第1話 ソロギャルと休日を



「話しかけてこないでください。私、あなたみたいなオタクが世界で一番嫌いなんです」

 今年の6月。

 隣の席の鈴すず原はらさんにあいさつした途端、街まち川かわ庵いおりは実に鮮やかな口撃カウンターを被弾した。

「気にすんな庵」

「ソロギャルじゃ仕方ないって! あいつが笑うとことか想像つかねえしさ!」

「死ぬほど美人だけど、クラス全員に塩対応だもんなー」

「エグいくらい協調性ゼロ。先週の調理実習で同じ班になったけど、あいつのおかげで空気死んでてマジ詰んだぜ……」

「あーあ! 鈴原さえいなけりゃうちのクラスもっと楽しいのによぉ!」

「学年一綺き麗れいだけど、それしか取り柄ねえしさ! 庵もそう思うだろ!?」

「いや、鈴原さんが塩対応なのには何か理由があるんだと思うよ」

 放課後の教室。

 クラスメイトたちと雑談しながら、つい鈴原さんへのフォローを入れてしまった。

 周囲の顔色を読んで合わせるのがオープンオタクこと街川庵の処世術ライフスタイル。

 けど、大勢で陰口を叩たたくのは大嫌いだった。

(きっと昔を思い出すからだな)

「うおっ、さすが庵いおり!」「紳士すぎだろおまえ」「あそこまで貶けなされたのに気づかうとかさ」なんて声を聞きつつも。

 小2のときにいじめに遭っていた記憶が鮮明にフラッシュバック。

 彼らは今のような悪口を教室に俺がいるのにも構わず、嘲笑を混ぜながら大声で語っていて……。

    &

「街まち川かわくん、大丈夫ですか?」

 心配そうな声で目が覚めた。

 ぼやけた視界に映ったのは我が家のリビングダイニング。

 空色のエプロンを身に着けた同居人。

「ごめんなさい、起こしてしまって。なんだかうなされてたので」

 鈴すず原はら綺あや奈な。

 夢の中でソロギャルなんて呼ばれていた彼女は、明るい髪を揺らしながら心配そうにこちらをのぞきこんでいた。

「ありがとう。少し嫌な夢を見てたから、起こしてくれて助かったよ」

 ソファに横になっていた体を起こしてから、大きく背伸び。

 その拍子に体にかけられていた毛布がフローリングに落ちた。

「これ、キミが?」

「はい。憶おぼえてますか? 昨日二人で『ROSSOロツソ』を観みていて」

「ごめん。観ながら寝ちゃったんだね」

「謝る必要はありません。夜遅かったですし。それに、その……」

「どうかした?」

「……なんでもありません」

 鈴原さんは新雪みたいに繊細な肌をほんのり上気させてから。

「朝ごはんできてますよ」

 キッチンから二人分の朝食を運んできた。

 ほんのり甘い優しい香りが鼻をくすぐる。

 日曜日、時刻は午前11時すぎ。

 お皿の上に載っているのは、ブランチにぴったりの焼き立てスフレパンケーキ。

 俺たちのルームシェアが始まってから1ヶ月半。

 俺がサポートしながら鈴原さんが食事を作る回数も増えた。

 細かいところを失敗しちゃうことも多いけど、腕前は徐々に上昇。

 そして、今日は彼女一人で初めて朝食を作ることになってたんだけど……。

「ごめんなさい」

 同居人はシュンとしていた。

「昨日丁寧に作り方をレクチャーしてくれたのに、何個かひっくり返すときにフライパンにくっついて、形が崩れて」

「気にすることないってば」

「街まち川かわくんは綺き麗れいな方をどうぞ。失敗作は封印します。私の胃に」

「古いにしえの魔物みたいに扱うのはやめようよ?」

「ですが」

「綺麗なヤツだけじゃなくてそっちも食べさせて? ほら、前に言ったでしょ? 色んなことを共有しようってさ」


『これからはただルームシェアするだけじゃない。──辛つらいこと。哀かなしいこと。うれしいこと。楽しいこと。色んなことを二人で共有シエアし合いながら、一緒に成長していこう』


 あの言葉があったから、俺たちはルームシェアを続けてるんだと思う。

 鈴すず原はらさんは学校では孤高のソロギャルだけど、実はオタクでシャイな人見知り。

 自分に自信が持てない。

 自己肯定感が低いことが悩みだ。

 俺は色々なことを共有シエアしながら、親友に自信をつけてあげたい。

「失敗と成功は誰かと共有した方がいいよ。そうすれば失敗の辛さは半分以下に、成功の喜びは二倍以上になるでしょ?」

「相変わらずポジティブですね」

「合理的に考えてるだけ。失敗の辛さが減れば次に挑戦するとき失敗を恐れずに進める。だからどんどん共有して? その方が俺もうれしいしさ」

「前言撤回します。ポジティブなだけじゃなくて、すごく優しいです」

 ありがとうございます、と頬ほおを緩めてくれた。

「トッピングはどうします?」

 苺いちご。林りん檎ごのキャラメル煮。バニラアイス。チョコレートソース。

 冷蔵庫に控えていた甘味の精鋭たちがソファ前のローテーブルに出撃。

「アイスと林檎にしよっかな」

「では盛りつけちゃいますね」

「それくらいは俺がやるよ」

「せっかくの日曜日。ゆっくりしてください。最近は綾あや坂さか祭の件でもたくさんお世話になってますから、お礼がしたいんです」


 綾坂高校文化祭を盛り上げる1-Aの文化祭実行委員は、俺と鈴すず原はらさん。


 と言っても、最初は女子の実行委員はことりが担当していた。

 しかし、1週間前のLHRロングホームルームでことりから「クラス委員の仕事もあるし、やっぱり兼任はちょっと厳しいかも」と申し出が。

 そこで引き継ぎ役として立候補したのが鈴原さんだったわけだ。

「未いまだに悩みます。本当に私でよかったんでしょうか?」

「もちろん! ことりは部活もあるしね」

 そしてここだけの話、俺とことりは鈴原さんを文化祭実行委員にしたいと画策していた。

(自信をつけるのに効果的なのは、新しい挑戦)

