聖女巡礼




 秋の夜風が窓からそよぎ、私の髪をそっと揺らして通り抜けた。

 その感触が、おじいさまの家のリビングで本を読んでいる私を現実世界に引き戻す。

 ふと外に目をやると、王都の街は夜の静寂に包まれて月明かりに照らされていた。


 ──この世界には七属性の加護がある。火・水・風・土・緑・光・闇。すべての人が五歳の儀式で適性に合った精霊の加護を取得する。しかし儀式の時に加護を奪われた私は、代わりに全属性の女神から精霊とは違う特別な加護を受けた。そして私は十七歳になり、転生前の十四歳を追い越してこの世界で生きている。──


 はぁ、もうこんな時間。

 ガインさん、遅いな……。


「待って、待ってシドさん! それダメだってば!」

「はっ、はっ、はっ。フェルネット、まだ諦めるのは早いぞー」

 向こうのテーブルで、師匠とフェルネットさんがチェスをしていた。

 私の隣に座るハートさんがクスリと笑って顔を上げる。そして再び本に目を落とした。


「こりゃ、厳しいな」

 おじいさまが首をひねってそう言った。何度も腕を組みなおし、師匠の背後からチェス盤をにらんでいる。師匠は頭に老眼鏡を載せて、駒を片手に笑っていた。

 まったく、大人おとなないんだから。

「テッド、どうにかなりそう? いや、どうにかして!」

 大きな黒い目のフェルネットさんが振り返り、後ろにいるテッドさんを仰ぎ見た。

「ちょっと待ってくださいね、ここをこうして……」

 冷たい紫の瞳のテッドさんは、駒を操るように空中で両手を動かしている。

 うふふ、なんだか楽しそうね。

 のぞきに行こうと腰を上げたら、玄関で剣が擦れて揺れる音がした。

 帰ってきた!


 赤い髪で大きな体のガインさんが、顔をこわらせてリビングに入って来る。

「おかえりなさいませ!」

「おう、マリー。ただいま」

「おかえり」「今、チェスしてたんだ!」「コテンパンです」「夕飯は?」

 向こうにいるみんなも、その場でガインさんに笑顔を向けた。

「ギルド長と食ってきた。くつろいでいるところに悪いが、ちょっとみんなに話がある」

「何かあったのか?」

 そう言って本を閉じたハートさんに、ガインさんはうなずいた。


「聖女巡礼の依頼が入った。出発は五日後、滞在は十日間」

「聖女巡礼?」

 私は思わず首をかしげる。

 何時いつだったかそんな話を聞いたことがあった。

 ガインさんは私を見ると、穏やかな笑顔になった。

「そうか、王都育ちのマリーは知らなくて当然だな。簡単に言うと、回復薬が飲めねぇ人や買えねぇ人を癒して回る旅だ。だが今回は、患者を一か所に集めるから巡礼とは言えねぇか」

「いったいで?」

 フェルネットさんがそう聞くと、ガインさんは少し顔を曇らせる。

 それを見て師匠がかたまゆを跳ね上げた。

「……フィアーカだ。俺の友人があの町でギルド長をしている。マリーも昔、立ち寄ったことがあるよな」

 その言葉に、部屋の空気が少し張り詰めた。


 ああ、あの町か……。五歳の時、ルバーブ村を出てガインさんたちと旅をした。確かその時初めて立ち寄った、山の麓の大きな町。王都からだと山を越えた向こう側。治安が良くて、暖かい冬服を買ってもらった思い出が……。フェルネットさんがへんてこなランプを買ってたっけ。


 ガインさんは私の正面に座ると、剣を脇に立て掛けた。

「近隣の町や村から人が押し寄せて、パニックが予想される。今回は聖女直轄部隊の第二聖騎士を警備用に連れて行く。第二は女性聖騎士ばかりだから、お前も楽しいだろう?」

「……はい」


 この表情は知っている。何かある時の顔だ。えて何も言わないのであれば、詮索するのはやめておこう。きっと防犯上、隠しておきたいことなのだ。それが何かは分からないけれど、これはガインさんの決めたこと。それなら黙って従うだけだ。


