
パーティーの翌日、学園にて。
ミシェルはまるで昨日のプロポーズの一件がなかったかのように、いつも通りに振る舞っていた。
「セレナ嬢、今から昼食ですか?」
ただ一点、先日までのミシェルとは違う点があった。
それは今まで以上に距離が近くなっていることだ。昨日のことを受けて私はできる限りリリスとくっついたりしてミシェルのアプローチをかわしている。しかしミシェルは今や四六時中アプローチのようなものを仕掛けてくる。そういう偶然の場面の積み重ねで、学園の生徒のなかで私たちの関係は余計に噂されている。
昨日あんなことがあったのに変わらず話しかけてくるのは、さすがは幼い頃から鍛えられてきた王族なだけはあるというべきか……。
「私は今からリリスと食事をとるつもりなので……」
「では、私もご一緒させてください」
遠回しに遠慮したつもりだったのだが、ミシェルは恐らく意図的にとぼけて、私についてこようとする。
「どうして……」
「説明が必要ですか?」
ミシェルはニコッと笑みを浮かべ、聞いてくる。
周囲で聞き耳を立てていた生徒たちは色めき立った。
「ミシェル様がセレナ様にアプローチを!」
「積極的なミシェル様も素敵……!」
ミシェルと一緒に昼食をとるわけにはいかないので、私はキッパリと断ることにした。
「ミシェル様とご一緒する必要がわからないんです」
「想いを寄せている女性と、一秒でも長く一緒にいたい、というのはおかしなことでしょうか……」
私と一緒に昼食をとることを断られたミシェルは、切なそうに笑った。
客観的に見て、顔が整っているミシェルのそんな表情は破壊的なほど魅力的だろう。普段は隙のないミシェルが突然ふと見せるその幼い顔は、普通は思わず守ってあげたくなる
ミシェルとの一連の騒動を知らない人が見れば、恋に落ちてしまいそうな表情に、周囲の令嬢のなかには卒倒しそうになっている子もいた。
だけど、私にはあまり通じなかった。ミシェルが心の内で何を考えているのか得体が知れなかったし、そもそも私にはノクスという婚約者がいる。やたらめったら美貌を振りまいてくる相手が身近にいるのだ、ある程度の耐性がついていた。
「申し訳ありませんが……」
「その通りだ」
私が首を振ったところで、横から割り込んでくる人間がいた。
「ノクス様」
「今日は、俺と一緒に食べることになっている」
そこにいたのはノクスだった。どうやら昼休みが始まった瞬間、こちらに来たようだ。
「おや、ノクス。あなたは生徒会の仕事があるのでは?」
突然のノクスの登場にもミシェルは動じた様子を見せず、問い返す。
「生憎だが、もうすでに朝に終わらせてきた」
するとノクスは私の肩を掴んで……抱き寄せた。
制服越しに、男性特有の筋肉のある体つきの感触が伝わってくる。
「ノ、ノクス様……っ!?」
私は顔を真っ赤に染める。
「失礼ですが、セレナ嬢を先に誘っていたのは私の方です。横入りとは感心できませんよ?」
「セレナは俺の婚約者だ。残念だが、優先されるのは婚約者の方だろう?」
ミシェルとノクスは表面上は笑顔を浮かべているものの、水面下では火花をバチバチと散らしているのが、ありありと私の目に映った。
「ノクス様とミシェル様が、セレナ様を取り合ってるわよ……!」
「セレナ様、羨ましいわ……」
まるで恋愛物語の一幕のような光景に、きゃあきゃあと令嬢たちは騒いでいるが、ノクスに抱きとめられている状態だったので、私の方はそれどころではなかった。
ノクスは「俺の」という部分を強調する。ノクスの腕のなかに収められているのも相まって、自分のものだと主張されているみたいでとてもドキドキした。
あ、いや、そんな場合じゃない。ノクスが私を庇ってくれているのだから、ちゃんと私もミシェルのお誘いを断らないと。
「ミシェル様、そういうことですので、今日はノクス様と一緒に昼食をとらせていただきたいと思います」
「おや、振られてしまいましたか」
私がそう言うと、今度こそ諦めたのかミシェルは残念そうに肩をすくめた。
「ではまた今度、是非ご一緒させてください」
ミシェルは爽やかに笑って去っていった。
「ふん……危なかったな、セレナ。大丈夫か?」
ミシェルが去ったことでノクスは私の肩から手を離した。少しだけ名残惜しさを感じつつも、頷く。
