第3話 涙よりもあたたかな
現実でも距離を縮めたIORIとサバトラさんだけど、暗黙のルールがあった。
いくら同居してるからって年ごろの女の子の寝室に入るのはマナーに欠けると思って、今まで足を踏み入れることはなかったんだけど、
「ごめんなさい。こんなお願いして」
「いえいえ。俺だってこの前ひざ枕してもらったしさ」
綺奈の寝室。
そのベッドの上で、彼女の華奢な腰を後ろから抱きしめるように座りながら、俺は心臓を必死になだめていた。
好きな人の寝室に招待された事実だけで思考がカニみたいにゆで上がりそうなのに、至近距離で感じる女の子成分に
さらに先日の記憶まで
つい勢いで同居人を押し倒してしまった。
俺を誘惑してきたのは、親友としてのからかいだったんだろうけど……。
(頼むから自覚してほしい)
自分がとんでもなく
今でも目に焼き付いている。
真新しいナイトウェアから
お風呂上がりのせいか、興奮と緊張のせいか、桜色に上気した肌。
どれもクソザコ恋愛ビギナーにとってはR指定映像。
最後に理性が勝利しなければ、初恋を終わらせるどころか、間違いなく──。
「ことりちゃんにもこうしてあげたことがあるんですよね?」
「まあね。子供のころホラー映画を
「私もその話を聞いて、庵くんにこうしてもらえば安心できる気がして」
ホントに?
俺はどきどきして全然安心できないよ?
そもそもそんな理由で同居人を自分のベッドにご招待なんてメチャクチャだ……という正論は頭から戦力外通告にしておこう。
(たぶん、かなりテンパってるんだろうな)
もちろん、今日のLHRはうまくいった。
予想通り
そこで
無論、西野さんの発言は
西野さんが「そのあたりソロギャルは何か言いたいことある?」と話を振ると、綺奈は緊張しながらも教壇で言葉をつむいだ。
『私が
『実は5月に、私は街川くんに告白したんです』
綺奈の言葉に、教室中がどよめいた。
『はぁああああ!?
『た、たしかに庵くんはモテるけど……!』
『えっ!? 待って! てことはもしかして綺奈ちゃんって……!』
驚く演技をしながら、ことりが会話を誘導。
『庵に告白してフラれちゃったってこと!?』
『はい。ことりちゃんの言う通りです』
『あっ! そ、そっか!』
『それで隣の席になったときついひどいこと言っちゃったの!?』
『ええ。私はあのときの行いをすごく後悔しました。だからせめてもの罪滅ぼしに街川くんのお手伝いができればと思って、実行委員に立候補したんです』
もちろん、綺奈が語った内容はすべて
俺が執筆した原稿だ。
過去に起きた
フラれた結果俺に冷たくしたというのは
(
さらには失恋した者同士だということにすれば
その証拠に、
畳みかけるように、綺奈は今までそっけない態度を取ってきたことを謝罪。
本当に申し訳なかった。
自分は人間関係がわずらわしくて、他人を避けたくて、みんなに冷たくしてしまった。
これからは今まで迷惑をかけてしまったクラスのみんなのためにも、精一杯
『だ、だから……お願いします! こんな私でよければ実行委員を続けさせて欲しいです! みなさんの力を貸してください!』
彼女の言葉に、アンチ
(スピーチ内容はほぼ俺が書いた原稿だけど、この家で何時間も練習してくれたせいか、すごく気持ちがこもってたしね)
教室からは拍手まで飛び出し、綾坂祭に向けて一致団結。
無事にLHRをまとめられたことで綺奈自身も自信を持てた。
「ど、どうしましょう……」
ゴキゲンで帰宅した後、ことりから【
ひどく
「よ、世も末です……まさかパリピギャルとLINEする日が来るとは……!」
自分も見た目はギャルなのにと苦笑しつつも、綺奈を落ちつかせたくて頭をなでる。
「
「ホントにホラー映画を
「怖いシーンになったら手を握ってくださいっ」
「
「IORIぃ!」
「あ、ごめんなさい。そこまでじゃないですよね?」
「ジェイソン様はむしろ好きだよ! ウェイしてるパリピとかよく殺してくれるもん!」
「ゴキを食べてくれるクモみたいな扱いですね」
