ早口でマシンガントークしちゃうやつ。オタクあるある。

私もちょいちょいやらかすから、なるべく気をつけている。だから気持ちは分かる。

「それは、伯母さんは魔法に興味がないから、聞いているのに飽きちゃったんだろうね」

「ありえない。魔法はこんなにも興味深い学問なのに、そして僕が研究している魔法文字はどこまでも奥深くて深遠な知識を授けてくれるのに、どうして興味を持たないんだ」

「興味を持つ対象は人それぞれだよ」

「だから僕が、魔法の面白さを教えてやろうと思ったんだ。でも伯母は全然話を聞かないで、下らない雑談ばかりする」

シリウスは本気で納得していないようだ。

「シリウス。まず、伯母さんと貴方は別の人間だってのは分かってる?」

「それは、そうだろ」

「じゃあ、感じ方も考え方も、好きになるものも別で当たり前なんだよ。シリウスが下らないって言う雑談、伯母さんは好きなんでしょう」

「それが間違っている。雑談などより魔法の議論の方が絶対に有意義だ」

んあー。手強い。

どういう切り口で話そうかな。こういう頭でっかちのタイプは、なるべく論理的に話す方が良さそうか。

「じゃあ、どうして人間はそれぞれ違うのか、考えてみよう」

ちょっと話の前フリが長くなるが、これでいってみよう。

「シリウスは、この世は弱肉強食だと思う?」

「当たり前だな。強いものが弱いものを食う、それが真理だろう」

「それが違うんだよね。だって例えば、ライオンはすごく強いけど、南の大陸の一部にしかいない。反対にネズミはとても弱いのに、世界中どこにでもいる。この場合より繁栄しているのは、生物の種として勝っているのはどっちだと思う?」

「む……」

彼は言葉に詰まった。

「ネズミでしょ? だから、力とかの単純な強い弱いはあまり意味がないわけ。ここまでいい?」

「そうだな……。理解した」

「で、ネズミの『強さ』はどこにあるかというと、南の大陸から北の凍る海の岸まで、色んな場所に適応して生きていける柔軟さじゃないかな。反対に、ライオンは南の大陸の住処では強いよね。他の生き物はみんな獲物にして食べてしまうくらい強い。でも、それ以外の場所では生きていけない。ここがネズミの強さに対する、ライオンの弱さ」

シリウスは黙って聞いている。

「人間に話を戻すと、人間も色んな場所でたくさんの人が暮らしている。ネズミのような強さがある。そしてここからが本題なんだけど──」

私はちょっと言葉を切り、手元のお茶を飲んで渇いてきた喉を潤した。

「なんで人間は、こんなに『強い』んだと思う?」

「え……? 繁殖力が高いからか?」

シリウスは戸惑いながら答えた。

「うん、それも正解。あと、肉も草も穀物も何でも食べる雑食性もある。服を脱ぎ着して、温度差に対応できるおかげもある。で、私が思うに、それらを前提とした上で、人間が一人ひとり違った性格や性質をしているせいじゃないかな」

「どういう意味だ?」

「人間は得意なことがそれぞれ違うでしょ。力自慢で剣が強い人、目が良くて弓が得意な人、走るのが速い人。それに頭が良くて色んなことを知っている人に、優しい性格でみんなから好かれる人。

戦争の時は、腕っぷしが強くて勇敢な人が『強い』。でも平和になったら、その強さは必ずしも必要ない。それよりも計算が得意な商人だったり、辛抱強く荒れ地を耕して畑を作る農民、学問を学んで人々に広める学者なんかが『強い』。つまり、色んな違う人がいるから人間は強いの。どんな状況でも、各人の強みを生かして対応できるからね。人間はそれぞれ違う方がいいんだよ」

「…………」

シリウスは口を引き結んで、目をきょろきょろと動かしている。これは、彼が深く思考している時の仕草だ。邪魔しないで様子を見よう。

しばらくして彼は口を開いた。

「だが、……だが、それでも、雑談は下らないじゃないか。雑談好きな人間が、人間の強さに貢献しているとは思えない」

「そんなことないよ。雑談は、議論なんかに比べると確かに話の内容は薄いけど、役に立ってるもの」

「雑談の何が役に立つと言うんだ」

「人と人とのつながりを保つ役割。コミュニケーションってやつ」

「……意味が分からない。コミュニケーションなら、もっと役立つ情報をやり取りすべきだ」

時々思うんだけど、こいつ、「~すべきだ」とかそういう言い方をちょいちょいするよなぁ。まあいいや。

「雑談もけっこう情報が入ってるよ。どこのおうちの誰が何をしたとか、そういうゴシップ的なのも含めて。必ずしも『役に立つ』わけじゃないけど、たくさん雑談をするとそれだけ情報量も増えて、総合的に見るとけっこうな量になる。それで自分の周りの人間関係を把握してるの。あと、話す時の受け答えとか態度とか表情に、人となりが出る。そういう言葉にならない情報も含めてやり取りしてる。言ってしまえば雑談は、それそのものがコミュニケーションの手段であり目的。

