第四章 素敵な魔人の物語

とりあえず、先にアイザックとシークヴァルトに事情が伝わっていたことは、不幸中の幸いだったのだということにしておこう。ふたりには、面倒をかけて申し訳ない。

それからライニールが落ち着きを取り戻すまで、少し時間が必要だった。最終的には、凪が彼の両手を握って『鎮まりたまえ、鎮まりたまえー』と念じることで、暴走寸前の魔力がどうにか元に戻ったのである。タ○リ神か。

それでもなお、瞳孔をかっ開いたライニールが、「ふ……ふふ……。あの女と魔導士は、おれがこの手で念入りに地獄へ落としてやる。いや、簡単に殺してやるわけにはいかないな。やつらには、この世に生まれてきたことを、全力で後悔させてやろうじゃないか」とぶつぶつ言っているのが、ちょっと怖い。

どうやら彼は、凪が実の妹であったという事実に驚きすぎていたせいで、森で彼女を発見したときの惨状については、きれいに頭からすっぽ抜けていたようだ。ユリアーネ・フロックハートたちへの恨み節が、徐々に自己嫌悪にまみれた言葉になっていく。

「本当におれは、今まで何を薄ぼんやりとしていたんだろうな。もっと早くナギを見つけていれば……」

「兄さん……。兄さんのほうが、少し休んだほうがいいんじゃないですか?」

凪の気遣いに、悩んでもしょうがないことで悩んでいたライニールが、真顔で振り返る。

「ソレイユにだけ、ナギが敬語をやめているのはズルいと思う」

「言葉のキャッチボールは、ちゃんとしましょう?」

そこで、暴走しかけのライニールをどうにか押さえこみ、疲労困憊の様子だったシークヴァルトが、こちらを見た。彼はひとつうなずくと、すちゃっと片手を挙げて言う。

「それは、オレもズルいと思ってる」

「シークヴァルトさんまで!?

凪は基本的に、年長の相手には敬語を使う派なのだ。

しかし、いい年をしたふたりがまったく大人げなく「ズルい、ズルい」と繰り返すものだから、結局凪のほうが折れる形になった。

(別に、いいんだけどさ。敬語、いちいち考えるの面倒くさいし。……大人って、なんだっけ)

この国の成人年齢は十八歳であるようだが、肉体年齢が成人したからといって、精神年齢まで成熟するとは限らないらしい。ソレイユが冷め切った目をして「あたしはやっぱり、団長の筋肉以外は認められそうにない」と呟いていたが、ちょっと意味がわからなかった。大人げのなさと筋肉のなさは、あまり比例しないはずである。

オスワルドが、ひとつ咳払いをしてから口を開く。

「仲がいいのは、結構なことだ。……そうか、ナギ嬢は治癒魔術の適性があるんだね。少し驚いてしまったよ」

それから、魔導学園への入学について、大人たちでいろいろと話し合いをするということで、ひとまず凪はソレイユとともに退室することになった。

ここレディントン・コートは、魔導騎士団の本拠地であるだけあって、広大な敷地ごと王宮並の防御システムによって守られているらしい。三重の防御シールドが常に展開しており、許可のない者は中の様子を窺うことさえ叶わないそうだ。

ひとまず、凪は誘拐事件の被害者兼、魔力持ちの子どもを対象とした人身売買事件の重要参考人兼、魔導騎士団副団長の妹として保護されることになった。とはいえ、事情を知らない騎士団の面々には、いまだその旨は通達されていない。いずれ団長であるアイザックから団全体に通達されるそうだが、その前に顔を合わせた団員には、別段隠す必要もないと言われている。

「ナギちゃん、ナギちゃん! あたしの同期に、先にナギちゃんを紹介していい!?

それまで居た部屋──アイザックの執務室から出るなり、やたらとテンション高くソレイユが言う。凪は、首を傾げた。

「同期って……背の高い、ソレイユと同じ制服を着ていた男の子のこと?」

「そう、そいつ。あ、めっちゃ目つきが悪くて無愛想だけど、悪いヤツじゃないから!」

ぐっと親指を立てた彼女がそうしたいと言うなら、凪には特段拒否する理由もない。うなずくと、ソレイユは嬉しそうに笑って歩き出した。

「セイアッド・ジェンクスっていうんだけど、昔からすっごく手先が器用でねー。あいつが趣味で編んだレースとか刺繍とか、本当に売り物になるレベルでキレイだから、そのうち見せてもらうといいよ!」

「……へえー。それは、楽しみだねえ」

あの笑いの沸点がやたらと高そうな、表情筋がちょいちょい仕事をさぼりがちに見えた少年の特技が、レース編みと刺繍仕事。やはりこの国の魔導騎士団では、ギャップ萌えが蔓延しているようだ。素晴らしい。