 さらには成功体験を得ること。

 実行委員の仕事を全うできれば鈴原さんは大きな達成感を得る。

 さらにはクラスメイトとも触れ合う機会が増え、友だちができる確率が上がる。

 だから、ことりから鈴原さんに「兼任はキツいよ~」と話をしてもらった。

 その後で男子サイドの実行委員である俺から「代役に立候補してくれない?」と提案するつもりだったけど……。


『私でよければ、ことりちゃんの代わりに実行委員をやるのはどうでしょうか?』


 鈴原さんが自分から申し出てくれたんだ。

 親友いわく「昔の私なら実行委員をやるなんて考えもしませんでした。でも街まち川かわくんやことりちゃんの負担を減らせればと思って」とのこと。

 そして俺とことりの了承を得てから、LHRで立候補したわけ。

 文化祭実行委員は多忙なせいか誰も立候補しなかった。

 前任者のことりも「綺あや奈なちゃんなら適任!」と太鼓判を押してくれたことで無事就任。

「実行委員になれたのは街川くんが『鈴原さんとならいい仕事ができる!』ってみんなを説得してくれたおかげでもあります」

「心の底からの本音だよ」

「精一杯がんばって、必ず結果を出してみせます。今はまだクラスのみんなと……特に松まつ岡おかくんや西にし野のさんと話すのは苦手ですが」

「大丈夫。俺もサポートするし、相談にだって乗るから」

 鈴すず原はらさんと実行委員をやるのは楽しいしさ。

(ただ、色々と準備は必要)

 誰にも懐かないソロギャルが文化祭のリーダーになった。

 そのことを快く思ってない派閥もあるのだから。

「なぜここまでしてくれるんです? 9月にもあなたは行き場のない私を助けてくれました。このお家にもお泊まりさせてくれています」

「決まってるじゃん。俺たち親友でしょ?」

 いや、俺が力になりたい理由はそれだけじゃないよな……なんて考えつつも思考を読まれないために笑顔でごまかす。

「今月の宿泊費はこのケーキということで」

「ずいぶん安上がりな大家さんですね」

「他にも報酬はもらってる。鈴原さんが実行委員になってくれて命拾いしたし」

「そこまで?」

「鈴原さんは見たよね、俺が描いた模擬店の看板ラフ」

「え、えっと、味があっていいと思いましたよ!? なんというか、4歳児が初めて作ったお好み焼きみたいなカオス感があって……!」

「フォローありがとう。絵を描くのはホントに苦手でさ。鈴原さんが代わりにデザインしてくれて助かったよ」

 感謝を伝えつつ、トッピングが載ったパンケーキを受け取る。

 二人でダイニングソファに座ってから、ふわふわの生地にフォークを入れ、アイスとキャラメル色の林りん檎ごと一緒に味わう。

「──ああ。ダメだ。この美お味いしさは背徳的すぎる」

 焼き立てのふんわり生地。

 溶けかけのバニラアイス。

 さらには林檎の甘酸っぱさが、口の中で極上のマリアージュ。

 休日の遅い朝にこんな豪華なブランチをご馳ち走そうしてもらえるなんて。

 あまりにも幸せすぎて思考がとろけそう。

「もっと食べたい! 甘いものの取りすぎは体に悪いけど、今日だけは特別!」

「喜んでもらえてホッとしました。あ、コーヒーもどうぞ。甘いものを食べるときはブラックがいいんでしたよね?」

 微笑ほほえみながら、鈴原さんがマグカップを差し出してきた。

 それから思い出したようにエプロンを外す。

 身にまとっているのは、どきりとするくらい肩が大きくさらされた白のオフショルダーニットとタイトな黒いスカート。

 明るい髪と耳のパールピアスにマッチしたギャルっぽい秋コーデ。

『ソロギャル』のあだ名通り、クールなファッションだけど、

「たしかに背徳的なお味ですね。ふふっ」

 服装とは真逆なあたたかで淡い微笑ほほえみ。

 苺いちごとチョコレートソースに彩られたパンケーキに、学校ではクールな表情が幸せいっぱいに緩む。

(ホント、半年前からしたら考えられないよな)

 あそこまで拒絶されたクラスメイトと自宅のソファで食事をとってるなんてさ。

「苺は賞味期限がもうすぐでしたので、今日全部食べちゃいましょう」

「だね。あ、テレビでも点つける?」

「でしたら昨日の続きを見ませんか?」

「『ROSSOロツソ』の8話? いいね、あの回大好きなんだ!」

「私も今期一番のお気に入りです」

 テレビに映し出されたのは今季注目の百ゆ合り系ガンアクションアニメ、『ROSSO』。

 特に先週放映された8話はネットでも神回と評判だったっけ。

「やっぱりこの回シナリオ構成がいいよね。7話で張った伏線を回収してラストの引きとして活用してるしさ。あと『ROSSO』は台詞せりふ回しが上う手まい。キャラの細かいこだわりをさりげなくアピールすることで、人間らしさを出してる」

「作画も神です。8話は有名なアニメーターさんが作画監督さつかんに入ったとか」

「おお。内容も日常回で癒いやされるよね。7話の『バニーガール狂騒曲』も好きだけどさ」

「アニメイベントにバニーコスで潜入するとんでも回でしたね。というかやっぱり、街まち川かわくんはバニーガールが好きなんですね」

 たしかに以前DMダイレクトメッセージでバニーガールの魅力について力説したっけ。

 もちろん親友が同性だと思ってたころに。

 うん、相手がクラスメイトの女子だと知った今では、とんだやらかしだ……。

「『一家に一着バニーガール衣装が支給されれば日本の少子化も食い止められるかもしれません』と言ってました」

「一応言っておくけど、それ冗談だからね?」

「じゃあ好きじゃないんですか?」

「いや……好きだけどさ。キミだって『どうせなら逆バニーも配備しよう!』って同意してくれたじゃん」

「そ、そんなの冗談に決まってるじゃないですか!?」

「その割にはノリノリで逆バニーのイラストを描いてくれて──」

「そういえばっ!」

 頬ほおを赤らめながらも、鈴すず原はらさんは話題を変えるように、

「7話の予告でリコママのキャラデザが初公開されたんですよね!」

「うん。今風なデザイン」

「近年流は行やっているヒロインをそのまま巨乳&高身長に改造リメイクしたようなママですね。この8話の娘リコとの再会シーンもよくて……あ、この食事シーンも大好きです!」

