おかえりなさい。

 私にとっては特別なあいさつです。

 そんな言葉が言えるほど実家の家庭内温度はぬくぬくじゃありませんでしたし、一人暮らしをしていたころは言う相手などおらず。

 けど、庵くんのお家にお泊まりし始めてからは違います。

「ただいま」と言われたら「おかえりなさい」と返す。

 私にとってはずっと憧れていた幸せいっぱいキャッチボールなわけですが、

「おかえりなさいませ、ご主人様」

 今日のおかえりなさいはいつもとちょっぴり違っていました。

「あっ、そっか。今日は練習するって言ってたね」

 同居していると周囲にバレないように時間をずらして帰宅した庵くんが、私の姿を見て少し驚いていました。

 メイド服。

 以前、街川庵お料理教室で身にまとっていた黒白の衣装。

 メイド&ホスト喫茶の接客練習として、再びメイドコスになったわけです。

「そこまで気合入れてやらなくても」

「何事も形から入ると言いますからね。それに私は笑顔を作るのが苦手ですし、たっぷり練習しておこうかと」

 なんて言いつつも、わざわざここまでしたのには接客練習以外の理由もありました。

 昨日、私たちはキスをしました。

 正直な話……今朝は照れくさくて、顔が火照って、庵くんと目を合わせることすらできませんでした。

 なのに、


『おはよう、綺奈』


 朝のダイニングで、庵くんはいつも通りのさわやかスマイル。

 まるで私とのキスなんて大したことなかったみたいに。

(……ずるい)

 これじゃ私だけ庵くんのことを意識してるみたいじゃないですか。

 私だって庵くんの恥ずかしがってる姿が見たい!

(ただ、相手は筋金入りの笑顔製造機)

 ちょっとやそっとじゃ彼のスマイルガードは崩せないでしょう。

 ならば……!

「ゲームをしませんか、ご主人様?」

 ダイニングソファに座る庵くんに私は訊ねました。

「いいね。本番の喫茶店でもいくつかゲームを取り入れようと思ってるんだ。簡単なクイズを出すとか、ジャンケンで勝てばチェキが無料とか……」

「その案もいいですが、私たちが目指すのは模擬店ランキング1位。もっとインパクトがあって話題になりやすいゲームはどうでしょう?」

 たとえば、と。

 私はメイド服のポケットからポッキーの箱を取り出してから、

「んっ……」

 羞恥心を堪えつつ、ポッキーを一本だけ口にくわえました。

 そう、ポッキーゲーム。

 互いがポッキーをかじり合って、恥ずかしさに耐え切れなくなって先にお口を離した方が負けという光属性陽キャギャンブル。

 もちろん文化祭本番でポッキーゲームするつもりはありません。

 生徒指導の先生がすっ飛んできてお店ごと摘発されそうですからね。

(これはあくまで、庵くんを恥ずかしがらせるため)

 ──ちょ、何してるの!?

 ──や、やってもいいけど……。

 ──あはは、けっこー恥ずかしいねっ。

 みたいな!

 お可愛いリアクションだって期待できるはず……!

「なるほど」

 が。

 ポッキーをくわえる私に、庵くんは顔を近づけて……えええっ!?

「かりかり」

 ちょ、待っ!

「かりかり」

 ええええええっ!?

 なんでそんなためらいなくポッキーをかじって……!

「かりかりかり……」

 近い!?

 3センチほど先にある同居人の整ったお顔!

 これじゃあと数秒で私たちのくちびるが……!

「っ!」

 顔が真っ赤になるのを感じながら、私はポッキーから口を放していました。

 すると、庵くんはポッキーをすべて頬張ってから、

「俺の勝ち♪」

 にっこりと勝利の笑顔を浮かべました。

「……ご主人様。なんだか、やけに慣れてませんか?」

 野球だったらコールドゲームにも等しいあまりの惨敗っぷりに恨み言を一つ。

「まあ、これが初めてじゃないしね」

「えっ」

「俺ってことりと付き合ってることになってるでしょ? だから恋人アピールの一環として、充哉たちの前でやったことがあるんだ」

「そうなんですか……」

 さすが陽キャオープンオタク。

 まさかポッキーゲーム童貞を捨てていたとは。

 だからあそこまで迷いなくゲームを進めたし、私がくわえたポッキーを食べて……間接キスをしても、私と違って恥ずかしがってなくて……。


「……まあ、ことりとやったときよりも全然緊張したけどさ」


「えっ?」

 訊ね返すと、庵くんはぷいっと顔を逸らしました。

 表情は見えませんが、お耳の先がわずかに赤くなっています。

(ひょっとして、庵くんも恥ずかしがってる?)

 猛スピードでかりかりしてきたのも、羞恥心を堪えるためにゲームを早く終わらせるためだったのかもしれません。

 そう考えたら……。

「──ふふ。ご主人様にも、可愛いところがあるんですね」

 自然と頬が緩んでしまいました。

 予想外の収穫です。

 初対面の人の前で笑顔を作るのは苦手。

 でも、たった今目にした庵くんの姿を思い返せば、文化祭本番でも緊張がほぐれて、笑顔になれる気がしました。

「じゃあ、今度はこっちの練習に付き合って?」

 と。

 庵くんはいつものさわやかスマイルを作ってから。

「今から俺がホストになるね」

「ええっ!?

「どうせだから交互に練習しようよ」

「庵くんは練習なんかしなくてもホストさんくらいできます!」

「どういうことさ」

「だって……」

「俺だって、綺奈の可愛いところが見たいのに」

「そういうところですよ!」

 ホスト検定1級に合格しそうな恥ずかしい台詞を言わないでください! なんて言いつつも。

 ホストになった庵くんの姿も見たくて……それから1時間ほど、私たちは二人きりで接客練習を続けたのでした。