「キョウちゃ~ん!」

「あ、アカリちゃん」

京子が駅から学校に向かって歩いていると、後ろから名前を呼ばれた。

振り返ると、声をかけてきたのは朱莉だった。

「おはよ~」

「おはよう」

京子は朱莉を待つために立ち止まろうとしたが、その必要はなかった。

朱莉はかなりのスピードで走ってきて京子に追いついてきたからだ。

朱莉は前から活発で足が速かったが、探索者になってから一段と速くなったように思う。

今もかなりの距離が離れていたのにすぐに追いついてしまった。

速くなったのは足だけではない。

視覚などの感覚も鋭くなっているんだと思う。

かなり距離が離れていて、後ろ姿だったにも関わらず京子のことを判別できていた。

あれだけ遠くから声をかけてきたということはそういうことなんだと思う。

声をかけたけど全然違う人だったらめちゃくちゃ恥ずかしいし。

(でも、アカリちゃんならもし間違っていたとしても、何とかしちゃいそう)

朱莉なら明るく謝った後、その相手とも友達になってしまう気がする。

朱莉はそういう他愛もないキッカケから友達を作るのが上手い。

京子には真似できない。

京子と朱莉が友達になったのも他愛もないことがキッカケだった。

入学したての頃、当時の京子はクラスでかなり浮いていた。

周りのクラスメートたちが友達を作ったり部活を頑張ったりしているのを他所に京子は必死で勉強していた。

一刻も早く親から自立するためだ。

京子も部活や友達と遊ぶことに憧れはあったが、中学までで自分にはそんな普通の青春は送れないと諦めていた。

仲良くなった友達も母親を見たら離れて行ってしまう。

京子の母親は地元では結構悪い噂がある人だった。

その噂も半分くらい事実なのだからタチが悪い。

部活動に至っては中学の頃、ほかの部員のために所属しないでほしいと教師に言われてしまった。

高校は家から遠いため、同級生にも母親については知られていなかったが、親しくなれば知られてしまう。

京子の母親のことを知ればその人も京子から離れて行ってしまうだろう。

それなら友達なんて作らないほうがいい。

何かをするなら、あの親と縁を切ってから。

当時の京子はそう思ってクラスメートともあまり関わりを持っていなかった。

幸い、京子は学内で成績もいい方で、必要な時だけ事務的な対応をしていれば学校生活は問題なく送ることができた。

だが、入学から一ヶ月ほど経ったある日、京子はお弁当のお箸を忘れてしまった。

今なら学食に行けば割り箸くらいならもらえると知っているので、そこまで困らないが、当時の京子はそんなことすら知らなかった。

お弁当を広げた状態で、手で食べるか、それともこのまま昼ごはんを食べずに持って帰るか考えていた。

手で食べたら周りの人から変な目で見られてしまう。

友達のいない京子としては変な人だと見られるのは致命的だ。

だからと言って、お昼ご飯を抜くと午後の授業に支障をきたしてしまう。

その日は午後に体育もあったので、最悪、倒れてしまうかもしれない。

そこで話しかけてくれたのが朱莉だった。

朱莉はおっちょこちょいなところがあり、よくお箸を忘れたりするそうで、予備の割り箸を何本か机に忍ばせているらしい。

そのうちの一本を京子にくれたのだ。

その時はお礼を言って終わりだったが、それ以降、体育でペアを組むときや授業でグループを作る時など、朱莉は京子に必ず声をかけてくれるようになった。

それどころか、休憩時間や放課後なんかにも声をかけてくれた。

一ヶ月もすれば京子は朱莉と友達になっていた。

京子は朱莉に母親のことが知られないように必死に隠していた。

だが、朱莉は京子の母親のことをかなり前から知っていたようだ。

どうやら、朱莉が京子に声をかけ始めた頃、京子と同じ中学だった先輩が朱莉に京子の母親のことを教えたらしいのだ。

だが、母親の話を聞いても朱莉は態度が全然変わらなかったので京子はそのことに気づいていなかった。

京子がそのことを知ったのは朱莉と友達になって一ヶ月以上経った後、ある出来事があったからだった。

***

「おねがい。もう朱莉とは関わらないで」

「え?」

その日、京子は朱莉の友人の奏に空き教室に呼び出された。

京子が奏に「朱莉が荷物を運ぶのを手伝ってって言ってる」と言われてついてきた先がこの空き教室だった。

奏は朱莉の友達で、京子も奏とは朱莉経由で数回話をしたことがある。

そのため、朱莉が奏に伝言を頼んだということに違和感はなかった。

しかし、案内された先は空き教室で、さらにそこに朱莉の姿はなかった。

京子は空き教室についてから少しおかしいと思い奏のことを警戒していた。

だが、警戒している京子に向かって奏は深々と頭を下げながらそんなことを言ってきたのだ。

「え? どういう」

「聞いたよ。あなたのお母さんのこと」

!?