「パンケーキを作ることにしたのも、二人が食べてたからだっけ」

「トッピングもお揃そろいにしました!」

 パンケーキを見せびらかしながら微笑ほほえむ同居人。

 画面ではヒロインであるリコが母親にパンケーキを振る舞われていた。

 先週の放送をリアタイしたとき、鈴原さんが「うらやましい」って言ってたんだっけ。

「あ、そうだ」

 鈴原さんは皿に載ったパンケーキをフォークで小さくカットしてから、

「……どうぞ。あ、あーん」

 頬を薄っすらと上気させながら、差し出してきた。

「ありがとう」

 作り笑顔で照れくささをごまかしながら、パンケーキを頬張る。

 ただ、全然味がわからない。

 驚きとうれしさでお腹なかじゃなくて胸がいっぱいになる。

「まさか食べさせてもらえるとは」

「えっ……憶おぼえてないんですか?」

 なぜか鈴すず原はらさんがすねたように頬ほおをぷくっと膨らませた。

 そして、スマホを操作して、

【もぉIORI! 昨日の夜ぼくに言ってたじゃん!】

 口では言いにくいことなのか、DMを送ってきた。

 現実とは違う男の子みたいなしゃべり方。

 フォロワー50万人を誇る神絵師・サバトラ。

 俺のネット上の親友であり、一緒に漫画制作をするパートナーとしての姿。

【リコがリコママにパンケーキを食べさせてもらうシーンを見て『たまにはあんな風に甘やかされてみたいよね』って!】

【だから食べさせてくれたんですか?】

【そうだよ~! 恥ずかしいの我慢してやったのに~! 今日はIORIに甘えてもらうDAYにしようと思ったのにさ~!】

【どんなDAYですか】

【IORIの希望をなんでも叶かなえる日だよ! いつもはぼくがキミに甘えちゃうことが多いから、そのお返し!】

【たしかにサバトラさんって家ではすごく甘えたがりですよね】

【う……そこまでじゃ……】

「週に3回はおかえりのハグをねだってくるのに?」

 隣ですねるオタ友が可愛かわいすぎてつい地声でからかってしまった。

 鈴原さんは恥ずかしそうにニットの裾をきゅっと握りしめ、小声で抗議。

「……街まち川かわくんが悪いんです」

「えっ」

「あなたは私のたった一人の親友。一緒にいるとすごく安心するんです。だからつい甘えたくなってしまって」

「そ、そうなんだ」

「そ、そうです。私が甘えたがりなんじゃなく、あなたが甘えさせたがりなんです」

「日本語としておかしくない?」

「とにかくっ。私が甘えちゃうのはあなたのせいです。あなたじゃなかったら、絶対にあそこまで甘えたりしません」

 恥ずかしい台詞せりふを言ってる自覚があるのか、鈴原さんは耳の先っぽまで赤くなった。

「あなたはスーパーナチュラル女たらしくんですし」

「将来結婚詐欺師にでもなりそうなあだ名つけないでよ」

「この前もことりちゃんがLINEをくれましたよ? 『最近庵いおりとすっごく仲良くしてる人がいるの! もしかしたら付き合っちゃうかも!』と」

「? 心当たりないんだけど」

「名前までは聞けませんでしたが『庵もまんざらでもない様子でさ』と言っていました」

「は?」

「……まんざらでもないんですか?」

 むうっと頬ほおを膨らませてご機嫌ナナメな鈴すず原はらさん。

 俺が最近仲良くしている人って……誰だ?

 本当に見当がつかないぞ。

「ことりの勘違いだと思うよ?」

「ホントでしょうか。陽キャイケメンさんはおモテになりますからね」

「俺が一番仲良くしてるのは間違いなくキミだ」

「……まあ、たしかに」

「彼女ができてキミとの関係をおろそかにすることはないから、安心してほしい」

「あ、あなたを振り向かせるためだけに甘えて欲しかったわけでは……ほら! 最近街まち川かわくんは綾あや坂さか祭のお仕事で忙しいでしょう? 少しでも甘えて疲れを取ってほしくて」

 同居人の気づかいに胸の中が温かくなった。

 なので羞恥心を笑顔オブラートで隠しつつ、

「あのさ。頭なでてもいい?」

「なっ……なぜ急に!? まさか昨日の仕返しじゃ……!」

「昨日?」

「あ、その、わからないならいいんです。ただ、どうして突然?」

「俺の希望はなんでも叶かなえてくれるんでしょ? 綾坂祭の準備で忙しいのはキミも一緒だし、ねぎらってあげたい」

「ああ、なるほど。そういう理由ですか」

「照れてるキミってかなり可愛かわいいしさ」

「こ、これだから陽キャは! またそんなお世辞を言って……!」

「お世辞なわけないじゃん。嘘うそ偽りのない本音だよ」

 心臓が跳ねるのをこらえつつ、はっきり断言する。

 最近読んだ学術書にも載ってたっけ。

 外見を肯定し、努力をほめることは、自己肯定感アップにつながる。

 それに鈴原さんに触れたいのも事実だった。

 なぜなら──。

「……そこまで言うのでしたら。ただ、軽い女だと勘違いしないでくださいね? 相手があなたなので特別なだけです」

「……ん。ありがとう」

「それにしても相変わらず気配り屋さんですね。なでる前に許可を取るなんて」

「いや、女の人って軽々しく頭を触られるの割と嫌がるでしょ?」

「なぜ?」

「よく聞く理由は髪形が崩れるとかかな? だから俺も信頼のおける特別な相手じゃないと無許可でなでたりしない」

「なるほど。今までなでられたことなんて一度もないので、知りませんでした」

 表情が凍りつきそうになったのを全力で阻止した。

(ああ、そうだった)

 鈴すず原はらさんが家うちに泊まり始めた理由は、家族に勘当されてしまったから。

 思い出すのは、先週一緒にアニメを観みたときの記憶。

 母親と仲良くするヒロインを見て「うらやましい」とこぼした親友の姿。

 決して手に入らない関も係のへの憧憬と哀愁が入り混じった、せつない横顔。

「あっ……街まち川かわくん……」

 ひょっとしたら親友は親からほめられたことが一度もないのかもしれない。

 そう考えたら、自然と鈴原さんの頭に手を伸ばしてしまっていた。

「本当にありがとう。こんなに美お味いしいケーキをご馳ち走そうしてくれて、すごくうれしいよ」

 できるだけ優しくなでながら、感謝を伝える。

 親友はくすぐったそうに体をよじらせながら、

「……発見です、助手くん」

「おや、どうしました博士」

「なでなでされながらほめてもらえるのは、死んじゃいそうなくらいこそばゆいです」

「じゃあやめる?」

「だ、だめです! この感覚は嫌いではないというか、むしろ……好きなので」

「よかった。もう少しなでてもいい?」

「はい。これからはいつでも許可なくなでていいです。街川くんの好きにしてください」

 右手の掌てのひらでさらさらの髪に触れると、鈴原さんが気持ちよさそうにまぶたを閉じた。

 もはやされるがまま。

 いつもはクールな表情をふにゃんととろけさせ、飼い主のひざの上で眠る猫みたいにうっとりと身を任せている。

(ああ、くそ)