なんて言いつつも、親友の背中越しにスマホをのぞきこむ。
【じゃあ、始めよっか~】
【お話の前に、ありがとうございました。今日は助けてくれて】
【別に? あたしは
彼女の気持ちをほぐしたくて、スマホを持ってない左手をにぎる。
【ごめんね。
綺奈を気づかってたのはことりも一緒だったっぽい。
シュポっという音とともに届いたLINEは、
【萌果って、実は綺奈ちゃんのファンなんだ】
「は?」
ぽかんと口を開ける綺奈。
うん、びっくりするのもわかる。
俺も昨日ことりから事情を聞いたときは驚いたしね。
&
「西野さんが
「そう。綺奈ちゃんが描いた絵画が大好きなんだって」
昼休み。
いつもは生徒立ち入り禁止の場所。屋上の隅に置かれたベンチに座りながら、ことりはおにぎり片手にうなずいた。
LINEじゃなくて直接相談したいことがあるとここに呼び出されたんだけど、
「萌果には秘密にしてって言われてたけど、庵になら話してもいいかなって」
「俺でよければ相談に乗るよ」
「ふふ、助かるぜブラザー」
「お礼も受け取っちゃったしね」
相談に乗ってくれたらごはん作ってあげる! と言われたので本日のランチは
才色兼備な妹は料理の腕前もかなりのもの。
洋食なら俺に分があるけど、和食を作らせたら勝てる気がしない。
「しかもちょうど食べたかったヤツ」
「お、やっぱり? なんだか庵が食べたがってる気がしたんだ」
「双子の以心伝心か」
二人分のお弁当箱の中には、ツナマヨと
「やっぱり最強セットは定期的に食べたくなるよ」
「あはは、その呼び方懐かしい~。二人で初めて作ったごはんがこれだったよね」
「小4の運動会な。母さんの
「『最強のお弁当を作る!』ってね!」
あのころは二人とも料理ビギナーで苦労したんだよな。
二人でスーパーで食材を買って、朝早起きしてキッチンで料理して、運動会当日は見学に来た母さんや父さんにも喜んで食べてもらえたっけ。
「やっぱりことりの作ったおにぎりが一番おいしい。優しい味がする」
「えへへ、
「ことりって今すぐにでもお嫁さんになれそうだよな」
料理の腕も申し分ないし、とにかく気が利く。
「あ、話がそれた。
「
「高校に入る前からファンだったってことか」
「小6のときに美術館で綺奈ちゃんの絵を観て、自分と同い年の子がこんなにすごい絵を描けるのかって感動したんだとか。だから綺奈ちゃんみたいに絵が
「ガチ度すごっ」
「でしょ!? 萌果にとって綺奈ちゃんは最推し。近づくと緊張で何を話したらいいかわかんなくなって挙動不審になっちゃう。だから……」
「推しにおかしな人だと思われたくなくて、つい遠ざけるような言動しちゃってたのか」
「相変わらず察しがよろしい! 話早くて助かるよ!」
ことりはおにぎりをほおばった後で、
「綺奈ちゃん、私や庵とは話すようになったでしょ? そのせいか萌果もいつまでもこのままじゃ嫌だって思ったみたいで」
「
「えっ、綺奈ちゃんって萌果が苦手っぽくない?」
「対面で話すのは無理でもLINEならなんとかなるはずだ」
緊張はするだろうけど、チャットの方がハードルは低い。
「ありがと~! 早速萌果と相談してみる!」
「力になれてよかったよ。ことりは俺や
「これでもクラス委員閣下様だからね~」
「他にもクラスメイトの相談によく乗ったりしてるだろ?」
「
「まあな」
天文部の男子の恋愛相談に乗ったら、お礼に屋上の合鍵をくれたのだ。
「普段は立ち入り禁止だから、彼女と二人きりになりたかったら使っていいぜ! 俺らが持ちこんだベンチもあるしさ!」みたいな感じで。
「ただ相談件数ならことりの方が断然多い」
「それは……」
「大丈夫か? 厄介な相談事ととか持ちかけられてないか?」
「う~ん、相談事ってわけではないんだけど」
ことりは困ったように苦笑してから。
「最近
「っ。なんて言われた?」
「大したことないよ。ただプールに誘われただけ」
山岸め。俺との電話では謝罪してたけど、ことりのことをまだあきらめきれなくて、どこかから連絡先を入手したのか?
