第三章 義妹と魔道具開発


 騒動の翌日。

 私は屋敷の離れにある魔道具工房に、寝ぼけ眼まなこのペスカ改めモモコを連れてきていた。彼女の溢れる謎の知識を教えてもらうためだ。

 一晩経って、昨日あんなにも様子がおかしかったペスカがどういう状態か確認する意図もあったけれど「お義姉様、早起きですねえ~」と目を擦こする少女は、どうやら『モモコ』の方だった。

「わあ、ここが工房なんですねえ! いろいろな物がある~」

 きょろきょろとあたりを見回しながら、モモコは物珍しそうに目を輝かせている。

「お義姉様、ここでいろんなものを作られているんですね! わたし、ずっとここに入ってみたかったんです」

「ずっと?」

 モモコの言葉に引っかかりを感じた私は、気付けばそう問いかけていた。

「あっ……確かに、わたしが言うのは変ですね? でも、なんだか自然にそう思いました。これって元のペスカの気持ちなのかもしれません~!」

「そう、なの?」

 モモコが慌てたように紡ぐ言葉を、私は新鮮な驚きと共に受け止めていた。

(ペスカがこの場所に来たかったなんて知らなかったわ。ここに来る私を、伯母様といつも見下したように笑っていたのに)

 幼い頃、彼女と仲良くなりたかった私は、工房に誘ったことがある。でも、キッパリと断られたはずだ。

 だからこの工房にペスカも伯母様も立ち入ったことは一度もなかった。

 お祖父様が亡くなってからはずっと私専用の工房で、お父様のものは屋敷の書斎にある。

 一年のほとんどを書斎で過ごすお父様と、屋敷で顔を合わせるのは私でさえ稀まれだった。だからいつからか、私も自分用のこの工房で一日の大半を過ごしていたのだ。

 父娘の会話なんて、数えるほどしかない。亡くなる数日前に、この家の爵位について話したのが最期だった。

「お義姉様っ、ここでわたしは何をしたらいいんですか?」

 モモコの明るい声に、私はハッと我に返った。今は魔道具開発が先だった。

 どこか沼の中に引き摺り込まれるような思考の渦から、私は急いで気持ちを切り替える。

「昨日、貴女がいろいろと話してくれたでしょう。ええと、ニホンと言う国での暮らしについて。面白そうだから、私もそれを活かしたいと思ったの」

 モモコが語った知らない世界。知らない食べ物に乗り物、そして文化。それらは私の創作意欲をひどく刺激した。

「とりあえず、貴女が食べたいと言っていた『ぱふぇ』を作ってみたくて。それに必要な道具があれば、なんでも作るわ」

「パフェですね! まさか道具作りからやるとは思っていませんでした。ええっと、紙とペンをお借りしてもいいですか?」

「もちろんよ」

 先ほどまで少し眠そうだったモモコは、私が羽ペンと紙を渡すと、真剣な表情をして机に向かった。スラスラとペンが進み、見たことのない道具が描き上げられてゆく。

 驚いたことに、モモコはとても絵がうまい。

「お義姉様、できました! まずはこれ、『ハンドミキサー』です」

 モモコが描いたものは、三つの金属の輪を重ねたような不思議な楕円形が二つと、それから延びた棒を接続する持ち手のついた部分に分かれている。

「このハンドミキサーというのは、どんな風に使うのかしら?」

「こう……手で使う泡立て器があるじゃないですか。カシャカシャってやるやつ。アレを電気で自動でぐるぐる回るような仕組みになっていて、時短なんですよ」

 モモコは右手で空を握って、かき混ぜるような仕草を見せる。添えられた左手は、器うつわを現しているのだろう。

「ふわふわのホイップクリームがすぐに作れるので、パフェ作りには重要です!」

「まあ、そうなの。あれってとても美味しいわよね」

「はい!」

 ホイップクリームなら私も知っている。たまにリーベスがパンケーキの上に添えてくれる、あの甘くて口の中で溶ける食べ物のことだ。

 今は所用でリーベスは工房にいないけれど、戻ってきたらそのあたりの工程についても詳しく聞いておく必要があるだろう。

 普段は厨房に入ることがない私にとっては、感心するばかりだ。

(泡立て器の機能を増幅したもの……と)

