隣国の馬鹿王子
──なんて日だ!
思わず心の中でそう叫んだ。
私の名前はメイルスデビアス・ヘンゼッタ。ヘンゼッタ王国の第二王子である。
午前中、毒蛇に嚙まれて馬車ごと山の中に捨てられた。更にその後、護衛と侍女に逃げられた。
これだけでも人生最大のハプニングなのに、昼に偶然通りかかった聖女に助けられた。
これで夕方にも何かあったら、今日を記念日にしよう。
ふと手元を見ると、秋の葉が静かに舞い降りていた。木漏れ日が道を金色に染め、眼前の景色は絵画のようだ。まったく、私の心の中とは対照的だ。
「まさか蛇の入った箱に、無理矢理手を突っ込まされるとはなぁ」
「ふん! 私を
御者に扮した最側近のブリッドが、馬車の中に入って来る。私より少し年上の地味な男だ。
あーあ、めちゃくちゃ怒ってる……。無理もないか。彼に内緒で来ちゃったから。
「お前が来てくれて助かったよ。心配かけてすまなかったな」
「は? 王子の心配なんてしていませんよ。私は新しい聖女様に会いたかっただけです」
「ははは、そんな気はしてた」
私の見た目はクールなスマート王子だが、剣も弱いし魔法もたいして使えない。見掛け倒しの馬鹿王子と、もっぱらの評判だ。側近ですらこんな感じだし。
それにしても運が良かった。いや、私は運が良いだけの馬鹿王子なのだ。
彼女の護衛が警戒したのも当然だ。実際、事故に見せかけた暗殺だったのだから。
まだ死んでないので未遂だけど。
「王子はもう少し学習してください。私の出張中に旅に出るなんて。やっと追いついて、御者と入れ替わった途端にこれですからね」
「お前の留守中に
「……いや、馬鹿なんですか?」
「確かに丸ごと信じた私も馬鹿だけど、これで私が死ねば、犯人は兄上じゃないか」
「……なんだか第一王子に同情したくなりました」
ブリッドが呆れた顔でため息を吐く。
「なんでだよ」
「これほどまでにアホなのに、王子はいつも無事だから……。第一王子は、ご自分を制御出来なくなっているようですね」
確かに兄上の被害妄想はもの凄い。凄すぎて、私からの暗殺を恐れるあまり、私を暗殺しようとしてるのだ。私が調理場でつまみ食いしては大騒ぎ。中庭で侍女と話をしても大騒ぎ。すべて暗殺に見えるらしい。意味が分からない。
「教会の警備は参考になるし、新しい聖女の警護は今までと毛色が違うと聞いた。実際に見る機会なんてめったにないし。しかし隣国の王子が来るとなると迷惑がかかる。そこで『お忍び』というのも理解出来た」
「分かっていますよ。この視察は必要なことです」
「はぁー、国政には興味がないと言ってるのに……兄上はどうしちゃったんだろうな」
ぐったりと項垂れるとブリッドが肩を叩いて慰めてくれる。
私への暗殺未遂は何度目だ。もう数えてもいない。
「私が死んだら次は可愛い弟が狙われちゃうのかな? いや、私は死なないか。でもな……」
弟はとても賢い。急に心配になって来た。
「ところで王子、これからいかがなさいますか?」
「きちんと視察をしてから、堂々と国に帰る」
このことが
「護衛も侍女もいませんが、大丈夫でしょうか?」
私より弱いブリッドが不安そうな顔をする。私たち二人じゃ、次の刺客が子供でも勝てる気がしない。ま、運がいいから大丈夫かな。
「私を狙う者たちは、帰国して暗殺成功の祝杯でも挙げてるよ」
「王子の強運の範囲に、私が入っていることを祈ります」
「お前がいなければ私は死ぬ。だからお前は大丈夫」
「安心しろ」とブリッドを見ると、凄く嫌そうな顔をされた。
でもまさかブリッドが追いかけて来てくれるとはなぁ……。やっぱり私はツイている。
「それにしても凄い美人だったな、あの聖女」
「ええ。それに、笑顔が優しそうでしたね」
「どうしよう。恋をしてしまったようなのだ」
「はい?」
聖女だからじゃない。あの立ち姿、あの気品。いや、あの顔に惚れたんだ。
これは運命の一目ぼれなのだ。
「王子。もうトラブルはごめんですよ?」

あの後何事もなく町に着き、視察を終えた私たちは五の鐘で町を出た。
「あの〝案内所〟ってのはいいな。道も教えてくれたし」
「そうですね」
私は馬車の前窓を開けて、手綱を引くブリッドの背中に話しかけた。
教会の警備はとても効率的だった。所々に案内所を設け、そこに白神官や聖騎士が待機していた。何かあればそこに駆け込めばいいらしい。他は目立って珍しいものは無かったが、とても有意義な視察だった。
馬車の車輪が落ち葉を踏んで進む中、私は外の景色に目をやった。町の喧騒が徐々に遠ざかり、静かな田園風景が広がっていく。
「王子、あれを……」
道の先にふらふらと歩く若い女性が見えた。夕暮れの光が彼女の影を長く引き伸ばしている。
「ここは治安がいいと聞いていたが……」
若い女が一人で歩くなど、わが国では考えられない。この国の治安はそれほどまでに良いのだろうか?