 精一杯冷静さを保とうとしてるのに、胸の鼓動がカーニバルをやめてくれない。

 日曜日の自宅でケーキを食べさせてもらった後に、こんなことをしてるなんて。

 これじゃまるで……。

「なんだか、新婚さんみたいだね」

 油断しきっていたのか、親友のお口から殺傷力たっぷりの爆弾が投下された。

 ついサバトラモードで独り言をこぼしてしまったことに、鈴すず原はらさんはあからさまにあわあわしながら、

「違います! 今のは……!」

「キミってやっぱりときどきネットみたいな本音を誤爆しちゃうよね」

「独り言を言うのがクセになってるんです! 陰キャぼっちなせいか人と話す機会が極端に少なかったので! 声帯を衰えさせないための本能として独り言が炸さく裂れつするのではないかと!」

「なるほど。一人暮らしをすると独り言が増えるって聞いたことあるけど、そういうメカニズムなのかも」

「笑わないでくださいっ」

「笑ってないよ?」

「お顔がにやけていますっ。もう……」

 街まち川かわくんのいじわる、とつぶやいてから、鈴原さんは俺の胸にぽすっと頭を預けてきた。

 シャイな親友からしたらかなり照れくさい行動だろうけど、たぶん俺に顔を見られないための緊急措置。

「ごめんね? 俺もうっかり同じこと考えちゃったから、ついうれしくてさ」

 お詫わび代わりに、胸に小さな額を押しつける鈴原さんの後頭部を優しくなでる。

 嫌がられはしなかった。

 それどころか身動きせずジッとしている。

 暖かなひなたから動かない野良猫みたいに。

 付き合いが長い親友だからこそわかる。

 表情は見えないけど、幸せそうに微笑ほほえんでくれてる気がした。

(嫌われなくてよかった)

 それに顔をうずめてくれて助かったよ。

 いじめられた経験から筋金入りの作り笑顔名人になった街川庵いおりだけど、さすがに今だけは赤面するのを隠せない。

 そう、俺が鈴原さんの力になりたい理由。

 それは親友同士だからだけじゃない。


 街川庵は、鈴原綺あや奈なに恋をしている。


 彼女に「世界で一番大好きです」と告げられた、あの夜から。

    &

 15歳にもなって初恋をしたことがない。

 それが学校では陽キャオタクなんて呼ばれる街まち川かわ庵いおりのコンプレックスだった。

 しかし、あの夜。

 鈴すず原はらさんのマンションで、俺のジャケットだけを身にまとったあられもない姿の彼女に告白じみたことを言われた瞬間、長年の悩みは氷解した。

 けど、新たな悩みが生まれてしまったわけで。

「では、会議を始めましょう」

 時刻は15時。

 パンケーキに大満足の舌鼓を打った後で、俺たちは綾あや坂さか祭についての話し合いをすることにした。

 ちなみに我らが1-Aの出し物は、メイド&ホスト喫茶。

「まずは喫茶店で出すお菓子ですが……」

「お菓子一つ一つが袋詰めされた小分けタイプがいいかも。一度袋を開けた後も中身が傷まないしさ」

「なるほど。お客さんに出すときに便利です」

 街川くんは頭が回りますね、と微笑ほほえまれて思わずどきり。

 困ったことに長年の努力で身に着けた固有スキル《他人の表情から思考を読む》も彼女には使えない。

(試しに鈴原さんの顔色を読めるかやってみ「うわあ可愛かわいすぎる」いや頼む勤務時間だ仕事しろ理性「顔小さいまつげ長い唇やわらかそう」いつも通り表情を観察して思考を読ん「好きだ好きだ抱きしめたい」あああああ……!)

 自分がクソザコ恋愛ビギナーすぎて嫌になる!

 先月までは早く恋がしたいって願ってたのに、親友に恋したことで胸に生まれたのはコンプレックスよりも厄介な感情。

 ──いっそ鈴原さんに告白したい。

 ──恋人同士になりたい。

 最近は毎晩そう考えるけど、現実はチョロインがバーゲンセールのごとく登場するお手軽ラノベほどファンタジーじゃない。

(俺たちは親友同士)

 おまけに一つ屋根の下に住んでいる。

 もし告白を断られたら同居生活に大きな陰を落とすことになる。

 心地よすぎる彼女との時間を壊すのだけは嫌だった。

(ただ、今の俺の行動はすごく矛盾してるよな)

 親友のままでいたいのなら、彼女を助けすぎるのはよくない。

 適度な距離を取った方がいい。

 やっとできた初恋だけど──終わらせた方がいいに決まってる。

 だけど、鈴すず原はらさんの力になりたいって気持ちをどうしても抑えられない。

「街まち川かわくん?」

「あ、ごめん。考え事してた」

「ひょっとして派閥の件ですか?」

 違うけど、ごまかすためにうなずいておこう。

 鈴原さんが実行委員になったことをよく思っていない派閥が1-Aには存在する。

 そのリーダーは、朝あさ比ひ奈な香か純すみ。


『気がない相手に優しくしないでよ! 勘違いしちゃうような言葉も言わないで!』


 以前俺に告白してフラれた結果、平手打ちをしてきた女の子。

 テニス部に入っていて、ことりいわく高い身長を活いかしたプレーはなかなかのもの。

 何もなければ気さくな性格なので、1-A運動部系女子派閥のリーダーに就任。

 ショートヘアがよく似合う美人で成績もクラス上位。

 敵としてはかなり厄介な相手だ。

「よく気づきましたね。朝比奈さんが私を嫌ってるって」

「伊だ達てに10年近く周囲の顔色を観察しながら学校生活を乗り切ってきたわけじゃないからね」

 クラスの空気に変化があればすぐに気づく。

 だから1-A陽キャグループである松まつ岡おか組のメンバーに声をかけて、情報を収集し、朝比奈さんのウワサを入手したわけだ。

「情報通りなら、来週木曜のLHRロングホームルームで仕掛けてくる」

「なぜLHRで?」

「その時間は波は多た野の先生が出張でいないんだ」

「なるほど。クラス担任が止めに入らないタイミングを狙うわけですか」

「頭のいい朝比奈さんらしいし、そのための準備もしてると思う」

 たとえば、派閥メンバーに自分の主張に賛同するよう声をかけておくとか。

(前に母さんが言ってたっけな)

