
季節は春。一年生最後の春休みを満喫し、まだ何の問題も抱えていなかったあの日。
俺、ノクス・レイヴンクロフトはとある人物に相談を持ちかけていた。
「それで、相談って何かしら。私も暇じゃないんだけど」
相談の相手は銀色の髪に、王族の血縁であることを現す青色の瞳を持つ令嬢。リリス・ドラクシスだった。
俺の相談など心底どうでもよさそうな顔をしているリリスだが、一度パーティーや公の場に出れば、「猫かぶり」という言葉を体現したようなあのマリベルも真っ青なほど猫を被るのだから面白い。まぁ、それを指摘するとどうなるか想像はつくので本人に言ったことはないが。おまけに今から相談に乗ってもらうのだからますます言うことはできない。
現在、俺には悩みがあった。
「これはお前にしか……話せないことだ」
「珍しいじゃない。貴方が私に相談事なんて」
リリスの言う通り、俺はコイツだけではなく、滅多に人に何かを相談することはない。それでも今回コイツに打ち明けることにしたのは、俺たちの間に一つの共通項があったからだった。
「それで、何をそんなに悩んでいるわけ?」
リリスも大方、俺の相談事を理解しているだろうが、それでも
俺はリリスへと悩みを打ち明けた。
「セレナが最近…………綺麗になりすぎている」
「……はぁ?」
リリスは俺へと冷ややかな視線を投げた。それはそれは冷ややかな視線だった。
とても王族である俺に向けるような目ではない。
「あのね、惚気なら私じゃなくてセレナにぶつければ? そもそも勘違いしないでほしいけど、最近どころかセレナは昔からずっと可愛いわよ」
まるで愚問に呆れるようにため息を吐くリリス。そして最後になぜか自慢気に胸を張った。お前はセレナの何なんだ一体。
「そんなことはわかってる。これはただの言葉の綾だ。そんなことセレナの婚約者である俺が一番理解している」
俺の言葉にリリスはピクリと眉を動かした。
「なに、そのマウント? 婚約者だからどうしたの? 私は大親友なんですけど」
「お前こそマウントしてるだろう。というか前から思っていたが、お前、セレナのことが好きすぎじゃないか?」
以前からコイツがセレナのことを一番の親友だと思っているのは知っている。だがどうも最近、その愛が親愛以上になっている気がするのだ。
「えぇ、そうですが何か?」
開き直って肯定するリリスに、俺はため息を吐いて話を変えることにした。今更自明なことを語っても意味がない。それよりも目の前の問題だ。
「まぁいい。そんなことより、このままではセレナに近づく男が増えてしまう」
「あなたは王族なんだからそんなこと気にしなくても大丈夫でしょうに」
「それはそうだが……」
リリスの言う通り、俺は王族だ。単純に権力を使っての婚約者の取り合いになれば、有利なのは俺だ。
王族の権力を
だが、それでも心配なことはある。
「セレナのことを疑うわけではないが……それでも可能性の話として、言い寄られれば気持ちが傾いてしまう可能性がある」
「…………あの子なら万に一つもないでしょ」
何か重要なことを言われたような気がしたが、声が小さかったので聞き取れなかった。
「何か言ったか?」
「なんでもない。せいぜい悩みなさい」
尋ねてみるもはぐらかされた。こういう時、リリス・ドラクシスという人間は何度聞いても教えることはないとわかっているので、俺は元の話題へと戻った。
「国内の貴族なら俺の力でなんとかなる。しかし世界は広い。他国の王族がうっかりセレナと出会って、一目惚れしないとは限らないだろう」
「あのね、心配もいきすぎると妄想よ? それこそ大丈夫でしょう。他国の令嬢、それも王族と婚約しているセレナにプロポーズした瞬間、即国際問題だもの。普通に考えてセレナに婚約を申し込む人間なんていないわよ」
「そうだな……」
その時は一旦リリスの言葉を肯定したが、二年生に進級するなり、妄想呼ばわりされた俺の予想は当たってしまった。学園内に「公爵家とお近づきになりたい」という名目でセレナに近づく令息が大量にいたのだ。厄介なことに、セレナは自分が人気があるということに気がついていなかった。あれだけ自信があるのに、他人からの評価に関しては自意識が低いところがあるのだ。
だが、それもまだいい。セレナを狙う令息たちを撃退するのは容易だったからだ。