結論を言うと、雑談は人付き合いを円滑にする効果がある。お互いに話す機会が増えれば、仲良くなりやすいっていうのもあるね。人間は社会をつくって暮らす生き物だから、コミュニケーションはとっても大切」

「…………」

シリウスは椅子に座ったまま頭を抱えた。

私がお茶を飲みながら待っていると、やがて彼は「降参だ」と言った。

「分かった。雑談の有用性を認める。……でも僕は、人と何を話したらいいか分からないんだ。どうしたらいいんだろう……」

「雑談が苦手でもいいんじゃない? だって、人間は色々いた方が強いから。伯母さんみたいにおしゃべり好きで社交的な人も、シリウスみたいに雑談苦手で魔法大好きな人も、どっちもいた方がいい」

私も魔法大好きオタクの部類である!

なお雑談というか、ガールズトークは下手な方だ。特に恋バナとかぜんぜん駄目。聞くのは好き。

「そうか……そうなのか……話せなくてもいいのか」

「そうそう。だから伯母さんの雑談に上手に付き合えなくても、馬鹿にして見下したりしなければそれでいいよ」

「ああ、分かったよ」

少しすっきりした顔で、シリウスはうなずいた。

「あと一つ教えてくれ。雑談に関連しているんだが、どうして人は天気の話を毎回するんだ? 今日が晴れだとか暑いだとか、僕にとってはどうでもいいんだが」

「それは、場を温めるためだと思う」

シリウスが不思議そうに首をかしげたので、言葉を続ける。

「食事の前に食前酒を飲んで、胃を温めるようなものかな? お天気の話は誰しも関係があるから、興味のあるなしにかかわらず話題として無難なの。こんにちは、の挨拶の後に天気の話をして、本題に入る準備をしてるわけ」

「なるほど、準備運動か。納得した」

実は前世で、私もこの辺を不思議に思ったことがあった。結局、挨拶と同じ定型文句の一つということで理解したわけだ。

言葉でのコミュニケーションは案外、定型的なものが多くて、基本パターンを覚えておけばあとは組み合わせて何とかなったりする。コミュ障が一般人に擬態する時によく使う手だ。

ただ、この手法は初対面の時は有効だが、それ以降で話題のバリエーションが増えると途端に苦しくなる。覚えなければいけないパターンも組み合わせも飛躍的に増えるので、脳みその記憶容量もワーキングメモリも足りなくなるのだ。

結果、受け答えに妙な空白が空いたり組み合わせをミスってトンチンカンなことを言ったりして、コミュ障がバレるのである。かなしい。

まあ、シリウスにはそこまで話さなくていいだろう。ユピテルは前世よりものんびりしていて、コミュ能力一辺倒ではないから。

前世の一時期はやたらコミュ強コミュ強言われて、体育会系ウェーイ人種が幅をきかせていてうんざりした。営業にそういう奴多くて、開発の職人気質なエンジニアにウェーイ論を押し付けてくるのね。まったくもう。

シリウスは椅子から立ち上がって両手を伸ばした。

「あー、色んなことに合点がいった。清々しい気分だ。ゼニスは何でもよく知っているな」

「いやいや、それほどでも」

謙遜してみた。ていうか本音でもある。別に何でも知ってるわけじゃないくせに、すごく偉そうに喋ってしまった。

これじゃあ、オクタヴィー師匠のことを偉そうで態度がデカいなんてとても言えない。

シリウスも時々やらかしてくれるけど、別にわざと意地悪しようとか思ってるわけじゃないんだよなぁ。あえて言うなら人の心が分からないだけで。

分からない『だけ』というのもアレだが、彼は分からないなりに分かりたいと思っているようなので、改善の余地があると思う。

さっきの『人間は色々いるから強い』論は、前世の私がコミュ障で世間とのギャップに悩んだ末にたどり着いたものだった。

コミュ障人間は周囲からすると迷惑だけど、本人も困っていたりする。あんなふうに理屈っぽく考えて、自分の存在を肯定しないと苦しくなる程度には。

前世の私はそれでもコミュ障こじらせて、一人でブラック労働を抱え込んだ上で死んでしまった。誰かに助けてほしかったけど、助けてもらうには「助けて」と言って手を伸ばさないといけなかった。それすらできなかったなぁ。

今生は幸いなことに、人間関係に恵まれている。前世の失敗は繰り返さないよう気をつけよう。

シリウスを見てると前世を思い出しちゃうから、ついついお節介を焼いてしまう。彼とこうして話す時間が、少しばかりの助けになるといいんだけどね。