囚われたマリー




 時は少し遡り、攫われた日の研究室。昼下がりの陽光が、机の上の薬品や器具を照らしている。白衣を着た私は時間を忘れ、いつものように研究に没頭していた。


「そーっと。そーっと」

 この薬草から麻痺の効果だけを取り出せたら……。

 ああああ、また失敗した。もう少し魔力を細く出来るかな……。

 更に集中し、魔力を糸のように細く練って薬品を垂らしていく。

 そーっと、そーっと。ゆーっくりと。心臓の鼓動が耳に響くほど、集中していた。


 背後でドアの開く音がする。きっといつもの黒神官だ。

「今日はガインさんたちと外食だからー、夕飯は要らないですー」

 背中を向けたままそう言うと、返事もなくドアが閉まる。

 ふと、その小さな音に違和感を覚えた。なんだろう、この静けさ。

 そういえば、ドアの外で見張りをしていたニールさんの気配もない。いつから?

 私は瞬時に考える。

 あのニールさんが音もなく無力化された? 脳筋の第三だよ? 単体でもA級冒険者レベルなのに。不意を突かれた? 違う、きしむ鎧の音さえ……しなかった。

 その考えに至った瞬間、自分の置かれている状況を把握した。

 ……しまった、防音結界だ。

 侵入者がミシリと床を踏む。こちらを警戒している様子はないし、殺気もない。

 私は手に水の玉を作り、ゆっくりと振り返った。


 え、いや、まさか、そんな馬鹿な。

 そこにいたのは高級なドレスを身に纏ったリリーだった。

 呆然とする私の手の平から、水がバラバラと床にこぼれ落ちる。


「マリー、久しぶり。ずっと会いたかったよ」

 にっこり微笑むリリーを前にして、私は足がすくんで動けなくなった。冷や汗が背中を伝う。冷静になって。リリーはもう大人。話の通じないあの頃とは違うはず。

 怯えを隠すように、わざとしつけにリリーを見た。彼女はお構いなしに、友人のように笑いかける。

 加護なしで苦労して来たかと思えば、いい暮らしをしていたみたい。さすが双子。見れば見るほど私にそっくり。


「どうして、ここに?」

 萎縮して声が震える。リリーはただ笑っているだけなのに。

「うふふ。私も聖女になるの」

 どういうこと?

「光魔法も使えないのに?」

「大丈夫。使えるようになっちゃうの!」

 リリーは当たり前のようにそう言った。そうだった。リリーはいつも言葉が足りない。

「意味が分からない。もう少し分かるように説明して」

「やれば分かるって。二人の幸せのためって言われたの! だから説明は後、後!」

 やれば分かる? 言われた? 誰に?

 ……あ、そうだ。

「リリー、ちょっと待って。外にいた見張りは? どうやって教会に入ったの?」

「普通に」

 彼女は不思議そうな顔をする。ああ、顔が同じだから、顔パス……。ちっ!

「私はマリーの味方だよ。せっかく会えたんだから、怖い顔しないでよ」

 リリーが無邪気に笑った。

 ダメだ、会話にならない。気力が吸われていく。どうせ通じない……じゃない。相手はもう幼児じゃないし。我慢しなくていいんだから!


「嫌! きちんと説明して! 私はもう、リリーの言いなりにはならないの!」

 初めてリリーに感情をぶつけた。トラウマなんて、克服してやる!

