第8話 天使の涙



「見てたのか?」

 夕日に照らされた屋上。

 冷静な表情を保ちつつも、天使の姿をした妹にたずねる。

 コンテストが終わった後で、ことりに「大事な話がある」と言われた。

 二人きりで話せる場所に行こうと言われて、この屋上を思いついたわけなんだけど。

「あはは、ごめんね。のぞくつもりはなかったんだけどさ」

 笑顔のままで、ことりは語る。

「コンテストの20分くらい前かな? 廊下でお水のペットボトルを持ったまま走ってるいおりを見かけてさ。どこ行くんだろ~ってつい追いかけたんだ」

「………」

「それで屋上に出てったから、何してるんだろってちょっぴりドアを開けたら、あやちゃんと一緒にベンチに座ってて」

「………」

「何を話してるかまでは聞こえなかったけど、妹としてなんだか気になってさ。しばらく様子を見てたら……びっくりだよ! 二人がキスしたんだもん!」

 おめでと~! と。

 祝福でもするように妹は肩をたたいてきた。

「やっと庵にも彼女ができたか~。双子としてうれしいよ!」

「待て。あれは──」

「今さら否定しなくていいってば~。恋は病気と一緒。どんなに予防しててもある日突然誰かを好きになっちゃう。というわけで二人は付き合い始めたんでしょ? だからあんな風にキスしてた」

「あんな風って……どこまで見てたんだ?」

「? キスし始めたとこで『うっわお兄ちゃんアオハルしてる!』って恥ずかしくなって下の階に逃げちゃったけど……あっ、もしかして──」

「違う」

「大人の階段完全登頂──」

「そこまではしてないよ」

「え~、ホントかな~? さすがにコンテストに間に合わないと思って電話しちゃったんだけど、やっぱりお邪魔だった~?」

 ニヤニヤからかってくる妹。

 危うく大人の階段上りかけたわけだけど、そこまでは見られなかったっぽい。

 ただ、キスを見られたのは事実だ。

(いっそ俺とあやの関係を明かすか?)

 実は同居してること。

 互いの心の傷を癒やすためにあんなことをしてしまったこと。

 だけど、すずはら綺奈=サバトラってことは綺奈本人も隠したがってたし、独断で打ち明けるわけには──。

「もう恋人ごっこを続けるわけにはいかないと思うんだよね。いおりと綺奈ちゃんは付き合ってるんだもん。それにさ」

 メイド服のスカートをきゅっと小さな手でにぎりしめて。

 一度顔をうつむかせてから、ことりはひどく深刻な顔で──告白する。


「私たち、血がつながってないんだと思う」


 あまりにも予想外な台詞せりふに頭が真っ白になった。

 待て。

 そんなわけあるか。ことりは10月にも「本当は血のつながった兄妹じゃない」なんて言ってきたけど、すぐに冗談だって訂正して──。

「っ」

 けれど、今のが冗談じゃないってことはすぐにわかった。

「あっ、ご、ごめんね?」

 妹の瞳から、大粒の涙がこぼれていたから。

「ことり?」

「き、気にしないで? この涙は全然大したことない……庵が気にする必要なんてないからっ」

 そんなわけあるか!

 なぜことりが俺たちが義理の兄妹だと思ったのか?

 事情はわからないけど、ことりの思い違いってこともありえるし、泣いてる妹を放ってなんかおけない!

「あっ」

 少しでも落ちつかせたくて、涙を浮かべる妹を抱きしめる。

 子供のころに二人でホラー映画をたときみたいに。

 ことりは「庵……」と一度だけ涙にぬれた声で俺の名前を呼んだけど、

だめだよ!」

 何かを思い出したように、両腕で俺を突き放した。

「恋人ごっこはもうおしまい! いおりには本物の彼女ができた……。なのに血のつながってない妹と恋人みたいに振る舞い続けるなんて……とてもじゃないけどあやちゃんに顔向けできないもん!」

 そして、俺に背を向ける。

 自分の泣き顔を見られるのを拒むように。

 悲しみにゆがんだ表情を封じこめるみたいに──だけど。


「ことりちゃん!」


 屋上のドアへ歩き出したことりの前に現れたのは、綺奈だった。

「うそ……なんでここに!?

 困惑した様子で俺の方を振り返ることり。

 けど、困惑してるのは俺も同じだった。

「ごめんなさいっ」

 泣いているのはことりだけじゃなかったから。

 涙をこぼしながら、綺奈はかすれた声を振り絞る。

「ほ、本当にごめんなさいっ。ことりちゃんは庵くんと血がつながってない……なのに! 私、あなたにあんな相談をして……」

「待って! 落ちついて綺奈ちゃ──」

「スタバで『かなわない方が幸せだから』と言っていたのは、鈴原綺奈にとっての幸せという意味だったんでしょう!?

 妹ははっきりと息をんだ。

 沈黙。

 オレンジ色に染まった屋上を静寂が支配する。

 その中で、俺は少しでも状況を理解しようと。

 向かい合う二人の方に歩み寄ろうとした──瞬間だった。

「来ちゃだめです!」

 はっきりとした拒絶。

 かすれた声で叫んでから、綺奈は後ずさりした。

「お願い、ですっ。今だけは来ちゃだめです。きっと、きっと、今庵くんがそばに来てしまったら……またあなたを頼ってしまうから……!」

 まるでさっきのことりの再現リプレイ

 涙を隠すように、綺奈は俺に背を向けて屋上のドアへと駆け出した。

 反射的に追いかける。

 たとえ拒絶されても、放ってなんかおけなかったんだ。

 今のあやはあきらかに普通じゃない。

 このまま一人にしておけない。

 それに、もう綺奈の涙を見るのは嫌だった。

 だって俺は……。

「きゃ!?

 呼吸が止まった。

 小さな悲鳴。

 ドアを開けて階段を駆け下りようとした綺奈が、バランスを崩した。

 たった今交わした会話がショックだったのか、

 一刻も早くこの場から離れたくて焦ったのか、

 それとも、涙で視界がゆがんでいたのか──。

 彼女は足を踏み外した。

 そして、きやしやな体が、まるでオモチャみたいに階段から転げ落ちようとして──。