「朱莉。おまえ、俺と付き合えよ」
「え?」
中学校の帰り道。
朱莉の電話が急に鳴り、野球部の太田くんに呼び出された。
普通は異性からの呼び出しなど、対応しないのだが、太田くんは友人のみっちゃんの幼馴染だ。
どうやら、家が隣同士らしい。
朱莉の陸上部と太田くんの野球部は部活が終わる時間が近いこともあり、たまに一緒に帰ることもあったし。
最近はなぜか一緒に帰る機会が多いと思っていたが、もしかしたら、朱莉の部活が終わるのを太田くんが待っていたのかもしれない。
知らない仲ではないし、もしかしたらみっちゃんについての相談かもしれないと思って急いできたのだが、朱莉は呼び出しに応じたことを後悔していた。
「みっちゃんのことはいいの?」
「美咲か? 美咲はいいんだよ。あいつは俺にメロメロだから」
「……」
朱莉はみっちゃんが太田くんのことを好きだと知っていた。
何度か恋愛相談に乗ったことだってある。
その話し方からして、みっちゃんと太田くんは付き合っているものだと思っていた。
だから、告白とか面倒なことにはならないと思っていたのだが、どうやら、太田くん、いや、太田はみっちゃんと朱莉の二股をかけようと思っているみたいだ。
「お前も俺のこと好きなんだろ? 付き合ってやるよ。嬉しいか?」
「……ごめん。あなたのことそんなふうに見たことない」
「は?」
朱莉にとって太田は友人の幼馴染だ。
だから丁寧に接していただけで、太田に対しては特に思うことはない。
こんなふうに告白されても、迷惑以外の何物でもない。
「じゃあね。今日のことは聞かなかったことにしてあげるから」
「ちょ。ま……」
朱莉はそういってその場を離れる。
後ろでは太田が「後悔するぞ!」とか喚いているが、もう振り返るつもりはない。
(次にみっちゃんから恋愛相談を受けた時は別れるように提案しよう)
太田があんなやつだとは思わなかった。
みっちゃんの話の中の太田はちょっとやんちゃな男子って感じだった。
野球部でもエースで、少し高圧的なところはあるが、根はいい人だと思っていた。
だが、それも猫をかぶっていたからみたいだ。
正直、今すぐ関係を切ったほうがいいと言ったほうがいいのかもしれないが、みっちゃんは意外とプライドが高い。
根はいい子なのだが、嫉妬しがちで、なかなか考えを曲げないのだ。
いきなり太田くんとは別れたほうがいいと言っても逆効果になりかねない。
何かあった時に今日のことをそれとなく匂わせて別れるように誘導するのがいいだろう。
「あれ? 朱莉ちゃん?」
「?? あ! サグルさん」
朱莉が今後どうするか考えながら歩いていると、正面からサグルが歩いてきた。
サグルはお父さんの会社の従業員だ。
顔が怖いので、最初は嫌いだった。
初めて家に来たのは朱莉が小学六年生の時だったが、家の前にいるサグルを見て、朱莉は走って部屋へと逃げ帰り、部屋から一歩も出なかったくらいだ。
何度も会っているうちにいい人だとわかってきたので、今では一緒に食事を摂るくらいの仲にはなっている。
朱莉の両親は東京に一人で出てきているサグルの東京での保護者のように行動している。
朱莉にも兄弟のように接してほしいようだが、朱莉はサグルのことが苦手だった。
だって怖いのだ。
今は目の下にクマがあり、いつも以上に怖い顔になっている。
両親には悪いが、嫌わないようにしているだけで我慢してほしい。
「サグルさんはどうしてここにいるんですか?」
「社長に着替えを取りに行くように言われたんだ」
そういってサグルは手に持った荷物を朱莉に見せる。
サグルの手にはかなり大きな荷物があった。
多分、お父さんの着替えとかが入っているのだろう。
「今はかなり忙しいんですか?」
「そうだね。古くから付き合いのある会社との共同の仕事をしているところだから結構忙しいかな? かなり大規模な仕事なんだけど、先方がかなり乗り気でね。社長もそれに引っ張られてやる気を出しちゃってるんだ」
朱莉の父は最近かなり忙しそうにしている。
ここ何日も家に帰ってきていない。
どうやら、他の会社と共同で大きな仕事をしているらしい。
先方がかなり乗り気で、大規模な借金までして仕事をしているそうだ。
その仕事はかなり大変だそうだが、お父さんはその借金の連帯保証人になってしまっているし、今更抜けるわけにもいかないと言っていた。
「大丈夫かな?」
「あ、仕事の方は多分大丈夫だよ。もう、大体終わってて、今は後処理みたいな段階に入ってるから」
「そうなんですか?」
どうやら、忙しい時期はもうすぐ終わるらしい。
実際、ほとんどの従業員がすでに普段通りの業務量に戻っている。
サグルが着替えを取りに来ているのがいい例だ。
そういえば、一週間前はお母さんが会社に着替えを持っていってたっけ?
