セイアッド・ジェンクスにとって、赤子の頃から同じくリヴィングストン伯爵家で養育されてきたソレイユ・バレルは、同い年の姉弟のような存在である。誕生日はほんの半月ほどソレイユのほうが先なのだが、たったそれだけの差異でどちらが年長なのかと騒ぐ暇などないほど、リヴィングストン伯爵家での日々は色濃く、そしてめまぐるしかった。
なぜなら、主にふたりの養育を担っていた先代当主の奥方──アイザックの母であるオリアーナは、セイアッドとソレイユに対して『これからは、男女平等の時代よ!』と言い切り、まったく同じ教育を施してくれたのである。
さすがに、セイアッドに対してドレスを着るように命じることはなかったけれど、普通の貴族の男児ならば学ぶ機会などまずない、刺繍やレース編み、絵画やお茶会の席でのマナーなどまで、徹底的に教えこまれた。ありがたいことに刺繍やレース編みは、今でも集中力の鍛錬に役立っている。しかし、女性しか参加できない場でのマナーなど、いったいなんのために学んだのか、いまだに理解不能である。
一方のソレイユは、元々の運動神経が並外れていたこともあり、乗馬や剣術などの授業には、むしろセイアッドよりも熱心に取り組んでいたように思う。
元々、自分たちが生家ではなくリヴィングストン伯爵家で養育されることになったのは、魔力適性が少々人並み外れていたからだ。生家では育てきれなかった子どもたちの養育を買って出てくれた伯爵家の人々には、心から感謝している。
そして、どこからどう見てもたおやかな貴族の女性でありながら、そんなふたりの子どもたちの魔力暴走を難なく制御していたオリアーナは、セイアッドにとって今でも『決して怒らせてはいけない相手ナンバーワン』である。おっとりにこにことほほえみながら、
それはともかく、幼い頃から当然のように武術の鍛錬を重ねてきたソレイユが、自ら騎士への道を選ぶと決めたことに、特に驚きはなかった。たまにオリアーナに連れられて、貴族の女児たちの集まりに参加したあとの彼女は、心底疲弊しているように見えたものだ。
本人曰く、『女の子は、可愛いよ? フワフワだしキラキラだし、みんないい匂いするし。でも、自分があの中にまざってウフフオホホの会話をしながら、相手の言葉の裏の裏まで考えて、ものすごく高度な情報戦を繰り広げるとか、想像するだけでハゲそうになる』ということらしい。
それぞれの生家も、養母であるオリアーナも、子どもたちの将来についてはあくまでも自由意志に任せる、という方針である。実際、ソレイユがセイアッドと同じく、厳しい騎士養成学校への進学を希望すれば、あっさり通った。
その後、紆余曲折ありながらも、無事ふたり揃って魔導騎士団の見習いとなることができたのだが──。
「ちょっと聞いてよ、セイアッドー! ナギちゃんってば、ノルダールの孤児院で、ずっと軍用の固形食料っぽいものしか食べさせてもらってなかったんだって! 酷すぎない!?」
先ほど、魔導騎士団で保護した少女を客間まで送ったソレイユが、セイアッドのいる訓練棟に突撃する勢いでやってくるなり、大声で喚いた。
「なんだ、それは」
きつく眉根を寄せて問い返したセイアッドに、ソレイユが
「さっき、ナギちゃんをお風呂に案内してるときに、そう言ってたの! あんなに可愛くて礼儀正しくて天使みたいな女の子に、なんたる暴虐! なんたる非道! 厨房担当の先輩たちも、育ち盛りの子どもになんてことを! ってぶちギレてた!」
「そうか」
子どもの健全な成長のために、まっとうな食事は断じて欠かすことのできないものだ。先ほど見た少女の、どこか茫洋とした様子を思い出す。
犯罪に巻きこまれた少女としては、不自然なほどにしっかりと話をしているかと思えば、時折夢でも見ているかのように揺らぐ視線。ここ半年ほどの記憶が曖昧だという彼女は、これまでにいったいどれほど辛い思いをしたのだろうか。
最初に彼女の姿を見たときには、そのあまりにむごたらしい血塗れの姿に、本人の前だというのに顔が強張るのを止められなかった。我ながら、修行が足りない。