 そうしっかりと書き留めて、今度は構造を考える。

「この部分は……どういう素材なの?」

 私は絵の中の珍妙な道具を指差しながら、そう尋ねた。

「ええっとですね~、この羽の部分は多分……鉄? いや……アルミ? 詳しくないですけど、なんかの金属です。持ち手のところはプラスチックで」

 私の問いかけに、彼女なりに懸命に答えてくれる。

「プラスチック……とはどういう素材?」

「えっ! あの、なんだろう、軽くて熱に弱くて……。すいません、よく考えたことがないので、なんと説明したらいいかわかりません~!」

「なるほど……そういう特性があるのね」

 彼女から聞き取った内容を、私はスラスラと別のノートに書き留める。知らない素材ばかりだが、この工房にあるものでなんとか代用したい。

 手で混ぜるものを、モモコの世界では電力を用いて自動で高速回転するような仕組みになっているということのようだ。

 私は暫くその説明図と睨み合い、そしてゆっくりと顔を上げた。

「……なるほど。この持ち手のある部分が動力装置で、そこから送られた力によってこの先端の金属の部分を回すのね。回転部分が二つあるとすると、それぞれが干渉してゼンマイのように回転するのかしら」

 頭の中で、この絵が立体になっているところをイメージする。くるくると回る泡立て器、それを手軽に使うことができるシンプルな造形。

「……だとすると、この先端の部分は液体に触れても劣化しにくいようにした方がいいわね。それでいて、回転に耐えうる強度も必要だわ。本体に使われているプラスチックという素材は何のことかわからないけれど、この部分は軽くて耐久性のあるものがいいでしょう」

 モモコが書いた絵を眺めながら、私は思いつくままに言葉を紡ぐ。

 そうやって手を動かしながら、頭の中では水に強く劣化しにくい金属について考えている。

 昔、お父様の書斎に入った時、たくさんの素材が保管してあった。もしかしたら、その中に錆さびにくい金属も見つかるかもしれない。

(あとで書斎を覗のぞいてみよう)

 私はそう心に決めた。

「あっ、でも……この世界に電気はないんですよね。コンセントも見当たらないですし。どうやって動かすんですか?」

 真剣なモモコの問いかけに、私は首を傾かしげる。

「魔石や魔法があれば、我が家の暮らしに関しては大体のものはなんとかなるわ。部屋にも魔石ランプがあったでしょう? 私の記憶では、ペスカも多少は魔法を扱えたはずだけど」

「ひえっ、わたしも魔法使い……!? 一気にファンタジーです!」

 自分の両手を感慨深く見つめるモモコは、どうやらペスカ時代に使っていた魔法の記憶はないらしい。

 開発のために毎日のように魔法の付与や魔石の加工をしていた私と違って、彼女はそこまで魔法を使う必要性がなかったのかもしれない。

 それでも、彼女やメローネ伯母様が別邸で道具を使えずに困っているという話を聞いたことはないから、きっと彼女たちも使えるものだと勝手にそう思っていた。

「あの……お義姉様、ちなみに魔法ってどうやって使うんですか? 恥ずかしい呪文を唱える系ですか?」

 何やらモモコは照れ臭そうで、「厨二病的な……?」とよくわからないことを言う。

「時と場合によるけれど、通常は特に呪文は必要ないわ……でも、全く記憶がないのなら、危ないから無理に使わない方がいいかもしれない。うちにある魔石のアクセサリーを身につければ、魔力がなくても便利に過ごせるから大丈夫よ。そのうち、先生を呼ぶわ」

「……やっぱり天使ですね、お義姉様。大天使……!」

 魔法を使えればそれだけで魔道具は反応するのだが、魔力がない人も扱えるように、魔石がある。

 大抵はブレスレットやネックレス、ピアスや指輪など、身につけやすい装飾品に加工されている。まあそれも一般的には高価だから、広く全国民にというのはまだ遠い目標だ。

 何やらうるうるとしているモモコをよそに、私はさらにペンを走らせる。

 稼働性、防水性、必要な素材、必要な魔石。どんどんイメージが湧いてきて、手が止まらない。

 そんなに難しくなさそうだから、合金さえ手に入れば、工房にある材料でなんとかなりそうだ。

「ここはこういう加工にして、持ち手はしっかりと握りやすい形状がいいわよね」

「すごいですねえ、お義姉様……」

 感嘆の声をあげるモモコに見守られながら設計図が完成し、早速作業に取り組もうとした矢先、来客を知らせる工房のベルが鳴った。

(……この音は、リーベスね)