 会議というものは始まる前に終わっている。

 出席者たちへの根回し、他者を納得させる根拠エビデンスを持った主張作成、相手からの反論を想定……などなど。

 どれだけ下準備できるかで勝敗は決まる。

 アニメ化漫画家として何度も脚本会議に出席した母さんらしい意見だ。

「つまり朝あさ比ひ奈なさんは、会議の場で私が実行委員にふさわしくないと主張するつもりなんですか?」

「そこまでストレートな言い方はしないと思うけどね」

 大方「実は私も実行委員をやりたかったの」と主張した後で、クラス内投票に持ちこむ。

 そうなったら鈴すず原はらさんは不利だ。

 運動部系派閥のリーダーと誰にも懐かないソロギャルじゃ勝ち目は薄い。

「朝比奈さんに認めてもらってないのも無理はありません。私が悪いんです。今まで誰かに話しかけられても無視しちゃうことがほとんどでしたから」

「自分を責めないで? 動機はそれだけじゃないと思うよ」

 たとえば、鈴原さんの綺き麗れいすぎる容姿への嫉妬。

 あとは交際を断られた俺と仲良くしてることに腹が立つとか。

 だから実行委員の座を奪い取ることで、マウントを取りたい。

(安っぽいマウント争いにクラスを巻きこまないでくれ……と言いたいところだけど)

 よくあることだ。

 SNSをのぞけば四六時中レスバという名のマウント合戦。

 他人より上に立って優越感を味わったり、マウントを取った状態から攻撃することで、ストレスを解消する。

 厄介なのは誹ひ謗ぼう中傷する本人に攻撃してる自覚がないのが多いこと。

 ──私たちは正義だ。

 ──相手が悪い、自業自得だよね。

 ──こっちは悪いことじゃなくてむしろいいことをしているの!

 歪ゆがんだ大義名分を狂信し、言葉のナイフで相手を滅めつ多た刺しにする。

 さらにはそんなネットでの振る舞いを現実でも実行してしまう。

 悲しいけど、令和の世の中じゃ日常茶飯事。

 ただ──。

「できれば穏便に済ませたくてさ。ただ朝比奈さんに勝つのは得策じゃないから」

「えっ!?」

「物語フイクシヨンだったらムカつく敵は俺TUEEEして退散させて終わりだけど、現実はそうもいかないでしょ?」

「──そうか。私たちはクラスメイト。綾あや坂さか祭の後も教室で一緒にすごす」

「そう。人間関係は終わらない。ただ感情的に朝あさ比ひ奈なさんのメンツとプライドをぶち壊せば恨みを買うし、彼女の派閥メンバーとも軋あつ轢れきが生まれる」

 最悪、鈴すず原はらさんがいじめのターゲットにされかねない。

 それだけは絶対に防がなきゃ。

「クラスの目標を叶かなえるためには朝比奈さんの力も欲しいしね」

「街まち川かわくん、前から言ってましたね。綾坂祭2日目に発表される模擬店ランキングで1位を取りたいって」

「やるからにはトップを目指したいしさ」

 ランキングは売り上げや学校公式スマホアプリを利用した投票で決まる。

 結果を出せば実行委員である鈴原さんの自信につながる。

 そのためにも容姿が整っていて、頭がよく、普段は気さくな朝比奈香か純すみは綾坂祭の重要な戦力。

 合理的に考えるなら仲間にするのが最善手……なのと、

(トップさえ懐柔できれば派閥ごと味方にできるし、クラスの平和も守れる)

