第四章 元婚約者と魔道具
「お義姉様っ」
私が遅めの朝食をとっていると、食堂にモモコが飛び込んできた。
ばあんと扉を開ける様子は、あの日の朝を
「どうしたの、モモコ」
「あっ、お食事中に申し訳ありません。あの、お聞きしたいことがあって」
頬を紅潮させるモモコの手には、新聞が握られている。
社交をしない我が家にとって、情報収集はもっぱらこの新聞がメインとなっている。
以前に部屋の片隅で新聞を見つけたモモコは目を輝かせ、文字が読めることにも感動していた。
どうやらモモコは、読書やそういった活字を読むことにとても関心が深いらしい。
そんなわけで、新聞を読むのは彼女の日課となっている。
「こここここ、ここを見てください!」
小鳥のようにさえずりながら、モモコは新聞の一面を指さした。
大きな見出しは『獣人国モルビド共和国の使節団、今秋我が国を訪問予定!』となっている。
隣国でありながら、完全に国交が途絶えているモルビド共和国。その使節団が訪問してくるとあれば、それはとても大きなニュースだ。
「獣人って、あの獣人ですか!?」
「ええ、そうよ」
私はゆっくりと頷く。
このラフルッタ王国では、古くは獣人を
同じ魔道具師として、とても
既に奴隷制度は廃止されたとはいえ、その
特に、仲間をいいように使われていた獣人国からすれば、我が国は憎まれても仕方がない。
「あなたも覚えているのね」
そのように語り継がれていた歴史をぺスカが知っていたことを驚きながらそう問いかけると、モモコはきょとんとした顔をした。
「覚え……? いえ、ぺスカの記憶には何も。ただわたしが、この獣人というものにいたく興味がありまして!」
「そうなの?」
「はい! わたし、あの主従萌えも大好きなんですけれど、ケモナーでもあって」
「シュジュウモエ、ケモナー……?」
「獣人といったらアレですよね! 普段は人の姿でいて、獣の姿になることもできるし、人型の時にうっかり耳やしっぽがぴょこんと飛び出してしまったり……もふもふハプニング可愛いですよね!」
「ええと、大体はそうだと言われているわね。最後の方はよくわからないけど」
いつもの早口状態になったモモコは、
彼女の暮らしていたニホンは文明の進んだ国だと思っていたけれど、獣人まで暮らしていたなんて驚きだ。どうやって共存しているのか、興味深い。
「ケモ耳……最高……っ」
最後は拝むように新聞を
美味しい。
「今日もとっても美味しいわ、リーベス」
「ありがとうございます」
私の従者は今日も完璧だ。
「ねえリーベス。あなたは獣人に会ったことはある?」
「……いえ」
「私も実際に会ったことはないからわからないのよね。本当に、人の姿が変わるのかしら」
「そう、ですね」
実際に獣人を見たことがない私は、結局は彼らがどのように暮らし、過ごしているのかはまるでわからない。
魔力がない代わりに、身体能力が卓越しているという種族。
「……お嬢様は、獣人をどう思われますか」
リーベスは真っ直ぐに私を見ていた。ルビーの
「そうね。とっても気になるわ」
だから私も、思ったことを正直に話すことにした。
「もし出会えたら、一度一緒に研究をしてみたいわね。だってほら、魔力がないのでしょう? 獣人の方向けの魔道具を開発するのもいいんじゃないかしら。いくら身体能力が優れていても、面倒な工程は便利なもので楽をしてもいいと思うの」
彼と同じように、私もリーベスを真っ直ぐに見つめた。
「──魔道具は獣人を苦しめるだけのものじゃなく、便利で楽しいものでもあることを知って欲しいわ。パフェも作れるのよ?」
きっと、魔法や魔道具そのものに嫌悪感を抱いている人たちも多いだろう。でも、私はみんなが使えるような魔道具を作りたいのだもの。
一瞬まん丸になったリーベスの瞳は、次第にゆるく解けた。柔らかな笑みに変わったそれを、私はぼおっと見つめてしまう。
「流石、俺のお嬢様です」
「まあ、光栄だわ」
胸に手を当てて、リーベスが恭しい仕草で腰を折る。だから私も自然と笑顔で応えた。
「ウッ尊っ……今日も供給をありがとうございます。本当に……」
いつの間にかモモコは私とリーベスに向けて手を合わせていて、うっすら泣いているようにも思えた。
「主従は満たされてるので、獣人さんにもいつか会えますかね? この世界の獣人の解釈がわたしとぴったり合っていますように☆」
今度は空に向かって祈り始めた義妹は、今日も楽しそうだ。
リーベスの方を見ると、彼もそんなモモコを
「ふふ。モモコって、不思議ね」
「本当に」
目を合わせた私たちは、思わず笑ってしまった。
◇
その日の午後、私たちは計画どおり三人で出かけることにした。
「メーラ様、足元にお気をつけください」
「ええ、ありがとう」
リーベスに案内され、馬車から降りた私たちは、町外れにある一軒家の前に立つ。
周囲には木が生い茂り、近くに他の家は見えない。木々の中にポツンと