「マリー、違うの、信じて。これは本当にマリーのためなんだってば!」

 笑顔の彼女が上に向かって袋を投げると、キラキラとした粉が二人に舞い落ちる。慌てて口を塞いだが、そこで私の意識が遠のいた。



「うーん」と身じろぎをして目を開ける。

 体中が痛いし、頭も痛い。私は無意識に額に手を当てた。

「おはようございます、聖女様。お加減はいかがですか?」

 女性の声に驚いて、ビクッと肩が跳ね上がる。

 声のした方に視線を向けると、見慣れないメイド服を着た侍女が椅子に座って微笑んでいた。

 誰? あまりの驚きに声も出ない。

 混乱しながらも、視線だけでゆっくりと周りを見回した。

 部屋はとても広く、家具はすべて金色で統一されている。壁にも金色の装飾が施された大きな鏡が掛けられ、床にも豪華な金色の絨毯が敷かれていた。

 わぁ、見上げたシャンデリアまで金ピカに輝いている。豪華さもここまで来ると悪趣味ね。

 どういうわけだか分からないけれど、私はこの、豪華な部屋の豪華なベッドに寝ているようだった。

 どうしよう。何も思い出せない。


「こ、ここは……何処ですか?」

 久しぶりの発声に、一瞬声が詰まる。

「ヘンゼッタ王城です」

 王城? ヘンゼッタって隣国の? なんで? いつの間に。

 まったく状況が飲み込めない。

「毒を受けてから二日が経ったようです。すぐに軽いお食事をご用意しますね」

 彼女は固まった私を置いて、にこやかに退出した。

 毒を受けてから二日……。どうなっているの? 頭の中で疑問が渦巻く。

 ゆっくりと体を起こすと、自分が白衣を着ていることに気が付いた。

「あ! そうだ。リリーだ。リリーが来たんだった」

 そして自分のかつさを呪いたくなった。


 約十三年ぶりの再会という衝撃もあったけど、それにしても酷過ぎる。研究室には防音結界が張られていた。確実に闇属性を使える誰かが潜んでいたのに。

 もう、私の馬鹿、馬鹿。リリーを見て、頭の中が真っ白になるなんて。ニールさんは無事だろうか……。何かあったら私のせいだ。まさかリリーがこんな大それたことをしでかすなんて。でもあれは、多分誰かに操られていた。リリーはいつも支配する側で、される側ではないはずなのに。


「いや、今は考えても仕方ない。まずは解毒と回復」

 私は急いで自分の体を回復させる。良かった。魔力を封じられていない。

「あー、すっきりした」

 重かった頭が軽くなった。まだ毒が抜けきっていなかったのね。リリーは無事なのかしら?

 私は再び毒を浴びても平気なように、毒無効化の結界を身に纏った。これは、光魔法の解毒魔法と闇魔法の結界魔法を組み合わせた私オリジナル。


「こういう時は『毒と魔法陣と魔道具に気を付けろ』だ」

 ガインさんに何度も復唱させられた。まさか役に立つ日が来るとはね。

 目を凝らして辺りを見ると、派手な壁に、かすかに光る魔法陣が描かれていた。やはりこの部屋は防音結界が張られている。ま、お城の客室なら当然か……。


「それにしても、まいったなぁ」

 あまりにも限度を超えた状況が、なんだか面白くなって来てしまう。

 隣国の王城だろうが身の危険を感じたら、全力で魔法を放ってやる。魔法の撃ち合いで私に勝てる人はいない。問題は魔法が封じられた時だ。魔力封じの魔法陣や魔道具に気を付けなければ。


「後は……どうにかしてガインさんに連絡を付けないと。心配しているだろうなぁ」

 私はベッドを出て窓辺に立つと、朝日に照らされた庭をじっと眺めた。

 みんな心配しているだろうな……。おじいさまにぎゅっとして欲しい。



 侍女は手際よく朝食を用意して、目の前ですべての毒味をしてくれた。彼女の動きに無駄が無い。

 怖くないのかな? 私は毒を受けて、ここへ来たのに。

 彼女は私の味方ではないが、敵でもないらしい。食事は意外においしかった。温かいスープが体に染み渡る。

 確かこの国の食料は、輸入で賄っているのよね。ここは魔宝石が有名な国。採掘量が安定している豊かな国。そして聖女がいない国……。


 さて、隣国の王城で下手に動くことも出来ないし、どうしようか。

「聖女様、少しお時間を頂けますか?」

 ソファーに座って窓の外を眺めていると、いきなり侍女が私の前で膝を突いた。

 何事かと目を見張る。

「今しか話せない重要な話です。発言をお許しください」

 今しか話せない重要な話? 今のところ、彼女しか接触がないし……。情報を得るチャンスかも。

「許します。何かしら?」

 敢えて作り笑顔を崩さず警戒心を剝き出しでそう言った。せめてもの威嚇だ。

「私はスージーと申します。この国の第一王子付きの侍女です。王子の彼女の一人と思ってくださって結構です」

 は?

「王子の彼女の一人?」

 侍女はコクンと頷いた。

 いきなりスージーと名乗る初対面の侍女さんが、ぶっちゃけトークをするから面食らった。けれど、彼女は女子トークで彼氏の話をしているわけではなさそうだ。

 これが作戦なら完敗だな。私は彼女の話の続きが聞きたくてたまらない。


「長くなりそうね。スージーもそこに座ってお話しましょうよ」

 私が正面に座るよう促すと、彼女は緊張でかくかくしながら隣に座った。え、隣?