「はい、大丈夫です。ありがとうございました、ノクス様」
「これで一件落着だな」
「全然違うわよ?」
「リ、リリス……?」
今まで席を外していたのでいなかったリリスが、にゅっと割り込んできた。リリスは笑っていない笑みをノクスへと向けると、首を傾げる。
「ノクス様、私が少し席を外している間に、何私からセレナを盗ろうとしているのかしら」
そう言ってリリスは私の腕を抱き寄せた。
あ、そういえば今日はリリスと一緒に食堂へ行く約束をしていたのだった。勝手にノクスと行くってミシェルに言っちゃった。
ノクスはリリスから向けられる冷気にも動じずに、肩をすくめて言い返した。
「セレナは婚約者である俺と一緒に行くことになった。これから一緒に食堂へ行くところだ」
「親友との約束の方が優先されるに決まってるでしょう?」
「そもそも、肝心な時にいなくてセレナを守れなかったお前に、任せてはおけないな」
「いつも昼休みにいないくせに、どの口が言っているのかしら。セレナにすり寄る男から私がどれだけブロックしてると思ってるの?」
「リリス……仮面が剥がれてきてるよ……!」
私は私たち以外の誰にも聞こえないように小声で忠告する。リリスは一応学園では猫を被っているのだ。
しかし私の忠告も虚しく、笑顔のリリスと仏頂面のノクスは火花を散らし始めた。
その後、なんとか二人を説得して、三人で食堂に行けばいい、という結論に達した。ノクスとリリスを説得するのはすごく大変だった。
普段なら二人のやり取りだって楽しめるのだけど、本音を言うと、明るく振る舞っているものの心はずしんと重かった。
***
リリスと私は並んで廊下を歩いていた。今は昼休みの時間で、食堂で昼食をとったあと、ノクスとわかれて移動しているところだった。
「見て、セレナ様よ」
「そういえば聞いた? 昨日の……」
「聞いた、昨日のパーティーで……」
「セレナ様はどちらをお選びになるのかしら」
廊下を歩いていると、ひそひそとうわさ話が聞こえてくる。
学園はすでに昨日のミシェルのプロポーズの件で持ち切りだった。センセーショナルな話題ほど学園では広まりやすい。その弊害として、学園のどこに行っても好奇の視線を向けられる。
「セレナ……大丈夫?」
「私は大丈夫」
心配そうなリリスに私は微笑みを返した。少しぎこちない笑みだったかもしれないけど。
私は、ミシェルがあんなことをしたのが信じられなかった。
ミシェルに対して、私はノクスに対する想いを打ち明けていた。そして、ミシェルはそれを「素敵ですね」と肯定していた。私の気持ちを知っているのに、どうして婚約を申し込んだのか全くわからなかった。
何より、私にとってショックだったのは、ミシェルが私とノクスの仲を引き裂くようなことをした、ということだ。
夕焼けを見て覚悟を語っていたあの時の目も、話していた言葉もすべて嘘だったのだろうか。
思考がぐるぐると回って、ちょっと気持ち悪くなってきた。
「リリス、ちょっとごめん。気持ち悪くなってきたから、外の空気吸ってくるね……」
「それなら私も……」
「ごめん、今は一人でいたいの」
ついてくると言ってくれたリリスに、私は首を振る。
人の目に晒されすぎて、今は少しの間でもいいから一人きりになりたかった。
「セレナがそう言うなら……」
リリスと別れて、一人バルコニーのある二階へと足を進める。
「セレナ様……っ」
「えっ、はい?」
廊下を歩いていると、複数人の女子生徒が固まって私の方へとやってきた。思わず身を固めたものの、すぐにそれは杞憂だとわかった。彼女たちの雰囲気から何かを言われる、という感じではなかったからだ。
「私たち、セレナ様なら応援できますから……!」
「そうです! マリベル様の件で、セレナ様に救われた令嬢はたくさんいます! 私たちはミシェル様推しですが、セレナ様になら安心して……!」
「あー……ちょっと待ってください。私はノクス様という婚約者が……」
「それじゃ、私たちはここで……!」
「あっ……」
引き止める間もなく、彼女たちは去っていってしまった。
校舎の二階に上がり、バルコニーへと出る。風がふわりと吹いて、私の頬を撫でていった。
「……」