「あと、すっごく可愛いモノ好きでファッションセンスもいいから、これからナギちゃんがおしゃれ関係で何か困ることがあったら、セイアッドに相談しておけば間違いないよ。あたしも、しょっちゅうお世話になってる!」

「……そうなんだー」

セイアッド少年は、まさかのおしゃれ番長でもあるという。

凪は、彼との初対面のときに『何このフケツなイキモノ』という冷たい目で見られたことを思い出し、とりあえず曖昧な笑みで返しておいた。たとえ今はこの世界の聖女であろうと、極力周囲と波風を立てたくないニッポンジンの心は、彼女の中から決して失われることはないのである。

(まあ……可愛いモノ好きできれい好きな子なら、そりゃああのときのわたしは全力で『コッチクンナ』案件だよね。不可抗力だし、今はしっかりお風呂に入れてもらってきれいになったから、勘弁してもらえるといいなあ)

そうしてやってきたのは、凪が通っていた中学校の体育館よりも更に大きな、真新しい印象の屋内訓練施設だった。アイザックから呼び出しが来るまで、ソレイユはセイアッドとともにここで鍛錬をしていたらしい。

堅牢な石造りの要塞じみた建造物が、いかにも貴族のお屋敷然とした建物の裏手にあるというのは、なかなかシュールな眺めである。しかも、その巨大な屋内訓練施設は、全部で四棟もあった。これだけの施設群を個人で所有しているというアイザックのお財布事情が、ちょっぴり気になってしまう。

それらの威容に圧倒されていた凪だったが、ソレイユは軽やかな足取りでその中のひとつに向かい、入り口の扉横に嵌められた四角い石版に手のひらを当てた。直後、一瞬石版が光ったかと思うと、音もなく分厚い扉が消えてしまう。

(ひょっ!?

扉が左右に開くでもなく、上下に引っ込むでもなく、本当に消えたようにしか見えなくて、凪はその場で固まってしまった。そんな彼女に、振り返ったソレイユが笑って言う。

「ここの訓練関係の建物は、基本的に魔力認証方式になってるんだ。入るのには今みたいに許可された人間の魔力認証が必要だけど、出るのは普通に扉を押せば出られるよ」

「すごいねえ、びっくりした。えっと……ここって、わたしも入っていいの?」

アイザックからは、レディントン・コート内であれば、どこを見て回っても構わないと言われている。けれど、訓練施設というのは、さすがに部外者が安易に足を踏み入れていい場所ではないと思うのだ。

しかし、ソレイユはあっさりとうなずいた。

「ここは仮想空間魔導陣を設置した、シチュエーション対応型戦闘シミュレーション棟なんだ。どれだけ内部でやらかしまくっても、ギャラリーには影響がないから大丈夫だよ」

「うん。さっぱりわかんない」

真顔で応じると、ソレイユは悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「見ればわかるよ。さ、入って入って! ──今はねえ、状況が雨の夕刻、中型種の凶暴化した魔獣が単独出現。クリア条件は、魔獣の殲滅もしくは安全地帯への退避完了、だね。セイアッドは単騎で索敵任務中だから、魔獣の攻撃を回避して安全地帯に入れれば状況終了だよ」

ソレイユに手を引かれ、建物の中に入った途端、視界が暗くなった。建物の中心で、巨大な立方体が淡く輝いている。よく見ると、その中に薄暗い森の映像が浮かび上がっていた。

(うわ、あ……)

もし、完全3Dの超高精細映画館があるなら、こんな感じになるのだろうか。

雨が降りしきる森の中を、暗色のマントを頭から被った人影が、信じがたいスピードで疾走している。そして、その人影を背後から猛追しているのは、驚くほど大きな異形の獣。

巨大な蝙蝠こうもりの翼と赤く輝く瞳を持つ、漆黒の虎とも黒豹ともつかない筋骨隆々としたその獣は、サーベルタイガーのような牙を持つ口を大きく開いた。そこから、バチバチと音を立てながら炎の塊が連続して飛び出してくる。

(……映画? じゃ、ないよね?)

