「……いいか? 今後、おまえに不埒ふらちな目を向けるゲス野郎がいたら、必ずオレに報告しろ。全力で、そいつの性根をたたき直してやる」

「いや、ですからシークヴァルトさん。わたし、無一文の孤児なんですってば。聖女のお仕事で、どれだけ国からお給料がもらえるのかは知らないですけど。みなさんみたいな立派な騎士さんたちを護衛に雇うとか、出世払いでも勘弁してください。絶対、貯金とかできないやつじゃないですか」

ものすごく複雑そうな表情を浮かべたシークヴァルトが、給料、と呟く。そして、何やら頭を抱えているアイザックを見て問いかける。

「団長。聖女って、どれだけ給料が出るもんなんだ?」

「……聖女は通常、王族に準じた扱いとなる。だが、聖女に対する報酬……いや、手当? というのは……。王宮で記録を調べればわかるかもしれんが、その……」

アイザックらしくもない、もにょもにょした言いようである。凪は、なんだか不安になった。

「タダ働きとか、絶対イヤですよ? わたし。聖女のお仕事って、結構危険なんでしょう?」

「た、タダ働きというかだね……。聖女というのは、大抵その国の王族に嫁ぐのが慣例になっているのだよ。そのため、聖女としてというよりも、王族に輿入れする女性としての予算が組まれていたのではなかったかな」

嫁ぐ。つまり、お嫁さんになる。……王族の?

その言葉の意味を理解した瞬間、凪は全身に鳥肌を立てた。

「……絶っっっ対、イヤですっっ」

両手を固く握りしめ、立ち上がった凪は全身全霊で拒絶する。

「知ってるんですからね、わたし! 庶民が王族やら皇族やらに嫁ぐと、ロクなことがないんです! マスコミにあることないことないことないこと書き立てられて、プライベートとか完全皆無! 旦那さまの周りにいる、お血筋の正しいお姫さまやらお嬢さま方にいじめられて、ストレスのあまりぶっ倒れたり、声が出なくなったり、人前に出られなくなったりするんです! お気の毒! そんなことになるくらいなら、わたしは聖女のお仕事なんか出来なくたって結構です!」

彼のシンデレラだって、継母がやってくるまでは、普通に裕福な貴族のひとり娘だったのだ。幼い頃からそれなりの教育はされていただろうし、舞踏会に飛び入り参加して、婚活中の王子さまと踊れるくらいの度胸やスキルは持っていた。あの物語がめでたしめでたしで終わっているのは、主題となっているのが身分違いの恋などではなく、スカッとざまぁをスパイスとした玉の輿だったからだ。

元の世界でシンデレラストーリーに乗っかった庶民出の女性たちだって、そもそもが王族の男性と出会えるような富裕層や、素晴らしい美貌と教養の持ち主ばかり。そんな彼女たちでさえ、とんでもない苦労と努力をしているのだ。

なのに、混じりっけなし純度百パーセント天然果汁の庶民である凪が、聖女であるという一事のみをもって王族に嫁いだりしたら、いったいどんな恐ろしいストレス地獄が待ち受けていることか。想像するだけで、胃が『あ、それ無理ッス』と白旗をあげている。

「おおおおお落ち着いてくれたまえ、ナギ嬢! 慣例は慣例であって、断じて義務ではないのだ! そう、たしか歴代の聖女の中には、王族との婚姻を結ばなかった方もいらしたはずだ!」

「そそそそそうだぞ、ナギ! この大陸に、聖女に無理強いできる人間なんていないんだから、おまえがイヤだと言えばそれまでだ!」

つられたように立ち上がったアイザックとシークヴァルトが、真っ青になって言い募ってきた。彼らの言葉に少し安心したものの、やたらと上背のあるふたりに見下ろされた挙げ句ににじり寄られると、プレッシャーがハンパではない。

むぅ、と顔をしかめた凪は、ひとまず再びソファーに腰を下ろした。

「それなら、いいですけど。……って、あれ?」

王族との婚姻、というフレーズで、何かが凪の意識に引っかかる。なんだろうな、としばし考え、ふと小さな可能性を思いついた。その疑問を、大きく息を吐いて席についた男性陣に向ける。

「あの、さっき聞いたユリアーネ・フロックハートさんの捨て台詞の中に、自分を愛さなかった王子さまともどもみんな死んでしまえー、みたいな、お花畑な脳みそが根腐れしてるんじゃないか疑惑が甚だしいフレーズがありましたよね?」

