毒
「マリ──!!」
フェルネットの悲鳴が聞こえて、俺の頭は真っ白になった。
急いで飛び込んだ部屋の中は、キラキラとした粉が舞っている。
なんだこりゃ。
「入らないでガインさん! 毒かも知れない! 布で口を塞いで!」
「俺はいい! とにかくマリーを医務室へ!」
顔を覆ったフェルネットがマリーを抱えて部屋を出た。俺はすべての窓を開けてから、フェルネットを追いかける。
「おい! お前! 聖女が毒を受けた! 研究室の一番奥の棚にある薬を、すべて医務室に持って来い! 部屋の中には毒が充満している! 気を付けろ!」
「は!? はい!!」
通りかかった黒神官に、すれ違いざまに指示をした。マリー、無事でいてくれ……。
医務室に向かう途中、騒動に集まって来た白黒の神官たちに「賊が出た」と触れ回る。
「教会の警戒レベルを最大に上げろ!」
「「はっ!」」
「黒神官を一か所に集めて安否確認! 誰か
「「はっ!」」
それから俺は『爺さんやシドさんに連絡を』『第二を医務室に呼べ』『怪我人が倒れている』と、手あたり次第に指示を出しながらフェルネットの後を追った。
「ハートさんは!?」
「テッドと一緒に賊を追いかけた!」
走りながらフェルネットが頷いている。
身軽な二人が瞬時に向こうを選択してくれた。流石の判断力だ。
袋の中身はおそらく人だ。あっちはハートに任せよう。

ハートさんが窓を蹴破った。私も庭を逃げる賊を追いかける。
「テッドはそのまま賊を追え!!」
前を走るハートさんの指示が飛ぶ。途中で二手に分かれ、私は指示通りに走り続けた。いったい何が起こっている? 賊の目的はなんだ? あの厳重な教会の警備を
突然の出来事に混乱していた。
夕日に照らされた教会の門を、無心で走り抜ける。
「テッド! 外壁門で待ってろ!」
後ろから馬で追って来たハートさんが勢いよく追い越して行った。
息が上がってフラフラになりながらも外壁門に辿り着くと、ハートさんが向こうから馬でゆっくりと戻って来る。私はその場に座り込んだ。
「賊は援護もなしに単独で逃げた。人通りが一番多いこの時間に」
ハートさんは顔色も変えずにそう言った。
「はぁ、はぁ、王都の中に仲間がいる可能性は?」
「中にいるならガインさんが見つけ出す」
彼は門の中に視線を向ける。夕暮れの王都には、警戒レベルが上がったことを示す青い
「なんだ、なんだ? 教会で何があったんだ……」
門番たちがわらわら出て来て、
「門番、あいつに馬を用意してくれ。テッドは息を整えておけ」
聖騎士と同じ灰色の制服を着た私たちに、門番は何も聞かずに頷いた。
ハートさんは馬を下りて道を丹念に調べ始める。私はくたくたで返事すら出来なかった。
「こっちか……やっかいだな」
眉を寄せたハートさんが、東南に森を抜ける道を指差した。確かにその先は国境しかない。私なら迷わず山に向かう。空間の歪みを利用して潜伏する。仲間と合流すれば国土の広いこの国で、魔力を封じたマリーを隠すことなど容易だからだ。
「あの、馬を……」
門番が馬を連れて来る。
「ああ、それは私が……」
息を整えて馬に飛び乗った。
「門番、俺たちは東南に森を抜け国境に向かう。すまないが、ハートからだと、そう教会に連絡してくれ」
「はっ!」
「テッド! 追うぞ、死ぬ気で付いて来い」
「はい!」
追いかける私の馬も、彼の風魔法でスピードが上がっていた。制御出来るギリギリだ。気を抜いたら落馬する。魔力を温存するより追い付く方が優先か。私への信頼があるからこその選択だ。それがとても嬉しかった。辺りがどんどん暗闇に包まれて行く中を、只々無心で馬を走らせた。しばらくすると前方から風に乗って、馬の

