第七章 変化
「へ、変じゃないかしら。なんだか視界が変よ。眩しすぎるわ」
「ぜーんぜん変じゃないですよ! とっても可愛いです~。ね、プルーニャさん!」
鏡の中の私は、まるで違う人物のようだ。モモコの提案で、私はなぜか前髪を切ることになった。
切り揃えられた前髪のおかげで、自分の顔がここまではっきりと見えるのはいつ以来だろう。
背後には得意げなモモコと、満足そうなプルーニャがいる。
プルーニャの手には、今の今まで使っていた
恋の病になったら、女の子には可愛くなる魔法がかかるなどと言っていたけれど、その意味がわからない。
ただ、私の緑の瞳が、誰の目にもはっきりと見えるようになったことは確かだ。
「やっぱり、お義姉様は絶対美少女だと思ってたんですよ……。わたしのセンサーに間違いはありませんでした」
腰に手を当てているモモコは、うんうんと頷きながら鏡の中の私をじっと見ている。
もともと、眉のあたりで切り揃えられているモモコの前髪と、同じような見た目になった気がする。
それに今日は、いつも着ている作業着用のくすみ色ワンピースは取り上げられ、よそ行きのような可愛らしい若草色のものを着せられている。
朝からやけに気合いの入ったメイドたちとモモコに押されて、あれよあれよと押し切られて今に至る。
「……恥ずかしいわ」
なんだか気恥ずかしい。視界があまりにも変わってしまったことに加え、普段は着ない服に袖を通して、どこかそわそわと落ち着かない気持ちになる。
「んんっ! 恥ずかしがるお義姉様もとても良きです……」
羞恥心から私がそう呟くと、モモコは咳払いをして、ごにょごにょと何かを言っていた。
そんな彼女を不思議に思いつつ、私はもう一度、鏡の中の自分に視線を向けた。
お母様と同じ緑の瞳と、お父様に似た濃い茶色の髪。そしてその少女は、
いつも自分の顔はあまり見ないようにしていた。どうしても、両親のことを思い出してしまうから。
「じゃ、わたしはリーベスさんの待てを解除してきまーーすっ」
鏡を注視していたら、モモコはぴしりと額に手を当てて、何かのポーズをしたかと思うと扉へと駆けてゆく。
「! モモコ、あっ、ちょっと待って」
素早いモモコを止めようと慌てているわたしは、鏡の中の少女の頬に赤が差すのが確かに見えた。
伸ばした手が空を
(ど、どうしましょう……?)
リーベスと会うのは毎日のこと。なのにやけに緊張してしまって、前髪を引っ張ったりワンピースの
「じゃ、リーベスさん、わたしは所用がありますので!」
リーベスを呼んで来たモモコは、そう言うと風のように去っていった。プルーニャたちも一緒だ。
「……なんなのですか、モモコ様は……っ」
怪訝そうに扉の方を見ていたリーベスの視線が私に向く。
彼に見られていると思っただけで、じわっと頬が熱くなるのを感じる。まだ体調が悪いのだろうか。
私はリーベスの方を見ることができずに、視線は足元を彷徨う。こんな時に限ってゴーグルも前髪のカーテンもないのだ。視界を遮るものが何もない。
「メーラ様……?」
戸惑うような声と共に、彼の足が一歩、こちらに進むのが見えた。
──この心臓の痛みも、頬の熱さも、全てが「恋の病」の症状なのだとしたら、これは厄介だ。
仕組みを解明して、この症状を和らげるような道具を作らないといけないのではないだろうか。
リーベスの瞳には、私はどう映っているのだろう。
モモコたちが言うように、少しでも「可愛い」と思ってもらえているだろうか。
以前は
(うつむいてばかりじゃ、ダメよね)
意を決して、私は視線を上げた。
前よりもずっとクリアな視界で、前よりも何故かきらきらとして見えるリーベスを見る。
心なしか、彼の頬も赤いような気がするのは、気のせいだろうか。
「……今日も、とても、素敵ですね」