ひとしきりぷんすこと騒いだソレイユが、深々とため息を吐いたかと思うと、唐突に言う。
「アイザック兄さまが、ナギちゃんを養子にしてくれればいいのになあ」
「……そんなに、彼女のことが気に入ったのか?」
ナギは、遠目にちらりと見た限りでも、かなり高い魔力適性があるように見えた。
ノルダールの孤児院出身であり、またユリアーネ・フロックハートの身代わりとして利用されたというセンセーショナルな存在であるナギを、いずれ世間は騒がしく追いかけるようになるだろう。
話題性満点の、天涯孤独の少女。それが、黙っていても人目を惹かずにはいられないほどの美少女となれば、尚更だ。今後、ナギが穏やかな日々を過ごすためには、そういった世の中の雑音から守れるだけの後ろ盾が必須だろう。
その点、魔導騎士団団長であるアイザックであれば、それだけの力は充分にある。だが、物心ついた頃から、アイザックのマッチョな筋肉──もとい、彼の優れた人格に心酔しているソレイユが、初対面の少女を彼に近づけようとするとは、実に意外だ。
アイザックの地位や権力や財産狙いと思しき貴族令嬢には、常日頃から絶対零度の視線を向けているというのに、いったいどんな気まぐれなのだろうか。
不思議に思ったセイアッドの問いかけに、一度瞬きをしたソレイユが首を傾げる。
「気に入ったっていうか……なんだろう。庇護欲の塊?」
「は?」
思わず
「んんー……。なんていうかな。ナギちゃんて、ちょっと話しただけでも、かなり頭の回転が速いしさ。普通に、礼儀正しくていい子だし。でも、なんだか見ていてすごく危なっかしいんだよね」
セイアッドは、胸に苦いものが満ちるのを感じて、ため息を吐く。
「ノルダールの孤児院から保護された子どもたちは、みな相当に高い知識と教養、それに魔力適性を持っていたそうだ。幼い頃から世間から隔離されて、裏社会の連中にとって都合のいい『商品』として育てられてきた子どもたちが、まっとうな精神構造を備えているとは考えにくいからな」
しかし、ソレイユはむう、と眉根を寄せると、軽く首を横に振る。
「いや、セイアッドの言ってることは、正しいと思うよ? ただ、ナギちゃんのは、そういう……洗脳されてる系の、
天真爛漫なようでいて、その実他人の心の機微にひどく敏感なソレイユが、淡々とした口調で言う。
「ナギちゃんは、うちに保護されるまで、自分に魔力があることを知らないみたいだった。でも、ナギちゃんの魔力保有量って、たぶんあたしたちより上だよね」
「ああ。無意識に垂れ流している魔力であの濃さなら、おそらくな。ただ、聖女が現れた世代の女児は、魔力適性の変動が激しい。きっと彼女も、ノルダールの孤児院にいた頃は魔力適性がかなり低い状態だったんだろう。だからろくな食事も与えられずに、魔力の代わりにひたすら知識と教養を詰めこんだタイプの『商品』として育てられていたんじゃないか」
セイアッドの推察に、ソレイユが顔を歪める。
「そのせいで、ユリアーネ・フロックハートの身代わりとして使い捨てるために、あっさり売り飛ばされたってこと?」
「さてな。ただ、ノルダールの孤児院から保護された者たちの証言記録を見た限りでは、高い魔力適性を維持している子どもには、ごく健全な食事と生活環境が与えられていた。そういった子どもたちと同等の商品価値を維持するためには、さぞ厳しい教育がされていたんじゃないか」
単純に戦闘能力という点で見るなら、魔力の有無は非常に大きな差異を生む。そして、裏の世界で運用することを前提としているならば、戦闘能力を持たない『商品』の価値は、著しく低いものとなるのだろう。
それだけのアドバンテージを覆すだけの商品価値となると、ただ容姿が並外れて美しいだけでは到底足りない。おそらく、魔力適性の低下によって、魔導士としての教育が不適当と判断された子どもたちに対する教育の厳しさは、想像を絶するものだったはずだ。
