
この日の私は、シルヴァンディア王国からもらったローゼンベルグ伯爵家の屋敷で
定期的にレイヴンクロフト王国の情報を小出しにして出すことで、自分の利用価値をできるだけ引き延ばしていた。
もちろん出せる情報はいつかはなくなってしまう。そうなると用済みになった私は、シルヴァンディア王国から切り捨てられる可能性も高くなる。
しかしその時までに足場を固めておけばいい話だ。だからこそ私は今社交界で禁薬を用いて仲間を集めていた。
そして私は目の前の皿に置かれたクッキーを一口かじり、眉をひそめた。
「ちょっと、このクッキー。甘さが足りないんだけど」
私は近くに控えていた使用人に告げる。不機嫌な様子の私に、使用人は慌てて謝罪した。
「も、申し訳ございません……」
「言ったわよね、私、甘いクッキーが好みだって。どうしてこんな味になってるの?」
「は、はい。最近甘いものを多く取られていたので、少しだけお砂糖を控えめに……」
「勝手なことをしてるんじゃないわよ!」
「きゃっ!!」
私はクッキーが並べられた皿を、使用人に投げつけた。
投げつけられた使用人は悲鳴を上げた。
「今すぐに作り直すように言いなさい! 次に私の好み以外のクッキーを持ってきたら、クビどころじゃ済まないわよ!!」
私は使用人に向かってそう脅しをかけた。
「も、申し訳ございません!」
使用人は顔を真っ青にして私へと深く頭を下げる。
「料理長は今すぐにクビにして! 主人の命令に逆らう使用人なんて要らないから。それと、他の料理店が雇ったりしないように手を回しなさい。勝手なことをした罰よ」
「は、はい……!」
「ふんっ」
平謝りする使用人に私は鼻を鳴らして、再び椅子に腰掛けた。
他国の深いところまで情報を握っている私を、この国は簡単には切り捨てることができない。よって、少しの横暴なら見逃される。
もちろん、やりすぎれば誤魔化しきれなくなるだろうが、私はそのラインをしっかりと見極めていた。
「何してるの、カップから紅茶がなくなったじゃない!」
クッキーを投げつけた使用人が部屋から慌てて出ていくと、今度は別の使用人へと早く紅茶を淹れるように怒鳴りつけた。
「は、はい……!」
紅茶がカップに淹れられると、私はカップに口をつける。
「今日の紅茶も美味しいわ」
私は順調に進んでいる計画に満足していた。
ティーテーブルの上にはセレナの元へと送り込んでいる、暗殺組織『死囁』のリーダー、カイル・ブラックからの手紙が置かれていた。
そこにはセレナとノクスが現在、ミシェルのことで喧嘩中であること。
そしてミシェルがセレナへと婚約を申し込んだことにより、さらに関係が悪化していることが記されていた。
カイルが見たところ、いつ二人が破局してもおかしくないような雰囲気だそうだ。
加えて、学園のなかはすでにセレナとミシェルの噂で持ちきりで、ミシェルは積極的にセレナに対してアプローチを行っているらしい。
私はこれを聞いた時、愉快すぎて口角を下げるのが大変だった。
ノクスと同じように顔が整っており、幼少期から女性には困ってこなかったであろうミシェルが、大切な妹のために好きでもない相手に一生懸命にアプローチをする。それだけで、楽しい気持ちでいっぱいになった。
「さてと、そろそろカイルもセレナを誘拐するか暗殺した頃でしょうね」
私はカイルに対して、「セレナを誘拐するか、暗殺しろ」という命令を出していた。
ただ、誘拐に関しては命令した時から難しいことは理解していた。過去にも一度失敗しており、さすがのセレナも警戒心が高まっているかもしれないからだ。
できれば自分の手で苦しませてやりたかったから残念だが、誘拐の優先度は低いものとしてカイルには伝えてあった。
なので今、一番確率が高いのは、カイルによるセレナの暗殺だ。自ら手にかけられないのは残念だが、それでも気分は晴れるだろう。
カイルは今まで私が出会ってきたなかで、最も凄腕の暗殺者だ。
