第六章 魔導学園の入学式
ルジェンダ王国王立魔導学園。
そこには遠方からの入学生のために、かなり立派な学生寮があるのだという。
魔力を持つ子どもたちは、それぞれの国にとって大変貴重な人的資源だ。その教育施設が、王宮に準ずる警備体制を敷いているというのは、言われてみればごもっともなことである。
どこの国でも、魔導学園や騎士養成学校、またそれに類する教育施設は、常に最新鋭の安全管理を徹底しているらしい。だからこそ、王太子であるオスワルドも、凪の魔導学園入学を勧めたのだろう。
しかし、凪の入学が正式に決定したのは、今年度の入学式の十日前。さすがに寮の準備までは間に合わないということだった。
(……だからって、こうなるかなぁ?)
凪とて、教室に少し座席を増やす程度ならともかく、育ち盛りの子どもが居心地よく生活できる場を用意するというのが、とても大変なことだというのはわかる。
しかし、いくら学園の寮に空きがなかったからとはいえ、学園の近くにある屋敷を丸ごとひとつ買い上げて用意するというのは、さすがに予想外だった。王宮側の指示だというが、だだっ広い庭付きの屋敷というのは、そう簡単に買えていいものなのだろうか。
「さあ、ナギ。今日からここが、おれたちの家だよ」
「……兄さん。まずひとつ聞いてもいい? なんでお出迎えしてくれてる使用人っぽい格好をした人たちが、第二部隊のみなさんなの?」
ライニールとふたりで、新たに住まうことになったこの屋敷の玄関ホールへ転移するなり、即ツッコミを強制してくるのはひどいと思う。
ずらりと整列し、こちらに敬礼をしているのは、この半月あまりでようやく顔と名前が一致するようになった、魔導騎士団第二部隊のメンバーの中の六名だ。
しかし、いつもはやたらとスタイリッシュな制服を着ている面々が、隙のない執事服だのシンプルなベストタイプの従僕服だのを着ているのは──。
(ヤバい、鼻血でそう)
ものすごく、眼福であった。
懸命に萌えを堪える凪に、ライニールは笑って答える。
「そりゃあ、きみが聖女だということを知っているのは、第二部隊のメンバーだけだからね。きみを護衛するのに、その事実を知っているのといないのとでは、気合いの入り方が違うだろう? いずれすべてが公表されたら、第一部隊と第三部隊もローテーションに入れることになるけれど、それまでは第二部隊がきみの専属という形になったんだ」
「あー……なるほど」
凪は、ものすごく納得した。
魔導騎士団の第二部隊は、ユリアーネ・フロックハートを捕縛した際、『本物の聖女は自分たちが殺してやった』と捨て台詞を吐いたことを確認している。また、オスワルドの命令ですぐに箝口令を敷かれたとはいえ、第二部隊の面々は、凪が──『殺された本物の聖女』の条件に合致する少女が、血塗れの状態で保護されたという情報をすでに共有していた。
これはさすがにごまかしきれるものではなく、アイザックの判断により、第二部隊のメンバーたちも『ライニール副団長の妹は、本物の聖女です』という事実を知ることになったのである。もちろん、その上で彼らは箝口令に従っているわけだが、どうにも凪に対する態度が複雑怪奇なものになっていた。
第一部隊と第三部隊のメンバーたちは、ライニールのシスコンぶりに若干引いた様子を見せつつも、すぐにソレイユに倣って『ナギちゃん』と呼び、可愛がってくれるようになっている。凪のほうも、彼らのあまりにも個性あふれるイケメン祭りに、種の多様性について思いを馳せたりしたものだ。
(思わずソレイユに、魔導騎士団って顔で選ばれてるの? って聞いちゃったもんなー……。魔力適性が高い人間ほど、容姿が美しくなる傾向があるとかね。そりゃあこの国の最大戦力集団が、イコールイケメンパラダイスになるはずだよ……)
以前ソレイユが、魔力適性の高すぎる人間は、そうでない者たちに怖がられると言っていた。だが、もしかしたらそれは彼ら彼女らの美形の圧に、周囲がビビっているだけなのではあるまいか。中身が元々平凡な日本人であった身としては、その気持ちがとてもよくわかってしまう。
──しかし、だ。
『美人は三日で飽きる』という言い伝えは嘘っぱちではあったけれど、どうやら美形の圧にはそれなりに時間薬が効くらしい。とりあえず、朝目を覚まして顔を洗おうと鏡を見るたび、そこに映る自分の姿に「誰この美少女!?」とビビることはなくなった。
いまだにシークヴァルトと顔を合わせるたび心臓が跳ねまくるのは、ただ単に凪が彼に恋する乙女だからであって、彼の美形っぷりとは関係あるまい。兄のライニールとは、どれほど不用意に顔を合わせても笑顔で挨拶できるようになったし、アイザックは美形である以前にマッチョな紳士なので大丈夫。
第一部隊と第三部隊のメンバーたちも、みなそれぞれ感心するほどのイケメン揃いだが、彼らは『ライニール副団長の妹』という存在がよほど興味深いらしい。顔を合わせるたびに、彼らはきれいな飴や、ちょっとしたお菓子をくれる。なんというか、ハイパー過ぎる美形度を除けば、近所の気のいいお兄ちゃんたちに囲まれているような気分になるのだ。そのため、彼らに対してさほど緊張することはなくなった。
だが、第二部隊のメンバーたちは、そうはいかない。
当初彼らは凪の姿を見かけるたびに、直立不動になって敬礼しかけてはそのまま柔軟体操をはじめたり、唐突に手を取り合って踊り出したりと、大変イケメンにあるまじき愉快なことになっていた。呼び方についても、ほかの面々のように『ナギちゃん』と呼ぶのはどうしてもできずにいるようだ。
彼らの様子からして、決して嫌われているわけではないと思う。だが、結果的に彼らは仲間たちから『凪の前で突然奇行に走る第二部隊』という、ものすごく不名誉なレッテルを貼られている。非常に、申し訳ない。いつか事実が公表された暁には、『おれたち第二部隊のメンバーは、最初から知っていたんだぜ!』と、全力でドヤ顔をしていただきたいと思う。
しかし、この屋敷にいるのは、みな秘密を共有する者ばかり。彼らが奇行に走る必要はない。
凪は、ぺこりと彼らに頭を下げた。
「今まで、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。いつかわたしのことが公表されたら、第一部隊や第三部隊のみなさんとも普通にお話しできるようになると思うので、それまでどうぞよろしくお願いいたします」
返事がない。もしや、今まで愉快な奇行に走りまくる原因となった凪に、実はみなお怒りだったのだろうか。恐る恐る顔を上げようとしたとき、玄関ホールがどよめいた。
「ぅおおぉおおっス!!」
(ひょわぁ!?)
