移住先のキリカたち
一年前、俺たちは山の麓に一番近いロガリア村に来た。近くにはフィアーカという大きな町もある。凄いことに領主様の計らいで、ただで家と大きな農地を貰ったんだ。今は毎日リリーの父であるおじさんと一緒に、薬草の世話をしている。頭のいいおじさんは、すぐに肥料の配合や様々な村特有の知識を理解した。それを惜しみなく俺に教えてくれるんだ。凄いだろ?
「キリカ、後は俺がやっておく。先月作った肥料を明日
「分かった。おじさん、俺の農地の方も見てくれてありがとう」
彼は作業の手を止め腕で汗を拭くと、俺を見上げて笑顔になった。
随分と日焼けもしたし筋肉も付いて、あの頃とは別人みたいだな。
「良いんだ、ついでだから。この後ケルンさんに呼ばれているんだろ? ここはいいから行って来い」
彼はそう言うと、機嫌よく道具を片付け始めた。
「うん。ありがとう」
いつもは一緒に後片付けをやっている。でも今日はおじさんに任せて先に帰ることにした。
おじさんはここに来てから優しくなったよな。それに前よりもずっと笑顔が増えた。
ケルンさんの家に向かって歩いていると、彼は娘のセリーナと一緒に農具を担いで歩いていた。夕焼けが彼らの背中を赤く染めている。
「ケルンさん!」
「おっ、キリカ、今帰りか?」
「うん。今から行こうと思ってたんだ。セリーナも今帰り?」
「……うん」
頰に泥を付けたままの彼女は、それを隠すように
「貸して」
「ありがとう……」
俺は彼女から農具を受け取り、ケルンさんと並んで歩く。彼の歩幅は大きくて、俺は少し急ぎ足でついて行った。
ケルンさんの家族には、村のルールや肥料の調達方法を教えて貰ったり、荷運びの時に人を集めて貰ったりと大変お世話になっている。俺やリリーの家族にとって大恩人なのだ。
「で、朝言ってた話って何?」
「いや、そんなにたいした話じゃない。明日、村の年寄りたちがフィアーカに来る聖女様に会いに行くんだ。荷馬車に乗せて送ってくれないか?」
聖女様? 一瞬心がざわついた。つい眉を顰めそうになり顔をそむける。
危ない、危ない。こんなにお世話になっているのに、嫌な顔なんて見せられないよ。
「いいけど、重い荷物とかあるの?」
荷馬車を操るだけならセリーナでも出来るのに、なんで俺?
「ないない。明日は
そういえば明日だっけ。じゃあ仕方がない。そうなると、村を出られる若者は俺だけだ。
「そりゃあ仕方ないよ。任せて」
「助かる」
ケルンさんの家の納屋に農具を入れて、俺は夕飯を食べるためにリリーの家に向かった。
俺たちは軌道に乗るまで税を免除されている。教会と領主様で決めたそうだ。
マリーの家族ってだけで、この待遇は正直いってありがたい。俺は聖女の家族じゃないのに。
この措置を村のみんなは不満無く受け入れてくれたんだ。こういう時に恩を返さなければ……。
とりあえず、リリーに内緒でおじさんに伝えないと。
「はぁー。明日のこと、リリーにバレたらどうしよう……。絶対に付いて来るよな……」
夕暮れの中、家々からは煙が立ち上り、どこか懐かしい香りが漂ってくる。俺は石を蹴りながら、暗い気持ちで歩いていた。隠し事は嫌だけど、聖女関係で騒ぎを起こされても困る。次は死罪もあり得るのに、リリーには危機感が無いんだよな。きっとおじさんなら何とかしてくれるに違いない。
ふと顔を上げると、少し先におばさんの姿が見えた。回復薬の仕分けの仕事が終わったんだ。
「おばさーん!」
駆け出した俺を見て彼女は笑顔で振り返る。
「転ぶからそんなに慌てないで。キリカ一人なの?」
おばさんもここに来てから随分と明るくなったよな。本当に良かった。
「ケルンさんに呼ばれてたんだ。おじさんもすぐに帰って来るよ」
「ケルンさんが? うふふ、そうだったのね」
彼女はとても楽しそうに笑っている。
「実はそのことでおじさんに相談があって。でもリリーに聞かれたら絶対にやばい」
「あら何かしら、怖いわ」
「実は『明日、村の年寄りたちを町まで連れてって』って頼まれたんだ」
「まさか、聖女に会いに?」
彼女は不安気に声を
俺は無言で頷いた。
「おばさん、リリーはマリーが来ることを知ってるの?」
「ええ、お父さんがね。リリーも最初は行きたがって
彼女は徐々に下を向く。
かなり揉めたんだろうな……。二人とも気性が荒いから。
「今は大丈夫なの?」
「一応ね。でもキリカが行くと知ったら大変だわ」
俺もそう思う。
「今日はこのまま帰るよ。おじさんに伝えといて」
「そうね、その方が良いわ。じゃ、後でお夕飯を届けるわね」
おばさんと別れて家に帰ると、倒れ込むように椅子に座って天井を見上げた。天井の木目がぼんやりと目に映る。
「任せちゃって大丈夫だったかな……。おばさんは意外と抜けてるし」
なーんか、リリーの前でうっかり言っちゃいそうなんだよな。
……。やっぱり俺が直接おじさんに言った方が……。
勢いよく立ち上がると、外からリリーの大きな声がした。
「ナタリーさーん! 私、キリカに夕飯持って来たの──!」
「あらあら、そんなに走らないの。料理がこぼれちゃうよ」
リリーをこっちに寄越したってことは、今頃おじさんと二人で話しているのかな。
流石おばさん! 疑ってごめんなさい!
「うへへ。キリカがおなか空かせてると思って!」
「大丈夫なの? ちゃんと味見した?」
「キリカは何でも
「そう、良かったわね。リリーは幸せ者よ」
それにしてもお隣のナタリーさんとの話が筒抜けだよ。
そんなこと言われたら照れるじゃないか。
「キリカ──、夕飯持って来たよ──。一緒に食べよ──」
俺は慌ててドアを大きく開けた。
「ははは。ありがとう」
「へへ。今日は初めて全部私一人で作ったんだよ」
お鍋の蓋を開けて「ほら」とスープを見せるリリーは本当に可愛いな。
半生だし味は
当時を知ってる俺たちは、リリーの変化に驚いている。あの旅でリリーはもの凄く変わったんだ。それに、この村じゃ読み書きが出来る人はみんな町に行ってしまうので、リリーが代わりに手紙を読んであげている。おかげで周りと上手く
プライドが高いリリーにはちょうど良かった。相変わらず仕事は続かないけど、俺はそれでもいいと思ってる。だって、リリーが努力を始めたんだから。
「凄いじゃないか! 次の春に俺だけ村に帰って、結婚の承諾を貰って来る」
「怒ってないかな?」
「ここは豊かな土地だし、仕送りもたくさん出来てる。もう怒っていないよ」
「それなら良かった」
リリーは少し恥ずかしそうに微笑んだ。
全部噓だ。本当は親からの最後の手紙は絶縁状だった。だから一年間、必死に仕送りをした。それでダメだったら親と決別し、リリーと一緒になる。その覚悟で一度村に帰って直接話をしようと思ってる。リリーの両親にもそのことは言ってある。二人はどんな結果でも受け入れると言ってくれた。その言葉が俺に勇気をくれたんだ。