さすがに誘拐はできなくても、暗殺自体を失敗する可能性は万に一つもないという判断だった。
だからこそ、私はカイルからの「暗殺に成功した」という報せを楽しみに待っていた。
でも、ただ待っているだけじゃつまらない。私はもう一つのおもちゃのことを思い浮かべる。
「今日はどんなふうにルナリアを操ってやろうかしら」
私は笑みを浮かべる。
今や禁薬によって操り人形になっているルナリアなら、社交界で恥となるような言動を取らせることも可能だ。
まあ、禁薬で操られている以上記憶はないのが残念だが。
ルナリアを禁薬を使って操り人形にしてからもう数ヶ月にもなる。その間に私は王族であるルナリアの権力を最大限に使って、隠れ
まだまだ地盤を固める必要はあるものの、そろそろルナリアを政治の道具にするのも飽きてきた。
「たまには趣向を変えて、ルナリアで遊ぶのもまた一興よね」
そう呟いて、私はどんなふうにルナリアで遊ぶかを考える。
両腕を組んで、完全に思考に没頭する。
「パーティーで猿みたいに手づかみで食事をさせるとか、奇声を上げさせるとか。ああ、そうだ。わざと男を誘惑させたり、なんていうのもアリね」
私はクスクスと笑う。
と、そこでとあることを思い出した。
「あ、そうだ。あの第三王子様との約束を破ることになっちゃうわ。ふふっ、でも、どうせ死ぬんだから関係ないわよね」
ミシェルとはミシェルが留学している間、ルナリアには手を出さないという約束を結んでいる。しかし私にとってはそんなものどうでもよかった。
なぜなら、私は留学中にミシェルをカイルを使って暗殺するつもりだったからだ。
まずはセレナを誘拐するか暗殺したあと、混乱に乗じてミシェルまで暗殺する。
そこで兄を留学先で殺されたルナリアに、聴衆やメディアの前でレイヴンクロフト王国への怒りを表明させれば、世論が必ずこちらへと傾く。きっと戦争への火種になるはずだ。
そうすれば憎きノクスとレイヴンクロフト王国にも復讐できる。
私はこれからの自分の復讐劇を想像し、上機嫌になっていた。
今、この瞬間までは。
「動くな!」
私の自室の扉が開かれ、ぞろぞろと人間が入ってきた。
当然私は屋敷にいる使用人には、部屋に入る前にノックするように言い伝えているため、必然的に扉から入ってきたのは招かれざる客であることがわかる。
部屋のなかに入ってきたのは、鎧を着た衛兵たちだった。
それも部屋を埋め尽くすほどの衛兵が集まってくる。
「な、何ごとなの!」
突然の事態に私は困惑し、椅子から立ち上がる。
「マリベル・シュガーブルームだ! 捕らえろ!」
椅子から立ち上がった私は衛兵たちによって即座に拘束される。
私は乱暴に拘束され、テーブルに叩きつけられた。
「きゃあっ! 何すんのよ!」
乱暴に拘束された私は衛兵たちを睨みつける。
「これは一体何なの! どうして私がこんな扱いを受けなきゃいけないのよ!」
「全員、くまなく部屋を捜索しろ! 証拠になりそうなものは一つも逃がすな!」
衛兵たちが部屋のなかにあるクローゼットや、本棚などを荒らしていく。
自分の部屋が荒らされている光景に私は憤った。
「私が誰だかわかっているの! 私は王族のルナリアとも懇意にしてるのよ! そんな私にこんな扱いをするなんて、どうなるかわかっているんでしょうね!」
私は自分を捕らえている衛兵へと怒鳴りつけ、そして自分は王族と懇意にしているということを示唆し、脅した。
(何がなんだかわからないけれど、いつも通りこう言っておけば大丈夫……)
私はいつも危機に陥った時は、自分の権力を示して相手を恫喝することで、危機から逃れてきた。
今回もこれで逃げられるだろう、と私は考えていた。
しかし……。
「それがどうした」
「え?」
「貴様の悪事はもうすでに暴かれている」
私を捕らえている衛兵には、いつもの手が通じなかった。
脅しが通じなかったことに、私は動揺しながら言葉を投げかける。