その轟くようなどよめきが、第二部隊のメンバーたちによる大変気合いの入った返答だと気がついたのは、その圧に押されてよろめいたところを、ライニールに受け止められてからである。
「……ナギ。第二部隊はうちの中でも、特に暑苦し……じゃない、元気のいい連中なんだ。使用人の真似事には少々向いていないかもしれないが、料理の腕前は保証する。なんでも好きなものを作ってもらうといい」
「あ、そうなんだ。すごい、嬉しい」
どうやら凪は、彼ら魔導騎士団に護衛されている限り、必ず美味しいごはんをいただけるらしい。なんとありがたいことだろう。
素晴らしい体育会系のノリに一瞬気圧されてしまったけれど、凪にとって美味しいものを作れる人は、基本的にいい人だ。決して少なくない手間暇と時間と労力をかけて、ちゃんとした料理を作り上げられるというのは、素直に尊敬に値する。料理を食べる相手に対する思いやりや気遣いがなければ、とてもできることではない。
彼らに保護されてからこっち、凪は少しずつ自分の置かれている状況を学んできた。
魔導騎士団はあくまでも王宮からの命令で、聖女である凪を護衛してくれているだけなのだ。よって、彼女自身が彼らの働きに感謝するのは当然としても、ありがたいことにそのお給金は王宮持ちなのである。
(みなさん、いつもありがとうございます。そして、そんなみなさんにお給料を払ってくださっている王宮の方々は……まあ、聖女という最強の生物兵器を維持するためですし、自国を守るための必要経費と思ってがんばってください)
凪はまだまだ世間知らずのお子さまなので、実際に目に見える形で自分を守ってくれる魔導騎士団の面々には、心からの感謝を抱いている。しかし、いまだに王太子以外は顔も見たことのない王族たちは、いまいち存在すらも定かではない『なんか国のエライ人』だった。
凪は改めて、目の前の第二部隊のメンバーたちを見る。
第二部隊の隊長は、エルウィン・フレッカーという名で『ザ・イケオジ!』という感じの、ぱっと見た感じはちょい悪な香りのする男性だ。しかし、垂れ目がちなその瞳はいつも穏やかで、とても逞しい体つきをしているのに威圧感を感じさせない。いつも落ち着いた空気をまとっており、非常に頼りがいのある人物なのだろうな、と思う。
彼らひとりひとりの顔を見て、きちんと全員の名前を思い出せることに安心した凪は、改めて彼らに問うた。
「エルウィン隊長。セレス副隊長。テオバルトさん。カールさん。マティアスさん。ルカさん。大変今更ではあるのですけど、やっぱりみなさんは第一部隊と第三部隊のみなさんのように、わたしをただ兄さんの妹として扱うことは難しいですか?」
別に、彼らから親しげに『ナギちゃん』と呼んでもらいたいわけではない。ただ、イケメン成人男性の集団からあまりにもかしこまった対応をされると、なんだかムズムズしてしまうのだ。
少しの間のあと、代表して隊長のエルウィンが口を開く。
「ご命令とあらば、と申し上げたいところではありますが……。我々は、聖女をお守りする者。主であるあなたさまに、そうとわかった上でご無礼を申し上げるわけには参りません」
「……あるじ?」
凪は、きょとんとした。
「みなさんの主は、王さまでしょう?」
「その国王陛下から直々に、我ら魔導騎士団に命じられております。この国の正しき聖女であるあなたさまを主と定め、我らの命ある限りお守りせよ、と」
なんということだろうか。凪は青ざめ、よろめいた。
「お……お給料が……」
「落ち着け、ナギ。おれたちの給料を支払うのは、王宮だ。聖女の扱いは、王族に準じると言っただろう? すべての騎士は王家に忠誠を誓うものだが、その中で魔導騎士団はおまえの専属として働くことになった、というだけだ」
ライニールの説明に、凪はそう言われればそうだった、と思い出す。
しかし、そうなると──。
「いくら王さまの命令だからって、立派な騎士のみなさんが、王家の人間じゃないわたしなんかを主と呼ばなければならないなんて……。ものすごい貧乏くじを引かせてしまったようで、申し訳ないです」
「いや、違うからな? ナギ。聖女の護衛騎士になるっていうのは、王族近衛よりも名誉なことだから。貧乏くじの逆だから。……それから、自分なんか、と言うのはやめなさい。おれはきみの兄として、きみを軽んじる者はたとえきみ自身でも許さない」
ライニールに、はじめて叱られてしまった。怖かったけれど、凪を想っての言葉だとわかるから、ちょっと嬉しい。
叱られてしょんぼりすればいいのか、嬉しいことを言われて喜べばいいのか迷っていると、それまで黙っていた第二部隊のメンバーが口を開いた。