サグルが朱莉の家まで着替えを取りに来ているということはサグルが作業を止めてお使いに行けるくらいには仕事が落ち着いているのだろう。
サグルの話ではあと数日もすれば朱莉の父親も定時で帰れるくらいになるそうだ。
サグルは仕事が忙しくていつも以上に怖い顔になっているのかと思ったが、どうやら気のせいだったらしい。
「朱莉ちゃんはこんなところで何してるの?」
「……学校の帰りです」
「……そう?」
どうやら、朱莉が難しい顔をして歩いているところを見られてしまったらしい。
サグルは心配そうに朱莉のことを見つめてくる。
「本当になんでもないですよ。ちょっと面倒な相手に絡まれてしまっただけで」
「そっか。なんでもないならよかった。何かあったら言ってね? できる限り力になるから」
「はい。その時はお願いします。それよりサグルさん、仕事は大丈夫なんですか?」
「あ! やべ!」
仕事量は減ったとはいえ、まだゼロにはなっていない。
こうして油を売っている時間はないはずだ。
「じゃあ、朱莉ちゃん。またね!」
「はい。サグルさんも仕事、頑張ってください」
「おう!」
サグルは朱莉に大きく手を振って去っていく。
朱莉はそんなサグルの背を手を振りながら見送った。
家に帰り着く頃には太田のことなんてすっかり忘れていた。
だが、翌日、朱莉はこの日のことを思い出すことになった。
朝、学校に行くと朱莉の机がなくなっていたのだ。
一瞬何が起きたのか分からなかった。
だが、原因はすぐにわかった。
みっちゃんが主導で朱莉にいじめを始めていたのだ。
原因には心当たりがある。
多分、太田の件だろう。
調べてみると大当たりで、どうも、太田は朱莉が太田に言い寄ったという嘘の情報を流しているらしい。
朱莉は「人の男に言い寄った女」とか「泥棒猫」とか言われるようになった。
***
「はぁ〜」
朱莉は最近、ため息が多くなってきていたことを自覚していた。
最初の頃はまだ耐えられた。
みっちゃんグループの女の子に無視されたり、物を隠されたりする程度だったからだ。
だが、嫌がらせは次第にエスカレートしていき、みっちゃんグループ以外の子も朱莉を無視するようになり、上履きや教科書をゴミ箱に捨てられたりするようになっていた。
男子からはなぜかいやらしい目で見られるようになってきたので、おそらく変な噂も流れているのだろう。
問題なのは、先生に相談したが、真面目に対応してもらえなかったことだ。
いい先生だと思っていたのだが、そうでもないらしい。
これですぐに解決するという可能性はなくなってしまった。
いじめはまだ我慢できるレベルだが、我慢というのもずっと続けていると疲労が蓄積してくる。
早く終わらせたいが、いい方法は思いつかない。
(どこかに『報復屋』とかいないかなぁ)
朱莉の脳裏に浮かんだのは最近クラスで流行っていた『報復屋』という漫画だった。
その漫画では『報復屋』という男がいじめられっ子の依頼を受けていじめっ子に報復をしていく。
その報復方法がかなり猟奇的なサスペンスホラー漫画だ。
(……そんな人現実には存在しないんだけどね)