「どいてくれ!! 聖女が毒を受けたんだ!!」
俺は夢中で医務室に飛び込んだ。医者や白神官たちが、驚いている。
後から入って来たフェルネットが、大事に抱えたマリーを奥のベッドにそっと寝かせた。
「神官! 採血の用意!」
女性の医者がそう叫ぶ。その声に、固まっていた白神官たちが一斉に動き出した。
「男性陣は下がってください!」
すぐにカーテンが閉められ、俺たちは締め出されてしまう。仕方がないがもどかしい。
「ガイン様! はぁ、はぁ。研究室から薬! 持ってきました! はぁ、はぁ」
息を切らした黒神官が、ガチャガチャと音を鳴らして箱を抱えて入って来た。先ほどすれ違った黒神官だ。顔に布を巻きつけている。
「こっちに頼む! 良くやった!」
俺は近くの机を指さした。
薬、薬、薬、薬。自分の身に何かあった時、応急処置で飲ませろって……。あいつの好きなピンクのラベル。散々自慢されたんだ。これを作るために、自分の血を分解したとかなんとか……。盗まれずに残っていてくれよ……。フェルネットも必死でラベルを確認している。
「あった! 〝マリー専用解毒薬〟これでしょ?」
フェルネットがピンクのラベルを俺に見せつけた。
「それだ! でかしたフェルネット! 医者! 解毒薬が見つかった!」
医者がカーテンの中から飛び出してくる。
「解毒薬? 毒の特定もまだなのに?」
「カーテンを開けなさい」
白神官がカーテンを開けると、医者は薬をマリーの口元に垂らしていく。すぐにマリーは嫌がるように身じろいだ。俺は両手を組んで神に祈った。頼む。何でもするから間に合ってくれ!
しばらくするとマリーの呼吸が安定し、苦しそうな表情も幾分か和らいだように見えた。
「聖女様の薬は凄いですね」
医者は薬の瓶をもう一度手に取ると、ラベルを見ながら肩をすくめる。
「応急処置にはなったようですが、完全に解毒するにはやはり毒の特定が必要です。目覚めたらご自分で解毒して頂けるので、必要ないかも知れませんが……」
医者の言葉にホッとして、俺はその場にへたり込んだ。
マリーにしか効かない解毒薬。シドさんに作らされたって言っていた。自分で解毒が出来るマリーには無駄だと思っていたが、さすがだな。意識を失って、更に毒が特定出来ないことも想定済みとは。確か石化の薬がどうとかで揉めてたな。
マリーの真っ白だった頰に赤みが少し差して来ていた。

「教皇様!! 賊に侵入され、マリー様が毒を受けました!」
血相を変えた白神官が叫びながら飛び込んでくる。外の騒ぎはこれだったのか。
「容態は?!」
先に声を上げたのはマリーを崇拝しているモーラス司教だ。
「一命は取り留めましたが
白神官が首を振る。
「侵入した賊はどうした?」
「賊の方はハート様とテッド様が追っています。東南に森を抜け国境に向かったと外壁門の門衛から連絡が入りました。また、黒神官が連れ去られた可能性があるようです。すでにガイン様が全員の安否確認を第三に指示されています」
「そうか、後で報告を頼む。それにしても、賊はなぜ国境に? どちらの側の国境警備にも捕まる恐れがあるのに。まずは連れ去られた者の特定じゃ」
「はっ、すぐに」
白神官は急いで部屋を出て行った。
素直に国境へ向かったとは考え辛いな。確か、しばらく先で西に行けば川に出られるはずじゃ……。国境へ向かうと見せかけて、本命は川? 川を上って山に入るのか?
「教皇様。川を使って逃げるなら、逃走経路は西ですかね? 山に入られたら捜索は困難になります」
やっぱりモーラス司教も同じ考えか。
「急いで第五を先回りさせるのじゃ。誰か、ガインたちの方の状況の確認を」
「はっ」
伝令の白神官が走って行く。
「教皇様、第五を動かすのですか?」
納得のいかない顔でモーラス司教がわしを見る。
「情報を聞き出したいのじゃ。やむをえまい」
「いえ、第四でと進言させて頂こうと思ったのですが、そうでございますね」
「心配するな。容赦はせんよ」
第五の隠密部隊は情報のためなら非道な拷問も辞さない奴らじゃ。第四の暗殺部隊を使ってしまえば黒幕の情報が取れぬではないか。モーラス司教はマリーに危害を加えられたことで我を忘れている。怒りを抑えて冷静になってくれるとよいのじゃが……。

「マリー!!」「嬢ちゃんは!?」
シドさんが爺さんを連れて到着し、二人はマリーに駆け寄って行く。
「なんてことだ!」
爺さんはマリーの手を握るとベッド脇の椅子に座った。
涙を流す爺さんの横で、シドさんがマリーを見ながら眉を顰めている。
「ガイン、これ……嬢ちゃんじゃないぞ」
何?
驚きで声も出せずにシドさんを見上げた。
慌ててマリーに駆け寄ったフェルネットが、神官をどかして毛布を剝がす。
「ほんとだ……。これ、マリーじゃない」
フェルネットが脱力して床に座り込んだ。
医者も白神官たちもベッドを囲んで目を見開いている。
え?
「じゃあ、こいつはいったい誰なんだ……」
「おそらく、妹ちゃんではなかろうか……。上手く化けたもんだな。ガイン、厄介なことになったぞ」
シドさんが閉じているリリーの目の色を素早く確認し、難しそうな顔で腕を組んだ。
爺さんは「リリーなのか?」と放心状態だ。
寝ているから分かりにくいが、そう言われると確かに少し雰囲気が違う。でも、俺の知っているリリーとは別人だ。薬が効いたのは双子だからか? 俺たちはベッドで寝ているマリーの偽物を凝視する。確かにマリーはこんなにジャラジャラと高価なアクセサリーを着けねぇ。それに研究室にいたのならマリーが作ったあの〝白衣〟を羽織っているはず。それでなくてもこんなに高価なドレスを夜会以外で着るはずがねぇ。
「……じゃあ、マリーはどこだ?」
その自分の呟きに血の気が引いた。
「あいつが担いでいた袋の中だ!」
フェルネットが興奮して立ち上がると、シドさんに「落ち着け」と椅子に座らせられた。
俺はそれを眺めながら、耳鳴りがしている頭で考える。
賊が背負っていたあの袋の中にマリーが? ハートが追いかけた、賊の方……。
「聖女様が攫われた?」
横にいた白神官が事態を知って慌てだす。
しっかりしろ俺。神官たちと一緒に動揺してどうする。
「みんな落ち着け! リリーから情報を引き出すのが先決だ! 引き続き毒の特定を頼む!」
「「「はい!」」」
青ざめていた白黒の神官たちが揃って頷き、治療を再開し始めた。
「爺さん、ここを頼む」
俺はフェルネットとシドさんを連れて、第二聖騎士を待機させている別室へ向かった。