「わ、私は決して聖女様の誘拐に関与しておりません! これだけは信じて頂きたいのです!」

 彼女は青い顔のまま、ガバッと勢いよく頭を下げる。誘拐というより有無を言わさずに連れてこられたんだけど。どっちでもいいか。

「信じましょう」

 私が引き気味にそう言うと、彼女はホッとして私のお茶を一気に飲んだ。

 おそらく彼女は巻き込まれたのね、わいそうに。動揺しすぎだけど。


「この後、私は聖女様が目覚めたことを第一王子に報告に行きます。なので手短に話します」

 そう言って黒幕が第一王子であること、第二王子に罪を被せようとしていること、そしてこの事件に関わったと思われる二人の名前が書かれた紙を渡してくれる。

「でも、現在第一王子とお付き合いされているのですよね? 良いのですか?」

 私は貰った紙を白衣のポケットにしまい込んだ。

「そりゃあ、彼の財力は魅力的ですし、誰もが憧れる王子様ですからね。でも、もうこれでおしまいです。いくらなんでも、聖女様を誘拐するような馬鹿とは一緒にいられません」

 第一王子も酷い言われようでちょっと笑える。

 いや、彼氏が犯罪者になったらこんなものか。

「それもそうですね」

「それで、一つお願いがあるのです。他の使用人たちも事情を知らない者が殆どで……その……」

 ああ、そういうこと。彼女は優しい人なのね。

「大丈夫です。罪に問われないよう口添えします」

「ありがとうございます!」

 またもやスージーがガバっと頭を下げた。澄ましていた時とは印象が全然違う。

 使用人だけじゃなく、他にも第一王子に巻き込まれた人たちもいるはずよね。

 帰ったら、寛大な処置にして貰えるように言わなくちゃ。


「それより、第一王子と別れた後はどうするの?」

 スージーが顔を上げるとふわっと微笑んだ。

「実家に戻ります。下級貴族の末娘がここまで上り詰めたのですもの。堂々と帰ってやりますよ」

 第一王子を手玉に取ったこの笑顔。私も魅了されちゃったかな。

「スージーなら何処ででも生きて行けそうですね」

「もちろんです! 私、意外とたくましいんです!」



「ヨルスアージュ第一王子。聖女様がお目覚めになりました」

 聖女に付けていた侍女のスージーが報告に来た。私は彼女を一番信頼している。賢い彼女は決して自分を誰かに利用させない。秘密を絶対に漏らさない。そして私が彼女を捨てたとしても、絶対に裏切らない。それらはすべて、死を意味すると知っているからだ。


 待ちに待った報告に、私はソファーから勢いよく立ち上がる。

「おお、そうか! 様子はどうだ?」

「軽く朝食を摂った後、今は寛いでいらっしゃいます」

 流石聖女だな。こんな状況でも取り乱したりしないのか。騒がれたり、メソメソ泣かれたりしないで助かった。むしろ私の方が取り乱している。

 さぁ、ここからが本番だ。まずは彼女の不安を取り除き、私しか頼る者がいないと思わせないと。

 意外に聖女みたいな高嶺の花は、誰にも口説かれず免疫がなかったりする……。

 あれ? もしかしたら簡単にいけるかも。

「よし! 面会の準備をしてくれ。そこに置いてあるドレスを彼女へ」

 聖女のために用意したドレスや靴、宝石の入った箱を指した。

「かしこまりました」

 スージーはそれらを台に載せて部屋を出る。

 それにしても、あのダジールというメイルスの元護衛は凄いな。


 ──帰国する偽物と、本物を入れ替えて戻ってきます。──


 まさか本当に本物を連れて帰って来るとはな……。

 メイルスの部下は優秀な者が多い。私の部下ならこうはならなかった。やはりあいつは危険だ。


「聖女様の準備が整いました。応接室にてお待ち頂いております」

「よし、すぐに向かおう」

 私は気合を入れて背筋を伸ばすと、応接室に向かって廊下を歩く。

 ほう。きちんと人払いがされている。窓の外にも誰もいない。流石スージー。私の意図を理解している。やはり今回は、事情を話して正解だった。今後はメイルスの暗殺にも協力して貰おうかな。


「聖女様。ヨルスアージュ第一王子がいらっしゃいました」

「はい」


 おお、これは……。

 窓を背に立つ聖女は、存在感がまるで違う。これは威圧感だろうか。……いや、殺気か?