本当に、あれはミシェルの意思だったのだろうか。そもそも、宰相やノクスも、あのプロポーズ自体がミシェルの意思ではなく、シルヴァンディア王国の意向で、無理やりプロポーズさせられたかもしれないと言っていた。
私は胸の前で拳を握りしめる。
(もしそうなら、確かめる必要がある)
今、状況をややこしくしているのは、このプロポーズがミシェルの意思かどうかわからず、それを確かめることができない、という点だ。
ミシェルの本心を尋ねることは難しい。王族にプロポーズの言葉が嘘かどうかを問いかけるなんて、それこそ失礼と言われてしまうことは目に見えている。
でも、一対一なら話は別だ。それにノクスたちには警戒されているから本心を打ち明けることはできないだろうが、私は一度ミシェルの本心を聞いている。私になら打ち明けやすいはずだ。
私にしかミシェルの本心は聞き出すことができない。
もしかしたらまだ手の打ちようはあるかもしれない。
「よし、ミシェル様を探そう……!」
決心した私は、ミシェルのいそうなところを訪ね始めた。
さっき、ミシェルは休み時間になるや否やどこかへと姿を消してしまったので、私の方から探しに行かないといけないのだ。
まずは食堂に行ってみた。昼休みにミシェルが行く可能性が一番高い場所といえば食堂だ。先ほどノクスとリリスと行ったばかりだが、すれ違いになってしまった可能性も否定できない。
しかし私の期待は外れてしまった。食堂のなかにはミシェルはいなかった。もしいたら一緒に食事をとろうと誘う令嬢たちの人だかりができるので、見逃している可能性はない。
次は図書館に行ってみた。勤勉なミシェルだから昼休みも勉強しているかもしれない。だけど、図書館のどこにもミシェルの姿は見当たらない。自習スペースや書見台のあたりにはいなかった。本棚の間にいるんじゃないかと思って、司書の人にミシェルを見ていないか尋ねてみたが、それも私の望む答えは得られなかった。どうやら、図書館にもいないらしい。
じゃあ生徒会室は……いや、それはないだろう。生徒会室にはノクスがいる。ミシェルにとってノクスは今一番顔を合わせたくない相手だろう。わざわざ顔を合わせたくない相手がいる場所に行く必要はない。
最終手段として、生徒たちにミシェルがどこに行ったのか聞き込みをしてみようかとも思ったが、今のうわさ話が広まっている状態で私がミシェルに会いたがっていると知られたら、今度はどんな噂を立てられるかわからないのでやめておくことにした。
ということで、私のミシェルの捜索はすぐに
「はぁ……ミシェル様はどこに……」
私は先ほどと同じく、校舎の二階にあるバルコニーでため息を吐いていた。
ここは人通りの多い中庭を見下ろすことのできるバルコニーで、ミシェルを見つけられなかった私は、ここを通ってくれないかという半ばあきらめ混じりの祈りを込めて、中庭を通る生徒を観察することにしたのだった。
「ん? あれは……」
その時、中庭を挟んだ一階の渡り廊下になっているところに、とある人物を発見した。
「あれは……ミシェル様」
遠目からでもわかる。あれはミシェルだ。
ようやく見つけた。このチャンスを逃すわけにはいかない……!
私はすぐにミシェルの元へと向かった。
「えっと……さっきはこっちにいたけど……」
私は先ほどミシェルがいた渡り廊下のあたりで、キョロキョロとあたりを見渡す。
「まだ近くにいるはず……」
ミシェルが歩いていた方向に行くと、ちょうど廊下を曲がろうとしているミシェルがいた。私は小走りでそのあとを追いかける。
だがミシェルの歩く速度は速く、なかなか追いつけない。何度も角を曲がり、姿を消すミシェルを追うことで精一杯だった。何度も角を曲がったせいで、もはや帰り道すら怪しくなってきた。
そしてミシェルは次第に私でも来たことのないような場所へとやってきた。
(あれ? まだ留学してきて一ヶ月くらいなのに、どうしてこんな道を知ってるんだろ……?)
学園は広いので、一年以上通っている私でも校舎の隅々まで知っているわけではない。だから当然私が知らない場所や施設だってあってもおかしくないのだが……留学してきてすぐのミシェルがこんな場所を見つけることは、果たして可能なのだろうか?