 来訪者を予想できた私は、作業の手を止める。どうぞ、と声をかけると扉はひとりでに開いた。

「お嬢様! ……と、ペスカ様もいらしたんですね。昨日の件で、ご報告がございます」

 やはり工房の扉を叩いたのはリーベスで、少し息が切れている。

「わかったわ。作業は一度中断しましょう」

 リーベスが言う『昨日の件』とは、ウーヴァの件である。

 食堂で伯母様とやり合ったあの後、ウーヴァの生家であるケルビーニ伯爵家の状況について調べてほしいと、爺やとリーベスに依頼していたのだ。

 どんな報告なのだろうと思いながら、私は彼の話に耳を傾けた。

「実は……ケルビーニ伯爵家を調べた結果、ウーヴァ様はあの日から家には戻っていないようです」

 リーベスはモモコの様子を気にしながら、そう報告してくれた。

「〝探さないでください〟との直筆の手紙が届いていたらしく、今後も伯爵家に戻る可能性は低そうです。その後の足取りも掴めていないとのことです」

「まあ、そうなの……!」

 リーベスの報告に、驚きを隠せない。

 私はあの日、眠すぎてウーヴァのことをよく見ていなかったけれど、ペスカと並んで愛を語る彼は、確かに幸せそうに見えた。

 あの後、彼に何があったのだろう。

 私との婚約解消で発生する事柄は、彼なら全て把握していたはずだ。この家に婿に来なければ、貴族と再び縁を結ぶ以外はその身分を失うことになる理屈だって、知っていたと思う。

(だからこの結果が、私との婚約解消にあるというのは考えにくいわ)

 同じことを考えていたのか、自然と私とリーベスの視線は、口をあんぐりと開けたまま固まっているモモコへと向けられた。

 あの日、最後にウーヴァと話を交わしたのは、爺やを除けばここにいるモモコだったからだ。

 いや、厳密に言えば、その時はペスカになるのだろうか。実にややこしい。

「……モモコ。あなた、ウーヴァのことは覚えてるの?」

 私が問うと、モモコはこくりと頷いた。

「あっ、はい。ペスカの恋人? ですよね。あのイケメンの」

「いけめん……?」

「とってもかっこいいってことです。記憶ではめちゃくちゃ美男子ですもんね。なんかこう、キラキラ~って星が飛んでる感じの」

 頰に手を当てて、思い出すような仕草を見せたモモコは、ウーヴァのことは覚えているらしい。

「……モモコ様。最後にウーヴァ様と交わした会話を覚えていますか?」

 リーベスが、穏やかに問いかける。

 彼もここにいる元ペスカのことを『モモコ』と呼ぶことにしたらしい。

「実は、その辺の記憶が曖昧あいまいなんですよね~」

 首を捻ひねりながら、モモコは申し訳なさそうな顔をした。

「フィルターがかかっているというか何というか。映像がぶつ切りで。お義姉様が部屋を出て行くところは覚えているんですが……どうやらその後ペスカは、その人と話した後に倒れちゃったみたいで」

 どうやら彼女は記憶が混濁こんだくしているようだ。肩をすくめる様子からは、本当に詳細を知らないということが伝わってくる。

 モモコが話し終わると、思案顔をしていたリーベスが口を開いた。

「……話し合いに居合わせたアルデュイノさんの話によれば、今回の婚約解消によって、ペスカ様たちはこの家から出て行かねばならないことと、ウーヴァ様が将来的に市井に出て独立するという話をされた後、二人が口論になって、ペスカ様がお倒れになられたと」

 ちらりとモモコの方を見たリーベスは、少し言いにくそうに言葉を紡ぐ。

 アルデュイノというのは爺やのことだ。私が徹夜の睡眠を取り戻している間に、応接間は随分と大変なことになっていたらしい。

 これまでの話をまとめると、婚約解消の話し合いを私が退席した後、ウーヴァとペスカが喧嘩けんかをして、倒れたペスカは人格が変わり、一方のウーヴァは行方知れずになっていることになる。