そんな環境で育てられた子どもたちが、まっとうなアイデンティティーを確立できるとは思えない。ましてや『商品』というのは、買い手の使いやすさが満たされてこそ価値がある。ならば、ノルダールの孤児院での教育の中で、『商品』として売り買いされる子どもたちが、自らの幸せを追い求めるための尊厳を奪われていても不思議はない。
そして、幼児期の魔力適性検査ではその適性を認められなかった者が、何らかのきっかけで──それこそ命の危機に瀕した際などに、その潜在魔力を解放するといったことは、稀ではあるが前例はある。
己に魔力があることさえ知らなかったナギが、今こうして高レベルの魔力を持っているということは、おそらく彼女にもそういったきっかけがあったということなのだろう。
ソレイユが、心底不快げに舌打ちをする。
「同い年の女の子が、自分のことを全然大事にできてないのって、ヤダ」
低く押し殺した声で語られた彼女の言葉を、セイアッドはその後すぐにしみじみと理解することになる。
ナギが魔導騎士団の副団長、ライニール・シェリンガムの妹であったという驚きの事実とともに、改めて彼女と挨拶を交わしたのだが──。
『わたしに何かあっても、それこそ死ななきゃ自分の治癒魔術ですぐ治せるんだけどねえ。むしろ、シークヴァルトさんとソレイユが怪我なんてしたら、わたし普通にキレるから。その辺ホント、安全第一でお願いします』
至極当然のことを言う口調で語られた言葉に、セイアッドは冗談抜きに頭痛を覚えた。
これが、傷つけられることを知らない無邪気な素人の言うことならば、ただ『何をふざけたことを言っている』と呆れればよかった。けれど、ナギはすでに文字通り死ぬような目に遭っていながら、これほどまでに自分自身の安全に無頓着なのだ。
──このときのナギは「こんなに可愛いソレイユや、あんなにカッコいいシークヴァルトさんが自分のせいで怪我するなんて、絶対にイヤでござるイヤでござるー!」とビビり倒していただけである。自身が傷つくことを恐れていないわけでもないのだが、彼女は基本的に命の危険が遠い現代日本での生まれ育ち。『戦争を知らない子どもたち』を知らない子どもなのである。常に戦や魔獣の脅威に晒されているこの世界の人々とは、根本的に危機感のレベルが違うのだ。
おまけに、自分自身が聖女という稀少な生物兵器である以上、これから何があろうと周囲の人々が全力で守ってくれるに違いない、という事実を知っている。よって、今のナギにとって最もわかりやすい恐怖は、身を守る術を知らない自分自身のせいで、身近な人々が傷ついてしまうことなのである。
しかし、当然ながらそんなことなど、セイアッドが知る由もない。彼はこのときの一件で、ナギのことを『危なっかしいにもほどがある要注意人物』と認定した。それは、ソレイユも同じだったのだろう。揃ってナギの護衛任務に就くことになったふたりは、暇さえあれば今まで以上に気合いを入れて訓練棟に集うようになった。
「ナギの魔力保有量は、おれたちよりも上だからな。あいつが魔力暴走を起こしたときには、即時退避を命じられてはいるが……。やはり、万が一の事態には備えられるようにしておくべきだ」
「うん。あたしたちが二重で防御フィールドを全力展開すれば、さすがに少しは保つだろうしね。ナギちゃん自身のことはシークヴァルトさんに任せて、あたしたちは全力で自分を守りつつ、可能な限り周囲への被害が最小限になるようにがんばろう!」
ぐっと拳を握りしめるソレイユに、セイアッドは厳かにうなずいた。
「ナギにとって、おれたちはあいつの友人だ。もしあいつの護衛任務中におれたちが傷つくようなことがあれば、あいつはおれたち以上に傷つくだろうからな」
「うん! アイザック兄さまも、護衛っていうのは対象の体も心も守れて一人前って言ってたもんね!」
かくして、リヴィングストン伯爵家の子どもたちは、『キレたらたぶん自分たちより強い護衛対象』を全力で守るべく、自ら厳しい鍛錬を重ねることになったのである。そんな彼らは、これからこの国の聖女の友人兼護衛として、めまぐるしく騒々しく、そして決して忘れ得ない日々を過ごすことになるのだが──それは、もう少しだけ先のお話。