
部屋のなかはすごく大きい、というわけではなく六人ほど入れば手狭になりそうな応接室だった。
しかし見た目が質素だということはなく、上品な壺や絵画が飾られていた。
「国王様……」
部屋のなかには国王がいた。
ノクスと同じ黒い髪。そしてノクスの美貌をそのまま大人にしたような男性だった。
そしてその男性の背後にはメガネを掛けた、比較的若い三十代前半くらいの男性が立っていた。
この人は顔を見たことがある。この国の宰相を務めている人物だ。若くして国の政治を動かす立場に抜擢されただけあり、「数十年に一度の天才」と評されるほど優秀なのだそうだ。
部屋のなかには少し張り詰めた雰囲気が漂っていた。
私が少し足を止めると、国王はそれに気がついたのか朗らかな笑みを浮かべた。
「二人とも。こちらにかけてほしい」
国王は真剣な表情で私とノクスへとそう促した。
私はすぐに意図を察した。先ほどのミシェルの件についての話だろう。
先ほどのミシェルが引き起こした騒ぎは、パーティーに参加している国王も知っているのだ。
私とノクスがソファに座ると、おもむろに国王は話し始めた。
「さて、まずは確認させてほしいことがある。……二人とも、婚約を解消する意思はあるか?」
「なっ」
「そんな……」
国王の問いかけに、私とノクスは同時に息を呑んだ。
しかし私たちの勘違いを解くように国王は首を振る。
「焦らなくていい。ただ聞くところによると、二人はここ最近、喧嘩が続いていたそうだな」
「それは……」
「そこへあの王子の求婚だ。親としても、国王としても確認せざるを得ない」
「俺は」
隣に座っていたノクスが立ち上がった。
「セレナとの婚約を解消するつもりは毛頭ありません。セレナは俺にとって大切な婚約者ですから」
ノクスは自分の胸に手を当てて、力強く国王に向かって、改めて婚約を解消するつもりがないことを宣言する。
「ノクス様……」
「そうか、セレナ嬢はどうだろうか?」
国王はノクスの言葉に頷くと、今度は私に問いかけてきた。
「私も、ノクス様と婚約を解消するつもりはありません」
私も国王へ向かってノクスに負けないくらい強く宣言した。
「ノクス様は私にとっていちばん大切な人です。そんな人との婚約を解消するなんて……考えられません!」
「そうか」
国王は私の言葉にも同じように頷いて……そしてとんでもないことを言い出した。
「二人の意思はわかった。しかし、その上で覚悟しておいてほしい。場合によってはそれでも婚約を解消してもらうかもしれない、と」
「えっ」
「……」
国王の言葉に困惑する私とは反対に、ノクスは口を閉ざしていた。
「そんな、どうしてですか! 私たちは婚約を解消するつもりなんて……」
「もちろんわかっている。しかし、この婚約を断れば最悪、ミシェル王子の国であるシルヴァンディア王国と戦争になるかもしれないのだ」
「せ、戦争……!?」
私は国王の言葉に驚愕した。
なぜ私がプロポーズを断ると戦争になるのか全くわからなかった。
「それは私から説明致しましょう」
国王の背後に控えていた宰相が説明を引き継いだ。
宰相はメガネを指で押し上げて説明を始める。
「現在、レイヴンクロフト王国とシルヴァンディア王国の関係が悪化していることは知っていますか」
「はい、それは……」
「それなら話が早い」
宰相はニコリと笑う。
「あちらの国との関係が悪化している今、このプロポーズを断るとさらに悪化させる可能性があります」
「ですが、私には婚約者がいるのですよ?」
「それは関係ありません。シルヴァンディア王国の王族の求婚が断られた、という事実が重要なのです」
「事実が……?」
「王族が婚約を申し入れたのに振られた、となるとあちらの面子が立ちませんから」
「ここでも面子ですか……」
先日、ノクスが言っていた面子の話を思い出す。
「今、我らレイヴンクロフト王国は王族の血を取り入れているシュガーブルーム家の家格を落としたことにより、シルヴァンディア王国の王族の面子を潰している状態です……まぁ、我々としては潰したとは思っていませんが。この状態でさらにあちらの王族に恥をかかせたとなれば、国同士の関係が最悪、という言葉が似合うほどに悪化するのは想像に難くありません」
そこでノクスが割り込んできた。
「そもそもの話として、このプロポーズ自体、ミシェルの意思ではないという可能性もある」
「ええ、その通りです、ノクス様」
ノクスの言葉を宰相が首肯し、私にまた向き直る。
「プロポーズが、ミシェル様の意思ではないと?」
私の疑問に対して、宰相は「あくまで仮定の話ですが」と言葉を返す。
「このプロポーズがミシェル王子の意思ではなく、国王の意向だった場合、これはあちらの国からの『関係を改善したいなら婚約を受けろ』というメッセージだと解釈できます。ちなみにこれが最悪のパターンです」
「最悪のパターン、ですか?」
「もしそうならプロポーズを断った場合、両国に決定的な亀裂が生まれることになりますので」
「あっ」
「おわかりいただけましたか。最悪戦争に……とはそういうわけです」
「シルヴァンディア王国の国王と、ミシェル王子の兄、第一、第二王子は三人とも好戦的な性格だ。この婚約を無下に断れば戦争に発展する……とは言い切れないが、可能性は高い。それになぜか最近、あちらの貴族たちの間で、レイヴンクロフト王国に対する悪感情が高まっているらしくてな。もしこの件が彼らに知られれば……世論に突き動かされて戦争が起こることは珍しいことではないのだよ」