 この私が思わずたじろいだ。

 彼女は私の選んだドレスの裾を軽く持ち上げて、優雅にお辞儀をする。


 あの大国の、シルバリークの王族ですら容易に会えないと聞いていた。その聖女が今、手の届くところにいる。ああ、彼女を私の妻に出来たなら、王位どころか教会の上にも行けるはず。それはまるで、世界の王ではないか。期待で胸が膨らむ。


 彼女がソファーに腰を下ろし、私は促されて正面に座った。私たちのお茶を出したスージーが、彼女の後ろにスッと控える。聖女はこの場のすべてを支配していた。

 ……ここがまるで彼女の城のようだ。


「せ、聖女様、我がヘンゼッタ王国へようこそ!」

 気を取り直して両手を広げ、私が歓迎の意を示すと、彼女はとても美しく微笑んだ。

 喜んでくれているのかな? 胸が高鳴り言葉が続かない。

「……わたくしの予定に、ヘンゼッタ王国への訪問があったのかしら?」

 彼女は顔だけで笑って私を見る。目が全然笑っていない。まずいぞ、多分怒っている。

「急なことで驚かれたであろう。まずは事情を説明させて頂きたい」

「……」

 彼女は作った笑顔のまま動かない。沈黙が重くのしかかる。

 私は話を続けることにした。


「コホン。驚かないで聞いて欲しい。愚弟が聖女様の偽物を用意した。そしてその偽物を利用して聖女様を拉致。私はその計画を先に知り、聖女様を救出して保護したのだ!」

 第一王子の私が聖女を助けた英雄だとアピールしているのにもかかわらず、彼女は眉一つ動かさない。

 なぜだ? おかしいぞ。ここは感謝される場面だぞ。

「あの……聖女様?」

「はい?」

「ですから、私があなた様を助け出したのです」

 彼女の冷たい視線が私を貫く。

 礼くらい、あってもいいよな?


「ところで、わたくしの身の安全は保障されているのかしら?」

 彼女は笑みを深くしてそう言った。

「そ、それはもちろんです! ご安心ください! 聖女様のことは、この私が命に代えても守って見せます!」

 私の愛想笑いの顔が歪んでいく。まるで道化だ。なぜこの私がこんな目に。

「頼もしい限りです」

「何か必要なものがあれば何でもご用意させて頂きます。ぜ、ぜひ、そこのスージーにお申し付けください」

 それでも彼女の表情は変わらない。これが歴代最高と言われる聖女の貫禄か。

「それではわたくし〝病み上がり〟で少々疲れましたので、失礼させて頂きますわ」

 そう言って私と目も合わせずにさつそうと出て行った。


 病み上がり……。

 ラーセンに言われた通りに説明したが、反応がイマイチだったな。むしろあれは……。

「なぁスージー。聖女様は怒っていたか?」

 私は不安になってスージーを見る。

「そうは見えませんでした」

 あれで?

「女性はどうすれば男に惚れるんだ?」

「わたくしの場合ですが、財力を見せつけるとよろしいかと」

「うむ」

 そうだよな、何でも買ってやると言って喜ばない女性はいないよな。

 ドレスや宝石を贈ったりすればいいのか?

 でも聖女は立場上、願えば何でも手に入る……。

「欲しいものをすべて買い与えてやってくれ。他にも彼女が望むものを望むままに」

「かしこまりました」

 女性はみんな絵本のように、王子の嫁になりたいと願うはずだ。私が女でもそう願う。

 彼女が望むなら、今付き合っているすべての女性と手を切ってもいい。

 そうなると、スージーときちんと別れないといけないな。惜しいが仕方ない。

 私は聖女の絶大な権力に惚れたのだ。絶対に手に入れてみせる。



「聖女様、寒くないですか?」

 雲が月を隠して窓の外は真っ暗だ。部屋の中は静まり返り、窓が風でガタガタと揺れている。

 私は先ほどの防音結界の施された金ピカ部屋で、スージーから渡された紙を持て余していた。


「ねぇ、スージー。第一王子は何でも買ってくれるって言ったのよね?」

「はい。申しておりました」

 毛布を掛けてくれたスージーがにっこりと頷いた。

「だったら、協力してくれたスージーも、この紙に欲しいものを書く権利があると思うの」

「え? よろしいのですか!」

 彼女ははじけるような笑顔になる。

「だって、スージーがあの時教えてくれなかったら、私はすっかり騙されていたと思うのですよ?」

 彼女は『いえいえ』という仕草で片手を振りながら、差し出した紙を受け取った。


「それにしても、さっきは笑いを堪えるのが大変でした。聖女様の笑顔はどんどん怖くなっていくし」

「私もですよ。笑顔に力が入りすぎて、第一王子の怯える顔が……はははは」

「あははは、思い出すからやめてください! 笑いすぎておなか痛い」

 スージーがヒーヒーとおなかを抱えて笑いだす。部屋は二人の笑い声に包まれた。


「スージーに救われた弟さんの第二王子は、どんな方なのですか?」

「世間では運だけの馬鹿王子と言われてますが、会ってみると意外に良い人ですよ」

「へぇ、運だけの馬鹿王子って言われているのですか、面白そう」

「側近が優秀って噂です」