話には聞いていたが、こんなところに、あのピカピカ貴公子のウーヴァが一人で暮らしているなんて
隣に立つリーベスを見上げると、そんな気持ちが伝わったようで、困ったように頷かれた。
その表情でわかる。本当に、彼はここに住んでいるのだ。
「あ、トマトが美味しそう……!」
家の前にある畑では、たわわに実ったトマトが存在を主張している。それを見て、モモコは無邪気に声をあげた。
「リーベス、本当にこのおうちでウーヴァが暮らしているの? 誰かと住んでいるのではない?」
「いえ、確かにお一人でした」
なんだか全然しっくり来ない。庭先で野菜を育てる人物と、私が知っているこれまでのウーヴァが結びつかない。
彼はいつだってキラキラとした装飾や見事な
「じゃあ、行きましょうか。ほらモモコ、トマトのことはひとまず置いておいて」
「は~~い」
とりあえず、ここが彼の住まいであることは間違いないらしい。私はモモコに声かけをして、その家の玄関扉へと近づいた。
その時。
「──なんだ、朝から騒がしい……。もう、ここに届けてもらう物はないはずだが」
扉の前でわちゃわちゃと話していたら、唐突に扉が開かれる。
そこから不機嫌そうに出てきたのは、見たことがない無造作な髪型と軽装のウーヴァだった。
これまでと随分と様子が違う。
「なっ……! メーラと従者、それにペスカ……!」
私たちの姿を順番に確認したウーヴァらしき男は、目を丸くして絶句した。
一応お忍びのようなものなのでフード付きの外套を着ていたのだが、私たちのことは即座に認識できたらしい。
「久しぶりね、ウーヴァ」
以前からそんなに頻繁に会っていたわけではないし、あれからそこまで日は経っていないから、そんなに久しぶりでもないのだけれど。
いろいろなことがあったために、随分と間が空いてしまったかのような気になる。
「どうして、ここに……」
「それはこちらの
「それは……」
ウーヴァは戸惑いながらも、視線をちらりとモモコの方に向ける。
(やっぱりあの日、ペスカと何かあったのかしら)
だが彼女はほとんど何も覚えていないのだ。そのことも、説明しないといけない。
「ウーヴァ様、お久しぶりです。お嬢様たちのことを考えると外で話すのもどうかと思いますので、中に入れていただいてもよろしいでしょうか?」
私の前に一歩出て、淡々とリーベスが告げる。
いくらか
「さあ、行くわよ。モモコ。……モモコ?」
家の中に入ったウーヴァに続いて入ろうとした私だったが、伯爵家を出る前はあんなに大騒ぎしていたモモコが、すっかり黙りこくっていることに気付いた。先ほどまで、トマトで喜んでいたはずなのに。
全く動かずに立ちすくんでいる彼女の前に手をかざして、ひらひらと動かしてみる。
呆然とした様子だったモモコは、私のその行動にハッとしたように目を見開いた。
「……おっ、お義姉様っ!」
ひそひそ声ながらも、興奮を抑えきれない様子のモモコが私にひしとしがみついてくる。
「えっ、えっ、あれがウーヴァさんなんですか? うっそ、記憶より本当にイケメン……! えっ、王子様とかじゃなく? あんな人が婚約者……? というか、めっちゃアンニュイ……ひぇ……! ていうか、最推し様にめちゃくちゃ似てるんですが、神かな………!?」
またいつもの変な状態になったモモコは、頬を紅潮させながら早口でそんなことを言っている。
アンニュイやオシとはなんだろうか。
「モモコ様、早くお入りください。メーラ様も」
「え、ええ、わかっているわ。ほらモモコ、シャキッとしなさい」
「はいぃぃぃぃ!」
リーベスに
思わず見回してしまったが、木造りの室内には整然と必要最低限の家具が置いてあり、想像したよりもずっとシンプルだ。
「……狭い家だが、とりあえずそこに座ってくれ。紅茶でいいか? こんな家だが、この紅茶はわざわざ伯爵家から持ってきてもらったものだから質はいいはずだ」
「ありがとう、ウーヴァ」
「ではメーラ様、モモコ様、こちらに」
言われるがままに足を進めると、一脚の椅子をリーベスが素早く引いてくれたのでそこに腰掛けた。リーベスは同様にモモコを私の隣へと誘導する。
その間もウーヴァは手際良くお茶の準備を進めている。
(これが……ウーヴァ? 私が知っている彼とはまるで違うわ)
隣に立つリーベスも、驚いたような表情を浮かべながら、茶器を用意するウーヴァを見ている。
貴族の子息であった彼が、自ら紅茶を淹れる機会などなかったはずだ。現に私は、絶対にできない自信がある。
「──さ、どうぞ」
テキパキと準備をするウーヴァの手により、私たちの前には香り立つ紅茶が並べられる。美しい褐色の
「いただくわ。ウーヴァあなた、こんなことができたの?」
「はは、まあね。披露する機会はなかったけど」
鼻を
本当に、これがウーヴァなのか。ふわふわとして掴みどころのない貴公子だった彼とは全くの別人に思える。
困惑した私は、ウーヴァが淹れてくれた紅茶をゆっくりと口に含む。
