第二章 世界の管理者

(……あるぇ?)

眠りに落ちたと思ったら、なぜだか真っ白い空間にいた。どうやら、また違う夢を見ているようだ。暖かくもなく、寒くもない。自分自身と周囲の境界が曖昧になっていくような、不思議な感覚。

呼吸のできる水の中にいるかのようで、体の重みをまるで感じない。気持ちがよくて、こんな夢ならいつまでも見ていたいと思う。

「凪」

「ぅへぁ?」

突然、背後から声を掛けられて、おかしな声が出た。凪がまったく警戒することなく振り返ったのは、それが誰よりも気安い相手の呼びかけだったからだ。

「お兄ちゃん」

ぼんやりした意識のまま、にへら、と笑う。

愛用のフード付きパーカーに、よれよれのスウェットを穿いた兄は、凪が眠る前に見たそのままの姿だ。常日頃から、『おれは、どれだけ食っても肉にならないんだ』と、乙女に喧嘩を売っているとしか思えないことを平気で言う兄は、ひょろりと長い手足を持て余すような歩き方をする。

母親からは、もっとシャッキリ歩きなさい! としょっちゅうドヤされているけれど、そんな兄のやる気のなさそうなスタイルが、凪は結構好きだった。

「どしたの? 夢の中に出てくるなんて、珍しいねえ」

少し離れたところに立っている兄に、近づきながら問いかける。答えを期待していたわけではないけれど、兄は腕組みをして首を傾げた。

「なるほど、兄か。今の我々は、おまえにとって、最も心許せる人物の姿に見えているはずなのだが……。さてはおまえ、ブラコンか」

「突然の暴言!」

あまりに想定外の不意打ちである。せっかく、ものすごく気分のいい夢を見ていたというのに、なんということであろうか。

「そりゃあ、わたしは若干ブラコン気味ですけども! いきなりのボディブローは酷いと思う! ので、お兄ちゃんのスマホの着信音を、ホラ貝に変えてやろうと思います!」

「……なんでホラ貝?」

「電車の中とかで鳴ったら、めっちゃ注目されるかなって」

あとは、ちょっと楽しそうだ。

そう言うと、兄は小さく笑ってうなずいた。

「なるほどな。だが、残念ながらその機会はもうないだろう。おまえの魂は、すでにこの世界のものとして、完全にその肉体に定着している。今までのように、あちらの世界と行き来をすることは、もう不可能だ」

「へ? なんの話?」

目を丸くした凪に、兄は言う。

「宇宙は多層だ。そして、万物は流転している。我々の仕事は、その流れを滞りなく保つことで、世界の崩壊を防ぐことにある」

「ヤダ、突然の中二病!」

「中二病言うな」

深々とため息をついた兄が、改めて口を開く。

「まあ、細かいことは省くが……。人間の魂もまた、あらゆる宇宙を超えて流転している。必要に応じ、一定の人間の魂に干渉することで、我々は世界を管理している」

「……は? 今度は、自分が神さまだとか言い出す感じ? やめてよ怖い」

思い切り胡乱な目をした凪に、兄は呆れ返った目を向けた。

「神? そんなものは、人間が勝手に作った都合のいい概念だろう。少なくとも、おまえが今いる世界にも、その前まで生きていた世界にも、実体化している神などというモノは存在しないぞ」

少なくとも、ということは、ゼロではないということだ。

「え。じゃあ、どこかの世界には、ホントに神さまがいるってこと?」

そうだな、と兄がうなずく。

「ごく稀に──それこそ天文学的確率で、強い魂の力を持った人間が、同じ世界で同一世代に複数生まれた場合には、その思念が結晶化して核となり、新たな高次元生物が発生することがある。まあ、その生物にとって造物主ともいえる人間たちが死んでしまえば、徐々に弱って消滅してしまうがな」

「……神さまって、死んじゃうの?」

兄は、あっさりと応じた。

「その『神』を形作った信仰の教義が正しく受け継がれていれば、多少長持ちすることはある。だが、その『神』を心から愛し、必要とする人間たちはすでに亡いのに、いつまでも無為に存在し続けるほうが哀れだろう」

神とは、人々の願いによって生まれるもの。

人々に求められることで生まれる神は、その存在意義を失えば消滅していく。

「話がずれたな。──凪。おまえと、おまえが『リオ』と呼んでいる子どもの魂は、元々同じひとつの魂だった。魂もまた、さまざまな世界を流転することで成長するもの。そして、大きな力を持った魂が、新たな出会いと可能性を求めるため、複数に分かれること自体はさほど珍しい現象ではない」

「すいません、わかりません」

すちゃっと真顔で片手を上げた凪に、兄は少し考えてから言う。

「母親の胎内で、ひとつだった受精卵がふたつに分かれたようなものだ。言うなれば、魂の双子というやつだな」

魂の双子、とは。

凪は思わず、可哀相なものを見る目で相手を眺める。

「やっぱり、中二びょ──」

言いかけた凪の額を、兄が揃えた人さし指と中指で、ゴスっと小突いた。結構な衝撃でのけぞった彼女は、涙目になって首を押さえる。

「ちょっと! ムチ打ちになったらどうしてくれんの!」

「安心しろ、ここでおまえに何をしようと、現実の肉体には影響しない。とにかく、元々が同じ魂だったおまえたちは、生まれた世界が異なっていても、精神世界──夢を通じて、密接に繋がり合っていた。そのため、常に魂と肉体の乖離が起きやすい状態にあったようだな。おまえたちはふたりとも、体を動かすのが下手だっただろう」

凪は、唖然とした。

「わたしとリオが運動音痴だったのって、そのせいだったの!?