奏は部活の先輩から京子の噂を聞いたそうだ。

奏の部活の先輩が京子と同じ中学校出身だったらしい。

同学年に同じ中学出身の人がいないので、京子は油断してしまっていた。

どうやら、奏はその先輩経由で京子の母親のことを知ったそうだ。

「……どうして、私に言うの?」

京子にお願いするんじゃなくて、朱莉に真実を伝えればいい。

そうすれば、朱莉だって京子から離れていくはずだ。

だが、奏はそうしなかった。

京子はどうしてこんな回りくどいことを奏がするのか分からなかった。

「朱莉にも言ったよ。でも、朱莉は全然聞いてくれなくて……」

奏は朱莉にも京子の母親のことを伝え、関わらないほうがいいと言った。

だが、朱莉は聞き入れてくれなかったらしい。

だから、京子の方から朱莉から離れてくれるようにお願いしにきたそうだ。

京子はその話を聞いて少し嬉しく思った。

朱莉ならもしかしたら母親の話を聞いてもこれまでと変わらず接してくれるかもと思ったことはあった。

だが、そう思えた相手は朱莉が初めてではない。

これまでそういう期待は全て裏切られてきた。

だが、朱莉は違った。

京子は心がポカポカと温かくなる感覚を覚えていた。

だが、そんな感覚は次の奏の言葉で吹き飛んだ。

「このままじゃ、朱莉まで避けられるようになっちゃう」

「え?」

どうやら、京子の母親のことは学校の一部ではすでに知られているらしい。

そして、朱莉も京子の友人ということで少し距離を置かれているのだそうだ。

「そんな……」

京子はその話を聞き、顔からサーっと血の気が引いていくのを感じた。

自分と付き合っていることで周りにまで迷惑をかけるなんて考えたことがなかったのだ。

朱莉は京子にとって大切な友人だ。

でも、迷惑をかけるくらいなら友達をやめたほうがいい。

「わかっ……」

「周りの人なんて関係ない!」

「「!!」」

京子の声を遮るように空き教室に声が響いた。

京子と奏が声のした方を振り向くと、空き教室の入り口に朱莉が立っていた。

「朱莉」「アカリちゃん」

おそらく、全力で京子たちの後を追ってきたのだろう。朱莉は肩で息をしていた。

これは後で知ったことだが、朱莉は校舎の外から京子と奏が二人で歩いているのを見つけたらしい。

奏が真剣な表情だったので、ただ事ではないと思い、急いでやってきたそうだ。

朱莉は息を整えながら京子と奏のそばまでやってくる。

「周りの人なんて関係ないよ。私は私がキョウちゃんのことを気に入ったから友達になったの」

朱莉が真っ直ぐに奏の瞳を見つめてそう言うと、奏はバツが悪そうに顔を伏せる。

「でも……」

「……奏ちゃん。奏ちゃんは私のお父さんが会社の社長だったから私の友達になってくれたの?」

「え?」

奏は朱莉の質問に驚いて顔を上げる。

朱莉はそんな奏の顔をまっすぐ見つめ返す。

「私に友達がいっぱいいるから友達になってくれたの? 私と友達だと周りからのウケがいいから友達になってくれたの?」

「ち、違う!」

「うん。違うよね。ごめんね。でも、私だって一緒だよ。私が奏ちゃんと友達になったのは奏ちゃんのお母さんが音楽家さんだったからでも奏ちゃんが吹奏楽部で人気者だったからでもない」

朱莉は震える奏の手を優しく包み込むように握る。

「奏ちゃんが優しくて。可愛くて。一緒にいて楽しいから私は奏ちゃんと友達になったの」

「っ!」

朱莉はまっすぐ奏の顔を見つめながら真剣な顔でそういう。

奏は真っ赤な顔で朱莉を見返していた。

その瞳からはポロポロと涙がこぼれ出していた。

「キョウちゃんだって一緒」

朱莉は左手を奏と繋いだまま右手を京子の方に伸ばしてくる。

京子はゆっくりと近づいて恐る恐るその右手に左手を重ねる。

朱莉は京子の手を握るとぐいっと京子を自分の方に引き寄せた。

「キョウちゃんが。優しくて、可愛くて、一緒にいて楽しいから友達になったの。キョウちゃんの母親とか、周りなんて関係ない」

「アカリちゃん」

視界が歪んでいく。

その原因は京子が涙を流しているからだとすぐに気づいた。

「ごめんね。二人とも心配かけちゃって。でも、私は大丈夫だから。誰かに文句を言われたら私がそいつをぶっ飛ばしてあげる。だから、奏ちゃんとキョウちゃんも仲良くしてほしいな」