「美味しい……」
思わずそう口にすると、ウーヴァはわかりやすく安堵の表情を浮かべた。
「良かった。君の口に合って。リーベスも座って飲んだらいいじゃないか。ここは堅苦しいしきたりなんてない庶民の家だよ」
「お気持ちはありがたく受け取りますが、私はここで控えております」
「相変わらず真面目だね、リーベスは」
「仕事中ですので」
「ははっ」
会話中、ウーヴァはずっと笑顔を浮かべている。リーベスはいつもどおりのすんとした表情だけれど、そんな二人がこうして会話を交わす様子も不思議だ。
私はちらりと横に座るモモコを盗み見る。
「推し様の淹れてくれたお茶……尊すぎて飲めない……!」
ずっと俯いているモモコは、ぽそりとそんなことを言っていた。
紅茶を飲んでひと息ついたところで、
「わざわざ足を運んでくれてありがとう。メーラ、君との婚約は正式に破棄されているから安心してくれ」
ウーヴァはそう言って儚げな笑みを見せた。
いつもの無駄にキラッキラなものではなく、ふんわりと自然なもの。
そしてそのウーヴァの笑みは、目の前の私ではなく、右隣に立つリーベスに向けられている。
ウーヴァの視線を追ってリーベスを見上げると、ぱちりと目が合って、ふいと逸らされてしまった。
首を傾げながら視線をウーヴァに戻すと、彼は苦笑している。
「……ああ、でも」
バツの悪そうな顔で、ウーヴァは私の隣を見る。
そこには、
「ペスカ。申し訳ないが、君との婚約はまだ解消できないんだ。……法定期間が過ぎたら必ず解消することを約束する。そうしたら、君は自由だよ」
ウーヴァは、顔を上げないペスカに寂しそうな表情を向ける。
あの日、二人の間に何があったかはわからないが、きっとペスカは婚約の解消について口にしたのだろう。
この国では一度婚約すると、一年は解消や新たな婚約はできないことになっている。
ひと昔前に高位貴族の間で流行った婚約破棄ブームのせいで国が傾きかけたため、以前はゆるかったその辺の法制度が厳しくなったようだった。
なんでも、かつてこの国の王子が一人の令嬢に入れ上げ、もともとの婚約者を蔑ろにして婚約破棄に至ったらしい。それに引っ張られるように、次は貴族の令息たちがこぞって婚約破棄をするようになり──婚約という制度そのものが形骸化してしまった。
婚約と婚約破棄が入り乱れる社交界は、もう何がなんだかわからないほどに混沌とした。
その発端となった王子が廃嫡となったのを機に、新たに王に立った人物が法を整備したそうだ。
(確か、その廃嫡となった王子の元婚約者は隣国王家に嫁いだのだったかしら。婚約破棄も言いがかりで、実際は令嬢には落ち度がなかったことが再調査でわかったのよね)
この国では、その話は本としてまとめられ、各貴族家に教訓として配付されていた。我が家の書斎にも置いてあるはずだ。
私とウーヴァは幼い頃から婚約していたために婚約の解消はすぐに認められたが、ペスカとウーヴァの婚約は結ばれたばかりだ。
即解消はできない──ウーヴァはそのことをペスカに伝えようとしている。
「ウーヴァ、今日は大切な話があって来たの」
私がそう切り出すと、ウーヴァは当然だと言わんばかりの笑顔を見せた。
「ああ、わかっているとも。もちろん、慰謝料や諸々、メーラやベラルディ家に対する償いはするつもりだよ」
凛とした表情のウーヴァは、決意を固めているようだった。
「君には突然のことで迷惑をかけたね。だが僕はもうケルビーニ伯爵家には戻らない。以前から手がけていた事業があるから、このままずっとここで暮らすつもりだ」
「償い? そういうのはいいの。あのね、実はここにいるペスカのことで話があって」
以前はぽわぽわした気楽な青年だと思っていたが、今は全く違う。
──まるで今まで、『そういう人物』を演じていたみたいだ。
これが本当のウーヴァという人なのかもしれない。華やかで、流行に詳しく、そして私は彼のことをどこか軽薄な人だと決めつけていた。
そんな彼が、全ての婚約を解消して、もう伯爵家にも戻らないと宣言するのはがどういう心境の変化なのか、今の私にはわからない。
「ペスカのことも、悪いようにはしない。僕とは結婚したくないだろうから、その辺りはペスカの意向を十分に
「違うの、ウーヴァ」
私は彼の言葉を遮り、首を横に振った。先に先にと話し始めてしまうウーヴァを、なんとか静止する。
「実はペスカは……記憶喪失になってしまったの。あの日から」
「え……? 記憶喪失だって……?」
「そうなの。貴方と交わした会話を、覚えていないのだって」
「覚えていない……」
今のモモコの状態をなんと説明したらいいかわからなかった私は、リーベスと事前に相談した上でそう告げることにした。
本当は記憶喪失とも違う現象が起きていることはわかっているけれど、段々とペスカの記憶は抜け落ちているらしいから間違いではないだろう。