しかし、それまでのセレナとの関係が変わってしまう出来事が起こった。
隣国、シルヴァンディア王国から第三王子であるミシェルが留学してきたことだ。
俺とセレナの間での、ミシェルに対する見方の違いが発生した。俺はミシェルのことを信頼できる相手ではないと考えているが、セレナはミシェルを信頼できると主張した。
最悪なことに、そのせいで俺とセレナは喧嘩をしてしまった。
俺がミシェルに強く当たるのに、少し嫉妬が混じっていたと言われれば……そうかもしれない。セレナには俺以外に信頼している相手がいるという事実を意識すると、胸が締め付けられるような思いだった。
だが……あれだけわかりやすく嫉妬しているのに、どうして気がつかないんだセレナは。
それからも、どうにかして関係を元に戻そうとした。機を
セレナとの心が離れた状態は身を引き裂かれるような、今まで経験したことのないような辛さだった。
このまま二度と元の関係には戻れないんだろうか…………いや、もしかしたらセレナには冷められてしまったのかもしれない。それも当然だ。
こんな些細なことで嫉妬するような男、セレナからすれば願い下げなのかもな……。
考えれば考えるほど、悪い思考の渦に嵌っていくような気がした。
だが、それが杞憂だったとわかったのは、パーティーでだった。
パーティーの前にお互いの気持ちを確かめ合い、仲を修復した。
そしてパーティーのあとの国王との話し合いの場で。
「私も、ノクス様と婚約を解消するつもりはありません。ノクス様は私にとっていちばん大切な人です。そんな人との婚約を解消するなんて……考えられません!」
婚約を解消する意思があるかどうか聞かれたセレナは、国王に向かってそう断言した。
セレナの言葉を疑ったことは一度もない。それでもセレナがもし俺に愛想を尽かしているなら、ここが婚約を解消する絶好の機会だった。だからこそ、婚約を解消しないと断言してくれたというのは……本当に嬉しかった。
***
国王との話し合いが終わったあと、俺たちの間には不穏な空気が流れていた。
先ほどの話し合いで「もしかしたら婚約を解消してもらうことになるかもしれない」と言われたからだ。馬車の窓を見るセレナは、どこか不安気な表情だった。
対して俺は……そこまで不安には感じていなかった。
国王との話で出た婚約解消うんぬんのくだりを嘘だと思っているわけではない。それどころかほとんど真実だろう。
だが、あの部屋から出る時、国王は俺に片目を瞑った。俺はその意図を正確に読み取った。
お節介な話だ。俺とセレナの間にもう一度亀裂が入りそうになったのを見て、フォローを出したのだろう。場を調整するだけでそこからは完全に自分の力でなんとかさせようとするのが、父らしいと言えば父らしい。
父の言いたいことは一つ。
婚約解消を阻止する意志を持て。
セレナと婚約を解消したくないと思っていても、そのために行動する意志を持たなければ意味がない。理不尽な場面に遭遇しても、政治的にセレナとの仲を引き裂かれそうになったとしても、結局は自分がどうするかなのだ。
意志を持って行動すれば、必ず道は開ける。
ずっと。ずっとただ見ていることしかできなかった。セレナには婚約者がいて、俺が彼女の意思に反して仲を引き裂くことはできなかった。そして、身を焦がされるような想いで彼女を見守りながら五年という月日がながれ、ようやく転機が訪れた。
ようやく、セレナと婚約することができたのだ。二度と手放すわけにはいかない。
(そうだな……俺が覚悟と意志を示す番だ)
まずは、セレナの暗い表情を払拭することにしよう。彼女に暗い表情は似合わない。
いつものように、咲き誇る花のような笑顔こそ、セレナに一番似合う顔だ。
馬車がセレナの屋敷の前に止まる。俺は馬車から出てきたセレナの前に跪いた。
「セレナ」
「ひゃっ……はいっ!」
俺はセレナの手を取る。セレナは少し驚いたような声を上げた。
「俺は、絶対にセレナと婚約を解消するつもりはない。俺はセレナを――愛している」
まっすぐ。
意志と覚悟を伝えるために、セレナの瞳を見つめる。
セレナは俺の言葉に蜂蜜色の瞳を少し見開いて……花が咲き誇るような笑みを浮かべた。
「……はいっ!」
この時、俺は改めて誓ったのだった。セレナをあらゆるものから守り抜くと。