マントの人影は、次々に叩きつけられる炎の塊を素早く避けながら、背後の獣に向けて体を捻るなり左の手のひらを向けた。躍動していた獣の動きが、不自然に止まる。一体何が、と思えば、獣の後足が氷の塊によって地面に固定されていた。

「セイアッドは、水と炎の魔術が得意なんだ。魔獣の足下に大気中の水分を集めて、同時に炎の逆転魔術で急速に温度を下げれば、あんな感じに足止めができるの。──あ、安全地帯に入ったから、これで終わりだよー」

ごく普通の口調でソレイユが言うけれど、生まれてはじめてファンタジーなガチンコバトルを目の当たりにした凪は、驚くばかりで言葉も出ない。ひたすら目の前の映像に見入っていると、突然周囲が明るくなった。同時に巨大な立方体も消失し、何もなくなった空間にはソレイユと揃いの運動服を着た少年がぽつんと立っている。

獣に向けた左手を、軽く握って広げる動作を繰り返していた少年が、こちらに気づいて一瞬動きを止めた。驚いているのかいないのか、表情がまるで動かないので判断できない。

しかし、無表情というのはなんとなく怒っているように見えるものだ。それが、涼やかな美貌の少年とくれば、尚更である。

腰の引けた凪が意味もなく謝りたい気分になっていると、ソレイユがあっさりと少年に向けて声を掛けた。

「お疲れー、セイアッド。聞いて聞いて! ナギちゃんね、ライニール副団長の実の妹さんだったんだって! 団長が珍しく緊張してる感じだったから、ホント何事かと思ってたけど、まさかのまさかだよねー!」

輝く笑顔で、いきなり凪の素性をぶちまける。さすがに驚いたのか、セイアッドがわずかに目を見開いてこちらを見た。

(おうふ……。クール系美少年にガン見されてるぅ……)

ものすごく、居心地が悪い。

凪がすでに恋する乙女でなければ、ここはもしかしたらキュンキュンときめく場面だったのかもしれない。しかし、彼女の中の対美少年ときめき成分は、すでにシークヴァルトに対して最後の一滴まで完売済みである。よって、ひたすら脂汗が滲むようないたたまれなさを感じていると、セイアッドが小さくうなずいた。

「よかった」

(……んん?)

何がよかった、なのだろうか。想定外の反応に戸惑う凪に、セイアッドが無表情のまま続けて言った。

「ライニール副団長は、ずっとあんたを捜していた。おれは、あの人を尊敬している。ので、今後あの人が気分よく馬車馬のように働くためにも、あんたのことはおれが全力で可愛くしよう」

「………………なんて?」

前半は、よしとしよう。ライニールが生き別れの妹を捜していたことを、同じ魔導騎士団に所属しているセイアッドが知っていても不思議はない。

しかし、後半は何がどうしてそうなった。思い切り首を傾げた凪を見て、ソレイユがセイアッドに文句を言う。

「ちょっとぉー、セイアッドー。ナギちゃんが戸惑っちゃってるでしょー?」

なんだかソレイユが、いきなり学級会の女子のノリになった。しかし、セイアッドはそんな女子の攻撃でタジタジになる男子ではなかったようだ。

「おれは基本的に、男女差別はしない方針で生きている。ただし、女の顔にわざと傷をつけるような男は救いようのないクソだと思っているし、そんなヤツは急所を蹴り潰されても文句を言う権利はない。なのに、嘘泣きの涙を武器にする女は、見ているだけで顔面に蹴りを入れてやりたくなるから、できればやめてもらいたいところだ」

「お、おう……?」

ソレイユのほうが、引き気味になった。女性の顔を傷つけることはタブーだと思っていても、泣き落とし系女子の顔は蹴れるらしいセイアッドは、淡々と続ける。

「ただ、そういったおれ個人の感覚とは別に、単なる厳然たる事実として、可愛い女子が可愛い格好をしていると、それだけでテンションが上がるのが若い男というものだ。それについては、もう男という存在自体がそういうものなので、仕方がないと思ってくれ」

「なんだかグダグダ語ってるけど、要はあんたが可愛いモノ好きってだけだよね?」

半目になったソレイユが、真顔でツッコむ。セイアッドは、あっさりとうなずいた。

「そうとも言う」

「素直かよ」

同期というだけあって、このふたりは随分仲がよさそうだ。凪がぽんぽんとリズムのいいふたりの会話に感心していると、セイアッドが静かな眼差しで彼女を見る。

「おれは、ライニール副団長の過去については、元々マクファーレン公爵家の人間だったということしか知らない。だが、あんたがあの人の妹だというのなら、今後あの家絡みでものすごく面倒なことになることくらいは、想像がつく」

「わあ。物知りで話が早い」

凪は驚いた。マクファーレン公爵家というのは、もしや彼女が思っているよりも有名なおうちだったりするのだろうか。

(今の王妃さまの実家だから? それでも、これくらいの年の男の子が普通に知ってるって、なんかすごいな。……今のニッポンの皇后さまのご実家って、何さまだっけ)

残念ながら、凪は自分の生まれた国の象徴たるご一族について、まったく詳しくなかった。何しろ、学校のテストには出ないので。現在の政治家の名前だって、首相くらいは辛うじて覚えているけれど、それ以外は地元のポスターで見る名前が、なんとなく頭の片隅に引っかかっているだけだ。