私の心のなかに湧いた疑問は、すぐにかき消えた。
ミシェルがとある部屋のなかに入っていったからだ。
「よかった……やっと……」
ミシェルを探して歩き回っていたせいで、かなり体力が消耗していた私は、ようやくこの追跡劇が終わることに安堵の息を吐きながら、ミシェルが入った部屋へと近づいていく。
きちんと閉じるのを忘れていたのか、ミシェルが入った部屋の扉は少しだけ開いていた。
そこから声が漏れ出てきている。どうやらミシェルは誰かと会話しているらしかった。
(あれ、誰と会話してるんだろ……)
特に深く考えず、扉の隙間から部屋のなかを覗き見てみる。
部屋のなかにいたのは、ミシェルと……執事のオリバー・アシュモアだった。
「ミシェル様、お帰りなさいませ」
どうしてこんなところにミシェルが、と考えている間に二人が話し始めたので、私は会話に意識を集中することにした。こんな盗み聞きみたいなことは悪いとは思ったけど、この時の私はどうしてもこの会話を聞かなければならないような気がしたのだ。
制服のネクタイを緩めたミシェルは、乱暴な仕草で椅子に座った。いつも身だしなみが完璧なミシェルのイメージとはかけ離れた行為に、私は少しだけ驚いた。
「はぁ……疲れた……」
(えっ……?)
その声を聞いた瞬間、硬直してしまった。
いつも丁寧で穏やかな彼とは思えないような冷たい声だったからだ。椅子に座る彼の表情からは笑みが消え、背筋の凍るような冷たい表情を浮かべていた。
「学園の様子はどうでしたか、ミシェル王子」
「下手な雑談はいいから、さっさと紅茶を淹れてください。あなたは今、曲がりなりにも私の執事でしょう」
「はいはい、承知いたしました」
冷たい目で睨まれたオリバーは肩をすくめて、近くに置いてあったお茶のセットから準備を始める。
ドアの隙間から、こちらにも紅茶の匂いが届いてきた。シルヴァンディア王国産の紅茶なのか、今まで香ったことのないような、どこか独特な匂いがする。
私は、眼の前の光景に衝撃を受けていた。
ミシェルがあまりにも人が変わりすぎて、まるで別人のようにしか見えなかった。いつも浮かべている微笑も、まとっているふわりとした雰囲気も、まるで最初からそこになかったかのようだった。
(どういうこと? どうしてミシェル様がこんな……それに、アシュモアさんが〝今は〟私の執事ってどういうこと?)
あまりの豹変ぶりに困惑している間にも会話は続いていく。
「どうぞ」
オリバーはミシェルの前のテーブルに紅茶が淹れられたカップを置く。今、気がついたがオリバーの方はミシェルの豹変ぶりに、少しも驚いた様子はなかった。まるでいつも見ているから慣れている、といった感じだ。
ミシェルは少し動きを止めてそれを
「学園での生活は楽しいですか。ミシェル様」
紅茶を飲んだミシェルに、オリバーは改めて問いかける。それに不機嫌そうに鼻を鳴らして、ミシェルは答えた。
「最悪ですね。今日はどこに行っても昨日の話で持ちきりです。不躾な視線を浴びせられ続けて、楽しい人間がいるわけがないでしょう」
「ですが、シルヴァンディア王国にいた時も同じようなものだったのでは?」
「あちらはこことは違って学園自体、それほど大きな規模でもありませんし、生徒も少ないですからね」
たしかにミシェルは、自分の学園の規模はレイヴンクロフト王国よりは小さい、というようなことを言っていた。
「それに兄上が二人いますからね。真っ先に権力争いから逃げた私に見向きするような人間は多くありません」
「それはそれは」
オリバーはニコニコと笑顔で答える。
「本日の学園の様子はいかがでしたか?」
「ほとんどの生徒は私のことを疑ってはいないようです。留学してきた当初からセレナ嬢と行動を共にしてきた甲斐がありました」
(うそ……!)