艶やかな栗毛に琥珀の瞳、泣きぼくろがチャームポイントの、カール・メイジャーという名の青年だ。二十歳前後の年頃に見える、ほっそりとしなやかな体躯をした彼は、とても騎士とは思えない繊細な印象の持ち主である。
「ねえ、隊長ー。『ナギちゃん』はたぶん、おれたちに全力で聖女扱いされると落ち着かないから、できれば普通に話してくれないかな、って言ってると思うんだよね。──違った?」
最後の凪への問いかけに、驚きながらも全力でうなずく。
「は、はい。そうです!」
「でしょ? だったらさー、主が気分よく過ごせるようにするのも、おれらの仕事だと思うんだよね。外ではさすがにヤバいけど、この屋敷の中でだけだったら、ナギちゃんのことを普通の女の子扱いしてもいいんじゃないの」
なんというありがたい提案だろうか。
思わず両手を組み合わせ、『お願いします!』の気持ちをこめてエルウィンを見つめる。再びしばしの沈黙のあと、やがて第二部隊の隊長はその大きな手でがしがしと後頭部を掻きながら、ため息をついた。
「あー……。ライニール副団長。ただいまのカール・メイジャーからの提案を、許可していただけますか?」
「構わないよ。おまえたちだって、堅苦しいのは苦手だといつも言っていただろう。ナギ本人が望むのであれば、好きにすればいい」
(よっしゃああーっっ! 年上イケメン集団からの敬語回避! ぶっちゃけ、黙っていればこの人たちってイケメンホストの集団なんだもん! 圧がヒドい! 圧が!)
ライニールの言葉に、凪が内心快哉を叫んでいると、長く伸ばしたサラサラの赤い髪を後頭部でひとつに括った副隊長のセレス・タイラーが、肩のこりをほぐすように左腕を回す。
「助かったぜ。いや、聖女サマが通常モードをお望みじゃなけりゃあ、いくらでも品行方正バージョンをキープするけどよぉ」
そう言って、彼はふと表情を改めて凪を見た。
「まあ、アンタは普通の聖女じゃないらしいからな。治癒魔術で、ウチの連中の怪我を片っ端から治してくれたらしいじゃねえか。ありがとな」
赤銅色の瞳でまっすぐに彼女を見つめながら、ニカッと大らかに笑うセレスを見て、凪は改めて戦慄する。
そうだ。
親しみをこめたイケメンの笑顔というのは、すさまじい破壊力を持つものだったのだ──と。
あやうく「ヒェ! なんてイケメン!」と叫びそうになってしまったけれど、凪はどうにか首を横に振った。
「いいえ。その……アイザックさんから聞いているかと思いますけど、わたしがレディントン・コートにいた怪我人のみなさんを治したのは、わたしの治癒魔術の確認のためです。本来ならば、不必要な治癒魔術の行使は、安易にするべきではないと教わりました」
治癒魔術を受けた人間の体は、それこそ凪が自ら経験したように、傷痕ひとつ残さず完治してしまう。まるで、怪我をした事実すらなくなったかのように。
だが、万が一治癒魔術の行使中に術者の魔力が尽きた場合、被術者の怪我は治るどころか非常に中途半端な状態──すなわち、傷のあった場所が再びぱっくり開いて、大量出血してしまうこともあるそうだ。怖すぎる。
その可能性をきちんと説明された上で、初心者にもほどがある凪の治癒魔術の、言うなれば実験台になってくれた騎士のみなさまには、大変申し訳ないことをした。
幸い、彼らの傷はきちんと治すことができたし、本人たちからはそのことを感謝もされたけれど、治癒魔術の扱いに慣れるまでは本当に怖かった。お陰でその日は、ひとりで自室に戻るなり、また胃の中のものを全部吐く羽目になったものである。極度のストレス、よくない。
もっとも、治癒魔術といっても、凪の場合は本当に気合いのようなものなのだが。怪我人の体を見て、『あ、ここを治さねば』というところに手を当て、治れ〜、治れ~、と念じると、手のひらがほんわり温かくなる。その熱が引けば、不思議に傷が消えている、という感じだ。
また一般的に、治癒魔術というのはかなり魔力を消費するらしいのだが、当時レディントン・コートにいた怪我人を全員治しても、凪が特に疲れることはなかった。
(……あ。ちょっとヤなこと思い出したぞーう)
治癒魔術の効果確認の『前』に受けた検査の結果、凪の魔力保有量は、王立魔導研究所の職員が驚くほどの高い数値だったそうだ。先にその結果を教えてもらえていれば、治癒魔術を使うときあまり怖い思いをせずに済んだだろう。あの件以来、凪は『王立魔導研究所の職員は、気が利かない』と認定している。
(自分の体なら、完全自己責任だし好きにしてもいいんだけどさー。……緊急事態でもないのに、他人様の体に干渉するっていうのは、やっぱりヤダ)
困った凪は、ライニールを見上げた。