セイアッドの物知り具合に感心しつつ、凪はひとまず彼に挨拶をすることにした。

「えっと……。今更ですけど、ついさっきライニールさんの養子になった、あの人の妹のナギ・シェリンガムです」

「セイアッド・ジェンクスだ。あんたはおれと同い年だと聞いている。セイアッド、と呼んでくれて構わない。敬語も不要だ」

セイアッドも、十五歳だということか。

「わかった。わたしのことも、ナギでいいよ。それにしても、ソレイユもセイアッドも十五歳で魔導騎士団の見習いって、なんかすごいね。魔力持ちの子どもは、十五歳になったら魔導学園に入学するって聞いたけど、例外もあるんだ?」

ああ、とセイアッドがあっさりうなずく。

「おれとソレイユは、どうも魔力適性が高すぎたらしくてな。子どもの頃は魔力のコントロールがまるで利かなくて、癇癪を起こして魔力を暴走させては、周囲を破壊しまくっていたんだ。結局、ふたりとも生まれた家では育てるのが難しいということで、先代のリヴィングストン伯爵がおれたちを引き取って育ててくれた」

そうそう、とソレイユが笑って続ける。

「だからあたしたち、アイザック兄さま──じゃない、団長とは義きょうだいみたいなものなんだよね。で、十二歳から特例で騎士養成学校の魔導騎士科に入学したんだけど、ホラ、地脈の乱れが発生しちゃったじゃない? そしたら、魔導騎士科の学生は、所定の単位数さえクリアしていれば、卒業資格を取得した上で、魔導騎士団に見習いとして配属してもらえるって話になってさー。もう、即行で願書を提出したよね!」

「何事もなく卒業していれば、どこの騎士団に配属されるかわかったものじゃなかったからな。そういう意味では、間違いなく敬愛できる団長のいる団を選べたおれたちは、運がよかった」

このふたり、やけに息がぴったりだと思えば、まさか同じ家できょうだいのように育った間柄だったとは。アイザック兄さま、と言いかけた様子からして、彼ともきょうだい同然の親しい関係なのだろう。

(十五歳のソレイユが、なんで魔導騎士団団長のアイザックさんに憧れるっていう話になるのか、ちょっと不思議に思ってたんだよね。なるほど、なるほど。……ふたりとも、苦労してきたんだなあ)

どうやらここにいる十五歳組は、揃って家族との縁が薄いらしい。

ついしんみりとしていると、セイアッドが小さくため息をついた。そして、何やらいやそうな顔をして言う。

「おれの生家の長兄は、実力はまあそれなりにあるんだろうが、どうにも気合いの熱量が高過ぎてうっとうしいんだ。正直なところ、よくあれで騎士団長を務めていると思う」

「……んん? セイアッドの血の繋がったお兄さんも、どこかの騎士団長なの?」

首を傾げた凪に、ソレイユが笑って答える。

「そうだよー! 東の砦を守ってる、第三騎士団の団長さん。ちなみに、南西の砦を守ってる第八騎士団の団長は、あたしのお父さん! あたしたちが生まれた頃は、ちょうどあちこちの国境が騒がしい時期だったみたいでねー。ジェンクス侯爵家もうちのバレル伯爵家も、乳幼児の魔力暴走を抑えこめる人間が、揃って出払ってたんだって。お父さんなんて、あたしの顔を見るたび『自分で育てたかったー!』って号泣しちゃうんだよ」

「へえ。だからおまえは昔から、第八への入団だけは断固拒否していたのか」

ソレイユが、途端に真顔になった。

「当たり前じゃん。あの人、絶対あたしを甘やかすに決まってるもん」

「娘からの信用がなさ過ぎで笑えるな、あのおっさん」

「そういうことは、ちょっとでも笑いながら言うべきだと思う」

前言撤回。

この中で家族との縁が薄いのは、凪だけだったようだ。

そして、セイアッドの実家もソレイユの実家もシャクシャクしているということは、ふたりとも貴族のお坊ちゃまお嬢さまだったということか。ふたりとも口調がそれっぽくないから、少し意外だ。

(ふーん。それじゃあこのふたりにとっては、自分の生まれたおうちと、アイザックさんのおうちが、両方自分のうちみたいなものなのかー。……いや、わたしにはライニールさんという、ゴージャス過ぎる立派なお兄さんがいるし。別に、このふたりが羨ましいとか思ってないし。……ただちょびっとだけ、お父さんとお母さんとお兄ちゃんにもう会えないのが、寂しいだけだもん)

ふと胸を掠めたやるせなさは、曖昧なニッポンジンのほほえみでごまかしつつ、凪は気になっていたことをふたりに問うた。

「でも、魔導騎士団ってすごく危険なお仕事をするところなんでしょう? いくらアイザックさんが団長だからって、そういうのが怖いとかイヤだとかはなかったの?」

どれほど生まれ持った素質が高かろうと、何かを怖いと思う気持ちは誰だって変わらないはずだ。凪だって、いくら自力で治せる自信があるといっても、怪我をするのも傷つけられるのも、怖いしイヤだ。