顔を上げたおかげで、リーベスが少しびっくりした顔から、ゆるゆると笑顔になる様子を、しっかりと見ることができた。
いつもは鋭い瞳の端がゆるりと下がり、口角がやわらかく上がる。
その微笑みを見ることがこんなにも嬉しいだなんて。
じわじわと湧き上がる感情の変化に、私自身も戸惑ってしまう。
リーベスがそこにいるだけで、感情の振り幅がまるで変わってしまう。
「それに……」
彼の手が伸びて来て、短く切り揃えられた前髪に触れるか触れないかのところで止まる。
ぐっと握り拳を作ったリーベスは、何か言葉を呑み込むような仕草をしたあと、その手を引っ込めた。
そして、何事もなかったかのように、爽やかな笑顔を見せる。
「すごく、可愛らしいです。メーラ様」
「そっ、そう、ありがとう……! 私としては、この短さに少し慣れなくて」
「メーラ様のお顔がよく見えるので、俺は好きです」
「そ、そうかしら?」
笑顔で告げられて、また顔が火がついたように熱くなる。今までの私は、リーベスとどうやって過ごしていたのだろう。
モモコから『ほら、これを読んでください』と言われて渡されたロマンス小説では、どうしていただろうか。
初めてそのような書物に触れて、驚きつつも最後まで一気に読んでしまった。
「あの……」
「その……」
ここ数日のことを話そうと思って口を開くと、リーベスも同時に何か言ったようで、私たちの声が重なる。
一瞬だけびっくりして固まってしまったが、勢いに任せて私は言葉を紡ぐことにした。
「リーベス、あの、ここ数日、なんだか避けるような態度になってしまってごめんなさい」
「! いえ、俺の方が態度が悪かったと思います。従者としてあるまじきことです」
リーベスと距離があったのは、やはり勘違いなどではなかったことを知り、少しだけ胸の奥がちくりと痛んだ。
でも、彼の困ったような申し訳なさそうな表情を見るに、私のことを嫌いになったわけでは、ないと思う。
(だから大丈夫だわ。嫌われていないだけで、十分)
私は一つ深呼吸をして、彼の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「あのね、リーベス。屋敷内のことで言いにくいことがあるのかもしれないけれど、なんでも気にせず話してほしいわ。──私、驚かないで受け入れるから。他ならぬ、大切な貴方のことだもの」
それが数日間考えて、出した答えだった。
もし、正直に『カミッラと恋仲だ』と告げられても、笑顔でおめでとうを言うと決めた。
でも、ちょっぴり悲しくなってしまうことは許してほしい。恋心を自覚して、すぐにその気持ちをなくせるほど、感情が器用な私ではない。
それでも、リーベスという存在を失いたくないと思う。
「それ……は……」
「なんでも話してほしいわ」
念を押す私の言葉に、リーベスの顔色が変わる。
一瞬、呆けたような顔をした彼だったが、ぐっと奥歯を噛み締めるような、険しくも泣きそうな顔になった。
「きゃ……! リーベス……?」
急に伸びてきた彼の手に、ぐいと勢いよく腕を引かれた。
私はぽすりと彼の執事服の胸元にぶつかり、そのままぎゅうと強く彼の腕の中に閉じ込められた。少し息苦しさを感じる。
とんとんと、彼の胸板を叩いてみると、その拘束がちょこっとだけ緩められた。
でもまだ、抱きしめられた状況に変わりはない。
「……いつから、ご存知だったんですか」
掠れたような声にすぐに顔をあげたくなるけれど、まだ自由に身動きが取れるほどではない。
リーベスって、こんなに力が強かったのか、なんて見当違いなことを考えたりしてしまう。
「その……私が知ったのは、本当に最近よ。たまたま見かけて、それで」
「見た……? 見たんですか!?」
急に両肩を掴まれて、べりりと引き剥がされる。
その剣幕に
「え、ええ。見たわ」
確かに見た。