「口論の末の行方不明……それって痴情のもつれ……? これ、なんて昼ドラ……しかも大事なところの記憶がないわたしって」

 リーベスの話を聞いたモモコも、いつもどおり私の知らない単語を発しながら顔を真っ青にしている。

 ウーヴァが家出中の今、頼りになるのは彼女の記憶だけだが、思い出す兆しはなさそうだ。

 私は一つ息をつく。現状ではまだ情報が足りない。

「……状況はわかったわ。あんな人だけど、心配ね。元気にしているといいのだけど」

 それは紛れもなく私の本音だった。突然の婚約解消に驚きはしたものの、別に私は彼を憎む気持ちも責める気持ちも湧いてこない。

 それより、急展開すぎていろいろとついてこない。どういうことなのだろう。

「リーベス、ウーヴァのことをこっそり探してくれる? どこで何をしているかは、モモコも知りたいでしょう?」

「はいっ! もし事件とかに巻き込まれてたら寝覚めが悪すぎます……。ごめんなさい、お義姉様、わたしのせいで迷惑ばかり」

 謝罪の言葉を即座に口にして、しゅんと項垂れるモモコは、本当に以前とは別人だ。

 リーベスの方を見ると、彼は瞳を優しく細めて私を見ていた。

「お嬢様ならそう言われると思いました。既に捜索を開始しております」

「リーベス、ありがとう」

「当然のことをしたまでです。っ、お嬢様!?」

 なんてできた従者なんだろう。嬉しくなった私は、彼に思いっきり抱きついてしまった。狼狽うろたえるような声が聞こえた気がする。

「……えっ、もしかしてお義姉様とリーベスさんって、そういうことなんですか!? 主従萌もえをリアルで視聴できるなんて神か……」

「モモコ様、何を言っているんですか!」

 頰を赤らめたモモコが天を仰ぎながらそう言うのを聞いて、リーベスは慌てて私を引き剥がす。

 それから私たちは、気を取り直して作業を再開することにしたのだった。


「──メーラ様。もうそろそろ切り上げた方がよろしいかと」

 リーベスの声かけに、私はハッとして顔を上げた。

 数刻が経過していたようで、工房の窓から見える空が茜あかね色に色づいている。

 朝から作業を始めたというのに、もうすっかり夕方になっていた。途中リーベスが軽食やおやつを運んできてくれたから、さらにやる気が出てやりすぎてしまった。

「本当ね。さあモモコ、今日はここまでにしましょうか」

 私はこの生活に慣れているけれど、モモコは初日だ。

 だというのに、早速自分のペースで進行してしまったことを申し訳なく思いながら顔を上げると、彼女はまだ一心不乱に何かを書いていた。

「……モモコ?」

「えっ、あっ、ハイ!?」

 作業中の彼女を覗き込むと、やけに慌てた様子で手元の紙をかき集める。

「随分たくさん書いたのね」

「あっ、えへへ、わたしお絵描きが好きで……趣味とかで熱中しちゃって、気がついたら朝になってたこととかもよくありました」

 私がハンドミキサーに必要な材料についてあれこれと検討しているうちに、モモコはモモコで熱中していたらしい。

 彼女が退屈していたわけではないことに安堵しつつ、机の上をちらりと見る。大半は彼女の腕の下に隠れてしまっているが、何かの道具が描かれた一枚の紙が目に留まった。

「それも何かの道具なの? アイスクリーム……メーカー……」

 大きな円筒のような器具の横に、そんな説明書きがある。

 不思議なことに、モモコが描く文字はこちらの世界の言葉だ。本人もスラスラと書けるその文字が不思議なようだった。意識して書いたという彼女の世界の言葉は、私にとっては逆に何かの模様にしか見えなかったけれど。

「はい。パフェといえばアイスかなって。これもかき混ぜ系です」

 モモコが頷く。

「アイスだったら、私は温かい林檎りんごのパイに添えてあるのが好きだわ」

「ワッ! それってとっても最高ですね……!」

 目を輝かせるモモコを見ながら、私は食べたことのあるアイスクリームを想像してみる。温かいものに添えられたアイスクリームは、ひんやりと甘い。それでいてソースのようにとろけたりもして、とにかく至高の味だ

「それも検討してみるわね。借りてもいいかしら」

「もちろんです!」

 モモコに尋ねてみると、快活な回答が返ってきた。

 まずはアイスクリームの作り方を知らないため、リーベスにもその工程を聞いておかなければならない。

「リーベス。あとでアイスクリームの作り方を教えてもらっていいかしら?」

 私はちらりとリーベスの方を見る。

「お任せください。お嬢様」

 彼は全てわかっているとでも言わんばかりの顔で、にこやかに微笑んだ。


◇


 工房から引き上げて夕食を済ませた私は、探し物のために父の書斎に向かっていた。

 廊下を進むと、一際ひときわ重厚な扉が廊下の真ん中に鎮座している。飴色に色づいた木造りのその扉を開けるのは、かなり久しぶりだ。

(それにしても、アイスクリーム作りがそんなに大変だったなんて知らなかったわ)

