リリーの帰国 リリー視点




「やだ、まだ帰りたくない」

 朝食後、突然メイルスとブリッドが部屋に来て『家に帰れ』って言った。


「城に来てから半年が経つ。そろそろ家族が心配するのではないか?」

「そうですよ。夏になる前に、お帰りになられてはいかがでしょうか?」

 二人は必死に私を説得している。そりゃあ、ずっといるつもりはなかったけどさ。


 私は見慣れたこの部屋を見回した。天井にはシャンデリアが輝いて、壁によく分からない絵が飾られている。床の絨毯なんて、踏んでしまうのが勿体ないくらい。ここは何もかもが村と違う。素敵な香りの石鹼や艶々に光る宝石箱、ふわふわなベッドがあることも知らなかった。そしてこの国には大好きなナイアがいる。何も出来ない私を馬鹿にせず、一緒に笑ってくれるナイアが……。


「分かったってば! 帰ればいいんでしょ! 帰れば!」

 彼らの話を遮って背を向けた。ナイアとの別れが現実味を帯びてきて、胸が締め付けられる。

 慌てた二人は私の前に回り込んだ。

「護衛はこちらで用意しますから……」

「冒険者を雇いたいなら、私の名前を出して貰っても……」

「うるさい、うるさい! 勝手に誰か選んで連れて行くから、放っておいて!」

 ポンコツ共に構ってなんていられない。急いでナイアに伝えなきゃ。

 私は彼らを置いて部屋を出た。朝日で眩しい廊下を急いで歩く。

「とりあえずキッチンに……」


 薄暗い使用人専用のキッチンは、窓からの光がスポットライトのように差し込んで、とても神聖な場所に見えた。古びた木製の棚に調理器具が並べられ、様々な香辛料の香りが漂っている。隅にある古びた木製のテーブルに、朝食用の食材が運ばれていた。私は気持ちを切り替えるように、両手を広げて深呼吸をする。そして入り口に掛けてあるエプロンを着けた。