「な、何を言っているのよ。私はこの国の貴族なのよ? それも伯爵。あんたよりも地位は上だってことを理解してるの……?」
まさかとは思うが、目の前の相手が貴族であることを理解していないのだろうか。
そう考えた私は自分が伯爵の身分であることを自分を捕らえている衛兵へと告げた。
しかし、それでも衛兵の態度は変わらなかった。
冷徹な目が、私の瞳を射貫く。その自分を恐れるでも、敬うでもなく、ただ犯罪者として見つめる目に、私は恐怖を覚えた。
私は混乱の最中にいた。
私の権力に屈しない相手は、これが初めてだったからだ。
それでも、私の権力に屈しないなら、と私は自分の手駒のなかで一番権力を持っているルナリアの権力で、衛兵を脅そうとした。
「そ、それにルナリアが誰かわかってるの? この国の王族なのよ? その王女の親友である私にこんな無礼をはたらいて――」
「誰が、あなたの親友なのでしょうか」
だが、その目論見は失敗に終わる。
透き通る金髪と、青い瞳。そして月の女神かと思うほど整った、優しく儚い美貌。
部屋のなかにルナリアが入ってきたからだ。
ルナリアは背後に二人護衛の騎士を連れており、私の目の前へとやってきた。
だが、ルナリアがやってきたことに……私は歓喜した。
(やった! ルナリアがやってきたわ! これで私は助かる……!)
私はすぐにいつものように悲劇のヒロインのような同情を誘う表情を作り、ルナリアへと悲痛な声で訴えた。
「ちょ、ちょうどよかったわ! この誤解を解いてちょうだい! 私は何もしてないのに、捕まえられて犯罪者呼ばわりされているの!」
私はルナリアを操っている時と同様に命令した。
いつもならこうして嘘泣きをすれば、禁薬で操られているルナリアは「まぁ、なんて酷い!」と憤慨し、私を害した相手を、王族の権力を使って攻撃しにいった。
禁薬で操られているルナリアは、同じように私を捕らえている衛兵に注意して、拘束を解くように命令してくれるだろう。
(何の悪事がバレたのかは知らないけれど、ここさえ乗り切ればあとは問題ないわ……! 死囁に頼んでまた他国へ行って、レイヴンクロフト王国と、シルヴァンディア王国の内情を売る。そうすればまた貴族の地位を得て、同じ暮らしができるんだから!)
今回もルナリアの権力を使って乗り切ることができる……!
私は顔を伏せながらそうほくそ笑んでいた。
しかし、いつまで経っても「まぁ酷いわ!」とルナリアの憤慨する声と、自分を拘束から解くように命令する言葉が聞こえてこない。
「……?」
私は顔を上げる。
そこにいたのは厳しい目で私を睨んでいるルナリアだった。
「……え?」
どうしてルナリアがそんな目を自分に向けているのかわからなくて、私は困惑する。
「ちょ、ちょっとルナリア……? どうしたのよ、早く私を助けてよ。どうしてこいつらに命令してくれないの?」
「すべて、聞いています」
「……え?」
ルナリアの言葉に私は目を少し見開いた。
「あなたがレイヴンクロフト王国で何をしていたのかも、兄に持ちかけた取引も。そして……あなたが、私に何をしていたのかも」
私は内心で「まさか……」と焦り始めたが……もう遅い。
「禁薬で、私を操っていたのですよね」
「なっ……!?」
私は自分の悪行がバレていたことに驚愕する。
「どうして」という言葉が頭のなかを駆け巡った。
「また私を操れると思ったのかもしれませんが、残念ながら私はもう解毒薬を飲みました」
「なっ、解毒薬なんてどこから……!」
禁薬の解毒薬は、誰でも持っているわけではない。もちろん市場には出回っておらず、所持しているのもごく少数の人間だけだ。それこそ、解毒薬を持っているのは死囁のリーダー、カイルくらいしかいない。
なのに、どうやって解毒薬を手に入れたのか、私には見当もつかなかった。
しかし解毒薬の入手ルートよりも問題だったのは、ルナリアに飲ませた禁薬が解毒されていることだった。
つまり、それはもうルナリアを操ることができないということを意味するのだから。