 できれば誰も傷つけずに、みんなで綾坂祭おまつりを楽しみたいしさ。

「課題は、朝比奈さんたちを懐柔する手段を思いつくことかな」

「そんな方法あるんでしょうか?」

 あることにはある。

 しかし、このプランだけは使えない。

 鈴原さんが抱える問題を考えたら絶対に実行できない。

「大丈夫。俺たちなら、絶対解決できる」

 隣に座る同居人の手をにぎった。

 すべすべした肌の感触に胸が騒ぎ出すけど、少しでも親友を安心させたくて勇気づける。

「木曜までに必ずいい方法を思いついてみせるよ。ことり、充みつ哉や、大だい吾ご、西にし野のさん……松まつ岡おか組メンバーともLINEで話し合ってるしさ」

「ありがとうございます。ただ、私のことも……」

「ことも?」

「あっ……いえ。私一人じゃとてもじゃないですが朝比奈さんに立ち向かえなかったので心強いな、と。彼女はハイカーストな女の子ですし」

「松岡組に入ってるわけじゃないけどね」

「それでも私からしたらすごく陽キャな女の子ですよ。こんな性格のせいか、昔から陽の気を持った人はどうも苦手で……あっ」

 街川くんは特別ですよ? と。

 つないだ手を優しく握り返してくれた。

「あなたは私みたいな陰キャにも優しいです。今も手をつないでくれましたし」

「これくらいならいつでもするよ」

 照れくさかったので冗談を一つ。

 しかし、親友はやけに真剣な表情になってから、

「本当ですか?」

 きゅっと掌てのひらを握り返しながら、上目づかいに見つめきた。

「本当に、いつでも手をつないでくれるんですか?」

 ほんのり色っぽく、それでいて甘えるような、眼まな差ざし。

 ちょっと身を乗り出せばキスできそうな距離ちかさ。

「あっ……ごめんなさい!」

 不意に恥ずかしくなったのか、赤い顔をごまかすように、

「お洗濯物取りこんできます! 夕方から雨の予報でしたので!」

「あ、なら俺も手伝──」

「街まち川かわくんはゆっくりしていてください! 畳むまで全部一人でできますから!」

 親友はベランダへと小走りで駆けて行った。

「……反則すぎる」

 ついソファの上で顔を覆ったままうなだれる。

 あれじゃまるでいつでも俺に手をつないでもらいたいみたいじゃないか。

 今の会話だってなんだか新婚夫婦みたいだったぞ。

「ん?」

 不意にスマホが鳴った。

 画面を確認すると、知らない番号からテレビ電話がかかってきていた。

 普段なら警戒して出なかったと思う。

 けどさっきの接触事故の後遺症か、ついあわてて通話ボタンを押した瞬間、後悔した。

「よぉっ! おまえ庵いおりか!?」

 画面に映ったのは金色に染めた髪をツーブロックに刈り上げたガタイのいい男。

「久しぶり! 小学校ぶりだよな!」

「──うん。久しぶりだね、山やま岸ぎしくん」

「やべ、驚いた! おまえ変わったなぁ」

 昔はあんなにデブでチビで弱っちかったのによぉ! と大きな声で笑った。

 山岸亮りよう。

 かつて街川庵をいじめていたグループの一人だ。

「あはは。変わったのはそっちも同じだよ。体が大きくなったね。柔道は続けてるの?」

「あー、夏なつ大たいはいい成績残したけど、ムカつく先輩殴ったせいで退部に──」

「山やま岸ぎしぃ。酒買ってきたぜ。セルフレジ使ったら余裕だった……って誰だそのイケメン?」

「同おな小しようの同級生! さっき話したじゃん!」

「ああ、妹が可愛かわいいっていう?」

 山岸の後ろには髪を派手に染めた男が二人。

 たぶん山岸の友人だろうけど、

「ほら憶おぼえてっか? 庵いおりと同じ中学に行った三みつ石いし。あいつに聞いておまえの連絡先教えてもらったんだ」

「そうなんだ」

「実は今度何人かオンナ集めて遊びに行く計画しててさ! 誰か可愛い子いねえかなって考えたときにことりのこと思い出してよぉ!」

「なるほどね」

 実に馴なれ馴なれしい山岸に作り笑顔を返す。

 いじめが終わった後、俺は卒業するまで山岸と友人みたいに接してた。

 けど、それはいじめを再開させないため。

 もし再開されたら、妹であることりまで被害に遭うかもしれない。

 そう考えたら心を殺して何事もなかったみたいに接するしかなかったんだ。

「頼む! ことりの連絡先教えてくれ! オレら出会ったときから親友だったろ!?」

 あんなマネしといてよく言うよ。

 笑顔を作りつつも、頭の中で蘇よみがえるのは幼いころのトラウマ。


『おまえは必要とされてない人間だ!』

『誰にも好かれない』

『いついなくなったっていいんだぜ?』


 そんなことさえ言われたっけ。

 それに──俺の親友は、たった一人だけだ。

「お待たせしました、庵くん」

 名前を呼ばれたと思った瞬間、戻ってきた鈴すず原はらさんが俺の腕に抱きついてきた。

 同居人はスマホに映った山岸たちに冷ややかな視線を向けながら、

「私の彼に何か御用でしょうか?」

「はっ!? え、えっと、あんた……」

「庵くんの恋人です。ね、庵くん?」

 高らかな交際宣言に、山岸たちは酸欠寸前の金魚みたいに口をぱくぱく。

「マ、マジ……? おまえ、こんな美人と付き合ってんの……?」

「うん」

 ここは鈴すず原はらさんの嘘うそに乗っかっておこう。

 そういえば前に鈴原さんが駅前でナンパされたときに恋人のフリして助けたっけ。

 あのときの行動を再現してくれたんだろう。

「オ、オレ、庵いおりと仲良いんだ! 今から一緒にリモート飲みでもしねえ!?」

「め、名案! 今度プールに行くことになってさ! これから予定立てるんだ!」

「何ならプールも行こうぜ!? キミみたいな美人なら大歓迎で……!」

「お断りします。今、彼とお家デート中ですので」

「はあっ!? デ、デートって……!」

「恋人なんですから普通でしょう? 少しは空気読んでくれませんか?」

 塩対応ソロギャルモードで言い放つ鈴原さん。

 けれど、抱きつかれている俺にだけはかすかな震えが伝わってきた。

 さっきまで陽キャが苦手って言ってたんだ。

 山やま岸ぎしみたいな金髪ヤンキーは怖いに決まってる。

 にもかかわらず、俺を助けるために必死に立ち向かってくれてる。

 そう考えたら……。

「ツレないこと言うなって! 一緒に飲もうぜ!?」

「悪いね」

 笑顔製造機の本領発揮。

 にこやかだけれど、外圧たっぷりの迎撃スマイルを作ってから、


「綺奈は俺のなんだ。ちょっかい出すのはやめてくれるかな?」


 WEB小説を書いてきた経験を活いかして、彼らを追っ払うのに最適な台詞せりふを創作。

 さらには恋人つなぎした手をカメラに見せびらかしてアピール。

「お、おい、山岸っ」

「もう切れよ。どう考えても俺らお邪魔じゃねーか。ちゃんと謝っとけって」

「っ!? そ、そうだな……悪かったな、庵」

「いえいえ。またどこかで」

 たぶんもう二度と話すことはないと思うけど。

 そう心の中で付け足しながら、電話を切る。

「ありがとね。助かったよ」

「あなたが困っている気がしたので。顔は笑っていましたが、なんだか辛つらそうでした」

「当たり。親友には敵かなわないや。ごめんね、格かつ好こ悪いところ見せちゃって……」

「庵くん」

 鈴すず原はらさんはぽんぽんと自分のふとももを掌てのひらで叩たたいた。

「どうぞ。ひざをお貸しします」

「えっ!?」

「今日はあなたに甘えてもらいたいDAYですから」

 さすがに助けてくれた親友の好意を断るわけにはいかなかった。

 再び騒ぎ出す鼓動をなだめつつ、ゆっくりとやわらかなふとももに頭を預ける。

「格好悪くなんかなかったですよ?」

 おずおずと、小さな掌が俺の頭を優しくなでてくれた。

「さっきの庵いおりくん、とっても格好よかったです」

 ああ。

「詳しい事情は聞きませんが、想像はつきます。あの人があなたにとってどういう人間なのか。昔ネットで打ち明けてくれましたからね」

 そう、親友は俺がいじめられてたことを知っている。

 だから事情を悟ってくれたんだろう。

「笑顔で立ち向かうなんて、とってもえらいですよ」

 深く追及せずになぐさめてくれる彼女の距離感きづかいが、ただただ心地いい。

「大変でしたね」

 頭をよしよししながら、鈴原さんは真剣な声で、

「あんなデリカシーゼロのパリピ国ウェイ州チャラ男村出身のクソヤンキーにからまれてたなんて、心中お察します」

「もしかして、怒ってる?」

「お腹なかの中が煮えくり返っていますよ! あの人は庵くんにひどいことをしてたんでしょう!? さっきもすごく失礼なことを言ってました。思わず私が乱入しなくちゃって思うくらいに」

「心強かったよ。怖かったでしょ?」

「もももももものずごぐ!」

「わっ、大丈夫?」

「い、今になって恐怖感がっ! ああいう乱暴な言動をする人は大嫌いなので!」

「昔DMでも言ってたね。現実で暴力を振るう人は軽蔑するってさ」

「だからすごく怖かったです! でも『コイツは最近のラノベによく出てくるナンパかませ犬だ! 少し強がれば3ページくらいで退散する!』って考えたらなんとか立ち向かえました!」