「これからしばらくは安全な学園に通うんだし、治癒魔術の出番ってそうそうないよね?」
「ああ。心配することはないよ、ナギ。そもそも学園の敷地内では、教員の許可なく魔術を行使することは禁じられているんだ。それは、治癒魔術も例外じゃない」
何より、と兄が小さく笑う。
「シークヴァルトがついていて、おまえを治癒魔術が必要な状態にするわけがないからね。もし何かの事故に遭遇して、誰かが怪我をしていたとしても、それが今にも死にそうな重傷じゃない限りは放っておきなさい。自分の不注意で負った怪我は、自分の力で治すのが基本だよ」
「はーい」
凪は、聖女であっても聖人君子などではないのだ。見ず知らずの他人のために、頼まれてもいないお節介をするつもりはなかった。
ライニールとのやり取りを見て、何やら複雑そうな表情を浮かべている第二部隊のメンバーたちに、凪は慌てて片手を挙げる。
「あ、みなさんがお仕事中に怪我をしてしまったときには、いつでも言ってくださいね。わたしの魔力保有量は、歴代の聖女さま方の平均よりもかなり多いそうなので、問題ありません。死にかけの成人千二百人を一気に治す程度なら問題ないと、王立魔導研究所の保証付きです!」
魔導騎士団の仕事が凪の護衛であるなら、凪は彼らへの感謝をきちんと形で示すべきだろう。
血塗れスプラッタは、本当にいやだ。R18Gなど、できることなら一生関わることなく生きていきたい。しかし、自分が彼らに護衛される立場だということを受け入れる以上、ここは腹をくくるべき場面である。
(死んだらそれまで! 生きててナンボ! 大丈夫! 怪我した人たちに協力してもらったおかげで、わたしの治癒魔術のスピードはめちゃくちゃアップしてるから! どんなにグロい怪我だって、触れば一瞬のはず! たぶん!)
ぐっと拳を握りしめ、彼女は言った。
「もちろん、怪我をしないことが一番なんですけど! わたしがいる限り、みなさんが死ぬことはありません。何があろうと、絶対に治してみせます。なので、お願いですから、わたしが近くにいないときに死なないでください。死んでしまったら、治せませんから」
凪の言葉に、第二部隊のメンバーたちが何か動きかけたのを、隊長のエルウィンが軽く右手を上げる仕草で抑えた。そして、その右手を軽く自分の胸に当て、口を開く。
「……その願い、たしかに承りました。我ら一同、何があろうとナギ嬢の目の届かぬ場所で死なぬことを、己が剣にかけてお約束いたします」
よかった、と凪はほっとする。いくら聖女が換えの効かない貴重な生物兵器でも、自分のために人死にが出るのは、心の底から遠慮したいのだ。
「ありがとうございます。ただあの、わたしは絶対にみなさんを死なせませんけど、だからといって無茶をしたりはしないでくださいね。治癒魔術なんて、使わずに済むならそれに越したことはないんですから」
改めてキリッと言うと、第二部隊のメンバーの視線が、副隊長のセレスに集中した。なるほど、一番やらかしそうなのが彼だということか。
「……セレスさん?」
にこりと笑って名を呼ぶと、赤いロン毛の副隊長が慌てて顔の前で手を振った。
「なんだよ、おまえら!? オレはなんにもしてねぇぞ!?」
「え、まさかの自覚なし? ウッソだろ?」
第二部隊のメンバーで最初に『ナギちゃん』呼びになったカールが、呆れ返った口調で言う。ほかのメンバーたちも「ぶっちゃけ、僕は魔獣討伐のたびに、なんでこの人死なないんだろ、って思ってる」「まあ、バカな子ほど可愛いとは言うもののな。たまに、背後から膝かっくんをしてやりたくなるぞ」「カッコつけられるのは、無事に生きててこそだと思うよ? 副隊長」と容赦なく続けていく。
最後に、隊長のエルウィンが、ぽんとセレスの肩に手をのせた。
「セレス。あまり、ナギ嬢の手を煩わせることのないようにな」
「~~っわかったよ、畜生ーっっ!」
第二部隊のメンバーは、お互いに仲がよさそうで、大変結構なことである。とりあえず凪は、今後セレスが無茶をやらかしたときには、罰としてフリフリひらひらの乙女系ドレスを着てもらおう、と決意した。
(魔導騎士団の制服を作ったときのサイズデータが、レディントン・コートにあるはずだよね。細マッチョなセレスさんなら、大人っぽいデザインのドレスなら普通に着こなしちゃうかもだし。やっぱりここは、膝丈の乙女系ドレス一択で。……すね毛は、見ないことにしよう)
罰というのは、受けた本人が『こんなことになるなら、二度と絶対するもんか』というくらいの精神的ダメージを与えられなければ、意味がないのだ。
よしよし、とうなずいた凪は、ひとまず荷ほどきをすることにした。