「学園で小さなことを積み重ねてきた結果がようやく実りました」
「コツコツと平民の生徒を助けたり、どんな生徒にも丁重に接していたことですか?」
「ええ、まぁその通りです」
ミシェルはオリバーの言葉に頷くと、そのまま言葉を続ける。
「この学園の生徒はどうやらゴシップに目がないみたいです。それがたとえ私という他国の王族であったとしても、この国の王子と婚約した令嬢に婚約を申し込む他国の王子、というまるで作り話のような展開を本当だと信じ込んでいます。国内で権力争いが起こっていない、安定した国ならではの光景ですね」
「まあ、たしかにシルヴァンディア王国と比べれば、政治の面ではずいぶんと安定していますね」
そこで一度話が区切られ、オリバーはミシェルへと質問した。
「それで、これからどうするんですか?」
「それで、どうする……?」
オリバーの言葉に、ミシェルはピクリと眉を動かした。
そして歪んだ笑みを浮かべ「ハッ」と乾いた笑い声を上げた。
「どうもこうも、これからできる限り私は彼女にアプローチをかけて、婚約者の座を奪うしかないでしょう」
「婚約者の座を奪う、ですか? あの二人の仲を引き裂くのですか?」
「そうです。私は、セレナ嬢とノクスの仲を引き裂きます。私の目的のために。たとえ、それでどんな問題が起こったとしても」
その時、衝撃が走った。
ミシェルの言ったことが信じられなかった。
あのミシェルが、「自分の目的のために私とノクスの仲を引き裂く」と言ったのだ。
オリバーはミシェルの言葉をニコニコとした表情を崩さず聞いている。
「では、肝心の彼女については、心を掴めているのですか?」
「彼女の心を掴むのには苦戦しています。一応、マリベルの件や自国のトラブルについて話すことで信頼関係は構築できたようですが……まあ、元から彼女には心に決めた人がいるので仕方のないことです」
「ではいっそのこと、彼女の大切な人間を人質にとってみては?」
(っ……!)
サラッとオリバーから告げられた恐ろしい提案に私は息を呑んだ。
しかしその提案をミシェルは首を振って拒否した。
「たしかに、それも有効でしょう。大切な人を人質に取られた人間は、よく働く。ですが人質を取るというのは、あまりにもリスクが大きい。今の状態で彼女がノクスとの婚約を解消しても、周囲の人間は必ず疑います。そして、人質の件が
「そうですか」
ミシェルの言葉を聞いて、オリバーはあっさりと引き下がった。私はとりあえず人質作戦が採用されなかったことに安心して、胸をなでおろした。
「ずいぶんと難航しているようですね」
「……そもそも、すべてあなたたちのせいでしょう」
(……え?)
私は心のなかで驚きの声を上げた。あなたたちのせい? それは一体どういう……。
「あとに退けないようにパーティーという人目がある所で婚約を申し込ませるのは、あなたたちが仕向けたことだ。だからあなたはあの時、私のそばを離れて適当な使用人を使い、ノクスをセレナ嬢から引き離したのでしょう。私にプロポーズするようにと、無言の圧力をかけたんだ。まさか忘れたとでも?」
つまりは、昨日パーティーで私に婚約を申し込んだのは、私と婚約したかったわけではなく……。
ミシェルはどこか自嘲するように笑いながら、髪をかき上げて天井を仰ぐと、本心を
「――本当は、彼女にプロポーズなんてしたくなかった」
「っ!!」
その言葉を聞いた瞬間、私は思わず走り出していた。
私はミシェルを信じていた。他国のスパイなんかじゃなく、本当に自分の国の発展のためにレイヴンクロフト王国に学びにきたんだって。わざと私とノクスの仲を引き裂くような人間じゃないって。
でも、ミシェルはハッキリと言った。私たちの仲を引き裂くために、婚約を申し込んだのだと。
信じたくなかった。でも本当だった。
この時の私は、傍からみれば真っ青になっていたかもしれない。
走っているとすぐに疲れてきて、私は立ち止まって廊下の壁に手をついた。
「はぁ……はぁ……」
私は壁によりかかる。胸に手を当てながら肩で息を整えた。
運動なんてろくにしないから、少し走っただけでも心臓が痛い。
頭がぐるぐると回っている。もう、何を信じればいいのかわからなかった。
その時だった。
「セレナ……?」
「ノクス、様……?」
顔を上げたそこにいたのは、ノクスだった。