戸惑うのも無理はない。表情が抜け落ちて呆然としているウーヴァを尻目に、私は隣に座るモモコの背中をそっと押す。
どうしてだか、席についてから黙り込んでしまった彼女にも、何か一言でも声を発して欲しいと思ったからだ。
「ほら、モモコ」
私は〝ペスカ〟ではない彼女の名前を呼ぶ。
ぐっと唇を噛み締めて、ようやく顔を上げた彼女は──何故だかものすごく真っ赤な顔をして、ぷるぷると震えていた。
「……うっ、あああ眩しすぎて直視できないっ! 無理ぃぃぃ!」
暫く顔を上げてウーヴァを見つめていたかと思うと、モモコは奇声を発しながら、また勢いよく顔を伏せてしまった。
有り余った勢いで、ごつりという鈍い音が聞こえる。
もしかしなくとも、テーブルに額を
「だ、大丈夫か、ペスカ! メーラ、ペスカは本当は何か悪い病気なのではないか? 顔色も悪いし、何やらおかしなことを言っていたが。もしかしてそれも記憶喪失と関係があるのだろうか!?」
「え、ええっと」
血相を変えたウーヴァが私に問うけれど、モモコの奇行に少し慣れたような気がしていた私でさえ、現状が理解できていない。
聞かれても困る。
「……モモコ様は、『オシを直視するのは無理』と
耳を澄ませていたらしいリーベスが、呆れた口調でモモコの呟きを私たちに丁寧に伝えてくれる。
オシ。さっきも言っていたけれど、まるでわからない。
「これまでの言動を総括すると、『オシ』というのは、彼女にとってなんらかの信仰の対象であり、それがウーヴァ様と似ていて混乱しているようです」
「なるほど、神を崇める信徒のようなもの?」
「おそらくは」
冷静なリーベスが、モモコのことをそう分析して教えてくれて、少しだけ理解が深まった気がした。
「……とまあ、こんな感じなの」
こほんと咳払いをした私は、そうまとめてみた。
とりあえず、彼女の様子が以前と違うことが伝わっただろうか。ざっくりと判断をウーヴァに
「いや、全くわからないが……これも、メーラたちがペスカのことを別の名前で呼ぶことと関係があるのか?」
鋭い。困惑していながらも、ウーヴァはきちんと話を聞いてくれていたようだ。
「ええ。彼女の中には現在、『モモコ』という、ペスカとは全く異なる人格があるようなの。だから……貴方にも知っていて欲しいと思ったの」
「そう、なのか……?」
困惑した表情のウーヴァは、痛ましいものを見る目、で突っ伏したままのモモコを見つめる。
「……紅茶のお代わりを入れよう。すっかり冷めてしまった」
ウーヴァはそう言って席を立つ。
数日前まで恋人だった少女の人格が入れ替わってしまったなんて、俄かには信じ難いだろう。
私もこの一週間、あえて共に過ごしてみることで、ようやくペスカとモモコが全くの別の人格であることに確証が持てた。どう考えても、彼女の振る舞いが、周囲を
(あら、ウーヴァもあのポットを使っているのね)
彼が使っているのは、魔道具のポット。
魔力を流せばお湯を沸かしてくれる優れもので、うちの父が発明し、大ヒットになった品だ。
彼のその様子をなんとなしに眺めていた私は、違和感を持った。ウーヴァが着ているシャツの袖口から、ちらりと魔石がついたバングルが見えたからだ。
(あれは魔石だわ。宝石のように加工してあるけれど、間違いない。でも、どうして?)
──魔石を装飾品として身につけるのは、魔力がない人だけ。
私は祖父からそう学んだ。魔力が込められた魔石を使うことで、魔力なしの者もようやく魔道具を使いこなせるようになるのだと。
だけれど、貴族であれば魔力持ちであることはほとんど確定している。それもこの世界の常識だ。
だから普通は、貴族が魔石を身につけていることなんてほとんどない。
例外として、魔力持ちであっても体調を崩せば、魔法が安定して使えないこともある。そんな時のために、非常用の魔石を所有している家もあることは知っていた。
「ウーヴァ。貴方どこか身体の調子が悪いの? 魔力が使えないなんて」
そこに思い至った私は、そう問いかけていた。
そうなんだ、と軽く返ってくると思っていた私の予想は外れ、ぴたりと動きを止めたウーヴァは、ギギギ……と音が聞こえそうなくらいぎこちなくこちらを振り返った。
そして唇を噛むような仕草を見せた後、真っ直ぐに私たちを見据える。
「──はは、バレちゃったか。今まで黙っていてごめん」
明るかった声は、最後には地面を這うように低い声になった。いつものウーヴァからは想像もつかないくらいに、暗い。
「ごめんって、どういうこと?」
「僕は貴族なのに魔力がない、〝魔力なし〟の落ちこぼれなんだ。このことは、うちの家の者と君のお祖父さんしか知らないけどね」
そう笑う彼の表情は、美しくも寂しくもあり、悲しくもあった。
「それは……知らなかったわ」
「君や他の者には露見しないように注意していたからね」
魔力を持って産まれるべき貴族の生まれであるのに、魔力がない。これまで一体、どんな苦悩があったのだろう。