屋敷の南翼二階、寝室と書斎の続き部屋がある、いわゆる2LDKが凪の私室だ。もちろん、バストイレ完備である。
(まあ、荷ほどきって言っても、着替えをクローゼットにしまうだけだから、すぐ終わっちゃうなー。シークヴァルトさんたちは、今頃ひとり暮らしの準備を全部してるんだよね。大変そう)
ここにいないシークヴァルトとソレイユ、そして新たに凪の護衛補佐に加わったセイアッドの三人は、それぞれ別の学生用のアパートでひとり暮らしをすることになっている。何かあったとき、臨時の拠点とできる場所は複数あったほうがいい、という理由らしい。彼らはそちらの準備が整い次第、一度こちらへ合流すると言っていた。
(ソレイユ、ひとり暮らしははじめてだって、めっちゃ浮かれてたもんね。……うん、ちょっと羨ましい)
凪はこの世界に五体しかない生物兵器──もとい、大変貴重な聖女であるので、地脈の乱れが落ち着くまでは、ひとり暮らしなど夢のまた夢だろう。しかし、いずれお役御免になった暁には、家事のすべてを自分でこなさなければならないのだ。将来に備え、お気楽な学生でいられる間に、できるだけたくさんのことを学んでおかねばなるまい。
(お料理上手な騎士さまがいつもそばにいるっていうのは、すごくありがたいことだよね! よし、学園がお休みの日には、お料理を教えてもらえないかお願いしてみよう)
そんなことを考えているうちに、凪のクラスメートとして学園に入学する三人が次々にやってきた。広々とした応接室へ移動し、今後のことを彼らを交えて確認していく。
基本的に、この学園生活は凪が一般常識と基礎学力を身につけることと、同年代の子どもたちとの交流が目的だ。ライニールたちは、ほかにもいろいろと目的があるようだけれど、大人の事情には深入りしなくてもいいと言われている。
つまり、最初に王太子が言ったように、しばらくの間は『普通の子ども』として自由に過ごしていいのだ。きっと、あまり長い期間のことではないのだろうけれど、できるだけ楽しめたらいいと思う。
(そのうち聖女業がはじまるのは、仕方がないとして……。孤児院でリオと一緒に育てられた子たちのことも、やっぱり少し気になるし。どこかで、元気にやってるといいな)
凪は魔導学園の入学にあたり、一般的な学問知識がどれほどあるものなのかを確認するため、学園の運営側から送られてきたテストを受けている。
テスト科目は、言語が自国語と公用語、帝国語の三カ国語。一般教養が世界史、地理、数学、神学。それに、魔導理論。この中で、まったく解答できなかったのは、これから魔導学園で基礎から学ぶことになっている、魔導理論だけだった。
貴族家の子どもたちは、この科目についてもある程度勉強してから入学してくるらしい。けれど、平民出身の子どもたちが魔導理論を学ぶ機会はまずないと聞いて、ほっとした。自分ひとりだけスタートラインから大幅に出遅れているというのは、さすがに心が折れそうだ。
あの日、凪が夢の中で会話をした『世界の管理者』とやらは、十日もあれば凪の魂がリオの肉体と完全に同調し、リオの記憶がすべて甦るだろうと言っていた。そのため、目が覚めてからの十日間は、自分の人格が徐々にリオのそれに侵蝕されたりはしないかと、かなりビクビクしながら過ごしていたのだ。
しかし、実際には十日経ったところで、何も変化があったようには思えなかった。
これはいったいどういうことだ、と密かに首を捻っていたところに、件のテストである。どの科目のどの問題を見ても、『あ、これ知ってる』というノリで解答できている自分に気付いたときには、かなりの衝撃を受けたものだ。今の自分が使っている言葉が、日本語でなかったことにすら気付いていなかったのだから、なんだかんだいって通常モードとはほど遠い状態だったのだろう。もしかしたら、今もまだどこかおかしいのかもしれない。
だがよく考えてみれば、過去の記憶などというのは、普段はまったく意識していないものである。何かのきっかけがなければ──それこそ、テストなどで必要に迫られない限りは、思い出す必要などないのだから。
リオの記憶がすべて戻るというからには、短時間で彼女の人生のすべてを追体験するのではないかと思っていたので、少しばかり拍子抜けした気分だ。
(まあ、魔導理論が零点で、あとは全部満点っていうのは、ライニールさんもびっくりしてたけどさ。リオの脳って、実はかなりハイスペックだったりするのかな? ……うん、わたしのほうは平凡な脳みそでごめんよー、リオ。これからちょっと苦労するかもだけど、あれだけ必死に詰めこんだ受験科目は、さすがにちゃんと覚えてるはずだから、がんばって!)