「あなたも知っている通り、禁薬の使用はこの国では大罪です。もう言い逃れはできないと思ってください」
「……!」
まずい。非常にまずい。
このままでは自分は本当に捕まってしまう。
そう考えたのも束の間。
部屋のなかを捜索していた衛兵たちが次々と叫んだ。
「ありました! 暗殺者とのやり取りが記された手紙です!」
「こちらも見つけました! 禁薬がぎっしりと入っています!」
私が無防備にテーブルの上に置いていた、カイルからの手紙。
そしてベッドの下に隠していた、禁薬の瓶が入っている木箱が衛兵たちの手に収められていた。
「なっ……!」
私は目を見開く。
「禁薬が入った瓶と、そして『死囁』との繋がりを示す手紙、ですか……」
手紙を手に受け取ったルナリアはその中身を見て、眉をひそめる。
『死囁』はこの国周辺で指名手配されている犯罪組織で、関わっていれば貴族であろうと投獄される極悪組織だ。
それに加えて、禁薬はシルヴァンディア王国でも禁忌とされており、所持しているだけで打ち首は確定の物だ。
その二つが衛兵に見つかってしまった。
まずい。さすがにこのままでは、本当に私は破滅してしまう。
「わ、私は……」
私は焦った。この状況をどうにかできないかと必死に思考を巡らせる。
そして一つ、この場を逃れるための言葉を思いついた。
「私を誰だと思っているのよ! マリベル・シュガーブルームよ! レイヴンクロフト王国の公爵令嬢よ! 私にこんなことしてレイヴンクロフト王国が黙っていると思う!? このままだと戦争になるわよ! 戦争になれば負けるのはシルヴァンディア王国の方ってことをわかってるわけ!?」
「……」
「それに私はあの死囁を雇っているのよ! このまま捕まえるなら、あんたらの大切なルナリアに暗殺者をけしかけるわよ! それでもいいわけ!?」
「……」
あの手この手で私は脅しをかけ、どうにか逃れようとする。
しかしルナリアたちは一切動揺していなかった。
「はぁっ……はぁっ…………なんで、なんで言うことを聞かないのよ……!」
そして私が叫ぶのに疲れた頃。
「言いたいことは、言いましたか」
ルナリアは私を冷たく見下ろしていた。
私はルナリアの瞳を睨み返す。
「なんでよ、どうして私の計画がバレたのよ……!」
「お兄様が教えてくれました」
「……は?」
私は一瞬ポカンとして、ありえない事実に困惑する。
だって、ミシェルには少しでも外に計画を漏らそうとしたら、ルナリアを酷い目に遭わすと脅していて……いや、そもそもミシェルにはカイルが監視としてついているはず。なのにどうして……。
「嘘、なんでミシェルが…………まさか」
ルナリアは私が一つの結論にたどり着いたことを理解し、頷く。
「そうです。あなたはカイルに裏切られたんですよ」
「なっ……!?」
「解毒薬を手渡したのはカイル・ブラックですから。彼はセレナ様の暗殺に失敗したあと、解毒薬を置いて逃走したそうですよ」
ルナリアから告げられた事実に、私は歯を噛み締めた。
「カイル……ッ!!! 私を裏切ったのね!!!」
雇っていた暗殺者が自分を裏切ったという事実に、私は激昂した。
ここにはいないカイルへと恨みを吐き出すが、もう誰も助けにはこない。
「彼女を連れていってください」
「はっ!」
ルナリアは無感情に私を投獄するように伝える。
衛兵はルナリアへと敬礼を返して、私を連れていく。
「歩け」
衛兵が私の背中を押して歩かせる。
私はなんとか冷静さを取り戻し、どうにか投獄されることは免れようと言い逃れを口にする。
「ま、待ちなさい! こんなの間違ってるわ! そ、そうよ! 私はセレナに嵌められたの! この家にあった証拠もすべてセレナとノクスが仕組んだことなのよ!」
必死に私は自分は罪を犯していないと釈明するが、誰もその言葉に耳を傾けることはなかった。
「ちょ、ちょっと! 放しなさいよ!」
最後の最後まで私は抵抗した。
でも、誰も私に手を差し伸べることはしなかったのだった。