アイザックが顔を引きつらせ、シークヴァルトが半笑いでうなずく。

「ああ、そうだったな。それがどうかしたか?」

「ひょっとしてユリアーネ・フロックハートさんって、聖女なら王子さまのお嫁さんになれるからって、本物の聖女だったわたしを隠して、自分が聖女のフリをしちゃったんですか?」

──沈黙。

ややしばらく重苦しいそれが続いたあと、アイザックが口を開く。

「詳しい事情聴取は、これからだが……。いくらなんでも、そのようなばかばかしい理由で聖女を騙るなど……」

「ユリアーネ・フロックハートさんはおバカさんだから、聖女でもないのに聖女のフリをしていたんですよね。だったら、彼女がそんなことをした理由がどれだけばかばかしくても、不思議はないと思います」

証明終了、Q・E・D。

「なんと……っ」

アイザックが、ものすごく衝撃を受けている。きっと、根がものすごく真面目な人なのだろう。

「まあ、ぶっちゃけ理由とかはどうでもいいんですけどね。少なくとも、わたしはユリアーネ・フロックハートさんに協力してた、白い魔導士に殺されかけてるんです。それから、わたしの記憶にある、泣きぼくろのある金髪美人さんがユリアーネ・フロックハートさんなら、彼女には顔を殴られてるんですよ」

凪は、にこりとアイザックに笑いかけた。

「暴行傷害、殺人未遂。今思い出せるだけでも相当ですけど、まだまだ余罪はありそうですよねえ」

少なくとも、未成年者略取誘拐、脅迫、監禁辺りは普通にされていそうだ。これからその当時のことを思い出したとき、またケロケロ吐くようなことにならなければいいのだが──まあ、それでリオを傷つけた連中の情報がわかるのなら、安いものだ。

今の凪にとって最優先なのは、あくまでもリオを殺した者たちへの報復である。まずは、そのために必要な最強のカードを、確実に自分のものにしなければならない。

「アイザックさん。わたしは、喧嘩を売られて泣き寝入りするなんて、まっぴらごめんなんですよ。わたしは、わたしを殺そうとした連中を許しません。なので、わたしが聖女だって証明できるところに、連れていってもらえませんか?」

「……ナギ嬢?」

今の凪が聖女であるのは、世界の管理者とやらのお墨付きである。これでそうではなかったら、凪が生まれ育った世界のすべてを奪われた意味がなくなってしまう。それこそ、絶対に許せないことだ。世界の管理者とやらに、鼻フックを決めてもいいレベルである。

とはいえ、この国の聖女判定システムは、一度ユリアーネ・フロックハートというニセモノを本物と認定しているため、信用性がいまひとつだ。これは万が一ということもあるかもしれないな、と思いつつ凪は続ける。

「もしわたしが本当に聖女だったら、王族に準拠する扱いになるんですよね。だったら、捕まったユリアーネ・フロックハートさんたちにも、面会できるんじゃないでしょうか。彼女に殴られたぶん、きっちり殴り返した上で、慰謝料を請求したいです」

「それはやめておきたまえ。きみの手が傷んでしまう」

アイザックに、真顔で返された。一瞬、そんなきれいごとは結構です! と言い返しかけたけれど、彼が真面目に凪を気遣って言っているのがわかってしまうのだ。未熟な若者には、どうにも反抗しにくい御仁である。

そこで、片手を上げたシークヴァルトが口を開いた。

「あのな、ナギ。おまえは、本当に聖女だよ」

「……どうして、そう言い切れるんですか?」

思わず、胡散臭いものを見る目をしてしまう。シークヴァルトは小さく苦笑し、おもむろに袖をまくりあげた腕を差し出してきた。

「オレもたった今確認して、わかったんだけどな。──見ろ」

そう言って彼が示したのは、しなやかに引き締まった彼の腕だ。大変眼福ではあるけれど、それだけである。

「……素敵に鍛えられた腕ですね」

「そりゃどうも。ただこの腕は、ついさっきまでは団長みたいな感じだったんだ」

団長みたいな、というところで視線で促され、アイザックのほうを見た凪は息を呑んで硬直した。

シークヴァルトと同じく制服の袖をまくりあげ、剥き出しになった彼の腕。そのびっくりするほど太く立派な腕には、大小の鱗のようにも、ひび割れのようにも見える黒いシミが、禍々しく巻き付くように広がっていた。

アイザックが、生真面目な顔をして軽く頭を下げる。

「見苦しいものを申し訳ない、ナギ嬢。この黒いまだらは汚染痕ポリュシオンといって、凶暴化した魔獣との接触が多い魔導士の皮膚に浮かび上がるものなのだ。我々魔導騎士団は設立以来、常に魔獣の討伐に従事しているものでね。こうして、その影響を強く受けてしまう」

