第二章 義妹のペスカ


 目を覚ますと、いつもよりもずっと日が高かった。

 寝不足で早寝をした結果、さらに昼近くまで眠っていたらしい。

(──またあの夢だったわ)

 嫌な記憶は忘れることなく、こうして時折悪夢として現れる。

 十年以上前のことなのに、映し出される映像はずっと鮮明で、この夢を見た日は特別に気分が落ち込む。きっと、昨日の婚約解消という一大事件がこの記憶を呼び覚ましてしまったのだろう。

 気分を変えるためにぐっと伸びをすると、くうと小さな音が聞こえて自らの空腹を知る。そういえば、夕食も食べずに眠っていたのだった。

「……お腹が空すいたわ」

 お腹をさすっていると、タイミングよく扉が叩かれる。

 お嬢様、と呼ぶ声はリーベスのものだ。

「おはよう、リーベス」

 私はそれを聞いて、ベッドの上に置いてあるランプのボタンを押した。これは通信ができる魔道具で、扉の横に設置している送話口を通じて、外にいる人と会話ができる代物だ。

 私はよく徹夜続きの研究をして、その後丸一日眠りこけることがあるため、その不規則な生活の中でも、外との連絡を取るためにと作り上げたのだ。

 私がこのボタンを押すと、送話口の上部に取り付けられた小さな電球が光る仕組みになっているため、誰か通りがかった人は私が用事があることがわかる。

 これもまだまだ試作品の段階なので、いろいろと試してみたいところだ。

『お目覚めですね。おはようございます。ちょうど食事の準備をしていますので、朝の支度はプルーニャに任せます』

「わかったわ。ありがとう、リーベス」

『他に何かご入用ではありませんか?』

「大丈夫よ。とってもお腹が空いているから、急いで準備するわね」

 そう答えると、リーベスがふ、と軽く笑ったような気がした。扉の外にいるから、もちろんその真相は私にはわからないのだけれど。

『厨房にもそのように伝えておきます。では』

 リーベスと話しているうちに、夢の印象がだいぶん薄れてきた。

 便利な道具をこうして作ってみたわけだけれど、リーベスはこうして私が合図を出すよりも早く気が付いてくれるから不思議だ。

「メーラ様。失礼いたします」

「おはよう、プルーニャ」

「まずはこちらを」

 それから数秒もしないうちに、部屋には支度のためにプルーニャがやってきて、果実水を差し出してくれた。相変わらずの連携プレーだ。

 喉も乾いていた私は、それを一度にぐいっと飲み干し、あとは彼女にされるがままに準備を済ませる。勝手を知っている彼女は、とても素早く澱よどみなく準備を終わらせてくれた。

 その後すぐに食堂に案内されると、テーブルの上には出来立ての食事が並んでいた。

 昨晩は夕飯も食べずに眠ってしまったため、お腹がとっても空いていたから助かる。

「いつもありがとう。今日もとっても美味しいわ」

「ありがとうございます」

 配膳してくれた料理長にお礼を言うと、にこやかに返される。もぐもぐと咀嚼そしゃくしながら、大きな窓の方に視線を移すと、外は快晴のようだった。

「メーラ! これは一体どういうことなの!」

 刹那せつな、扉を開ける騒々しい音と、金切り声が食堂に響き渡った。驚いて、しっかりと味わっていた食事を飲み込んでしまった。

「……メローネ様、朝からお行儀が悪いですよ」

「なんですって!」

 食堂の侵入者であるペスカの母親、伯母のメローネにそう投げかけると、もともと怒りの形相に満ちていた彼女は、さらに苛立いらだちを露あらわにする。

 ずかずかと食卓に近づいてきた彼女は、その怒りを隠そうともせず私に向けた。

 とはいえ、無駄に縦に長いこのテーブルのお陰で、いくらかの距離は保たれている。

 傍に控えていたリーベスが半歩前に出たことで、彼女の足はぴたりと止まった。

「メーラ! わたくしとペスカをこの家から追い出すなんて、どういう了見なのっっ!」

 手に持っていた扇子せんすをぎりぎりと握りしめながら、メローネ伯母様は噛み付くような怒声を浴びせてきた。

 私が眠っている間に、彼女の元に伝達されたらしい。私はフォークを皿に置いた。

「……もともとこの家は私のものです。お父様があなた方を引き取ったのは、ペスカが成長するまでという条件つきでした。もうその約束は履行されました。ねえ、爺や」

 私の言葉に、部屋の端に控えていた爺やが大きく頷く。

 そして、「恐れながら申し上げます」と恭うやうやしく話し出した。

「先日、ペスカ様とケルビーニ伯爵子息の婚約が成立しました。それに伴い、メローネ様とペスカ様は、この家の扶養ふようから外れることとなります」

「そっ、それがおかしいと言っているのよ! 伯爵家のウーヴァ様と結婚するペスカが、この家の跡を継ぐはずでしょうっっ!」

 そう激昂げきこうする彼女に、私は目を丸くする。

(どうしたら、そういう理屈になるのかしら……?)