「どうしたんだセレナ、顔が青いし……それにどうしてそんなに肩で息をしているんだ」
心配そうな表情で、ノクスは私に何があったのかを尋ねてくる。
「っ……!」
ノクスの顔を見たことによる安堵や、ミシェルに裏切られた哀しみ、色々なものがこみ上げてきた私は、思わずノクスに抱きついた。
「セ、セレナ……っ!?」
いきなり抱きついてきた私に、ノクスは大層驚いたように目を見開いた。
***
私たちは生徒会室へと移動してきた。少しだけ事情を説明すると、ノクスの表情がみるみる変わっていき今すぐ話し合うべきだ、ということになったのだ。
話す内容が内容であるため、誰の目も届かない生徒会室で話し合うことになった。生徒会室のなかには私、ノクス、リリスがいた。学園のなかでミシェルに対しての事情を知っているのは私たちだけだった。
生徒会室のなかにはピリピリとした雰囲気が漂っていた。ノクスとリリスはいつもよりも一層険しい顔をしていて、怖いくらいだった。
「セレナ、すまないがもう一度説明してもらえるか」
「はい」
ノクスの言葉に頷いて、私は少しためらいながらもさっき見たものを二人に説明する。
「たまたまミシェル様を見かけて、そのあとを追っていたらとある教室のなかに入っていったんです。その扉が少しだけ開いていたので、教室のなかを見るとミシェル様とアシュモアさんがいました」
「なるほど、人気のない教室で情報交換でもしていたのね」
「それにしてはドアが開いていたのは不用心だが……たしかにそう考えるのが自然だろう」
「それで、話を聞いていると、今まで学園の生徒たちに優しく振る舞っていたのはすべて演技だったと」
「ミシェルが、本当にそう言ったのか?」
ノクスが少し目を見開いた。
私だって信じたくない。ミシェルがこんなことのためにこの国に留学してきたなんて。でも、さっき見たことは真実なのだ。
少しの沈黙のあと、顔を伏せて私は頷いた。
「…………はい、言いました」
「……信頼できないとはいえ、あいつのことは評価していたのにな」
少しだけ悲しそうな顔でノクスは呟いた。
「ノクス様から警告していただいたのに、ミシェル様を信じてしまって、申し訳ありませんでした……」
私はノクスに謝る。
ノクスはずっとミシェルのことを警告してくれていたのに。
合っていたのはノクスの方だったのだ。
「そんなこと、どうでもいい。それよりもセレナが傷つけられたことの方が問題だ。お前が謝る必要はない」
しかし、ノクスは私を包みこむように許してくれた。
「それで、もし大丈夫なら、ミシェルが何を言っていたのか具体的に教えてくれるか?」
「パーティーでプロポーズしたのはノクス様から婚約者の座を奪いたかったからで、自分の目的のために私とノクス様の仲を引き裂くつもりだった、と……」
できるだけ聞いたことをそのままノクスとリリスに伝えた。
「ついに馬脚を現したわね」
ぞわりと肌が粟立つような怒りをあらわにして、リリスはそう言った。
「前々から怪しいと思ってたのよ。ちょうどいいわ、私がドラクシス家の権力を使って、あのいけすかない男からすべてを聞き出したあと、この国から叩き出して……」
ハイライトの消えた顔で、ぶつぶつと呟き始めた。
「え、えっと……リリス……」
「一旦落ち着け。その気持ちはわかるが、相手は王族だ。そんなことをすれば即問題になるぞ」
親友がこんなに怒っているところを見たのは初めてだったので、どうしたらいいかわからずオロオロとしていた私に代わって、暴走しかけたリリスを止めたのはノクスだった。
「でも、セレナの信頼を裏切ったのよ? そんなの許せるの?」
しかしノクスの制止すら利かなかった。ノクスは額に手を当てて、はぁとため息を吐いた。
「許せるわけないだろう。だが、今お前が暴走して、もしお前に何かあればセレナに迷惑がかかるかもしれないんだ。それでもいいのか?」
「……」
リリスは冷静になったのか、息を吐いた。
「それでセレナ、ミシェルはあとは何か言っていたか?」
ノクスに質問され、私は少し気になっていたことを思い出した。
「そういえば、ミシェル様がアシュモアさんに対して『今は私の執事』と言っていたのと、パーティーの場で婚約を申し込んだのはそう仕向けられたからだ、と言っていました」
「ふむ……」
ノクスは顎に手を当てる。
「言葉から察するに、恐らくパーティーでの婚約は国王か、第一王子か第二王子の命令によるものだと見ていいだろうな」