子どもが産まれたら、まずは魔力を測定する。
魔力量には個人差があるため、産まれたばかりの赤子が有り余る魔力持ちだと、当然ながら制御ができずに、癇癪と共に周囲に被害を与えてしまう可能性がある。
それを未然に防ぐためというのが大義名分だ。
平民の中にも稀に魔力持ちが産まれるが、その場合はすぐに教会に登録されることになる。
これまで、ウーヴァが普通に魔道具を扱っていたから気がつかなかったけれど、彼自身が魔法を使うところは、確かに見たことがなかったような気がする。
私を
「……親友だったお祖父様たちが相談して、僕を君の婚約者にしたのもそのせいだ。魔道具の発明を主として、あまり社交の場に出ないベラルディ家でなら、僕が魔力なしを隠したまま貴族としてやっていけると」
確かにうちなら、ウーヴァに魔力がなくても気にしないだろうし、社交もほとんどしない。
王都に居を構えながらも、お父様もお祖父様も、夜会には数えるほどしか出席しなかった。
「でも僕は……そうまでして、貴族であり続けたくはなかったんだ。どんどん魔道具を開発する優秀な君にも、こんな出来損ないの伴侶では申し訳なくて。そんな時に出会ったのが、ペスカだった」
その言葉に、モモコは弾かれたように顔をあげた。
ウーヴァの笑みは、モモコに向けられている。
「……すまない。ペスカ。僕の我儘に君も巻き込んでしまった。僕を愛していると言ってくれた君ならば、どこへでもついて来てくれると思っていた。急に平民になることを告げた僕に、君が怒るのも当然だ」
なるほど。あの婚約解消の日にウーヴァとペスカが言い争っていたのは、このことについてだったのか。
(やっぱりペスカは、メローネ伯母様と同じように考えていたのかも知れない)
ウーヴァと婚約したら貴族のままでいられると、信じていたのだ。
私が思考を巡らせていると、隣にいるモモコの体がふるふると震えていることに気付いた。
「モモコ、どうかした?」
もしかして、どこか体調が悪いのだろうかと声をかけると、モモコはテーブルにばあんと手をついて、勢いよく立ち上がった。
「推し様! 一つだけ言わせてください!」
「な、何かな?」
「『何も言わなくてもわかってくれると思ってた』的な考えは、
ひと息にそう言い切ったモモコは、荒い息を整えるように何度か呼吸を繰り返す。そして今度は、先ほどとは正反対のしっとりと落ち着いた声で諭すように話し出す。
「ペスカは何も知らなかったんです。魔力がないとか、家を出るとか、平民になるとか、この世界ではすっっごく大事なことなんでしょう? 恋人に相談もせずに勝手に決めて、喧嘩したら即家出って、そんなすれ違い超展開は、ラブロマンス小説だけでお腹いっぱいなんですよぉ……!」
途中途中にまた意味のわからない単語がいくつかあった。
すとんと席についたモモコの桃色の瞳から、ぽろぽろと真珠のような大粒の涙がとめどなく溢れる。
「……ペスカだって、ちゃんと貴方のこと好きだったのに……愛しているなら、信じてるなら、最初からちゃんと相談してあげてくださいよぉ……っ」
突然捲し立て、急に泣いて。彼女のその様子に、ウーヴァは固まってしまっている。
先ほどまでウーヴァと目を合わせることも恥じらっていたようにも見えたが、先ほどはしっかりと彼を見据えているように思えた。
その豹変とも言える変化に私も驚きはしたけれど、懸命に手の甲で涙を
(──ああ。モモコは……ペスカのために泣いているんだわ)
そう考えると、ストンと腑に落ちた。
何か思い出したのか、モモコの涙は止まらないままだ。
ペスカがウーヴァに近づいたのは、最初はもしかしたらメローネ伯母様の差し金だったのかもしれない。でもちゃんと、心も通わせていたのだ。
(ウーヴァとペスカは、きちんと恋人だったのね)
それを知っても、元婚約者だった身なのに全く波立たない自分の心は、やはりどうかしているのかもしれない。
私はポケットからハンカチを取り出し、モモコの涙を拭った。
「……今日のところはもう帰りましょう。ウーヴァの言いたいこともわかったし、安否もわかったもの。ほらモモコ、行きましょう」
「うっうっ、お義姉様……っ」
「あまり擦ると
頬を濡らす涙をトントンと優しく
「ではウーヴァ。急に来てごめんなさい」
「ウーヴァ様、失礼いたします」
リーベスも私に倣って歩みを進める。
呆然とするウーヴァを置いて、私たちはこの家を出た。
泣き疲れたのか馬車の中ですっかり眠ってしまっている義妹の姿をぼんやりと眺めながら、私は考え事をする。
ウーヴァの家に置いてあったあのティーカップも、所々に配置されていた可愛らしい雑貨も、以前のペスカが好んでいそうな桃色だった。
もしかしたら、二人の新生活のためにあつらえたのかもしれない。そう考えると、どこかさみしい気持ちになった。
それから半刻ほど馬車に揺られ、屋敷に到着する頃に、モモコはちょうど目を覚ました。
