第六章 大切なもの
身体が鉛のように重い。
体調を崩した私は、あの庭園での事件から二晩も寝込んでしまっていた。
メローネ伯母様に叩かれたモモコの頬を冷やすために屋敷に戻って、それからバタバタとしているうちに、気がつけばふらふらとベッドに吸い寄せられていた。
湯浴みの準備にきたプルーニャが大層びっくりしていたなあという記憶で、そこからはもうずっと寝たきりだ。
時折、モモコが心配して部屋を訪ねてくるけれど、熱があるせいで頭がぼんやりとしてしまっている私は、横になったままでいるしかない。
「お義姉様、お加減はいかがですか……?」
ベッドの側で、モモコは眉を極限まで下げている。
「ありがとう。少し……は良いかもしれないわ」
医師の見立てでは、ただの風邪だという。ただ、いろいろと心労が祟っているのではないかとも言われ、安静を言いつけられている。
「──さあ、ペスカ様。これ以上はメーラ様のお身体に障りますので戻りましょう。メーラ様、お薬を飲んだらまたゆっくりお休みになってください」
「お義姉様、お大事に」
プルーニャに従い、ペスカは名残惜しそうに部屋を去る。
その様子を見送って薬を飲んだ私は、またうとうとと睡魔に襲われることになる。
『さようなら、メーラ。もう二度と会うことはないでしょうね』
──またこの夢だ。
私は当事者でありながら、そう受け止めていた。夢に見るのは、お母様が出ていったあの日の光景だ。
『どうして私の言うことが聞けないの? 少し才能があるからって、私のことを馬鹿にしているのでしょう!』
お母様は
いつもお母様を困らせて、怒らせて、泣かせてしまう。
『──すまない。今は手が離せないんだ。また今度にしてくれ』
場面が暗転し、今度はお父様が暗闇の中に現れる。
お母様に辛く当たられた時も、伯母様やぺスカに何かを奪われた時も、私の話をお父様は聞いてくださらなかった。
本当に書斎からはたまにしか出てこなかったので、お祖父様も爺やも困った顔をしていたことを思い出す。
(──そうだ、私は……)
夢の中で、小さなメーラは部屋で隠れて泣いていた。寂しくて悔しくて、でも、それをどうぶつけたらいいのかわからずにいる。
夢を
ゆっくり近づくと、小さなメーラはベッドに顔を押し当てて、独りしくしくとシーツを濡らしていた。
お父様は、私を特別
実子も養子も分け隔てなく、ただずっと、無関心のように思えた。
(ずっと寂しかった。小さい頃は、よく泣いていたっけ)
声を押し殺して泣く自分の姿を見ながら、こんな頃があったな、とどこか遠くに思う。
最近は、そんな風には思わなくなった。
研究と開発に打ち込める毎日は充実していて、リーベスや爺やたち信頼できる優しい人たちに囲まれて。
『……っ、うぇ……っく』
すすり泣く少女に、私はそっと手を伸ばした。
その頃そうして欲しかったように、優しく頭を撫でる。
(大丈夫よ、メーラ。今は苦しくても、楽しい日がやってくるわ)
小さな私が、誰かに触れられたことに気がつき、こちらをゆっくりと振り向く。
涙をいっぱい浮かべた緑の瞳を見ながら、私はとても不思議な気持ちになった。
◇◇◇
「んん……」
苦しい夢を見ている中で、私は額に触れるものの気配を感じてうっすらと瞼を開けた。
部屋はうす暗いが、カーテンの隙間からはほのかに光が見える。明け方のようだ。
ぼやけた瞳と頭で、そんなことを思う。
「……申し訳ありません。起こしてしまいましたか?」
「リー……ベス……?」
「はい。ただいま戻りました」
うす暗い中でも、目の前のその人がリーベスであることはすぐにわかった。
休暇の翌日は昼からの勤務だと聞いていたのに、もしかしたら予定を早めて帰ってきてくれたのかもしれない。
「大丈夫ですか? 随分とうなされていらっしゃいましたが。遅くなってしまい、申し訳ありません」
私の額に、新しく湿った布が載せられる。先ほどの感触は、額を冷やすための布をリーベスが取り替えてくれていたものだったようだ。
「リーベス、おかえりなさい……!」
「……っ、どうされましたか。お嬢様」
彼の存在に安心して、何故だか瞳がじわりと熱くなってくる。
急に泣き出した私に、彼は戸惑っているようだった。
「あの、手を握ってくれないかしら」
そっと手を差し出すと、すぐに彼の両手に包まれる。あたたかで、とても心地がいい。
「……これでよろしいですか? お嬢様がまたお眠りになるまで、ここにおりますので。安心してお休みください」