この様子だと、俺と
「ま、やんわりお断りしたけどね~。相変わらず偉そうだったし」
「たまには怒っていいんだぞ? おまえって周りから『いい子』扱いされすぎて、他人のお願いを押し付けられることも多かったしさ」
それでもことりは常に笑顔で周囲の期待に応え続けたっけ。
昔から妹がいるクラスは人間関係トラブルが起きることがほぼなかった。
ことりが事前にトラブルの芽を摘み取り、悩みを抱えた級友の相談に乗り、クラスのリーダー兼ムードメーカーとして輝き続けたからだ。
(ただ、兄としては少し心配だよな……)
ときどき、ことりが
「だいじょーぶ!」
隣に座った妹は
「たしかにいい子扱いされすぎて疲れちゃうときもあるけど、私には庵がいる。庵の前ならいい子な私じゃない一面も見せられるしさ」
「ことり……」
「たとえば本日の下着は驚きのBLACK! どうだ! いい子っぽくないでしょ!?」
「唐突に下着カラー申告すんな。せっかくのおにぎりがマズくなる」
「ひっど!? 何その冷めた目! どきどきしないの!?」
「双子相手にか? 下着どころか裸を見るのも日常だったろ」
「なっ」
「小4まで一緒に風呂入ってたしさ。てか、たしかにことりはいい子じゃない一面もあるよな。昔机の二重底の下に『恥ずかしランジェリー ~下着の色はあの人の好み~』ってティーンズラブ漫画を隠してて、夜な夜な読んでたじゃん」
「ほれ。パンチラ」
「っ」
「や~い、妹パンツにどきどきしてやがる~、ちょっとスカートめくっただけなのに~」
「からあげ吐き出させる気か!? 学校にヒモパン
「
「服のセンス変わってないな。小6の夏休みにも母さんのアマゾンアカウント使ってエロ下着買ったのがバレて『お兄ちゃん一緒に謝ってぇ!?』って土下座してきたっけ」
「ちょ、信じらんない!?」
「自分のムッツリドスケベな行動が?」
「女子の秘密を堂々と語る人間性がだよこのばか兄がぁ!」
「安心しろアホ妹。俺がこんなことするのはおまえだけだ」
双子の距離感ゼロな
ぷんすかお怒りな妹をなだめるために、俺はことりの頭を軽くなでた。
&
【うわああああごめんなさいごめんなさい~! あたし、世界のAYANA SUZUHARAになんて失礼を~!】
ひとしきり事情を
【いえ。そっけなくしてたのは私も一緒ですし。というか、もっとくだけた呼び方をしてもらって結構ですよ】
【マ!? だ、だったら! 「綺奈さん」って呼んでいい?】
【まだ固くな~い?】
【うっさいことり!? 相手は世界のAYANA SUZUHARA! ガチ推しなの! 画集だって観賞用と保存用に二冊持ってるし、なんならスマホの壁紙だって綺奈さんの絵画にしてる! ぶっちゃけサインもらいたいくらいなの!】
【絵画は色々と
【ふええええっ!? あざますあざますあざます家宝にしますインスタのヘッダーにします
「喜んでもらえて、よかったです」
うん、ホントにね。
ただ、さすがにLINEが終わったら俺と密着してる状況に違和感を覚えるはずで──。
「!?」
予想は外れた。
体を反転させてこちらを向いた綺奈が、ベッドの上で俺に抱きついてきた。
「ありがとうございます!」
吐息すらかかる至近距離。
気持ちを伝えるみたいに抱きしめながら、お礼を言ってくる。
「全部、
「綺奈ががんばったからだよ。実行委員の仕事もちゃんとやってるし、何度もスピーチの練習してた。その成果を今日出せたんだ」
「がんばれたのは庵くんがいてくれたからですよ!」
体温を分け合うみたいに。
綺奈は柔らかな肢体で俺の体を抱きしめながら、
「ずっと、友だちなんていらないって思ってたんだ」
言いづらいことなのか、ネットの口調で静かに打ち明けてくれた。
「他人とはわかり合うことなんかできない。そう信じてた。ぼくはあの人……お母さんともわかり合えなかったから」
抱きしめられてるせいで、綺奈の顔は見えない。
「物心ついたころから、お母さんに絵を描くことを強制されてきたんだ。『絵を描くことしか才能がない』『あんたは私の物でしかない』『私の役に立ちなさい!』。何度もそう言い聞かされて、いつの間にか絵を描くことが大嫌いになってた……」
ひょっとしたら綺奈は泣いているのかもしれなかった。
だけど、彼女がこぼすのは涙だけじゃない。
「──現実で人間と接することも、大嫌いになってたんだ」
親友にすら打ち明けることができなかった、
「肉親とすらわかり合えないんだから、学校のみんなと仲良くなれるはずがない。友だちなんて作れない。みんなは当たり前のようにやってるけど、ぼくには絶対に無理。だってぼくには……絵を描く以外何の才能もないんだから」
ひょっとしたら、俺たちは似た者同士なのかもしれないって思った。
鼓膜の奥で
──おまえは必要とされてない人間だ!
──誰にも好かれない。
──いついなくなったっていいんだぜ?
もしかしたら
誰からも必要とされないんじゃないか?
表面上は笑い合えてもそれは所詮見せかけで自分は好かれてないんじゃないか?