 扉を押し開きながら、私はリーベスから聞き取りをしたアイスクリームのレシピを思い出して、そんなことを思う。

 ひんやり甘く濃厚なアイスクリーム。

 食べるのは至福の時であるけれど、卵と牛乳と砂糖を混ぜた生地を冷凍室に入れ、少し固まったところで空気を含ませるために混ぜ、されにそれを冷やし、また混ぜて、冷やし……といった工程を何度も繰り返すことまでは知らなかった。

 そして、その工程を簡素化できるモモコ考案の魔道具は、リーベス曰く、画期的なものらしかった。

 彼女の描いた絵とリーベスからの助言を受けて、簡単な設計図を作成してみた。

 冷却の魔法を付与した金属製の筒に材料をセットする。それから、大きな撹拌用の金属の羽根がついた蓋ふたをはめる。そうすると、羽根がクルクルと回転して中身を撹拌かくはんし、アイスクリームの生地に空気を含ませながら冷やすという工程が一度にできる、という代物だ。

 あくまで理論上の話ではあるが、実物を作って実験するのがとても楽しみで仕方ない。

 そのためにも、まずは──

「……緊張するわ」

 お父様の部屋に入った瞬間、私は思わずそう呟いていた。

 もうこの部屋にお父様はいないのに、まだ部屋の中央にある黒い椅子に座って、何か研究しているような気さえしてしまう。

 でも、私が幼い頃から光が絶えなかった机上のランプは、当然のことながら暗闇を照らすことはない。

 お父様はもう、いないのだ。

 当たり前のその事実に、胸の奥がギュッと締め付けられる。

「メーラ様、どのように探しましょうか。俺もあまりこの部屋には近づいたことがなくて」

 感傷かんしょうに浸っていると、いつもよりもどこか軽妙な物言いのリーベスがランプを右手に掲げながら部屋を見回している。

 時間外労働になるから、と一度は断ったのだが、この真面目な従者はこうしてメーラの作業を手伝ってくれるらしい。

「アルデュイノさんもあまり立ち入ったことはないらしいのですが。金属を探せばいいのですよね」

「爺やでもわからないことがあるのね。昔この部屋に遊びにきた時には、こっちの左端の棚にまとめてあったと記憶しているわ」

「……確かに、そちらから金属の匂いがしますね」

「ふふっ、リーベスったら。探偵みたいね」

 匂いがするだなんて面白いことを言う。

 私も試しにすんと鼻を動かしてみたけれど、なんの匂いも感じられない。というか、いろいろな匂いが混じっていて、よくわからない。

「探してみましょう」

 リーベスの言葉に、私はこくりと頷く。

 部屋の壁一面は、床から天井まで伸びる巨大な収納棚になっている。ここに、お父様がこれまでの魔道具開発で使った材料が所狭しと並べられている。

(前に見た時より、ずっとずっと物が増えたわ)