しかし、一瞬顔を見合わせたふたりは、まるで当然のことのように言う。

「魔力適性ってさ、あんまり高すぎると、周りから怖がられるのが普通なんだよね。けど、魔導騎士団のメンツって、みんなそういう『怖がられる側』の連中ばっかりなんだ」

「正直、『普通の連中』の集団にまざっているより、ここにいたほうが気楽に過ごせる」

凪は、目を瞠った。

「周りの人たちから怖がられるよりは、仕事で怖い思いをするほうがマシってこと?」

「いやー、ぶっちゃけあたしたちって見習いだし。十八才になるまでは、実戦投入されることもまずないしねえ。魔導騎士団だからって、特に怖いとかもないんだなーこれが」

ぽりぽりと頬を掻きながら、ソレイユが苦笑する。

「もちろん、大好きな団長の力になりたい、っていうのはあったけどね。あたしはただ、ちゃんと大人になれるまでは、少しでも自分らしくいられる場所にいたかっただけだよ」

「おれは、自分の力を一番活かせるのは、ここだと思った。それに、この国の最大戦力として魔導騎士団が結成された以上、聖女が出現すればその護衛はここの仕事になるからな」

(ひょっ)

聖女、という単語が突然出てきて、凪は危うくおかしな声を出しそうになった。

「聖女の実物を見られる機会など、普通の騎士団にいてもあるかどうかわからない。見習い身分でも、魔導騎士団にいればその可能性は上がると思った」

「えー。あんた、そんなに聖女さまを見てみたかったの?」

ソレイユの意外そうな問いかけに、セイアッドが淡々と応じる。

「数十年に一度しか出てこない珍しいイキモノは、できればナマで見てみたいと思わないか?」

「まさかの珍獣扱い」

真顔になったソレイユのツッコミに、凪は思わず笑ってしまった。

「それじゃあ、ユリアーネ・フロックハートがニセモノ聖女で、セイアッドは残念だった感じ?」

「多少は。ただあの女は、自分の家から連れてきた魔導士以外の戦闘要員は、野蛮だなんだと言って、ほとんど自分に近づけさせなかった。護衛の任に就いていた第一部隊のメンバーすら、ベールを被った姿を遠目に見るのがせいぜいだったと言っていた。やはり魔導騎士団に入ったからといって、必ずしも聖女を間近で見られるわけじゃないらしい」

第一部隊、というと、凪が森で拾われたときに、アイザックとともにいた人々のことだろうか。だとしたら、シークヴァルトとライニール以外の面々とも、そのうちご挨拶することもあるのだろう。何しろ凪は、本物の聖女なのだから。

(つーか、魔導騎士団の人たちを野蛮だとか、何サマだよユリアーネ・フロックハート。みなさん、あまりの眩さにうっかり目が潰れそうなほどのイケメン揃いぞ? ……あ、もしかして、知らない人たちにずっと近くにいられると、ニセモノなのがバレそうでイヤだったのかな)

その辺の事情はわからないが、凪にとって大切なのはそこではない。

「ニセモノ聖女って、捕まったあとはどうなるのかな? わたし、あの人たちにはめちゃくちゃ恨みがあるからさ。何しろ、ガッツリ殺されかけてるし。できれば、ふたりとも全力でぶん殴ってやりたいんだよね」

慰謝料云々については、ひとまず置いておくことにする。それに関して、詳しい話を聞くとすれば、凪の保護者であるライニールだ。

両手の拳を固め、むん、と気合いを入れる凪に、騎士養成学校でいろいろと学んでいるらしい少年少女が、揃って難しい顔になる。

「聖女を騙ったっていうのは、国を相手にした前代未聞の詐欺事件だからねえ。普通に考えるなら、めちゃくちゃ気合いの入った裁判が開かれるはずだけど……」

「国中どころか、大陸中の注目が集まる事件だからな。王宮側も、中途半端なことはしないだろう。おそらく、ニセモノ聖女とその仲間たちは、これから厳重な監視下に置かれた上で、裁判を待つ身になる」

セイアッドが淡々と凪に言う。

「この国の司法は、私刑も個人の報復も認めていない。いくらあんたがあいつらに殺されかけた被害者でも、直接ぶん殴って復讐をするのは不可能だ」

「何それ理不尽!」

それでは、リオの殺され損ではないか。

(やだやだ、絶対ぶん殴る! リオの仇は絶対許さん!)