当たり前のことだが、朱莉にはそんな伝手はない。
それ以前に『報復屋』なんて漫画の中の存在で、実在するわけがない。
(……そういえば、あの漫画はみっちゃんから借りたんだったな)
『報復屋』は一ヶ月ほど前にみっちゃんが勧めてくるから読んだ漫画だ。
あれからまだ一ヶ月も過ぎていないなんて信じられない。
「どうしたの? 朱莉ちゃん?」
「あ、サグルさん。なんでもないですよ」
キッチンで立ち尽くしている朱莉にサグルが話しかけてくる。
朱莉はそんなサグルに対して笑顔で返事をする。
「そう? それならいいんだけど……」
サグルはどこか納得いかない様子だったが、朱莉が話すつもりがないのを察してか持ってきたゴミの分別を始める。
朱莉はさっきまでやっていた食器洗いの作業に戻った。
今日はお父さんの仕事の成功を祝して家で簡単なパーティが開かれていた。
パーティ自体はすでに終わっていて、今は片付けの途中だ。
サグルは片付けの手伝いのために残ってくれたが、他の人たちはすでに帰ってしまっている。
「……やっぱり何かあったでしょ」
「え?」
「またため息ついてる」
「あ」
準備と違って片付けはそこまで急ぐ必要がない。
だからこそいらないことが頭に浮かんでしまう。
どうやら、無意識のうちにまたため息をついてしまっていたみたいだ。
手も止まってしまっていて、ただただ水が流れっぱなしの状態になっていた。
サグルは朱莉の隣までやってきて出しっぱなしの水を止めてくれる。
「何かあるなら話してみてよ。誰かに話すだけでも気が楽になるからさ」
「え?」
「今、家に誰もいないし、ちょうどいいでしょ?」
「……」
確かに、今この家に聞き耳を立てる人はいない。
お父さんはお酒に酔っ払ってリビングで寝息を立てているし、お母さんはお父さんの代わりに酔っ払った父親の会社の人を車で送っている。
起きているのは今日うちに泊まっていくサグルだけだ。
朱莉の母親が強く勧めたこともあるが、サグルは夜に出歩くと高確率で職質を受けるそうだ。
車に乗っていてもたまに停められる場合もあるそうで、日が沈んでからは可能な限り出歩かないようにしているらしい。
いろいろ苦労しているみたいだ。
なんにしても、ここで話したことはサグル以外の誰にも聞かれることはない。
サグルが朱莉の父親に話してしまうかもと一瞬思ったが、サグルも朱莉の父親も口下手な方なので、あまり話をしない。
家に来た時もお父さんが呼んだ客なのにお母さんが間に入ってなんとか会話を取り持っていたくらいだ。
もしかしたら、サグルの情報はお父さんよりお母さんの方が詳しいんじゃないかと思う。
サグルから両親に伝わる可能性は低いだろう。
それに、両親が知ったところで、どうしようもないし。
「実は……」
朱莉はここ最近の出来事をサグルに話した。
***
サグルに話をして、少しだけ気が楽になったような気がする。
状況は変わらないが、話をできる相手がいるというだけでも心が楽になるものだ。
それからも、サグルには何度かメールや電話で愚痴に付き合ってもらった。
状況が変わったのはそれから数日後のことだ。
***
(あれ?)