「それと、山越えは通常ルートを使う。二週間で行く」

「え? 通常ルートって、そんなに早く山を越えられるのですか?」

 私が驚いて周りを見ると、みんなが笑って頷いた。

「馬鹿言え。俺たちだけならその半分だぞ」

「えぇ……。半年もかかったのに……」

 当時の記憶が邪魔をして、距離感も時間の感覚もめちゃくちゃだ。

「マリーは五歳だったからね。無理をさせられなかったんだよ」

 隣に座るハートさんが大きな手で、うなれる私の頭をポンポンたたく。

「僕たちの修行もあったし、それにあの時は、ガインさんが特別に時間をかけたんだ」

 フェルネットさんが懐かしそうに私を見た。


 確かに私は何度も熱を出した。それに天候が悪ければ何日も足止めされた。そういえば、先にルートの安全確認もしてくれていたな。二人の修行に交ぜて貰ったこともある。狩りのために遠回りもしたし。

 そう考えると、妥当な時間か……。


「ま、そういうことだ。フェルネットはマリーの準備を手伝ってやれ、以上」

 いつものように解散され、テッドさんとおじいさまがチェスを片付け始めた。

「マリー、準備は任せてね」

 フェルネットさんが小悪魔のようなキュートな笑顔で、私に向かって片目を閉じる。

 相変わらず笑顔が可愛かわいすぎ。絶対に勝てる気がしないわ。

 大人になっても、この可愛い笑顔と中二病は昔のままだ。


「ガイン、ちょっといいか?」

 笑顔のままの師匠が、ガインさんを連れて出て行った。

 やっぱり何かあるのかな……。

「大丈夫だ」

 閉じられたドアを見ていたら、おじいさまがそばに来て強く手を握ってくれた。

 いつでもおじいさまは、私を大切にしてくれる。

「おじいさま、だーい好き」

 そのおじいさまの気持ちがうれしくて抱き付くと、ハートさんに笑われた。

 むぅ、また子供っぽいと思われてしまった。



 あれから五日がち、聖女巡礼の出発日。空が高い、秋晴れだ。

 朝早くから教会の正門前広場で、聖騎士さんやら白神官さんたちがバタバタしていた。

 同行するのは第二聖騎士二十名。ほとんど女性聖騎士だ。もちろん団長さんも女性。白銀のよろい姿がかっこいい。現地の聖騎士は十五名しかいないらしい。本部と違って部隊分けもされていない。逆に白神官は近隣からも来てくれるので数は足りている。だから今回は連れて行かない。


「ガインさん、馬車が見当たらないのですが……」

 馬車を探してうろついていた私は、ヒラヒラと白いワンピースをなびかせて、白神官に書類を渡しているガインさんの所に行った。

 ガインさんたちは、聖騎士の〝白い制服〟と色違いの〝灰色の制服〟を着ている。この日のために支給された制服なのだ。とても目立つしかっこいい。


「あ? 言ってなかったっけ? 今回は馬車じゃねぇ、馬だ」

「う、馬、ですか?」

「通常ルートだし、問題ねぇだろ?」

「ははは、乗ったことないのですが……」

「それも問題ねぇ。護衛も兼ねて、ハートの馬に同乗するはずになっている」

「っ! ……」

 ガインさんが『効率的だろ?』と言わんばかりにドヤ顔をした。

 いやいや、先に言ってよ。この服見てよ! ひらひらのスカートにヒールだよ!


「マリー、ここにいたのか。探したよ」

 ハートさんが片手を上げて歩いて来た。

「お、ハート。後は頼むな」

「ああ」

 言葉を失ったまま馬まで着くと、あからさまに上から下までハートさんに見られた。

「言っときますけど、馬で行くと聞いたのは〝たった今〟ですからね」

 私は片手でワンピースの裾を持ち上げる。

 これに関して私は絶対に悪くない。

「ふふふ、俺たちだから心配しなくていいよ」

 ハートさんが肩を揺らしてくすくす笑う。なんだ、私だけじゃなかったのか。

 フェルネットさんも向こうで苦笑い。

 だよね、洋服はカトリーナも呼んで、三人で選んだのにね。

 ファッションショーをして遊んだあの楽しいひと時は、何だったのかしら。

「こんなことなら、乗馬の訓練をしておけば良かったです」

「警護の都合で、この方が良いんだ。気にするな」

 ハートさんは馬に乗ると、私を自分の前に横乗りさせた。

 私は寄りかかってて楽だけど、重くないのかな?