憤る凪に、ソレイユがなだめるように口を開く。

「ナギちゃんが殴らなくても、連中のやったことはもれなく絶対に死罪になる案件だから。人を殴るのって、慣れてないと逆に怪我したりするし、ね?」

「少しくらい怪我したって、気にしないもん! わたしは殺されかけたんだから、殴り返すくらいしたっていいと思う! それで、ライニールさんに家畜の血をおねだりして、連中の頭からぶちまけてやらなきゃ気が済まないぃいいーっっ!!

全力で被害者の主張をする凪に、セイアッドがわずかに顔を強張らせた。

「あんたからのはじめてのおねだりが、家畜の血液というのは……。副団長が可哀相だから、やめてやってくれ」

「……だったら、がんばって働いてお金貯めてから、ライニールさんに家畜の食肉処理場に連れていってもらって、自分で買う」

ソレイユが、引きつった声で言う。

「ナギちゃんとのお出かけ先が、家畜の食肉処理場っていうのも、さすがにちょっと……」

「もぉおおお! ダメダメばっかりじゃん! わたしはただ、自分を殴ったり殺そうとした連中を、自分の手でぶん殴り返してやりたいだけなのにーっっ!!

癇癪を起こしてその場にしゃがみこみ、凪は握った拳で床を叩いた。手が痛い。その痛みで、少し頭の芯がクリアになる。

ふふふ、と凪は不気味に笑った。

「……そうか。だったら、合法的に連中をぶちのめせる立場になればいい、というわけだね? つまりわたしはこれから一生懸命勉強して、死刑執行官を目指せばいいと──」

「なんでそうなる」

「殺意が重すぎるよ!」

だって、殺されたのは凪じゃない。自分のことじゃないから、簡単に諦められない。

けれど、少なくとも今の状況では、ユリアーネ・フロックハートとその仲間の魔導士まで、この手が届かないことは理解した。

(あの連中が捕まったのなら、すぐにでもリオの仇を討てるのかと思ってたのに)

ここは、夢の世界じゃない。ただの現実。そう何もかも上手くいくわけがない。

だったら、どうする。

(……やっぱり、学校かな)

今の凪に一番必要なのは、この世界で生きていくために必要な知識と常識だ。自分にできることとできないことを見極めるためにも、その基準となるものをきちんと身につけなくてはならない。

知識は、力だ。まずは、その力を手に入れる。幸い、そのために必要な環境は、たった今この国の親切な王太子殿下が用意してくれているところだ。

(よし。このお礼は、のちのち聖女業でしっかりお支払いしますので、ありがたくお勉強させていただきます。オスワルド殿下)

いじいじとしゃがみこみながら、そんなことを考えていた凪に、セイアッドが声を掛けてくる。

「ユリアーネ・フロックハートとその仲間たちは、あんたが手を下さなくても勝手に死ぬ。それでは、だめなのか?」

「セイアッドって、なんにも悪いことをしていないのに心臓を剣でぶっ刺されて、そのまま森にポイ捨てされても、犯人の後始末を黙って他人に任せられるわけ? すごーい、心広ーい」

しばしの沈黙のあと、セイアッドがぼそりと言う。

「あんた……なんで生きてるんだ?」

「そこかよ! いや、気持ちはわかるけど!」

くわっと顔を上げると、中途半端に両手を上げたソレイユが、困り切った顔で口を開いた。

「いや……うん。ナギちゃんの、犯人をぶん殴りたい気持ちは、ちょっとわかるよ。あたしだって、そんな目に遭ったら──まあ、あたしは治癒魔術の適性がないから、心臓を刺されたら普通に即死するけどさ。……そうだね。もしそんなことになったなら、相手を生きたまま腐り殺せる素敵な魔人に、あたしはなりたい」

途中で真顔になった同僚の宣言に、セイアッドの顔色が若干悪くなる。

「おい、ナギ。ソレイユまで怖いことを言い出したぞ」

「え? ここの人たちって、恨みを残して死んだら魔人になるの? 魔人って何?」

凪の疑問に、セイアッドは真面目に答えてくれた。

「いたずらをした子どもに言い聞かせる、おとぎ話に出てくる化け物のひとつだ。その昔、とても強い力を持った魔導士が仲間に裏切られ、非業の最期を遂げた。その際、あまりに強い恨みを抱えていたせいで死にきれず、徐々に腐っていく体のまま、今も己を裏切った者たちへの復讐を狙っているという。それが、魔人だ。ソレイユが言っているのは、その体に触れた者は、同じく生きたまま体が腐っていくとされているやつだな」