「ガインさん! 説明を!」「聖女様の容態は?」「無事なんですか?」
部屋に入るといきなり白神官や聖騎士たちに囲まれる。
「落ち着きなさい! 聖女は誘拐された! 安否の確認は出来ていない!」
シドさんが動揺する聖騎士たちを一括すると「しっかりしろ」と俺の肩を強く叩いた。
俺が椅子に座ると、その周りを聖騎士たちが取り囲む。
「ガイン。嬢ちゃんに何があったのか、事の成り行きを最初から説明してくれんか?」
俺はみんなを前にして今日の記憶を辿り始めた……。
聖女警護隊のこと、教会所属になったこと、賊がマリーを担いで逃げたこと……。
「そして気が付いたらこんな状況だ。会議の日程は前から決まっていたもので、スケジュールの入手は誰にでも出来た。研究室の護衛に俺たちがいないことは簡単に調べられたはずだ」
丁度そこに、体を血まみれにした第三の聖騎士が息を切らせて飛び込んでくる。
研究室の外で倒れていたニールを医務室に運んだ者だ。
「容態は?」
全員が注目して息を吞む中、彼は笑顔で頷いた。
「開発途中の、あの強力な回復薬をとっさにかけたらしいです! 背後から首を切られたのに」
「命拾いしたわねー」「良かった!」「流石ニール!」
あちこちで歓声が上がり、第二の聖騎士たちが肩を叩き合っている。
俺が見た時は貧血で気を失っていただけで、今は元気に回復薬をがぶ飲みしているらしい。
マリー、お前がニールを助けたんだぞ。お前の回復薬で。
「みんな聞いてくれ!」
俺は立ち上がると拳を手の平に叩き付け、自分に気合を入れた。
彼女たちは素早く俺の前に姿勢を正して整列をする。
「聖女は攫われた! 取り戻すまで気を抜くな!」
「「「はっ!」」」
「既に門番や巡回兵が王都全体の警戒にあたっている。賊はハートとテッドが追いかけた。今はこれ以上の情報がない。いつでも出動出来るよう準備をしておいてくれ。以上、解散!」
聖騎士たちが一斉に部屋を出て行く。
「白神官たちは教皇様に今の状況報告と、何人かは城にいる聖騎士たちのフォローに向かってくれ」
「「「はい」」」
俺の話を記録していた白神官たちも、急いで部屋を後にした。
部屋が静かになると、残ったフェルネットとシドさんが俺のもとに来る。
「平気か? ガイン」
「……研究室には開発中の貴重なサンプルや、世に出してはならない危険な劇薬まである。俺はそれを狙った賊だと思ったんだ」
「ああ」
シドさんが俺の肩にそっと手を置く。
「リリーがここまで大それたことをするとは思わなかった」
しかもこの俺が、マリーとリリーを見分けられなかったなんて。
悔しくて机を殴りそうになり、手を止めた。
「妹ちゃんは利用されただけだと思うぞ。そうでなければ毒など盛られたりしない」
「リリーは自分の損になることは絶対にしない。僕もそう思う」
シドさんが「少し休め」と言ってくれた。
「すべてが明らかになるのは、妹ちゃんが目を覚ましてからだな。さっき神官から聞いたが、門衛も教会の警備も、みんなあの子を聖女だと思って確認すらしなかったそうだ。更に詳細を調べているらしいが、たいした情報は出て来ないだろう」
「ガイン様!」
そこに息を切らした黒神官が部屋に駆け込んで来る。
「教皇様から第二聖騎士団に出動命令が出されました。ハート様を追いかけて東南の方角に森を抜けて国境に向かったそうです」
「そうか。報告ご苦労。少しそこで休んでいけ」
フェルネットが黒神官に水を渡している。
「ガイン、相手はかなりの大物かも知れん。妹ちゃんの宝石もドレスも相当な物だ。手間も時間もかなりかけている。向かった先が国境なら厄介なことになるぞ」
シドさんが全身に殺気を帯びたまま部屋を出た。
ゆっくりと閉じてゆくドアを眺めていたら、幻が見えてくる。呆れた顔のハートがマリーを抱え、俺たちはそれを見て笑うんだ。絶対にまた、いつものような日常を取り戻して見せる。
マリー、訓練通りに身を守れよ。