「ブリッド、馬車を停めてくれ」
「話だけでも聞いてみますか?」
「ああ、頼む」
警戒心の強いブリッドも心配になったのか、すぐに馬車を停めた。
私は彼女から見えないように頭を低くする。
「お嬢さん、こんな所でどうしましたか?」
「おうちに帰るの……ぐすぐす」
泣いているのか? 私は女性の涙に弱いんだ。女性の一人歩きは危険だし、放っては置けないな。
「ブリッド、とりあえず送って行こう」
こっそり言うと、ブリッドは彼女を自分の隣に座らせた。
前の窓からブリッドと彼女の会話が聞こえてくる。
「なぜ泣いているのですか?」
「このままだとハートを取られちゃうから」
「なるほど」
ブリッドは抑揚もなく
「聖女は私なのに」
「なるほど」
ああ、女性に多い聖女妄想か。私だったら自由な冒険者になりたいな。いや、行商人も捨てがたい。
「お御堂にいた聖女は、私の双子の姉なの。なのに、会わせて貰えなかった……」
私は耳を疑った。彼女の言葉に驚き、思わず身を乗り出した。
双子の姉? 聖女が?
「なるほど」
「……」
「……」
いや、ブリッド! そこはもっと詳しくだろ! 話をあっさり終わらせるなよ、気になるじゃないか!
だからモテないんだとか色々言いたいことはあったけど、このままブリッドに任せても無理だと判断した私は、自分で彼女と話をすることにした。
「ブリッド、彼女を中へ」
「……王子、そういうところですよ」
ブリッドが振り返ってそう言った。
彼は刺客を警戒している。そんなことは分かっている。私だってそこまで馬鹿じゃない。
でもだ! お前が気にするから言えないけど、その会話はありえないからな!
ブリッドとの無言の攻防戦の末、最後は自分で馬車のドアを開けた。

「すごーい。馬車の中って初めて見た」
すっかり泣き
……とても聖女の妹とは思えないな。
だが、顔立ちはよく見ると同じなのだ。間近で彼女の顔を見た私には分かる。間違いない。
はしゃぐ彼女をじっと観察したが、顔以外に似た所は見つからない。違うかも……。
「本当に君は、聖女の双子の妹なのかい?」
「うん、本当。私も綺麗なドレスを着たら聖女になるよ」
うーん、何度見ても、顔は同じだ。双子の妹っていうのは間違いなさそうだな。
まっ、この際、顔が同じなら噓でも構わんか。彼女を教育して聖女と同じ姿にすれば……。
これはあくまで提案だ。そう、提案なのだ。
「もしよければ、私の国に一緒に来ないか? 綺麗なドレスも用意するし」
まるで誘拐の誘い文句みたいで気が引けるな。
帰りたがれば帰してやるし、無理にとは言わないし、決して誘拐じゃないからな。
うん、断じて違う。
「マリーみたいなドレスをくれるなら行ってもいいよ」
靴を脱いで椅子に座り、私に背を向けていた彼女が振り向いた。
意外にあっさりだな。私は善人顔だから信用されやすいのかな。
もちろん、断じて悪人ではないが。
馬車は揺れながら進み、夕陽が彼女を照らしている。
「ところでお嬢さんのお名前は?」