なるほど、ゾンビか。

納得した凪はうなずき、ソレイユに満面の笑顔を向ける。

「ソレイユ。魔人になっても、仲よくしようね!」

「うむ。しかし、炎を統べる魔人や、落雷を統べる魔人も捨てがたい」

どうやら魔人というのは、感染ゾンビタイプだけではないらしい。ちょっと、わくわくする。

「ほかの魔人も、体が腐ってるの?」

「基本はねー。魔人は死人返りみたいなものだから。ただ、魔人になるのってすごい魔力の持ち主ばっかりだから、普段は幻覚魔術で生前の姿をしてるんだって。それで、レッツ復讐! ってときだけ、相手にドロドロになった本当の姿を見せるんだよ」

おお、と凪は両手を打ち合わせた。

「それは、カッコいいね! 復讐は決して諦めない強い心を保ちつつ、無関係な人たちに迷惑をかけない心意気が素晴らしい!」

「だよね! 目指せ、イケてる魔人の心意気! と言うわけで、ナギちゃんが今すぐユリアーネ・フロックハートたちを殴りに行こうとすると、ライニール副団長を筆頭に、ものすごーく胃を痛めそうな人たちがたくさんいるから、何か上手い方法を考えつくまでは先送りにしておこうねー」

打ち合わせた両手を、ソレイユの両手にがっしと掴まれる。凪は、思わず半目になった。

「……ソレイユって、演技が上手だって言われない?」

「ない。むしろ、かなり下手なほう。とりあえずあたしは今、団長たちから全力で褒められてもいい仕事をしたと自負している」

真顔で言う彼女の頭を、セイアッドがぽんぽんと撫でる。

「安心しろ、ソレイユ。おまえが魔人になったら、おれがちゃんと首を刎ねてやる」

「人を勝手に腐らせるな!」

ソレイユが、べしっとセイアッドの手を払いのけた。猫パンチか。

非常に不本意ながら、ユリアーネ・フロックハートたちをぶん殴ろう計画は、ひとまず暗礁に乗り上げる形になったようだ。凪は、ぐぬぬ、と唸った。

(ええい、畜生め。こうなったら、本懐を遂げるそのときまで、この恨みをじっくりねっとりコッテリ熟成してやる。わたしはお母さんから、ご恩は倍返し、恨みは三倍返しが基本だと教わっているんじゃい。わたしから逃げられると思うなよ、ユリアーネ・フロックハート!)

元々凪は、大切にとっておいたお菓子を兄に食べられた恨みを、いつまでもねちっこく覚えているタイプなのだ。リオが──『自分』が殺される瞬間のことを思い出し、胃の中身をすべて戻すレベルで追体験している以上、その恨みは市販のお菓子の比ではない。何しろあのときケロケロしてしまったのは、ここの騎士さまたちが凪のために、手ずから作ってくれた思いやりの塊なのだ。

殺されてしまったリオの恨み、無駄にしてしまった料理の恨み。そして、今までの幸福をすべて奪われた凪自身の恨み。これだけ揃って、忘れられるわけがないではないか。

とはいえ、現状凪にできることはない。慰謝料だなんだと喚いたところで、どんな手続きをすればいいのかもわからないのである。しょせんは、浅はかな子どもの思いつきだ。

(……勉強、しないと)

しみじみとため息をついた凪は、ふとこれからのことを考える。

「ねえ、ソレイユ。わたしはこれから魔導学園に入学するんだけど、わたしの護衛補佐ってことは、ソレイユも一緒に入学するのかな?」

ソレイユが、ああ、と目を見開く。

「そう言えば、そんなことを言ってたね? うん、たぶんそうなるんじゃないかな。……うわー、あたしが魔導学園に通う日が来るとは!」

何やら楽しげな様子の彼女に、セイアッドが問う。

「どういうことだ? おまえが、ナギの護衛補佐?」

「あ、言ってなかったっけ? うん、さっきそういうことになったんだー。ホラ、あんたも言ってたけど、これからマクファーレン公爵家絡みでいろいろ面倒ごとが起こりそうだからさ。ナギちゃんに何かあったら、ライニール副団長が普通に病みそうだし。ちなみに、シークヴァルトさんが護衛のメインで、あたしが補佐ね」

先ほどの数分で、すでにライニールが重度のシスコンを患っていることを、ソレイユは見抜いてしまったらしい。なんだか、申し訳ない気分になるのはなぜだろう。

凪は、ぽりぽりと頬を掻く。

「わたしに何かあっても、それこそ死ななきゃ自分の治癒魔術ですぐ治せるんだけどねえ。むしろ、シークヴァルトさんとソレイユが怪我なんてしたら、わたし普通にキレるから。その辺ホント、安全第一でお願いします」

「~~っだーかーらー! あたし、魔導騎士団見習い! ナギちゃん一般人! ナギちゃんの護衛担当になった以上、あたしにとってはナギちゃんの安全が最優先! これは絶対、譲れません!」