「うっうっ……おいじい……ゔっ、うえーん」
すでに目が赤く腫れてしまっているモモコは、泣き止んでいたはずなのに、サロンへ移動するとまたポロポロと涙をこぼす。
ホットケーキを口に運びながらも、モモコの涙は止まらない。泣きながら食べているから、どこか苦しそうだ。
リーベスが手早く作ってくれた三段重ねのホットケーキの上には、既に熱でとろけだしているバターと、たっぷりの
私が工房にこもっている時、リーベスがよく作ってくれるおやつだ。
「モモコ、大丈夫?」
「あい、どっでも、おいじいです~~~」
食べるか泣くか、どっちかに集中したほうがいいのでは……と思うけれど、どちらにも
そしてそれは私も同じだ。甘い匂いに誘われて、目の前のほかほかホットケーキにさくりとナイフを入れた。
「うん、今日もとっても美味しいわ!」
ぷつぷつとした気泡があるクリーム色の断面に、
ひと口大にしたそれを口に運ぶと、思ったとおりの温かな甘みに包まれる。塩気と甘さ、どちらも一度に味わえるなんて最高だ。
「良かったです。お嬢様にそう言っていただけるのが何より嬉しいです」
リーベスに笑顔を向けると、とても美麗な微笑みが返ってきた。前髪カーテンがなければ、目をやられていたかもしれないほどの眩しさだ。
「やっぱり、リーベスにはずっと側にいて欲しいわ」
「……俺でよければ、いつまでも」
ぱくぱくと食べ進めながらそう言うと、リーベスは胸に手を当てて腰を折る。
了承してもらえたことで嬉しくなって、ますますホットケーキが美味しい。
「うっうっ、主従尊い……美味しい……うっうっ」
「涙は止まった?」
ホットケーキを食べているうちに落ち着いたのか、食べ終わる頃にはモモコの涙はすっかり止まっていた。
「はい。ご心配をおかけしました。取り乱して申し訳ありません。なんかこう、ペスカの気持ちがぐわーーーっと急に流れ込んできてしまって」
頭をポリポリと掻きながら、モモコは気恥ずかしそうな顔をする。
「将来を約束してたエリートリーマンから、相談もなしに急に『俺脱サラして田舎でスローライフするから、ついてきてくれるよね?』って言われたようなものだと思ったら、わたしも『はあああ!?』って感情移入してしまって……」
「そ、そうなのね……?」
照れ照れとしながらそう告げるモモコの話は、相変わらずよくわからない。リーマンとか脱サラとか、それもまた彼女がいた世界の話なのだろう。
世界は違っても、ペスカとモモコの気持ちが何かしら共鳴するところがあったがために、感情が増幅されてしまったということだろうと推察する。
「お嬢様、お代わりをお待ちしました」
「ありがとう、リーベス。まだ食べたいと思っていたの」
私の目の前には、リーベスの手によって再び三段重ねのホットケーキが差し出される。
これが本当に大好きで、何枚でも食べられるのだ。
「お義姉様……その細い身体によくそんなに入りますね……!? なんなんですか、人類の夢ですか?」
「いつもはもっと食べられるけど、朝ご飯を先刻食べたばかりだから、このくらいにしておくの。お昼ご飯も楽しみだし」
家にこもりきりの私の楽しみは、工房での魔道具作りと三食のご飯。それに、リーベスのお手製おやつだ。
驚いた顔をしていたモモコだったけれど、涙で潤んだ瞳のまま、柔らかく微笑んだ。
「とても素敵ですね! わたしも家は大好きだったので、わかります。あ、でも……わたし、もうすぐここから出ていかないといけないですよね。お母様と」
ハッとしたように告げるモモコに、私の方が驚いたような気持ちになる。
そうか。確かに私は彼女たちに、ここから出ていくように言ったのだった。
「あれからずっと話してないですけど、あの人がお母様なんですよね……大丈夫かなぁ」
モモコが〝あの人〟と呼ぶのは、メローネ伯母様のことだ。
「そうね。伯母様はモモコのことはよく知らないものね」
ペスカがモモコになって、まだ少しの時間しか経っていない。
だけど私は、この素直で表情豊かな義妹との生活が、楽しくなっていることに気がついた。
それに、彼女が教えてくれる見知らぬ世界の話は魅力があって、魔道具を作る上でとても刺激的だ。
どうしよう。私の中に、明らかに迷いが生まれている。
「お嬢様」
逡巡していると、リーベスから声がかかる。
「今はあの時とは事情が変わったように思います。ペスカ様とウーヴァ様との婚姻も先がわかりませんし……再考されてもいいかと思います。当主として」
見上げたその瞳は、紅く美しく輝いていた。
◆◆◆
それは、ウーヴァが五歳の時だった。
小さなウーヴァが寝苦しさで夜中に目を覚ますと、部屋は真っ暗だった。
なんとなく寂しくなって、廊下に出る。母親のところへ行こうと思いついたのだ。
(よかった、おかあさまたち起きてる)
両親の寝室から光が漏れていた。
嬉しくなって、足早にその部屋に向かう。声も聞こえてくるから、間違いない。
おかあさま。
そう、声をかけようとした。