その日、朱莉が学校に行くと、朱莉の席には普通に机が置いてあった。
最近は花瓶が置いてあったり、落書きがされていたりして、それの対処が朝の日課のようになっていたのに。
心なしか、クラスの雰囲気もいつもと違う気がする。
クラスを見回してみると、みっちゃんと目が合った気がするがすぐに逸らされてしまった。
他の人も目が合わないので、無視は継続しているようだ。
──キーンコーンカーンコーン
朱莉が何かする前に予鈴がなってしまう。
嫌がらせが嫌で、朱莉はいつも始業ギリギリの時間に登校しているため、これは仕方のないことだ。
流石に、みっちゃんたちも授業中は何もしてこない。
その日、朱莉はいつものように休み時間は校舎の隅っこにあるスペースに逃げて、やり過ごしたのだが、休み時間にも机や椅子にいたずらをされることはなかった。
***
「あ、あの! アカリ……さん」
「??」
放課後になり、さっそく教室から逃げ出して部活に向かおうとしていた朱莉に予想外の相手が話しかけてきた。
朱莉に話しかけてきたのはみっちゃんだった。
「えーっと。なにかな?」
「ごめんなさい!!!」
「え?」
どうやって逃げようかと考えている朱莉にみっちゃんは頭を下げて謝ってきた。
「え? ど、どういうこと?」
「実は……」
みっちゃんの話では、昨日、顔の怖い男が太田くんのところに訪ねてきたそうだ。
ちょうど太田くんが帰宅した時にその男は訪ねてきたそうで、男にビビり散らかした太田くんは大声でことの顛末を喋ったらしい。
本当は太田くんが朱莉に告白したことやどんな嘘の情報を流したのか、その時の告白のセリフまで全部だ。
みっちゃんは部屋からその様子を見ていたのだが、みっちゃんの部屋まで聞こえたらしいのだから相当ビビり散らかしていたんだろう。
それとも、太田くんは野球部だから声が大きかったのか。
最終的に太田くんの大声を聞いた近所の人が警察に通報したそうで、その男は警察に連れて行かれてしまったそうだ。
その連れて行かれ方も、かなり印象的だったらしい。
警察の人は「また君か」という顔をしていたし、男の方も「いつもすみません」と言っていた。
最後に「オイタはいい加減にしろよ」と言い残してパトカーに乗って行ったのだとか。
その様子を見て、みっちゃんも太田くんもその人が相当なワルだと認識したみたいだ。
そして、そんな人が太田くんのところにくる可能性なんて一つしか考えられない。
朱莉がそういう人に報復の依頼をしたと勘違いしたみたいだ。みっちゃんは熱心にあの漫画を布教していたから、みっちゃんの幼なじみである太田君も知っていたみたいだ。
あの漫画の主人公である『報復屋』は警察とも繋がっていて、ターゲットが警察に逃げ込んでも無駄だった。
本当は朱莉に直接謝って許してもらおうとしたのだそうだが、太田君は朱莉の連絡先を知らなかった。
唯一知っていた電話番号も朱莉がいたずらメールを止めるために変えてしまったし。
報復を恐れた太田くんはことの顛末を朱莉をのぞいて作ったグループラインに流したそうだ。当事者の太田くんは報復を恐れて学校にも来ていないらしい。
どれだけびびりなのか。あきれてしまう。
みっちゃんも報復が朝から怖くて謝ろうと思っていたのだそうだが、朱莉が逃げるため、今までタイミングが掴めなかったのだとか。
クラスのみんなも、そのせいで戦々恐々としていたのそうだ。
(顔の怖い男の人……)
朱莉の脳裏には父親の部下のぎこちない笑顔が浮かんでいた。
そういえば、サグルにもあの漫画貸した気がするな。
「ははははは」
「??」
朱莉はおかしくなって思わず笑ってしまった。
クラスのみんなはそんな朱莉の様子を不思議そうな顔で見ている。
「その人はね……」
私はサグルの話をクラスのみんなにした。
朱莉の大切なお兄ちゃんみたいな存在であると。