「い……痛く、ないんですか?」

あまりの痛ましさに、声が震えた。

「痛みは、特にないのだがね。あまりにこの汚染痕が広がると、魔力のコントロールがひどく難しくなってしまう。そのため、魔獣の討伐に従事する魔導士たちは、聖女に汚染痕を消してもらう機会がなければ、最終的に魔力が暴走して自壊するか、その前に処分されることになるのだよ」

「自壊……? 処分……って……」

青ざめた凪の手を、シークヴァルトが軽く掴んだ。驚く間もなく、その手をひょい、とアイザックの手にのせられる。相手の体温が伝わるのと同時に、彼の腕に広がっていた黒いシミが、まるで幻だったかのように消え失せた。

「なん、と……」

(……えぇー)

たった今まで感じていた、足下から崩れていくような恐怖は、いったいなんだったのだろうか。なんだか、ものすごく盛大な肩すかしを食らった気分だ。

アイザックの腕を見たまま固まった凪を、シークヴァルトが抱きしめる。

「すっっげえな、ナギ! こんなにすぐ消えるモンなのかよ! 団長! 体の具合はどうだ!? 魔力の調子は!?

「……どちらも、すこぶる快調だ」

自分の腕から指先までをまじまじと眺めていたアイザックが、突然ぶん! とその腕を振り上げた。シークヴァルトの顎を下から狙った拳が、空を切る。

瞬時に凪から離れ、のけぞることでその凶器レベルの拳を躱したシークヴァルトが、青ざめた顔でくわっと喚く。

「いきなり何すんだ、団長!?

「年頃の女性に気安く抱きつくな、大バカ者! ──大変申し訳ない、ナギ嬢。のちほど厳しく言い含めておくので、部下の非礼を許していただけるだろうか?」

「……ハイ。大丈夫デス」

前触れなく超絶イケメンに抱きしめられ、それまでとは違う意味で固まっていた凪は、どうにかカクカクとうなずいた。黙っていると寡黙そうに見えるシークヴァルトは、意外とテンションが上がりやすいタイプなのかもしれない。

「あー……。悪かったな、ナギ。すまん。まさか、こんなに一瞬で汚染痕が消えるとは思っていなかったもんだから、つい嬉しくてな」

「……今後ハ、ゼヒ気ヲツケテクダサイ」

イケメンという人種は、まったく悪気なく、かつ大変軽やかに乙女の心臓を止めにくるので、あまり護衛には向いていないと思う。

何はともあれ、凪が聖女であるということは、無事に証明できたようだ。

(あのひび割れみたいな黒いシミ──汚染痕? って、魔獣に接触する魔導士だけがかかる病気みたいなものなのかな。……よくわかんないけど、とりあえず最優先事項は一時変更を余儀なくされました! ごめんねリオ! リオに酷いことをした連中は、近いうちに絶対ぶん殴って身ぐるみ剥ぎ取ってやるからね!)

ひとつ深呼吸をしてから、凪は気合いを入れてアイザックを見た。

「はい! ぼーっとしている場合じゃないですよ、アイザックさん! 魔導騎士団のみなさん、今すぐ全員集合です!」

「ナ、ナギ嬢?」

「ナギ嬢? じゃないです! 全員、わたしと握手してご挨拶! 自壊だの暴走だの処分だの、そんな物騒なことは、絶対にごめんですからね!」

凪は、まだ十五歳なのだ。

18指定は、エロだろうとグロだろうと、断固として遠慮したいのである。ビシッと宣言した彼女に、アイザックが穏やかにほほえんで言う。

「お気持ちは大変ありがたいが、そう慌てることはない。ナギ嬢。汚染痕が出始めてから、完全に魔力のコントロールが利かなくなるまで、早くとも数年はかかる。私とシークヴァルトは、団の中でも魔獣との接触が多いほうだったので、すでに汚染痕が出てしまっていたがね。ほかの団員の中で、汚染痕が出ているのはあとひとりだけなのだ。まずは、その者だけきみと挨拶させてもらっていいだろうか? 先ほどもこの部屋にいた、ライニールという者だ」

「……そういうことなら、それでいいですけど」

現状予測されるグロ展開が、少なくとも数年後だというのなら、たしかに今すぐ全員と握手する必要はなさそうだ。実際、初対面の相手と握手をしまくるなど、想像するだけで疲れてしまう。まだ汚染痕の出ていない団員たちについては、おいおい少しずつクリアしていくことにする。