「一人で乗れるようになりたいです。ハートさんにも、お馬さんにも申し訳ない」

「ああ、分かった、分かった」

 ハートさんが鉄の笑顔でほほんだ。

 ちぇっ、これは全く教える気のない笑顔。


「おー、いたいた。嬢ちゃん」

 師匠が満面の笑みでこちらに向かって歩いて来る。笑顔の師匠……何かありそう。

「師匠、お見送り、だけですよね?」

「まぁな。それより風魔法をちょっと」

「風魔法? ですか」

 師匠は馬の首を優しくでながらにっこり頷いた。馬は安心したように鼻を鳴らす。

 私は眉をひそめて師匠を見た。

 なーんか怪しいのよね。師匠に育てられたハートさんも、笑顔の時は何かあるし。この腹黒親子は本当にそっくり。


「こいつに負担がかからぬよう、風魔法で少し浮いてみろ」

「は? 浮くのですか?」

「テッドと二人で崖を飛んだろ? こんなに早く、必要になるとは思わなかったが」

 師匠がニッと笑う。

「な!」

 キラービーの崖は、このための修行だったのね! 何かあるとは思ってたのよ!

「シドさん、マリーにはまだ……」

「大丈夫だ。お前さんは嬢ちゃんを支えてやれ」

 ハートさんはやれやれと、あきれたようにため息をいた。



「そうだ、いいぞ。ハートも一緒に、薄く包み込むように、ゆっくりと、ゆーっくりと制御しろ」

 師匠が馬の様子を見ながら指示をする。言われた通り、魔力を薄く重ねて身にまとった。

「もっと薄く、伸ばすように」

 伸ばす? うーん。テッドさんと飛んだ時はもっと雑に魔力を纏ってた。これ以上薄くしたら落ちると思う。

「ここは崖の上じゃない、力を抜け。魔力を練って広げてみろ」

 ハートさんが後ろからそっとささやいた。

 私はアドバイス通りに霧状の魔力を、水の玉のように液状化してみた。これを練ってゴムのように弾力を……。

「いいぞ、安定してきた。そのまま魔力を固定しろ」

 数センチ浮かせた状態でやっと師匠が手を止めた。

「はい。加減が分かればこっちのものです」

 へへんと、私は胸を張る。こんなに魔力の密度を上げると、結構安定するものなのね。師匠の魔力の使い方は本当に多彩だな。もっと早く知りたかった。

「だから言ったろ?」

 師匠はハートさんを見上げ、勝ち誇ったようにそう言った。



「では、先導隊から出発してください!」

 秋の澄んだ空気が広場を満たし、白くて荘厳な正門は朝日に照らされて輝いている。白神官たちが忙しそうに門を開けると、私たちの旅は始まった。

 ガインさんは先頭で指揮を執り、フェルネットさんは索敵要員。テッドさんと私たちは聖騎士に囲まれて中央に位置し、後方隊は団長さんがまとめていた。


「大丈夫か?」

「それが……、馬車より楽でびっくりしています」

 ハートさんが後ろでフッと息を漏らす。私は振り返って彼を見上げた。

「マリーの魔法には毎回驚かされるな」

「ふふん。私、師匠の一番弟子ですからね!」

 弟子のあかしの、子ウサギストラップも持ってるし。イエイ。

「俺は半年以上かかったんだけどな、子供の頃に。最初は丸太で何度も練習した」

「丸太、ですか?」

「そう。何度も丸太を粉々にしたんだ。ふふふ、今回は流石さすがに無理だと思って緊張したよ」

 粉々……。ちょっと! 師匠は私を信用しすぎだって、恐ろしい。いや、後ろにハートさんがいたから無茶させたのか。


「ガード……してくれていたのですよね?」

「気付いていたのか?」

「いえ、丸太の話を聞いて気が付きました」

 てへっと笑うと、私を支えるハートさんの手にぎゅっと力が入る。

「マリーはすごいな」

「……」

 ハートさんに手放しで褒められると逆に怖い。鬼畜なハートさんの方が落ち着くかも……。

 違う! 心の中で慌てて否定する。

 危ない、危ない。何かに目覚めたら恐ろしいわ。

 どうか、鬼畜でなく、優しいハートさんでいてくれますように。