だがこうなると、リオは少なくとも、貴族階級の子どもが多い魔導学園に、普通に通える程度の学力は身につけさせられていたわけだ。いずれ『商品』として売られるはずだった、孤児のリオ。そして、おそらく同じような教育を受けさせられていた、同年代の少年少女。
あの子どもたちは、いったいどんな目的で、誰に売られるための『商品』だったのか──。
(……あ。わたしが凪って名乗っていたら、あの子たちは『なんでやねん! おまえの名前はリオだろうが!』ってなるのかな? まあ、『商品』の持ち主が変わったら、その名前が変わるなんてよくあることだし。もしそのうち、あの子たちに会うことがあってツッコまれたら、そんな感じでごまかすことにしよう)
リオと同じ場所で育った子どもたちに、会いたいわけではなかった。凪自身に、そんな感情はカケラもない。何しろ、まったく関係のない赤の他人だ。
ただ、無事で生きていてほしいとは思う。リオは、彼らのことを友人ともきょうだいとも思い、とても大切にしていたから。
そんなことを考えながら日々を過ごしていくうちに、あっという間に入学式の日となった。
天気は快晴。
凪は今日、ライニールとともに魔導学園の入学式に出席する。彼はこの国の貴族社会で、かなり顔を知られているのだという。
マクファーレン公爵家から絶縁され、手切れ金のように渡されたのは、名ばかりの男爵位。そのほかには小さな領地すら持たない彼は、たった五年で魔導騎士団の副団長にまでなった。彼が行うさまざまな分野への投資は、最初は微々たるものだったその個人資産を、今や小国の国家予算レベルにまで膨らませている。
この五年間、社交界には一度も顔を出していないとはいえ、ずっと本人が拒否し続けている領地も、いずれ国王から与えられるだろう。そうなれば、国内有数の資産家で、若く美しく、おまけに面倒な
「そんな兄さんが、五年ぶりに貴族さまがたくさんいる場に出てきたと思ったら、わたしという『いるはずのない妹』の入学式でした、と。なんだか、ものすごくびっくりされそうだねえ」
「ああ。おれが今日の入学式へ出席することは、誰にも知らせていないからね。きっと、マクファーレン公爵家のみなさまも、さぞ驚いてくださると思うよ」
やはりと言うべきなのか、ライニールと凪の腹違いの兄弟である少年も、本日魔導学園の新入生として入学してくる。そして、マクファーレン公爵夫妻も、その保護者として入学式に参加するという。
今、ふたりが乗っているのは、豪奢な箱形の馬車の本体だけが、地面から十センチほど浮きながらオートで目的地まで進んでいく、不思議な中速移動用魔導具だ。はじめて見たときには、『馬がいないのに、勝手に馬車が走ってる……? ていうか、超低空飛行? え、馬車、とは?』と困惑したものだが、乗り心地は素晴らしくよかった。何よりこの外観のレトロ感がヨーロッパ風のおしゃれな街並みにマッチしている。馬が引いていないのに呼称が『馬車』というツッコミどころも相俟って、今となっては凪のお気に入りの交通手段だ。
その馬なしの馬車の中で、凪はくすくすと楽しげに笑った。
「わたしのもうひとりのお兄さん、グレゴリー・メルネ・マクファーレン、だっけ? その子もきっと、すごくびっくりするだろうね。兄さんも五年ぶりに会うなら、顔を見てもわからないんじゃない?」
「そうだね。おれが覚えているのは、十歳の生意気盛りのクソガキだ。オレがあの家を出るときには、栄えあるマクファーレン公爵家の嫡男だった方が、男爵位如きに身を落とすとはお気の毒なことですね、とまったくひねりのないことを言ってきたよ」
「うーん……。まあ、まだ十歳だし。そこは将来に期待……って、今がその将来か」
一応、貴族の階級について、少しは覚えた凪である。
上から公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵。ほかにも辺境伯だの騎士爵だのとあるらしいが、魔導学園のモットーは、学生間の身分を問わない交流による、豊かな可能性を持つ子どもたちの教育、だ。
つまり、建前上は学園内では生徒同士は全員平等。身分が下の者が、上の者におもねる必要はない。そんなことをしている暇があるなら、しっかり勉強をしなさいね、ということである。
そんな魔導学園の制服は、凪が密かに期待していた通り、とてもファンタジーの香り漂う素敵なものだった。女子のそれは、淡いくすみグリーンと白を基調としたワンピースだ。式典の際にだけ肩に掛ける小さなマントと、胸元の大きなリボンが可愛らしい。
そして、あまり華美にならないものであれば、アクセサリーは認められているということなので、凪の両耳と首は揃いのピアスとペンダントで飾られている。小さなドロップ型の青い魔導結晶が揺れているデザインだが、当然ながらただのアクセサリーではなく、GPS機能をはじめ、さまざまな防護術式が付与されているらしい。
王立魔導研究所で作られたものだそうだが、ライニール曰く、これだけたくさんの術式を付与していながら、なんの術式も付与していないように見せる隠蔽機能が素晴らしい、とのことだった。凪にはよくわからないけれど、ぱっと見にはただのシンプルなアクセサリーに見えるので、学園に行くときは常に着けているように、と言われている。
「わあ……」
そして、いよいよ学園の敷地内に入れば、そこは制服を着た大勢の子どもたちと、その両親と思しき華やかに着飾った人々でいっぱいだった。
オスワルドには、入学前に見学に行くことを勧められていたのだが、あれからいろいろと忙しくて、結局それは叶わなかったのだ。そのため、見るものすべてが新鮮で、同時に何やらふわっとした既視感がある。
(すごーい……。なんだこれ、どこかで見たぞ? ……あ、あれだ! 千葉にあるネズミの国の素敵パレード! 着ぐるみ! どこかに可愛い着ぐるみはいませんかー!?)