だが、すでに汚染痕が出ている人物がいるとなると、たとえ暴走の危険がそう高くないとはいえ、早急にクリアしたいところだ。あの見た目は、放っておくには痛ましすぎる。

「お呼びですか、団長」

そうしてアイザックに呼び出されてやってきたライニールは、改めてじっくりと見てみると、ものすごくキラキラしていた。むしろ、金ぴかである。高級感がすごい。

(うーん、グレイトゴージャス)

同時に感じるのは、少しの親近感。癖のない華やかな金髪といい、宝石のような緑がかった碧眼といい、なんだか色合いと髪質だけ見ると、今の凪に大変通じるものがある。

彼の中性的、というわけではないけれど、男くささがまるで感じられない美麗な顔立ちは、美術の教科書で見た宗教画を思い出させた。彼が幼い頃には、それこそ『天使のような』と言われていたのではないだろうか。

「ああ、こちらに来てくれ。──ナギ嬢、こちらが我が魔導騎士団副団長、ライニール・シェリンガムだ。ライニール、ナギ嬢にご挨拶を」

「はい。ナギ嬢、ただいまご紹介にあずかりました、ライニール・シェリンガムと申します。どうぞお見知りおきを」

「はい、ライニールさん。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

突然の呼び出しにもかかわらず、ライニールは特に驚いた様子を見せることなく、実にスマートに、かつまったく目が笑っていないほほえみで挨拶をしてくれた。どうやら、森で拾った凪に対し、いまだ警戒を解いていないらしい。

凪は、間近で見ても麗しさの変わらないライニールの美貌に、しみじみと感心した。実に目の保養である。

(うーん。生きる芸術品みたいなこの人が、魔獣をガンガン討伐する騎士さんなのか。アイザックさんやシークヴァルトさんはいかにもって感じだけど、なんか意外。……なるほど、この国の魔導騎士団は、ギャップ萌えを推奨中ということなんだね!)

黒髪で、黙っていれば大人の男の色気がにじみ出ているようなシークヴァルトと並べれば、とても絵になりそうだ。そんなことを密かに妄想していると、アイザックがふと首を傾げた。

「……よく、似ているな」

それは、ライニールと凪を見比べての言葉らしい。凪は、笑って応じた。

「ライニールさんとわたし、髪も目も同じような感じですもんね」

「いや……それもそうだが、何より魔力の質がよく似ている。今後、きみが魔力のコントロールを学ぶ際には、ライニールに指導を担当させることにしよう」

その発言を聞いて、異議を唱えたのはソファーに腰掛けたままだったシークヴァルトだ。

「なんだよ、団長。ナギには、オレがいろいろ教えてやろうと思ってたのに」

「それは駄目だ。おまえの魔力の扱いは、感覚に頼っている部分が大きすぎる」

あっさりと不可を出され、不満げな顔をしたシークヴァルトに、ライニールが訝しげな視線を向ける。

「どういう風の吹き回しだ? シークヴァルト。それに、団長も。まさか、彼女を魔導騎士団に入団させるつもりですか? いくら高度な治癒魔術の使い手といっても、彼女はなんの訓練も受けていない子どもでしょう。何も、こんな危険なところで預からずとも──」

「ああ、いや。そうではない。ライニール、ナギ嬢は我が国の聖女だ。すぐに王宮へ報告しなければならないが、その前にまずはおまえに信じてもらわねば、と思ってね」

は、と目を丸くしたライニールに、凪はにこりとほほえんだ。

「どうも、聖女のニセモノさんに、がっつり慰謝料を請求する予定のホンモノです。今、この魔導騎士団の中で、汚染痕が出ているのがライニールさんだけだというので、それを消すために来ていただきました。わたしと、握手してもらえますか?」

「え? いや……汚染痕でしたら、団長やシークヴァルトのほうが──」

言いかけたライニールが言葉を失ったのは、いたずらっ子のような顔をしたシークヴァルトが、腕を剥き出しにして軽く手を振ったからだろうか。一瞬、大きく目を見開いたライニールが、勢いよくアイザックを振り返る。

「ああ。この通りだ。我々の汚染痕は、すでにナギ嬢に消していただいた」

そう言って、アイザックが袖を引き上げる。あらわになった彼の腕には、もはやなんの障りもない。ただ逞しく力強いだけの腕が、そこにあった。

これ以上ないほど大きく目を見開いたライニールが、ぎこちなく凪を見る。そんな彼に右手を差し出す。

「みなさんは、わたしを拾ってくださった恩人です。どうぞ、手を」

ライニールは何度か迷う仕草をしたあと、ゆっくりと右手を持ち上げた。その指先が、凪のそれに触れる。

(……へ?)

その瞬間、リィン、と高く澄んだ鈴のような音が、幾重にも重なり合って響いた。凪とライニールの金髪が、風もないのにふわりと舞う。