自分の存在する意味なんてないんじゃないか?
そんな不安が、決して消えない
『庵くんは学校ではいつも笑顔ですが、常に周りに気を配って隙を見せないようにしてる気がします』
綺奈の言葉通りずっと周囲を警戒して壁を築いてた。
不安を消すために、必死に作り笑顔を磨いて、友だちを増やして、陽キャを演じたけど……クラスメイトに心を開けなかった。
両親やことりにも心配されたくなくて悩んでることを打ち明けられなかった。
それが──ひどくさびしかったんだ。
「そんなぼくを、IORIが救ってくれたんだ!」
だからこそ、綺奈の言葉は刺さった。
悩んでたのは、自分一人だけじゃないってわかったから。
「キミが書いた物語に憧れてぼくはイラストを描き始めた! ネットに上げたイラストをキミがほめてくれたおかげで、絵を描くことが大好きになれた! 一緒に暮らす毎日の中で、他人とつながることの温かさをキミが教えてくたんだ!」
さっきまで涙を隠すみたいに俺の肩に顔をうずめてたのに、今は顔を上げている。
端整な輪郭を彩るのは、淡くやわらかな
「──ありがとね? 心の底から言えるよ。ぼくにとってキミは世界で一番大切な存在だ。大好きな友だち。IORIがいてくれて、本当によかったよ」
私だって同じ気持ちです。
サバトラさんはたった一人の親友。
やっとできた心を開ける大好きな友だち。
あなたが私を救ってくれたんですよ。
そんな風にうなずきたかったけど──。
「……
黙っている俺を不思議に思ったのか、
透き通った大きな瞳。
そこに映った
「ご、ごめんね?」
口から出たのは、信じられないくらいかすれた涙声。
オイ、
涙を流すなんて何年ぶりだ?
(笑え! 笑えよ!? いつもみたいに笑顔を作れ!)
じゃないと綺奈が不安になる。自分のせいだ。悲しい話を聞かせたせいで親友を泣かせてしまったって気に病む。せっかくつけた自信をなくしてしまう。子供みたいに情けなく泣いてる場合じゃないのに。
どうしても、消えない。
必要としてくれた。
大好きな友だちだって言ってくれた。
街川庵という
彼女の言葉が頭の中で何度もリフレインして、
「──泣いちゃっても、いいですよ?」
涙じゃない。
頬を伝う涙をぬぐうように、綺奈の唇が頬に触れていた。
「綺奈?」
吐息すら届く距離にある顔を見つめる。
すると、綺奈は白磁の頬を
「好きなだけ泣いていいです」
さっき触れた頬とは逆の頬に、涙よりもあたたかなくちづけを贈る。
──なぜ俺が泣いているのか?
そんな
なぐさめるように、慈しむように、包みこむように、寄りそうように。
どこまでも優しくて、ほんのちょっぴりおっかなびっくりな、不器用なキスをくれる。
「わかります。きっと庵くんは、今までいっぱい
「………っ」
「あなたはいつも優しい陽キャな優等生。周囲に笑顔を振りまいています。だから、たとえ
正解だ。
他人に付け込まれる隙や弱みは絶対に見せない。それが
でも──同居人の前でだけは、違う。
「ああ、もう。キミにだけは勝てないや」
白旗を上げると、
「私もあなたにだけは勝てません。泣いてるあなたを見て、つい
「おいコラ親友」
「ふふ。仕方ないでしょう? 学校での
「キスの次はほめ殺し?」
「あなたがそれを言いますか。ほめ殺しレベルでいったら私は初犯であなたは大量殺人犯。ジョン・ウィックも真っ青です」
「あはは、大した殺し屋さんだ」
「……そういう笑顔も可愛いので反則です」
「そんなに学校とは違うかな?」
「ええ。ただ……この笑顔を見せるのは私だけにしてほしいですっ。これ以上庵くんがモテたら『街川庵をストーキングする友の会』が結成されそうですから」
「もう、大げさだよ」
笑った拍子に一筋涙がこぼれると、綺奈がまた
照れくさそうに頬を緩ませながら、やわらかな細腕で俺の体を抱きしめてくれる。
好きな女の子のベッドの上で、互いの体に触れ合っている。
(綺奈が好きだ)
ようやく芽生えた恋心は感情という名の
俺はこの初恋を枯らさなくちゃいけない。
ただ、それでも──今だけは、俺をはげますためにキスをくれた親友との時間を壊したくなかった。
(こんなことを言うのは矛盾してるかもしれないけど)
なんだか本当の意味で、綺奈と親友になれた気がした。
それくらい深くつながれた気がしたんだ。