私はそこでミシェルがシルヴァンディア国王は第一王子と第二王子の権力争いを擁護している、と言っていたことを思い出した。
「だから婚約を受けることはしなくても、少なくとも考えるフリはしなければならん」
国王が言葉を続ける。
「王子が他国の令嬢に婚約を申し込んだ時点で、すでにこれは単純に個人同士で済む話ではなくなり、国際問題になっている。まだ誰も知らなければ内々に終わらせることもできたかもしれないが、あれだけ貴族がいる公の場で婚約を申し込んだ以上、なかったことにはできない。あちらもそれが狙いだったのだろう」
国王の言う通り、あれだけの衆人環視のなかで婚約を申し込んだのは、ミシェルの計算によるものだろう。
信じたくなかった。わかりあえたと思ったミシェルがこんなことをするなんて。
「どうすれば……」
どうするのか答えが知りたかったが、宰相は目を伏せて首を横に振った。
「ここで結論を出すことはできません。この決断によって国の未来を左右することになりますから、少し時間が必要です」
「どちらにせよ、婚約の解消は確定ではない。ひとまずは安心してほしい」
国王のその言葉によって、話は締めくくられた。
その後、もう一度パーティーに出るという雰囲気ではなくなっていたので、私はそのまま屋敷に帰ることにした。
ノクスは王宮に住んでいるがミシェルとの一件があったので、一緒の馬車に乗って送ってくれることになった。
国王は婚約の解消は確定ではないと言っていたが、私たちの間には言いようのない不安感が漂っていた。
そのせいで、馬車のなかには沈黙が降りていた。
せっかくパーティーが始まる前に仲直りができたと思ったのに、私とノクスの関係が戻ってしまったみたいに感じて、少し悲しくなった。
(あれ……?)
王宮を出る時に、馬車の窓から見知った顔が見えて、私は首を傾げた。
(あれは……アシュモアさん、だよね?)
ミシェルの執事であるオリバーが、王宮を囲む壁沿いに歩いていたのだ。
目立たない風貌なので一瞬見逃しそうになったが間違いない。あれはオリバーだ。
(どこかから王宮に戻ってきたの……? でも、この先は私の家とか、貴族の屋敷があるくらいだし……。どうしてあんなところを歩いてるんだろう……)
オリバーは王宮の壁沿いを、何かを確認するように歩いていた。
そういえば彼は確か、ミシェルの忘れ物を取りに行くという口実で王宮内を探索していたはずだけど……あのあと、オリバーはミシェルを連れ出すことができたのだろうか。
私のなかに様々な疑問が浮かぶ。
しかしその時の私は目の前に大きな問題があったので、特にそれ以上気に留めることはなかった。
オリバーのことはすぐに忘れてしまい、屋敷の前に到着するまで、私の心のなかは不安でいっぱいだった。
だけど……そんな不安はすぐに吹き飛んでいってしまった。
馬車が屋敷の前に着いた時、ノクスがとあることを話してくれたから。
それがどういう内容だったかは、私とノクスだけの秘密だ。
そうそう、屋敷に帰ってから両親にミシェル王子に婚約を申し込まれてしまったことを報告すると、二人とも気絶しそうになって大変だった。
***
セレナとノクスが去ったあと、部屋のなかには国王と宰相だけが残されていた。
宰相はメガネを押し上げて、国王に対して質問する。
「……よろしかったのですか。あんな脅し方をして。本当は婚約を解消するおつもりはないのでしょう?」
「大丈夫だ」
宰相の質問に国王はキッパリと答えた。
「これでも私とノクスは親子だ。息子は私の本当の目的に気がついているだろう」
「本当の目的、ですか?」
「少し脅すようなことを言ったが、婚約を解消させるつもりは毛頭ない」
「ではなぜあのようなことを?」
「こう言った方が二人の絆が深まるだろう?」
国王は片目を瞑った。
「国王様……」
国王の言葉に宰相ははぁ……と呆れたようなため息を吐いた。
「まったく……いくら二人の仲を発展させるためとはいえ、普通そこまでしますかね……」
「私も国王ではあるが、一人の理解ある父親だからな」
茶目っ気を見せる国王に宰相はもう一度ため息を吐きながら、空気を切り替えるために一際真面目な声色で国王へと進言した。
「ですが、婚約の件に関して、私は嘘をついたつもりも、誇張したつもりもありませんよ」
国王は違うかもしれないが、宰相はノクスとセレナに説明したことについて、一つも誇張を挟んだつもりはなかった。
レイヴンクロフトとシルヴァンディアの両国の関係は今、冷え切っており、実際に婚約を断ればさらに緊張状態になることは確実だ。
それこそ、戦争に突入してしまう可能性だって捨てきれない。
「シルヴァンディアとレイヴンクロフトの関係が悪化するかどうかは、この婚約の話を上手く切り抜けられるかにかかっています。どうするのですか」
「もちろん、私は息子とセレナ嬢の関係を応援している。婚約は断るつもりで動く」
「そうなると、波風を立たせないように断るのは大変ですよ……?」
「そこは私たちの腕の見せどころだろう。期待しているぞ、宰相」
「また厄介な仕事が増えましたね……」
国王から振られた大仕事に、宰相はメガネを押し上げながらため息を吐いたのだった。