キリカの決意
「危ないなぁ……」
見たこともないほどの高級な馬車が、横をスレスレに抜いて行く。
「こっちには年寄りが乗ってんだ。少しは気を使って欲しいよ」
……って言っても通じないか。
道端の草が風に揺れ、静かな田園風景が広がる中で、身なりの良い御者の男が手を振っている。周りを見ても、馬車は見当たらない。何かあったのかな?
「みんな、ちょっと馬車を停めるけど降りずに待っててね」
「ああ、わしらは平気だ」「大丈夫だよ」
俺は後ろに乗った年寄りたちに声をかけ、ゆっくり御者に近付いて荷馬車を停めた。
「どうしたの?」
「すみません。あなたがキリカさんですか?」
「そうだけど……」
御者の男はホッとして、懐から手紙を取り出した。
「これは?」
「リリー様からです。それではこれで」
それだけ言うと御者の男が頭を下げて走り去る。
「ちょっと!」
なんなんだよ、もう。
「リリー様って……」
手元の手紙を見つめて気持ちが焦る。嫌な予感で手が震えた。
あのままリリーを置いて来るべきじゃ無かったのかも知れない……。
トラブルかも知れないし、これはこの場で読むべきだよな。
「みんな、手紙を貰ったから、読み終わるまで待っててくれる?」
「ああ。好きなだけ読むといいよ」「キリカは字が読めるのか。凄い子だねぇ」
年寄りたちはそれだけ言うと、再び聖女の話で楽しそうに笑っている。
俺はその声を背に手紙を触った。すべすべで高級な封筒だ。封はない。俺は気持ちを落ち着かせて手紙を取り出した。貴族が使う白くて光沢のある紙が綺麗に折って入っている。
この短時間にリリーに何があったんだ。俺は
───────
キリカへ
私はお姫様になることにした。
父さんに伝えて。
もう信じない。
捜さなくていい。
───────
凄く汚い字だ。リリーの筆跡に間違いない。『お姫様になる?』『信じない?』これはどういう意味だ……。短すぎる手紙の内容で意味がまったく分からない。捜すなということは、自分の意思で何処かに行くのか? リリーの一方的なお願いだけで、行先などは書いていない。これは間違いなく言葉の足りないリリーの文章だ。
この手紙で分かることは、リリーが考えてリリーが書いた。そしてリリーはいなくなる。
ただそれだけだ。
あの時、手を振り払われて俺はリリーに背を向けた。
俺は思わず額に手を当てる。頭の中がからっぽで、何も考えられなかった。
「出発するから、また揺れるよ」
「分かったよ」「ああ。頼むね」
心にぽっかりと穴が開いたまま、俺は荷馬車を出発させた。風が冷たい。
しばらく走ると道の端に、さっき抜かれた高級馬車が停まっている。先ほどの御者が、申し訳なさそうに頭を下げた。俺は馬車の中に視線を移す。金持ちそうな男が笑っている。その横に、夕日に染まるリリーがいた……。
俺は目を逸らして前を向くと、
「リリーが男と笑ってた……」
俺は自分の言葉にビックリした。
「はははは、金持ちの新しい男か。そういえば、手紙に俺のことは何も書いていなかったな」
幼い俺が叱られて納屋に入れられた時、リリーがこっそりクッキーを持って来た。とびっきりの笑顔でだ。たったそれだけのきっかけで、俺はリリーに恋をした。当時のリリーはいつも俺の後を付けていた。とても楽しそうに、いつも笑顔で。可愛かったんだよな……。
あれから十年。
あの時の、天使のような笑顔が忘れられずに生きてきた。だけどリリーにとって、俺は……。結局、最後まで俺の一方的な恋だったんだな。
「俺、捨てられたのか」
声に出すことで吹っ切れるような気がした。
村役場の前で、荷馬車を停めると車輪が砂利を踏みしめる。
「キリカ。ありがとう」「助かったよ」「ありがとね」
「良いんだ。いつも世話になってるし」
俺が笑顔でそう言うと、年寄りたちは賑やかに帰って行った。
彼らの背中を見送りながら、俺は大きく深呼吸をする。
「おじさんに言わなくちゃ……」
みんなと別れて一人になると、急に怖くなってきた。取り返しのつかないことを、したのかも知れない。俺は無理にでも連れ戻すべきだったのか? あの、身分の高そうな男から……。
「キリカ、戻ったのか!」
おじさんが血相を変えて走ってくる。リリーが俺を追って、町に行ったことがバレたんだ。
「ケルンさんから聞いたんだ。リリーは無事か? 何か問題を起こさなかったか?」
おじさんに両肩を摑まれてガクガクと揺すられた。
「おじさん、落ち着いて。俺の知る限り、マリーには何もしてない」
それを聞いたおじさんが、俺の肩から手を離して頭を下げる。
「すまなかった! 俺が目を離したばっかりに!」
「そんな! 頭を上げてよ。誰もあんなリリーを止められない。俺だって止められなかったんだ」
何度も頭を下げるおじさんの、その背中が小さく見えて辛かった。
「ところで、リリーは一緒じゃないのか?」
おじさんの目はリリーを探してる。
「ごめんなさい! 実はリリーと町で揉めて、無責任に放り出した。俺はこの村を出て行く。マリーのおかげで貰った農園も家も、全部おじさんに譲るから!」
ガバッと頭を下げて、早口で言った。
おじさんはそんな俺を起こすと、もう一度両肩をガッチリと摑む。
「待ってくれ、キリカ。お前がここを出る必要はない。何があっても、俺たちの関係は変わらないぞ」
「そうじゃなくて、違うんだ……」
俺は貰った手紙を差し出して、帰りに見た高級馬車の話をした。
おじさんは俺の話を聞きながら、手紙に目を通している。
最後まで聞くとおじさんは、両手で手紙をぐしゃぐしゃに丸めた。
「キリカ。お前は既に俺の家族だ。一緒に村を出ると言ってくれた時、俺はお前の親父になると決めた。キリカは俺の大事な息子なんだ」
おじさんは俺をガッチリ摑んで離さない。
独りぼっちの俺には、その言葉が嬉しくて
「うぅ。ヒック」
「キリカが別の女性と結婚しても、俺はお前の親でいる。ずっと支えるつもりだ」
「うぅ……。おじさん……」
リリーには隠していたけど、実の親からの最後の手紙には『弟が家を継ぐ、戻って来るな』と書かれていた。リリーとの結婚を反対されて、移住にも反対されたから当然だ。
本当の親ですら俺を必要としてないのに、いいのかな。本当に俺でいいのかな?
「親としてまだまだ未熟な俺だが、頼む。出て行くなんて言わないでくれ。俺の息子になってくれ」
俺もおじさんも涙でぐちゃぐちゃだ。
この薬草畑も、村人から勉強したおじさんが面倒見てくれた。周りの畑より育ちがいいのはそのおかげだ。思い返すと全部俺のためだった。村のみんなに息子と紹介してくれたのも、身寄りのない孤児として俺が扱われないために……。
夕日がおじさんの頰を照らしている。
「おじさん。これからは、
俺は照れ隠しにそう言って、涙を拭いて笑顔を見せた。
「ああ、キリカ。そう呼んでくれたら俺も幸せだ」
やっとおじさん……、じゃなくて親父が笑ってくれた。