馬車止まりでライニールにエスコートされて地面に降りるなり、ついキョロキョロと辺りを見回してしまう。そんな凪に、ライニールは柔らかな口調で優しく言った。
「何か、気になるものでもあったかい? おれの可愛いお姫さま」
「……っなん、でもないです。お父さま」
あやうく「ごふっ」と口から出してはいけないナニカを噴き出しそうになったが、どうにか堪える。
(く……っ、最初から飛ばしてきますね、兄さん……! ふっ、いいでしょう。受けて立とうじゃあーりませんか。喧嘩と料理は何よりも下ごしらえが肝心だと、お母さんも言っていました! お母さんの喧嘩の相手は、主にこちらの都合をまったく考えずに同居を迫るおばあちゃんでしたけど!)
自分でも、何を考えているのかわからなくなってきた。
今の凪の役どころは『注目度バッチリのイケメン若手貴族に優しくエスコートされる、彼と同じ髪と瞳をした謎の美少女』なのである。たとえどれほどライニールの攻撃力が高かろうと、初手から撃沈している場合ではない。
この日のために、鏡の前でソレイユからビシバシに鍛えられた、愛らしく可憐な笑みを浮かべてライニールを見上げる。ここは、公共の場なのだ。迂闊なことをしては、ライニールの恥になってしまう。凪は、リオの記憶からそれらしい振る舞い方を引っ張り出し、そのモードにシフトする。
「素敵なドレスを着た女性がたくさんいらっしゃるものだから、つい見とれてしまいました」
「そうか。ナギは、どんなドレスが好みなのかな? 気になるドレスを見つけたら、あとで教えてくれるかい。それを参考にして、新しいドレスを作ってあげよう」
そう言ってライニールが笑った途端、周囲にざわりとどよめきが広がった気がした。しかし、一瞬のことだったので、気のせいかもしれない。
ライニールに導かれ、入学式の会場である講堂に向かって歩き出しながら、できるだけゆっくりとした口調で話す。
「ありがとうございます、お父さま。でも、わたしはこれからこの学園に入学するのですもの。ドレスを着る機会なんてないのに、もったいないです。お気持ちだけ、受け取らせていただきますね」
「そんなことはないよ、ナギ。実は王太子殿下が、きみを自分の婚約者に紹介したいとしつこくてね。できれば近いうちに、その機会を設けたいとおっしゃっているんだよ」
凪は、驚いた。
「王太子殿下の婚約者さまに? なぜでしょう?」
「うーん……。あの方は昔から、何を考えているのかわからないところがあるからね。もちろん、きみがいやならお断りしておくよ」
この様子だと、凪がいやだといえば本当にこの話は立ち消えになるのだろう。
しかし、王太子とその婚約者となれば、以前彼女がふわっと妄想した、理想的な王子さまとお姫さまカップルである。正直、見てみたい。
「……お父さまも、ご一緒してくださるのですよね?」
「もちろんだよ。おれがきみを、たったひとりでそんな場に放り出すわけがないだろう?」
それならいいか、と凪はうなずく。
「でしたら、ぜひご挨拶させていただきたいです。王太子殿下の婚約者さまというのは、どんな方なのですか?」
「殿下の婚約者は、エレオノーラ・リンドストレイム侯爵令嬢。おれもご挨拶したことはないけれど、とても聡明でお優しい方だと聞いているよ」
聡明で、優しい。ならば、聖女を騙るようなおバカさんで、リオを平気で殴っていたユリアーネ・フロックハートとは、真逆の人物とみた。
ほっとした凪に、ライニールがにこにこと楽しげに笑って言う。
「そういうわけで、ナギ。きみは、どんなドレスが好みなのかな? 王太子殿下とその婚約者の女性にご挨拶するとなれば、ドレスを用意しないわけにはいかないからね。できるだけ早めに教えてくれると嬉しいなあ」
「……ぜ、善処いたします」
そんなことを話しながら歩くうちに、芸術的な壁画で飾られた講堂に到着した。受付を済ませ、コンサートホールのような構造の会場へ入って、ライニールと並んで席に着く。
どうやら、貴族階級の子どもたちは、着飾った両親とともに出席するのが普通らしい。なんだか、昔何かの映像で見たオペラの観客席みたいだな、と思う。
ライニールももちろん盛装しているけれど、ほかの男性陣に比べると至極シンプルな装いだ。しかし、よその保護者たちの誰よりも人目を引いているようなのは、決して凪の気のせいではないだろう。
(まあ、うちの兄さんは、若くてキラッキラのイケメンでスタイルも抜群でいらっしゃいますから? よけいな装飾品なんてなくても、超絶目立つのは当然の当たり前なんですけどもね?)