「「うん」」

その日から、京子は奏とも友達になった。

***

京子にとって朱莉はかけがえのない友達だった。

「ねぇ! キョウちゃん? ねぇってば!」

「あ、ごめん! なに?」

「なに? じゃないよ。どうかした? なんか、ぼーっとしてたけど」

京子は少し昔のことを思い出していたから、ぼーっとしてしまっていたみたいだ。

「大丈夫!」

「そう? ならいいんだけど……。そうだ! 昨日のドラマ見た!?

「見たよー」

それから、京子と朱莉は二人で並んで登校した。

朱莉は昨日のドラマの話でコロコロと笑っている。

(よかった)

京子はほっと胸を撫で下ろす。

朱莉は最近色々とあった。

朱莉の父親の会社が倒産し、両親が離婚。

父親は借金を返すために漁船に乗って行ってしまい、そして、闇金業者が父親の借金の取り立てに朱莉の家に来ていた。

一番問題だったのは、借金取りが探索者だったせいで警察では対処しきれず、やりたい放題にされていたことだ。

警察すら対処できない借金取りに追われる生活はかなり苦しかったんじゃないかと思う。

探索者になって闇金業者に対処できるようになった後も竜也のパーティメンバーが襲撃してきたり、それで朱莉の母親が心を病んでしまい入院してしまったりと本当に大変だった。

当事者ではない京子も大変だったんだから、当事者である朱莉の心労は計り知れない。

ここ数ヶ月は朱莉が心の底から笑っている様子を見ることはなかったように思う。

今でこそわかるが、探索者になる少し前もかなり無理をして『普通』を演じていた。

だが、最近それがやっと解決した。

朱莉を苦しめていた闇金グループは竜也がいなくなったことで崩壊したのだ。

もともと、法律上は朱莉の家族には返済義務はないものだしもう取り立てに追われることはない。

それに、どうやら、借金取りたちはただの嫌がらせで朱莉のところに来ていたようなのだ。

竜也は債務者を痛めつけて債務者の負の感情からダンジョンを発生させるのが目的だったらしい。

その竜也がいなくなったことでもう、竜也の闇金グループが朱莉たちにちょっかいをかけてくることは二度とない。

しかし、完全に元通りになったというわけではない。

朱莉の母親の心の傷は完全には癒えていない。

朱莉の母親である美香さんはダンジョンを攻略したことで精神的には落ち着いているが、辛かった頃の記憶がごっそり抜け落ちてしまっているのだ。

生活には支障はないが、夫の会社が潰れてしまっていたり、家が一戸建てからボロアパートに変わってしまっていたりと大きく変化してしまっている。

変化が大きすぎるせいでまだ完全にはすべてを受け入れきれていない。

念の為にまだ当分は入院を続けることになっている。

父親についてもそうだ。

漁船に乗って行ってしまった父親はそう簡単には帰ってこられない。

漁船は今公海上におり、すぐに引き返しても帰ってくるのには一週間以上かかる。

それ以前に、船員の一人が辞めたいという理由で漁を切り上げて帰ってきたりはしないだろう。

長い間強制的に拘束されるのも遠洋漁業が高給な理由の一つなのだから。

とはいえ、完全に元通りというわけではないが、後のことは時間が解決してくれるだろう。

母親は大丈夫だと医者が判断すれば退院できるわけだし、父親は漁が終われば帰ってくる。

そうすれば完全に同じではないけど昔のような生活に戻ることができる。

なにより、大変なことはいろいろあったが、昔のままの優しい朱莉ちゃんが変わらずにいてくれて京子はとても嬉しかった。

京子にとって、朱莉は最初の友達で、そして、今でも一番の友達なんだから。

「それで、ラストがさ~」

「うんうん」

京子は朱莉の話を聞きながら相槌を打つ。

そんな風に話をしているうちに校門にたどり着く。

「「おはようございます」」

「おはよう」

京子と朱莉は校門に立っていた教師に挨拶をして門をくぐる。

こうして、今日もいつも通りの日常が始まった。