「ええ、そうね。王族に命令できるのは王族だけ。となるとミシェル王子よりも高位の王族が、このパーティーでのプロポーズを仕組んだと見て間違いないでしょう」
「ということは、ミシェル様がアシュモアさんに言っていた『今は私の執事』というのも……」
「もしかしたら、ミシェルのプロポーズを成功させる補助をする役目かもしれない。それか、本当にこの国の情報を盗むためにやってきたスパイか、だ」
「スパイ……」
「もちろん、表向きは執事だが、スパイの技術を仕込めば王族の留学にお供する使用人として、この国に潜り込むことができる」
その時、唐突に生徒会室の扉が開けられた。
皆が弾かれたようにそちらを見る。
「……!」
入ってきたのはミシェルだった。先ほどの豹変ぶりの影も形もなく、いつもの穏やかな笑みを浮かべていた。
ミシェルから庇うように私の前にノクスが歩み出る。そして少し厳しい目つきでミシェルを睨みつけていた。
「ああ、セレナ嬢も生徒会室に来ていたんですか? こんなところで出会うなんて、運命かもしれませんね」
ミシェルはいつもと同じように、見るものが見ればうっとりしてしまいそうな笑みを浮かべる。でも、ミシェルの本音を知っている私には効かなかった。
つい先ほどまであんなことを言っていたのに、どうしてこんな笑顔を浮かべることができるのかわからなくて、私は困惑しながら一歩後ずさった。
「ミシェル。昼休みに生徒会室に来るなんて、どうしたんだ」
「生徒会の仕事をやっておきたくて。少し溜まっていましたから」
そこでミシェルは私たちから厳しい目を向けられていることに気がついて、少し困ったような微笑を浮かべた。
「あの、皆さん。どうしたんですか? そんなに怖い顔をして……」
それでも一向に和らぐことのない雰囲気に、寂しそうな笑みを浮かべる。
「せっかく打ち解けてきたと思ったのに、私が何かしてしまったのでしょうか……」
「自分の胸に聞いてみろ」
「あ、あの……本当にどうしたんですか? 皆さん、顔が怖いですよ?」
「まずは、言うことがあるんじゃないか。特にセレナに」
「私が、セレナ嬢に……? ああ、パーティーでの件ですね。たしかに急なプロポーズをしてしまったことは……」
「いつまでとぼけているんだ!」
いまだにとぼけ続けるミシェルに、ついに苛立ちを抑えきれなくなったノクスが怒声を上げた。
ノクスはミシェルの胸ぐらを掴み上げ、生徒会室の扉へと背中から叩きつけた。
「ノクス様っ!」
「俺たちは知っているんだ! お前がどういう目的で留学してきたのか!」
「……」
ミシェルは目を見開いていた。そしてすうっと目を細めた。
「……そうですか。さっき、見ていたんですね。まったく……尾行に気がつかないなんて、よほど疲れていたんでしょうね」
そう呟いて、「ハッ」と笑うとミシェルはさっき見た、歪んだ笑みを浮かべた。
そのミシェルに、私は違和感を抱いた。
なんだかまるで、一連のセリフがすべて演技のように見えたのだ。
でも、ノクスとリリスはその様子には気がつかなかったようだ。
ミシェルは歪んだ笑顔を浮かべて続ける。
「バレてしまったなら仕方がありませんね。……もう演技をする必要はないですか」
自嘲気味に笑いながら、ミシェルは肩をすくめる。
「せっかく上手く騙せていたと思っていたのに、こんな小さなミスでバレてしまうとは」
「ミシェル、セレナに申し込んだ婚約を撤回しろ! お前が取り消せば、今までのお前に免じてすべてを穏便に済ませる」
「それはできません。絶対に、私は彼女へのプロポーズを撤回しない」
「お前っ……!!」
ミシェルの服を掴んでいるノクスの手に、力が入る。
「俺たちは、お前を信じていた!」
その時、自嘲気味な笑みを浮かべていたミシェルの笑みが崩れた。
「どれだけ疑わしくても、お前の学園での様子を見て見直していたんだ! それなのになぜセレナを裏切った!! 答えろ、ミシェル!!」
ノクスがミシェルに詰め寄る。
その言葉が引き金だった。
「っ!!」
ついにミシェルの仮面が剥がれ落ちた。
「君たちに何がわかる!!」
ミシェルがノクスの胸ぐらを掴み返し、怒鳴り返した。
「私にはこうするしかなかったんだ! もし私が彼女にプロポーズしていなかったら最悪、戦争が起こる可能性があったんだぞ!!」