「どうしてなのかしら……私が妊娠中に体調を崩したのが原因なんだわ」
「お前のせいじゃない。医者もそう言っていただろう」
「でも! あんな……あんな〝魔力なし〟で、この先どうやって生きていくというの!? 一族の恥と言われてしまうわ! ウーヴァは、落ちこぼれのあの子は、貴族としてやっていけないわ……」
「………落ちこぼれ、か」
わっと泣き出した母の肩を、父が抱く。
部屋から聞こえたのは、ウーヴァの話だった。
(おとうさまの声、とってもこわい……それに、おかあさまは泣いてた)
ゆっくりと扉を閉めたウーヴァは、どきどきする心臓を押さえながら部屋に戻った。
ベッドに戻って、タオルケットを頭から
魔力なし。落ちこぼれ。一族の恥。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
きっと、とっても悪いことだ。
ウーヴァの頭の中で、両親の会話がぐるぐると回る。それは、どんな悪夢よりも怖くて、結局明け方まで眠ることはできなかった。
「おやウーヴァ、どうしたのかね」
「おじいさま……ぼく、ぼく……」
翌朝、ウーヴァは祖父の部屋を訪ねていた。
ケルビーニ伯爵家の当主である祖父は優しく、ウーヴァはそんな祖父が大好きだった。
両親や兄と顔を合わせることができずにいたウーヴァは、こうして祖父のところに逃げ込んだ。
「ぼく、どうして魔法がつかえないの? おちこぼれだと、キゾクとして生きていけないの? ぼく、おかあさまたちを困らせたくないのに……」
ぎゅうと胸の辺りを押さえながら、ウーヴァは懸命に言葉を紡いだ。
二つ年上の七つの兄は、ウーヴァと同じ五つの時には火属性の魔法を扱えるようになっていたという。
そうして魔法が発現したら家庭教師がつくようになり、魔法を自由に扱えるようになるためにその制御を学ぶのだ。
魔力の診断と発現の時期は異なるため、魔力があると診断されても、その力を使いこなせるようになるまでに時間がかかるケースもある。
──だが、ウーヴァに関してはそうではない。
もともとの魔力量がゼロなのだ。どれだけ待っても、彼が魔法を使えるようにはならないことを、両親は知っていた。
それなのに、当のウーヴァはずっと楽しみにしていたのだ。五歳の誕生日が来たら、六歳になったら……いつかは皆と同じように、魔法を使える日が来ることを。
(だけどぼくは、生まれた時からそのそしつがない魔力なし)
この先どれだけ待とうが、魔法が使える日は永遠に来ないのだ。
「ぼく……ぼく……」
ウーヴァは祖父の足に抱きつくと、ますます涙が溢れて止まらなくなった。ぽろぽろと溢れて、祖父のズボンを濡らしてゆく。
「……ウーヴァ、大丈夫だよ。顔をあげてごらん」
頭に載せられた大きな手が、ウーヴァを優しく撫でる。その心地よさに、ウーヴァは顔をあげた。祖父はにっこりと微笑んでくれている。
「実はこの世には魔道具というものがあってな。魔法が使えない人でも簡単に扱えるように改良している人もいるんだ。私の友人なんだがな。一度、遊びに行ってみるかな?」
「まどうぐ? ぼくでも使える?」
「ああ。私がウーヴァのために、特注の魔石を用意しよう」
「わあ! うれしいなあ」
それから数日後、祖父が連れて行ってくれたのは、親友だというベラルディ伯爵の家だった。
「この赤いのが、マセキ?」
「ああそうだよ。ここに魔力がたっぷり詰まっているんだ」
「へええ、キレイだね」
そこで見せられた宝石に似た赤い石こそが、魔石という特殊な鉱石だった。魔力との親和性が高い半透明な鉱石に、人の魔力を詰める。
説明してしまえばそれだけの仕組みなのだが、人の身体を離れると消失しやすい魔力を鉱石に定着させるという工程が、一筋縄ではいかないことにその特殊性があった。
現状では、この技術を持つのはベラルディ家の当主のみと言われていた。
「この孫娘のメーラが筋が良くてなあ。近いうちにこの魔石への魔力定着も習得してしまうかもしれん」
「なんと、それはすごいことだ。まだ五歳だったろう? うちのウーヴァと同じ年だ」
祖父の友人のベラルディ家当主は、同席した小さな女の子の頭をぽふりと撫でた。
いささか表情は乏しいが、焦茶色の髪と、新緑のような色の瞳が印象的な女の子だ。
「きみはメーラっていうの? ぼくはウーヴァだよ。よろしくね」
「よろ、しく……」
ウーヴァがにこりと微笑むと、メーラは
魔道具を使うためのきらきらの魔石と、メーラという同い年の女の子に出会ったウーヴァは、どこか前向きな気持ちになった。
そしてしばらくすると、その子は祖父たちの働きかけにより、ウーヴァの婚約者になったのだった。
◇
それから十数年の月日が流れても、今は亡き祖父が親友のベラルディ伯爵と共にあつらえてくれた魔石は、その効力が衰えることはなかった。
学園では、勉学に励んだ。マナーも教養もしっかり学んで、魔法が使えないことを補おうとした。