「これだって、最初は出来なかったのに……」

 野菜を手に椅子に座り、慣れた手付きで芋や野菜の皮を剝いていく。

 ナイアとの皮剝き競争でいつの間にか上手になった。味付けや、炒めるコツも教わった。料理が楽しくて大好きになった。すべてナイアのおかげ。

 もう二度と会えなくなるのかな。もっと大切に過ごせばよかった。もっとナイアを大切にすればよかった。最後に何かしたいな。思い出に残るような、何かを。


「あら、リリー。皮を剝いてくれたのね、ありがとう。これから朝の賄いを作るところよ。よっこらしょっと」

 ナイアのお母さんが、重そうな穀物の袋を肩から下ろす。体格のいい彼女はナイアと同じ温かみのある青い目をしていた。

「あ、おばさん! 実は……」

 私はナイフを置いて立ち上がる。熱い涙がボロボロと溢れて止まらない。

「どうしたの? 何があったの?」

 彼女は慌てて駆け寄って、私の顔を覗き込んだ。

「うえーん、実はね、ヒック。家に帰ることになったの……。お別れになっちゃうの……」

 おばさんは優しく私を抱きしめて、背中をトントンしてくれる。この温かさが心地よくて、私もぎゅっと抱き付いた。



「そう。リリーはナイアに何かしてあげたいのね」

「うん」

 たくさん泣いて落ち着くと、私はおばさんに相談をした。

「それなら料理を作ってあげたらどうかしら? とても上達したでしょう?」

「ナイアは喜ぶかな?」

 おばさんはとびっきりの笑顔で「もちろんよ」と頷いた。


「リリー、まずはこの野菜を切って。スープとお肉はこの火加減でね」

 彼女が丁寧に教えてくれる。お肉の焼ける音や香りが堪らない。私はこの幸せな時間を大切にしたいと思った。

「お肉も綺麗に焼けてるわね。ソースの方はどう?」

 肉汁や果樹酒と合わせたベリーがぐつぐつと煮詰まって、ソースが艶々になっていく。キッチンに甘い香りが広がった。最後に隠し味のお塩を一つまみ。

「おばさん、このソースはナイアから教わったの」

 彼女はスプーンですくって味見をすると、満足そうに頷いた。

「とーっても美味しいわ。こんなに複雑で美味しいソースは初めてよ」

「うふふ」

 たくさんの思い出がよみがえり、涙が溢れ出る。

 おばさんはゴシゴシと、エプロンで私の顔を拭いてくれた。


 途中から参戦した見習いのレオが、手際よくお皿を並べてくれる。

「用意が出来たよ! ほら、盛り付けはリリーがやりな! ソースはこう!」

 そう言ってお皿にソースで絵を描いた。

「わぁ、素敵。ここに焼いたお肉を並べればいいの?」

「そうそう、真ん中に。周りに茹でた野菜を載せて……。上手いぞ、リリー」

「出来た! 見て、見て、おばさん!」

 ベリーのソースで彩られたお皿の中央に、網目の付いた柔らかいお肉。その横に、飾り切りした人参と少し辛い香草を添えた。とっても綺麗な一枚のお皿。まるで絵画のよう。

「素敵ね! とっても美しいわ」「良かったな」

「ありがとう、おばさん、レオ」

「ほーら、泣くなって。じゃ、師匠は娘さんを呼んで来てください。後は俺たちがやるんで。なー、リリー」

「うん!」

 おばさんは嬉しそうにエプロン姿のままナイアを呼びに出て行った。

「レオ、本当にありがとう」

「いいんだよ。よーし、ちゃっちゃとみんなの分も盛り付けるか。きっと驚くぞ!」

 彼は手早くお皿を並べ、見本通りにソースで絵を描く私をサポートしてくれる。

 私は笑いながら泣きながら、すべてのお皿を完成させた。


「リリー、私に話ってなに? っていうかどうしたの、これ?」

 ナイアがおばさんと一緒に入って来た。使用人たちも続いて朝食を摂りに来る。テーブルには色とりどりの料理が美しく並べられ、ナイアと一緒にみんなが目を丸くした。

「おいおい、随分といい匂いがしてくると思ったら、なんだこれ」

「どうした? この料理は俺たちが食ってもいいのか?」

「綺麗なお皿だねぇ。何かのお祝いかい?」

 突然レオが、後ろから私の肩を摑んで前に突き出した。


「今日の賄いはリリーが全部作ったんだ。ほら、リリー。みんなに挨拶しな」

「あ、あの……実は私、帰国することになったの。だからみんなに、感謝を伝えたく……」

 頑張って涙を堪えたけど、途中までしか言えなかった。

「リリー!」

 ナイアが私に飛びついた。周りの大人たちは、私たちを囲んで頭を撫でてくれる。

 みんなの気持ちがあったかい。みんなの優しさに気付けて良かった。

「さぁ、みんな。せっかくの料理が冷めちまう。とっとと食べようぜ!」

 レオが叫ぶと、みんなは目頭を拭きながら席に着いた。