「メンタルの保ち方が独特すぎる」

 ただ、乱暴な人は大嫌いか。

 だとしたら、やっぱりあの話はしない方がいいよな。

 あのときの充みつ哉やみたいなリアクションされたら困るしね。

「そこは『さすが俺のオタ友!』と胸を張るべきでは?」

「あはは、たしかに。ただ、現実は簡単に退散するナンパ役ばかりじゃないから気をつけてね?」

 おとぎ話のヒーローみたいに助けてくれる主人公もいないしさ、と言いつつも俺はさっき食べたブランチのことを思い出していた。

 気分は焼き立てパンケーキの上に載せられたバニラアイス。

 片かた想おもい相手のひざ枕の心地よさに思考がとろけそう……。

「あの、嫌じゃありませんか? リコママがリコにやってたのをマネしてみたのですが」

「『ROSSOロツソ』を参考にしたんだ」

「ひざ枕されるリコはすごく幸せそうでした。庵いおりくんにあんな顔をしてもらいたくて」

「控えめに言って最高です」

「そ、そうですか」

「毎日してもらいたいくらい」

「さすが陽キャオタク。お世辞上手な舌をお持ちで」

「本音だよ。なで方も丁寧で優しくて、気持ちいい」

「昨晩の経験が役に立ってるのかもしれませんね」

 昨晩? と訊たずねた瞬間、鈴すず原はらさんの体に緊張が走った。

 同居人は一度なでる手を止めてから、申し訳なさそうに、

「……ごめんなさい。実は庵くんに黙ってたことがあって」

「ん?」

「昨日庵くんがソファで居眠りしちゃったとき、隣にいた私の肩によりかかってきて」

「………」

「起こしちゃ悪いと思ったので5分くらい肩を貸してたら、そのまま頭が私の脚の上にズレ落ちて──」

「大変申し訳ございませんでした!」

「謝らないでください。その……私も色々しちゃいましたし。ひざ枕してるときあなたの寝顔を見ちゃいました」

「ああ。それくらいなら別に」

「1時間ほど」

 待て。

 つまり昨夜俺は3600秒も鈴すず原はらさんのおひざをご堪能してたと?

「本当にごめんなさい! なんだか可愛かわいかったので、つい寝顔を観察して、耳たぶをふにふにして、頭もいっぱいなでてしまって……!」

 テンパっているのか実に滑らかに罪状を述べる鈴原被告。

 横向きで寝てるから彼女の表情は見えない。

 けど、鈴原さんのことだから顔は申し訳なさでいっぱいだろう。

「気にすることないよ」

 だからこそ、精一杯頭を回してフォローする。

「キミが俺にそんなことをしたのは理由があると思う」

「えええっ!? それってつまり……!」

「きっと俺を癒やせば自信がつくって無意識に考えたんだよ。この前読んだネットの論文に、他者に頼ってもらったり、他人の役に立てたって実感すると自己肯定感が増すって書いてあったんだ」

「……なんだ。そういう意味ですか」

「どういう意味だと思ったの?」

「い、いえ。庵いおりくんの言葉にはすごく共感できます。あなたは陽キャグループに所属する文武両道な優等生。そんなあなたに頼りにされてると感じるのは、すごくうれしいです」

「そう言ってもらえると俺もうれしいよ」

 自分に自信をつけたい。

 鈴原さんが以前よりも強く願ってるってことなんだから。

「なので、もっと私に甘えてほしいです」

「? 今でも十分──」

「甘えてません。実行委員のお仕事をするとき、庵くんは私とクラスメイトの会話をフォローしてくれますよね? 朝あさ比ひ奈なさんと戦う方法もがんばって考えてくれてます」

「ごめん。余計なお世話だったかな?」

「そうじゃないんです! 庵くんは小説のネタが浮かばないとき、よくサバトラにアドバイスを求めてくれました! 最近は綾あや坂さか祭の準備が忙しくてWEB漫画連載も創作活動もお休み中! だからこそ……その、現実でも私を頼りにしてほしくて」

「なるほど」

 これは盲点であり、反省点だな。

 鈴原さんはたった一人の親友。

(だからこそ現実ではサポート役に徹しようって決めてたっけ)