 幼い記憶が、そうさせたのかもしれない。背丈だって、今よりも頭ひとつ分以上に小さかった私にとって、その聳そびえ立つような収納庫はとても大きく見えたに違いない。

 それくらい、この部屋に足を踏み入れることはなかったのだ。

「この辺りはどうでしょうか。メーラ様?」

「ごめんなさい、リーベス。すぐに行くわ」

 またぼんやりとしてしまった。私は慌ててリーベスのところに駆け寄る。

 彼は、棚の一番左下に置いてある木箱を二つ引っ張り出していた。

「この箱とあっちの箱が金属のような気がします」

「まあ、本当に匂いでわかるの? すごいわね」

 蓋を開けてみると、確かにどちらにも種々多様な金属が詰め込まれていた。

 以前からいろいろと鋭い従者だと思っていたが、リーベスは本当に有能だ。

 私の研究にも付き合ってくれるし、身の回りのお世話もしてくれるし、本当に支えてもらってばかりだ。

「こんなにいろいろ、すごいわ。ええと、この一番と書いてあるのが鉄で、こっちの二番は銅、それから……十二番はクロム鋼ね」

 箱の中にある複数の麻袋には、番号とそれぞれの金属の名称が書いてある。

「どうやらこちらの書物が実物と対応している図録のようですね。金属の特性や加工の際の留意点が細かく記載してあります」

 私が袋を眺めている間に、リーベスは箱の近くで黒い背表紙の本のようなものを広げていた。

「お父様の字だわ。こんなにたくさん……」

 リーベスが持っている本を後ろから覗き込む。びっしりと情報が書き込まれたそれに、お父様の勤勉さと緻密ちみつさが垣間見える。

 かなりの素材があるこの部屋で、その一つ一つをこうして図録にまとめるとなると、かなりの時間がかかるだろう。

(……お父様。この図録をお借りします)

 これだけの種類があれば、探しているものも見つかるかもしれない。私は目を瞑つむり、心の中で静かに唱えてから、パラパラと図録の頁ページを繰る。

「あっ、これはどうかしら」

 ある頁で手が止まる。そこに書かれていた金属の性質は、探し求めていた金属そのものだった。

『十八番、不銹鋼ふしゅうこう。十二番のクロム鋼とは配分が異なる合金。錆び等の腐食に強い性質』

「十八番ですね。……ありました。これのようです」

 リーベスは箱からガサガサと麻袋を取り出す。そこには『18』の記載があり、中には銀や鉄とはまた違った薄い灰色の金属の粒がびっしり入っていた。

「不銹鋼というものがあるのね。初めて知ったわ」

「旦那様は、こうした素材を作り上げるのがお好きだったようですね」

 リーベスの言葉に、私は改めて部屋の中をゆっくりと見回す。

 所狭しと並べられた多種多様な素材たち。きっとそのどれもが、これら金属と同じように図録にまとめられているのだろう。

「今なら……お父様と魔道具開発についての話ができたのかしら」

 お父様がこの部屋で何をしていたか、私は知らなかった。一緒に魔道具を開発する機会は、永遠に失われてしまった。

 この金属はどう使うといいのか、調理器具にふさわしい金属はどれか。プラスチックという素材を知っているか。

 今になって、聞きたいことがたくさんある。

 どうしてだか、お祖父様とお父様は別々に研究をしていて、私もそれが当たり前だと思っていた。だからこれまで、この場所に立ち入ってはいけない気がしていたのだ。

(なんだろう……なんだか、とても寂しいわ)