幸いにもウーヴァが〝魔力なし〟であることは周囲に露見しなかった。
貴族なら魔力がある。それが当たり前すぎて、まさか魔力がいない人間がこんな近くに潜んでいるとは誰も思わなかったらしい。
そのことに安心すると同時に、魔石を密かに忍ばせ続けていたウーヴァは、毎日ずっと気が気ではなかった。
今日は大丈夫だった。でも、明日はわからない。
そんな漠然とした不安が、毎日付き纏う。
婚約者のメーラは王都での学園生活を
ベラルディ家は特別だから。
「なあウーヴァ。お前、あのベラルディ家に婿に入るんだろう」
「ああ、そうだよ」
「く~っ、いいなあ。あの家、めちゃくちゃ稼いでるのに社交界には顔を出さないし、でも王家にも一目置かれてるんだよなあ」
「……そうだね」
ウーヴァがクラスメイトからそのように話しかけられるのも一度や二度ではなかった。秘匿される技術を受け継ぐベラルディ家は、伯爵位とはいえ、かなり重要な家門であることは間違いない。
「卒業したら、すぐに結婚するんだろう? 長年の婚約者だもんな」
「……」
今はもう三年間の学園生活が最終年の半ばを過ぎた。この春卒業すると、次はメーラとの婚姻が本格的に進んでゆくことになる。
(僕を厄介払いしたいのか、両親はしきりに婚姻を急かしてくる)
それもそうだ。この縁を逃せば、きっともうウーヴァは貴族として生きていくことはできないだろう。
だが、そこまでして貴族という身分にしがみつきたいかと言われれば、もうこの三年間ですっかり疲れてしまった自分もいる。
どうにもならない悩み事が増えてゆく。そうすると、ウーヴァは悪夢に
『……魔力なしだわ。どうして私の子が……!』
赤子を抱きながら、そう嘆いているのはメーラだ。
歳の割に落ち着いていて、これまで兄妹のように友人のように育ってきた彼女は、魔力も豊富で、とても優秀な人だ。
溢れる才能による研究の成果は如実に現れ、現ベラルディ家の当主である彼女の父親よりも優れていることはウーヴァの目にも明らかだ。最も才があると言われていた先代当主をも
だがそのせいで、彼女と父親の間には
彼女の祖父は、自らの息子よりもメーラの方に注力した。メーラ本人は知らないだろうが、現当主はそれを苦々しく思っているのだ。
そんな彼女が、泣いている。
『どうしてこんなことに。落ちこぼれが産まれるなんてっ!』
これは夢だ。ウーヴァはそう何度も自分に言い聞かせる。あの穏やかなメーラが、そんなことを言うはずがない。
そう思うのに、怖くて仕方がない。
魔力がないと、魔道具は作れない。
ベラルディ伯爵家の爵位を継いだ彼女の後継に、その技術が受け継がれることはない。
(ああ。やっぱりダメだ。魔力なしの僕は、彼女の将来を邪魔してはいけない)
飛び起きると、寝衣はぐっしょりと汗に濡れていて気持ち悪い。
貴族にしがみついているからダメなんだ。市井に出て、もうきっぱりと平民になる方が、きっといい。
休暇を使って訪ねたベラルディ家は、いつもと変わらない様子だった。ただ、当主が病に倒れ、先週から寝たきりなのだという。
恒例の婚約者同士のお茶会の際も、メーラはどこか
きっと彼女も疲れているのだ。そう思ったウーヴァは、メーラに休むように
幼い頃からよく来ていたこの家の庭は、ウーヴァにとっても馴染みが深い。
「まあ、ウーヴァ様、こんなところでどうかしましたか?」
庭園の端で伸びをしていたウーヴァに声をかけたのは、数年前にメーラの義妹となったペスカだった。愛らしく微笑み、ゆっくりと近づいてくる。
「……少し外の空気が吸いたくて。ペスカもお散歩かい?」
「はい。ちょっと休憩を」
「一緒だね」
当たり障りのない返答をすると、ペスカはどこか恥じらうような表情でこちらを見上げた。
「本当はわたし、ウーヴァ様のお姿が見えたので、慌てて駆けてきたのです。……一緒にいても、いいですか?」
頰を染めながら、
(──まるで僕みたいだ)
そう思いながら、ウーヴァは肯定の言葉を返した。
そしてそれから、ウーヴァは時間をみてはペスカと一緒に過ごすようになった。
可憐で表情豊かな彼女が側にいると、打算だとはわかっていても、いつの頃からか心が軽くなるように感じ始めた。
「ウーヴァ、また今度ね。待ってるわ」
「ああ、ペスカも元気でね」
ペスカに笑顔を向けながら、これはメーラへの裏切りだと何度も思った。ペスカのことを操っているのはメローネ夫人だとわかっていた。だが、理由がわからない。
メーラへの嫌がらせだけが目的だとすれば、夫人の目的は達成されることはない。メーラが自分に友人や家族以上の感情はないことはわかっている。
「……メローネ夫人は何か、勘違いしているのかもしれないな」
そこに思い至ったが、特段指摘はしない。利用しようとする者を、反対に利用して手に入れたいものがある。
その目的に向けて動いたウーヴァはあの日、メーラとの婚約を解消する道を選択したのだった。