 おかげで過保護気味になって、優しさが一方通行になってたのかも。

「わかった。これからはもっと鈴原さんの力を借りるし、甘えられるときは甘える。だから、頼むね?」

「はい! 任せてください!」

 頼むと言ったのがうれしかったのか、同居人は満面の笑顔ではにかんだ。

「ふふっ。これから甘えてもらえるのが楽しみです」

「そんなに?」

「昨日の庵いおりくんはすごく可愛かわいかったので。あなたは教室で居眠りすることなんて絶対ありませんし」

「まあ、そうだね」

「庵くんは学校ではいつも笑顔ですが、常に周りに気を配って隙を見せないようにしてる気がします」

「──鋭い。みんなに合わせるために周囲へのアンテナはいつも張ってる」

「だから昨日みたいに無防備に眠るあなたの姿は学校とのギャップがあって……すごく、キュートでした」

 俺の頭をなでながら、ちょっぴりからかうような悪戯いたずらっぽい声。

 ついDMで気兼ねなく会話してるときを思い出して、軽口を返したくなる。

「鈴すず原はらさんもキュートだと思うよ」

「いえ、私は……」

「すごく可愛いよ。さっき恋人のフリをしたとき俺のことを『庵くん』って呼んでくれたでしょ? あれからずっと『庵くん』って呼んでくれてる」

「っ」

「俺を安心させるためなんだろうけど、名前で呼んでくれるキミはすごく可愛くて──」

 なでなでが再び停止。

 どうかした? と首を回して同居人の表情をうかがった瞬間、心臓が爆発しかけた。

 ぽふんっと音がしそうなほどに真っ赤になった顔。

 とんでもないミスに気付いたみたいに艶やかな唇はわなわな震えてるし、大きな瞳は羞恥に潤んで……ああ。

 さすがにこの反応を見れば、推理できる。

「呼び方を戻すの忘れてた?」

「……言わないでください。あと顔も見ちゃだめです」

 掌てのひらでくるりと首を優しく戻されてしまった。

 それから鈴原さんは言い訳するように早口を連射マシンガン。

「仕方ないじゃないですかこの前あなたが昼休みにごはんに誘ってくれたとき松まつ岡おか組のメンバーもいたでしょうっ」

「先週のこと?」

 松まつ岡おか組メンバーは、学年成績トップだけど金髪ヤリチンキングな松岡充みつ哉や。

 1年生にしてバスケ部レギュラーの高身長スポーツマン七なな城しろ大だい吾ご。

 パリピインスタグラマーな西にし野の萌も果か。

 そして俺とことりなのだが、


『メイド&ホスト喫茶かぁ。充哉のホスト姿ちょーバズりそう。インスタ載せていい?』

『もちろんだ萌果! 万バズ狙えるぜ! 俺が綾あや坂さか高校ホストキングになってやんよ!』

『ヤリキンホストはたしかに需要あるね』

『わかるよ庵いおり! 色んな有料プラン考えよ!?』

『だね。たとえば首輪をつけて散歩できるとか、30分10000円で人間椅子になるとか』

『庵くんそれ最&高~! 充哉に浮気された女どもがめっちゃ復ふく讐しゆうにくるじゃ~ん!』

『これは金の匂いがしてきたな。ファイトだ松岡』

『……なあ、鈴すず原はら。どう思うよ? 庵もことりも萌果も大吾もめっちゃ俺に辛辣なんだけど?』

『………』

『だははガン無視かよ! 俺に対してここまでうっせぇわするギャル初めてなんですけどぉ!? おもしれえ女~! どうせならこのメンツで放課後スポッチャでもいかね!?』


 みたいな会話をしたっけ。

 俺やことり以外と話すのにガチガチになってたせいか、鈴原さんはあんまりしゃべれてなかったけど、

「あのとき西野さんが『庵くん』って何度も呼んでいました」

「西野さんとはけっこー仲良いしね」

「だからですっ。私たちは親友同士っ。私もずっと『庵くん』って呼びたくて、でも恥ずかしいので我慢してて……」

「ネットでは『IORI』って呼んでるし、現実でもときどき呼ぶことあるのに?」

「あれは仕方なくです! 我慢できなくて出ちゃうんです!」

 むぅっとご立腹な鈴原さん。

 親友のことをフォローしたくて、胸が高鳴るのを感じながらも言葉をつむぐ。

「だったらこれからは『庵くん』って呼んで?」

「えっ」

「キミにそう呼んでもらえるの、他の人に呼ばれるより好きだしさ」

「すぐ恥ずかしい台詞せりふを言うの反則ですっ。それに学校で呼ぶのは……」

「まだ恥ずかしい? だったら二人きりのときだけでも構わない」

「でも、また私だけ甘えてるみたいで申し訳ない気も……」

「じゃあ俺も二人きりのときは『綺あや奈な』って呼んでいい?」

「ええっ!?」

「今日は俺に甘えてもらいたいDAY。なので願望を口にしてみました」

 ああ、ようやく初恋ができたとはいえ、やっぱり俺はクソザコ恋愛ビギナーだ。

 ──好きな人を呼び捨てにする。

 それだけのことで、こんなにどきどきしてるなんてさ。

「嫌だったかな?」

「そういうわけじゃないんです。ただ、両親にそう呼ばれることが多かったので、呼び捨てにされるのはあまりいいイメージがなくて。でも……」

 だからこそ、と鈴すず原はらさんは俺の頭に触れながら、

「あなたに呼んでもらいたいです。嫌なイメージを上書きするくらい、いっぱいいっぱい『綺奈』って呼んでください」

「鈴原さん……」

「あなたに『綺奈』って呼んでもらえれば、嫌な思い出なんか忘れちゃいます。私も──庵くんに名前で呼んでもらうのは、大好きですから」

 親友は照れくささに染まった声で伝えてきた。

「ありがとう、綺奈」

 もちろん、今の関係を壊したくないって気持ちは変わらない。

 けど、これくらいならいいだろ?

 理屈で考えるなら、呼び方を変えることで信頼関係を深められたって彼女が認識できる。

 自己肯定感アップにつながる……なんて。

 言い訳がましいことを考えつつも、俺は必死だった。

 かつてないほどに早鐘を打っている胸の鼓動が、同居人にバレないように。

「ありがとうございます」

「いえいえ。それはそうと少し眠ってもいい? 安心したせいか眠くなってきてさ」

「もちろん。今日はあなたに甘えてもらいたいDAYですから」

「ありがとう。じゃあ少しだけ。──おやすみ、綺奈」

「おやすみなさい、庵いおりくん」

 信愛と親愛がたっぷりブレンドされた甘い響き。

 目を閉じると綺奈がまた優しく頭をなでてくれた。

(何はともあれ、いい休日になったよな)

 俺にもっと頼ってほしいっていう綺奈の悩みを解決できた。

 互いに呼び名を変えることで距離が縮まった。

 これならきっと実行委員の仕事もうまくやれるし、クラスのもめ事も解決できる。

 模擬店ランキングで1位を取って綺あや奈なに自信を持たせてやれる。

(そうさ。この調子なら親友関係を維持したまま目標だって叶かなえられる)

 初恋だって、終わらせることができるはずだ。

「──庵いおりくん」

 まぶたを閉じた闇の中で響いたのは、綺奈のささやき。

「もう寝ちゃいましたか?」

 小声で名前で呼ばれたのが思った以上に照れくさい。

 だからつい寝たふりをしていると、

「さっきあなたは……おとぎ話のヒーローみたいに助けてくれる主人公はいないって言ってましたけど、そんなことないと思いますよ?」

 綺奈は、幸せをかみしめるようにつぶやいてから、


「私にとって庵くんは、さびしいときに寄りそってくれる王子様みたいな男の子ですから」


 瞬間、頬にやわらかな何かが触れた。

(いや)

 嘘うそだろ?

 今のってまさか……! と全力で寝たふりしつつも、俺は『ROSSOロツソ』の8話を思い出していた。

 たしか、リコママがひざ枕で眠るリコの頬ほおに優しくキスするシーンがあったはず。

「──えへへ」

 照れくさそうな笑い声が鼓膜をくすぐる。

 からかいなのか、

 推しアニメの再現なのか、

 親友としての愛情表現の一環なのか。

 綺奈がどんな心境でこんなことしたのかはわからないけど、一つ言えるのは……。

(ああ、やっぱり)

 パンケーキを食べたときにも思ったけど、甘いものの取りすぎは体に悪い。

 これからも親友関係を維持しなくちゃいけないのに。

 こんなに甘いスキンシップを浴びせられるのは、少なくとも心臓によくない気がした。