「リリー。このソース、すっごく美味しい!」

 隣に座ったナイアがフォークを口に運んで私を見た。やだ、目が真っ赤じゃない。

「このソースもリリーが作ったんだよな!」

 ふふ、レオが自分のことのように自慢してる。

「ナイアに教わったレシピだよ。美味しいって言って貰えて良かったー」

 私の言葉にみんなが目を細めた。

「どこに行ってもこの腕前なら大丈夫!」「そうだ! 俺たちが保証するぞ!」

 キッチンには私たちの笑い声と、料理の香りが満ちている。今まで食べたどんな食事よりも幸せだった。


「ありがとう、みんな」

 私はフォークとナイフをそっと置いてナプキンで口を拭った。ここで教わったテーブルマナーも挨拶も、気持ちのひっこめ方だって全部、ぜーんぶ宝物。

「リリー、家に帰っても料理作ってね」

「うん、絶対作る! ナイアから教わったスープの味も忘れない」

 私を見るナイアの顔はくしゃくしゃに崩れた。涙をポロポロと零しながら、それでも笑顔を必死に作っている。ナイアは強い。私のために頑張って笑顔でいてくれた。

「今日は二人で過ごしなさい。たくさん話をしてきなさい」

 ナイアのお母さんが私たち二人の頭をそっと撫でた。


 その日私は、初めてナイアをお城の温室に連れて行った。温室は王族御用達の貴重な花々で溢れ、太陽の光が花びらを美しく照らしている。ここの鍵は、メイルスから貰ったプレゼントの中でも一番のお気に入りなのだ。


「リリー、ここって使用人が入っても大丈夫? 凄く綺麗だけど……」

 ナイアは目を輝かせながら、色とりどりの花を見回していた。

「うふふ、今日は特別。本当はダメらしいんだけど内緒ね。ナイアにどうしても見せたかったんだ」

 私は彼女の手を握りしめる。

「一緒に歩こう」

「うん!」

 ナイアも強く握り返してくれた。


「リリー、また会えるよね?」

 上を向いた彼女の目には涙がまっている。

「もちろんだよ。絶対に会える」

 私は明るい声でそう言うと、力強く頷いた。

「約束だよ、リリー」

 ナイアの目からとうとう涙が零れ落ちた。彼女は私に抱き付いてわんわん泣いている。私はおばさんにして貰ったように、背中をトントンしてあげた。

 なぜかナイアにだけは心から優しく出来る。私の唯一の友達。一生忘れない。


 だけど心の中はどんどん冷たくなっていった。これが最後だと分かっているからだ。

 一番大切なものは、いつも手から零れ落ちる運命なのだ。



 その夜私が眠りについた頃、いつの間にか馬車に乗せられ城を出ていた。馬車の揺れが心地よく、窓から見える星空が美しかった。遠くに見える城の明かりが次第に小さくなっていく。

 きちんとお礼しておいて良かった。きちんとさよならが言えて良かった……。


「おい、目が覚めたか?」

 突然の声に顔を上げると、そこにいたのは前にクビにしたダジールだった。彼の顔には疲れが見え、少しやつれている。

「俺がお前を送って行くことになった。手間をかけさせるなよ」

 うっわ、最悪。こいつ大っ嫌い。ブリッドが選んだ護衛ってダジールなの?

 不機嫌そうなダジールは、顎で足元のカバンを指した。

 は? 見ろってこと?

「重そうで無理。開けて」

 舌打ちした彼は、いまいましそうに私を睨む。一呼吸おいて、カバンを持ち上げ蓋を開けた。

「これだ」

「あ、私のドレスと貰った宝石。全部置いて来たのに……」

「王子がお前へのせんべつだとさ。王都に着いたらこれに着替えろ」

 ダジールは蓋を閉めて再び足元にカバンを置いた。

「ねぇ、なんで私に渡したの? 黙って盗めばよかったのに」

「……」

「ねぇってばー。なんで? お金に興味ないの? 言わないと逃げ出しちゃうよ?」

 ダジールは大きくため息を吐いた。

「横取りして売ってもすぐに足がつく。そんなリスクを冒すほど金に困っていない」

「今は何して稼いでるの?」

「……」

「ねー?」

 何度も何度も、しつこく聞いた。

「……俺は元第二王子の護衛主任だぞ。あちこちから声がかかる。今は第一王子のもとにいる。そういうことだ。いいからもう寝ろ」


 なんで第一王子の所にいるダジールが私を送って行くんだろう。ふふん、喋るまでしつこく聞いてやる。家に着くまでの暇つぶしには丁度いいかも。

 外の風景が次第に変わっていくのを見つめながら、私は再び眠くなるまでダジールに質問を続けた。


 メイルスってばダジールと一緒に旅をさせるなんて酷いじゃない。家に帰ったら文句の手紙を書いて送ってやる!

 そして私は事件に巻き込まれたのだ。