凪がもともと保有していた濃いめのブラコン成分は、ライニールに対しても順調に効果を発揮しつつあるようだ。内心、「うちの兄さん、超カッコいいでしょう! でしょう、でしょう!」とドヤりつつ、あまり失礼にならないように気をつけながら、凪は周囲の華やかなドレスのチェックをはじめた。
それに気付いたのか、ライニールが低く抑えた声でアドバイスをしてくれる。
「この場にいる女性たちのドレスは、みな落ち着いた淑女向けのものだからね。十代のきみが着るには、ちょっと地味だ。それでも、きみが『素敵だな』と思うドレスであれば、その工房のデザイナーがきみ好みのドレスを作ってくれるかもしれない。そうじゃなくても、好きな色の組み合わせや、レースの使い方だけでもわかれば充分だよ。客の些細な好みの違いを把握して、その相手に一番似合うドレスを作るのはデザイナーの仕事だ」
とりあえず、凪のドレスがオーダーメイドになるのは、完全に確定事項であるらしい。
「じゃあ、まずは色からいこうか。ナギは、何色が好きかな?」
「淡い青と、白が好きです」
そう、とライニールが笑う。続けて、レースの使い方や刺繍の柄の好み、髪飾りの素材やそこにあしらう宝石の色まで、凪が感心するほど細かく尋ねられた。ライニールはこの五年間、社交界にまったく顔を出していなかったというが、こういった女性の装いに関する知識は、いったいどこで手に入れてくるのだろう。
不思議に思った凪が問いかけようとしたとき、ふとライニールが彼女から意識を外した。
「ああ、残念。そろそろおしゃべりはおしまいかな。式がはじまりそうだ」
ざわついていた講堂内に、音響系魔導具の稼働音が響く。口を閉じ、背筋を伸ばして前を見ると、壇上に魔導学園の学園長が姿を現した。
粛々とした雰囲気の中、入学式がはじまる。
(へー。学校の入学式の雰囲気は、どこもあんまり変わらないんだなあ。……リオのほうも、入学式はそろそろかな。ここの制服もすごく可愛いけど、あっちの制服もずっと憧れてたから、着られないのはちょっと悔しいでござるー)
凪が通うはずだった高校に、中学時代に仲のよかった友人は誰も進学していない。それがわかったときは、とても残念だったし寂しかった。
けれど、こうなった今となっては、むしろよかったのかもしれない。凪の中身が、いきなりぴゅあっぴゅあなリオになっても、高校デビューといじられることはないだろう。
(……リオ。同窓会とかは極力避けようね。わたしの友達が、わたしの顔でほわほわ笑うリオに会ったら、笑いすぎて死んじゃうかもしれないからね。女子高生の突然死事件が発生、死因は極度の笑いすぎ……いや、さすがにそれはないか)
そんなばかなことを考えているうちに、無事に入学式は終了した。なんだかエラそうな肩書きのおじさんおばさんがいろいろ話していたけれど、何も覚えていなくて申し訳ない。
だが、そもそも子どもというのは、興味のないことはすぐに忘れてしまうものなのだ。つまり、凪が──ピッカピカの新入生が興味を持つことができない話を、延々としていた彼らに落ち度がある。よって、凪は無罪。脳内裁判終了。
それから一度ライニールと別れ、前もって知らされていたクラスでオリエンテーションを受けることになった。保護者たちは生徒たちが戻ってくるまで、学園の中庭でお茶や軽食、酒類を楽しみながら待っているらしい。
ライニールが、心配そうに声をかけてくる。
「ナギ。ここから先は『はじめて会う人ばかり』だけれど、大丈夫かい? 緊張して気分が悪くなったら、すぐに担任の教師に言うんだよ」
凪は素直にうなずいた。シークヴァルトとソレイユ、セイアッドとは、今日が初対面の設定なのだ。
そして、非常に残念なことに、男子組のシークヴァルトとセイアッドは、凪とは少し距離を置いた中距離護衛ということになっている。近距離護衛は、ソレイユの担当だ。やはり、女子同士のほうが常に一緒に行動しても不自然ではない、ということらしい。
正直なところ、シークヴァルトに距離を置かれるのは、少し──否、かなり寂しかった。しかし、四六時中彼にそばにいられては、凪の心臓が過労状態になるのは間違いない。心臓にストライキを起こされては、持ち主である凪も死んでしまうので、ここは我慢しておくことにする。
「はい、大丈夫です。お父さまも、気をつけてくださいね」
保護者たちが楽しむ中庭でのガーデンパーティー。それは、同い年の子どもを持つ保護者たちの、社交場だ。つまり、ライニールが彼の獲物──もとい、当代マクファーレン公爵夫妻と、五年ぶりに顔を合わせることになるのである。
校舎の前で足を止めたライニールが、にやりと笑う。体をかがめ、彼はひどく楽しげに囁いた。
「知っているかい? きみの『兄』は、実は結構優秀な男だったりするんだ」
──兄。
自らを指してそう言った彼に、凪は柔らかくほほえんだ。同じように、こっそりと囁き返す。
「もちろん、知っています。では、楽しんでいらしてくださいね。……兄さん」
「ああ、行ってくる。愛しているよ、ナギ」
ライニールの指先が、頬を軽く撫でていく。
(………………ヒェッ)
一瞬、砂糖漬けにされたかと思ってしまったけれど、どうやらそんなことはなかったらしい。ちゃんと動ける。よかった。