ええー、と凪は眉根を寄せる。

「剣で心臓を刺されても、即セルフで復活するようなヤバい人間は、あんまり一般的とは言い難いと思う」

「い……一般的じゃなくても、カテゴリー的に一般人なの! 保護対象!」

そこで、ひとつため息を吐いたセイアッドが口を挟んできた。

「ナギ。あんたは少し、守られることに慣れたほうがいい」

「? どういうこと?」

首を傾げる凪に、セイアッドは続けて言う。

「あんたは、ライニール副団長の実の妹なんだろう。マクファーレン公爵家が、なんの落ち度もないあの人を、言い掛かりに近い理由で追い出したことは、貴族階級の人間なら誰でも知ってる。あんたの存在についても、いずれ公表されれば相当の騒ぎになるはずだ」

「え? セイアッドって、わたしがマクファーレン公爵家から捨てられた経緯、知ってるの?」

随分な物知りさんだと思っていたが、これは想像以上だ。

しかし、セイアッドは首を横に振った。

「それは、知らない。ただ、愉快な話ではないことくらいは想像がつく」

「あ、そうなんだ。じゃあ、一応教えておくね。わたしもライニールさんから聞いた話だけど、わたしがお母さんのお腹の中にいるときに、マクファーレン公爵の愛人さんも妊娠してたんだって。で、公爵がその愛人さんを奥さんにするために、わたしのお母さんに浮気の濡れ衣を着せて、修道院に追い出したらしいよ」

この際だから、ふたりに全部説明してしまえ、と凪は続ける。

「わたしを修道院で産んだお母さんは、そのあとすぐに死んじゃって。去年の秋まではノルダールの孤児院にいたんだけど、あそこって人身売買組織の商品管理施設だったらしいし、状況的にユリアーネ・フロックハートに売られたのかな? この辺はちょっと記憶が曖昧なんだけど、最後には森でざっくり刺されて殺されかけて。それで、どうにか自力の治癒魔術で復活したあと、運よく魔導騎士団に拾われて、今はライニールさんの妹兼養女になりました、と。……うん、こうやって改めて並べると、本当に意味がわからないねえ」

もっとも、ユリアーネ・フロックハートたちに殺された直後に、リオと凪の魂が入れ替わってしまったというのが、一番意味がわからないのだが。その辺については誰にも言えないことであるし、どうしようもないことなので、スルーしておくことにする。

(……んん?)

なんだか妙に静かだな、と思えば、何やらソレイユとセイアッドが揃って顔を強張らせていた。

「ふたりとも、どうかした?」

「……どちらかと言えば、どうかしているのはマクファーレン公爵家だと思う」

セイアッドの答えに、ソレイユがうなずく。

「……だよね。普通、いくら愛人に子どもができたからって、正妻を追い出したりしないよね。しかも、そこまでして後継者にしたのが、ライニール副団長とは比べものにならないほどのあほたんちんとか。それが一番意味わからんわ」

「あほたんちん」

たしかライニールも、自分たちの腹違いの兄弟を指して『能なし』と言っていた。……そんなに、ひどいのだろうか。

(そう言えば、同い年ってことは、その兄弟くんも今年魔導学園に入学するのかな? まあ、親がどんなにアレで、本人が多少あほたんちんでも、わたしが直接その子に迷惑を掛けられたわけじゃないしねえ)

『腹違いの兄』の顔くらいは、一度見てみたい気はするけれど、それだけだ。深く関わると面倒そうな相手であるし、あまり近づかない方向で行くことにしよう。

そんなことを考えていると、セイアッドがずれた話を戻そうと改めて口を開く。

「まあ……うん。そういうことなら、尚更だ。マクファーレン公爵家があんたの存在を知った場合、最悪暗殺の可能性もある。そもそも、護衛する側の人間にとって、護衛対象を損なうというのは、断じて許しがたい事態だ。屈辱と言ってもいい。あんたは、護衛を付けられることを受け入れた時点で、何があっても無事でいる義務がある」

そうそうそうそう、とソレイユが全力で首を縦に振る。

「ついでに言うなら、ライニール副団長の養子になった以上、ナギちゃんを守るのは保護者である副団長の義務だから。ナギちゃんは、そんな副団長の胃を守るためにも、ちゃんとあたしたちに守られててね、ってことだよ!」

「いや、わたしだって別に好き好んで怪我をしたいわけじゃなくてね? ただ単に、わたしのせいでシークヴァルトさんやソレイユが怪我をするのはイヤだよ、って言ってるだけなんだけど……」

どうにも、会話が噛みあわない。

最終的に、大きく息を吐いたセイアッドが、眉間に皺を寄せてびしりと言った。

「じゃあ、あんたにもわかりやすいように言ってやる。──なんの訓練も受けていない素人は、黙ってプロに守られていろ。下手に動くな。邪魔だ」

「……ハイ」