 主人のいない部屋と、たくさんの材料。寂寞せきばくとした雰囲気に、私は確かに胸の痛みを感じている。

「……メーラ様。目的のものも見つかりましたし、部屋に戻りましょう。ここは少し冷えます」

 リーベスはそう言って、不銹鋼の入った麻袋をさっと持ち上げる。それから、床に座り込んでいる私に向かって右手を差し出した。

「部屋に戻られたら、少しだけお待ちください。温かいココアをご用意しますので」

「ココア……そうね。えっと、うんと甘くしてほしいわ」

「心得ております。でも、一杯だけですよ」

「ええ!」

 彼の手を取り、私はようやくその場から立ち上がる。

 リーベスが用意してくれるココアは特別に美味しいのだ。

 そのことを考えると、それだけで冷えかけていた思考までもが温かくなるようだった。

「ねえ、クッキーも付けてくれる?」

「……そうですね。今夜は特別に」

「やったわ。ふふ」

 お父様の部屋を出て、私はリーベスと一緒に自室へと戻ったのだった。


◇


「……わ、ハンドミキサーが完成してるっ!」

 翌日、私はまたモモコと工房にいた。

 ちょうど適当な金属が書斎で見つかったこともあり、昨晩はハンドミキサーの形成まで一気に済ませることができた。もちろん、ココアとクッキーを美味しく食べてから。

「わ、わ~~! すごい。わたしが描いたあのイラストで、こんな風に再現できるだなんて」

 モモコは一目散に、台に置いてあるハンドミキサーへと近づく。

「まだ魔道具としての回路は設定していないのだけれど、細かいところを調整したいの。たとえばこう、回転速度を調整する場合の出力の加減がわからなくて」

 今ここにあるハンドミキサーは、モモコの絵を元に作り上げた、謂いわば外側の部分。まだ魔道具を動かすために必要な魔法回路を刻んでいないため、動かすことはできない。

 私の質問に、モモコは目の前のハンドミキサーを注意深く眺める。

「確か、こういうところにスピードを調整するボタンが付いていました。早く回したり、ゆっくり回したりできるようになっていて。ええっと、こんな感じの」

 持ち手の部分を指差しながら、モモコは近くにあった紙にさらさらとそのボタンを描いた。スライド式で、数字の目盛りがその横に書いてある。

「そうなのね。あとで改良するわ」

 実際に必要な回転量あたりは、ホイップクリームを作りながら吟味ぎんみするほかないだろう。

 とりあえず試作品一号の完成の目星めぼしがついたところで、今度は、次の道具を作らなければ。

「今日はアイスクリームメーカーの試作品も作ろうと思うの」

「ええ~! とってもすごいですね!」

 モモコが先日描いた『アイスクリームメーカー』も、もちろん一緒に完成させる予定だ。

 どちらも完成したらようやく〝魔道具でのパフェ作り〟に取り組むことができるのだ。

 俄然やる気が湧いてきた私は、そのまま作業に取り掛かる。

「お義姉様。わたしもまだここにいていいですか? 絵を描いて大人しくしていますので!」

「ええ。必要なものはある?」

「紙とペンさえあれば、可能性は無限大です!」

 少し前に私とそんな会話を交わしたモモコは、作業台の近くのテーブルに紙を広げ、羽根ペンでスラスラとなにやら人物のようなをもの描いている。彼女の趣味の一端なのだという。

 そうこうしていると、リーベスが軽食を運んできてくれて、私はますます魔道具開発に打ち込むことができる。

(次はこれを、筒形に成形する工程ね)

 お父様が作り上げた金属の粒を広げ、私はその上に手をかざす。それらが一枚の板になるようにイメージしながら、手のひらに魔力を集め、ゆっくりと手を動かす。

 すると、それに呼応するかのように粒が動き、融合し、だんだんと一つの塊になっていく。

 単純に火や水といったものを扱うわけではない、魔力の特殊な使い方。これはベラルディ家に受け継がれる能力なのだとお祖父様が言っていた。

 均一に平べったくなるよう力を注ぐと、丸い塊は徐々に板になり、そして筒へと変化していく。これがアイスクリームメーカーの中央部分の核となる。

 そこまで作業をしたところで、私は一度ゆっくりと手を止めた。

(ひとまず、こんなところかしら)

 ふう、と溜めていた息を吐く。

 成形作業は繊細なもので、集中するぶん消耗しょうもうが激しい。

 もともとある羽根ペンにインクを付与する魔法回路を研究していた時とは、また違った疲労がある。

「わあ~なんだか魔法みたいですね。……って、魔法でした」

 モモコの感想に、私は思わず笑みをこぼした。

「モモコもできるようになるわ」

「だといいんですけど。こう、紙の束を一瞬で製本する魔法とかを使いたいです」

「随分と特徴的だけれど、きっとあるわ。魔法は奥が深いもの」

「わあ……っ! 夢が膨らみます」

 私の言葉にモモコは、心から嬉しそうに笑った。


 それから数日、私はハンドミキサーとアイスクリームメーカーの完成に向けて全力を尽くした。

 厨房にも器具を持ち込み、料理人たちにも協力を仰あおいで、何度も試行錯誤を繰り返した。

 使い方を説明したり、ぱふぇを解説したりと、私とモモコが一気にいろいろなことを説明するものだから、彼らはとても混乱していた。

 それに、もともとは使用人たちとあまり接点のなかったモモコが私と一緒にいることに何より驚いたようだった。

 だが最終的には、モモコの描くイラストのぱふぇの美しさに誰もが目を奪われ、ハンドミキサーの便利さに慄き、アイスクリームの美味しさに感動する……という一つのドラマがあった。

 そして今日はいよいよ、モモコが「ぱふぇ」を披露してくれる日だ。

 ハンドミキサーを使って、驚くほど早くピンとツノが立った滑らかなホイップクリームが完成した。そして、数十分前に生地を流し込んだアイスクリームメーカーからも作業完了を知らせる音が流れる。

 その他にも、モモコの指示で集められた果物などがお皿いっぱいに並べられている。

「よし、お義姉様。早速作ってみますね」

「ええ、お願い」

 私が見ている前で、モモコは細長いグラスに手際よく食材を詰めてゆく。魔法など使っていないことはわかっているのに、彼女の素早い動きに合わせてだんだんとグラスに層ができてゆくのは圧巻だ。