 それらの措置は、私が独断でしたものではないし、昨日今日に取り決めた話でもない。この家に二人を招いたお父様が、きちんと説明をしていたはずなのだ。

(ああ、でも。そういう理屈で伯母様が動いていたのならば)

 もしかして、ウーヴァにペスカをけしかけたのは、伯母様の策略だったのだろうか、なんてことまで考えてしまう。

 私は一度しっかり深呼吸をして、できるだけ落ち着いた声が出るよう集中した。

「メローネ様。いえ、メローネ伯母様。伯父様が亡くなられた後、確かに父はあなた方を不憫に思ってこの邸に招き、ペスカに至っては養子縁組をしました。ですが、このベラルディ家の現在の当主は私です」

 お父様の兄であった伯父様の葬儀の際、幼い娘を抱える伯母様を手助けするために、お父様が二人を我が家の別邸に住まわせることにしたのは六年前のこと。

 そうして伯母様たちを招き入れたものの、お父様はその頃、研究以外にほとんど関心がなく、私がどう過ごしていようが、気にも留めていなかった。

 お母様とも既に離縁していたこともあり、メローネ伯母様は徐々にこの屋敷の女主人のように振る舞うようになっていった。

 でも実際には、お父様と伯母様が再婚したわけではない。そしてそのお父様も、半年前に病で亡くなってしまった。この邸に残されたのは、私と伯母様たち。

 この間、伯母様が何を思って暮らしていたのかは定かではないけれど、このベラルディ伯爵家の正統な後継は、私なのだ。

 既に十八歳で成人済みのため、爺やに手伝ってもらいながら、先月ようやく爵位を継承する手続きを終えたばかりだった。

(だから、結婚の準備も進み始めていたのだけれど……)

 不思議に思いながらも私が立ち上がると、リーベスや爺や、それから他の使用人たちも倣ならうようにメローネ伯母様を見つめた。

 その雰囲気にたじろいだのか、伯母様は半歩後ろに下がる。

「ペスカはもうウーヴァの元へ嫁ぐことが決まったのです。彼はケルビーニ家の次男なので伯爵家の家督を継ぐことはないでしょうから、市井しせいに出るのかもしれませんね。でもきっと準備金は伯爵家から出るでしょうし、慎ましく暮せば問題ないかと──」

「は……? な、どうして伯爵家のウーヴァ様が市井に出るのよ! あなた、さっきからわたくしを貶おとしめるようなことばかり言うのね!」

 私の言葉に、メローネ伯母様はまた眉を吊り上げる。

 爵位を持たない伯父様と結婚した伯母様ならば、その仕組みは当然知っているものと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

 頭が痛くなりながらも、私は慎重に言葉を選ぶ。

「ええっと、ケルビーニ伯爵家の家督は長男が継ぐからです。どこの貴族家でもそうですが、子どもが複数いても、家督は一人しか継げません。ですから、彼は我が家に婿に来ることになっていました。家督を継ぐ者がよその家に婿入りなどできませんから。……この件に関して、ウーヴァは全て了承していると思いますけれど」

 できるだけ丁寧に、私はそう説明した。

 伯母様がこれらの事実を知らなかったとしても、当事者であるウーヴァは確実にこのことを知っているはずなのに。

(──そういえば、このことをペスカは知っていたのかしら)

 そう考えて、私はようやくこの場に義妹ペスカの姿がないことに気がついた。

 いつもは二人でセットなのに、今日はメローネ伯母様だけだ。

「あ、あなたは私たちに、また平民となって出て行けと言うのね」

 伯母様は声を震わせる。

「なんてひどい娘なの! わたくしたちを迎えてくださった旦那様はとてもお優しかったのに、貴女のその冷酷さは、家族を捨てた母親譲りなのね。亡くなった父親に申し訳ないと思わないのかしら!? ああ非道だわ、横暴よ!!」

 ようやく状況を理解したのか、メローネ伯母様はますます声を荒げて捲まくし立てる。

 重ねられる彼女の言葉に、私はちりちりと心が焼かれるような苦しさを覚えた。

「メーラ様、大丈夫です」

 息が詰まるような瞬間、そっと私の隣に立ったのは、リーベスだった。柔らかい言葉と笑顔に、ふにゃりと気が抜けた私は心から安堵する。

 リーベスの笑顔に安心していると、他の使用人たちの表情も見えてきた。皆心配そうに私を見つめている。

 大丈夫。彼の言葉を心の中で反芻はんすうして、私はまたメローネ伯母様をしっかりと見据えた。

「──今回の話を進めたのはウーヴァとペスカでしょう? それに、お父様もきちんと説明していたはずです。そのことを棚に上げて、私をそのように侮辱する権利はありません」

 そう言い切ると、メローネ伯母様の緑の瞳が一層吊り上がる。

「っ、あなたはいつもいつもそうやって取り澄まして、私たち母娘を馬鹿にしてるんでしょう……っ!」

 こうやって理不尽な怒りを向けられるのは、これまでもよくあることだった。二人がかりで来られると厄介やっかいだが、相手が一人だと割と平気だ。

(さて、どうしたら納得するのかしら)

 激昂する伯母様にどう対応しようかと思案していると、再び食堂の扉が勢いよく開いた。

 張り詰めるような緊張感に包まれていた私たちは、一斉に扉の方を見た。

 入ってきた少女はいつものふりふりピンクなものと違って、やけにシンプルなワンピースを身に纏まとっている。

(……ペスカ)

 ふわふわの淡い茶髪を揺らすのは、紛れもなくペスカだった。俯うつむき加減で表情がよくわからないが、間違いない。

「ああペスカ! 昨日は倒れたと聞いたけれど、もう大丈夫なの? きっとこのメーラにひどいことを言われたのね。貴女のお姉様は横暴なのよ。婚約者を奪われたからといって、こんな非道な手段に出るなんて。女の嫉妬しっとは醜みにくいわね」