「そうだ。まあ、それは大した問題ではない。おまえたちの運が悪かったのは、リオがこの世界の聖女種だったことだ」

聖女種。──聖女。聖女という種類。種族。

凪は、ぽかんとした。

「聖女さまって、そういう種族なの? 人間じゃないの?」

「基本は人間だ。人間との交配も可能だし、人間の子どもを産むこともできる。我々は、すでに誕生した生命に干渉することは、許可されていない。そのため、世界が壊滅的な被害を受けることが予測され、それが魂の循環に甚大な影響を与えると判断された場合には、その事態に対応するための因子を、事前にばらまくことになる。それが、世界調律因子──この世界で言うところの、聖女を誕生させるための種子だ。それをたまたま取りこんだのが、リオの生みの親だった」

「種子? た……タネ?」

そのとき凪の脳裏に浮かんだのは、不気味な形状をしたタネっぽい何かが、脈動しながら妊婦の膨らんだ腹に根を張っていく、大変グロテスクな映像だった。

青ざめた彼女に、半目になった兄が続ける。

「おまえに認識できる言い方をすると、そうなるというだけだ。実際に、母体の胎内に種子を埋めこむわけではない。我々からの干渉を、人間が知覚することは不可能だ」

「よかった! ホラー回避!」

心の底から、ほっとした。凪は、ホラーと名のつくものはすべて宇宙の彼方に放り捨ててしまいたいほど、ものすごく苦手なのである。

「聖女の種子を宿して生まれたとしても、その種子が無事に発芽する確率はそう高くない。現在、おまえのいる世界で無事に芽吹いた種子は、一万二千個中、五つだけだ」

「まさかの宝くじレベル」

凪は、目を丸くした。

つまり現在、この世界にいる聖女は、全部で五人ということか。少ない。世界を壊滅的な被害から救える生物兵器がたったの五体だけなんて、あまりに少なすぎる。

「なんで、そんな非効率的なことやってんの?」

「これ以上種子の発芽率を上げた場合、種子を宿して生まれる子どもたちの死亡率が、九十パーセント以上増加すると推定される。今の状態が、人間の出生率及び死亡率に影響しない、ギリギリのラインだ。我々は、世界の理に極力干渉しないよう、細心の注意を払っている」

「左様でございますか……」

しかし、そうなると──。

「元々が、相当に強い力を持った魂でなければ、種子を発芽させることはできないからな。そして、その五つのうちのひとつが、『リオ』。今は、おまえのものとなった肉体だ。聖女の種子は、宿った肉体の魂から、発芽に必要なエネルギーを吸収しながら成長し、その肉体そのものに同化して変質させる。聖女が対象に触れるだけ、あるいは発する声だけで世界に干渉できるのは、肉体が種子によってそのように作り替えられているからだ」

凪は、思い切り顔を引きつらせた。

よく考えてみなくても、元々が普通の人間だった子どもの体を、勝手に生物兵器として作り替えるなど、もはや神さまどころか悪魔の所業である。

「えっと……。ここって、ドン引きするところ?」

「どう受け取っても構わないが、これが今、おまえが向き合わなければならない現実だ」

一拍おいて、兄がことさら淡々とした口調で言う。

「今、おまえの世界に生きる者たちを混迷から救える聖女は、おまえを含めてたった五人。だがまあ、この点に関しては、別の世界で生きてきたおまえには関係のないことだから、特に考慮することもないだろう」

「え、人でなしなの?」

「その通りだが?」

真顔で返された。

「我々は、世界の管理者。人間ではない。正直なところ、おまえのいる世界で人間の死亡率がどれほど上がろうと、面倒な仕事が多少増えるだけのことだ。たとえ聖女として生きる道を選ばずとも、巻きこまれ事故にあったような状態のおまえが、気に病むことはない」

人でなしのくせに、人を気遣うようなことを言うとは、これいかに。

ただ、と兄が──兄の姿をした人でなしが続ける。

「リオは、彼女が持つ聖女の力を利用しようとした者たちに、殺された」

「…………は?」

ずっとどこか現実味がなく、ふわふわとしていた凪の意識が、一瞬で冴えた。

「いずれおまえの魂がその肉体と完全に同調したなら、脳に刻まれた記憶もおまえ自身のものとして思い出すだろう。おまえがどう生きるかは、それから決めても遅くはない」

「リオが……殺された、って、え? なんで? だったらわたし、なんでリオになってるの?」

声がひび割れ、震える。

「リオは殺され、その魂は肉体から離れた。しかし、この混迷と崩壊に向かっている世界に、聖女種は絶対に必要な存在だ。だからこの世界は、リオの肉体を生かすために必要な魂を、強引に取りこんだ。リオと同質でありながら、リオよりも遙かに強大な力を持つ、凪──おまえの魂を」